はてなキーワード: ネットゲームとは
課金と長時間プレイ以外何もできない連中が、攻略サイトの情報丸コピした同じようなビルドを手に寄り集まって、必死にボスをペチペチして倒すことで得られる連帯感に必死にしがみつく姿がとても愛おしい。
プレイヤースキルの要求が高まりすぎた多くのネットゲームが失ってしまった姿がここにはまだ残っている。
求められるのはたった3つ。
かつて多くのMO/MMOが掲げていた理想郷、約束された祝福の地がまだここにある。
とっくに滅んだと思っていた。
パズドラ文明の慈悲と好奇心により瓦礫の中から蘇ったはずのROですら失っていたもの、古のネトゲがまだこの世界で生きている。
架空の世界の有象無象の住人となる権利と、人生の大切な時間の等価交換。
そのレートはちゃんと生きられた人間からすればあまりにもアコギで、生きることに失敗した人間からすれば恐ろしく割が良い。
こんな世界がまだ残っているんだ。
ジャングルの奥で、伝説の中に消えていったはずの部族が文明に取り残されたままで手つかずのまま生き残っていたのを発見したような感動。
グラブル、大好きだ。
私の周りだけなのかもしれないが、本来全く関係ないはずの能力に相関性を持たせて人を評価しようとする人って多いと思う。
何言っているのか自分でもわかりにくいと思うので、例を挙げる。
1, この子はあまり勉強が得意ではないが、そのぶん人の気持ちがわかる優しい子なんだろうな
2, 勉強は得意だが、そのぶん頭でっかちに物事を考えがちでどんくさいんだろうな
のように、勉強と社会的知性を結び付けて考えたりする人が多い。
私が大人になってもいまひとつ家族(両親と祖父母)を好きになれないのは、そんなレッテルを貼られて育ったからなのかなと思う。
私には弟がいる。自分で言うのもアレだが、私は頭脳明晰なガキで、弟は全くと言っていいほど勉強が苦手だった。
例に挙げたように私は、ちょっと大袈裟だが、物心ついたころから"真面目なコミュ障"というように両親に扱われてきた。
対して弟は"勉強はできないがそのぶん上手く立ち回れる"というような評価を受けていたと思う。
「そんなのお前の被害妄想だろ」とか「マジで内気だったんじゃねえの」って声が聞こえてくるね、そうかもしれないけれど。
勉強ができるってことは何か欠けてるって思われ、逆に勉強ができないと人たらしになれると、私の両親は本当に思っていたと思う。
そういう環境で育ったから、私は両親に対して交友関係や学校での出来事などをほとんど話したことがない。
私にとって両親は「陰キャのレッテルを貼ってくる人たち」だった。そういう人たちに自分の交友関係の頑張りを発表するってのが無理だった。
学校の出来事なんかを話したりしないことが余計に「頭がいいだけのコミュ障クソガキ」に拍車をかけているとは思う。
兄弟なんだから、良いところがあって悪いところがあって・・・宇宙兄弟的に言うと「グーみたいなやつがいてチョキみたいなやつがいて・・・」って思いたかったんだろうな。
どっちかが優れているって思いたくなくて、異常に物覚えの悪い弟を肯定するために俺のことをコミュ障陰キャとして扱いたかったんやろうな。
なんでいつまでも俺にだけ「ちゃんと〇〇さんにあいさつした!?」って聞いたんや?
そんなに引っ込み思案で内気なガキに見えたんか?脳裏にこびりついて離れない。
だから弟がネットゲームにはまって半引きこもりみたいになって辛うじて入学できた大学を中退したことを知った時、なぜか救われた気がしたよ。
ほらな、関係ないだろ。頭は悪いけれど人なつっこくて人に囲まれて助けてもらって生きていけるはずだった弟は今どうなってるん?
俺は大学でも成績優秀、ボランティアサークル代表で取材も受けたし、彼女もいるし、2人の親友と50人くらいの友達と200人の顔見知りもできたし、大学院では研究会で奨励賞もらったよ。
ストリーミングゲームサービスは遠隔操作画面の配信らしいので操作ラグが当然あるのが問題だった。
対してSTADIAは行動予測を使って予測される分の情報を送ってコントローラーの操作に合わせて画面を表示する。
その場面から想定される情報は手元にあるので、そんなに操作ラグは出ないよねってコンセプトらしい。
つか大半のゲームはマップ情報とかで切り分けてメモリにロードしてるし、ネットゲームもマップ情報やモブの推定位置とかを状況に合わせてダウンロードしてる。
STADIAこれをもっと細かにしてネット間でデータのやり取りするって形なんだと思う。
なんにせよプロバイダはすげー困るんだろうなぁと
今までなんとなく生きてきた。
なんとなくでもそれなりにこなすのは得意だった。
ただ、それなりにこなすことができれば満足して、それ以上の努力はしてこなかった。
漫画だと一夜漬けのシーンは数コマで終わるのに、学生時代に真似したところで一夜漬けを始めて1時間で眠りこけてた。
昔から将来の夢を見つけることもできなかった。
ただ、なんとなく生きていた。
この頃から目立ちたがりだった気がする。
テストの点数は右肩下がりだったが、問題のあるレベルじゃなかった。別に焦りもしなかった。
そこには確かな夢を持った同級生がたくさんいた。
きっと自分も高校の3年間でやりたいことを見つけられるんだと信じていた。
3年間で彼女がいた時期もあった。自覚は無かったけど、所謂青春がそこにあったんだと思う。
ただ、将来の話題になると、具体的には何も思い浮かばなかった。
卒業前に題材自由のミニ卒論を完成させなければいけないんだけれども、題材を考える時間が一番長かった。
大して時間もかけずに、陳腐な内容で適当にお茶を濁して終わらせた記憶が残ってる。
学科柄、就職を進路に決めている人が多い中、なんとなく進学を決めた。
成績も優秀では無く中の下に成り下がっていたので、推薦入試も使えなかった。
やりたい事がみつからないからこそ、少しでも有名な大学に進学しなければと考えていた。
そんな後ろ向きな目標で必死に勉強することも出来ず、受験勉強もなんとなくだった。
一般受験をする生徒は珍しいので、同級生や先生は応援してくれた。
現役時代ですらまともに勉強できないのに、浪人が出来るとは思えなかった。そのまま第二希望で1ランク下の大学に入学した。
就職した同級生は皆輝いていた。何とかして自分も輝きたくて焦った。
でも、何となくで入った心理学科の授業はまったく面白くなかった。興味も持てなかった。
時間だけは沢山ある中、ネットゲームに実装されたばかりの対人コンテンツでランキングに入ることが出来た。
ゲームのフレンドからは賞賛された、知らないプレイヤーに声をなんどもかけられた。
そしてなにより、自分の名前がランキングボードに載っている事が最高だった。
ただ、それも長くは続かなかった。
コンテンツの人口が増え、コミュニティや戦い方が成熟し、要求されるスキルが上昇していくのについていく事が出来なかった。
声をかけられることもパタンとなくなり、かといって追いつこうと練習することもなかった。
ランキング上位への熱意も冷め切って気づいた頃には、単位の全く取れてない留年確定の大学生がそこにいるだけだった。
留年して通学する貯金もなく、そもそも心理学への興味が一切なかったので大学は中退した。
兎に角働かなければ食っていけない状況に追い込まれて、SIerに就職した。
面接で「君と是非働きたい」なんて言われて浮かれたけど、今思えば誰にでも同じことを言ってるに決まってる。
最初に配属された現場はプログラミングのプの時も無い倉庫整理だった。
中高と体育会系の部活に所属していたので、上下関係には慣れてたし、挨拶や体力に問題はなかった。
「直接雇いたいから連絡をくれ」と言われたが、22歳の自分にはこれからずっと倉庫整理で食っていくなんて考えられなかった。
何と言えばいいのか、変なプライドがあったんだと思う。
小中高と目立ちたがりだった自分がそんな誰にでも出来る仕事をこなして爺ちゃんになるなんて考えたくもなかった。
プログラミングのプくらいはあるかもしれないが、
メインはExcelに書いてあるように操作して、PASSかFALSEをつけていくだけだ。
これもそれなりにこなすだけだったけど、最初の倉庫整理よりかは給料がよかった。
今まで買えなかった漫画、ゲームを買える経済的余裕もでてきて、
毎月の給料で今まで金銭的理由で楽しめなかったコンテンツを味わって2年が経った。
ゲームも漫画も楽しいけど、仕事は相変わらずそれなりにこなすだけだった。
といっても特段業務内容に変化は無かった。
このまま何となく勤続年数に応じて給料が上がっていき、何となく生きていくんだろうかと不安になったし、まあそれでもいいかと思うようになっていた。
けど、変わった。
年末、山手線の高輪ゲートウェイ駅開通のテレビCMを見たときに急に何かに気づいたような感覚に襲われた。
「あ、これがやりたいことだ」と感じた。
これ、というのが簡潔にいうと「自分が関わったのがわかる形で"何か"を作り、残したい」だった。
言い換えれば、自分の存在を認めてもらいたい、つまりは承認欲求が溜まりに溜まったものなんだろうか。
昔から目立ちたがり屋だった事、ネトゲでランキングに名前を残すことに躍起になっていたことからも、人より承認欲求が特に高いのかもしれない。
"何か"は別に高輪ゲートウェイ駅みたいに実体である必要もない。
なるべく多くの人にこれは自分が作ったんだといって見てもらいたい。
具体的ではないけど、夢に近いものをテレビCMを見て気づいた。
義務教育にプログラミングのカリキュラムが導入されているこの時代、スタートは遅いけど、まだ諦めるには早いのかもしれない。そう思った。
どうすれば「"何か"を作る事」に近づくことができるかを考えて、開発側の業務に移れるようPythonの勉強を始めた。
Progateでチュートリアルやった後に何に手を付ければわからなくて、既に壁にぶつかってる。
特にスキルも身につけずアラサーを迎えたITエンジニアだけど、この気持ちを言語化してみたくて書いた。
やりたい事が見つかったからなのか、敬遠していたFaceBookを見ることができた。
文化祭で映像を作ってた友人はYoutuberになってたし、高校卒業前に惚れてた笑顔が素敵な女の子は舞台俳優になってた。
1900年を1年目と内的処理していた場合、年数が2桁から3桁になる。また、年号を下2桁だけで処理していたシステムの一部で年のエントリで99をエラーコードや例外値として扱っている物があったとされ、そのようなシステムでは1999年になった途端に正当な1999年とエラーとを識別できず不具合をおこすことが懸念された。又、9が5つ並ぶ1999年9月9日にエラーが発生することも懸念された。
GPSは内部処理で週数を10ビットで管理しており、起点である1980年1月6日から1024週後にあふれて0に戻る。
年数を下2桁だけで処理していたシステムや、2000年を平年(閏年ではない)と誤解したシステムに問題が起こる。
1970年1月1日0時からの秒数が十進法で9桁から10桁になる。経過秒数を文字列表現に直してソートしたことで、「1,000,000,000 < 999,999,999」と判断してしまい、項目の新旧が正しく処理されない問題が実際に幾つかのシステムで発生した。
2000年以降も年数を下2桁だけで処理していたシステムで、かつ年を文字列で格納していた場合に、先頭が0の場合には八進数として扱われる処理系があり、その場合2008年の時点で年の処理が不正となる場合がある。ごく一部のperlで作成されたネットゲームで誤作動が発生した事例がある。
潜在的なバグが発覚した。シチズン電波時計やソニーのゲーム機「プレイステーション3」(閏年処理)、オーストラリアのクイーンズランド銀行でのシステム誤動作、ドイツジェムアルト社のICカード使用不能など。シチズンのケースでは、年の内部表現に西暦下2桁のBCDを使っていた。
GPSは内部処理で週数を10ビットで管理しており、起点である1980年1月6日から2048週後にあふれて0に戻る。(10ビットでは2回目)
1930年 - 2029年を下2桁で表現しているシステムに問題が起こる。同様のものに2050年問題や2070年問題などがある。
1900年1月1日0時からの秒数が32ビットからあふれ、NTPに問題が起こる。
Unixなど。1970年1月1日0時(Unix epoch)からの秒数が31ビットからあふれ、32ビット符号付きで処理しているシステムに問題が起こる。
GPSは内部処理で週数を10ビットで管理しており、起点である1980年1月6日から3072週後にあふれて0に戻る。(10ビットでは3回目)
HFSのタイムスタンプは2040年2月6日までしか取り扱えない。
System zのSTCK命令で取得する64ビットのTODクロックは2042年9月17日中にオーバーフローする。
2038年問題の1980年起点版。FATファイルシステムのタイムスタンプなどが1980年起点である。
1950年 - 2049年を下2桁で表現しているシステムに問題が起こる。同様のものに2030年問題や2070年問題などがある。
1970年 - 2069年を下2桁で表現しているシステムに問題が起こる。同様のものに2030年問題や2050年問題などがある。
FATファイルシステムのタイムスタンプの起点の1980年1月1日を基点として、年数を下2桁だけで処理するソフトウェアなどは、その起点の99年後(2079年12月31日)までしか正常動作しない。
2000年以降に作られた年数を2桁で表すシステムや、2100年を閏年と誤解したシステムに問題が起こる。
FATファイルシステムのタイムスタンプは2107年12月31日までしか取り扱えない。
更新されたGPSは内部処理で週数を13ビットで管理しており、この頃にあふれて0に戻る(正確な日時は未定)。
2286年問題-2286年11月20日17時46分40秒に起こる。原因は、2001年問題と同じ。
Visual C++において、3000年1月1日以降の日付処理に不具合が生じる。
対戦要素のあるネットゲームはインフレするようにできてるんだろうなあ
多少の課金で俺つえーできたとしても、その状態を無課金で継続させてしまうと新規が増えないし
新しいパワー強化の仕組みがリリースされる
結局どれも中途半端で次に行く
廃課金勢は新機能リリースされたタイミングで必死にレベ上げしてランカーを維持しつつも
次リリースで役立たずになって落胆、からの課金を繰り返しているよう
そんな中で離脱者もおり続ける者もおりという感じ
ツイッターでフォローした人は早々にこのインフレ構造に愛想をつかして離脱した
が、次も似たような対戦ゲームを始めていた
どこも大差ないんじゃないのかなあと思いながら
飽きてきたのもあり、移住も考えている
小中学校ではそれなりにいじめられていた。太り気味で走るのが遅かったし。頭はそこそこ回ったので勉強教えてやったりして自尊心を保っていた。だが勉強せずとも授業だけでイケる、みたいな間違った自負を持ってしまったせいで勉強の習慣がつかなかった。
成績ランクに基づいて高校に進学してから、ついていけない科目が出てきた。特に数学。1年の1学期中間テストでは満点近かったのが、期末テストでは30点台にまで落ち込んだ。壁にぶち当たった。だが勉強はしなかった。親は家庭教師をつけようとしたが拒んだ。とにかく勉強が嫌いで、大学に行こうなんて気には全くならなかった。ゲームプログラマーになろうと思って専門学校に進学した。
専門学校の授業内容は簡単すぎた。中学生のときにゲームプログラミングの教科書だけ与えてくれれば、半年で2年分の知識を身につけられただろうと思う。だが楽しかった。ひたすらゲームを作りまくった。ネットゲームを作ろうとして挫折し、3Dプログラミングにも挫折したが、2Dゲームを作りまくった。
卒業が近づいたが、就職しようという気持ちにあまりならなかった。好きだったゲーム会社に1社だけ申し込んでみたが、書類で落ちた。ところで、その頃はエロゲーブームだった。高校の時から憧れていたエロゲークリエイターがいたので、その人の会社に電話してみた。ゲームエンジンを作ってもってこいと言われた。作った。そのときには卒業から半年経っていた。
続く
同棲して一年半、正式な夫婦になるまえに私はとうとう正社員の社内SEの職にありつけた。
理由はわかっていた。
仕事をしながら家事をして夫との時間を確保してネットゲームをやっていたから。
ネットゲームはパラレルワールドで、人生イージーモードだった。
適切な役割を与えられ、連携が取りやすく、達成感もある。社会ではそうはいかない。
予想外の妊娠だった。
電車に乗ればめまいと吐き気で3駅ごとに休憩、結局、会社の立場は悪くなった。
私は産休も取れるわけでもなく、
他の部署の女性はつわりもなく余裕で会社に来て仕事をしている。
まだ会社の中で産休を取る人はいなく、男性社員は妊娠や妊娠初期を軽んじていた。
『今じゃない、シネ』と願った。