はてなキーワード: 断腸の思いとは
三原順子による岩城光英議員運営委員長解任決議に対する反対討論――2013.12.05
三原:私[ワタクシ]は自由民主党・公明党を代表して、只今議題となりました、議院運営委員会、岩城光英委員長に対する解任決議案について反対の立場から討論させていただきます。現下のわが国の状勢をみますと、少子高齢化が急速に進み、経済活動や社会の仕組みも大きな変革が求められております。安倍政権がすすめるアベノミクスによる「三本の矢」によって経済活動を活性化させ、日本経済を回復、拡大基調にのせていく重要な局面にきています。また民主党政権の「三年猶予」の間に失われたわが国の"大切なもの"を取り戻すため、国を挙げて取り組まねばなりません。"国民は"そのことを重々承知しており、昨年の衆議院選挙、そして夏の参議院選挙において自民党・公明党に大きな期待を寄せ、"衆参のねじれ"は解消したのであります。まっとうな政治、まっとうな政策を果敢に断行する安倍内閣の真骨頂が遺憾なく発揮される環境が整ったのであります。参議院選挙後の、この臨時国会はアベノミクスの各般の政策、法案を取りまとめ、成立させ、実行に繋げていく極めて重要な国会であることは言を待ちません。岩城委員長は参議院での国会運営の要である議院運営委員会において、国民が期待と願いをこめて待ち望んでいる法案を充分な時間をかけて、真剣に議論し、しかるべき時期に結論を出すべく、毎日毎日たいへんな努力を重ねてこられたのであります。そのことは野党の諸君も充分諒解されており、岩城委員長に対しては感謝と尊敬の念を抱いておられるといって過言ではありません。今回解任決議案を提出したのは"偏屈な"民主党で、社会民主党とみんなの党も加わってはいますが、他の会派の諸君は、民主党のこうした"独りよがりの横暴な行為を冷ややかな目で見ている"のであります。民主党はそのことを全くわかっておらず、周りからは"蔑み"と"嘲笑"を買っていることをこの際強く認識すべきであります。"まったく呆れるばかり"であります。民主党は解任決議案の中で、野党の意見を封殺する一方的な議事運営を繰りかえしたと述べていますが、全く事実に反する"為にする批判"といわざるをえません。委員長は各会派の意見を充分過ぎるほど聞きながら、円満な委員会運営を心掛け、この臨時国会の会期と法案の重要性を鑑みながら、最終的には採決によって委員会付託という手法で法案審議をすすめようとしたものであります。このことを理解していない、また、わかっていても党利党略のみを優先して岩城委員長を意図的に難詰するのは「流石国民からそっぽを向かれた民主党」といわざるをえません。衆議院選挙と参議院選挙で、民主党がどのような評価を国民から下されたのか、どうして国民から相手にされなくなったのか全く理解せず、何の反省もしていません。こうした民主党のやり方に対しては、"怒りを通り越して情けなさと悲哀を感じている"のが"民主党以外の政党"と、"有権者――国民"なのであります。改めて言います「民主党の皆さん、恥を知りなさい」。また、民主党は解任決議案の理由の中で「社会保障制度改革プログラム法案の本会議での趣旨説明・質疑を求めた際には、衆議院とのバランスを理由に、拒否する与党の言い分のみを採用し、本会議での趣旨説明を聴取しないまま、議院運営委員会での採決によって法案を公正労働委員会に付託した。これは本院の存立を危うくする行為であり、さらには野党の質問する権利を封殺する暴挙である」といっています。全く的外れな指摘であり、本院の存立を危うくしているのは、岩城委員長ではなく、"あなた方――民主党の存在そのもの"であります。民主党は"独りよがり"の質問権を振りかざし、三本もの法案に関し、一党だけで本会議質問を強行したのであります。今国会での重要・広範議案と呼ばれるものは五本であり、衆議院ではそれに対して本会議質問がなされ、衆議院でも登壇ものとすることが当然でありました。しかし、その慣例を無視して、また他の会派の意向や要望を考慮もせず、民主党は自らの党利党略のみで三本も単独で質問したため、他の全会派が必要性を認める登壇ものの法案はなくなってしまったのであります。岩城委員長は残る会期と法案の重要度合いを考慮し、苦渋の選択をされたのであります。今回の行為を喩えれば、民主党はあさはかにも、衆目のゲンゼン[眼前?]で自分の首を自分の手で締めつけ、苦しみもがく演技をして「岩城委員長が首を絞めている、助けてくれ」と叫んでいるのであります。その"滑稽さ"と"バカさ加減"に気がつかないところが、"まさに民主党の民主党たる所以"であります。岩城委員長はその温厚な人柄であり[?]全議員に親しみと尊敬の念をもって知られる存在であります。委員長の職責は、一党一派に偏ることなく中立公平な運営を行うことで議会政治の本筋を守ることにあります。委員長はその責任を十全に果たし、委員会運営を円満かつ平等に進められてきました。岩城委員長に解任決議を突きつける民主党の軽挙妄動はわれわれがこれまでに与野党のわけ隔てない協力のもと地道に営々と築いてきた議会運営の王道を破壊するものであります。まさに断腸の思い[?]であります。最後に、われわれ参議院議員は今後とも良識の府に[を?]標榜し正常な議会運営を心がけ、真摯に審議を積み重ねる姿勢を終始一貫して貫いていくことを国民にお約束します。以上、われわれは、民主党には反省して事態を改善する自浄作用も、倫理観も、良心のかけらもないことを"知りつつ"、敢えて今回も民主党に対して、度重なる党利党略、与党のみならず他会派の意見を全く聞かない、議会制民主主義に悖る見苦しい暴挙に対して猛省を求め、岩城委員長の解任決議案への反対討論と致します。
10代の頃からそう言い続け、大人になったら変わると周りに言われ続けてきたけど今のところ変更なし。
中学生の時分より、周囲からえ?!と言われるような男性としか交際してこなかった。
そんな私だが、一昨年出会った素晴らしい男の人(仮にAさんと呼ぶ)とお付き合いをはじめ、とんとん拍子に同棲。
短気で喧嘩っ早い私にとっては奇跡的なことに、一緒に暮らしてからも一度もこじれたことがない。
家族仲があまり良好でなかったこともあり、日常という意識が乏しかった私にとって、初めて帰りたいと思える家が出来た。
(大人になってからは家族とはうまくやっているけれど、帰る場所という感覚はあまりない)
ところが、一点だけ影を落とすのが表題の件。
一緒に暮らし始める前にも話し合いをしたが、その時点ではお互いに歩み寄れる可能性に賭ける、ということになっていた。
お互いに若いし、生活スタイルが変わる節目にいたこともあって、価値観が変わる可能性も多いにあったからだ。
でも、どんなにうまくいっていても、幸せな日々を送っていても、
結婚したいと思えない。
子どもが欲しいと思えない。
何の不満もないのに、仲良く暮らしているのに、どうしてかわからない。
3ヶ月ほど前、同棲解消について話し合い、ひとまず目安の時期が決定した。
Aさんは、私にとって99%の人で、この人と共に過ごせば幸せでいられることはわかっている。
でも彼は家庭を子どもをもうけるべき人なのだという確信がある。
彼の友人に聞いてもみなそう答えるだろう。
家族ができることがものすごくプラスに働くタイプの人っているじゃない。
仕方がないけれど、切なすぎる。
結婚願望がない自分の子どもも欲しくないと思う私は、女として何かが欠けているのだろうか。
そう思った矢先の、
番号を登録していなかったため、うっかり出てしまったのだ。
子どもながらに、この人が私の運命のひと、と心に決めていた人。
不器用ながらに、愛していた人。
まともに付き合っていた期間は、よく覚えていないけど一年にも満たなかったと思う。
あとは主にkに恋人がいるとき、いるかすらわからないときもあったが、いつでもお互いのための特別枠があった。
どんなに酷いことをされても、憎めなかった人。
しかし8、9年ほど前に、いわゆるリベンジポルノに匹敵するような出来事が発覚した。
後からわかったのだが、ほぼ実名で、私がkを信頼してかつて託した出来事を、たくさんの知り合いに晒された形。
(未だに、それにコメントを残していた本来人畜無害であろう同級生たちとは関わることができない。
そんなこと誰も覚えていないと頭ではわかるが、心がついてこない)
それまではなんでも許してきたけれど、さすがにこれを許してはいけない、と、断腸の思いで連絡を絶った。
それまでなかなか捨てられなかった思い出の品もすべて捨てた。
共通の知り合いとも、ごく少数を除いて全員と縁を切った。
忘れよう忘れようと自己暗示をかけ、数年前からは思い出すこともほとんどなくなっていた。
旧友として再会して、まあ順当に世間話でもして、例の件はとりあえず謝罪させて、お互いの幻想を打ち破り今度こそさよならをするつもりだった。
だったのだけど、信じられないことに、また恋に落ちてしまった。
それで、不思議なことなのだが、急に結婚願望とでも呼ぶべきものがふつふつと湧き上がっているのだ。
過去の執念を清算しているだけかと思いきや、新しい未来への妄想がつい膨らんでしまう。
kを目の前にすると、やっぱり昔のように、この人と会うために生きてきたと感じる。
いい歳して、まったく成長していないことにがっかりだ。
ただ、kは無事に添い遂げられるタイプの男ではないのかもしれない。
99%ダメでも、私が絶対に妥協できない1%をkは握っている。
少し、違う気もしている。
>「憲法改悪、ワタミ擁立、青健法児ポ法、TPP反対、原発推進、国会での低脳な野次の嵐、まるで糞じゃないか(憤怒)」
と考えていても「中韓の脅威を考えれば自民党支持はやむなしか・・・」と断腸の思いで投票しかけた奴
これで自民に入れちゃってたらまさに愚民だったねw なかなか信仰を抜きにしてTPP、原発、表現規制、労働問題の壁を乗り越える論理的な支持理由を構築するのはむずかしいだろ
実際前々回の選挙で終わった話なのにまだミンスガー サヨクガー連呼くらいしかネット工作もできてないみたいだし、頭に日の丸が刺さってる知恵遅れでいつづけるのも大変だよね
まあ、「政策や実情を事前に調べようともせずに、その場のノリで支持政党を決めて、後でその政党を被害者ヅラしながら批判するな」って事なんだろうが。
わからんでもない。仮にも一国の政治を決める一票を行使するチャンスを、怠慢でろくに調べようともせずに、そこらのくじ引き感覚で投票する奴らも実際見たし、俺もそんな奴らに憤りを感じる。その手にある参政権ってのは血みどろの歴史から生まれた宝なんだぜ。
それで参政権を行使して選んだ責任を、一国の政治を決める議員を選んだ責任も意味も考えずに、ただ愚図みたいに批判するなってのは心情としてよくわかる。
でも、ほとんどの政党は七割の「糞みたいな政策」と三割の「そこそこいい政策」の両方を併せ持つもんだ。
「この政策は絶対に支持できないが、現状を考えるとこちらの問題を優先させるべきか」と渋々その政党に投票する奴もいる。そいつらが後で「糞みたいな政策」を批判するとして、果たしてそいつは何も考えていない事になるだろうか?
有権者が投票した後で個別に政策に異議を申し立て、有志を募って投票した政党を非難するような光景もままあることだ。
「憲法改悪、ワタミ擁立、青健法児ポ法、TPP反対、原発推進、国会での低脳な野次の嵐、まるで糞じゃないか(憤怒)」と考えていても「中韓の脅威を考えれば自民党支持はやむなしか・・・」と断腸の思いで投票しかけた奴を俺は知っている。最後は共産党に入れたが。
参政権の重みを感じずにノリで決めるなとは思うが、何もその政党に投票した上で手のひら返しで批難してるからといって、何も考えてない事にはならんだろう?
心情的には理解しますが、とはいえバリアフリーというのは言い換えれば「障害者を拒絶して得た利益は不当な利益」という理念であり、それに照らすならば件の店の経営方針は強欲の謗りを免れないということになるのかなと思います。「残業代なんて払ってたら会社が潰れる」とか「全駅にエレベーターと障害者トイレ完備とか不可能」といった泣き言と同じく、我々の社会においてはそうした態度は許されないのです。我々はもう十分豊かになったから、これからはやさしい社会を築いてゆきましょう、というのが我々の選択で、とはいえその基本理念にはみなが共感したとしても具体的日常的なレベルではコンフリクトが発生するから、だから盲導犬の入店拒否は違法だし、学校から半径200メートル以内に風俗店を作ったら違法だし、分煙してない飲食店は違法なわけです。高田シェフの夢、つまり「自分の店を持ちたい、小さくてもいい、肩肘張らずに手頃な値段で楽しめる店を」という夢それ自体は邪悪でも強欲でもないけれど、しかし文明人たる我々は彼の夢を「断腸の思いで」葬らなければならないのです。ああ辛い辛い。
こういう正義という旗の下ならどんな暴言も許されると思ってる人達の方が、よっぽど悪意に満ちあふれた糞な人種だと僕は断言できる。
君らの方がよっぽど他者の弱さに不寛容だ。
まずひとつ、悪意と正義は両立します。ふたつ、不寛容と正義は両立します。みっつ、正義はそれ自体が目的たり得ます。乙武氏本人のことを考えてみてください。今回の件、高田シェフは自分の店という夢を賭けて戦っているけれども、乙武氏はいったい何を賭けて戦っているんでしょうか? Twitterで拡散して炎上させて、最終的に彼は何を得るんでしょうか? 金? 謝罪? 障害者が受け入れられる社会? ちがいますよね。ああやって「正義」の側に立つことそれ自体が彼の目的なんですよ。なんせ正義はきもちいいですからね。バリアフリーはそれが社会にとって有益だから為されるのではなく、それが正義だから為されねばならないのです。だから、正義の余波で高田シェフの夢の城が潰れようが、社会が停滞しようが、バックラッシュで乙武氏が暴行を受けようが、それはどうでもよいことなのです。
予言しておきますが、この件かならず議員先生が絡んできますよ。障害者と絡めば無条件で正義になれますからね。こんなおいしいチャンスはめったに無いですよ。橋下も今頃歯噛みして悔しがってるでしょう。なんで大阪でやってくれなかったんだ、って。
■無職になりました
長く勤めていた会社を断腸の思いでやむを得ず退職した場合と比べると、
会社は社員100名程度の製造業。中堅というには少し小さいかな。
社員が300名ほどいたらしいが、リーマンショック時にリストラしたようだ。
30代後半で初めて転職活動をし、
採用内定をいただいた会社の中で、社長の話の内容、見学時の会社の雰囲気、
長く働ける良い会社なら。。。いいな。。。
と、思ったのが間違いだった。
経理財務担当で入社。会社将来を担う管理職を想定して採用されたのだが。。。
盛大に歓迎会を開いていただき、
「○○大卒の素晴らしい経歴の方です」
と紹介され、僕もまんざらではなかった。ヤル気だった。
しかし、
さすがに集計はエクセルだったが、
月別の集計表、取引先別の集計表などそれぞれ個別にエクセルのファイルを作っている。。。
ほとんど手書きで書いたことのなかった伝票を、
使い古されて字が薄くなった科目印を使用し、作成していく。
まあ、給料はそこそこだったし、こういう環境で経理をやることによって勉強になるに違いない、
実力が認められれば、システムを改良していく権限も持てるだろう、と楽観的に捉え、勤めることにした。
そして何日かが経つと、会社についてより多くのことがわかり、また驚いた。
・株をすべて親族が持っている。
資本金が少ないのは気になっていたが。。。
これを自社でやっていないということは、事務処理中心?判断ミス。
パソコンの導入方法もわからないので、自らが知った方法で経理業務を行わせているようだ。
・社長。。。涙
社長は非常に言うことがしっかりしていて、僕がこの会社に入社する要因にもなったわけだが、
その社長だから会社はしっかり堅いやり方をしているのだろう、と思ったのだが。。。
実際は非常に低レベルだった。
ああ。。。涙
社長。。。
当たり前のことだけど、それができていなかった。
■突然の異動
会社に入り、2ヶ月が経とうとした頃。。。
突然に工場に移動するように言われました。
なるほどなるほど。
がんばりますよ。
(実際は睡眠不足で本を読む余裕などなかった)
さて、異動してみましたが。。。
昼飯を食べる暇がない。忙しすぎる。
誰か教えて〜と助けを求めるものの誰も教えてくれない。
初めての生産管理ですが、
取引先や工場の人たちにはそんなことは関係ない。
どんどん仕事は進んでいるのだ。
ヘトヘトになって帰宅したら0時。。。
寝るだけ。
最初は嫁が作ってくれたご飯を食べて寝ていたけど、
寝る直前に食べるのも変だし、そもそも食べる気力がない。
そして朝の5時に起きる。
文句を言おうにも、僕以外の社員は僕よりも働いているわけですよ。
この程度で「大変だ〜」なんて言ったら非難されてしまう。
一度、「僕は経理と労務をずっとやってきた人間なので、生産管理は初めてでまだ慣れず、
すでにご迷惑をおかけしており、一生懸命やっているものの、やっていけるか不安」というようなことを言ったら、
同僚のYさんが近づいて来て、
「僕は時給あたり500円もないんですよ。毎日20時間働いて月25日出勤してますからね!」と言った。
それを聞いた僕は、Yさんよりも遥かに給与をもらっているので何も言えなくなってしまった。。。
そうこうしているうちに、新製品の大量生産が始ってしまう。。。
今は200個だから良いけど、この後、500個になる。
200個の今でも昼飯を食べる暇もなく、みんなバタバタしていて、怒号が飛交ってたりするのに、
500個になったらどうなるんだ。。。
怖い。
営業が契約関係をしっかりしておらず、また僕も日々の経理書類が追いついていないので、
外注先や取引先への支払・請求関係がどうなるか。。。
月末の締め後の対応が。。。。絶対に。。。
怖い。
納期に合わせて発注書を書くだけだから難しくないよ、と言われていた。
納入数が200個なので200個発注したら。。。完成品のうち80個が不良品だった。。。
しかもそれを既に次行程の外注先に納品してしまっているんですけど。
代替品がどうとか、材料がどうとか、もう。。。わかりまへんやん。。。
怖い。
月末が怖い。
絶対に僕の責任にされる。。。
会議が。。。怖い。
ということで今なら円満に退職できる可能性があると判断し、
さあ、次。次はちゃんと会社を選ぶぞ!
(逆に良い人だからこそ続けていられるのかもしれないが)
その点は良かったんだけどなあ。
最後の出勤日の帰りは、仲良くなったUさんに車で駅まで送っていただきました。
Uさんは今まで僕のような人を何十人も見てきたらしいです。
「倒れたり、鬱病になっていないだけましですよ〜ははは」
ああ怖い。
中堅企業で、責任ある立場で社会貢献したいという僕の目論みは甘かった。
http://anond.hatelabo.jp/20120725160524
ごめんなさい涙
2007年から2009年にかけて、2年弱ではあるが、外資系金融で派遣社員として働いていた。
外資系企業で働くということは、私にとって、黒船到来とでもいうべきエポックメイキングな出来事だった。
日本のベンチャー企業で解雇の憂き目に逢い、1年以上ニートをやっていた30歳過ぎのキャリアもない女性に仕事などなく、
私は今でこそ「社畜」と形容される日本の会社の風土そのものに全く馴染めない社会不適応者であるのだが、外資系企業は、
そんな私でも馴染む組織であるということを働いてみて初めて知った。
日系大企業に見られる「社畜」の風習である、空気を読む、他者迎合、足の引っ張り合い、残業していることをPRするための
残業(残業自慢)、横並び意識、おべっか、滅私奉公、給料=我慢料、「あれをこうして」という抽象的で意味不明な指示、
非ロジカルな会話、議題のない長時間の会議、社内政治、客よりも組織内の利益を優先する、奴隷営業、就活の茶番、パワハラ、
セクハラ、長い物には巻かれろ、付和雷同、といったありとあらゆる理不尽を永遠に繰り広げる旧陸軍のような環境そのものが、
反吐が出るほど嫌いだった。
しかし、外資系企業では、これら当たり前だった日系企業の風習が、随分緩和された環境であるということを経験した。
もちろん、外資系企業といえど、日本人社員が比較的多い組織を渡り歩いたので、上述のような風習が全くないというわけではない。
それでも、日系企業の「社畜」に囲まれる空間より、居心地が良かった。
景気悪化により、2010年より、私は日系企業に再び戻ることになった。典型的なドメスティック企業で、旧態依然とした社風に
発狂しそうになった。それでも、自分の希望する職種であったため、社畜集団しかいないということは織り込み済みで働くことにした。
面接した当初、直接雇用を視野に入れているという言及があったものの、後にカモフラージュであることが判明。
勤務先の管理職より、先月6月の株式総会後、経営方針の変更等という上っ面の理由で、
直接雇用はしないという旨を暗に諭され、転職活動を真剣に視野に入れるようになった。
ダイレクトかつストレートかつ正直に現況を述べず、オブラートに包むやり方は、いかにも日系企業らしい。
会社から直接契約終了とは告げず、私が辞めてくれるのを手ぐすね引いて待っているような状況である。
自分たちは決して悪者にはなりたくない。。。
怒りすら生じなかった。
以前、就業していた派遣会社に問い合わせたところ、早速現在の仕事に類似した外資系企業を紹介された。
このご時世、このようなタイミングで希望する職種に近い求人があるのは非常に珍しい。
派遣といえど、リーマンショック後は、書類選考や面接を行い、スクリーニングするようになった。
誰でもできるような一般事務で、誰もが知っている大企業の求人になると、50人〜100人くらいの応募者が殺到することすらある。
企業の選びたい放題である。完全に買い手市場だ。現在の私のポジションも、3〜4人面接を行い、最終的に私にしたと管理職から聞いた。
この2年半で、外資系企業に再び戻って働きたいという渇望は募るばかりで、過去の経験に基づく事実が心の中で勝手に膨張され、
妄想になっているのではないかという懸念はあった。片思いの人に入れこみすぎて、リアルな人物像よりも勝手に素晴らしい人物像を
今回は、そんな妄想を打ち破る現実に直面するかもしれないという覚悟はしていた。同時に同業他社動向を知りたいという好奇心もあった。
■面接で聞かれたこと
全部で4人の方と面接した。
日本の会社のように「自己紹介をしてください」という決まり文句からはじまり、新卒から現在に至るまでの経歴を延々と述べることはあまりない。
外資系企業の多くは、予めレジュメ(履歴書)は閲覧しているので、気になる点をピンポイントで質問するというパターンが多い。
転職歴の多さ、年齢、既婚未婚、協調性、弊社を選んだ理由といった典型的な質問や、会話のあいまいさに起因する論旨の不明瞭さ
今回の会社では、直近に携わっていた仕事をどこまで踏み込んでやっていたのか、何ができるのか、という1点に絞られた。
私は具体的な数字を述べ、先方に業務タスク量が明確にイメージできるよう述べた。また、業務裁量に関しても、具体的に
どこまで自主的に仕事に取り組んでいるのか、先方に理解できるようPRした。
その後、現在の勤務先の取扱商品数と、取扱金額も質問されたので、明確な数字を述べた。
面接した企業と、現在の勤務先のビジネス規模は殆ど同様であるということが判明した。
そして、今後携わる仕事内容について、詳細な説明がなされた。
現在の仕事と先方の業務内容で、決定的に違うポイントをその場で端的に指摘された。
そして、その違いが、先方の業務の肝であるということが面接を通じてお互いに理解できた。
このような理解に至るのは、面接官が非常にロジカルに会話を展開するからだろう。
現在の勤務先で自分が携わっていることを詳細に質問するので、自然とPRに熱が入る。
日本の会社はどちらかといえば、圧迫面接に近い感じがするのだが、外資系企業の多くは、ポジティブに過去の業績をPRしたくなる雰囲気がある。
狙ったわけではないが、業務上最新の注意を払っていることについて、述べた所、何故か「オチ」のあるギャグになってしまい、周囲が笑いに包まれた。
久々に外資系特有の「会話のテンポやノリ」に触れることができた。
今回の求人は、携わっていた正社員が海外移住するとのことで、ポジションが空いた求人だった。しかし、本国のバジェットの都合等の理由で、
正社員のヘッドカウント(頭数)が正式に降りず、申請中との説明を受けた。ただ、打診は行っている最中であるとのことで、私のパフォーマンスと、
本国からのヘッドカウント承認如何では、そのまま直接雇用の可能性があるとのこと。その一方、私のパフォーマンスが悪い、もしくは、
本国のバジェットの都合で雇用は1年契約で見送る可能性もまだ残されているため、その場合、雇用契約は終了する可能性があるという説明も受けた。
要は、首になるというリスクを予め、面接時に開示している。会社の保守的な(悪くいえば都合の良い)防衛策でもあるのだが、
日本企業の期待をほのめかしながら、最終的に公約違反を平気でやってのける卑怯なやり方よりは、随分良心的である。
■業務内容のロジカルな説明について
業務内容の説明時に、一通りメモをしていた。現在の業務に関連する仕事ではあったものの、業務特性は異なることが判明。
私は現在、編集土方として制作物をリリースしているが、外資系での仕事は、編集コーディネーター(執筆者とのリエゾン)
としての要素が非常に強い業務内容だった。
面接官の説明が、非常にロジカルだったせいか、メモの内容を友人に話すだけで、非常に明瞭な業務内容の説明になっていた。
私は人前で何かを説明するのはおろか、吃音なども多少あるので、基本的に会話が苦手である。しゃべることができない。
しかし、メモを読むだけで、誰にでも分かるような業務フローを述べることができた。
それくらい、面接官の説明がロジカルで明瞭だったのだろう。キレのある人達だった。
■業務プロフェッショナルとして
過去の私の経歴をざっと説明していたとき、面接官でトップの人が、法的専門知識に関することをポロッと余談のように言及していた。
その知識は、現在の勤務先の部課長よりも、明らかに深い内容であった。
非常に嬉しかった。
しかし、焦点は編集作業員から、編集コーディネータ要員という毛色の異なる業務に注力できるか、否かということだった。
結論としては、私は編集作業員(土方)としての経験がなかった時から、編集業務を全うできるだろいうという根拠のない自信はあったが、
コーディネーターとして業務を全うする自信はあまりないと判明した。
友人曰く、「コーディネーターとして采配を振るう仕事は、あなたが例えばマネージャー以上の権限のあるポジションだったら、
強く出ることはできるのでやりやすい仕事だと思うが、派遣という立場をあなたが意識してしまうと、調整業務に支障が生じる公算が大きい。
あなたは、力のあるポジションじゃないという理由で被害妄想を抱き、ひるんだり、やる気をなくしたりする弱さがある」と。
友人の指摘の通りである。
悩みに悩んだ末、今回は辞退させていただいた。
たった40〜50分の面接で知り得た断片的な商慣習、そこで働く人、カルチャー。。。
同じ日本人でいながら、黒船に乗った人々は、もはや、日本人の面をした、外国人なのである。
きっと、あの組織ならば、満足度の高い環境で仕事ができるだろう。
しかし、どんなに環境が良くても、不得手な仕事を長く続けられるかといえば、NOなのである。
そう思ったとき、現在の自分の仕事に、かなりの自負があるということに気がついた。
精神病を発症させ、毛嫌いしている日系企業で、社畜として猛烈な我慢と忍耐を強いられながら、
■熱病
できれば、一生おさらばしたい。
もう、こうなると、ただの熱病のような岡惚れといっても差し支えない。
私は熱病にうなされながら、次を目指す。
だからさ。「女性に専業主婦を望む男性が何割かいて、そのニーズに合わせる女性も何割かいる」わけよ。
女性に専業主婦を望む男性しかいない、とか言ってるんじゃないでしょ?
増田さ。他人と「パートナーになる」ってこと、わかってる? 「俺はお前に専業主婦になって欲しいんだけど、俺に言われたからなるなんて言われるのは心外だから、言わない。でも、俺の希望はわかってるよなあ?」とか言うの? 違うでしょ? お互いに「どういう生活をしたいか」を話し合って、どうするかを断腸の思いで決めていくんだよ。話し合いの折り合いがつかなければ、どれほど好きな相手であろうと別れることもあるし、それほど好きでもなくても、お互いの希望がなんなくすり合わせられるなら結婚してうまくやれるかも知れない。
増田みたいに最初から「オトコガー」とか言うな。なんて言ってたら、話し合いも出来ないじゃんよ。就職のことじゃなくても、増田だって奥さんに希望したいことはあるでしょうが。それをいちいち「俺の希望を通した」なんて言われたくないから黙ってるなんてわけじゃないよね? 要望を出す必要もないほど、増田のことをわかってる奥さんとか?
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220より。
http://anond.hatelabo.jp/20080726023345を受けて。
まあ、どのくらいの数の白泉男子がそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない花ゆめコミックスの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、2000~2009年の花とゆめコミックスのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に花ゆめを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う20巻、30巻越えの漫画は避けたい。
できれば巻数1桁、長くても既刊10巻にとどめたい。
あと、いくら花ゆめ的に基礎といっても時期がずれすぎるものは避けたい。
テニス好きが『しゃにむにGO』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。(連載開始が98年だから)
そういう感じ。
彼女の設定は
花ゆめ知識はいわゆる「花ゆめ黄金期」的なものを除けば、ドラマ版「ガラスの仮面」程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「オトメン以前」を濃縮しきっていて、「オトメン以後」を決定づけるだろうという点では
外せないんだよなあ。長さも既刊10巻だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
このトキメキ過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな花ゆめコミックス(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「白泉男子としてはこの二つは“神漫画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の歴史漫画オタが持ってる江戸への憧憬と、ゆるゆるのオタ的な架空歴史へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも津田雅美な
「耽美的なかわカッコよさ」を体現するソウビ
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「どろろだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後も続いていること、これが単行本では収録順大変更になったこと、
少年漫画なら能力バトルになって、頭脳戦が展開されてもおかしくはなさそうなのに、
少女漫画でそういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり恋愛は障害を乗り越えるものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「赤髪の白雪姫」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるふじつか雪の思いが好きだから。
断腸の思いで伸ばしに伸ばしてそれでも全2巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「続ける」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
金魚奏の短さを俺自身は短絡とは思わないし、もう伸ばせないだろうとは思うけれど、一方でこれが
美内すずえや魔夜峰央だったらきっちり未完の大長編にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて2巻に収めてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたもの膨らませきれないオタク」としては、たとえふじつか雪がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で蛍火見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
夏目友人帳よりも前の段階で、緑川ゆきの哲学とか漫画技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がLaLaDXでこの時代に掲載していたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく白泉社好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる夕方再放送アニメでしか夏目を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
ふじもとゆうきの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない群像劇を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『学園アリス』最終話は「俺たちの学園生活はこれからだ」以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
加速剤はキラメキにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうフェティシズム風味の愛欲をこういうかたちで漫画化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
オトメンから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、アニメ化から始まるハルヒブームの先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
「鳩山さんはなぜ平気でうそをつく?」
鳩山由紀夫首相は23日、沖縄県を訪れ、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先を名護市の辺野古とする方針を県側に初めて表明した。仲井真弘多知事は「大変遺憾で極めて難しい」との認識を強調した。日米両政府は28日に合意文書を発表する方向だが、県側で反発が強まるのは確実。社民党の福島瑞穂党首も反対を表明し、党内では政権離脱論も浮上した。
首相は午前10時半ごろに県庁を訪問。知事と向き合って着席したが、ほとんど目を合わさず無言のまま。知事に発言を促されると、意を決したように紙を取り出し読み上げた。現行計画とほぼ同じ結論で「断腸の思いで下した。県外との言葉を守れず大変混乱を招き、心からおわびする」と陳謝した。会談は約20分で終了。4日の初訪問時には知事と握手を交わしたが、今回はしなかった。
その後、県北部12市町村長らと会談。名護市の稲嶺進市長からは「鳩山政権が掲げる友愛政治を自ら否定するものだ」と詰め寄られた。会場の外には「沖縄差別許さん」などと書かれた紙や横断幕を掲げた市民約1000人(主催者発表)が集結。約1時間の会談終了後、首相の乗った車が猛スピードで通りすぎると「帰れ、帰れ」と怒号を浴びせた。
初訪問時のような市民との対話集会はなく、首相が行く先々で激しい抗議が行われた。県警は初訪問時より多い約900人態勢で警戒。13年余り移設反対の座り込みを続ける嘉陽宗義さん(88)は「なぜ鳩山さんは平気でうそをつけるのか。だまされる方が悪いとでも言うのか」と声を荒らげた。
鳩山の空想に振り回された沖縄の人には同情するけどさ、でも今回に限って言えば、騙される側にも問題ありでしょ。
あの鳩山がそんなに信頼できそうな人に見えたの?
もしそうだとしたら、ちょっと目が曇りすぎなんじゃないの?
「相手が嫌がっても洗脳して相手に好きと思わせる」ということしか伝わってこない。洗脳して自分の思い通りの言葉を言わせて楽しいか? 俺は空しいぞ。まあそれが好きな人もいるだろうが、俺はそういう人とは友達になりたくない。
後は「相手に気に入られることを沢山して好きになってもらう」くらいしか思い浮かばないが、それはお前が一言も言っていないことだし、それがお前のメンタリティなんだろうな。
ついでに俺は元増田じゃないから何とも言えないが、「恋愛が全てだし、そのために全てが許される」という感覚はかなり危ない。普通は多くの人はそこまで踏み込まないで恋愛に向き合っているはずだ。それが自明だと思われても大変困る。
普通の人は恋愛の最中でさえ、恋愛より日々の生活が大事だし、オタクだったらゲーセンや同人誌即売会などの娯楽の方が大事だという人もいるだろう。元増田も「人の気持ちを汲む」という倫理の方が大事だと思う。その結果、断腸の思いで恋愛を放棄して、その苦しみに悲鳴を上げたところで、恋愛よりも倫理を選んだその選択は尊いものであって、否定する資格は誰にもない。
特に外野が「恋愛を選ぶのが当然であって、選ばない奴は死ねばいいのに」と言ったとしたら、その視野狭窄っぷりにはポカーンとしか言えない。恋愛は人をそんなに視野狭窄にしてしまうんだ。怖いな。
俺は恋愛している最中も別にフツーだったし、ゴム使わないと人生設計狂うな、程度のことは思っていたけど、フツーの奴の方が少ないんだろうか? ちょっとマジで悩む。
俺、左目の視力がほとんどないんですよ。生まれつきの白内障とかで。
そうなると、両眼視差を利用した立体映像は楽しめない訳ですよ。一生ね。
うわーん。
で、普段は片目でみるのに慣れてるのでなんとも思わないですが、ふと思い出すんですよ。
小学1年ぐらいのときに眼科にいって医者に言われたんですよ。手術でよくなる可能性もあるけどやってみるかいと。
そしたら母親が間髪いれずにいったんですよ、「いいでしょ、見えなくても」と。で俺は「うん」と。
なんかそれをはっきり覚えていて、うわーそんなこというか、と。でも多分お金の問題だろうなと、
すぐさま察知して瞬間的にあきらめてましたね、俺は。
それを思い出すと、やっぱ母親を責めたくなる気持ちがわきあがるんですよ。いやーな気分が。
でも俺も30歳の完全なおっさんなわけで、母親との関係も悪くなく、蒸し返すつもりは全くない。
でもあのとき母親の気持ちはどんなだったんだろうという興味はある。断腸の思いだったんだろうか。
それともあまりたいした問題とは思ってなかったんだろうか。もしかしたら覚えてないかもなー。
で、なんか自分の子供が心臓病とかの難病で寄付とかを募るニュースがあったりするじゃないですか。
あれ、相当しんどいだろうなと。どうすればいいのかと。諦めれば「自責の念 + 親戚の冷たい目」、
そうじゃなければ、すべてを犠牲にしなければならない。あげく死ぬ死ぬ詐欺とかいわれて。
子供作るのって、本当怖いと思う。
バカだけど。
個人が短時間で幸せになれる政策ばかり言ってるんだから、国民の大多数がそれを望むのは当たり前。
本当は国全体が幸せになるために長期的な政策を進めていく必要があるのに、それは民意が許さない。
ってのが、今回の選挙だと思う。
あと、研究費のムダを審査すること自体は良いことだと思うけど、
それを子供手当てや高速無料化と天秤にかけて判断していない所が問題。
「この予算はさすがに削れないから、子供手当てを少し減らしてなんとかしよう」
みたいな柔軟性が一切ない。前提に公約実現があるからこうなる。
「財源あるってのは嘘でした」ってさっさと認めて、公約の内容にも手をつけて欲しい。
それから、個人的に、仕分け人の態度が気に入らない。
「どの予算も断腸の思いで削減しているのだ」ってのをもうちょっと態度に出して欲しい。
あと、税金の使い道の妥当性を調べているのだから、
そろそろきつくなってきた。テレビ見ててもちょっとキレイな娘が出るとノータイムで痴態を妄想してしまう。最近充実してる素人系エロビデオに慣れ親しんでるので、大抵の娘ならパターンにハメて脳内で脱がしてハメることが可能になってることに気づく。ダメだ。
テレビは刺激が強いので、小説でも読もうと思って、途中まで読んでたハルヒの憤慨を開く。中編ワンダリング・シャドウはハルヒが学内大会のバレーボールをしてるのをキョンが観戦するシーンから始まるが、キョンがハルヒのへそに興奮しそうで逡巡してる描写があったが、自分はなぜか汗だくになってるハルヒの臭いを想像してしまい妙に興奮する。ラノベ読んでもこれか。逃げ場がないぜ。
DMMレンタルからエロDVDが届いてしまった。ウィッシュリストからエロ系削除するの忘れた。
最初のインタビューシーンだけならいいだろう(いいわけあるか)
見たら、最初の面接で即ハメしながらインタビューだった。すげー燃えそうだが断腸の思いで再生窓を閉じた。ちくしょう、こんなときに大当たりのAVを引くなんて。オナ禁一段落したときのご褒美にしよう。
まあ、どのくらいの数の高岡信者がそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「達人ではまったくないんだが、しかし自分の極意趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない極意の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、信者の都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、極意のことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に極意を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、金銭的に過大な負担を伴う高岡英夫直接指導の講座は避けたい。
できれば専門指導員の講座にとどめたい。
あと、いくら極意的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
極意知識はいわゆる「ラジオ体操」的なものを除けば、フィットネスでピラティス程度は体験している
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「スティフルクラムの解体」を濃縮しきっていて、「フリーフルクラムの世界」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも自由だし。
ただ、ここで極意トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、信者側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「信者が考える一般人に受け入れられそうな極意(そう信者が思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「高岡信者としてはこの二つは普遍的な極意だと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の武術系極意の達人が持ってる体捌きへの憧憬と、高岡英夫のバイオメカニクス的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも高岡英夫な
の二つをはじめとして、信者好きのするネタをメソッドにちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「中国武術のタントウ功だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の鍛錬がその後続いていないこと、これが日本では大人気になったこと、
日本なら太気拳になって、それが中国に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非達人彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり極意は武術のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「ベスト」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、このメソッドにかける高岡の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削って裏側だけにして、それでも天地の果てに達する、っていうストラクチャーのスケールが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにも極意的だなあと思えてしまうから。
ウォールの大きさを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
ベストや丹田だったらきっちり身体内に収まってしまうだろうとも思う。
なのに、意識操作で脳疲労を起こしながら巨大な身体意識を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の身体意識を形作ってきたものが捨てられない達人」としては、たとえ高岡英夫がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。メソッド自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で呼吸法をやったことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ゆるよりも前の段階で、高岡のカリキュラムとか身体操作技法とかはこのメソッドで頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティのメソッドが高岡英夫直接指導でこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく極意好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるゆる体操でしか高岡英夫を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
身体の「ゆるみ」あるいは「重みづくり」を達人として教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「意識操作が他人の感覚を巻き込む」的な感覚が達人には共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ極意第一教程最終講座は質重量体操法以外ではあり得なかったとも思う。
「巻き込まれた」という達人の感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「達人の気分」の
源は質重量体操法にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう戦前の携行術をこういうかたちで講座化して、それが非達人に受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にゆる体操を選んだ。
基礎ゆるから始まってゆる体操で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ゆる教会以降のゆるゆる棒時代の先駆けと
なったメソッドでもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいいメソッドがありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
いぇい
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数のイスラムオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないイスラムの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、イスラムのことを紹介するために見せるべき10冊を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う4巻、6巻のシリーズは避けたい。
あと、いくらイスラム的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
イスラム知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、高校倫理と世界史程度はかじっている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「井筒以前」を濃縮しきっていて、「井筒以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。厚さも文庫一冊だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
片倉もとこ『イスラームの日常世界』(岩波新書)、桜井啓子『日本のムスリム社会』(ちくま新書)
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな入門書(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「イスラムオタとしてはこの二つは“エッセンス”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のイスラム神秘主義オタが持ってる愛への憧憬と、ペルシア文芸のオタ的な悲劇へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも谷口悟朗な
「童貞的なださカッコよさ」を体現するマジュヌーン
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「聖書学だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが東洋学では古典になったこと、イスラム世界の伝統とは相容れず、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
佐藤次高・鈴木董・坂本勉編『新書イスラームの世界史』(講談社現代新書)
「やっぱり新書は一般のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』(岩波新書)
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける著者たちの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも三巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
全三巻の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが『新書アフリカ史』や『物語△の歴史』(中公新書)だったらきっちり全一巻にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて全三巻を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ著者たちがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で神戸モスクや東京ジャーミーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
現段階でイスラム建築研究の制度的担保がなされていない日本において、関連する新書はこの作品以外にはほとんどないとも言えて(中公新書の『モスクが語るイスラム史』は絶版)、こういうクオリティの作品が日本でこの時代にようやく出てきたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくイスラム好きとしては不思議に誇らしいし、報道や資料集でしかイスラム建築を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
マルジャン・サトラピ『刺繍―イラン女性が語る恋愛と結婚』(明石書店)
現地女性の「目」あるいは「語り」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。「座学の教義理解からはとらえられない地域の日常を毎日生きる」的な感覚がイスラム教徒には共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ地域を知るための基本書は『もっと知りたい○』(弘文堂)、『暮らしがわかるアジア読本●』(河出書房新社)、『◎を知る■章』(明石書店)以外ではあり得なかったとも思う。
「日常を生きる」というイスラム教徒の感覚を知りたいという気持ちが今日さらに強まっているとするなら、その「理解」の源は現地の声をじっくり聴くことにあるんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう日本人イスラム教徒のイスラム理解をこういうかたちで書籍化して、それが非イスラム教徒に受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
井筒から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
まあ、どのくらいの数のボクオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないボクシングの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、ボクシングのことを紹介するために
見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にボクシングを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、WOWOWやリングジャパンのビデオでしか見られないボクサーは避けたい。
あと、いくらボクサー的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
空手好きが『船越義珍』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ボクシング知識はいわゆる「亀田」的なものを除けば、タイソン、ガッツ程度は知っている
格闘技への理解度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「辰吉以前」を濃縮しきっていて、「辰吉以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。一応、本人的にはまだ現役だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多なボクサーについて、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなボクサー(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ボクオタとしてはこの二人は“アスリート”として優れてる思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のボク漫オタが持ってるソビエト科学的トレーニングへの憧憬と、クロスカウンターへのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも協栄的な
をはじめとして、オタ好きのするキャラをキャリアにちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶん川島のスリッピングアウェー見た彼女は「この人、たくさん殴られて痛そう」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜のボクサーがその後続いていないこと、ブエノ戦で大熊アナが実況中に泣いちゃったこと、
アメリカならスーパースターになって、ジュニア・ジョーンズやタピアなんかとビッグマッチが組まれてもおかしくないのに、
日本国内でこういうのが評価されないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「ボクサーって女のコより軽いんだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「井岡弘樹」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、八尋のいかにも軽量級って体格が好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも108ポンド、っていうウェイトが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「自分の非力を補う」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
八尋のボクシングを俺自身は弱いとは思わないし、ガメスともよく戦ったと思うけれど、一方でこれが
ロペスやカルバハルと当たってたらきっちり失神してしまうだろうとも思う。
なのに、ろくにメシ食わないでジュニアフライのウェイトを作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ八尋がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。小見山戦の右アッパーと合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でナオト見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
『はじめの一歩』よりも前の段階で、ボクシングの逆転劇とかカウンターの美学とかはこのボクサーで頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティのボクサーが後楽園ホールをこの時代に熱狂させていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくボクシング好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる亀田でしかボクシングを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
吉野の「天賦」あるいは「K-1進出の先鞭」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「ボクシングは壮絶であるべき」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ「鼻の骨を耳の後ろに移植して戦い続ける」というエピソードは吉野以外にはありえなかったと思う。
「ボクサー=壮絶にストイックな生き物」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「壮絶な気分」の
源は吉野にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に左一本でのノックアウトを楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうギミック風味のボクシングを「兄弟対決」なんて演出で見せて、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に鬼塚を選んだ。
辰吉から始まって鬼塚で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、先代逝去以降の協栄疑惑の先駆けと
なったボクサーでもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいいボクサーがいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
…
まあ、どのくらいの数のミスオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「ミスオタではまったくないんだが、しかし自分の探偵小説趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない日本の古典探偵小説の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、戦前と戦後の日本の探偵小説のことを紹介するために読ませるべき10本を選んでみたいのだけれど。
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う三大奇書は避けたい。
できれば短編、長くても中編程度の分量にとどめたい。
あと、いくら戦後を含むといっても高度経済成長期の雰囲気を醸し出す作品は避けたい。
古典SF好きが筒井康隆は外せないと言っても、それはちょっと現役だし、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ミステリ知識はいわゆる「少年探偵団」的なものを除けば、シャーロック・ホームズ程度は読んでいる。犯人当ては苦手だが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「本陣以前」を濃縮しきっていて、「本陣以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも丁度いいし。ただ、ここで探偵小説批評トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
このプロットの複雑な作品について、どれだけさらりと、ネタバレにならず単調すぎず、それでいて必要最小限の宣伝惹句を彼女に伝えられるかということは、ミスオタの「編者解説&訳者あとがき能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「ミスオタが考える一般人に受け入れられそうな探偵小説(そうミスオタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。「ミスオタとしてはこの二つは“文学”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFオタが持ってる科学への憧憬と、新青年監修のミスオタ的な本格トリックへのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも海野的な
を中心として、昭和の香りのするとぼけた世界観を作り上げているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを読んだ彼女は「八○屋○○だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。大阪圭吉が戦死したこと、彼の作品が戦前の推理小説としては破格の完成度を持っていること。戦後なら実写テレビドラマになって、それがお茶の間を賑わしてもおかしくはなさそうなのに、死んでからはその存在すら忘れられてしまったこと、なんかを非ミスオタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり本格探偵小説は男性読者のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『牧師館の殺人』でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける水谷準の思いが好きだから。
断腸の思いで女流探偵キャラを作って、彼女が車椅子の障害者、っていうのが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「社会的弱者」への視線がいかにも新青年的な左翼だなあと思えてしまうから。
カナカナ姫の性格を俺自身は詮索好きとは思わないし、限りなく魅力的とは思うけれど、一方でこれが乱歩や正史だったらきっちり狂人にしてしまうだろうとも思う。
今の若年層で岡本綺堂を読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。乱歩よりも前の段階で、探偵小説の技法とかは捕物帳で基礎を築いていたとも言えて、こういうクオリティの作品が雑誌連載でこの時代に載っていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく探偵小説好きとしては不思議に誇らしいし、岡っぴきといえば銭形平次くらいしか知らない彼女には読ませてあげたいなと思う。
夢野の「近代の文学は総て探偵小説である」という思想をミスオタとして伝えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「狂気と近親相姦」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ最近の妹萌えブームは『瓶詰地獄』以外ではあり得なかったとも思う。
「社会から逸脱して虚構的性愛を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は『瓶詰地獄』にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。こういうゴシック風味の殺人事件をこういうかたちで密室化して、それが非ミスオタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に神津恭介を選んだ。
密室から始まって密室で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、戦後の社会派ミステリの先駆けとなった作家の処女作でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの幻影城は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
改変元:アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
まあ、どのくらいの数のミリオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「ミリオタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないジェット軍用機の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、オタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、ジェット軍用機のことを紹介するために見せるべき機体を10機ほど選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に『世界の傑作機』を買わせるのではなく、相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、資料集めに過大な負担を伴う輸送機とか哨戒機は避けたい。
できれば西側の機体、東側でも有名な機体にとどめたい。
あと、いくら航空技術的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
イギリス機好きが『ミーティア』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあと思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
軍用機知識はいわゆる「トップガン」的なものを除けば、基地祭でブルーインパルス程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりこれかよとも思うけれど、「ベトナム戦争以前」を濃縮しきっていて、「ベトナム戦争以後」を決定付けたという点では外せないんだよなあ。総生産数も5000機以上だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この生産数過多な戦闘機について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人にも受け入れられそうなジェット戦闘機(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「オタとしてはこの二機は“飛行機”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の戦闘機無用論者が持ってる高速爆撃機への憧憬と、レイピアが護衛するオタ的な戦略空軍へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えて
の二つをはじめとして、オタ好きのするスペックを機体にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ハリアーだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜のVTOL機がその後Yak-141に続くこと、その技術がアメリカに入ってX-35Bになったこと、そしてF-35Bになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、自衛隊にはそんな気がまったくないだろうこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり空軍といえば阻止攻撃だよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「フェンサー」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この機体にかけるマクナマラの思いが好きだから。
断腸の思いで重量を削って、でも海軍型はダメでしたっていう結果が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「計画を統合する」ということへの諦めきれなさがいかにも非効率的だなあと思えてしまうから。
可変翼を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれがマクナマラ以前の米軍だったらきっちり用途ごとに分けて開発してしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて空海の機体を統合してしまう、というあたり、どうしても「同じエアフレーム使ってコスト削減という幻想が捨てられないオタク」としては、たとえマクナマラがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。トーチングの美しさと合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でミグ15見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
朝鮮戦争の段階で、ミグ設計局の哲学とか技法とかはこいつで西側レベルに達していたとも言えて、こういうクオリティの戦闘機がロシアでこの時代に作られていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくソ連機好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるベレンコ中尉亡命事件でしかミグ戦闘機を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
サーブの「STOL」あるいは「軽戦闘機づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「高速道路のどこからでも離陸したい」的な感覚が小国には共通してあるのかなということを感じていて、だからこそlight『群青の空を越えて』の主役機はグリペン以外ではあり得なかったとも思う。
「軽戦闘機を分散配置して生かす」というスウェーデンの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「専守防衛の気分」の源はドラケンにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に可愛がってもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうブーメラン風味の全翼機をこういうかたちでステルス化して、それが非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9機まではあっさり決まったんだけど10機目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にラプターを選んだ。
ファントムから始まってラプターで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、21世紀の空を支配することを義務づけられた戦闘機でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい機体がありそうな気もする。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんと変態ブリテン脳に入れ替えてやる」という反応は大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
改変元→http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数のハロヲタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「ハロヲタではまったくないんだが、しかし自分のヲタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない最近のHello!Projectの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、最近のハロプロを紹介するために
聴かせるべきシングル10枚を選んでみたいのだけれど。
(要は「宇多丸のマブ論」の正反対版だな。彼女にアイドル世界を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、経済的に過大な負担を伴うイベントDVDやコンサートDVDまでの言及は避けたい。
できればマキシシングル、例外としてミニアルバムも可としたい。
あと、いくらハロプロといっても古びを感じすぎるものは避けたい。
市井ヲタが『青いスポーツカーの男』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じなので、2003年以降の作品に限った。
彼女の設定は
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「辻加護卒業以前」を濃縮しきっていて、「辻加護卒業以後」と「久住加入以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。2もあるし。
ただ、ここでヲタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、ヲタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「ヲタクが考える一般人に受け入れられそうなユニット(そうヲタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ハロヲタとしてはこの二つは“混成ユニット”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のアイドルヲタが持ってるアダルトなエロスへの憧憬と、あき竹城監修のクチャーズ的な衣装へのこだわり((そんな事実はない))を
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもつんく♂な
の二人をはじめとして、ヲタ好きのする仕草を振り付けにもちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを聴いた彼女は「ビーチボーイズだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが美貴ヲタでは大人気になったこと、
美貴ヲタならこれがミリオンになって、ハロプロ大復活の原因になってもおかしくはなさそうとすら思っているのに、
キッズヲタにこういう感性が理解されないこと、なんかを非ヲタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりハロプロは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「Buono!」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるnkskの思いが好きだから。
断腸の思いで雌伏の時期を経てそれでもイマイチ意味不明のユニット、っていう不遇さが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「キッズオリメン」ということへの諦めきれなさがいかにもnksk的だなあと思えてしまうから。
nkskのダンスを俺自身は最高とは思わないし、まだ伸びしろはあるだろうとは思うけれど、一方でこれが
夏焼雅や鈴木愛理だったらきっちり一万枚は売ってしまうだろうとも思う。
なのに、がきさん・みっつぃー・nksk・ちさとでユニットを作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないハロヲタ」としては、たとえnkskがそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今のキッズヲタで安倍のシングルもチェックしてる人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
キッズ発表を含むハロマゲドンよりも前の段階で、つんく♂の哲学とかアイドル理念とかはこの人物で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がセールス的に振るわなくてもこの時代にもリリースできるんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくハロプロ好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる黄金厨的視点でしか安倍なつみを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
嗣永桃子の「尻」あるいは「キャラづくり」をヲタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない青春を毎日生きる」的な感覚がヲタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ2007年SSAでのBerryz単独コン「桜満開 Berryz工房ライブ?? この感動は二度とない瞬間である!」のクールダウン用VTRは本作所収の「ありがとう! おともだち」以外ではあり得なかったとも思う。
「青春化した30代を生きる」というヲタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「ヲタクの気分」の
源は「ありがとう! おともだち」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう女は早起きして薄化粧くらいしとけ風味の恋愛をこういうかたちで歌詞にして、それが非ヲタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に℃-uteを選んだ。
娘。から始まって℃-uteで終わるのは全然収まりはよくないんだろうけど、℃-uteのメジャーデビューとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。℃-uteに全く触れないわけにもいかなかったし。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
まあ、どのくらいの数のイ映オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のイ映趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないインド映画の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、インド映画のことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にインド映画を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う休憩2回、3回のインド映画は避けたい。
あと、いくらイ映的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
無声映画好きが『ハリシュチャンドラ王』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
インドの知識はいわゆる「カレーで美人」的なものを除けば、旅番組程度はたまに見ている
映画好き度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「DDLJ以前」を濃縮しきっていて、「DDLJ以後」を決定づけた
という点では外せないんだよなあ。長さも189分だし。ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、
彼女との関係が崩れるかも。この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、
それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション
アレって典型的な「オタクが考える日本の一般人に受け入れられそうなインド映画
(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「イ映オタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFイ映オタが持ってる東南アジアへの憧憬と、シンガポール観光局たぶん未監修の
オタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えて
いかにもローシャン兄弟な
「山奥のおばあちゃん子的なださカッコよさ」を体現するクリシュナ
「山奥のおばあちゃん子的に好みな女」を体現するプリヤー
の二人をはじめとして、イ映好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「七人の侍だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがインドでは大人気になったこと、インドなら10年ごとに
リメイクされて、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、近年日本国内でこういうのが
つくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりインド映画は未婚男性のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは
「ヴィールとザーラ」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるカーンの
思いが好きだから。断腸の思いで削りに削ってそれでも2時間54分、っていう尺が、どうしても俺の心を
つかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えて
しまうから。 MHN の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、
一方でこれがバンサーリーやヴァルマだったらきっちり2時間30分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に歌掛けて唾かけさせて2時間54分を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の
物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえカーンがそういうキャラでなかった
としても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でラジニ映画見たことある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
パダヤッパよりも前の段階で、ラヴィクマールの哲学とか特撮技法とかはこの作品で頂点に達していた
とも言えて、こういうクオリティの作品がタミル映画でこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくイ映好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるタミル政治問題でしかラジニを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
レカーの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、
ということではなくて。「終わらない踊り見物を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかな
ということを感じていて、だからこそアイシュワリヤ&アビシェク夫妻の初リメイク作はウムラオ・
ジャーン以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その
「オタクの気分」の源はウムラオ・ジャーンにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも
口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちでテルグ映画化して、それが非オタに
受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にKHNHを選んだ。
DDLJから始まってKHNHで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降の海外フルロケ時代の
先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の特殊部隊オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「特殊部隊オタではまったくないんだが、しかし自分の特殊部隊オタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない特殊部隊の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、特殊部隊ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、特殊部隊のことを紹介するために
見せるべき10部隊を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に特殊部隊を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、理解に過大な負担を伴う発展途上国の特殊部隊は避けたい。
あと、いくら特殊部隊的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
特殊部隊知識はいわゆる「GIジェーン」的なものを除けば、ネオ麦茶事件程度は知っている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「グリーンベレー以前」を濃縮しきっていて、「グリーンベレー以後」を決定づけたという点では
ただ、ここでベトナム戦争トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な部隊について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな特殊部隊(そうオタクが思い込んでいるだけ。
実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、
それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「特殊部隊オタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の第二次大戦オタクが持ってる北アフリカ戦線への憧憬と、その後の対テロ作戦のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも軍隊系特殊部隊的な
「Special Air Service」を体現してない部隊名
の二つをはじめとして、特殊部隊オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「スペツナズナイフだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の部隊がソ連崩壊後も続いていること、スペツナズナイフが日本では大人気になったこと、
浦沢直樹 のパイナップルARMYにもでてきて、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり特殊部隊は治安維持のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「銃器対策部隊」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この特殊部隊にかける日本警察の思いが好きだから。
断腸の思いで増やして300人、っていう人員が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「増やす」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
人員の多さを俺自身は冗長とは思わないし、もう増やせないだろうとは思うけれど、一方でこれが
アメリカだったらきっちり足りずに増やしまくってるだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけてきっちり300人にしてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ日本警察がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。部隊が行った作戦自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でルフトハンザ航空181便ハイジャック事件を見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ミュンヘンオリンピックより前の段階で、ドイツ赤軍とかテロ対策部隊の必要性とかは頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの部隊が海外でハイジャック事件を解決したんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく同じ敗戦国としては不思議に誇らしいし、
いわゆる東西統一後でしかドイツを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
陸自の「資格」あるいは「部隊づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「即応性を高めた精鋭部隊」的な感覚が特殊部隊オタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ日本版『レンジャー』はアメリカのレンジャー部隊の模倣以外ではあり得なかったとも思う。
「レンジャー資格者の数がより多い部隊」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はレンジャーき章を有する者にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
非人道的なアンチ・マテリアル・ライフルを犯人に使用して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9部隊まではあっさり決まったんだけど10部隊目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にUSSOCOMを選んだ。
グリーンベレーから始まってUSSOCOMで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、 1987年以降の陸・海・空、三軍が統一された
特殊部時代でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい部隊がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10部隊はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。