はてなキーワード: 民意とは
失敗する理由を上げていく。
①目標値が設定されていない。「8割減を2週間続けていけば減少に転じる」という目標値が存在しない。漠然とした感染現象という目的があるだけで、皆の行動が5月の緊急事態宣言と比べて、全く統率が取れていない。
②状況は5月よりも悪化している。5月よりも悪条件で感染現象をせねばならない。状況はさらに悪化している。
③大量の手厚い補償と経済支援が伴っていない。これではどうにもならない。
④民意がやる気がない。GOTOではなく、実際には飲み会や宴会、三密を無視した気の緩みが全く改まっていない。
外れてほしいが、これらが恐らく改善されない限り失敗するだろう。
現行の同性制度でも選択的夫婦別姓制度でもどちらにもメリット・デメリットあるし、世の中の多くの人が望む方に合わせればそれで良くない?
法制度やコストの面で現実的ではないけど、分かりやすく国民投票で決められたらそれが一番理想的だわ。
なんていうか夫婦別姓賛成派の意見も反対派の意見も、単純な数で見た民意を覆して”必ずしもそうでなくてはならない”って言えるほどの『正しさ』に依拠する意見には感じないんだよなー。
反対派の言う家制度だとか分かりやすさだとかアイデンティティだとかも、仮に賛成派が多い世の中だったらその多くの人の意見を押さえつけてまで守らなきゃいけないモノだとは思わない。
逆に、賛成派の言う、苗字変更の手間だとか圧倒的な女性の変更率の高さだとかも、究極的には夫婦で話し合って、変えるのが嫌なら自分の苗字を守り抜けば良いんだから、仮に反対派が多い世の中だったら自分の我儘に社会をつき合わせるなよとしか感じない。
どっちが便利で気持ちが良いかなー? くらいの話題に対して、さもどちらかの意見だけが絶対的に正しくてそれに反する考えは『悪』とでも言うようなテンションで議論(笑)とかしてる人たち見るとアホくせーって思っちゃうんだよね。
自分の考える理想的な制度の良さを説いて、自陣の意見への賛同者を増やそうとするくらいのノリなら良いと思うけど。
ただ、俺のうろ覚えの記憶だと、条件付き賛成みたい意見も多かった覚えがあるし、細かいルール次第では賛否の傾きも変わりそうだけど。
ただその理由も、俺は漫画も小説もアニメも映画も好きで、そういうフィクションにおいて苗字って言うのはけっこう重要なファクターになることが多いから家族での苗字統一制度はなくならないでほしいなーって思うからってだけだ。
「違う苗字のキャラが実は両親の離婚で苗字が変わっていただけで本当は兄弟だったんだ!」なんて展開や、「奴らは○○の一族……」みたいな設定も、家族の別姓がまかり通ったら弱くなっちゃうじゃない?
こんな完全に好みのレベルの意見に論理に基づく正しさがないのは明らかだ。
でも所詮、夫婦別姓問題自体が好みの問題だと思っているから、俺は世論調査で聞かれたら躊躇いなく反対と答えるし、もしも投票で制度を決められるなら堂々と反対票を投じる。
一方で、世の中の多数が夫婦別姓を望むのなら、往生際悪く自分の我儘でしかない反対意見を通そうなんて風には考えない。
この程度の問題、今を生きる人々の好みで決めちゃって良いと思うんだけどなー。
市場価値とかそういうこととか もう経済関係のことまるごと別にしていいよ
商売でいいとか悪いとか 実際別のなにがあるとか言っても意味ない
結果からいうと転売は別にいいよ そういうもんだから そこで思考停止してもどんだけ語ってもおんなじ話
それでPS5の話がやーのやーのいわれてるのは みんなが気に入らないから
みんなが気に入ってないから市場からバイヤーがあらぬうわさで害をこうむっても商売として自然なので問題ないよね
ただ商売とか商法とかいうのだったら PS5とかほかの新発売が転売ヤーに買い占められて値段あげられておかしいっていわれるのも
商社の運営方針が悪いから文句いわれるだけで民意で淘汰されても市場原理からして自然なのでどうでもいいでしょ
それをいったところでわだかまりがのこるのは 他とどういう差で消費者に触れてるかよく考えてないからじゃないの?
新製品を発売してすぐ買い占めて 高値でうるのはおかしくないし問題ないしそれは商売のかたちとしては自然だよ
定価で仕入れるって無茶をして商売をしてるのは かなりへりくだって商売してるなとは思う 転売ヤーなら店舗もって仕入れ業者として定価以下で買うべきでしょ
競争力を市場から商品をさらって機会価値を高めてうることでそれをカバーしてるけど実質量がへればそれもうまくいかない
そういう動作的なことはどうでもいい
買い占めて高値でうるってことを商売っていう言葉以外にするなら「この商品の価値は○○円であるべきだ。そういう価値を俺はこの市場で感じる」ということじゃん
遠い外国のお茶とか絨毯がそうだとおもって 現金で買い占めてもってきて 手数料ふくめまた買いに行ける利益を乗せてうる そういうもんでしょ
PS5でそれしてなにがわるい ってそれ原産国で現地のひとは通常定価でかえる(この価値は○○円ですと出てる)ものを 「これはもっと高い価値がこの市場においてはある」って言いだす人がいるだけ
悪くはない ただ感じ悪いでしょ
隣の人が100円で飲んでるコーヒーを「あなたには300円の価値がある」って別の会計されるの ただ感じ悪い それイメージよくするのは商売人がその価値を高めた理由なりをなにか買う理由にすべきじゃん
みんながやってて悪い事じゃないから 問題がない 以外の理由で転売のミリョクとか語るならまあ納得されたりするんじゃない?
自分たちが買い占めてお金もらえたら商品わたすよってのは問題ないし お金で序列化するのは差別なくていいとおもうよ
今買える商品について 代理店なり中間業者なり卸なりが小売りになる(顧客に販売)時点で一人一個とか限定で手に入らないとかになってないのに
「手に入りにくいため市場の価値はこれくらいだ」って言えるほどに必要ない分買い占めるのは 単的に嫌がらせな感じがするので感じがわるいよね
もしイメージをよくしたいとかおもっているなら落としどころはここなんじゃない?
「朝早く並んで買ってくるのもただじゃない」
できればみんなはそれを自分も同じコストで同じ支払い方法で買いたいのはわかってあげて 朝早く起きて3時間ならぶのとか 自分ならできる って人とも競合してる
競合してる人と物理的にもみ合って買ってきて その高級な商品をお金で解決してくれるならしょうがない
競りで一億円になった鮪を食べるのには みあった価格をつけるか「その価値でもって別の消費をうながす」とかに使うことで 一般の人も手に入れるかどうかの選択肢に不満はなくなるよね
PS5買うためにどれだけ努力したか動画でもアップすればいいんじゃないかな
アピールの仕方には注意しないとすぐ炎上すると思うけどね 高級店を救ってほしいってクラファンしたとしたら お金がないからつらいのでってアピールしても炎上しかしない気がするよね
たしかに魅力がある商品だから とおせんぼされて通行料はらえって意味わからないお金をカツアゲされても それが手に入るならっての いい商売だとおもうよ
企業はそれを適正価格とか社会貢献とかで持続的に商売ができるように 適正だとか納税だとかしてるだけ 継続性のない単発的な商売ならなんでもできるよ
「僕らが君たちより先に買って 君たちより先にならんで だれに譲るかはお金できめるから」って人が「もうけたお金は次まただれかの順番とりに使うから」って言われて応援する気は起きにくいんじゃないかな
儲けてる人もいるよね ほかの人のいらいらをすこしでも「お金で解決してあげよう」って人 だれかれなしにイライラさせて お金でそれを譲ってあげる自分は買わないけど順番に並んでみたってコストを払う人
憎まれ商売やってるのだから その機会をお金で買う人が「お金で解決しやがって」って言われるだけの憎まれを肩代わりしてあげてるんだからむしろいい事かと思うよ
あと店舗在庫をなくすまでに(実際の使用率は別として)消費者階層に商品を持ってくるのも経済的にはいいと思うよ
やってることは お金持ちのパパがお金持ち息子に「ゲームやりたいよー」ってのを「よしパパがお金でかってやるぞ」の構造を作ってあげる匿名のコンシェルジュをやってるのは 一般にうけがよくないだけだとおもうよ
そのお金で抽選の運とかそういうのを解決したい人が「それいくらで譲ってくれる?」っていう お金持ちが通り過ぎていくときに金で解決するものがもとより商売とか善悪とか関係なく うざいって思うだけなんだよ
なんかね 貧乏だから商品をかう労働力を使って 自分ちでたのしまずにお金持ちが貢物を買ってくれるのをささげて待ってる姿が 娘を売りに出す農民の時代みたいだなあと感じたりするわけだよ
買い占めた人が実際のプレイ動画で販促したりしたら人気でもでるんじゃない? 平等に評価がでるのは価格なわけだし
別にいくらで買おうが商品の価値がかわるわけでも なにがどうなるわけでもないんだわ 次もそれで買おうって思うならね
おそらく本物のお金持ちは手数料や会費とかバカ高いサービスで「それ一つかっといて」とかで手に入るはずだしそれはそれでいいよね
でも毎回激安スーパーでお客様の皆様へって言ってるサービス品を「俺の賽銭箱にいれないと買わせないレジ的な意味ではなく暴力的な意味で」ってやってるのが迷惑に感じるだけ
ユニクロに殺到して破壊したり家電量販店でレジで何時間も口論になったりとかしなければ転売商品しいれていいよ 高値でかう情弱貧乏も買ってもいいし
ほんとに問題視してる人は買わないし 買わないだけで充分意味がある 文句をいまいう必要はとくにない
今できなくても死なないし 我慢できないなら我慢しているその欲望を吐き出すための社会の受け皿を用意する「お金」をよりたくさん稼げばいいだけだから
実際転売ヤーの「一般消費者への妨害行為」が問題になるとしたら 問題にしないように「一般消費者ががんばって転売ヤーの吐く毒に耐える」ことでも転売ヤー自体をたたくことでもない
「消費者が継続して購入する契機を逃している」それは「プレイしない人活用しない人が在庫として流通させていないからだ」とメーカーがみて対策をするときに 問題がでてくる
転売ヤーのつけてる値段の上限がおそらく「今の市場における価値上限」だと思うよ
実際それくらいの高級品ではある PS5は 転売ヤーもいい仕事してるね
それが一番やすく手に入る方法は暴力 強奪だね それの一歩手前をしてるから転売ヤーは嫌われてる
そこで10万円もだしてPS5がしたいってひとは出せばいいだけ 出せない人は買わなければいいだけ
メーカーもこれから続けて会費だのアクセサリだのソフトだのサービスだのと せっかくつくったプラットフォームから直接お客様のお財布にリーチするチャンネルを作るチャンスに
結局支払いのない無料ユーザーをPS5の安価配布でつくったところでうれしくない
ところがもし PS5のメーカーが 5万円ならゲーム機が買える顧客にも年中たのしめて次のプラットフォーム構築までのあいだ消費をつづけられるように設計していたなら
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ファーストロットの売り上げから予算も大きくなるから供給計画を数期にわけて公表しておくとかもありかも 最初にソフトを出さないとかみたいな手もあるかもしれないけどね
そうなるまでは「その値段では買えない買わない層」は不満はいだきつつ静観しておけば 市場は自然に動くでしょう
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いまはまだ販売してないっておもえば 買わなくても苦でなくなるのでは そういう事じゃないっていうならそれはもう一般人どおしが話をしても解決するわけじゃないので病院でなにかを処方してもらわないとしょうがないよね
ほんと感じのわるい商売で感じのわるい層を擁護してるのが目に見えると不快なだけなんだよね
転売は「フリーのプレミアムアウトレット闇市」とか名乗って潜んで商売してくれたらいいのに 日の明るいところで子供もみえる範囲で裏稼業やってるのが その稼業の価値をしる人がみてやだなあって思うわけ
別にイメージで商売してるわけでも 金以外に求めてるものはなにもないとおもうから 金で解決するやつらの憎まれを買ってあげてるその価値が転売価格だってわかれば
なんだか貧乏人同士とかんがえると 貧乏人からみて裏切り者って感じをうけちゃうかもしれないけど そういうもんだしいいのでは
むしろ憎まれる度合いが大きいほど おおきな商売なんでしょうきっと
イメージよく憎まれずにできる商売でもないし 憎まれたほうがいい憎まれ商売なんだから いっぱい文句いってもらえたほうが 一般庶民の罵声を浴びれた数だけ意味のある商売だと思うよ
褒められたい仕事をするなら 継続的で安心して顧客に直接つながる商売をしたり そういう仕事をするべきだしそんな選択肢もあるんだから その商売のイメージをいま綺麗にする必要もないよね
愛知県の知事をリコールするための署名運動が、86万筆を必要としたものの43万までしか集まらず、思いっきり失敗して頓挫した。
43万というのはなかなか不思議な数字で、運動の音頭を取っていた高須院長の以前からの言動と比較すると、「全然足りてねえじゃねえか」という気もするし、純粋に数だけみれば、かなり集まったな、という気もする。
俺は高須院長とその界隈がハラワタの底から嫌いなので、高須氏本人とサポーターであるジャーナリストの門田氏のtwitterに、次のようなリプライを送った。
・必要な数には届かなかったが、43万というのは本当に立派な数。正式な手続とはならない以上、本来は不要な検証ではあるが、ぜひ中身を精査し、43万人分の民意が実在することを堂々と知らしめて欲しい
・ところで、今回の運動のさ中、事務所に盗聴器が設置されたり、乗用車に工作の形跡が確認され被害届が出された経緯があったと思う。これは、命を脅かす危険さえはらんだ卑劣な行為。ぜひ調査の進捗を教えてほしい。ジャーナリストたる門田氏にも真相を究明して欲しい
…
この文言は、当然というべきか俺のねじ曲がった性格から生まれている。
今回の署名の中に出どころの怪しいものが紛れ込んでいるという情報が散見されることをふまえ、「43万筆集まったけど、検証した結果、一部は捏造して膨らませたものでした、なんて格好のつかないこと、後から言ったりできねえよな?」ということ。
また、「事務所や車への工作活動も、狂言とは言わないけど、勢いで届け出提出したやつを、世間が忘れかけてるからこれ幸いにうやむやにしようって肚だよな?」ということ。
俺はそう思っていながら、これをいかにも高須院長のサポーターです、という体裁で送ったのだった(ところで、悪意で行ったアクションを後から言葉にすると、こんなにうすら寒い気持ちになるんですね)。
このリプライはその後ぽつぽつRTされて、何十件かいいねを集めた。
反応した人たちは高須先生のサポーターと思しき憂国烈士の方々で、俺がいかにも先生を支援しその体を案じているという風に繕ったので当たり前ではあるのだが、味方によってこうやって退路をふさがれる(ってほど大げさでもないけど)ことがあるのかもなあ、と少し怖い気もした。
…
俺はふと思ったのだが、俺のツイートに反応した人々は、果たして本当に高須院長の心からのシンパなんだろうか?
以前から俺は不思議だったのだが、あんなどう考えても常軌を明後日の方向に逸して与太を飛ばし続ける人物を、マジメに支援できるものだろうか?
世間では、いわゆるパパ活という遊びの変種として、若い女性に金品を与え続けて当人の自尊心を変性させ、その後の人生を狂わせていくのを観察するところからが本番という、色んな意味で俺にはマネできない趣味があるという。
あいつらはもしかして、SNSを媒介に高須院長相手にそれをやって噴き上がらせて、面白がってるのだろうか。観察の対象が若い女じゃなく古希を過ぎたジイサンというだけで、これは一種のパパ活なのか?
この想像は、そう考えた方が俺にとってしっくり来るからだが、逆のパターンもあり得る。高須院長の方がパンピーをからかってるパターンだ。院長は表面上に反し、リコールに真剣でもなんでもなく、美容手術で切り取ったポコチンの皮を片手で優雅にもてあそびながら、大勢のアホを動員して楽しんでいる…これも理解できる。院長とシンパの年齢を考えれば、むしろこっちの方が本来のパパ活に近いともいえる。
こうして考えると、愛知県知事リコールは三つの可能性に整理できる。
2. 院長はマジだが取り巻きは半笑い、という70過ぎのジイサンを見世物にした構図
…
あれ、もう一つあるんじゃねえか?
そう思った人は鋭い。
そうだ、 4. 院長も取り巻きも半笑いでやっている、というパターンである。
院長は多忙だ。そのサポーターだって多忙だろう。したがって、外野から見れば口角泡を飛ばして熱心にやっているようで、実際は片手間にツイートし、片手間にRTし、Twitterの画面上の数字だけを膨らませているに過ぎない。これもあり得る。
その場合、院長とサポーターは誰をおちょくっているんだろうか。
あえて言うなら、「俺」しかいないだろう。俺は、遠目から彼らの界隈を冷笑しているつもりでいて、実はこの状況にもっとも青筋を立てていたのは俺自身であることを暴かれたのかもしれない。俺はここでやや背筋が冷えた。
この話にオチらしいオチはないけども、俺は4番目のパターンが一番怖いわけだが、一番望ましいな、とも思っている。2, 3も怖いが、それでもいい。理解が及ぶからだ。やっぱり俺は、1番目の可能性がもっとも醜怪で、不快で、意味不明だと思うなあ。
都構想が否決された、ある意味ではたしかに良かったかもしれないが、僕は非常に悲しくて、苦しくて、そして失望しかなくて、仕方がない。
最初の都構想の住民投票は2015年に行われた。この頃僕は、年齢的な理由でまだ選挙権がなく、ある意味部外者的立場からこの住民投票を見ていた。梅田に行った時に投票場前には人々が投票を呼びかけていた。僕はどこか投票できないことが悔しいと思っていたし、投票できる人を羨ましく思っていた。
僕は正直に行って最初の都構想のときは反対派であったし、結果的に都構想は住民の意思によって否決されたので良かったと思っていた。(ただ、当時市長が責任を取って辞めると発言したときは悲しかったが)
その頃から、僕は誰に呼ばれるでもなく、自分の意思で東京に向かうことが増えた。最初に東京に触れて驚いたのは、何から何までの規模の違いである。東京には人々の活気があった。テレビでしか見たことのない光景がそこにはあった。そして段々と東京に生まれ育った人たちを羨ましく思うようになった。一時は東京に移り住もうかとも思った。が、現実問題として、その頃僕は大阪の大学に通っていたので、とりあえずは大阪で頑張ろうと思った。
しかし、東京に触れる機会が増えるにつれ、大阪と東京の差に苦しくなることもあった。とりわけそれを感じたのは人々の熱量の違いでる。例えば、大阪と東京とで同じようなイベントが開催されたとき、同じ内容にも関わらず、参加人数が全く違うという事実に驚いた。東京だとすぐに満席になるようなイベントが、大阪では全然埋まらない。
東京や関西ではない人々からすると、「関西人は常にうるさいし、テレビにも関西出身の芸能人が多く出演してるんだし、活気あるじゃん」と思われるかもしれない。まあ確かにそういう意味では活気はあるのかもしれないが、やはり根本として大阪で頑張りたいと思っている人が増えないという問題があるのだ。
大阪市で生まれ育った人ですら、出世などを考えるならば、大阪に留まるんじゃなくて東京に出ていく、関西芸人が東京に進出するなんてまさにその現象だ。
また、関西周辺の地方出身者ですら、おそらく就職や長い人生を考えるならば、距離的に近い大阪よりも東京で頑張ろうと思う人が大多数だろう。
これは僕が思うに、無駄を楽しめる環境があるかどうかが関係していると思う。
東京は確かに物価が高いかもしれない、大阪や地方と比べると生活するには大変かもしれない。ただ、それだけ価値のある無駄がたくさん存在しているのだ。ライブやイベントは常にどこかで開催されてるしニッチな専門店もたくさんある。無駄がたくさんあるからその無駄を求める人々が多く集まる。
それに対し、大阪は価値のない無駄しかない。価値のない無駄しかないから人々はそれを消費しないし、たまに現れる価値のある無駄に人が集まらないという負のサイクルに入っていると思う。
今の大阪は無駄を楽しめない、楽しむ余裕もないという状況なのだ。
話を戻すが、都構想否決後の5年の間、大阪維新の会の人々が大阪をより良くしようと頑張っていることは凄く伝わった。それが現れてるのが、大阪メトロのトイレ大改修と中之島公園や大阪城公園、天王寺公園といった公園の再開発だ。
なんだ、たかがトイレかよ、と思われるかもしれない。しかし、大阪市営地下鉄を利用していた人なら絶対に理解できるはずだが、以前の地下鉄のトイレは本当に汚かった。本当に引くほど汚かったのだ。それをあれだけ明るくきれいな環境に、しかも一斉に改修したのは本当に凄いことだと思う。
それに加えて公園の再開発だ。特に天王寺公園の再開発は凄まじい。昔の姿を知っている人がいるならわかるだろうが、確かに昔の天王寺公園も大阪らしくはあったのかもしれない。しかし、普通に考えて公園としてはあんなところで子どもなんて遊ばせられないというような雰囲気がそこにはあった。しかし、今の天王寺公園を見れば、コンビニもあるし広い芝生もあるし、あれだけ変わったのは本当に凄いことだと思うのだ。どれだけ維新が嫌いであったとしても、その点に関しては評価せざるを得ないと思う。
景気に関してもなんとかしようとしていたのは確かだ。大阪を観光都市にしようという動きがあった。これに関しては否定的な人も多いだろうが、僕はとても嬉しかった。梅田や心斎橋を歩けば、様々な国の人達が大阪という土地を楽しんでいて、凄く良いなと思えた。
確かに、大阪維新の会がやった政策すべてを評価できるわけではない。僕はどちらかといえば維新に関しては支持はしていないし、今の市長や府知事の考え方も合わない部分が多い。が、たしかに大阪の発展のために頑張ろうという気持ちは伝わった。
そして今回の都構想の選挙だ。僕は正直最後まで悩んだ。現状維持で良いのか、それとも結果的に失敗してしまうかもしれないが、未来に賭けるか。大阪という地方を今後どうするべきか本当に悩みに悩んだ。賛成派の意見も調べたし反対派の意見も調べた。
投票日直前にとんでもないスクープ(真実がどうなのか結局はっきりとはわからないまま投票日を迎えてしまったが)が報道され、こんな住民投票なかったらどれだけ楽やったやろとさえ思った。
結果的に僕は賛成に票を投じた。そもそもだが、僕は今回の都構想の住民投票はコロナ禍ということもあり、なんだかんだ賛成になるんだろうなと思っていた。それに加え、自分の親や親族はほとんど反対派だったし、別に自分の一票なんてそんなに影響力なんてないんだろうとも思っていた。だから正直家族の考えに合わせて反対に投じることも出来た。
ただ、やはりそれではあまりにも賛成派にとっても反対派にとっても無責任すぎる行動だし、今後の大阪が、東京のように無駄を楽しめるような都市になってほしいと思い、きちんと賛成に入れた。
だが結果的には否決された。たった1万票ほどの差だが、否決された。
本当に驚いた。なんだかんだ言って2回目の住民投票なんだし、市民もみんな初回の状況とは違って、維新が良くしてきた部分も見てきてるんだから、賛成多数になるだろうなと思っていた。しかし現実は、大阪市民は現状維持でいいと判断したのだ。
僕は最初、現状維持で良いという市民が多いのなら、まあしょうがないかと納得できた。市長や府知事は気の毒だけど、まあ仕方がないなと、大阪市民は現状のままでいいという判断を下した人が多かったんだと。ただ、Twitterでいろいろな人の反応を見ているうちに、「我々は権力に勝ったんだ!民意が権力に勝ったんだ!」と誇らしげに語っている自称リベラル勢力が多くいたことに、怒りを覚えた。
僕は以前からこういう自称リベラル勢力はそこまで好きではなかった。彼らは独善的な主張をする事が多いが、確かに政治的に正しいことは言っているし、ある種倫理的にも当たり前のことを主張していると思う。何よりも、僕は保守的な面もあるものの、どちらかといえばリベラル側の人間だと思っていたからだ。
しかし、今回の都構想否決で、まるで鬼の首を取ったかのように喜ぶ彼らの姿を見て、僕はもうそちら側には歩み寄れないなと心の底から思うようになった。
確かに、僕は大阪維新の会の人たちのやってきた政策全てに賛同はできないしするつもりもないが、大阪をよりよく発展させたいという気持ちは伝わったし、僕もそれに賭けたいと思った。大阪をより発展させ、東京と並ばないまでも、価値のある無駄が増えて楽しめるような、大阪に住んで本当によかったと、大阪に長く住みたいと思える人々を増やすには、やはり現状維持じゃダメだと思ったし感じていた。
それが今回また崩れ去った。崩れ去っただけならまだしも、嫌味な言い方にはなるが、それを自分たちが無知な市民に啓蒙したおかげだと自称リベラル勢力は主張したのだ。
彼らは大阪の発展なんて心底どうでもいいのだ。彼らにあるのは『反権力』、ただそれだけなのだ。『反権力』と主張できれば、地方の問題なんてまったくもってどうでもいいのだ。
なによりも悲しいのは、こういう主張をする人々が、自分と同世代に、大量に、そこそこ著名で、しかも、一方的にだが、仲間だと思っていた人たちが、正しいことを主張しておきながら、賛成派に対してはある種敵だみたいな態度だったという事実に苦しくなった。
彼らはTwitter上では反トランプだの、反差別だの、女性の権利だの、反権力だの、あたかも自分は政治的に正しい考えを持っていますかのような振る舞いをしておきながら、自分たちに本当に一番関わってくるはずの日本の今後の問題に関してはまったくもって関心がなく、関心がないならまだしも、むしろ発展や変化を一番拒んでいる人々であったというのが衝撃だったし、悲しかった。
彼らは日本の今後や地方の発展なんてどうでもいいのだ。あるのは正義の名のもとにおける肥大しきったナルシシズムと反○○、ただそれだけなのだ。
以前から彼らとは深いところで考え方が合わないなと思っていたが、今回でそれは決定的だなと感じてしまった。
長々と読みづらい文章を書いてしまったが、僕は別に反対に投票した人たちに怒っている訳ではない。大阪のことを思って反対に入れた人々のことは理解できるし、大阪市を解体するというのはやっぱりめちゃくちゃ不安だと思う。僕だって最後まで反対に入れるか迷ったし、たとえ今回賛成多数で可決されたとしても不安だったに違いない。
ただ、今回の住民投票で僕が一番悔しいのは、都構想が否決されたことよりも自称リベラル勢力が喜ぶような経験をさせてしまったこと、そして彼らは地方の発展なんて心の底ではどうでもいいと思っているということだ。
彼らは今後、この成功体験を糧に彼らが考える正義を人々に押し付けてくるだろう。それが個人的には怖い。
トランプ当選時に隠れトランプ支持者が大勢いたという報道があったが、今回の都構想周りを見ていると、そういう隠れ支持層は今後も増えていくだろうなと思う。
そして自称リベラル勢力は過剰に分断を嘆くのだ。「権力者が権力を振りかざすから人々が分断してしまうんだ!責任を取れ!」と。
本当に分断を起こしているのはどちらなのかきちんと理解したほうがいい。今回の都構想の住民投票で分断なんて本当は起きていないのだ。賛成派も反対派も、本来の目標は大阪の今後についてであり、その道中をどうするか、現状維持でいくのか改革をするのかというのが、今回の都構想で問われた内容だったと思う。
そこには本当は分断なんて起きていなかったのだ。だが彼らは主張するのだ、「都構想の住民投票を行うこと、それそのものが分断だったんだ!」と。
大阪ですら変われなかったのに日本を変えようなんて考えは、本当に傲慢だと、自称リベラル勢力は理解したほうが良いと思う。
大阪は今後も何も変わらないだろう、変わらないまま一地方と今後も存在し続け、僕もそこで生きていく。
本当は僕も東京に行きたいよ、でも僕にはその度胸がないんだ。