はてなキーワード: あみんとは
「そういう事があるなんて想像できない」
せんでもいいのでそういことは多くはないがあるって事はいろいろある
そんなもんがあるとかないとか言ってもしょうがないし存在がゼロであることが確実だと言えて
なんでも物事が自由になる人なのだったら想像できないだのないだのしないだの言ってもいい
生理用品と石鹸の話だと公衆トイレやデパートのトイレの石鹸やアルコールなんかもボトルや袋に中身をいれて持って帰るなんてのもある
歯ブラシもネカフェにあったりまだ使えるものがゴミとしておちてることもある
ヤダーそんなの使うのひろうのきたなーい「もしかしてお金ないの?」ってないからそうしてるんだと思うよ
ネカフェがつかえたらシャンプーなんかも持って帰れるかもしれない
ネカフェで300円払う金があったら生理用品買えよって思うんだろうね
石鹸シャンプーにトイレットペーパー、トイペが結果生理用品になることもあると思うけどまあそんなのを仕入れるのと
新品をスーパーで一つずつそろえていくとなると300円で何が買えるのかって感じだよね
毎月あるのに用意できないのってなんなの、って言葉自体が意味不明なので
「毎月あろうがなかろうがそういう専用の使いすてのものを手に入れるという状況」
を考えてみてほしい
高級な施設のお手洗いにもあるがもちろん両者ともに自分の金ではいけない
男性はコンドームを常にもってたり買ってたり補充してたりするのか
あれだって値段は馬鹿にならないし再利用できないしそんなに使うものではないから必要なときになったら
買うかどうか考えよう程度で常備をしているわけでもない
コンドームの入手方法と所持率と支払いの金額についてを考えてみてはどうか
あんなものカバンに常にいれておくために支払うコストがどれだけあってそれをいつも支払っているのだろうか
生理用品は毎月なくなるとしてコンドームも使用期限みたいなものを考えたら毎月つかわなくても買いなおしたほうがいいだろう
知らないとか数でいえば少ないとか割合にしてみれば取るに足らないとかかもしれないけど
一人や二人なら貧困で死んでも貧困だからって殺しても問題ないわけではないでしょう
ゼロかそれ以上かでいるかいないかでいえばいるししかも以外とけっこう多くて
数が少ないなら死んでもいいだろって思ってる人でもなにかしら疑問を抱くだろう程度には数いる
そういうの工夫と努力がたりないんじゃない?って思うよね
だったらそう思ってる人がなんとかすべき 工夫と努力を知っていて伝えれる程度にはあるんだろうね
ジョブスになりたかったらジョブスになればいいしゲイツになりたかったらゲイツになればいいだろうし
年収40億くらいあるよね?ないのだったら工夫と努力をしたらいいと思うよ
だって実際に工夫と努力で年収40億の人はいるでしょ どうしてそうはならないの?
じゃあ工夫と努力で貧困を脱せてない人は どうして脱せてないんだろうね
年収40億ってことは年収として40億になるくらいその人から物を買ったりその人に仕事をお願いしてる
支払元がいるんだよね そのニーズを満たしてるからお金が交換で来てるんだよね
じゃあ月に5000円くらいしかこない人は、そういう人を探したりなにかを交換したら40億円もらえるのかな
いないからもらえてないだけなので工夫と努力っていってる人でお金をくれる人と巡り合えたら
健康にしたまえとか仕事をさがしたまえっていうタスクを仕事として貧しい家庭に依頼して
そういうのハローワークでもやってるよね
じゃあハロワいけっておもうよね
ハロワにいけない人とかだとどうかな 連れて行ってくれる人がいけたら5000円とかってタスクくれるのかな
それくらいはできるだろうって
会社で壊されて鬱になって外に出れなくて人とあうと吐くってひとも
いけないんじゃない?いけない人っているんじゃない?
それが貧困の人だったら?
貧困の人はぜったい鬱なんかじゃないって?
そうなのかもね
もういっそそんなのに公金だすなとか税金つかうなとか
貧しい人は死ねっていうならそういえばいいと思うんだよね
事情がわかったところでなにも助ける気ないっしょ
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。
もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき、川上から、
「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。
みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。
赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、
「何なにした。」とききました。
みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「だれだ、時間にならないに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。
「お天気のいい時教室さはいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。
「しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。
「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。
それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、
「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています。
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
すると嘉助がすぐ叫びました。
そうだっとみんなもおもったとき、にわかにうしろのほうで五郎が、
「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。
みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、
「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。
五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。
「わあい、けんかするなったら、先生あちゃんと職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。
たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。
「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。
みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。
「二百十日で来たのだな。」
「靴くつはいでだたぞ。」
「服も着でだたぞ。」
「髪赤くておかしやづだったな。」
「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。
「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」
「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、
「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。
すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。
二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。
するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。
みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。
「前へならえ。」と号令をかけました。
みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。
「直れ。」先生がまた号令をかけました。
「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手の下駄箱げたばこのある入り口にはいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。
まもなくみんなははきものを下駄箱げたばこに入れて教室へはいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。
「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」
「わあ、おらの机代わってるぞ。」
「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」
「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」
そのとき先生がはいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんうしろで、
「礼。」と言いました。
みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。
「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。
「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんうしろからあまりさわぐものを一人ずつしかりました。
みんなはしんとなりました。
先生が言いました。
「みなさん、長い夏のお休みはおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道の学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校で勉強のときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」
すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、
「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。
ところが嘉助がすぐ、
「先生。」といってまた手をあげました。
「高田さん名はなんて言うべな。」
「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。
先生はまた言いました。
「きょうはみなさんは通信簿と宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」
みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿と宿題を机の上に出しました。そして先生が一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。
ところが先生は別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿も宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。
「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたからちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」
一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人おとなも扇を下にさげて立ちました。
「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。
すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。
「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。
「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。
「何ぶんどうかよろしくおねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分は玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。
運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。
「先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。
「そうです。」
「なんの用で来たべ。」
「上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」
「どこらあだりだべな。」
「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」
「モリブデン何にするべな。」
「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」
「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。
「又三郎だ又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。
「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。
風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。
次の日一郎はあのおかしな子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除のときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。
「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。
「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。
一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。
嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。
「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、
「お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。
それは返事をしないのではなくて、みんなは先生にはいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。
ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。
それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。
そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。
みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。
その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
すると嘉助が突然高く言いました。
「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」
「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます。
そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。
「お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。
みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています。
先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室へはいりました。そして礼がすむと先生は、
「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」
さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆をひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、
「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、
「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、
「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かにの化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。
すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。
すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、
「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。
先生は向こうで一年生の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんうしろでちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかわからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。
「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。
もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき、川上から、
「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。
みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。
赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、
「何なにした。」とききました。
みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「だれだ、時間にならないに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。
「お天気のいい時教室さはいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。
「しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。
「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。
それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、
「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています。
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
すると嘉助がすぐ叫びました。
そうだっとみんなもおもったとき、にわかにうしろのほうで五郎が、
「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。
みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、
「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。
五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。
「わあい、けんかするなったら、先生あちゃんと職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。
たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。
「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。
みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。
「二百十日で来たのだな。」
「靴くつはいでだたぞ。」
「服も着でだたぞ。」
「髪赤くておかしやづだったな。」
「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。
「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」
「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、
「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。
すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。
二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。
するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。
みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。
「前へならえ。」と号令をかけました。
みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。
「直れ。」先生がまた号令をかけました。
「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手の下駄箱げたばこのある入り口にはいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。
まもなくみんなははきものを下駄箱げたばこに入れて教室へはいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。
「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」
「わあ、おらの机代わってるぞ。」
「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」
「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」
そのとき先生がはいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんうしろで、
「礼。」と言いました。
みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。
「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。
「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんうしろからあまりさわぐものを一人ずつしかりました。
みんなはしんとなりました。
先生が言いました。
「みなさん、長い夏のお休みはおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道の学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校で勉強のときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」
すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、
「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。
ところが嘉助がすぐ、
「先生。」といってまた手をあげました。
「高田さん名はなんて言うべな。」
「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。
先生はまた言いました。
「きょうはみなさんは通信簿と宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」
みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿と宿題を机の上に出しました。そして先生が一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。
ところが先生は別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿も宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。
「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたからちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」
一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人おとなも扇を下にさげて立ちました。
「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。
すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。
「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。
「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。
「何ぶんどうかよろしくおねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分は玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。
運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。
「先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。
「そうです。」
「なんの用で来たべ。」
「上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」
「どこらあだりだべな。」
「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」
「モリブデン何にするべな。」
「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」
「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。
「又三郎だ又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。
「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。
数ヶ月前に適当なゲームから入った界隈で死にたい死にたい言う人が多くて、まあ構ってちゃんな場合が多いだろうとはなんとなく思ってたけど、死にたいって言い出す奴より周りの奴がイラついたんだわ。
そいつらは誰かが自殺をほのめかしたら「自殺はまあ権利だからね」とか「いつか安楽死が認められるようになったら私も自殺する」とか言い出すわけよ。
私だって止めるわけじゃないけど、中には「自殺はダメだよ!死なないで!」とかストレートに騒ぐ空気読めない真摯で純粋に振る舞うアホもいて、しかしそういう奴は「〇〇さん、そういう風に自殺はダメだって決めつけて自分の価値観を押し付けるのはダメだよ〜」とか周りに注意されるわけ。
別に大して悪い対応にも思えないんだけどさ、実際自殺に踏み切った奴がいたのよ。それまで死にたい死にたい言ってたそいつが死にます、さよならとかTwitterで言ったらそこに「いってらっしゃい」とか「おつかれさま」とかのリプがついてるわけ。多少は死なないでとか言うやつもいるけど、Twitterのアカウント削除するって言った時とだいたいおんなじような反応だよ。むしろ死ぬってのには関わりたくないって人間が多いから垢消しの方が止める奴は多い。
でも自殺は権利だからね〜とか言ってた奴はボイチャで、まあどうせしばらくしたら帰ってくるし、こんなこと言っちゃ悪いけど実行してるかどうか怪しいよなとか言いやがってさ、そりゃあみんなそう思ってなくはないけどそれをお前らが口に出していいのか?って思うのよ。
さらに言えば普段死にたいとか言ってる奴があんまりいない時に本音を漏らすような感じで、ああいうことやってるやつって家がどうたらこうたらで可哀想で貧困だからそういう背景云々みたいなことを言ってくるわけで、それもイラつくの。
結果そいつは実行した上で未遂で済んで病院行ってて、しばらくして家族にTwitterとか見られて垢消したんだけど、まあ実行してるんだからまあまあモヤモヤしたよな。
他のコミュニティの話もすると不登校の中高生がまあまあ多いところがあってさ、そこでも「じゃあ休んじゃえばいいよ」「このサーバーにも不登校の子は結構いるからね〜」とか軽率にそいつらは言うわけ。でも言う奴らは割と学校行ってるんだよ。まあ不登校の子も鯖にいるんだけどその子たちも自分らで勉強やら何やらしなきゃいけなかったり復学のためにどうにかこうにかやってたり親の暴力をどうするかみたいな対処でいろんなところに相談してるわけよ。あまりにも短絡的に過ぎるというか、休め休めって言う前になんかやることがあるだろうと思うんだよな。
この二つの話で共通して笑えるのは私自身は特に何もしていなくて、そういう話題が出ても触れないようにして死にたいとか言い出す奴を避けてた連中の1人なのに外野からなんやかんや言ってるってことなんだよな。
しかも私は彼らの中では年長で今の話に出てくる自殺志願者やらは中高生中心、不登校のコミュニティに至っては小学生もいるぐらいだからさ、そういうところでODやらリスカが横行してて、それを真似する奴が出てくるのを黙って見てる自分が本当に無責任でしょうがないな。でもこれからも触れたくはない。おしまい。
子孫存続を尊び、子孫満堂を喜びとする。こういう価値観を古いだの個人の自由に反するだのの理由で批判する人がいるけど、じゃあみんなが子供を産まなくなったらそれこそ日本はどうなるんだ?まあ日本がどうなろうと他の国からすればどうでもいい話だし、究極、人類が滅亡したところで地球や宇宙は何も困らないんだけど、ただ確実に言えることはあなたのいう保守的な価値観のほうが共同体の存続という面では当然都合が良いし、あなたのいう新しい価値観は未来では共同体ごと滅んでしまっているかもしれない。
しかしすぐに時代遅れだの価値観のあっぷでーとだのという人って、古いも新しいもない、時代に依らない普遍的な価値観を追求することには関心がないのかね。
法人税を上げようっていうのが人気みたいだけど法人税上げたらみんなのお給料が減るよ?
役員は給料がボーナスと同じ課税対象だから会社の運用効率を反映する給付金の課税率を上げようとかしてもみんなが頑張った分が反映されないだけになるよ
持ち株役員しか正社員にならないってしたらいいけど大企業に就職できないと思うし、専門職は大企業でバイトするか作業費がものすごい高い自営業ばかりになると思うけどいい?
結局さ、金持ちからできるだけ金をふんだくって貧乏人にばらまいてほしいって江戸時代からある幻想なわけでしょ
才能があったり譲り受けたものがあったりしてそれを分け与えられる人の競争を平等にしたいから金額を考えて結果たくさんのユーザーに恵まれたからお金がいっぱい来た人にお金のもちすぎだよこせってそれただの強盗じゃん
がんばったり才能があったり権利を受け継いだ人はたしかに妬ましいけどそれを強奪する方法を国家とか正義の名の元に行うその信条がどこからくるのかな
お金持ちから気分よく金を撒いてもらうために現象化したり公益化したり金銭と直接的でない利益に課金させるとかは江戸時代より前からあるじゃん
ロシア語の固有名詞、カタカナで書くときに色々表記揺れがあって紛らわしいよね! 表記揺れが起きる原因をまとめといたから、参考にしてね!
これは純粋に日本語内部の問題だから一番わかりやすいね! БладимирВладимирを「ウラジーミル」と書くか「ヴラジーミル」と書くか、Иванを「イヴァン」と書くか「イワン」と書くか、という単純な話だから、好みに合う方を選んでね!
強勢の置かれた母音は長く強く読まれるんだけど、この母音を棒引き(ー)で表現するか否かが問題だね! これはだいたい慣用によって決まっているけど(「イワーン」じゃなくて「イワン」、「ウラジミル」じゃなくて「ウラジーミル」)、別に慣用じゃない表記を使うことは自由だし見慣れない語だとフィーリングで決めたりするから表記揺れが生じる余地があるよ!
ыは日本語では書き表せない音なんだ! でもどうしてもカタカナにしないといけないときがあるよね! そういうときに表記が揺れちゃうんだね! Кадыровは「カディロフ」でも「カドィロフ」でも間違ってないよ! どのみち正確な日本語表記は無理なんだし! でも「カドイロフ」はさすがにどうかと思うな! めんどくさいのが形容詞の語尾で-ныйみたいな形になってるときだね! 「~ヌィ」だと語末のйを無視してるみたいで居心地が悪いし、「~ヌィイ」だと煩雑だし、「~ヌイ」だとなんかыっぽくないよね! こういうときは多少正確さを犠牲にしても日本人にとって一番簡単な表記を選んでおくのがいいよ! だからВерныйは「ヴェールヌイ」でСовременныйは「ソヴレメンヌイ」なんだね! でも別に「ヴェールヌィイ」でも間違いじゃないよ!
ロシア語では強勢の置かれないоは「ア」みたいに発音されるよ! Москваは実際には「マスクヴァー」みたいに聞こえるけど、日本語では綴り通りの「モスクワ」で定着してるよ! っていうか日本語表記では反映しないのが慣用になってるね! Достоевскийは「ダスタイェーフスキー」じゃなくて「ドストエフスキー」、Чеховは「チェーハフ」じゃなくて「チェーホフ」って書くことになってるね! ただし例外的に、Спасибоは「スパシーボ」じゃなくて「スパシーバ」、Хорошоは「ホロショー」じゃなくて「ハラショー」で定着してるよ! でももちろん発音を優先して「ア」って書いてもいいよ!
ロシア語のеは「エ」というより「イェ」であって、теは「テ」というより「チェ」、деは「デ」というより「ジェ」のように聞こえるよ! 強勢があると特に! 逆に強勢がないときは母音が弱く読まれて「チ」みたいに聞こえたりするよ! だからЕкатеринаを「エカテリーナ」とするか「エカチェリーナ」とするかで揺れるよ! まあ実際に聞いてみると「イカチリーナ」みたいに聞こえるような気がするんだけどそんなふうに書くわけにもいかないからね!
еと同じで、тиは「ティ」じゃなくて「チ」、диは「ディ」じゃなくて「ジ」みたいに発音されるよ! なんなら由来を重視して「ヂ」でもいいよ! だからПутинは「プティン」じゃなくて「プーチン」なんだね! БладимирВладимирが「ウラディミル」じゃなくて「ウラジーミル」なのもそういうことだね! まあ別に「ヴラヂーミル」でもいいんだけど! ただ「ティ」や「ディ」に聞こえなくもないところがややこしいところかな! でもやっぱり基本的には「チ」や「ジ」って書いとくのがいいと思うよ!
шは日本語のシャ行の子音で、чはチャ行の子音なんだけど、後ろに母音を伴わないときになんて表記するかが問題だね! 「シュ」と書くか「シ」と書くか、「チュ」と書くか「チ」と書くかってことだね! Эйзенштейнは「エイゼンシュテイン」と「エイゼンシテイン」のどっちでも間違ってないよ! なんなら「エイゼンシチェイン」でも間違いじゃないよ! もう理屈はわかるよね!
語末だと濁る子音の濁りが消えたりするよ! でも表記するときには反映されないね! Петербургは「ペテルブルク」じゃなくて「ペテルブルグ」って書くことになってるよ! ドイツ語の地名は「アウクスブルクハンブルク」みたいに書くことになってるのに不思議だね! たまに「ペテルブルク」って書いちゃう人がいるけどあんま好ましくないね! なんでかというと上で書いたような発音の法則があるから実際の発音に即して書こうとすると「ピチルブールク」みたいな表記になっちゃうんだよね! 「ペテルブルク」だと中途半端なんだね! 発音に忠実に書くのはめんどくさいから綴り通りに日本語にした方がマシだね!
ёは形の上ではеに似てるけど、読み方は「ヨー」だから全然違うね! でも、大人のロシア人は読み書きするときにいちいちёとеを書き分けたりしないんだ! 日本人が「これははんこです」を正しく発音できるのと一緒だね! Аксеновを「アクセノフ」って書いた新聞社があったけど、もちろん正しい綴りはАксёновだから「アクショーノフ」だね! このへん、慣れれば「これってёじゃね?」という目星をつけられるようになるよ!
そして、この文字が表記揺れを引き起こすこともあるんだ! Фёдорは「フョードル」って読むんだけど、たまに「ヒョードル」って書かれたりするよ! もちろん「フョードル」の方が正確なんだけど、「フョ」は日本人には発音が難しいから「ヒョードル」でも構わないと思うよ!
ロシア語のьは軟音符っていうんだよ! この文字自体は発音しないんだ! じゃあ何に使うかというと、前に置かれた硬い子音を軟らかい子音にする(口蓋化する)ために使うよ! 日本の慣用表記だと、軟らかくなった子音はイ段で表記されることが多いんだ! たとえばл「ル」に軟音符がついてльになると「リ」になるんだね! そしてこの文字は、ほとんどすべてのローマ字表記法で’の記号を当てることになってるんだ! でも、論文とかじゃなくて新聞とかの通俗的な表記だと、この’が落とされちゃうことがすごい多いんだよね!
たとえば、большевикиっていう単語をきちんとローマ字にしようと思ったらbol’shevikiになるはずなんだけど、実際はbolshevikiって書かれることがすごく多いんだよね! ロシア語を読める人なら「ボリシェヴィキ」って書くのが正しいってわかるんだけど、ロシア語を知らない人は「ボルシェヴィキ」って書きたくなっちゃうかもしれないね!
そしてこれが語末や子音の前に来ると表記揺れを引き起こすことがあるんだ! -ньという綴りが語末や子音の前に来ると、「ン」と「ニ」の中間っぽく聞こえるよ! だからКазаньは「カザン」とも「カザニ」とも書かれるんだね! ポーランド語のGdańskが「グダンスク」とも「グダニスク」とも書かれるのと同じ理屈だよ!
хは喉の奥から出す「フ」の音だよ! 日本語のハ行とは発音の仕方が違うけど、どの行に聞こえるかと言われるとハ行が一番適切なんじゃないかな? 袴田茂樹先生の妹さんはИрина Хакамадаだし! でもこれ、日本でよく使われるローマ字表記だとkhになるんだ! それに引きずられてカ行で表記されちゃうことがあるけど、間違いだね! ハ行で表記しようね!
яって文字はよく見るけど、何て読むか知ってるかな? そうだね、「ヤー」って読むんだね! でも、これをローマ字に直そうとしたらどうなるかな? 実は、ロシア語のローマ字表記にはいくつかの種類があるんだけど、それらの表記によってяをどう表記するかが違うんだね! イギリスでよく使われるローマ字表記だとyaだけど、アメリカの議会図書館式だとiaになり、そして国際式表記だとjaになるんだ! そうだね、ロシア語を知らない日本人がローマ字表記だけ見ると読み方を間違える余地があるんだね!
たとえば、Настяっていう女の子の愛称は「ナースチャ」って読むんだけど、議会図書館式でローマ字に直すとNastiaになるんだよね! ロシア語を知らない人からすると「ナスティア」にしか見えないよね! 綴りの後半部分はti-aじゃなくてt-iaで切れてるんだけど、そんなの普通わかんないよね! Надяは「ナージャ」って読むんだけど、ローマ字でNadiaって書かれると「ナディア」って表記したくなっちゃうよね! 違うアニメになっちゃうね!
さらにさらに、ローマ字に直すときにяの表記が誤魔化されちゃうことがあるよ! この文字は女の人の名前の語尾によく使われるんだ! たとえば英語の「メアリ」に当たるロシア語の名前はМарияで、日本語だと「マリヤ」って書かれることが多いね! でも、ローマ字にするときにMariaって書かれることがすごい多いんだ! たぶんMariiaやMarijaやMariyaだとわかりづらいと思ったんだろうね! けどMariaって書かれるとロシア語を知らない人は「マリア」って書いちゃうんだよね! Лидияも本当は「リージヤ」なんだけど、Lidiaってローマ字表記に引きずられて「リディア」って書かれることが多いね!
複数の間違いが組み合わさることが多いのがТатьянаだよ! これは女の子の名前で、素直に読み下せば「タチヤナ」になるよ! 議会図書館式に忠実に転写するならTat’ianaになるんだ! 真ん中の部分はt’-iaで切れるんだね! ’がついたことでtが軟音化して「チ」、iaで「ヤー」だね! でも’が省略されていると、iaが「ヤー」だと知らない人は、Tatianaを「タチアナ」って書いちゃうんだ! ひどい場合には「タティアナ」なんて表記されたりするね! そうだね、ti-aで切れると勘違いしてるんだね!
Литвякを「リトヴァク」って書いてある本があるんだけどさすがにちょっと許せないかな! どうやれば「リトヴァク」になるのかな!? もちろん「リトヴャク」が正しいよ! 「ヴャ」は発音しにくいっていうなら「リトビャク」って書いておくといいよ! 「何百」を発音できない日本人はいないよね!
じゃあみんな、юはなんて読むか知ってるかな? そうだね、「ユー」だね! でもこれもяと同じで、yuとかiuとかjuとか色んなやり方でローマ字表記されるよ! だからたまにiuっていうローマ字に引きずられて「イウ」と書いちゃう人がいるんだ! 気をつけようね!
ロシア語は強勢の位置がすごい大事なんだけど、間違えて書かれることがあるんだ! БладимирВладимирは「ウラジーミル」なんだけど、「ウラジミール」って書く人がたまにいるね! チェコ語ならVladimírだから「ウラジミール」でいいんだけどね! 父称のВладимировнаも「ウラジミーロヴナ」じゃなくて「ウラジーミロヴナ」だからね!
たまにロシア風のキャラクタの名前として「イゴール」っていうのを見かけるけど、これは複数の間違いの複合だね! Игорьはロシアの男の人の名前だけど、厳密にローマ字に直すとIgor’になるんだ! そこから’を抜いてIgorにした上で強勢の位置を間違えると「イゴール」になるんだね! もちろん「イーゴリ」が正しいよ!
いくつかの理由があるよ!
これ、つまるところ英語の名詞をカタカナで書こうとするときの苦労と一緒だね! そういえば英語も「発音に忠実な表記を諦めて綴り通りに表記することにしている」場合がすごく多いよね! Bostonは「バッスン」じゃなくて「ボストン」、Donaldは「ダナー」じゃなくて「ドナルド」って書かれるよね! そういう意味では英語とロシア語って似てるね! オラ英語に親近感湧いてきたぞ!
Fateのサーヴァントとか、あんまりメジャーじゃない方の表記ゆれ名使ったりしてる印象があるが、検索避けみたいなこと一応気にしてんのかなと思ったりする。
奈須きのこそこまで考えてないと思うよ!
ま……マジだ! めっちゃ恥ずかしい! ごめん! 気づかなかった! 訂正しといた! 教えてくれてありがとう! Владимировнаの部分は正しく書いてたからそれで許して!
言い訳すると、ローマ字対応のキーボードでキリル文字打ってるから、ボーッとしてるとつい目の前のBってキーを押しちゃうんだ! でもそれを押すとБが出てきちゃうんだ! 稀によくある!
アウクスブルクは煩雑な発音とつづりとの中間点・妥協案的表記であるので,その直後に「ペテルブルクは中途半端でダメ」とか言われれると増田お前自己矛盾してんぞって顔になった。
ごめんね! 正直「~ブルク」ってつく地名なら何でも良かっただけなんだ! よく知らない言語について迂闊なこと言うもんじゃないね! 「ハンブルク」に直してみたけど、これならどうかな?
3・11の地震では都市は震源地から離れていたこともあり、それほど大きな被害には遭わなかった。
でも都市で同じ規模の地震が起きたら多大な被害が出ることがわかった。地震でビルは倒壊し、津波は地下街をも飲み込む。液状化現象で沿岸部は住めなくなるかもしれない。
じゃあみんなで地盤のしっかりした高台に引っ越そう。電力も地方に負担を強いるのはやめてみんな分散して暮らそう。とはならなかった。
新型コロナウイルス禍では、都市は感染リスクが非常に高いことが明らかになった。
人が密集して暮らせば未知のウイルスを前にひとたまりもないことがわかった。人が多すぎると医療ももたないこともわかった。
なかには人の少ない地方に移住しようと叫ぶ人もいた。実際に移住した人もいた。
じゃあ都市に残っている人もなるべく地方に移住しよう。これからは分散して暮らそう。ひとつの場所に人間が密集して暮らすのは良くない。とはならなかった。
未知のウイルスに感染するリスクがあっても人は都市に住み続けている。
結局、人間は田舎では暮らせないのだ。それにはいろいろな要因があるのだろう。
都市部はリスクがあるかもしれないけれど、自分だけは大丈夫だろうという正常性バイアス。
やっぱり人は人がたくさんいるところで暮らしたいという心理もあるのかもしれない。
日本人が知るアメリカというのは海岸線に近い一部の地域(サンフランシスコとかニューヨークとか)で内陸部のことは知らないことが多いというのは定番ネタだろう
更に言えばネトウヨから出羽守なんて言われている人たちが思想的影響を受けているのは西海岸の一部の地域であることが多いのも定番ネタか
しかしそんな出羽守も実際のところ北米西海岸のリベラリズムをよく理解せず、なんだかんだで日本文化の尺度で北米西海岸のリベラリズムを解釈してはガチ勢にツッコミ入れられてしまうということが繰り返されてきた
何故そのようなことが起きるのか?
理由は単純で北米西海岸のリベラリズムの正体が「努力し続けることによって自分自身を磨き上げ人間レベルを上げようというマッチョな思想」であるということを理解していないからだ
北米西海岸のリベラリズムは個人が置かれている環境の影響によって努力することすらできない者のために努力できる環境を作り上げるということはする
これは言うなれば「スポーツジムが存在しないのであれば高性能なマシンが完備されているスポーツジムを用意する」というやり方であり、当然ながらそのジムでマシンを動かして筋力や心肺機能を高めるのは個人自身の努力によって行われなければ"ならない"のだ
口を開けていれば降ってくる恩恵なんていうものは北米西海岸のリベラリズムからすると資本主義をリードするステイツの敵である共産主義でありアカなのである
一緒に努力しよう!努力するアナタは素晴らしい!より一層努力することでアナタの人生は豊かになる!
四肢が欠損していようが、遺伝子異常を抱えてようが、難病に罹患してようが、アナタ自身が今できる努力をしてレベルアップしよう!努力するための環境サポートは任せろ!
もちろんその様子はテレビで放映し努力しようとする仲間たちに伝える!アナタは多くの人から称賛を得て名誉を獲得する!(北米の)社会に認められるんだ!
これはスタートに過ぎない、明日はもっと高いレベルへ挑戦しよう!!!
北米西海岸のリベラリズムは大真面目にこのようなことを考えており、自分の努力の結果をFacebookやInstagramで公開するのである
だからこそ鍛え上げられた引き締まったボディを高く評価し、そこには男女のエロシチズムすら内包する美しさがなければならないし、北米で活躍する俳優やモデルはそういう人物が選ばれる
北米西海岸のリベラリズムの表層に感化された日本の出羽守がいくら男女平等や人種差別反対を訴えようとも表層しか理解していないので(北米西海岸のリベラリズム的に)おかしなことを言い始めるわけだ
BLMだってシンプルに考えたら良い。白人が黒人の努力する権利を奪うなである
なぜ死刑反対なのか?死んだら努力できないからである。それ以上のレベルアップが見込めないからである
北米西海岸のリベラリズムは努力しない怠惰な者は想定されていない。それは共産主義だからだ
北米西海岸のリベラリズムへシンパシーを感じるのであれば、アナタは日本社会へ様々な分野のスポーツジムをたくさん作る訴えをし続け、アナタはそのスポーツジムで鍛え続けなければならない