はてなキーワード: 球技とは
の元増田です。
『思い当たるフシ』というやつをリストアップして持っていこうと思います。
既に検査が明日に迫っているものの、「増田に上げる」という目的意識でも持たないといつまでも先延ばしにしそうなので……。
【現在の状況】
■普段の生活で困っていること
■あまり困っているわけではないがADHDの特性に当てはまりそうだと思うこと
こんなところでしょうか。書き連ねてみるとひっどいものですね……。
http://suminotiger.hatenadiary.jp/entry/2015/05/13/162046
運動系の教育現場における連帯責任の話題を見かけ思い出したことがあった。
私の通った中学では体育教師が毎年四月の授業プログラムとして基礎体力トレーニングなるものを行っていた。一度の授業に参加するのは2クラスの男子それぞれ15名前後ずつの計30名程度。主な内容は短距離ダッシュ、中距離走、腕立て、背筋、空気椅子、手押し車、アヒル歩き、馬跳び、カエル跳び、アザラシなどなど全身の筋肉を万遍なくいじめてやるメニューを45分の授業時間いっぱいかけて行う。
特に下半身への負荷が非常に高く、体育の授業があった翌日などはホームルームの起立着席時に男子の動きが緩慢でずいぶん時間がかかっていたことをよく覚えている。非常にキツイ授業ではあったが今考えてもそのメニュー内容はシゴキというレベルではなく指導の範囲内であったろうことは先に明言しておこう。
さて、この授業には掲題にあるとおり連帯責任のルールが取り入れられていた。
2クラス合同で行われているところが味噌で各メニューを何本か連続でこなす最後の一本になるとクラス対抗の対決要素が加えられるのだ。
勝利条件はメニューによって様々で馬跳びのように団体競技で先にゴールしたクラスが勝利となるシンプルな場合もあれば、個人がそれぞれにメニューをこなし「ノルマを達成した者が多くいたクラスの勝利」「ノルマ未達成者を多く出したクラスの敗北」という場合もあれば「最も優秀な成績を出した一人が所属するクラスが勝利」「最も悪い成績を出した一人が所属するクラスが敗北」という場合もあった。
敗北したクラスには連帯責任で都度ペナルティが科せられる。足上げ腹筋30秒。一人でも脱落者が出た場合、もう一度全員でやり直しとなる。ただし二回目以降は有志の人間が脚にボールを挟んでやり遂げれば、未達成者が出た場合でもペナルティ完了となる救済措置が用意されていた。
ところで、ここまで他人事のように書いてきたが、私は昔からからっきし運動が苦手で、この授業でもクラスで一番足を引っ張る役どころとなっていた。その立場から言わせてもらうと、この授業には結果的には大変救われていたと今では感謝している。
この一学期初めの一ヶ月の授業を通して、新たに顔を会わせたクラスメイトたちは互いの運動能力の差を否が応でも理解していくこととなる。そしてそれは運動能力の高いものが自ずと中心になり作り上げていく無言のヒエラルキー的な理解ではなく、各々の能力に応じてクラスの中での役割分担を作っていく形での理解だ。私にはこれがとてもありがたかった。
もちろん運動がダメであることには違いないので、クラスメイトからのそのような認識が変わることはない。しかしそれは明らかな足手まとい、空気のように扱うべき存在としてではなく、フォローが必要な存在としての認識だ。他に助けられた時、必然私は彼らに感謝の言葉を伝える必要があったし、クラスメイトは互いに声援を送りあう必要があったし、誰かが今まで出来なかったことを達成した時には素直に賞賛し合った。それだけペナルティから遠ざかったのだから当然だ。
そうして四月を終える頃に出来上がっていたその空気というのは一年継続することとなり、私は小学生の頃に比べて運動に携わる学校の時間を格段に過ごしやすくなった。
もちろん他クラスからの嘲笑を浴びて嫌な思いをすることもままあったが、中学に入る以前はそもそも団体球技をしている時に同じクラスメイトの運動ができる存在に話しかけることなど出来もしなかったのだ。それに比べれば、できないなりにチームに参加し励まし合うという体験ができたのはこのうえなくありがたいことだったのだ。
私がそのようにクラスに受け入れられ、自身も前向きに取り組むことができたのは、あの四月の連帯責任ルールのお陰であったことを私は今でも疑わない。
コミケでは、初登場依頼参加サークル数が1200→2300→2500と爆発的な成長を遂げており、去年の夏にはついに東方のサークル数を越えてしまった。
っかしーな、手元の資料だと、C87時点でジャンルコード301は1840サークルなんだが。
そも、1200と言う数値の出所もわからん。コード301はC86新設で、3回分も存在しない(201502、C87終了時点)。
創作男性向けの内からピックアップ、としたら、東方についてもそれを含めてしかるべきだが、東方の方はジャンルコードだけの集計っぽい。
まあこの時点で中身のアレコレは既にアレなのだが、数値で見れる部分についてだけちと見てみる。
まず東方の状況。手持ちのデータが直近6回だけになるので不完全だが、
会期 | サークル数 | 差分 | |
---|---|---|---|
C82 | 2694 | ---- | |
C83 | 2492 | -202 | |
C84 | 2526 | +36 | ★艦これ発表直後 |
C85 | 2246 | -280 | |
C86 | 1910 | -336 | |
C87 | 1744 | -166 |
で、確かにこの3年ほどは低下傾向にあると言える。
じゃあ艦これは?というと、
会期 | サークル数 | 差分 |
---|---|---|
C86 | 1498 | ---- |
C87 | 1840 | +422 |
である。艦これ発表後から減ったスペース数を全部足しても、艦これのスペース数に満たない。
移動したサークルもあるだろうが、艦これサークルの大半は、東方外からの流入である、と言える。
この時点で、東方の衰退と艦これの興隆を関連づけることがあんまり意味が無い事が分かる。
というか、申し込み割合数に応じて(ある程度)比例的にサークルスペースを割り当てるコミケのサークル数を存亡指標にするのはかなり問題がある。
申し込み実数が変わらなくても、割合が減れば割り当ては減る。そのとき、ジャンルは衰退したというのか??
ちなみに艦これ後に一番増えてるジャンルは[FC(ジャンプ球技)]。ジャンプその他の減分+テニヌを含んだとしても400増してる。
……あ、自分としては、「東方が(ジャンルとして)縮小していっている」事自体は否定しないよ?
数値の根拠が間違った状態で語ろうとすると、艦これ憲兵とか東方警察とか出てきて大変なことになるから、そこはちゃんとした方が良いと言うこと。
おれも運動神経はひどいほうだった。水泳だって、小5のとき、幼稚園児に混じって1年間スイミングスクール通いしてなんとか息継ぎできるようになったし(この屈辱感ったらないよ。増田みたいに息継ぎできないままのほうがずっとマシとすら思う)。自転車は死ぬほど練習したからなんとか乗れるようにはなったけど、逆上がりは当然できないし(あんなんできる方がおかしい)、球技とかもはや意味不明。
それでも中学でバスケ部に入ってからは、運動神経は人よりだいぶ下手ぐらいにはなった。
文を読む限りだと、そもそも身体を動かすための基礎的な筋肉が不足している感じがする。
で、一般人は普通の生活するだけでその種の筋肉がつくらしいんだけど、俺らみたいにつかない人もやっぱり居るんだよ。
そういう人は他のことで補うしかないと思う。散歩とかどうだろう。一眼レフでも買ってさ。一眼レフ重いし、腕力もつくんじゃないかな。
平昌五輪のそり競技を長野のスパイラルで実施と言った話が出てきましたな。
まぁ、候補地は他にもあるでしょうし、そもそも国外でやるという話もまだ話レベルだとは思いますが。。。
正直韓国絡みの話なので今の日本、特にネット上だとちょっと冷静に話が出来ない雰囲気ですよねw
負担やら何やらでオリンピックを開催したがる都市が減ってきたり途中で断念されたりと色々あって
負担軽減策やら色々打ち出されてきましたね。
分割と一口に行っても
・複数の都市(国)で開催。冬ならスキー系とスケート系みたいなガッツリした分割もありなのかな?
・一部競技だけ別の都市(国)で開催。不人気系が回されるんだろうか。。。
・予選のみ複数の都市(国)で開催。特に球技は試合数多いので現状でも開会式前に予選やったりしてますよねー
と色々考えられますが、
今回出てきたのは真ん中の話ですな。
ぶっちゃけ施設もバカ高くてしかも使いまわし効かない競技の施設を作るのはちょっとって感じですね。
今回のそりを日本でって言われても、スキーとかスケートとかなら大歓迎だけど、よりにもよってそりかよって感じが。。。
まぁ長野のスパイラルの稼働率もあまり考えたくない状態なので藁をもすがる的にはアリかもですが。。。
日本でも人気があるとは言いがたいのであまりいいとは思えないですね。
そもそもこの状況になった場合の日本の選手の扱いはどうなるのか不明ですし、
逆に韓国側の選手はどうなるんだろう。確かソチで各種目出場してたような。。。
開催地関係なく出るぐらいの力はあるのかな。だったらまぁこの件は杞憂だけど。。。
とは言えコレを機に競技場作って盛り上がるってほどの雰囲気じゃ無いだろうなきっと。
日本も正直ねぇ。。。
と言うか、そもそもこんな話になる競技なのであればオリンピックの種目から外すべきなのでは無いかと。。。
開催地枠でいくつか選べるようになるのであれば、その中の候補には入れるとしても、必ずやる競技にする必要無いのでは?
開催地でやれない=普及の目が無いなので。。。
(こんな辛口言うと野球が。。。まぁ野球は正直アジア周辺とアメリカ周辺の場合のみやるでいい気がします。選べる候補ぐらいで)
札幌の時もそり競技が存続してるのであればスパイラル使うのもいいかもですねー。
小学生の頃に球技をするとき、太陽を向く側のコートになると眩しくて目を開けていられなかった。
幼稚園の頃から他の子に遊びに混ぜてって言ったり、他の子から何かを借りるのにすごい抵抗があった。
始業式はいきなり体育館にぶちこまれて混乱して泣いたし、運動会は仕組みの意味がよく分からなかった。
もっと遡れば赤ちゃんの頃、目線を合わせようとするとそらす子だったらしい。
広汎性発達障害か何か?でも、もっと学校で問題を起こす弟の方で「グレーゾーンです」と言われたものだったしな。
いまだに締切ぎりぎりにならないと動けないし、
友達同士の、あの挨拶みたいなやつのラインが分からない。(どのレベルから親しくしたらいいのか、あいさつしたらいいのか分からない)
目線を向けられても、それが自分にぶちあたっているのか、前の席か後ろの席か、本気で分からない。
その結果失礼なことをすることがある。自分でも意味が分からない行動をとってしまい恥ずかしく思ったりする。
自分が甘えているだけか?
それとも他のみんなは分かってるものなの?
「太陽がまぶしくて目があけていられない時ってあるよね」って言ったら、小学生の頃聞いた友達からは同意が得られなかった。
家事面なら、洗い物なら洗い残しがあってとても凹むし(兄は水を出しっぱなしにするものの、上手だった)、掃除はそもそもできない。
洗濯物を干していても畳んでしまうまでの時間の感覚が異常に長い。料理の材料は腐らせてしまう……。
勉強面では予習ができない。ギリギリにならないとやる気が出ない。仕方ないので、家じゃなくて別の所で課題しなきゃな…。
次の日の準備が小学生の頃からできない。プリント整理もできない。なんかイライラしてくる。無駄になることが怖い。そして出てこないプリント。
それと、モノを持って移動して、次の事をしているときにはもうそのモノが無い。昼寝のたびにメガネを置いては見つからなくなり、予備メガネかけて探してる。
ADHD?アスペ?発達障害?病院とかカウンセラーに相談したらいいの?
言い訳がてらADHDのページを見てたら、わりとアスペかADHDであるような気もしてきた。
まぁでも、言い訳が欲しいだけって言われたらどうしようかなって怯えてる!
「みんなそんなもんだよ」
って言われたらどうしようかな!
学校のテストには相性がよかったみたいでなんだかまだ労働してなくて進学してるけど、そんなに頭が良い方でもないし、すぐに混乱するんだ。
シビュラシステムが欲しいくらい使いにくい人間だなぁと我ながら思ってる。
あと、大学向いてなくってワロタ。そんなに向いてる人間なんて珍しいか。
人生で一番楽しい時期だよって両親には言われたけど、高校生の方が楽しかったなぁ。
いくらでもひとりでいれる環境だから、ひとりで居て生活ボロボロになって、混乱して辞めちゃう子も多いんだろうなぁって思う。ちょっと辞めたい。
大学の先生は高校の先生みたいにこどもを好きでいる(ようにする)前提なんて無いだろうなって思うわけだし。
話が脱線した。
http://ritaros.hateblo.jp/entry/2014/09/05/120900
そもそも、子供の頃遊んでた公園の前を今通っても誰もいない、と言うことの方が多い。
遊具も錆びて雑草伸びてまるで廃墟という、都市部だとそういう公園が多くね?
大規模公園ならもうちょい管理されてるしそこそこ人いるけど、そういう所なら球技出来るスペースと幼児が遊べる安全な遊具スペースどちらも確保出来るしね。
何故か老人ヘイトの標的にされてるけど、老人が夏暑いし冬寒いし風は吹くし雨は降って来るしベンチはあるかないかくらいの所にわざわざ行く訳ない、
老人が集まるのは屋根あって空調整っていて椅子が確保されてる所だし
未就園児は子育て支援センター、園児は園、小学生は児童館や学童や習い事・塾、ってな所だと思われる。
「公園デビュー」も死語になったよね。あれは「毎日決まった時刻に公園に幼児連れで行く母親が居て縄張りが出来ている」と言うのが前提の話だけど
もう一度読み返してみろ。
元々は球技が苦手だけど柔道ならお前らなんてぼっこぼこにしてやんよ、とか言ってるバカが居たから
それに対する話なんだが。
そもそも、柔道でそこまで強いならそれで自信持ってるはずだし、
ぼっこぼこにしてやんよ、とか言ってるやつが球技上手いやつにお前らなんかぼっこぼっこだ、みたいな
アホみたいなコンプレックス持ってないわ。
お前も同じ様にコンプレックスの塊なんだということはよくわかったけどさ、体育2さん。
だからですね。外的な評価として絶対的に得意であるということと、内的な比較において相対的に得意であるということをごっちゃにされてませんかね。
例えば日本代表の常連の遠藤保仁はパスを出すのが得意な選手だが、それがイタリア代表のアンドレア・ピルロぐらいに上手いかと言うと、おそらくそうではない。ただ、例えば彼はマンマークや対人守備はJリーグでも怪しいぐらいに苦手だったり、ドリブルで持ち上がるというプレイはあまりしない中で、彼の中ではパスは得意なプレーなんだ。
レベルを変えて、高校サッカーで一昨年から俺が注目してる京都橘の中野克哉という選手がいて、彼はドリブルが非常に得意なんだけど、それが例えば日本代表に選ばれた斉藤学や世界的に有名なドリブラーのリオネル・メッシほど上手いかと言われると、決してそうではない。でも、中野くん個人で見た場合、彼はドリブルは得意なプレーなんだ。
もっと分かり易く、お前が大好きな俺の体育の成績が2だとか4だとか。体育の成績が平常3の人間でも、手を使う球技は苦手で、道具を使う球技はそれに比べればやりやすく感じ、それによって成績が上下する。それを指して、個人の中での比較の問題として、得意不得意があると言っている。
それが、平常5を取るような奴でも、競技に関して何となく「野球は得意だがサッカーは苦手だ」とか「剣道は得意だがテニスは苦手だ」とか、個人の内的な比較として、個々人のレベルに関わらず得手不得手は存在しているんだ、と言っている。
お前は常に絶対的な尺度で測って、何か一つの競技に長けた人間は万能にある程度何でもこなせる、と言っている。それは、一定のレベルではそうだろう。確かに日本代表に選ばれるようなサッカー選手で、100mに20秒もかかるような奴がいるとは思わない。
ただ、俺はある程度の運動神経があって仮に万能に何でもこなせたとしても、個人の中には比較の問題として得手不得手が存在する、と言っている。
遠藤保仁はパス出しが非常に上手い選手で、戦術(誤字のため訂正)先述の通りパスは非常に得意な選手だが、マンマークは非常に苦手としていて、ギリシャ戦でも後半たしか5回あったコーナーキックで3回は選手のマークを遂行できていなかった。遠藤は日本でも一流の選手だが、個人の内的な比較として、パス出しは得意でマークは苦手である、と言える。そのマークが苦手な遠藤でも、高校選手権に一人放り込んだらコーナーキックのマークはちゃんとやってのけるだろう。だが、遠藤個人の中で見た場合、やはりマークは苦手だと言わざるを得ない。
中野克也は高校レベルではかなり有力なドリブラーだし、彼のプレーの中ではドリブルが一番得意だということが出来る。しかし、これをいきなりドイツやスペインの1部リーグに放り込んで通用するほど得意と言えるとは考えていない。
他人の技術との比較や成績や世間の評価のような外的な基準ではなく、個人の行為の中における内的な基準として、得意不得意は常に存在し、そこには球を使うか使わないかや球の使い方のような要因が想定されても良いだろう、と言っている。
水泳に関しては多少の訓練の問題があるから速い遅いはあるにしろ、
球技得意なやつでまともに泳げないやつなんて珍しい。
陸上競技なんて言えば、野球部の連中がその道専門の陸上部のやつより足速い、なんて事もいくらでもある。
そこまでいかなくても苦手なんて奴は居ない。
足遅い、とか言ってるやつでも平均よりは上に行くのが普通。
お前は一体どういうレベルの話をしてるんだ?
もう一方で言ってるような、体育で4を取った、ってレベルを「得意」って言ってるのか?
今、絶対的な話はしてないよね。文脈読めてる?
ここでの主題は、個人の中でスポーツの得手不得手が存在するかどうか。その得手不得手が「存在し得ない」と仰ったので、球技を例に挙げて、手で直接球を使うかどうかで個人の中に得手不得手が存在する具体例を示した。
今、世間的に得意と言えるか不得意と言えるかは議論してない。あくまで個人の中で得意不得意、得手不得手が存在する、という話をしている。
こんな文脈も理解できないなんて人としての価値を疑うけど、そもそもこの文章も理解できないから話をそらすな、などと喚き散らされるのでしょうね。本当に人としての価値を疑ってしまいます。
見よう見まねが全く出来ない人間にとって、この世は非常に生きにくい。
と、のっけから主語が大きい増田だが、自分の観測範囲でこのハンデを抱えていて幸せという人には会ったことがないので仕方ない。
見よう見まねが出来ない人間は、あらゆる物事の習得に、普通の人の数倍時間がかかるので、大抵習得出来ないまま終わる。
というのも、人間の諸活動で言語化できる範囲などたかが知れていて、大抵の物事はいちいち言語化されたノウハウやハウツーなど使わずに会得するものだからだ。
そして、そういう「非言語的アプローチ」の核になる知的要素が、見よう見まねと。
最近、暗黙知を形式知にすることの必要性が喧伝されているが、早晩限界に突き当たると自分が考えている理由でもある。
これだけだと何がどうハンデなのかピンと来ない人がいると思うのでもう少し説明すると、見よう見まねで覚える最たる物がスポーツとコミュニケーションだったりする。
こう書くと、見よう見まねが出来ないで大人になることのヤバさが多少は理解できるだろうか。
例えば球技の場合、キャッチボールから始まってバレーのサーブやテニスラケットのスイングまで、最低でも肩・肘・腰・脚の連動が必須で、これらがきちんと噛み合わない限り、絶対に上手くいかない。
しかし普通の人は、自分から言わせればそういう恐ろしく難しい動作を、ほぼ見よう見まねだけで習得してしまうのだから信じられない。
もしこれを自分が習得しようと思ったら指導者がいるのは前提で、更に「今手本を見せるからな、肘見てろよ、絶対だぞ!」とか細かく注意喚起してもらいながらやれば、そのうち出来るようになるかも?という体たらくだ。
というわけで、絶対こんなのより微積の問題とかのほうがまだ簡単じゃんと思ったり。
それでもスポーツは、コミュニケーションに比べれば、コーチングとかが確立している分、まだマシかも知れない。
何しろ、今のところコミュ力アップの方法は、心の広いリア充に色々連れ出してもらったり、或いはヤリチンヤリマンのおこぼれにあずかるのが最も効率良いというか、それくらいしか方法がない。
そうやって洗練された(?)コミュニケーションの渦中に放り込まれて、見よう見まねで悪戦苦闘しかないということだが、自分が最も苦手な方法が最も効率良いとか、全く最悪の状況だ。
やる前から壮絶にコストがかかると容易に予想できるものを、進んでやりたくなるわけがない。
とにかく、そんなわけで人間が生きる上で最も必要な知的能力が欠落したまま育つ結果、出来ることしかやらなかったり、努力というものに強いアレルギーを抱いた挙げ句、色々足りていない大人になると。
かくいう自分は勉強だけは出来たが、それも高校止まりで、気がつけば「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの変人」という流れだった。
かといって、当時もっと勉強を頑張って、後年「俺が高学歴なのは努力の結果だ、今まで遊んできた奴には(ry」などと言い放つのが幸せな人生だったかも大いに疑問。
4年に1度のバカ騒ぎが今年もやって来た。まるでサッカーを見ない奴は非国民と言わんばかりの世間の雰囲気につくづく嫌になってくる。大体、ただボールを蹴ったりわざとこけて痛がるフリをするだけの欠陥球技に何を熱狂する必要があるのか。だったら、わざわざスタジアムを建設するよりもアマゾンの河原で試合をすれば十分じゃないのか。
一説によると、明治時代以降の日本人は年々白痴化が進んでいるというから、サッカーが流行るのも仕方がないのかもしれない。とはいえ、渋谷の交差点で「ニッポン! ニッポン!」と叫ぶ若造どもを見ていると、本当に日本は右傾化してしまったんだなと痛感する。つまり、サッカーに熱狂するネトウヨは単細胞バカということになる。
その点、野球は優秀だ。なにせ、脳トレになる。ピッチャーは「どういう投球にするか」「球数は」「スクイズを決められたら」、バッターは「次の球は見逃すか、打ちに行くか」、監督やコーチ陣はピッチャーのローテーションやスタメン起用、代打の必要性など、様々な戦術を考えながら皆で勝利を目指すうちに脳が鍛えられていく。これほど優秀なスポーツは他にない。
FIFAによって世界中の人類がサッカーによって単細胞バカになっていくのを横目に見ながら、日本だけは野球文化を守り抜いてほしいと切に願っている。