はてなキーワード: Sherlockとは
例えばイギリスなんかでシェイクスピアの舞台で主役とかできる役者は超一流とされているんだけど
(有名どころだとドクターストレンジやってSHERLOCKってドラマで主演はったベネディクト・カンバーバッチとかがハムレットやってる)
役者としてなぜ超一流かと言われるとシェイクスピアのあの小難しいセリフをものすごい綺麗な発音でとても流暢に感情を乗せて説得力のある演技ができる、という点において超一流とされているのよね
さて、ではこの技能はリアリティ重視の演出に逢いますか?と言われると実はかなり難しい
例えば本邦に置いてシェイクスピア俳優で有名な俳優をあげていくと吉田鋼太郎と藤原竜也だ
この二人、ドラマとかにもよく出ているので皆さんもご存じの方が多いと思うが、この二人が画面に出るとそれだけでリアリティラインが難しくなるのが皆さんお判りになるだろう
いや、この二人の舞台演技めちゃくちゃにうまいんだけど、ドラマに出た時画面として、リアルというよりも芝居じみた豪奢なセットの中で映える演技だというのはなんとなくわかるだろう
なのでリアリティラインがリアルに近い作品(もしくは静かなドラマ)にこの二人が出るとちょっと画面としてリアルからかけ離れてくる
(それでも吉田鋼太郎とかは、おっさんずラブとかでドラマヒットしてるわけだけど、あれはおっさんずラブというある種の漫画的な演出が多用された作品に置いて吉田鋼太郎という芝居じみた重厚な見た目とコミカルさがとてもよくバランスとして当てはまったからだ)
では、ここにおいて「役者のうまさ」とはなんなのかという話になってくる
どの作品に出てもある程度作品の色に合わせられる、とする人もいるだろう
リアル調の演技ができる、自然な演技ができる、という人もいるだろう
シェイクスピア俳優のように長いセリフを情感を込めて言い立てができる、という人もいるだろう
このように、求められるプラットフォームやジャンル、場面において役者というものの演技はかなり異なってきており、ともすれば作品にあってないというところで下手と言われることもままあるのだ
んで、こっからは本邦の問題なんだけど、日本のドラマに置いてのキャスティングっていうのがかなり話題性重視になってしまっていた時代が長く続いていた時期がある
いわゆるキムタク筆頭のジャニーズ使っておけ時代だったり、アイドルや話題性の芸人だしておけ時代である
いや、ジャニーズでも森田剛とかシェイクスピア俳優ちゃんといるし技術つ的に高い人もいるから一概に悪いとは言えないが、とりあえず出しておけという時代があったのだ
それにより、すこぶる作品にマッチしないけど客呼べるから作品に出しておけで作品に起用されていた人々というのが結構いたのである
というのが量産されて行ってしまい、本邦のドラマのクオリティが一時期下がり、それでも客がそういうものの方がつくのでそういう作り方をせざるを得なくなってきたという側面があり、
求められる役者像がどんどんと変な方向に行っていったというのが「日本の役者は演技が下手問題」の根本にある
つまり、ことこの問題に置いてはキャスティングをしたプロデューサーがゴミな人間が多かったというのがこの問題の本質なのだ
なので、自分の好みだなあ、このキャスティングいいなあと思ったプロデューサーの名前をチェックしてドラマを見ていくと、かなりの確率でいい役者を見れるので皆さんも参考にしてほしい
最近見るツイステディズニー関連のお気持ちは煮凝りみたいで濃厚でとても大好き。
そんな私もツイステユーザー。ディズニーは有名なやつだけ観てます勢で、お気持ちの中にも「わかるわ〜」ってのもある。だけど私がひとつだけ、どんだけ考えてみてもわからないお気持ちがある。
それが、
「Dヴィランズのグッズをツイステ概念って言わないでください!」
ってやつ。
なんで?
いや、例えばね、Dヴィランズのグッズを見て「これはツイステのグッズ!」って言い張るオタクがいたら怒っていい。私だってライトだけどスカー好きからツイステ始めたから。それは腹立ちますよね。元のキャラクターの存在丸無視してそんなこと言われたら怒る。わかる。
けど、「これはヴィランズグッズだからツイステ概念」っていうのは別に……よくない?
いや、だって仕方なくない?だって元になっててイメージ・インスピレーションがDヴィランズから来てる以上概念を感じるのは仕方なくない?
だって、ツイステキャラってDヴィランズたちの概念を元にして作られたんじゃないんですか?
いやごめんなほんとに。
けどここだけどうしてもわからなくて。
例えば、私が知ってる「原作、モデルのいるキャラクターを元にして別作品にしている」という例は、現代版シャーロック・ホームズの『SHERLOCK』くらいなんだけど。(作中で元のキャラクターと同じ名前である、という点でツイステとは異なるんだが、あくまで原作はあるけど作品は別物、出てくるキャラも原作キャラをモデルにした別人であるという点では一緒なので)
「ヴィランズグッズをツイステ概念って言うのやめてくださいぴえん」は、この例で言うと「シャーロック・ホームズのグッズをSHERLOCK概念っていうのやめてくださいぴえん」になると思うんだけど。
無茶じゃないですか?
いや、シャーロック・ホームズガチの方々の中にはそう思われてる人もね、いるかもしれませんよ。
スポーツカー爆走させるハドソン夫人も実は元殺し屋のワトソン夫人(メアリー)も「お前は何人殺ったんだ?」みたいな怒った時の顔がちょっとハリネズミみたいなジョン・ワトソン(大好き😘)も、原作大好きオタにしてみたら気に入らないかもしれないけど。
仕方ねーじゃん。モデルだもん……。
あと、それに伴って「概念だと思っていいけど言わないでほしい」「思っても言わないのがマナー。ヴィランズ好きに失礼」っていうのも見たんだけど、それについてもよくわからなくて。
というのも、オタク界隈で出てくるマナーって正直、公式アナウンスとnmmnマナー以外は「自分が不快だからやらないでほしい」って気持ちを「マナー」っていう「従わないと悪になる」便利な言葉で綺麗に化粧してるだけだと思ってるんで。
ネットの海を漂うと、自分の見たくない意見は当然見ることになる。それを見ないためにSNS運営側はブロック、ミュート機能をつけてくれてるわけじゃないですか。
「言わないでください」
ってツイートしてるその指のタップでブロックなりミュートなりすればいいんです。なぜ自分で環境を変えようとせずに周りに変わってもらおうとするんだろう。
グッズについても一個ついでにお気持ちさせてもらうと、
「パークに痛バ持ってこないでください」
いや、ちょっとはわかるよ。痛バ使ってる人見た時のちょっとビックリする気持ちわかる。あるよね。
「パークに痛バ持ってこないでください、ここはイベント会場ではありません」という注意喚起を見たんだけど
「では日常的に痛バをご利用の方はいかがでしょうか」と言いたくなる。
ようは
「なぜ公式が禁止してない個人の趣味、生活についてただのファンが口出しするんですか?」という疑問です。
いや、たまに街中で見かけるじゃないですか。痛バ。
私はグッズ買うならほのかに匂う程度(公式じゃないアクセサリーとか)のものしか買わないので、痛バを持つ方々の気持ちはわかりかねますけど、痛バってイベント会場以外でも使ってる人たまにいるよね。
大学のとき、同じ講義に毎度ロリータ服着てオタクグッズつけてた女性いらっしゃったけど、彼女の場合はその格好が普段着みたいだったんですね。たまたま駅で見かけたときもおんなじ格好してたので。
「パークに痛バ持ってこないでください。夢の国の景観が損なわれます」ってのは差し詰め
まぁ、確かに景観は損なわれるかと思いますけど、別に神社仏閣側が禁止してない以上は私からは何もいえんですよ。
確かに神社仏閣に痛バ持ってきたりぬいぐるみ持ってきたりロリータ服着てきたりする人見かけるときありますけど、けどそれって個人の自由なんですよね。施設側がダメって言ってること(大声で騒ぐとか、写真とか)さえ守ってればこっちに文句言う権利はないわけです。
それはきっと夢の国パークでも同じことでしょう。夢の国が痛バだめだよって言ってないなら、もう一客人である人たちには何も言えないわけです。(ロリータ服がコスプレにあたるかについては、なかなか賛否がわかれるとは思いますけど、某フリフリのブランドから出た服着て文句言われても困るだろうなとは思います)
ただ、「痛バは固い素材もあるから小さな子に対して危険だから避けましょう!」の注意喚起はとても好きです。理由が明確で誰に対しての配慮かがわかるので。
長くなったし脱線もしたけど、私からすると、概念グッズも痛バどっちのお気持ちも「私が不快なのでやめてください」以上の理由が見えないのでお気持ち汲み取れないんですよ。まぁだからお気持ちなんだよな。汲み取らなくていいんだよな。私はバキュームカーか何かかな?(急に冷静になった)
痛バ云々の注意喚起については、マナーとかいう綺麗な言葉で自己防衛せずにハッキリ言ったらいいと思いますよ。
「私がお金払ってせっかくパーク楽しみにしてたのに痛バ見て気分悪くなるの嫌だから持ってくるな」って。現実世界はミュートブロックできないから、呼びかける行為はいいと思うよ。けどオブラートに包むとね、何言ってんだってなるから。
「痛バは固い素材だから小さいお子様には危険なので」とか、そういった理由がない限り、お為ごかし言ってるようにしか思えないからね。
ここまで書いたけど私は前述の通り「ディズニー作品は有名なやつしか見てないツイステユーザー」「グッズは匂わせる程度のものしか買わない」なうえ、追記すると、「夢の国には10年以上前に一回しか行ったことない人」なので、完全にアウェーなところからこれ書いてます。
シーズン5は、絶対にあるはず。カンバーバッチがシーズン4の撮影時に、「シーズン5までの契約」とうっかりバラして怒られていたと、英国マスコミで報道されていた記憶が。
主観的な予測だけれど、シリーズ5では、シャーロックが、アイリーンとモリーの間で揺れながら、さらにマイクロフトがレディ・スモールウッドに対して、「恋心」を学ぶシリーズになるんじゃないかと思う。「探偵物語」ではなく、「探偵に関する(成長の)物語」と鳴り物入りで登場したSHERLOCKシリーズだけれど、「友情」「家族」ときたら、次は「恋愛」でしょう。シーズン4のエピソード2の終わりで、ジョンからも「恋愛はキミを人として完成させる!」と力説されていたし。で、シーズン4から経た歳月の長さを表現するために、ジョンとメアリーの娘・ロージーが「幼女」に成長していて、彼女の「初恋」と絡めて登場させるんじゃないかと思っている。(「舞台装置としての、娘の成長」という役どころぐらいしか、ロージーに与えられていないんじゃないかと勘繰りたくなるほど、シーズン4ではストーリーに絡まなかったし。)
それにしても、シーズン4のエピソード3、伏線の回収っぷりは素晴らしかった。幼少期の回想シーンで、シャーロックとビクターとの海賊遊びに入れてもらえなかったユーラスが水辺で、手に持った「飛行機」で一人遊びしていたのには、感心した。おもちゃの飛行機は丸みを帯びたデザインで、一見してユーラスの妄想のなかの飛行機との関連を想起しづらいから(彼女の孤独の象徴「飛行機」)。さらには、飛行機のなかで一人だけ目覚めていて恐怖に怯える少女(じつは妄想中のユーラス)に対して、マイクロフトが「街に飛行機が突っ込まないように、少女ごと飛行機を海に墜落させよう。そのために、少女に希望を与え続けるんだ」という態度でいたのは、国家の安全のために・両親の安心のためにユーラスをシェリンフォードに閉じ込めて社会的に抹殺させていたことと相同的だったのも興味深い。ジョンとシャーロックは、少女を救って町も助けようという態度だったけれど、まさにこれはエンディングでの妹ユーラスに対するシャーロックの姿勢だ(ユーラスの孤独を救ってジョンを助けるのも、ユーラスとのコミュニケーションを諦めずにバイオリンの音でつながり、両親と兄を含めたホームズ家の絆を結び直すのも、どちらも飛行機の中の少女に対する態度と相同的になっている)。
それから、シャーロックたちがシェリンフォードを訪れるために船を乗っ取った際に、「僕はシャーロック・ホームズ……海賊だ!」と名乗るけれど、あれは幼少期のシャーロックが考えた「サマラの商人」の別バージョン(バグダッドで死神と出会った商人は、サマラではなくスマトラに逃げ、海賊になって長生きした=自分の人生は自分の意志で選択できる:シーズン4のエピソード1で登場)を継承していて、運命に逆らい覆す覚悟を感じさせる。
ちなみに、このエピソード1の終盤には、黒幕だった秘書「ノーブリー」の名前を唱えることで、いつか傲慢になった自分を戒めて(メアリーを守るという誓いを破ってしまったことを思い出させて)欲しいとシャーロックがハドソン夫人に依頼するシーンがあった。これも、「恋愛」というテーマと共に、未回収だ。ぜひとも、シーズン5で使って欲しいところ。
なんか見かけたので自分用も兼ねて訳してみた。良作映画と同時に良作小説も摂取できるすばらしいリストです。
ちなみに意訳多いので「許す」と「赦す」を正しく使い分けたい向きは原文にあたってください。あと個人的には『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』も結構楽しみにしてます。
元記事:
http://litreactor.com/columns/5-most-anticipated-book-adaptations-of-2015
毎年この時期になると、「今年期待できそうな新作映画のリスト」が各所でアップされますよね。そういうリストに載せられた作品のうち何本かは、小説本から脚色作品です。ところが、彼らが取り上げるのはなぜか『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』ばかり。アホか。誰がンなもん楽しみにしとるねん。というわけで、ここにあなたが本気で楽しみにできる小説原作作品のリストを用意してみました。
去年『アイ、フランケンシュタイン』観た人はわかると思いますが、まあフランケンシュタインものってどうしても現代の視聴者のお口にはバッド・テイストすぎますよね。しかしですよ、『クロニクル』の脚本家であるマックス・ランディスが脚色を担当した本作は、いい意味で予想を裏切ってくれるんではないのでしょうか。本作はフランケンシュタイン博士の助手であるイゴールの視点から、彼とまだ若き医学生だったころのヴィクター・フォン・フランケンシュタイン博士との馴れ初めを描いた、メアリー・シェリーの原作の前日譚的ストーリーです。
フランケンシュタイン博士を演じるのは『shameless/シェイムレス』、『X-Men:ファースト・ジェネレーション』のジェイムズ・マカヴォイ。イゴール役には『ハリー・ポッター』のダニエル・ラドクリフ。映画の公開は十月二日予定となっております。
訳者の雑感: せむしの助手イゴールは原作には登場しない人物で、出典はボリス・カーロフ主演の『フランケンシュタインの復活』(1939)です。この時点で「本が原作」と言い張るのはどうなのかな。そもそも学生時代のフランケンシュタイン博士が題材ってどこに需要あるんだって思われそうですけど、なにせ『キル・ユア・ダーリン』のラドクリフと『X-MEN: FC』のマカヴォイですからね、濃厚なBLが期待できそうです。脚本家も『クロニクル』の人だし、なおさら……ねえ?
ちなみに、監督のマクギガンは『PUSH 光と闇の冒険』などいくつか映画も監督していますが、日本で有名なのはなんといってもドラマ『SHERLOCK』の「ベルグレービアの醜聞」と「バスカヴィルの犬」でしょう。
日本ではなぜかDVDスル―になりがちなマカヴォイ&ラドクリフコンビですが、今作はどーなるでしょうか。やっても単館系かな。
去年は『ゴーン・ガール』がやってくれました。いいことに本作の原作はですね、その『ゴーン・ガール』より面白いんですよ。良い映画にならないはずがない。原作者のギリアン・フリンはいまや犯罪小説界のトップランナー、映画化にもひっぱりだこです。『ゴーン・ガール』のファンは『冥闇』もきっと大好きになることでしょう。なぜなら、『ゴーン・ガール』よりイカれたお話だから。
これは子供のころに両親を殺されたある女性のお話です。彼女は自らの証言で実の兄を監獄送りにした過去を持っているんですね。で、それから二十五年が経って、「キルクラブ」と名乗る殺人狂同好会の助けを借りて、事件の真相を探ろうとします。
公開時期は未定ですが、二〇一五年のどこかにはなるはず。出演はシャーリーズ・セロン、クリスティーナ・ヘンドリクス、ニコラス・ホルト、クロエ・グレース・モレッツです。
訳者の雑感:原作の『冥闇』(小学館文庫)は、個人的には『ゴーン・ガール』には及ばないものの、上に書かれているとおり傑作ミステリです。いわゆるイヤミスです。捕捉しておくと、主人公がなんで「キルクラブ」の連中と絡むようになるかといえば、過去の事件によって人生を破壊された彼女が日々の生活費を得るために家族の遺品や体験談なんかを好事家に「切り売り」しているからです。そうです、クズ野郎です。『ヤング=アダルト』でいかんなくクズ女っぷりを発揮したシャーリーズ・セロンにはまさに適役なんじゃないでしょうか。
フランス資本で規模的は大作と言いづらいでしょうが、出演陣がかなり豪華なのでフツーに日本でも公開されそうです。
実質去年公開作なんですけど、ズルしてもぐりこませてみました。だって、映画祭でしか上映されてなくて、筆者はまだ観てないんだもん。っていうか、ほとんど誰も観てないし。原作は記憶喪失の化学者を題材にしたクレイグ・クレヴェンジャーのカルト小説です。
出演は『ヴァンパイア・ダイアリーズ』のジョセフ・モーガン、『Justified 俺の正義』のウォルトン・ゴギンズ、『ヘルボーイ』や『パシフィック・リム』のロン・パールマン。
まだ公開時期は公式にアナウンスされていませんが、推測するに、今年中には拝めるんじゃないでしょうか。っていうか、そうじゃなかったらキレる。
訳者の雑感: 未訳作品な上に原作者自体が数年前に一作ちょこっと訳されてそのままなカルト作家なんで、どうにも前情報がない。ある朝、記憶喪失の化学者が麻薬密造に関わった容疑で監獄にぶちこまれたと思ったらこれまた唐突に解放され、失われた記憶と失踪したガールフレンドを求めて彷徨う話らしいです。元記事に引用されてる画像がいかにもいつものロン・パールマンってふてぶてしさで好印象ですね。http://litreactor.com/sites/default/files/imagecache/header/images/column/headers/487195087_640.jpg
ロス・クラーク監督はドキュメンタリー中心に撮ってきた人で、本作が劇映画初監督。トレイラーをみるかぎり、なかなかシャープな画作りしてます。日本では公開されるかなあ……ロン・パールマン効果でDVDスルはギリギリ保証されそうではありますが。
J.G. バラードは難儀な小説家だ。『ハイ-ライズ』はおそらく彼の最高傑作でしょう。ちょっと前にこの小説が映画化されるって聞いて、マジビビりましたね。原作を読んだことのない人たちに説明しておくとですね、タイトルにもなってるハイ-ライズとは超豪華高層マンションの名前で、その内部では文字通り階層によって分断された住民たちによる血で血を洗う階級闘争が勃発しています。高層マンション版『蝿の王』みたいなもんです。とってもバイオレントでとってもクレイジーで、とってもワンダフル。映画もおんなじくらいクレイジーであってほしいですね。
主演は『アベンジャーズ』、『マイティ・ソー』でお馴染みトム・ヒドルストンと、『バットマン vs スーパーマン』でバットマンの執事役が決まっているジェレミー・アイアンズ。公開日の九月十七日をお楽しみに。
編集者のコメント: !!!!! ベン・ウィートリー監督作じゃん!!!! よっしゃあああああああああ!!!!!!
訳者雑感: ベン・ウィートリーは第二のデヴィッド・クローネンバーグの座を狙っているんでしょうか。せいぜいブランドン・クローネンバーグと争ってほしいものです。他に誰もそんなポジション欲しがらないでしょうけど、がんばれ、応援してるぞ。
ともかく、『キルリスト』や『サイトシアーズ』で日本でも熱狂的なファンを生み出した「奇妙系スリラー界の風雲児」ベン・ウィートリーが、あのバラードの、あの『ハイ-ライズ』を映画化する、これは期待しないわけにはいきませんよね。原作はおなじみハヤカワ文庫SFからですが、当然のごとく絶版なので、なんとか日本でも映画を劇場公開までもってって復刊の一助となっていただきたいものです。DVDスルー(『キルリスト』)→アートシアター系公開(『サイトシアーズ』)と順調? にステップアップしているので芽はありそう。
アンディ・ウィアーの『火星の人』は、二〇一四年に筆者が読んだ本のなかでもマイベストな一冊です。クソみてえな『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』の記事を山ほど読んで損した時間の埋め合わせに、ちょっとこの映画化作品について調べてみましょう。ちなみに私は先月作った「今年のマイベストリスト」にも『火星の人』を選出しております。
概要はこうです。ある宇宙飛行士が火星で一人、遭難します。もしかすると、そこから永久に脱出できそうにないかもしれない。彼は生き延びるために「科学」と呼ばれるふしぎな力を行使することを強いられます。自らの命をかけて惑星に戦いを挑む男と、全力で彼をぶち殺しにくる惑星との、知的で、ユーモアに溢れたアツいバトルがはじまる!!!
映画はリドリー・スコットが監督予定で、主人公のマークを演じるのはマット・デイモン。十一月二十五日公開予定です。
訳者の雑感: 原作の『火星の人』はハヤカワ文庫SFから絶賛発売中。「ライトなハードSF」と称される軽妙な作風も相まってか、最近のSFにしてはめずらしく幅広い層から広範な支持を集めています。今年の「SFが読みたい!」のランキングでも票を集めるんじゃないんでしょうか。いっぽうで監督のリドスコは『悪の法則』、『エクソダス:神と王』と近作がこのところ立て続けに興行・批評両面で失敗してやや低調。『ブレードランナー』の続編を作ると宣言して即監督を降りたりと何かとケチがついてますが、『プロメテウス』以来のSF回帰作は吉と出るか凶と出るか。日本ではおそらく二〇一六年公開でしょうね。
さて、以上が私が最も期待している今年の小説原作映画作品です。ほんとは他にももっとあることはあるんでしょうが……でもまあぶっちゃけゴミばっかなんで語ったところで意味ないでしょう。上にあげた五作品は「すくなく見積もっても傑作になりそうなチャンスはある」作品です。とりわけ『ダーマフォリア』は僕達を導く希望の光なんで、今年公開してくれないと困る。
ところで、リストにあげた五作品の原作小説もぜひ読んでみてください。どれも一読の価値がある逸品ばかりです、たぶん映画もね。
よ、今日は専門外だけど飲んでたらオモシロイ話聞いたからタレコムわ
なお、聞いた本人に了承とったけど変に絡まれてもなんだから新規ソースゼロでお届けします。
オレが言ったんじゃないぞ
opiegro32
太田はネタとかじゃなくて本当に腐ってるから「太田が悪い!」とか言って茶化す風潮はやめてほしいなあ。本人の悪質さが薄れるだけだよ 2013/12/04
太田克史さんってのは、偉大な人だよ。
というネタで飲んでたのが発端で、
この対応ってあたりまえっちゃーあたりまえだよねー、ねー、みたいな話をしてた。
んでだ、ハタと思い至った。
これは、フーダニット、ハウダニット、ホワイダニット、クローズド・サークル全てが含まれているのではないかと。
結論から組み立てた気配のする小説を読んだ時の強烈な既視感が俺を(以下略
だれが、こんなことをしたのか。
ってのは、オレが書かずに既に書かれてるからそっち読んでくれ。
んで、「盗作ではない」という話でこじれてるのはなにか、という話なのだが、
一回ここをハッキリさせとこう。
はい、1番の裁判沙汰にはなりません。両者ともコレはハッキリ認識してる。
盗作の定義ってのは曖昧で、そもそもアイデアは法律の保護対象にはならん。
具体的には『名探偵ドイル』であっても、訴えられて負けたりはしない。
映画ノベライズレベルで同じとかキャラクターが明らかに同じ(二次創作)で無い限り、
もうコレは相当に厳しい。
パクられたと言っている古野まほろの言ってることは突き詰めると
「俺のパクったって言えば許してやるよ」
という事になる。
盗作じゃない盗作じゃないって言ってんのに何度も絡んでるってのは、変だ。
これまで古野について一切、どこかで語ったり、書かれたりしていないのは何故なのか。これらがハッキリすれば、何の問題もないと思います。
自尊心の問題なのよね。
俺を無視するな、と。
そこで、どういう落とし所があり得るか。
ほれ、仁義とかスジとか浮世のギリってヤツ。
さてここで一つの問題が見えてくる。
星海社FICTIONS新人賞で、太田さんイチオシで、CLAMP。
さあ、日程逆算は野暮だからやめておくんだ!
と、いう状況下で、メフィストでデビューしといて他社に移籍した作家のプライドを満たすために何かをするか?
いかにして、それがなされたのか。
コレも俺が言ったんじゃないぞ
brainparasite
さて、高校生で名探偵でって話をしようとして、CLAMP好きそうならどういう"学園"にするだろうか。
普通の高校?そりゃ担任がボディーガードなら無くはないだろう。
ミッションスクール?まあマリア様は見てなくても考証が面倒だろう。
というか、高校ってのは中等教育機関だから、そもそも「伝統的な」高校ってのは難しい。
つうかぶっちゃけた話な、誤解を恐れずに言えば、
明治に諸列強と並ぶ国家にしようと、帝国大学を頂点としたピラミッドを作ったので、
教育機関ってのは、政府か、士族か、パンピーか、みたいな形になった。
慶應義塾を福沢諭吉が立ち上げた時に、政府に対抗した中産階級の教育機関を目指したのは、まあある意味で流れとしては必然だったのかもしれない。
閑話休題。
つまりだ、伝統的な高校で、軍閥のニオイを消しつつ権威を身に纏わせるには、サムライのガッコウってのは、オテガルなわけだ。
古野まほろや太田克史の出身校とか考えると、このへんは興味深いね!
実際に読むと判るけど、中村あきは清涼院流水系の、まあそういう芸風だ。
設定厨って言うよりは、真面目な顔した高校生が賢しらに推理合戦で謙遜しあう、あー、暑くてもぴっちり制服来てんだろうなーっていうそういう感じの話だ。
うっかり私塾からスタートして南洋研究機関を設置した島に移住してたら海軍に施設接収されたり学生総出で米軍に対向するようなおもしろ学園とは根本から違う。
絵は見えてる、書きたい内容もある、ではパッケージをどうしようって時に、誰と誰が相談する?
なにゆえに、それがおこなわれたのか。
別に新人賞でオリジナリティを重視するのはかまわない。むしろ当然である。既に市場に似たような作品があるのならば、多くの読者は新人ではなく実績のある作家の作品を選ぶだろう。
いやー、そうね。
見事に「設定」に関する話しかしていない部分を引いて来ている所にセンスを感じる。
ポイントはね、誰も筆力を話題にしていない所。
高校生で400枚書くのが凄い、という話はしている。
クサしているのは、平たく言えば「見た目」の話。
想像して欲しい。
大日本帝国って名前の世界観で、子爵令嬢の依頼を受けた斬首死体に対面したり、瀟洒なホテルのラウンジで酒かっくらったりするガキどもが右往左往するアニメと、
いちおうは現代社会の公立高校で、女子バスケットボール部の壁写真が無くなったり、体育館でジュース飲んだりするガキどもが右往左往するアニメと、
絵面で観た時に、似ているだろうか?
つまり、星海社にとって芸風というのは、読んで想像した絵面が似ているか否か、だ、
というか、いっちゃなんだがフツーはそうだろう。
完全無欠の生徒会長の号令一下、無理難題を適当に片付けるって書くと「生徒会の一存」も「めだかボックス」も同じになっちまうが、読んで受ける印象は相当に異なる。
判り難かったらこう言い直せばマンガやラノベに詳しくない連中にも伝わるか。
この4作品はいずれもアーサー・コナン・ドイルの描いた誉れも高き史上最高の名脇役がモトネタだけれども、見栄えはずいぶん違う。
勿論、それぞれコナン・ドイル卿には敬意を払ってるが、例えばそれぞれがそれぞれの作品をいちいち上げたりしているだろうか?
(なお、モンタナ・ジョーンズに関してはマルコ・パゴット絡みでセーフ)
星海社に限らず、新人賞ってのは、いちおうは「応募された作品から」って話になる。
ただな、すげえオモシロイとか、ものごっつ読ませるとかじゃ無え。出版できるか、だ。
んだがね、例えば新人賞が出てない回ってのもあるわけで、応募がゼロだったからじゃない。
ほいでだ、「出版すると設定がヤバイ」ってヤツがハイペースで原稿用紙を埋められるとする。
するってぇとだ、
新人賞ってのは、「審査員の考える出版できそうな作品」に与えられる。
別に要件がツマビラカになってるわけじゃねえから、当然応募側はよく判らんで爆死する。
じゃあ、「審査員の考える出版できそうな見栄え」を「見た目で落ちたヤツ」が知ることが出来れば
言ってみれば効率良く新人賞を通過することが出来るってスンポウだ。
ここは、ひらかれていない。
1.選考に関わった全員が『天帝のはしたなき果実』を読んでいないor内容を忘れていた。
2.色々類似点があると気づいていたが、この程度大した類似ではないと考えた。
3.色々類似点があると気づいていたが、読者は類似に気づかないと考えた。
イラストに大御所CLAMPを使っている時点で4番は無いだろう。考えられる可能性は残りの3つ。外野である我々にはどれが真実なのかを判別する術はない。
はたしてそうだろうか。
中村あきのデビュー作、『ロジック・ロック・フェスティバル 〜Logic Lock Festival〜 探偵殺しのパラドックス』の主人公は、『中村あき』だ。
古野まほろのデビュー作、『天帝のはしたなき果実』の主人公は、『古野まほろ』だ。
そりゃあいくら太田さんに縁の深いメフィスト賞たって、50回も近くなりゃあうっかり読んでない作品が合ってもオカシクナイヨネー
って、真顔で言えるだろうか。
そして、そんな作品がぽっと現れた時に、
太田さんが大きく関わる星海社でそれを見逃す編集者が果たしているであろうか?
すべては、めいはくでは、ない。
身も蓋もない話、これが星海社からではなく別の出版社から刊行されていたら、ここまで話題になることもなかったと思うのだが……。
そーねー
登場人物はこれで全部で証拠も全て揃っているので、後は推理するだけでござい、とはならん。
「犯人はおまえだ!」というセリフを一度は言ってみえてモンだが、そうもいかん。
しかしだ、状況を平静な目で見つめた時にだ、
に、世界観だとか設定だとか、小道具の話が入ってないのは、弁護士に相談した結果じゃねぇだろう。
誰が、どのように、何のために、「新本格」推理小説を出版したのかを考えると、