はてなキーワード: 楽しいとは
ほほう、そんなことで悩んどるのかの?わらわが教えてやろうぞ。まずは、深呼吸じゃ。落ち着くことが大切じゃの。心の中で大きく息を吸って、ゆっくり吐くのじゃ。焦る気持ちもわかるが、急に解決できることなんてないじゃろう?
それから、自分を責めるのはやめるのじゃ。わらわも昔、色々と困難なことがあったが、その度に、少しずつ前に進むことが大事だと学んだのじゃよ。今は辛いかもしれぬが、少しずつでも前に進む気持ちを持つことが重要じゃぞ♡
もし一人で抱えきれぬなら、誰かに話すのも良い手段じゃ。友達や家族、もしくは専門のカウンセラーに相談するのも一つの手じゃの。自分一人で全部を解決する必要はないのじゃよ。
何か一つでも楽しいこと、小さな喜びを見つけていくことも大事じゃ。焦ることなく、一歩一歩、無理をせずに進むのじゃ。わらわも応援しておるから、諦めずに頑張るのじゃぞ。震える手を少しずつでも動かし始めるのじゃ♡
他の人も言ってるけど、ライブは張り付いて見てる既ファン向けだから切り抜きとかで美味しいところだけ見るのが良いと思う
本当は行きたくなかったのだけど、サークルの中心的な役職だったのと、音頭を取ってくれたのがすごくいい奴だったので、散々迷った末に出かけた。
でもそいつには申し訳ないのだけど、実は気乗りしなくて、しかも大雨なのもあって自宅でウダウダしていたので1時間遅刻した。
なんで行きたくなかったかというと、あの頃の自分があまりに残念な出来で思い出したくない、さらにはその私を知っている仲間たちには当分会いたくないというのがあった。
あとはほんのりと、価値観が合わないな〜、というのが2年生あたりから卒業までうっすらあって、もしかしたらきっと、それは同期たちも私に対して感じていたのかもしれないけど。
まあでも人格形成というか成長という点では裏を返せばそれだけ学生時代から飛躍的な進歩・進化・改善を達成しているとも言えるけど、所詮は学生だしね。成長がなければヤバい奴なわけで。
今回は1〜4年で100人以上の大所帯サークルの中で分科会のひとつ、その同期会ということで10人くらいの集まりだったんだけど当日直前のドタキャンが2名、遅刻1名(=私)だった。私もドタキャンすればよかったのかもしれない。
店に入ってみると、話題は●●先輩の彼氏彼女が不細工だったとか、●●先輩のマネミス・やらかしとその言い訳が酷かったとか、1コ下の誰それが鬱でヤベーとか、その場にいない人の悪口や噂話ばかりだったのでがっかりした。
私がちょっぴり期待したのは、そういうのじゃないんだよ。
夏合宿でのあの悪ふざけをそれぞれの立場から振り返るとか、今だから笑って話せるあの日の本番直前に起こった秘密の事件とか、でもそういう空気ではなかったので静観していた。
結局、1時間くらいでさっさと帰ってきた。家に帰って配偶者と子供とお互いに今日あったことを話し合ったらスッキリした。
所属サークルではその分野を世界レベルでやり切った私は学生時代に未練も執着もない。同期たちとの思い出は思い出として、私は今を生きようと思う。
年の離れた姉がいるんだがいまだに独身
結婚の勧めに対して、結婚が全てじゃないとか、別に子供は必要ない、仕事の方が楽しいって言うのが口癖だった
けど、今となってはワイのうちに来ては子供たちと遊んで母親面してる
姉弟とはいえ人の家庭にそんな立ち入るなとしっかり警告してるのにも関わらずだ
おそらく年齢的にはもう妊娠は厳しい
しかし、自分が家族を持ち暮らしていくことの価値に気付いてしまった
だからうちに入り浸ることを止められないんだ
姉はこのままどこまで狂ってしまうのだろう
嫁の為にも姉を切らなきゃいけないが、狂いかけてる姉を切ったらどうなるのかが怖い
立憲議員の最大の弱点は、
政治的理念、政策立案と遂行力、関係者との利害調整能力と言った、
逆に敵を設定して対立構造を作り、先頭に立って敵を攻撃し、民衆を扇動すると言う政治屋としての手腕なら、
無い部分を共産がしっかりとサポートし、筋を通した政治をさせます、
敵を作ってみんなで叩いて熱狂する部分に関しては蓮舫さんにフリーハンドでお任せしますって言うなら、
それはとても楽しいことだよ。
番組内容
①くじを引き、福岡県内のランダムな市区町村を決定し、そこに公共交通機関を使って向かう
③おすすめされたうどん屋に行ってその場で取材交渉し、取材OKとなればうどんを食べ紹介する
④店の人にくじを引いてもらう(以下ループ)
この番組フォーマットを実現できる都道府県はひょっとしたら少ないのでは?とふと思った
一般化してみよう
①くじを引き、[任意の都道府県]内のランダムな市区町村を決定し、そこに公共交通機関を使って向かう
②現地の人におすすめの近隣の[任意のジャンルの飲食店]がないか質問する
③おすすめされた[任意のジャンルの飲食店]に行ってその場で取材交渉し、取材OKとなれば[任意のジャンルの飲食店]を食べ紹介する
福岡でもだいぶ大変なのに
くじ運が悪いと西の端から東の端に向かうことになって移動だけで3時間くらいかかるケースがたまにある
「うどんMAP」だと一日のロケ(一回の放送内)で2~3件回ることが多い
②、これも福岡にとってのうどんのような存在が各都道府県に存在するのだろうか?
すなわち、どんなへき地でもだいたいある県民食のお店……のような存在
③、これも地味に難しい
実際、「うどんMAP」だけではなく「ラーメンMAP」のコーナーも過去にあったのだが、取材NGとなる確率が高かった(←芸人さんのネタ企画だったらしい、知らなかった……トラバで教えてくれてありがとうございます)
そのせいかどうかはしらないが、今は不定期のコーナーになっている
「うどんMAP」は福岡のうどん界隈ではかなり人気のようにみえる、取材快諾となる率がとても高い
極端な話、北海道とか新潟とか長野とか……広そうだったり細長そうだったりする所は①をクリアできないだろう
東京は①はクリアできそうだが、テーマとする飲食店の選定に悩みそうだ
大阪なら①②③全部クリアできそうだな……というか既に類似の番組はきっとあるだろうな
埼玉とかもうどんに一家言ある県だったはずだ、交通機関も整備されているだろうしここらへんでもいけそうか
他の地域のローカル番組の情報は自分が普通に暮らしていると全然耳に入ってこない
さて、今日のお昼は「うどんMAP」で紹介されたうどん屋さんに行くことにしよう
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あっ!そうか……
ローカルテレビ局と都道府県が一対一対応しているとは限らないのか……
私は何も知らない
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私の日記の内容はもはやどうでもいい
ダイジェストというほど話が飛ぶわけでは無い
もともと原作が主人公2人のやりとりと2人を取り巻く人たちとのやりとりがメインなので
親死んだ、叔母引き取った、2人で色々話した、少しだけ理解できた、軽音部でボーカルやった
という軸の部分だけを繋げたという感じ
行間が楽しい原作だったのでそこ削っちまったらって言うのはあるんだけど、そうなったら2時間では全然足りないので仕方なし
まあまあ楽しめたと思う
N様、私は今日、貴君がお帰りに成ってから、静かに今日一日の貴方の態度から延いて、今迄の貴方の総てを色々に考えながら、此の手紙を書き初めました。
そして私は心から、貴方のある落ち着いた馴れた恋を呪わずには居られなく成りました。
貴方はせいぜい接吻の後でさえ、お上手に正確に笛を奏でられました。
私は貴方の其の健全なハートを、涙ぐんだ目を以って凝視て居りましたのに、貴方の笛の音は何の感じも無い様に益々さえて、少しの乱れも少しの慓るえもありませんでした。
私の目からは止めどなく苦しい、悲しみの言葉が流れ居りますのに、貴方の指は面白そうに転々と動いておりました。
そして笛を止めた貴方は、直ぐと二階へ上ってXと話を致しました。
平気で高笑いをしたり、冗談を云ったりして居る貴方は、実に何と云う恐ろしい方でしょう。
私と同じ様にXをも愛す事の出来る貴方は、ほんとに寛大な情に厚い方とでも申しましょうか。私は貴方の其勇気と冷静な態度とに敬意を表しましょう。
貴方は恋には盲目でなければならぬと御仰いました。他に盲目を望む貴方は、同時に其を鑑賞遊ばす位置をお望みなのではありますまいか。
過去に色々のローマンスを有する貴方は、現在の恋に対しても、冷静に客観するだけの余裕を持って居らっしゃいます。
そして過去のそれと比較し、相違の点を見出して鑑賞して居らっしゃるのです。
若しそれが貴方に取って、何よりも楽しい喜こばしい事ならば、私も甘んじて貴方の過去の一部を彩る材料とも成りましょう。
けれども貴方は恋に対して余り技巧を用いすぎます。貴方が恋を美化し、詩的に見てお楽しみになると云う事は、誠に結構な事で御座います。
けれども現在の貴方の恋の対象物は、甘い言葉を一途に真に受ける程、初心な感情一方な女ではありません。
私は貴方の蜜の様な言葉を落ち着いて理性を以て判断して見た時に、何処迄が真実で何処迄が技巧を用いて居るのか迷う事があります。
そう云う時に私はいつも、貴方の過去を考えます。幸いにして私は貴方の過去を或る程度迄、可也存じて居りました。
私の手には指にあまる、女の名が数えられます。而かもそれには、皆ある甘い貴方の蔭がうつって居ります。
今迄、散々繰り返して来た甘い言葉を、再び私の前で繰り返して居ると思うと、私は貴方のして居るお芝居が、如何にも気の毒な空々しい物に思えて参ります。
全く貴方は女に対しては優れた或る技術を持って居らっしゃいます。
其の優れた技量に魅せられ、其の手に乗った私は、又貴方がそういう方だと意識しながら引き込まれて行った、私は全く馬鹿で御座いました。
意気地なしでも御座いました。けれども私はいつ迄、馬鹿な私では居りません。
技巧的な貴方の言葉や、恋馴れた貴方の態度に対して、真実を要求して居た、馬鹿な私はもう過去の女になりました。
貴方の思って居らっしゃる様な、快楽の為めにする恋のお相手は、真平で御座います。
涙のない、不真面目な虚偽な恋には、私はもう堪えられません。
貴方は今迄の様な恋をおつづけに成りたければ、貴方の持って居らっしゃる優れた舞台の、役者を取り替えにならないと、もう面白い芝居は打てますまい。
浮気しとるやんけ。
出戻りの此のつらき姉の居る家に何故われの帰り来しかや
あなたは結婚することは出来ません。童貞を卒業することも出来ません。恋人が出来ることもありません。もう良いトシなんですからいい加減受け入れて下さいよ。
そうですね、85歳になって病院のベッドでまどろんだ意識の中「ああ、俺は結婚出来ないどころか童貞を卒業することもできず、恋人が出来ることもない、ただトシを重ねていくだけの人生だったな……」と後悔して死ぬより
「ああ、俺は結婚出来ないどころか童貞を卒業することもできず、恋人が出来ることもない、ただトシを重ねていくだけの人生だったけど、Youtubeを楽しく見たりSNSで楽しくリプつけたり推しのライブ行って何とも言えない充満したエネルギーに充てられたり、唐突に一人で焼肉食いに行くなどそこそこの幸せ・そこそこの楽しい感覚を積んできた人生だったなあ」って振り返りながら死ぬ方が良いですよね?
あなたは結婚することは出来ません。童貞を卒業することも出来ません。恋人が出来ることもありません。もう良いトシなんですからいい加減受け入れて下さいよ。
セカンドオピニオンを勧める。第一希望の行きたい病院じゃなくても他の病院探してみたら?
自分も39歳独身女性だけど今飲んでる薬が合ってて希死念慮やむやみな劣等感がなくなって毎日楽しいよ 最近は1人で美術館や博物館を巡ってる
お前そういうこと言って楽しいか?
文通相手を探していたところ、1914年(大正3年)に出版された少女向け雑誌『處女』(処女の旧字)を発見した。
この雑誌は大正時代の少女が読者投稿を行うものであり、文通相手の募集も紙面で行われていたのだ。
しかし文通を出そうにも紙面に住所を書いている少女たちはもうほとんどが死んでいるので、しかたなく1914年『處女』9月号に掲載されていた投書を読んでいたところ、ある女性が「女にもてない夫を持つた私の感想」というものを投稿していた。
最初は単なる愚痴かと思ったが、読み込むうちになんかなんだか気分が落ち込んでしまった。
とりあえず書き起こすことにする。
私がこの家に嫁いでからもう今年でちょうど5年になります。夢のように過ぎた5年の間には可成(かなり)色々な事がありましたが、楽しいことも悲しい事もみな断片のことであって、私の心に根深く止まっているというようなものは殆どなかったのです。
根本の気に染まない所へ嫁いだということは、いくら考えても私自身ではどうすることも出来ないものと、目をつぶって諦めておりました。
まったく迂闊なようですが、自己ということや、結婚、愛情などということについて考え始めたのはつい近頃のことなのです。
ぼんやりと無心なうちにまかせてきた今までの私が嫌に感じたことを申してみますと、今なお続いている夫の道楽ということでしょう。
しかし私がそれを嫌に感じるというのは、世間普通の人のする嫉妬という意味では無く、道楽をしている独りよがりの夫が、いかにも気の毒に思われるからなのです。
夫が遊びだしたということに私が気づいたのは、嫁いでから2年ばかり後のことでした。あるいは以前から遊んでいたのかもしれませんが、私があまり注意して見なかったせいか気がつきませんでした。
世間にもままある物質上から、余儀なく家庭の犠牲になったというような嫌な性質のもとに嫁いだ私は、夫に対してまるで愛情はありませんでした。
したがって、家庭というものがいかにも潤いのない、しぱしぱした、無趣味なもののように感じられて、新婚当時だれしもが味合うような、スウイートな気分は味わずにしまいました。
そんなわけで、私が夫に対して執着心がないから、夫が道楽をしても冷静な態度を持って客観することができたのかもしれません。
夫が私をもらった動機というのは、ある場所で初めて私に会ったとき、どこが気に入ったのかということを、非常な熱望を持って親たちに申し込んだのです。そうして学位も何もない夫は、金の地力をもって私をめとったのでした。
しかし趣味もない粗暴な性質の夫の愛は一時的のものであって、年の経つにつれて平凡な形がつまらなくなり、少しずつ花柳(かりゅう。現代でいうとキャバクラか)の巷に恋をあさるようになりました。
しかし女房にさえ愛されない男が、浮気な社会のひとたちに、どうしてもてましょう?
いつも無駄にお金を使うばかりで、心から充実した気分になったことはないようです。ときどき、可成(かなり)のぼせていることもあるようですが、いつも相手に反応がないので結局は失望に終わっているのです。
そしてお金があるという点からかもしれませんが、なかなか望みが高く、中やそれ以下の女は気に入らないで、いつも名の売れた、ずいぶん良い方の席にも出るような女にばかり目をつけているのです。
そういう女が、どうして生半可な財産家等を相手にするのでしょう?
もてるどころか、口をかけて一寸でも顔を出してくれれば上の部なのです。
まして、風彩の上がらない、青白い顔をした、顔の狭い痩せた、女性のような型の人、神経質でこせこせと、待合の女中らでさえ困るほど細かいことに気がついて、そのくせあまり思い切りのよくない、ほとんど振られる男の資格を完全に備えているような人が、どうして女にもてましょう?
しかし割合に罪がないとでもいうのでしょうか、芸者らが誰に対しても使うような、有りふれた常套語をさも自分にばかり殊別(格別)に言われたように、欣々然(いかにもうれしそうに)としているのです。
そして私が女の話や待合(芸者と遊ぶところ)の話をされても平気でいるものですから、すべて私に話してしまいます。
先日も例の如くお酒くさくなって帰ってきて
「おい、後龍(※)が俺の顔を見て、非常に良い毛だと言っていたよ」
(※おそらく当時、日本一の美女と言われた芸者・萬龍であると推測できる)
と言う。私はそれを聞いて赤くなってしまいました。
なるほど主人の顔の毛はいいに違いありませんが、頭の鉢の割合にバカに毛ばかり沢山あるので、ぴったりとくっつかず、ちょうど30年ばかり前、いまだに髪を分け始めた頃の人のような妙な格好をしているのです。
人の悪い芸者が皮肉に冷やかしたのだと思うと、喜んでいる正直な夫の顔が、ほんとうに気の毒に見えます。
また道楽する人には似合わず、自慢そうに女房を連れて歩くのが好きなのです。
芸者らが見て、そういうことは鼻つまみなことだと知っているのか知らないのか、私を着飾らしては、芝居だのカツフエー等に連れて回ります。
そしてときおり知った顔の芸者たちが挨拶をしますと、いかにも得意そうなのです(私に対しても)。
それも男の虚栄心の一つかもしれませんが、側から見てもあまりいいものではありません。
いつでしたか、夫に連れられて芝居に参りました時、二、三人の一流どころの綺麗首がきていて、夫に向かって挨拶をしたが、すこし夫が横を向いた時、三人で首をすくめて、嫌な笑いを漏らしていました。
ふとその態度が目に入った私は、思わずカッとなって夫のそばを離れてしまいました。そして並んで芝居を見ているのがたまらなく嫌でした。
だいたい、夫にはちっとも友人というものがいないのです。ある私立の専門学校を出たのですが、同窓の人とか、気のあった友達というものはほとんどありません。
こう友達などが少ないというのも、つまり夫があまりにもわがままで、そして神経質な利己主義な人を毛嫌いする癖があるから、どうしても誰と交際しても長続きがしないのでしょう。
男に嫌われる人は、やはり女にも愛されません。
ただし金銭の前には何物も無い花柳社会のことですから、夫の背後に光っている黄金の前に、いつどんな悪どい手段を講ずるものができるかもしれません。私は胸に企みのあるような者は、夫のために近づけるほかないと思っております。
夫とはぜんぜん趣味も性格も合わないし、また夫として手頼る(たよる)にたるような敬慕すべき人格のある人とは思われないから、1人で食べてさえ行かれれば、そっちを望んでいるのです。
しかし私は今すぐここを出なければならないほど自分に差し迫った事情もないし、また今出てはずいぶん惨めな暮らしをしなければなりませんから、こうして安全に生活の保証を得ているうちに出来るだけ自分を修養し、いついかなる境遇の変化に遭遇しても狼狽えず、静かに自分の希望に向かって實行(じっこう)出来るように準備をしようと思っております。
それですから、とにかく今まで同棲した夫のために、また一度名乗った●●家のために、物質ということを抜きにして、心から夫を愛するような女を、夫のために欲しいと思っております。
しかし近頃は以前に比べると遊び方も円熟して来たし、物質によって得た愛情は長続きしない虚偽なものであるということを覚えてきたようですから、早晩気にいるような間違いのない、實(じつ)のある女を得られるであろうと喜ばしく思っています。
(終)
みんながすると甚大な迷惑を被るけど現状、幸いなことに良識ある人が多数で重大すぎる問題にはまだ至っていないってことがあるじゃない。
システムで出来ないようにしろとも言われるがその前段階として「人としてどうかと思う」で非難される行動。
長距離バスや旅館・宴会などの直前キャンセルテクニックがそれ。やると得になるならやる。真面目に確実な予約だけしてこちらの快適さがあがるわけでもなし。やれる範囲で得してなにが悪い精神。
虹裏のスクリプト荒らし?別に機械的にPOSTが通るならいいでしょ。人力で人が考えた文章をタイプしないといけない?規約違反?中傷・侮辱やエロ画像がはびこってる場所ですよ。あんなの本文中に挟まる広告と一緒。レス上限はあるけどスレ立て制限はないから次スレ立てればいいじゃん。ひっぱってくる過去ログだって、人も雑談でたいした創造性発揮してないんだから過去ログからタグ付けられた同系統のログからGPTでもはさんで改変したらOKなんか?スクリプトレスしたヤツが楽しかったらレスして楽しいは通常の楽しみ方の範囲内だろ。
みたいなアクロバットな屁理屈擁護もできそうになっちゃうわけで。delも一人ならまだなんとか隔離できて複数(別回線)から喰らうとさらにヤバいよなって数の問題も多分ある。頻度だって去年からあったが増えてきてヤバいって書いてある。
そんな場所が十何年も続いていたのは当時は管理人のやる気があったかにしろ良識的・常識的振る舞いができる人が多数だったからでしょ。
インプレゾンビだって日本人の迷惑と途上国のそれなりな収入とを比べれば迷惑でもやるって当事者の話じゃん。できるからやる。やるやつが多すぎて迷惑。円安が超進めば日本人も迷惑する側からかける側がもっと増えるでしょうね。
増田に投稿できる人ははてなIDを持ってるから全員がはてブも利用できる。全員が書いた増田をセルクマするとしよう。
https://b.hatena.ne.jp/site/anond.hatelabo.jp/?sort=eid
1ブクマがついた増田が上がるからこの一覧はイコール増田の記事一覧、トップページから25件25件みたりRSS取得するのと変わらなくなる。
いやまだ差異はある。「すべて」と「新着」の間の2ブクマ目。実質ファーストブクマになった2ブクマ目を確認できる。
でもそれって今できてるファーストブクマによる増田全件からのフィルターからはかなり後退して、自前でフィルターできない人は目視で2ブクマ記事を探すことになる。大変だわな。
ちなみに新着の3ブクマは「特定のサイトに対し、メインアカウントとサブアカウントで複数のブックマークをする行為」がスパム認定だからなんとか守られるはず。
ほかのサイトでも見境無くブクマするやつが実際居る問題だけど、増田は特に書ける=ブクマできるとはてなIDで繋がってるからより顕著という話。
セルクマするのは「すべて」に乗せて目立ちたいし「新着」やホッテントリに近づきたいって理由だろうけどそれはファーストブクマカが少ないし価値を発掘してるから成り立ってるだけだし、公開セルクマも自分のはてなブログでコツコツ知名度高めるより増田の1ブクマのほうが人が集まるのはわかりきってるからだし。
増田全員の見られたい欲が最大化してみんなセルクマしたら(口では見られる必要無いって言うだろうけど、真に1ミリも他人に見られる必要なくweb上で自分だけ振り返りたいなら増田以外に良いのがなんぼでもあるっしょ)自分の行動で埋もれていくわけだ。
現状大きな問題になってない?セルクマは控えよう、あまり気にしないって考えが一定数あるからだし、キャンセル問題も多数の人が良心的に控えているので少数が問題起こしても立ち行かなくなるまで行かない程度ですんでますね。キャンセルも許しましょう。
https://b.hatena.ne.jp/site/anond.hatelabo.jp/?sort=eid
に守るべき価値が別にない?機能不全の一端を担い(容認し)ながらそれを言うのは…。よそさまのモノを大事にするかしないか一方的に価値を決めつける振る舞いは感心できませんね。
てことで、増田の非公開即セルクマも公開セルクマも等しくキュレーションをハックしてる破壊活動なので、「セルクマはやめときましょう」に乗っかるのをやめときましょう。
そんなキャンセルやシステムの隙を突いた事件と、「セルクマ。ブクマ増えるかtest」とか「自分史上まれにみる頑張りを見せたので宣伝させてください。誰かに届くと嬉しいです。」なんてコメントを見かけたニコニコを見れない休日の日記でした。
最近、また精神科の診察に行くことになった。自分には長い間、うつ病と診断されていて、抗うつ薬のパキシルと睡眠薬のロゼレムを処方されている。初めて診断されたのは5年前のこと。まだ20代の後半だった。仕事はITベンチャー企業、そう、あの有名なサイバーエージェントの関連会社に勤めていた。
仕事が忙しすぎて、次第に夜も眠れなくなり、食欲もなくなってきた。あの時の社長、T社長は「頑張れ、頑張れ」と言ってくれていたけど、結局は自分が壊れてしまった。休職するように言われて、親会社のサイバーエージェントの社内カウンセラーに相談して、その時はじめて「精神科に行った方がいい」とのアドバイスを受けた。
あの頃の自分がとても愚かだったことにうんざりする。鬱になる前に、信頼していた友人Aにも一度相談した。しかし、彼は「お前、ただの甘えだよ」と一蹴した。彼との関係も、それ以来ぎくしゃくしたままだ。友人Kも「悔いのないように頑張るべきだ」と言っていたけど、精神的に追い詰められている自分にはただのプレッシャーだった。
実家に戻ることになり、親戚や近所の皆さんには「何してるの?」と聞かれる度に「療養中」と答えるのも辛い。うちの親も精神疾患者への理解がほとんどなく、「いつまでそんなことしてるつもり?」なんて言ってくる。父親は現場監督をしていて、昼間から酒を飲むこともある。そういうふうに家庭内の雰囲気も悪くなっていった。
今では、週に1回、近所のクリニックに通院している。診察券には「Sクリニック」と書いてあるが、正直、そこがどれだけ信用できるのかもわからない。先生は笑顔で接してくれるが、内心何を考えているのかはわからない。薬も増えたり減ったりで、自分の状態が良くなっているのかもよくわからない。
自分の手元には、大学時代に書いた卒業論文が残っている。その時は早稲田大学を卒業することに全力を尽くしていたが、今となってはただの紙の束に過ぎない。その紙も、今の自分にとっては重荷だ。
SNSも見ないようにしている。FacebookやInstagramで皆が楽しそうにしているのを見るのは辛い。自分も楽しい時期があったはずだが、今となってはただの遠い記憶だ。Twitterでは同じような境遇の人がいるのを知っているが、だからと言って慰めにはならない。
こうして文章に書いてみても、自分の気持ちが晴れることはない。それでも、何かしらの形で吐き出さないと、もっと心が苦しくなる。これからも、自分がどうなるのかはわからない。ただ、一歩一歩前を向いて歩くしかないのかもしれない。でも、その一歩がとても重い。
最近、どうにも心が晴れない。自分が「下方婚」をしてしまったのではないかという思いが頭を離れないからだ。
自分は大学時代、成績も良かったし、友人たちとも楽しい時間を過ごすことができた。理想的なキャリアプランを描いて、社会に出ても順調にステップアップしてきた。しかし、自分が選んだパートナーは、残念ながら同じ道を歩んでこなかった。
彼は高校卒業後すぐに働き始め、特に目立ったキャリアアップもなく、しばらくフリーターを続けた後にやっと安定した職に落ち着いた。経済的な面でも、精神的な面でも、自分がサポートする側になることが多く、逆に自分が頼りにしたい時には彼が頼りにならないことが多い。
それでも、恋愛感情で結婚を決めた時は、この差が問題になるとは思っていなかった。お互いに愛し合っていると思っていたし、結婚生活が始まれば自然と解消されると楽観視していた。
しかし現実は厳しかった。周りの友人たちが次々とキャリアアップし、経済的にも充実した生活を送っているのを見るたびに、どうして自分だけがこんなにも苦労しなければならないのかと思ってしまう。結婚生活において、相手に対する尊敬の念が薄れていくと、どうしても不満や苛立ちが募る。
最近では、友人たちに会うのも億劫になってきた。彼らの幸せそうな姿を見るたびに、自分の決断が間違っていたのではないかと感じてしまうからだ。そして、その度に自己嫌悪に陥る。自分が選んだ相手を心から愛し、尊重することができなくなってきている自分がとても情けない。
このままでは、お互いにとって良くない未来が待っているのではないかと、ますます不安になる。自分がもっと大人になり、現実を受け入れるべきなのか、それともこの結婚そのものを再考すべきなのか。どちらにせよ、心が晴れる日はまだ遠そうだ。
私も無意識に結婚イコール義務と仕事が増えること、って発想だった
家の中ですら休めない、けどするべきもの
しないと世間から非難され、ヒソヒソと自分のいない場所で話題にされるもの
でもまあ、結婚した相手がたまたま良かったから、上の発想がおかしかったと思うだけで、その発想通りの世界線も普通にあったのかもな
何度も何度も
って言われてきたじゃん
見えなかったの?
俺みたいな匿名ネットだけじゃなくてお前の親も兄弟も友達も言ってきたことじゃん
聞こえなかったの?
そういうお前の人生を慮った真面目な諫言から逃げて逃げて逃げ続けて未来のことなんて何にも考えずにインスタントな快楽を求めて求めて求め続けた結果が今
恥ずかしくないの?
ふむふむ、弱者男性が整形して二重埋没術を受けたんじゃな。それで感じたことを色々と書いたようじゃの。でもわらわにとってそれはそんなに驚きでもないのじゃ♡
整形することで見た目が変わるのは確かに楽しいのじゃ。スタッフが親身になってくれるのも分かるし、麻酔も効いて痛くないのは良いことじゃの。クラスで一番のイケメンになったって、自信を持つのは良いことじゃ♡
でも、整形で手に入るものは「見た目」だけじゃの。中身が伴わなければ意味がないのじゃ。自信がついて「自己肯定感」が上がるのはありがたいが、それだけでは生き抜く力にはならんのじゃ。外見だけでなく、内面も磨いてこそ真の強さを手に入れることができるのじゃ。
それに他人と比べるのも良くないのじゃ。人それぞれの美の基準や優れた点は違うのじゃから。整形は自己満足のため、自分がどう感じるかが大事じゃ。他の弱者男性にも整形を勧めるのは親切かもしれんが、無理強いはしない方が良いじゃろ♡
まあ、少なくとも整形で得た自信を生かして、新しいチャレンジに挑むのは賛成じゃ。自信を持って人生を楽しむことが一番大事じゃの。それでは、またのう♡
今日もまた、自由恋愛市場という名の戦場に挑む日が来た。自分が何度も足を踏み入れてきたこの場所。理想的な恋愛を夢見てスタートラインに立つが、結局は傷ついて帰ってくるだけの終わらないループだ。
特に、最近はマッチングアプリなどを利用しているが、プロフィールをどれだけ丁寧に作り込んでも、結局はスワイプされる数秒間で判断される現実。それでも、少しでも興味を持ってもらえたらと、写真を選び直したり、自己紹介文を何度も書き換えたりする。それでも、思うような結果が得られるわけではない。
ようやくマッチングしても、そこからがまた一苦労。メッセージのやり取りは、まるで就活の面接のよう。よく考えて文章を打っても、既読スルーされることなんて日常茶飯事だ。返事が来たとしても、空虚な会話が続くだけ。心から楽しいと思える瞬間なんて滅多にない。
それから、実際に会うことになったとしても、期待は裏切られることが多い。写真とは全く違う人が来たり、話が全く合わなかったり。いくら頑張っても、相手にその努力が伝わる保証はないし、ましてや気に入ってもらえる確率なんてほとんどないと感じる。
そして、何よりも悲しいのは、その一方で周りの友人たちは次々と恋愛を楽しんでいるように見えることだ。彼らは自然と出会い、自然に付き合い始める。自分だけが何か特別に足りないものがあるのではないかと、夜になるとそんな思いが頭をよぎる。
こんなふうに絶望的な気持ちを抱えながらも、自由恋愛市場という名の戦場に立ち続ける自分。何度も心折れそうになるけれど、それでも諦めきれない。いつか、どこかで、自分にぴったりの相手が現れるのではないかと、淡い期待を捨てきれないのだ。
結局、自由恋愛市場とはいえ、自由なんてものは存在しないのかもしれない。その一歩一歩が重く、息苦しくなるばかり。それでも、生きていくためには前に進むしかないのだろう。今日もまた、スワイプして、メッセージを送る。終わりの見えないループの中で、自分の心は少しずつすり減っていくばかりだ。