はてなキーワード: 天皇とは
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140325/imp14032511150000-n1.htm
http://iseshima.keizai.biz/headline/1992/
おそらく帰りも同じ経路をたどられるのであろう。
現在三重県内に住んでいる身としては気になっていることがある。
近鉄山田線・東松阪駅から電車で伊勢市方面に進んで数分のところに
街宣右翼の車が常に停車している場所がある。線路から見ると西側。
車体に『憲法改正』とでかでかと書かれていた。
たぶんあえて電車から見えるあの位置に駐車しているのだと思う。
こういう場合、宮内庁の職員が気を利かせて見せないようにするのだろうか。
それとも清濁併せて景色を見て頂くのだろうか。
今回の場合に限らず車などでの移動の際などに政治的意図や皇室を攻撃するような看板があったら、
前もって分かっていれば出来るだけルート変更するかもしれないが
直接を受けてはこれ。
http://fanfiction-novel.com/archives/544
ただし、別に反論とかそーいう代物ではないです。
http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20100128/p2
も参考にしてます。
web小説のVRMMORPG物とかが書籍でまであふれていて、いくつかのそういうラノベの状況への批評を読んで、そういうのに対してもにょもにょとした感覚を持ってたのだが、アウトプットしてないなと。で、アウトプットしたいなという感覚がとっても大きくなってしまったので落書いてます。
で、自分の領域だと ?D も ?H も Tw も読む人が皆無なので、自分のところよりは読む人が多いであろう増田借ります。
結局のところ独りよがりなチラシの裏なので、嫌いな方はページを閉じてください。
また、ねたばれを平気で入れます。
よござんすか?
よござんすね?
そんじゃ、チラシの裏を徒然なるままに。
ぽすてぃぶさんが
としていたのですが、これの SAO を疑問に思いました。
SAO の最初は、ゲームの仮想世界に閉じ込められて、命がけのデスゲームを行うというものです。
そこで、確かに世界の作り方は SF なのですが、では「物語の世界」を考えると、これは「ファンタジー」の方が近いのではないかと考えています。
ぽすてぃぶさんが持ち出した SAO の要素として
とあるのですが、作中でこれらのギミックが「SFとして」活用され始めるのは、少なくともアインクラッドを抜けた後になります。ユイのボディを現実につくるためには?など。
そう考えたとき、少なくとも最初のアインクラッドでは、彼らの世界はファンタジーと同一の代物でしかありません。行き過ぎた科学により魔法と見分けがつかない代物です。そして彼らにとっては、それだけが「世界」です。
ダンジョンの中に閉じ込められ、クリアするまでログアウトできない。ゲーム中の死はそのまま本人の死につながる。
作中のスキルは「ゲーム」という設定なので「SF」ではありますが、キャラクターは世界にとらわれいることから、ゲームの中だけが知覚できる「世界」になっています。そしてその「世界」の中には SF ギミックは問題ではありません。
これらに比べてログホラで違うのは「キャラクターの死」が「プレーヤーの死」と直結していない、というルールが典型でしょうか。
しかし、作中キャラクターにとっての「世界」とは何か?を考えたとき、彼らの世界はもともとの現実と全くつながっていない、「世界」はいま生きているそこだけ、という意味では、同じになります。
このように設定された「世界」であるのではないかと考えています。
となると、これらはすべて「貴種漂流譚」の系譜とみるべきではないかと最初に思いつきます。
しかし貴種漂流譚とした場合、物語の類型としては明らかに違うものがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E7%A8%AE%E6%B5%81%E9%9B%A2%E8%AD%9A
VRMMORPGやMMORPGの場合、主人公は貴種というわけではなく、また、多くの同様の他人と一緒に異界に漂流しています。
これは明らかに貴種漂流譚とは違う特徴です。そもそも貴種漂流譚は神話の類型で、英雄譚のいくつかにみられる特徴なので、そのまま当てはまるものではありません。
となると、他に近い分類を考えると、「行きて帰りし物語」というのが出てきます。
http://hiki.cre.jp/write/?YukiteKaerisiMonogatari
これは乱暴な言い方ですが、貴種漂流譚から「貴種」の特徴をとっぱらったものといえます。
結果残るものは
多くの場合、冒険に駆り出される理由は「日常からの欠落」が起き、「冒険の中でその欠落したもの、あるいは替わるものを見つけ」「日常に帰ってくる」というものです。スターウォーズなんかこれの典型ですね。
ここまで来ると、物語の類型であり、一方で物語論として「読者に受ける物語とは何か」という話にもなってくるのですが、そちらの論は話の方向性が微妙に違うので割愛。
さて、では素直に「行きて帰りし物語」の類型としてまとまるでよいのでしょうか?
ところがここでも問題が、行きて帰りし物語の場合、冒険に投げ出されるのは「主人公」とかその周辺がせいぜいです。
また、「日常に帰ってくる」というのも重要になります。ログホラの場合、ゲーム中に行われている冒険では「日常に帰ってくる」のですが、「現実世界」の意味では帰ってきていません。
では、さらに共通項をと考えた時に残ってくるのが「集団漂流物」というジャンルになります。
個人的に思い出すのは、空飛ぶ!竜峰学園(ラノベ)とか、勇者110番(NG97)とか、かなりマイナーどころになるわけですが。
ということでもう一度元に戻り、SAO、ログホラ、.hack で考えてみた場合
という分類になるのではないか……と考えたのであります。
なお SAO ですが、実際には細かく変わっていて
異界へのギミックや、異界で使う技術は「ゲーム」がベースであるため、一見 SF なのですが、実際なところはあれらは「魔法」と物語上ほぼ変わらないものがほとんどです。
となると、物語の類型を見る場合にはもっと重要なギミックがあるのではないか?ということで、このような分類を夢想しています。
ここで気になったのが、では「ゲームという題材が特殊なのか?」ということです。
で、最初の方に戻る。
web 小説や、そこから現実の書籍になったものが、いろいろと「似通ってるな」という印象は、はたして「本当なのか?」。そして「似通ってるな」と思ったものは「何か?」。
個人的に多くなったなと感じているのに、確かに VRMMORPG に取り込まれるってのがあります。そして俺TUEEEEE。
しかし同様に、異界漂流物も多くなってるなとも思うわけです。ファンタジー世界で「生まれ変わる」とか「召喚された」とか。そして俺TUEEEE。
で、これらを考えた時、ある意味昔っから変わってないのではないかと思うわけです。ファンタジー世界に行って無双っての。ゲートも戦国自衛隊をファンタジーにしただけだ、と乱暴に切り取ってみたり。
結局「無双の理由づけ」に何を使っているのかという部分で、VRMMORPG というのが身近になったのかなと。
そもそも「コンピュータを用いたゲーム的異世界」で冒険というのであれば、いろいろと話は出てきます。
それこそ、最初は「ジャックイン」でしょうか。ニューロマンサー('84)。これのジャンルだと SF のサイバーパンクですね。この場合、マトリクスは現実世界の裏にある(人工)異世界という視点で見れば、ファンタジーの一種とみることも不可能ではありません。
同じくサイバーパンクで電脳世界があるもので、漫画で有名になったのがサイレントメビウス('88)でしょうか。
他、こちらはハビタットのような電脳街という感じの世界ですが、BOOMTOWN('92)という漫画もあります。AI が住み、自己増殖する電脳の世界に入り込み、バグ退治を行います。表現は SF 側です。
そして、ゲームといっても電源不要で東京N◎VA('93)なんかが思い浮かびます。サイバーパンクなTRPG。
一方、完全にゲームの味付けでは、クリス・クロスが '94、クラインの壺だと'89ですね。
そしてこの「ゲームな味付け」で「異世界」となると、コンピュータを捨ててファンタジーにぐっと寄ったものとして思い出せるのが遥かなる異郷ガーディアン('90)。死亡無し、バイト感覚でファンタジー世界で魔王を倒そう!という話です。あるいは、日帰りクエスト('93)なんかも近い代物でしょうか。これらは日常の延長として異世界でちょっと冒険してくる代物ですね。
これらと .hack が似てると思ってて、ギミックに「異世界」が絡む程度なんですよね。物語世界の構築法の話であって、物語としてはその異世界は重要なのですが。
そして、完全にファンタジーに話を持って行ってしまえば、作品は一気に広がります。
個人的には魔法使いになる方法(ダイアン・デュアン著)を持ってきたいです。翻訳がまた止まった……。こちらは、現実世界の「裏」にある世界なので、ナルニアのように現実の世界の「隣」にあるのとは違っていますが。
ここで VRMMO を題材に使っているのを考えてみますと。
VRMMO は現実世界の「隣」にしかなれません。アクセルワールドのように現実世界を模した世界であっても、現実世界に影響は与えていません。
その中で主人公やプレーヤー集団が「命」であったり「記憶」であったり「思考」であったりの影響を受けるという、世界以外が対象になります。
となるとこれは別にゲームではなくファンタジーであっても同じなので、ここの類型からは考慮しないでも済みます。
一方、魔法使いになる方法では、魔法使いだけに見える世界というのは、現実の世界と表裏一体です。魔法世界で変化があれば、それは現実世界にも影響を及ぼします。
これは電脳世界を用いた場合でも同じギミックがあるように作ることもできます。
このような違いを見るに、ようするに「VRMMO などに見えるゲーム世界・異世界」というのは「現実に影響を与えない箱庭」という概念でくくれるように見えます。
異世界漂流のファンタジーもその多くは「現実に影響を与えない箱庭」的世界です。
このように、完全に切り離されている異世界かどうかというのが重要なポイントなのかもしれません。
「無双の理由づけ」です。
VRMMO 、あるいは「ゲーム的ルールがある異世界」を用いた場合、「俺 TUEEEE」に対してこじつけが作りやすいのが、この分野が氾濫している理由なのかなと思ってみたりしてます。
どういうことか?
多くの場合、対象となる異世界は、技術的文化水準が現代より低いです。
FPSやSLをベースにした場合は逆もありますが、氾濫しているのは多くが「ファンタジー世界」として「中世西洋」がベースです。
そこで俺TUEEEとして従来のファンタジー・神話や伝説、英雄譚、ファンタジー小説などがとった手法が「貴種」です。
これは現実にも祭事が政であった時代に、「神の信託を授かる巫女」(卑弥呼など)とか「神(竜)の血統」(中国皇帝や日本の天皇)とか「神に認められた」(キリスト教や同影響下の国々の王など)が用いた手法で、何か特殊な存在が力を認めているから「偉い」という考えから来ている物と思われます。精霊信仰や祖霊信仰なども同様なので、世界中で行われた、あるいは現在進行形の考え方ですね。
そして、漫画やアニメやラノベでもこの手法はいくらでも使われています。作品は割愛。
では、一般人ではダメなのかってところから始まったのが、異界に行った時に「異物」なので強くなったというものです。この場合だと貴種である必要性がなくなります。
この場合重要になるのが、多くは「機転」や「思考」だったりします。その世界にない視点で物事を考えることで、打開するなどもありますね。
VRMMO の場合、この後者の考え方を用いて俺TUEEEをするというのが基本ですね。
ログホラがわかりやすいですが、異世界にはないけど現実世界にあったものを再現することで、異世界でのアドバンテージを得る。蒸気機関はこのギミック。
この手の異世界で発想で先手を取るってのが、他だとアウトブレイク・カンパニーであったり。あるいはくじびき勇者さまを思い出してみる。他にも新書であったような記憶があるのに、題名が全然出てこない。
まおゆうも「その世界になかった概念を持ち込む」事で「世界に影響を与える」という部分で、ログホラとそっくりなことを味付け変えてやってます。
てなところで、俺TUEEEの源泉をあれこれいじってきてるのは増えてきてはいるなとは思った。
続きも別に考えてないで投げっぱなし。
昨年時点では、TPP辺りを議題の中心にするつもりで、TPP合意を取り付けて政権浮揚の材料にするつもりだったんだろうが。
現状はどうみても、「歴史認識」「従軍慰安婦の扱い」「河野談話の取扱い」そして「今後靖国を再参拝するか否か」が議題の中心になりつつある。
日本側は歴史問題を議題にすることは突っぱねるだろうが、オバマ側は議題に据えようとするだろう。
また、記者会見の場で、両国マスコミが「靖国の議論はどうなりましたか?」と質問が出ることは不可避。
日本側が望まないにも関わらず、歴史問題にアジェンダセッティングされてしまうから、安部政権は本音ベースではオバマに来日して欲しくはないのでは?と思う。
しかし、今「オバマ来日は取りやめになりました」となると、「日米同盟の崩壊か?!」とみなされちゃうから、安倍氏からすれば
個人的に期待しているのは、宮中晩餐会。
両首脳同士の会談は、内容が直接外部には出てこない。
本当は歴史問題でヒートアップした内容であっても、日本側が「オバマは理解してくれた」と官房長官がシラを切れば、それ以上マスコミは追求できない。
オバマやハイデンは、安部・菅・取り巻きたちが、歴史問題をアジェンダに据えても、会談後の発表を捻じ曲げ、「アジェンダにならなかった」とシラを切ることをお見通し。
だから、シラを切れない状況で、歴史問題に言及するのではないか?
具体的には、カメラも入っている宮中晩さん会の席で、天皇隣席の状況下で、「これ以上日本の指導者が靖国を訪れないことを希望する」とスピーチする。
こういう状況になってしまうと、安部の面目は丸つぶれである。なにしろ、崇拝する天皇の面前で、そのような発言をされてしまうことになる。
深夜、あてどなくファンタシースターオンラインを周回しながら何度も聞いた音声ファイル。
http://jkondo.hatenablog.com/entry/20060227/1141080969
じぇいこんのタイトルコール、れいこんがバックで歌い、飲み会は始まる。
これからのインターネット、僕らのインターネットについて、どんどん話は進む。
第一の話題「完全なロボットよりも一部人間のサイボーグの方がくるんじゃないか」
あずまんがいつものように不用意に鈴木健をいじって微妙な空気になる。
認知限界について、スルツカヤについて、嫌韓について、情報障壁について、話は進む。
優秀な能力をインターネットがシェアし、人々は幸せになる。幸せにさせる。
あずまんは人間の能力/能力の構造/社会の構造限界からそんなに単純じゃないんだよと嗜める。
「あずまんが、インターネットが世界が平和にできるって言ったの、覚えてる。僕、それ最終目標だと思う」
じぇいこんは言う。あずまんは、あずまんにしては丁寧に人文学のスタンダードを持ってしてじぇいこんを嗜める。
あいかわらず、偉そうなしゃべりでムカつくけど、じぇいこんも鈴木健もそんなあずまんが好きだから黙って聞いてる。
うしろで、しなもんが吠える。しなもんは確かに吠えて、そこにいたのだ。
政治構造について、戦争について、国家について、平等について、僕らのインターネットがどうあるのか。
あ、わんわんワールドの話。れいこんがわんわんワールドの説明をしている。れいこんは確かにはてなにいたのだ。
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「あずまんが、インターネットが世界が平和にできるって言ったの、覚えてる。僕、それ最終目標だと思う」
インターネットで世界を平和にするんじゃなかったのかよ、はてな。
トップページをおしゃれにして人間の承認欲求を飾っててなんになるんだ。
「ポッドキャストだから、あんまりいいたくないけど、人類の99%は救いがたく馬鹿なんですよ」
あずまんが言う。
違う。99%はまともな人間なんだ。1%のクレイジーがあなたたちなんだ。
インターネットで世界を平和にするのは頭がおかしいことなんだ。
でも、そこに僕らはブックマークだよ。心の底からブクマしたよ。
なあ、トップページをおしゃれにして人間の承認欲求を飾っててなんになるんだ。
休日に息子を公園に連れて行くべきなのだ。妻と死ぬまで手を繋いでいるべきだったのだ。
インターネットで世界を平和にするんじゃなかったのかよ、近藤淳也。
しなもんの墓から骨を暴いて細い管に詰めろ。酸の海に沈めろ。万能細胞の開花で復活させろ。
それで今の全てがあのころの全てに戻るのなら、近藤淳也はそうすべきだ。
はてぶ&ドラゴンズで承認餓鬼どもにブクマガチャをぶん回させて、南国に島を買え。
そこにユートピアを作れ。
インターネットで、自由になるんじゃなかったのか?
巨大化していく組織にありきたりな悩みをソリューションするような男は、
休日に息子を公園に連れて行くべきなのだ。妻と死ぬまで手を繋いでいるべきだったのだ。
それが、なんらかの、人類にとって、なんらかの、それはたとえば世界平和に繋がるのかもしれない。
分からない、全く最近のあずまんは意味不明だが、クレイジーとしかいいようが無いが、面白いよ。
近藤淳也、何をしているんだ。
しなもんの最後のお別れにうんこを捨てたって、なあ、馬鹿じゃないのか。
なぜ、そのうんこをほっそいほっそい管に詰めないんだ。酸の海に沈めないのだ。
今すぐ3万円を握りしめて平民金子と女を買いに行かないのだ。(http://d.hatena.ne.jp/heimin/20080918/p1)
さあ、今、近藤淳也は、再度目覚めるべきだ。
粗雑で乱暴なエントリだとおもう。
見つけて喜んで自分とポジションが違う人たちを馬鹿にしたいだけなのだとおもう。
こういう見たい情報だけがネットにあふれているように見えるのは
この増田の潜在意識に「天皇が改憲に理解を示すような言説を述べたらいいのに」
そういう願望の裏返しにすぎない。
今日は皇太子の誕生日らしく、皇太子が憲法に関してコメントを発している。
それに関するツイートをナナメ読みしたが、おそらく「リベラル派・穏健保守派・左派」、「反安倍派」の人がツイートしている
「皇太子は憲法・平和・民主主義を守ろうとしている、それに引き換え安倍首相は・・・」的ツイートがやたら目立っている。
自分もリベラル派の一員だが、「憲法・平和・民主主義を、皇室(天皇・皇太子)に守護してもらう」というのは、あまりにも情けないのではないか?
苦しい道ではあるが、「皇室に頼らずに、独力で憲法を守るべき」なんじゃないか?
日本の民主主義は、皇室に守護してもらわなきゃ維持できないような「ひ弱な民主主義」なのか?
これじゃあ、「上からの民主主義」「恩賜の民主主義」じゃないか?
日本は自力で民主化できずに、1945年にマッカーサーに民主主義を与えられ、2014年に危機に陥りましたが、皇室によって守護されました、
皇室に頼らずに、自力で民主主義を守ることが、「民主主義の正統性」を保持するために、絶対に不可欠だと思う。
自分に似たような意見、「左からの皇室政治利用は、苦しいけど慎むべき」という意見が、ツイッターに一人くらいいてもいいのに、全く見当たらない。
ここまでリベラル派は「ヤワ」になったのか、と思うと、情けない。
710大きな平城京、1192作ろう鎌倉幕府は、携帯電話の普及率並に日本の人口に膾炙されていると思うのだけど、
1192作ろうだけじゃなく、710大きなの方も実は710年に遷都してなくね?が定説になりつつあることを知ってもらいたい。
まず、遷都の定義は、遷都の詔を発表して、さらに都に天皇が行くこと。
なので、遷都の詔を発表していない明治天皇以降の東京移転・在住は、果たして日本の都は京都から東京に遷都したのか
分からないことがよく語られるわけだけど、平城京のケースは後者の方で問題がある。
というのも、元明天皇が708年に遷都の詔を出して、710年に行くよ!とまでは『続日本紀』にかかれてるのだけど、
実際に710年に移ったのかはどこにも書いてない(694年の藤原京は書かれているのに)。
ま、それでも『続日本紀』ぐらいしか明記しているソースがないので20年前まではこれを信じることにしていたんだけど、
最近の発掘調査でどうも平城京の建設が間に合っておらず、それに加えて元明天皇が藤原京に残っていたのではと裏付ける史料がそこそこではじめちゃっている。
詳細を書くのはなかなか面倒なのだけど、1996年3月に『平城宮木簡五』が刊行される辺りが一つの潮目で、ここら辺で、
平城京の初期には、内裏、大極殿とちょっと施設が整備されていた程度だってことが明らかになって、それが本当に遷都できる体制だったのか?
という強い疑問が芽生え、共有されるようになっていった。この疑問のおかげで、ある発想の転換みたいなものが起こったのが決め手で、
なら、逆に施設、寺等が出来あがっていく順番を整理し、そこにどのように天皇家が関わっていったのか調べればいいんじゃね?
という主に寺側の史料と今までの発掘調査を横断的に使って研究を行った論文がそこそこの数出てきて、結局、下記のことが未来の主流になりつつある。
元明天皇は710年に遷都するって言ったけど、平城京に定住していることを示す資料は少なくとも714年以降であり、遷都したと言えるのは714年。
ところで、なんでこのエントリで研究者の名前だったりを書かないのか疑問に思うかもしれない。しかし、そこはググってくれとお願いしたい。
実は、714年説は二つの問題があり、とてもじゃないが個人名書いて迷惑かけるわけにはいかないのです。
大問題一、は、714年説は、東京に遷都したことを認め得てしまうこと(詔の効力を疑い、しかし、定住したから遷都したというのは東京説の正当化につながるため)。
大問題二、は、平城京一三〇〇年祭に研究者総出で参加しちゃったこと(偉い人ほどいろいろな形で参加)
ってことで、未来の定説を知っては頂きたいものの、そんなの714平城京というゴロの使用は、もうしばらくお待ちいただければと思います。
田母神氏は都知事選を終えて会見を開いた。田母神氏は「保守運動をこれからも盛り上げていきたいと思っている」と締めくくっていた。それを承けて、記者から「それはどのような保守政党になるのですか」と問われて、次のように答えている。
「日本の政治家はね親中派、中国派の政治家がいっぱいいますよね。それに対して保守派と言われる政治家がいる。でも、この保守派の大半というのはアメリカ派なんですね。アメリカの言う通りにしなきゃいかん、と。だから日本の政治状況は中国派とアメリカ派が喧嘩しているような政治状況なんですよね。で、日本には日本派の政治家なんてほとんどいないんですよ。で、よその国を見ればね、アメリカの政治家ってみんなアメリカ派なんですよ。イギリスはイギリス派、フランスはフランス派です。つまり、日本だけ日本派の政治家が大変少ない、という状況だと私は思うんですね。だから、日本派のたくさん集まった政党が出来ないと、日本を取り戻すことは出来ないと私は思いますね。」(http://www.youtube.com/watch?v=LwEMM349-SQ 45:00付近の発言)
もちろんこの記者会見の場は、「日本派」とは具体的にどのようなものであるのか、を打ち出す場所ではないので、こんな大雑把な説明になっているのは致し方ないとして、それでもなお「日本派」が一体何を指し示すのかサッパリ分からなかった。いや、感覚的に言わんとしていることは分かるんですよ。でもでもね、右翼にせよ左翼にせよ、「日本という国がよくなってほしい、日本国民が幸せになってほしい」という動機から行動しているんじゃないのか、って思うんですよ。そういう意味では政治家には基本的に日本派しかいないし、その日本派がどのようなものであるのかを解釈する点において異なっているんじゃないの、ってね。「あいつは親中派で日本のことを考えていない」なんて意見を聞くことは往々にしてあるけど「おまえが考える"日本"のことはかんがえてねーよ」っていう話に過ぎない。例えばですけど、アメリカと融和的である政治家はたしかにいますけど、それって段階論でしょ? つまり、究極的な理念においては肯定できなくとも、現時点においては仕方ない、と容認するような、ね。米軍基地を保守派が認めているのもそうじゃないか! もし田母神が親米じゃなくて「日本派」であるならば、米軍基地を日本から全て追い払わなければならない。「普天間基地移設問題」について石破がよくやるような偽善的態度、つまり「沖縄の皆様には本当に申し訳ないと思っているけれど…」なんていう、気色悪い芝居は一切やめて米軍基地を一掃してほしいね。三島由紀夫だって自決する際の檄文で「アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう」と言ってるよ。もし原理主義的な日本派が存在するならば、喫緊の課題である米軍基地問題を対処せよ、と私は声を大にして言いたい。(http://www.youtube.com/watch?v=ZgyRYLkGFVU こういう"親米派"と独善的人間がいる限りはね。この動画で話している人物は、「戦後レジームの脱却」をあらわすどころか、沖縄返還前への逆戻りを進んでいるぞ、と怒りを込めて言おう。 http://www.youtube.com/watch?v=7bi5ZZrG62g こっちの動画では「選挙に民意が反映されていない」等と言っている。投票率77%だよ、なに言ってんの、こいつ。沖縄を馬鹿にするんじゃない。 http://www.youtube.com/watch?v=4lwpRSMvL6Y ここでは水島氏が一人の漁師から話を聞いて、彼にあたかも名護市民の”ホンネ”を代表させようと、プロパガンダを企んでいるけれども、実際の選挙結果を見ると、いかに”偏向報道”であるのかがうかがえる。「日本派」はこういう不逞な輩を一掃するところから始めなければならない)
☆
それからもう一つ。「戦後レジーム」を脱却して、「真の日本」を取り戻そうという試みはじつによろしい。じゃあ、「真の日本」って何? そもそも「日本」が「真の日本」であった時代ってあるの? 具体的に何時代? あのね、そういったことを言うためにはやっぱり歴史を勉強しなければいけない。竹田ナントカみたいなトンデモはやめてくれよ。神武天皇が実在したかどうかなんていうバカみたいなハナシは聞きたくないんだよ。それは純粋に歴史的学問としては興味深いが(竹田が興味深いわけじゃないよ。念のため。)、今の日本を考える上では少なくとも参考になるものは少ないね。歴史を論じるならば、むしろ江戸時代とは何であったのか、明治と江戸の間にいかなる断絶/連続があったのか、っていうのを「日本派」の人びとには考えていただきたい。「日本派」の人びとは、日中戦争や第二次世界大戦を(陰謀論的に)語ることは大好きだ。で、それを説明するために、だいたい明治以降の歴史を考察するのはだいたい常道といってもよかろう(http://www.ganbare-nippon.net/official.html 例えば、この綱領を見ても明らかである)。でも、「明治」っていう時世自体そもそも薩長という田舎者にでっち上げられた「捏造品」だったことを忘れはいまいか? それに、江戸生まれの知識人達の身につけていた教養のたいていは、和文よりも、唐山仕立ての「漢籍」なわけですよ。ようは、きみたちの嫌いなシナこそが絶対的だったわけ。田母神氏がフランスの話を引き合いにだしていたから、ちょっとフランス語の事情から言ってみると、「歴史histoire」という言葉は同時に「物語histoire」でもある。お察しの通り、「ストーリーstory」という言葉も歴史historyからきている。「真の日本」っていう歴史的問題は、つまりストーリーの問題でもあるわけ。「天皇」だってストーリーの問題でしょ? で、ストーリーっていうのは、小説家や歴史家なら当然知っているように、始点と終点がすごく重要なんですよ。例えばフランス革命だってロベルピエール処刑を終点とした一定のストーリーをもとに語られることが多いけど、ナポレオンの時世までをフランス革命の物語として考えたら、少なくとも、ロベスピエールの立ち位置っていうのは少ならず変化する。「真のフランス革命」を探究しようとしたって、じつはそう簡単に出てくるものじゃないし、歴史をストーリー抜きに語ることの困難さっていうことは歴史家が身に染みて分かっていることだ。私は「真の日本」にも同じ問題を感じるよ。もしね、もしだよ? 「日本派」の人びとが、自分たちの語るストーリーだけが真実だって言い出したら? うん、それはカルトと呼ばれるもののはじまりです。だからね、私はカルトになんてなってほしくないわけですよ。「真の日本」なんてそう簡単に見つかるものではないんですよ。それは江戸時代の複雑な歴史をちょっと知っていれば分かるはずなんですよ。だから、戦後レジームとか、そういうカルト的言動は慎んで、とりあえず江戸時代に沈静して、マトモな日本人になってほしいな、と思うわけです。
☆
追記。ちなみに、「日本派」の原理性をここでは言いたかったのだけれども、そうした右派原理主義をおしすすめると結局左派原理主義ともつながってくる、ということを確認しておく必要がある。どっちも現実を見ずに理想に邁進してしまうから当然だよね。だから、アナーキズムとファシズムには融和性もあるのだし、石原莞爾みたいな人を一人考えてもそれは分かるでしょう。あるいは、三島だってそう。でもこの話は長くなるのでまた今度。
追記その2。「中国派とアメリカ派」っていうのは、行動原理の奥底に、「中国に利するように」等の陰謀をその人が持っている、と田母神氏は考えている、ということだろう。いわゆる「田母神論文」もそうだったけれども、思考法が基本的に「陰謀」に帰着するという単細胞ぶりには、思想が右であれ左であれ、注意しなければいけないと思う。「陰謀」で全て片づけてしまうと事象の繊細なニュアンスを捉え損ねるからだ。「チャンネル桜」では、サヨクという言葉で全ての悪を表象しているわけだけれども、こういうマニ教的二元論によって自らが思考停止しているということに気がつかなくては、ネトウヨ=新右翼のコミュニティを脱して「民意」を掴むまでにはほど遠いと言わざるを得ない。これは戦術上そうなのだ。
共産主義は共産主義で左翼では合っても、リベラルじゃねーぞ。リベラルは中道から中道左派だから左派には含まれるが、真左じゃぁない。
そもそも、右翼というのは国王派 左翼というのは民主派であって 現在までいろいろな定義のもと定義変更がなされているが・・・
国粋主義というものはあるが、必ずしも天皇制を支持しているかというと、そうではない。
今どき、天皇制か、民主主義かで国民がもめることはない。 もめるとしても、資本主義vs共産主義 or 国粋主義vs開国派だ。 そして開国派は共産主義ではない。
現代社会では 資本主義なのか共産主義(計画経済性)なのか?というベクトルと 国粋主義なのか? 開国派なのかは分けて議論されるべきだ。