はてなキーワード: 研究室とは
京大や東大やその他有名大学の研究開発サークルや研究室で、アニメ・マンガ・ゲームのキャラの名前が使われている日本で、増田はマジで何ってんの?って思う
ただ、世の中に、嬉々として教育虐待を行う親たちがいることは問題だよな
フツーに過ごしていて、フツーに京大や東大やその他有名大学に入れる子だけ入れば良いけど、そうじゃない子にも門を開けているから、
京大や東大やその他有名大学に合格するために、進学校での勉強や予備校や部活だけの生活になっちゃう子たちがいるんだよな
(しかも、現在の学習方法や受験制度では、それでもなお合格できない子どもたちすらいる)
それで生まれるのは、大谷翔平みたいな世間の常識から外れた(例えば、数億以上使われても気づかないとか)、困った人なわけだけど、
困った人が作るアニメ・マンガ・ゲームは、まぁ困った内容になるよね
ジャンプとかバイオレンスのためのバイオレンスを描いてた時代・お色気が許されて時代よりも、倫理観壊れまくりで、
いま令和だぞ?てなること多いもんな
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いま、自分は地方メーカーで工場に勤めているが、ここで恋人を作るのは至難の業。
うちの会社の女は倍率100倍の日大と、と会社の誰かが言っていた。言い得て妙だな、と思う。
社内を見渡してみると、街コンやらマッチングアプリに一生懸命取り組んでいる人がちらほら。
色々とやることが多い20代後半~40歳前後になって、嫁探しに精を出す。馬鹿にする訳ではないが、非常に勿体ないと感じる。
学生時代に恋愛し、社会人になってから結婚するのは受験でいうところの推薦みたいなもの。ゴールが一緒なら苦労は少ない方が良い。
打算の気持ちよりもお互いの好きという感情で付き合い、そのまま結婚する。今振り返って思うと、幸せなことなんじゃないかと思う。
個人的に最も大きな人生の転機だったと思う。現役でギリギリ入れなかった大学をもう一度受けなおし、何とか合格することができた。
Fラン私大と国立大学の差は歴然だ。置かれた環境、周囲の自分に対するイメージ、学費、そして友達の質。
自分という人間であることに何も変わりは無いのにラベルだけが一新されることに最初はとても戸惑った。
だが、一生懸命ついていこうと努力するうちに、自分に貼りついたラベルだけでなく自分自身も変わっていく。
彼女もここでようやく手に入れた。
変わるだけの土壌が国立大にはあった。Fランには無かった。無いわけではなかったかもしれないが、自分には見つけられなかった。
ゴミのような大学に入ってしまった君は一年無駄にしてでも仮面浪人することを強くお勧めする。
修羅の道だが、受からなかったとしても今までと同じ大学生活が続いていくだけ。失うものは無いのでぜひチャレンジして欲しい。
国立大学への進学を機に母親と離れた。それ以来、必要なときだけ友好的にコミュニケーションをとるようにして今に至る。
俺の母親はいわるゆ毒親だった。俺や俺の姉、父、祖父母に対して常に攻撃をしていた。
母は世間知らずだ。農家の長女として育てられ、仕事などほとんど経験しないまま、父と見合いで結婚。
今ならわかるが、母は親としても妻としても無能だった。それが影響してだと思う。自分が小学校に上がるタイミングで家族まるごと祖父母の家で暮らすことになった。
俺は毎日祖母の飯を食べ、祖母の掃除した家で過ごした。今でも祖母は自分のことを可愛がってくれる。自分にとってのおふくろの味は祖母だ。
祖母がパートや家事、農作業を行うなか、母が何をしていたのか、まったく記憶に無い。毎日GYAOで韓国ドラマを寝ながら見ていたような気がする。
たまにアルバイトを始めたと思ったら、半年も経たずに辞めていく。そんなことを繰り返していた。
後は祖母を執拗に苛めていた。そんな母親が俺は大嫌いだった。が、嫌いという感情を出すことすら憚られる何か圧力のようなものを感じてもいた。
母は高卒だった。大学に行けるだけでもありがたいのに、Fランの私立に行くなんてありえない。そんなことを毎日言われた。
そんな折、気づいたら何故か父が家を追い出された。子供がある程度育ち、父が限界を迎えて自分から出て行ったのかも、と今にして思う。
こうして振り返ると母は悪魔のような人だったのだが、今では物理的にも精神的にも距離を置くことができ、心から安堵している。
たとえ血を分けた肉親だろうとクズはクズ。逃げることは何も間違っちゃいないのだと今にして思う。
ちなみに姉は母と一緒に今も住んでいるが、ときどき病んだような連絡が届く。心配だが、今の幸せを壊されたくないので接触は最小限に控えている。
・就職活動に本気で取り組んだ
国立大学とはいえ自分は理学の専攻だったため、就職はそれなりに苦労した。
今までやってきた研究と就職してから行う仕事のマッチング率が低く、ESや面接に落ちることもしばしば。
同期の大半が諦めて適当な地元企業に応募したり、急に公務員に舵を切り出していった。
そんな中、自分はメーカーを中心に滑り止め、中堅、大手と手広く応募し、最終的には第三志望くらいの企業に見事合格した。
就活に理解のある研究室ではなかったため、教授からの目線は冷たかった。
が、研究と並行しながら早め早めにインターンシップやアルバイト、面接対策に精を出し、最後に結果を出した。
いま、自分は30歳くらい。福利厚生、仲間の質、そして年収。大学の同期と比べてもたぶん上位2割には入っている自信がある。
もちろん年収、能力に関しては上を見ればキリがない。自分自身、今の仕事についていけなくなる可能性もある。
でも、いまのうちから貯金や資格取得、勉強など自己啓発は積極的に行っている。年収が下がることになってもたぶん俺は生きていけると思う。
それにしても。
日本だけなのかわからないが、受験にしろ就活にしろ、局所的な努力に対するリスクとリターンが大きすぎる。
今の日本の制度に異を唱えて貴重な時間を無駄にしたり努力を放棄するのではなく、 「やるべきときにやるべきことをやる」というのを念頭に、人生を歩んで欲しい。
・車を持たなかった
これは人や住む場所にもよるが、俺は車を持たないことは可処分時間、可処分所得を大幅に上げる大きな財テクだと捉えている。
維持費もかかるが、なにより運転している時間が無駄。その点電車やバスは目と耳を好きに動かせる。この差は大きい。
車での移動がどうしても必要な場合はレンタカーやタクシーで十分。
それでも移動したい場合、俺は原付を使っている。車に比べたらオモチャみたいな値段だが、もう10年以上の付き合いだ。
丁寧にメンテをしてやれば長持ちし、長距離の移動にも耐えられる。
時々会社の人からはバカにされるが、これに関してはバカにされて笑っていられる奴の勝ちだ。
ちなみに俺の実家は一人一台+トラクターやコンバイン、軽トラを所有する田舎の農家。
当たり前のように生活の中に車があった。
学生時代、当然のように車を親にねだったが、父が買ったのは激安の原付。
超重要。これができないと人生のあらゆる面で苦労することになるので必ず身に付けておくようにしたい。
今回、こうして日記に人生でやってきて良かったことなんてのを書いているが、リアルな人間にこんなマウントに近い自慢話をしたことは1ミリもない。
ここは鋼の精神力で自己を抑えなければならないことを頭で理解している。だから言わない。ネットの世界だけにしてる。
年収、恋愛、学歴、貯金どれもかなり人によってセンシティブな話。
多少、会話の際に滲み出るかもしれないが、あくまで事実として淡々と発言すべき。
間違っても他人と比較した際の差に関する発言や、助言的なことは自発的に言うべきではないのだ。
自分も時々不要な一言で場の雰囲気を悪くすることがある。そうして後悔しても後の祭り。その場の雰囲気や持たれた周囲からの印象はそう簡単には変わらない。
自分が100%正しいと感じても、他人の批評はやめた方が良い。うまく言葉で説明できないのだが、批評の気持ちを持つと人間関係にヒビが入りやすい。そんな気がする。
「○○のためにはっきり俺は言ってやるんだ」と言ってキレのある発言をする奴もいる。
確かに言われた○○の人生には多少プラスになることもある。それは事実としてその通り。
だが○○は助言者に感謝などしない。むしろ感情としてはヘイトだけが残る。
それを覚悟の上で助言をするなら問題ないとは思うが、それなら寄付でもした方がよっぽど建設的なんじゃないかと思う。
もしこういう奴が居たら俺はそいつの発言を3割程度に受け止めるようにしている。
大人になると誰もが自分の保身を優先するようになる、だれも悪いふるまいを注意なんてしてくれなくなる。
自分で意識して、変えていかないといけないんだ(耳が痛い・・・。)
以上。長々と書いてきたが、何か心に残るものがあればこれ幸い。
追記:
初年度納入金(入学金+前期授業料+後期授業料)のうち、入学金+前期の学費は親負担、後期授業料は奨学金から。
それ以外、仮面浪人時代の生活費や受験にかかわる模試だとか受験の費用、国立大合格後の引っ越しなんかも奨学金。
それ以降の大学生活とカネの関係については質問があれば特定されない範囲で答える。
・ミニ四駆好き?
「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。
じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。
もちろんこれは、単なる個人の体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付けや証拠を出せ!と言われても無理である。増田だから匿名だし。
ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。
すごく賢い男の子がいた。
私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気がクラスにはあった。
ある時、別の賢い男の子が転校してきた。
あまり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。
ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。
男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。
「まさか、女に負けるなんて」
私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。
そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。
そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子だから!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。
従兄弟はクズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。
これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母に随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。
私は、嫌になるほど祖母に似ていた。
外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。
そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。
私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。
「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母の姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」
「えっ?それって」
「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」
ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。
田舎の小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。
だから脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。
というわけで、若干遠い学校に通うことになった。
一時期、寮に入っていた。
その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。
「下着も干している、プライベートな場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」
私の主張は鼻で笑われた。
「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」
私は食い下がった。
「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしのプライバシーを尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」
男は心底驚いた顔をした。
「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」
周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。
どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。
翌年から私は寮を出た。
私も、周りの子も、親や教師に相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。
お前達は子供だからお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想
あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢とかいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。
一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。
このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分の権利を主張するな、という空気しかなかった。
今も変わらない?そうかな……そうかも……
部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。
理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。
もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的に彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。
「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」
しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!!?!?!(流石にキレる)
感謝の気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?
最後に感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?!
人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。
食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき、台所で食べた。
「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。
お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。
ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。
最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。
ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。
お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。
「やっぱり、お墓参りはちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」
と言いにくそうに言われた。
「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????
と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。
そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。
そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に、女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。
そのうちの一つが、以下に書くような話だ。
というか、胸の大小について、男性から公的な場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的な言葉をかけられる。」
これまで私が受けてきたセクハラは、「性的な意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。
でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的な意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。
私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生に揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。
だから余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。
大学院に進んだ。
そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。
父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。
一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。
「女がそげん勉強して、どがんすっ」
翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である。
小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。
戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母の気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。
大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。
買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から、言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。
男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、
と言われた。
雷に打たれたような気持ちだった。
こいつは何を企んでいる?と思った。
どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。
頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。
女の子だから、という理由で作業を免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。
さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。
もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったものが日本の他の地とは違っているからだと思います。
普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。
中学生くらいの時から、欧米の女性は自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米の女性はそもそも『お人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォだから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。
前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックスの相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんとしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも10〜20年前の九州ではそう言われていた。
生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所を俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。
上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代、男の子になりたかった。
だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。
「男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。
セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。
一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。
ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的な気持ちで、男の子になりたかった。
あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。
私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。
けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。
今、私は、身体違和を感じていない。
生まれながらの心の問題とは別に、社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療法である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。
この人はまだ救いがありそう。仕事を抱え込んで周囲と進捗共有が下手くそな人は、学歴の高い人に結構いる印象。
なぜかというと、日本の文科系の研究室は、個人営業でチームワークでなくて、互いに進捗共有とかフォローし合いとかチーム作業がほぼない。(チーム作業すると業績を盗まれる、というリスクもある。)また教授はエライので、個人プロジェクトの細かいことを日夜報告する習慣がない。
その状態で、一般職的な職場に就職すると、初期の職業訓練で、電話の取り方とかお茶の出し方とかシュレッダーのゴミは率先して処理する、みたいなことを女社会で叩きこまれる。
チーム作業の経験や研修があれば、この辺は習慣の問題でもあるから乗り越えられるのではないか。でもチームワーク研修ってあんまり聞かないな。今はチームビルディングで心理的安全性を創出するには、みたいな話になってしまって、プロジェクト、タスク、スケジュールの見える化と共有をどんな感覚でやればいいのか、っていう研修とかあんまり聞いたことがない。当たり前すぎるのか職場ごとに違いすぎて研修できないのか。
助手が()付きなのは単独では授業や研究室をもてず、特定の研究室のお手伝いをすることが多い役職だから。場合によっては、単年契約だったり年限付きのパートタイムだったりする場合もある。大学院生がアルバイトでやっていることも多いね。
なお2007年ごろまでは、以下のような順序だった。
「助教授」だと教授の下働きのように思われるので、そうでないことを強調するために、「助教授」→「准教授」という名称に2007年ごろ国の方針で変わった。
現在「助教授」はほとんど存在しないのではないかな。たいてい准教授だと思う。
なお、「助教」という役職が新しく増えたのは、人手不足の中、助手に授業をやらせるためという説を聞いたことあるけれど本当かどうかは知らない。
さてここからが大学の闇なんだけど、大学の専任のポストは非常に限られていて、そのため非常勤であったり年限付きの役職が増えている。
まず、毎年の契約更新という最も弱い立場なのが非常勤講師。特定の授業を受け持つために契約するのだけど、授業の人気がなかったりカリキュラムの変更があったりするとあっさり来年は契約更新ありませんのでと言われる悲しい職階です。
そして、大学が5年間計画などを立てて、独自に予算を確保したり、国からお金をもらって作る年限付きのポストが特任ほげほげという職階です。
特任助教、特任准教授、特任教授。こういう名称は、5年間などの期限のあるプロジェクトのために作られた臨時のポストですから、そのプロジェクトが終わったら職を失うことになる。
その意味で、数年たったら職を失う特任准教授よりも、専任講師や助教の方が安定感と安心感が上みたいな逆転現象も起きてしまう。
だから、色々な大学の非常勤・特任職を渡り歩きながら、なんとか常勤(専任)のポストに潜り込むことが大学系の定番のキャリアパスとなります。
レアケースだけど、私立大学の特任准教授(30代後半)から、国立大学の専任の助教になる人もいます。そのような人はたいてい優秀なので助教→准教授→教授とすぐに昇進するけどね。
はてブを含むネット上で落合陽一は過剰に持ち上げられるか過剰に貶されるかのどちらかで、バランスの良い評価が無い気がするので、なるべく色眼鏡を外すよう努めつつ個人的な見解を書く
作品の評価に好き嫌いはあると思うが、世の中の「メディアアーティスト」たちとポートフォリオを並べた時に上位にいることは間違いないんじゃないか。作品が貶されてるところも割と見るけど、メディアアートって良くも悪くもこんなもんでしょ。個人的に彼の作品は割と好き
発表文献リストは長いが、アカデミアで「業績」にカウントされる査読つきフルペーパーは少なく、いわゆるポスター発表・デモ発表の類、査読なし会議や競争率の低い論文誌での発表が多い。したがって「研究者として膨大な実績がある」というような評価は明らかに誤り。ただ、トップレベルではないとはいえ、世の中の「准教授」の標準くらいの業績はあると思う
彼の研究室の学生に話を聞くと、先端的なイベント・企画に参加させてもらって得難い経験をしているようで、面白そう。ただ、研究指導はほとんどされてなさそうで、勉強や研究が苦手な人が学位を取りたい場合は辛いかな…
これは明らかに向いてない。瞬発力があるタイプではないのか気の利いたコメントが出てくる事がない…というか、むしろ何を言ってるのか分からず司会者が困ってるシーンに良く遭遇して見てて辛い。滑舌も辛いので、この仕事を続けるつもりなら最低限ボイトレは受けてほしい
政府系の会議体の構成員などの仕事、これは便宜上「有識者」と言われるが実際のところ特に有識ムーブは求められてない事が多い。ぶっちゃけ私もやったことあるけど「各界の声を聞きました」という証拠を残す目的が主で結論は初めからだいたい決まってる。彼は名前が売れてるし似たタイプの人材がないので、特に裏の事情などが無くとも政府から声が掛かりやすいのは理解できる。
京都の水族館の研究室がバイオハザードのアンブレラ社っぽい、っていう話の画像の中でスタッフが関西弁云々ってのがあって、「この設備で関西弁って面白いな」となんとなく思った。
関西のラボが関西弁なのはよく考えたら当たり前で、そこに面白さを見出したのは、(特にマッドな)ラボのスタッフは標準語を話す、というステレオタイプを持ってることの現れだろう。したがってここでおかしいのはラボではなく自分の認知である。
とはいえ、ラボの標準語っぽさはどこから来るのか。「自閉症は津軽弁を話さない」という研究からすると、ASD者の特性が有利なマッドサイエンスでは標準語に偏りそうな感じもあり、なんとなく理系より文系の方が方言が強い感覚がある。(とはいえ私の通った大学は理系もみな関西弁だったから、ラボ=標準語というのはまるっきりテレビの世界の話だ。)
そういうわけで、方言を話すマッドサイエンティストというキャラを作るのは面白いかもしれない。
その際、単に方言を話させたり、そのお国のステレオタイプを塗り付ける(例:軽薄な関西人、寡黙な東北人など)のでもそれなりに面白そうではあるが、ここにさらに「自閉症は津軽弁を話さない」の理論を踏まえたそこのラボで方言が使われる理由のようなものを付け足しても良いかもしれない。
自閉症が津軽弁を話さないのは、ASD者は会話よりメディアから言葉を覚えるからだという。
そうすると、そのマッドサイエンティストは組織に育てられ組織のメディアで育ったのかもしれない。
組織は、言葉が違う=地域共同体的な側面があることからすると、政治経済を支配する中央から冷遇される、「南部」とか「少数民族」とかであろうか。
しかしそんな組織の中だけで高度な先端科学者を育成するのは難しいから、その科学者は英語圏か中国に留学したのだろう。だから母語は標準語に汚染されず、組織の使う方言のままになる。
何となくだけど、組織の設定も込みで、「方言を話すマッドサイエンティスト」キャラが出来てきた。
(余談だが、ASD者が方言を話さないのは会話よりメディアから言葉を学ぶからという理屈からすると、ネットメディアから言葉を学べばネットスラングに染まったASD者が発生しそうだ。理系研究室、会話でネットスラング使いがち問題の遠因だろうか。)
ガチガチのIT業界に飛び込むか、組み込み系などで電子工学よりの仕事をするか。
俺が就活をした1X年前は、IT業界といえばブラックな噂が飛び交う魔窟だった(よく分からん人は「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」とかで検索してみてください。これが投稿された前後ぐらいで私は就活してます)
「昔はまだ高給だったから耐えられた」
「一部の勝者が元請け一次請けとして儲けてるだけ」
「人売りだらけで正社員採用されても実態は派遣社員のパターンばかりだ」
といった黒い噂を毎日のように耳にする状況であった。
(今考えれば、情報機器に触れる機会の格差によってブラック情報の発信頻度が業界によって違っただけで、どの業界にも同じようなブラック話はあったのだろう。なにせ就職氷河期の前後の話だ)
同級生達は「ゆーて一部の負け組が言ってるだけやろ」 「ネットの噂を鵜呑みにするとかありえない」 「就活ダルすぎるから教授が薦めてきた所にそのまま入るわ」とIT業界に次々入っていった。
俺は自分の先見性を過信していたので「これからITは更にブラックになる!だから俺は今のうちにITという泥舟から飛び降りる!」と工業系の世界へと飛び込んでいった。
結果はタイトルの通りだ。
「あのとき、同級生たちと同じようにIT業界に入っていれば……組み込み系に染まることよりも他の業界へ移れること優先でスキルツリーを伸ばしていれば……あと5年早く決断を……いや10年か?せめてもっと上流工程に……そのためには学歴が……高校生の頃にゲームなんてせずに勉強を……そもそも中学生の頃に勉強してもっとちゃんとした進学校に……」
カセットテープみたいに擦り減ってくれればいいのに、いつもいつでも新鮮な気持ちで後悔が押し寄せてくる。
働いてるとき、スーパーで買い物してるとき、ふと寝ようとしたとき、ゲームで遊んでるとき、飲み会の最中、風呂場、トイレ、サウナ、いつどこで始まってもおかしくない豊かに過ごせたかも知れなかった人生への未練。
辛いよ……IT業界が再びブラックになって、同級生たちがみんな過労死する未来さえ願ってしまう。
俺が選択しなかった人生が、俺の選択した人生よりも大きな失敗であることを願うぐらいしかもう出来ない。
俺が本当に悔しいのは、俺が同級生たちのように「俺達なんだかんだいい選択したよな~~~~」という気分で人生を選べた可能性を、自分のつまらん思い込みで捨て去ってしまったことなんだ……。
才能も努力も変えられなくても、選択だけだったら簡単に変えられるんじゃないかってこの気持ちもまた思い込みだったりするんだろうか。
確かKEYのリライトだったかな、インタビューで田中ロミオか竜騎士07か忘れたけど「シナリオごとに主人公の性格が違いすぎるみたいな話って、ルートごとに分業制のゲームでよく言われるじゃないですか? でもルートによって性格が変わるのって当たり前だと思うんですよ。 性格が違うから選択が変わってきたわけで、それぞれのルートの主人公は「そのルートを選択するような性格をしていた主人公」の話なんですよね。 「主人公の選択が違ったら」じゃなくて「主人公の性格が違ったら」なんですよ。 」みたいな話をしていた気がする。(URLすぐ持ってこれる人がいたら教えてくれ。3分ググったけど見つからなかった)
私が
「IT業界に進んで人生を成功させた友人、IT業界への道を避けて人生に失敗した俺、俺達の人生はどこで差がついたのか?
本当にその違いは「IT業界を避けたこと」だけだったのだろうか?」
と言いますので、
皆さんはなんかこうあとはもう好きにしてください。
朝一の会議に参加しようと在宅勤務用ラップトップPCを開くと、新卒一年目の後輩から会議用チャットにメッセージが届いた。
「じゃあ後輩さんは欠席らしいので、揃いましたかね」
「体調悪くなるほど会議に出たくない私情、よっぽど皆さんと話したくなかったんですね。心配です」
上司が堪えきれず笑った。ミュートになっている他の参加者もきっと笑っただろう。別のお調子者の後輩が続けた。
「いや-、自分も午後一の打ち合わせ、私情で欠席したくなってきたなぁ」
「いや、それ自分との打ち合わせでしょ。そんなに嫌われてたの?」
昼休み、朝の出来事を趣味の仲間が集まったSlackに書き込むとその中の大学教員が反応した。
と言ってリンクを示す。
『この時期は特に就活イベントやら面接やらの″私情″で休む奴だらけよ』
『変やで、とは逐一伝えてるけど客員やってる関東の大学生も使ってるから特定の地域に限らず相当広まってると思う』
大学教員が示した記事を読むと、20代と30代を境に『私情』が『個人的な感情』に加えて『個人的な事情』の意味も持つと考える割合が大きく増えている。
『若者言葉って事なんですかね。こう言う事態に直面するとおっさんになったのを実感しますね』
私事や私用という便利な言葉があるのにわざわざ紛らわしい表現を使う理由が理解できない。しかし言葉の意味合いは変わっていくし若者言葉として浸透し始めたなら抗っても仕方がないという気持ちもある。そんなモヤモヤとした気持ちを抱えたまま昼休みが終わった。
午後一の会議の雑談で、昼休みのモヤモヤを少しでも解消すべく話題をふる。
「朝、私情で欠席ってメッセージを茶化したけどこれって若者言葉なんですね。後輩さんも使うんですか?」
「自分は紛らわしいと思うので仕事では使わないですね。ただ個人の事情を表したいときに私事や私用よりも私情って言う言葉がなんとなくしっくりくる感覚はわかります」
なるほど若者の感覚が私情という表現を選んだのであればもはや何も言うまい。若者の感覚に合った言葉が今は不合理だとしても、未来の日本人の気持ちをよりよく表せる表現が私情なのだろう。
そう納得したからかその後の午後の仕事には集中して取り組むことができ、珍しく定時には勤務終了となった。
特に予定が入っていたわけではない夜、時間を持て余した自分はデリヘルを呼ぶことにした。
『清楚系・巨乳現役女子大生』という男の心をくすぐる文字が並ぶ。新人のようなのでレビューはないが、新人であればこそ年齢は大きく外さないだろう。今日はこの娘に決めた。
30分後、あらわれたのは同年代と思われる30代中盤の嬢だった。
「よろしくお願いします。えっと、ゆみさん、ですよね?21歳の」
女性の年齢は見た目だけでは分からない物だ。干支での年齢確認.....は設定と一回り近く違ってそうなこの嬢では意味が無いだろう。服を脱がされながらも年齢を確認するための手段を求めて頭を回す。
21歳のゆみが聞く。自分はここだと思い渾身の回答をぶつける。
「いやぁ、今日は私情で仕事を休んだんだよね。ゆみちゃんは私情で休んだりとか出来るの?」
「私情?私用のことかな?予約とか入ってなければ出来るけど、あんまり当日休みすぎると怒られるよ」
30代中盤のゆみはそう答えた。
年齢は偽りで特に清楚さも感じられなかったゆみだったが、巨乳は真実だった。またベテランの風格を感じるサービスも素晴らしく、最終的に自分の私情はゆみの胸に包まれ決して未来の日本人へは繋がらない場所へと果てた。
これは全く同意見。この枠組みは、ブルデューの言うハビトゥスに近いものがあると感じてる。彼らが、友人と議論し、切磋琢磨する過程で身につけたものと、全く同じものは、独学で身につけられないだろうが、しかし、技術的に近いものは身につけられるはず。そう思い、自分も、身につけたい「常識」を毎日勉強してる。大学の勉強もそれに含まれる。ある意味、彼らと同じような「正規の教育過程」を経てないので、その分、なおさらがんばらなければいけないと思っている。
余談になるが、自分のいた研究室の教授は、超自然的な直感で、実験前に実験結果の数値を予想していた。実験すると、たしかにそうなる。他の助教やPhDの理解を超越していた。あれは一種の天賦の才に近いところがあったと思う。
防衛大は入った時点で自衛隊に就職できることがほぼ確定している。
同じように、旧帝大の学生は入学した時点で公務員(準公務員も含む)になれることはほぼ確定。
みたいな感じにしてやったらいいと思うんだけどどう?
県庁の総合職、技術職、(もうちょい待遇を上げた上で)国公立小中学校・高校の教員、国公立図書館司書、国公立美術館・博物館の学芸員など
これらには、よほど成績が悪かったり素行が悪かったりしない限りほぼ確実になれる。
旧帝大に入れる時点でそれなりに性格も真面目で地頭もいいだろうから、仕事は務まると思う。
もちろん公務員になるには旧帝大じゃなきゃいけないってわけではなくて、他大卒用の採用枠は用意する。
あと旧帝大に入ったら絶対公務員にならなきゃいけないわけでもなく、民間就職したければしてもよい。
いや、なんというか、
能力的には申し分ないんだから、さっさと国が雇って、国のために働かせればええやん。
芋っぽくて大人しいけど真面目で優秀な彼らには公共の仕事がうってつけでしょ。
なにSPIで小学生レベルの算数解かせてんねん。コミュ力とか容姿で落として自信失わせてんねん。
嘘のエントリーシート書かすな。
そんで「就職できなかったらどうしよう・・・」ってビクビクさせるんだろ?
あと、優秀層の囲い込みという意味もある。
旧帝大でも垢抜けていてコミュ力抜群なやつはいるけど、結局、そういう層は外資に取られてんじゃん(特に東大)。
外資に取られるくらいなら、日本で公務員やってくれた方が良くない?
大学で研究して新技術を開発したり、歴史・文化の保護をしたり、地域のために働いたり、子どもの教育に携わったり、
そうしてくれた方が良くないか?
学歴社会叩きとか公務員叩きとかあるけど、そんなの全部嫉妬じゃん。
ちゃんと社会全体で優秀なやつを持ち上げて(上手いことおだてて)、安心して活躍してもらった方がええに決まってるやん。
変に引き摺り下ろそうとするから、民衆に敵意を抱いたり、自分の利益しか考えなくなったりするんや。
旧帝大生の人生を保証してあげることで、安心して国の発展のために働いてもらう。
だと思うんだけど、どう?
【追記】
別に低学歴をいじめろとか一言も言ってないのに、みんな意地悪やな。
就活の早期化、なぜ起こり始めたのだろう。
本当に良い迷惑だ。
早期化することで大学の研究が意味をなくしつつあるのではないかと感じる。
研究が内定先の業務と結びつくなんてことはほとんどない。なので大学生活は修論(卒論)が書ければ十分である。そこに優劣はない。
仮に研究をちゃんと行ったとして、就活の「勉強」ができなければ行きたいと思った場所に行けない可能性がある。
なぜなら、数多くの日本企業様にとって研究の成果よりも「人柄」の方が大事だからだ。
将来を最適化しようとすると、「成果」と「人柄」をよくする方がよい。
実際周りの人を見ていても、いかにして手を抜いて研究をしようかという風潮が見受けられる。
「研究を就活のモチベにするのはいかがなものか」という意見もあるかもしれないが、モチベがないよりもマシであるし、大学生活に意義ができるから良いことではないのか。
モチベがあることで研究をやり、面白さを見出す人がいるかもしれない。
少なくともバイトリーダーをしたことを鼻高々に自慢しあっているようなクソキモ異常光景よりはマシだろう。お前どうして大学いってんだ?ってことを聞けよ。
もちろん、「勉強」より研究が大事だという雰囲気を感じるような企業はある。私にとってそういったところの面接は非常にやりやすい。
しかしそのような会社に行ける保証はない。そのため多くの学生にとっては行けないと仮定した上で生活した方が合理的だ。
大学での成果が全てではないという意見や、人とのコミュニケーションが大事だという意見には同意する。
そしてこのような面接が完全に機能しそうだと思われる業界もあるとは思う(営業とかまあねこういうの求められてそう)
しかし全体として、この「勉強」は本当に日本企業にとって理想的な流れなのだろうか。
ダイイチシボウデス‼️と言えることが人柄として優れている証なのか?
「嘘も方便、こんな簡単なことも言えない人はどこか問題がある」というが、問題があるのはこんな茶番をやってしまうあなたたちではないのか?
人事とかいう専門のかけらもないやつに評価される就職。なにがポテンシャル採用だ。お前のいう「ポテンシャル」はどういう意味なんだよ。
一体大学生活とはなんだったのだろうか。コロナで途中から友達数のグラフ横ばいだしよ
こっちはまだほとんどオンラインでやってんだよ。研究室同期とか合わねえのにどう思われているかとか知るかよばーか
学部生だとしても大学生相手に就活させてんだから、面白かった授業とか、最近読んだ本とか土日やったこととかそういうの聞けば良いんじゃないの?
春から研究室配属がされて全然違う生活に放り出されるんだけど恐怖しか無い。同じ学科の異性大体距離感がバグっててリュックの胸元に付けてたストラップ急に触ってきたりするから本当に怖い。大学のために一人暮らしで地方来たから気軽に高校の友達にも会えないし。
同性の少ない学科だからそれぞれのグループの結束強すぎて今更他の子に仲良くしてもらえるとは思えないし。
最悪だーーー。4月にならないで欲しい。
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告
5/15
「科学哲学第二」のレポートは、5/31 までに1号館1階の浅川の レターボックスに提出すること。
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告
6/3
期限を過ぎて提出されたレポートは、いかなる理由があろうとも 受けつけません。
締切を過ぎてもまだ私のレターボックスに「科 学哲学第二」のレポートを入れる者が居ますが、5/31 の午後 5:00 以降に投函されたレポートは全て破棄しました。
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告
6/4
「5/31 まで」と書いたら「5/31 の午後 5:00 まで」の意味です。
こんなことは社会常識です。
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告
6/5
他の教官が午後 12:00 まで受けつけていても、関係ありません。
反例を幾つ挙げようと、定量的に述べなければ意味がありません。
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告
6/8
なぜその熱意を使い、もっと早くにレポートを作成しないのか理 解に苦しみますが、とりあえず午後 12:00 まで受けつける教官が 過半数であることは理解しました。
よって、6/15 の午後 12:00 まで「科学哲学第二」のレポート提出期限を延長します。
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告
6/10
「6/15 午後 12:00 まで」ではなく「6/16 に浅川がレターボック スを開けるまで」ではないか、との意見がありましたが、これら は全く違います。必ず 6/15 中に提出するように。
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告
6/12
私のレターボックスに猫の死骸を入れたのは誰ですか。
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告
6/13
「私がレターボックスを開けた瞬間に波動関数が収束し、内部状 態が定まるので、レターボックスを開けるまではレポートが提出 されたかどうか分からない」と主張したいことは分かりました。
今回は、提出場所を1号館302の浅川研究室前のレポート提出 用ボックスにします。
この箱は、6/15 午後 12:00 にシュレッダー へと自動的に切り換わるので、シュレーディンガーの猫の問題は発生しません。
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告
6/16
いいかげんにしなさい。午後 12:00 は「グリニッジ標準時」では なく「日本標準時」です。
普段は日本時間で生活しているくせに、レポート提出時だけグリ ニッジ時間を求めるなど言語道断です。
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告
6/18
信じ難いことですが、「科学哲学第二」を受講する学生の過半数 がグリニッジ標準時で生活していることが分かりました。
夜型にも程があるとは思いますが、とりあえずレポートの提出は6/30 の午後 12:00 GMT まで待ちます。
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告
6/22
時間の連続性についての疑義は受けつけません。どうやらベルグソン の時間論を曲解している者がいるようですが、主観的時間がどうあれ、 7/1 の後に 6/30 が来ることはありません。
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「それで、確かに君は 6/30 中にレポートを提出したというんだね?」
「ええ、ギリギリでした」
「だが、君のレポートは私の手元には無い。君は時間を間違えたのではないかな?」
「いいえ、日に 0.1 秒も狂わない、正確な電波時計を使っていますから。
先生のレポートボックスこそ、時刻を間違えたんじゃないですか?」
「冗談だろう。GPS 補正で ±5 ミリ秒の精度で合わせてある」
「それで、24:00 GMT ちょうどにシュレッダーに切り換わるわけですね?」
「そうだ」
「うーーん。あ、そうだ。多分うるう秒の差ですね」
「うるう秒?」
これは太陽の公転周期から計算する平均太陽時と違い、原子時計によって
計られることになっています。この協定世界時と実際の天文時刻との
差を縮めるため、12/31 や 6/30 などの午後 24:00:00 に、閏年の2月29日
と同様の 1 秒を挿入することがあるんです。いやあ、このうるう秒の
間に僕はレポートを提出して、先生のシュレッダーが動作したんですね。
ある研究室が博士課程入学希望者の受け入れに年齢制限をかけていることがX(旧Twitter)上で話題になっている。賛否両論あるが、ここではタイトルの通り「研究室が博士進学希望者と適切にマッチングするにはどうすればよいか」について考察する。
PIになるためには他のPI候補者に勝る業績が必要である(注1)。業績とは、具体的には論文であり、論文の数と質が共に重要で、それらが多く、また高いほど競争で有利になる。
当然のことながら、論文を発表するには研究をする必要があり、研究をするには資源(ヒト・モノ・カネ・情報)が必要である。ひとたび論文を発表できれば、その論文を元本にさらなる研究費を調達でき、研究に必要なヒト・モノを揃えることができる。また他の研究機関との共同研究を通じて情報を得、さらに質の高い研究を行いやすくもなる。すなわち過去の業績は複利的に作用し、今後の業績にも影響を与える。
これは資本主義の挙動に似ており、業績を複利的に増やしたい場合は投資期間を長くできた方が有利である。すなわち、若年のうちからアカデミア業界に身を置いて、早期に論文を発表できたほうがPIになるには有利である。
年齢制限を設ける理由について、その研究室のWebサイト上に詳しく記載されているが、まとめると以下4点に集約される。
1.過去の経験で、高齢の志望者に本気でPIを目指そうとする気概が感じられなかったから
4.最短で博士号を取得できる年齢(27-8才)から遠ざかるほど、今後のPIとしてのキャリア形成に不利だから
1.についてはあくまで経験論であり、一般化には議論の余地がある(注2)。
しかし2-4については第一章で述べたことも含めて、若年の方が有利であることは一般論としてある程度許容できる。こうしたアカデミア業界の背景から、研究室が受け入れ学生の年齢制限を設けることには一定の合理性が認められる。
大企業であれば、仮に採用者が企業側の求める能力とミスマッチしていることが入社後に判明しても、採用者の配置を転換したり、自社の研修プログラムを通じて長期的に教育を施すことはできる。一方で規模の小さい中小企業やベンチャー企業はそうした余力が大企業ほどはない。研究室の所属人数も多くて数十人程度の小規模組織であり、かつ毎年のように研究費の調達や論文発表が求められる。そのため教育やマネジメントにはあまり余力がなく、学生の受け入れに関しては受け入れ時点でいかにミスマッチを防ぐかがポイントとなる。
しかし非研究職の就職をしてから博士課程に進学を志望する者と研究室のマッチングは難しい。彼・彼女らは研究歴がないため、アカデミア業界の文化や、PIになるためのキャリアパスへの知識が乏しい。そのため行き当たりばったりな研究室選択になるリスクが、ストレートに博士課程に進学した者よりも高い(注3)。また研究室側も、研究歴のない候補者の受け入れはそもそもリスクが高いし、候補者は全国各地の、様々なバックグラウンドの人であるため自分の研究室を広告するにもターゲットが絞りにくい。またアカデミア業界内の知人を介した採用も難しい(注4)。そこでマッチングの成功率を上げるためにも、年齢制限を設けることは有効なように思えてしまう。
PIになるには博士号を所持していることがほぼ必須条件であることから、アカデミア業界では博士号を研究者になるための免許ととらえる文脈がある。かつ博士号は基本的に大学院でのみ取得できることから、大学院がPI養成所としての役割を一部担っている構造もある。そうであれば、大学院がPIの素養の高い候補者を選抜することは自然なことのように思われる。
しかしながら、大学院は本来学問を行う場であり、学問は自由に開かれるべきである。仮に若年であることがPIの素養の高さに繋がるとしても、それを理由に年齢制限を設けることには議論の余地がある(注5)。
タイトルに戻る。第一章・第二章では研究室側の都合を、第三章では博士課程進学希望者の置かれている環境と、マッチングすることの難しさを述べた。この現状でマッチングするには、研究室が年齢制限という方法を、Webサイト上で告知せざるを得ないことはある程度理解できる。そこで議論すべき点は第四章で指摘した。
ではどうすればよいのか。残念ながら明確な答えは導出できなかったが、いくつかの考えを列挙する。研究室側はもう少しマイルドな表現を心がける(注6)。候補者の面談から受け入れまでのプロセスを最適化させる(注7)。候補者を研究員として採用し、雇用契約を結んだうえで給与を支払う(注8)。候補者側は、なるべく事前にアカデミア業界に触れておく(注9)。また両者のマッチングを支援する第三者機関の設立も望まれる(注10)。これらの解決策は、少なくとも部分的には、研究室と博士課程進学希望者のマッチングに貢献するかもしれない。
研究室と博士課程進学希望者のミスマッチ問題は根深く、今回インターネットやSNSによって表面化したものと思われる。同様の経験をもつ者としては、この問題の解決を願ってやまない。
(注1)
業績以外にも本人の将来性や同業者からの評判も採用に影響するが、ここでは割愛する。将来性や同業者からの評判についても若年の方が有利であることはほぼ自明である。
(注2)
例えば高齢の方が職歴があるため、「本気で(ここでの本気というのは長時間研究するだけでなく、他のキャリアの選択肢を捨てた状態も指すと思われる)」研究に取り組まず、研究が失敗すれば前職に復帰するという選択を取れることがネガティブな印象を与えている可能性はある。
一方で博士課程にストレートで進学する学生の数は減ってきている。彼・彼女ら若年者は、博士課程進学と、就職を天秤にかけて就職した可能性もあり、必ずしも高齢であることだけが本気でPIを目指さなくなる原因ではない。また、そもそも博士課程はPIを養成することだけが目的なのかについても議論が必要である。
(注3)
Podcast「いんよう!」でも指摘されている通り、医者はそれ以外の理系学生に比べて、研究に関する知識が乏しいまま研究室や研究内容を選ぶ傾向が強い。それ以外の理系学生は、学部の卒業研究や修士を通じて研究業界のノウハウやキャリアパスを学ぶようであるが、医者は卒業研究もなければ修士もないため学ぶ機会に乏しい。
(注4)
例えば同じ大学の学部生や修士であれば、あらかじめ彼・彼女らを卒業研究や修士で受け入れて、研究活動を共に行うことで博士受け入れ前の摺り合わせが可能である。また候補者も卒業研究や修士で活動していれば、自分に合った研究室の情報が周囲から入ってきやすい。医者(あるいは非研究職)として働いている限りは、そうした情報は入ってこない。
またポスドクや助教以上の採用であれば前所属の教授から推薦書や意見をもらえるが、医者(あるいは非研究職)は業界が異なるため前所属からの推薦書や意見は少なくとも同業者のものよりは効用が乏しい。
(注5)
同様の問題は、医学部入試の女性・浪人生差別が記憶に新しい。医学部は医者を養成する場である一方で、医学を修める場でもある。当時は若年男性の方が医者としての素養が高いと考えられていたため、女性や浪人生の点数を不当に下げていた。秘密裡に点数を操作していたことに加え、学問の自由という観点でも批判が集まった。
(注6)
研究者の研究以外の発言が話題になることは、国内外でしばしば観測される。
(注7)
組織における採用については、Podcast「経営中毒~だれにも言えない社長の孤独~」に詳しい。
(注8)
給与を支払う一般企業やポスドク以上の採用においては、採用にあたって年齢制限を設けることは比較的受け入れられている。また大学においても、特殊事例ではあるが防衛医大は大学でありながら学生に給与を支払うシステムであり、応募資格に年齢制限を設けている。
(注9)
医学部には卒業研究がないが、自主的に研究室に通うことは可能である。またいくつかの医学部は学生を研究室に一定期間配属する実習をカリキュラムに組み込んでいる。
(注10)
一般企業であれば転職支援サイトやリクルーターが仲介してくれて、候補者と採用側のミスマッチのリスクを下げることができる。大学院進学において同様のサービスは存在しない。
論文執筆の生産性を高めるための具体的な工夫について、対象となる生産性の高い研究者から得られたアイデアを共有します。以下は、論文執筆の効率化と習慣化に関するいくつかの具体的なアプローチです。
- 論文執筆の日を出張日と同じ感覚で捉える。実際は研究室にいるが、出張で終日不在にしている体裁で論文執筆作業のみを行う。
- 手帳に論文執筆の日を明記し、他の予定を入れないようにする。メールの確認頻度を減らし、集中度が高いときは電話にも出ないようにする。
- 早朝に論文執筆作業に充てる。学生指導を含めた業務時間を自他共に分かるようにし、指導学生には業務時間になってから相談して欲しい旨を伝える。
- 非常勤講師や超過コマを持たない。むやみに学会発表をしない。
- 書き上げる期限を徹底的に設定する(数カ月単位で)。最低でも一文を書いてから帰宅する。
- 構想から論文化までを一括管理し、何をどこまで書いたかを常に把握する(可視化する)。
- 大学に行く(まずは **やる場所** に行く)。良い流れや改善点、文章が浮かぶため、常にメモができる状態にしておく。