はてなキーワード: トップとは
オリンピック興味ない派が、いざ始まったら肯定派に変わってきて、やっぱアホだなって思う。
さっそくどの報道機関もオリンピックを最優先で報道し、コロナは二の次になってきて、洗脳モード入ってきました。
政府が思い描いた通りに、オリンピックが盛り上がった状態が続いて、衆院選もそもまま自民に票が入るんやろ?
【追記(7/25)】
スポーツ以外ポジティブなニュースがないからっていうのもあるけども、報道機関がオリンピックのスポンサーな時点でこうなる未来は見えていた。
ただし、オリパラ終了後に社会が分断するか否かに注視する必要がある。
これまでよりも重めな緊急事態制限を出すか、現状維持または軽めな措置で済ますかだ。
重めな措置だと「オリパラやっといて国民に自粛を求めるな!」って怒るだろうから、政府的には今後も緊急事態宣言を維持して、ワクチン接種を進めるのかな。
コロナを抑えるのはワクチンしかないとか言って、丸め込まれる未来が見えそう。
【追記(7/26)】
色々なご意見ありがとうございました!私はメディアの誘導を危惧しているだけです。
総理の発言が「安心安全な五輪を実現する」から五輪終了後に「子供たちに夢や希望を与えた」に変わるのが目に見えてわかって、
これまでの様々な問題(予算、人選など)に目を瞑るのだろうなという未来が見えますね。
プロ野球だって開催しているのではないかとか、五輪は無観客だし問題ないのではないかという意見もありますが、
国民の大半が反対していたも関わらず、(大幅に超過した税金を利用して)開催を強行したのが問題なのでしょう。
医療従事者、飲食業又はそれに関連する業者、コロナで業績不振になって派遣切りされた方々、修学旅行や学校の行事が中止になった中高生などの心境を考えると、
せめて1年は延期してほしかったですね。今更言うなって思うかもしれませんが、1年前にこれを書いてもバズらなかったでしょう。
>五輪が盛り上がる一方で、感染者が増えまくって東京で医療崩壊した場合、
>五輪で盛り上がった人は「共犯者」になった罪悪感から政府を支持しそうな気がするんだよな…。「それはそれ」と出来る人がどれだけいるか…。
大半の方は、五輪と政治は違うことくらい理解していますが、五輪の成功は政治家の成果って誘導しそうなのが怖いですね。
>最後まで五輪反対するし批判する。命あってこそ、生活あってこそなのに。
最近、刑務所の方が3食食べれて決まった時間に終業できるので、いいのではないかと思ってきました。
>トップブコメは相変わらずですね。五輪で盛り上がってる人たちはステイホームで家で観戦してるのではw共犯者は、五輪反対でデモで盛り上がってる革マル派や中核派では?
日本国内のデモって何か変わるんですかね?私もデモやっている人は暇人とか思ってないですし、ネットで発信した方がいいように思いますね。
>自分の思う通りにならない人をアホ呼ばわりする人が分断云々言ってもね。笛を吹かなくても踊る奴は踊るモンだなとしか。
>自分と異なる意見の人がアホに見えるなら、自分は議論には向いてないと思った方がいい。
アホというのは、自分で考えずにメディアに誘導されている人のことを言っています。自分の考えと違うからアホ呼ばわりしているわけではありません。
水泳のライアン・ロクテ選手は「オリンピック選手の70%から75%が大会中にセックスをしている」と証言する。少し言い過ぎやしないかと疑いたくなるが、彼が世界記録保持者で、ロンドンが3大会目のオリンピック出場となる選手と聞けば、ある程度経験に基づいた数字のように思える。
では、なぜオリンピック選手は、大会期間中にこれほどまでにセックスに夢中になるのだろうか。
記事では、《選手村内は、窓には旗が掲げられ、バルコニーから音楽が鳴り響くようないわばお祭り状態》になるという。選手は、その特殊な環境の影響を受けると指摘されている。
加えて、そこに集まるのは当然ながら世界のトップアスリートである。
《選手村は、言ってみれば世界一の会員制クラブだ。入会には、最高の才能があればいい》
《選手は若く、極めて健康である上に、何年も軍隊みたいな練習をつんできている。そんな人達が、過保護な親や記者達から遮断された安全地帯に突然放たれたらどうなるか》
アテネや北京大会に出場した女子サッカーアメリカ代表のホープ・ソロ選手も、
「一生に一度の経験をしたら、思い出も作りたい。セックスでもパーティでも競技場でもね」と証言している。
世界の大舞台に立つ高揚感も、アスリートを開放的な気分にさせるようだ。では、選手同士はどうやって出会うのだろうか。
「バーとは違って、選手村で気になる相手に話しかけるのは簡単です。『なんのスポーツをしてるの』と話しかければいいだけだから」と選手村流のナンパ術を紹介。
節操がなさすぎるように思えるが、シドニー大会で銅メダルを獲得したアメリカの砲丸投げのジョン・ゴディナ選手に言わせれば、
「二度と会うことが無いと分かっているからね」。
さらに、スキーのアメリカ代表キャリー・シェインバーグ選手は、
「オリンピック選手は、冒険者で新しいもの好き。言葉の通じない相手と寝るような挑戦もしてみたいものなんだ」と語る。
選手村でも、実社会と同じようにやはりモテる選手とそうでない選手は出てくるらしい。
北京大会で体操の団体銀メダルを獲得したアメリカのアリシア・サクラモーン選手は、
「水泳選手と水球選手の肉体は最高。彼らはありえないほどトレーニングをしているから。陸上競技の男たちも可愛いと思う」と明かす。
さらに、2014年ソチ大会以降、選手村でもTinderを使って簡単に出会えるようになったというアメリカのスノーボード選手、ジェイミー・アンダーソンの証言もある。
Tinderは、写真と簡単なプロフィールを見て気に入った相手とチャットのやりとりを始められるマッチングアプリで、マッチングする対象との距離を設定出来ることが特徴である。例えば1キロ以内など設定しておけば、選手村内にいる選手同士でマッチングが可能なのだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gigazine.net/news/20210725-cognicull/
数学・物理学の知識を理解するための「足りない知識」を「ツリー構造」で掘り下げていける学習サイト「コグニカル」レビュー - GIGAZINE
↑これが現時点244userで、はてブのトップに上がってたけど、コグニカルってつい最近はてブで話題になったばかりでしょう↓。
コグニカル
サイトの管理元があまり明確でないところがあって、工作の可能性もあるけど、それでもトップコメに100スターは付くくらいには読まれているはずなのに。
なんで今更そのサイトを紹介する今月にできたページがはてブにあがるわけ?
コピペネタが数年後に再ブレイクするのはよく見るけど、このサイトは高々4か月しか経ってないよ?
それだけ新規参入者が居たり、前回のバズを見逃した人がいたってこと?
綺麗事をそのまま発信しても無視されるのはみんなわかりきっているからね。
食つなぐための金は確保しつつ、他人に綺麗事を言わせるための的として存在し続ける方が有意義と判断したのかもしれない。
昨今、容姿が本職じゃない人の容姿に強く焦点を当てる言説(ルッキズムは言葉の定義がぶれるのでできれば使いたくない)はそのニュアンスの正負を問わず批判の対象となっている。はてなでもそうなのでこの前提は共有してもらえると思う。
で、私も素朴にそう思ってたんだけど、今日ちょっと疑問が生じて色々考えてみた。
「xx(競技名)のyy選手めっちゃ可愛い……(画像4枚)」みたいな。今日のTLにはこんな感じで色々な競技の色々な選手のものが流れてきた。
念のため言っておくと私はそれらの意見を肯定も否定もしていません
本題
①容姿に着目することは人格や本職を無視することを必ずしも意味しない。
これ系の話題でよく見るのが「人格を無視した性的消費」みたいな非難。
しかし、例えば私が実際に見たツイートなんかは「名前」「競技名」がきちんと記されていて、選手本人を容姿から置き去りにしていない。(理想を言えば「世界ランクがヤバイ」「zzの技術がヤバイ」なんかの情報や感想があるのが一番いいのかもしれませんが。)
②「jobとabilityはどのような関係にあるのか?」
例えばあるプロスポーツ選手が良い環境でトレーニングに専念したり家計を成り立たせるためには、単にその競技の実力・実績があればよいというわけではない。賞金や年俸がヤバイ一部の競技のトップ選手を除けば、多くの選手は企業勤めをしたりスポンサーを獲得して仕事や支援を受けたりグッズ収入を得たりする必要がある。これらの収入は金メダルの賞金500万円と異なり、競技の実力によってのみ得られるわけではない。
このとき選手の競技能力以外の要素を肯定的に拡散することは不正義となるのか。スポーツ選手に限らず一般企業の社員やアーティストやは?容姿に限らず知性や人格や逆?
上でも軽く触れたが、選手の人生は競技に限らない。競技者を容姿(など競技と関係ない部分)で称揚することが悪であるとした場合、その人間が「選手」でない瞬間であれば容姿に触れても良いのか?ある人が職業人である瞬間とそうでない(あるいは別の職業人である)瞬間はどのようにして区別されるのか?
例えばスポーツ選手の中にはモデル業を兼任している人がいる。モデルの仕事もスポーツと同様に全身が商売道具なわけで、体のメンテナンスには多くのコストをかけるという。「本番」「トレーニング」「コンディション調整」の時間が必要でありそれは食事や睡眠まで含めた24時間の大部分にわたる……となるとそれはもうそれぞれの状態が一人の人間の中に同居していることにはならないだろうか。
他者を評価する際相手の属性によって触れることが適切な項目とそうでない項目が変化するというなら、どの項目がどの属性と結びつくのか、どの瞬間にどの属性を有する状態となるのか、その辺の議論ってどこかで体系化されてたりするんですかね
あと私の頭がパンクしたので今回触れませんでしたが、そもそもいついかなるときでも他者の容姿に言及すること自体が不正義であるという主張も当然あると思います。(それはそれで能力主義等との検証が必要になるとは思いますが……)
はてブの「Webマンガからの新着」にあった『猫を拾った話』という作品にやられた。
エッセイコミック風のシンプルなタイトル、1ページ目の雰囲気が良さそうなので続きを見てみたら、2ページ目で単眼の四足巨大生物が出てきた。
キモすぎる。
何これ?ブラクラ?
こういう趣味嗜好を持った人たちも世の中にはいるのだろうけど、はてブのカテゴリトップ付近に上がってくる程のものなの?
そういう趣味は否定しないし「世の中から駆逐しろ」とか言わないから、せめてそういう作品であることをタイトルに出してほしい。
そしたら自分もわざわざ見に行ったりしない。
なんだよ『猫を拾った話』って。あれのどこが猫だよ。
コロナ禍で強行された五輪の開会式のなんともいえないショボさを紐解いていると、電通が五輪を食い物にしてる実情がいろいろと浮かび上がってくる。
そもそも電通がやりたい放題やって、当初手掛けることになっていた有能なクリエイターが次々と去ったのだから、出てくるものがショボくなってしまうのは当然といえば当然なのだろう。
一方、五輪が開幕して以降、NHKにチャンネルをあわせると、嵐の歌うテーマソングとともにやたらと“ナビゲーター”の櫻井翔がでてくる。
元々民放でニュース番組の客寄せパンダキャスターしながらNHKでこの仕事ぶり。
そして、この人の父親は電波行政を司る総務省の事務方の元トップにして、現在は電通副社長。
妹は、兄がキャスターやってる放送局に勤務し、弟は電通に勤務しているとも聞く。
なんかこれ、ものすごい“闇”じゃないのか?
緊急事態宣言下でコロナの感染者数はまだまだ増え続け、医療関係者や飲食関係者をはじめ、今後まだまだ苦闘が続くであろう中で、この一族はコロナでホクホクっぽい。
まあ櫻井翔なんて芸能界のど真ん中でもっとも光り輝いてる人の一人なのだろうが、光が強ければこそ闇も濃いのが、世の常ではある。
日本がデフレを脱却しないのは、デフレにメリットがある年齢階層からくる構造不況なのであって、それは経済学部を出て再受験して医師になった自分にとっては「消して口にはしないが、リアルに体感している」のだけど、増田で過去の経済学の書き込みを遡ると「自分よりも、年齢階層からくるデフレの正体」に到達していて、驚いたよ。お前ら本当に賢いのだな。未だに「基礎研究に投資して経済を復興しよう」という耳障りの良いデマを風聴するアホばかりかと思っていたけど、見直したよ。
最近の医師クラスターは「インデックス投信で金持ちに」という秀才系の連中が多くて困る。この手の秀才共は、S&P500 に掲載されるようになる創業メンバーの天才のパフォーマンスに到達できない敗北主義であることに自分が気がついて、医者の言う職業が勝利の果てに得た権利と比較してメンタルを病み、しなくても良いテンバーガーを探して自爆するという【職業病】を遺憾なく発揮してくれるので、大人しくプルデンシャル生命のリセーラーに餌食になってた方が幸せな連中も多いような気がする。
たぶん、団塊世代が平均的に死ぬ直前にインフレが加速しだして、医師たちもかつては救えた命が「薬価が高騰したせいで購入できない」という現実に直面し、QOmL が低下するという事象が発生するでしょうし、ぶっちゃけ国力の低下とともに国内トップの武田が海外勢のポートフォリオに劣りはじめたのを鑑みると、これまでデフレで美味しい思いをしてきた我々が裁きに合うのは仕方がないのだろうと思っています。
コロナがない世界で東京オリンピックが開催されていたら、いったいどんな感じになっていたのだろうと夢想する。
開催直前になると、日本のメディアが現地に押しかけて、その都市の魅力や現地の様子をレポートしたりして、いつもわくわくしてくる。
いつもは海外で開催されるオリンピックが自国で開催されるのだ。
海外からたくさんのメディアや観戦客が押し寄せ、競技以外にも、日本の様々なものが世界中に配信される。
また、東京だけでなく、東京周辺に各国のキャンプがきて、親善イベントなども行われる。
そして、SNSでの投稿や、個人での生配信など、我々の当たり前が、良くも悪くも海外にたくさん伝えられることになる。
開会式も、例のMikiko案で、日本文化の伝統やサブカル、そして今でこそすっかり影を潜めているが、日本の電機メーカーや自動車メーカーなどが趣向を凝らしたハイテクを披露。
競技中継も、フルスペックの5Gで多視点での映像や、立体データを配信して、世界初のVR観戦で、世界中のファンとつながるとか、AIを使った競技分析などが瞬時にでき、日本のITも捨てたもんじゃないね、なんて言って。
肝心の競技の方も、ホームということもあり、いつもよりちょっと多めのメダルが取れちゃったりする。
それを見た日本人観客が街で溢れかえってこ盛り上がり、地方でも、選手のふるさとや卒業学校などのパブリックビューイングで、これまた大盛り上がり。
お店も大盤振る舞いで、酔っ払いが街中にあふれて、外国人観光客と意気投合したりして、それはそれで楽しい思い出に。
メダルを取った選手は、次から次へとテレビ局をはしごし、さんまとかジャニタレとかとキャッキャッとバカ騒ぎ。
ついでに、ネトウヨは、韓国の選手団の一挙手一投足をチクチクツイートして、相変わらずの低脳をさらし、これに応えるかのように、韓国も、日本の対応の悪さや旭日旗を見つけては大騒ぎ。
そして、いつものオリンピックのように、大会も後半に差し掛かり、あぁ、あと数日で終わるなあ、サッカーも決勝か、そして、いよいよマラソンかぁ、とお祭りが終わってしまう寂しさがやってくる。
力を出せず引退するベテラン選手、無名の選手の大健闘、下積み時代の苦労、最後まで応援しながらも亡くなったお父さんとの思い出、ライバル国(多分、韓国)との友情シーン、油断からの敗戦、胸熱の大逆転…
なんだかんだでドラマは必ず起きる(作られる)
これらのドラマがメディアによって繰り返し流されながら、最終日の閉会式の演出を見ながら
「やっぱオリンピックっていいよな」
今回は、自国開催なので、普段オリンピックを見ない人たちも話題になると思う。
そして、なんだかんだで、自国開催オリンピックを誇りに思うだろう。
これからの日本は人口減の影響がどんどん大きくなり、中流国としてどんどん没落していくのは既定路線だ。
そんな中で、このTOKYOオリンピック2020は、日本という国の最後の輝きになるはずだった。
それが、このような形になってしまったのは本当に残念だ。
選手はもちろん、関係者の皆さんが少しでも満足のできる大会になってほしいと心から願う。
特に、運営で陰ながら努力しているスタッフも大勢いるのだろう。(いなきゃこんなイベントできないしね。)
無能なトップのせいで、多くのスタッフがつらい思いをしながら頑張っているのではないかと思う。
オリンピックを応援することが、菅総理を応援することみたいで不服に思う気持ちはないでもないが、それとこれとは切り分けて考えたいと思う。
グランツールみたいなプロのロードレースと違って、チーム間での駆け引きが少ない(普通ロードレースはチーム内で役割が決まっており各選手は与えられた役を演じようとするが、五輪はチーム人数が少ないためそれが出来ない)ので、展開もわりと妙な感じになる
個人的には、国籍別国民国家代表戦のフォーマットはもういいよと思ってるから、石原が招致を言い出した頃から反対。
トップアスリートたちの多くは国外を拠点として実績を積んでたり、海外のトレーナーやスタッフに支えられて作られてるので、
その勝ち負けを見て国籍が同じかどうかで一喜一憂することの歪みに、いい加減付き合う気にならない。
実態は形骸化しながらいまだに男女対抗戦というフォーマットをやめられない紅白歌合戦のそらそざしさに通じるもの。
その上で、コロナ禍という社会危機状況と、IOCや政府の腐敗やグダグダっぷりを見せつけられてうんざりし、
今はオリンピックよりもコロナ対策(蔓延防止、医療・経済支援全て)にリソースを全振りしてもらいたいと思ってる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4f9726bc2df306f8daeba7cb5f4d4f986618d977/comments
いろんな気持ちが入り混じってる
今回のオリンピックの開会式では、賛否両論があるらしい。もちろん、「表現」において賛否は重要である。誰もが絶賛するような作品は存在しないし、存在してはいけない。ただ、作品の批評を超えて、ゲームを「メインカルチャーではなくサブカルチャー」と見下したり、「ゲーム音楽程度」という表現を使う者が散見された。
これは作品の批評とはかけ離れた評価であり、差別的であるとすら言える。そして、さらに悪いことに時代遅れの認識でもある。ここではそれを書き留めて、指摘していきたい。
(そもそも文化に「サブ」と「メイン」という区分けを設けること自体が異様にも思うが、ここではそれに言及しない)
何を持って「文化」というのかは不明であるが、ゲームは映画に負けず劣らず文化性がある。
例えば、社会性。オンラインゲームは、良くも悪くもコミュニケーションを促進する。これは社会性と言える。
また、ゲーム談義。これも映画を評論し、議論し合うのと同じだろう。もちろん、ときに罵倒や難癖、アンチなどを生み出し、建設的な議論など難しい場合も多いが、それは映画もさほど変わらない。映画ファンが、お高く止まってゲームを見下す理由にはならない。
また、社会を風刺するゲームだっていくらでもある。「Say No! More」や「還願 Devotion」、「Not Tonight」など。他にも様々なディストピアを描いたゲームや、政治を皮肉った表現など、ゲームには珍しくない。
他にも、「BEYOND」や「James Bond 007:NightFire」、「Until Dawn」など、古くからゲームのモデルに俳優を起用する例も多い。また、ゲーム関係者が映画の演出を担当したり、逆に映画関係者がゲームのプロデュースになったりなど、そもそもこれらの業界は対立関係にない。これらを差し置いて、ファンが「ゲームは俺の趣味より低俗」と見下すのは、なかなかに滑稽で、わりと風刺的でもある。
文化には経済という側面も重要である。寄付にしろ収益にしろ、何らかのお金がないと芸術は先に進まない。
歴代で最も集積を上げた映画は、「アバター」の3146億円らしい(2019年に「アベンジャーズ」がトップになったが、2021年にアバターが中国などで再上映されたため、トップに返り咲いた)。
さて、これに対抗できるゲームタイトルはあるだろうか。もちろん、存在する。ポケモンgoは、サービス開始以来の5年で5500億円の収益を出したという(2021年7月時点)。
もちろん、映画は上映以外にも、サントラやグッズ、DVDなども売上になる。だから、これらがプラスされれば、ひょっとしたらアバターのほうが上になるかもしれない。また、基本的に1度の上映で客が満足する映画と、5年もユーザーが継続するゲームでは、比較することがナンセンスかもしれない。
しかし、単純な収益で見れば、ゲームは映画とガチンコで戦えるレベルの経済性も有していることが証明されたわけである。
さて、これらをもって、どうして「ゲームはサブだ」と見下せるのか。
マイクロソフトがゲーム業界に殴り込みをかけて久しいし、昨今ではGoogleやAmazon、Appleなどが、独自ゲームを作ろうと躍起にすらなっている。
このように、もはやゲームは、文化の面でも経済の面でも「サブ」とは到底言えない存在感を有している。その事に気づかないのは時代遅れであると理解し、そろそろ「価値観をアップデート」すべき時期に来ているのではないだろうか。
そもそも、(言い尽くされた話でもあるが)100年くらい前には「映画は低俗」「小説は下劣」という時代があった訳だ。そんな価値観を「古臭い」と笑いながら、その古臭い人々と同じ価値観でいることなど、本当の文化人なら耐えられないはずである。
そもそも、今はもうありとあらゆる分野でトップにいるのは文化資本モリモリ勢だよ。そりゃ文化資本あるのとないのとでどっちが有利かっつったらある方に決まってるので、社会のあらゆる分野に文化資本モリモリ勢が供給されきるまでの時間の問題でしかなかった。