はてなキーワード: 麻痺とは
最近の小説っぽく長文タイトルにしようとしたら短縮されました。
(追記)あと、文章が長すぎて&リンクが多すぎて投稿できなかったので前のを消して再投稿です。前のリンクはすみませぬ。
正しいタイトルは
「ドラクエウォークに対するWEBメディア各位の体験記が○○とはおもえないのでがっつりプレイしゴーレム討伐に参加してからしっかりと評価してみたらやっぱり位置ゲームである理由が見当たらない私の感想」
です。
いわゆるレイドバトル、メガモンスター討伐について書いてるのは後半です。知りたい方は飛ばし読みしてしまってくださいな。
なんかウェブで公開されているレポートがどれもこれもドラクエウォークを礼賛するレポートばかりでドラクエが大好きで、かつ実際にプレイしているユーザとして「ダメなところ」をしっかり指摘してもっとも良いものにして欲しい、という気持ちから書いてます。
正直電○オン○インとかApp○○とか各所のオンラインゲームメディアの記事を見ていると本当にそう思ってますか?と思わずには居られない。動画系の皆さんの感想もアレでソレなものしかないし…。
特に○撃オ○ラインは本当に記事のタイトルあたりに「PR」とか「広告」とか付けた方がマシなんじゃないかとすら思う。
幸いにもベータテストの抽選をくぐり抜けわくわくしながら前日のTestflight登録
アプリ配信を受けて楽しみにしていたドラゴンクエストウォーク。
「あれ、これは何かかが違う…」
位置情報ゲーム歴はIngress、ポケモンGO。ポケモンGOは一応40レベル…に満たない程度。
自宅の近くにレアが発生すれば楽しく出かけ休日はそれなりに散歩をかねてポケモンGOしたりと位置情報ゲームをそれなりに楽しんでいる、いわゆる「普通にハマったプレイヤー」層にあたりと思う。
ドラクエを1から堪能しておりナンバリングタイトルは10を除き一応一通りプレイ済み。
星ドラは2週間でやめた。
そもそもドラクエウォークのシステムは簡単である。町中にある回復ポイントとNPCの家を活用しつつ自分で設定したクエストの「目的地」へ向かい目的地へ向かう途中でモンスターを倒したり無視したりしながら目的地ではNPCと会話したり、モンスターを倒したりすることでクエストを完了させるというもの。
自分で設定する目的地はシステム側でランダムに設定された無数のポイントから選択するか消費アイテムを使用して自分で設定することが出来る。(ただし、自分の現在地からあまりにも近い点には設定できない。)なお、クエストをプレイするためには「導きのかけら」というアイテムを消耗してクエストのロックを解除しなければクエストをプレイできない。
このアイテムはクエストを設定する時に、目的地を現在地から離れた地点にすればするほど多くもらえる。(最大220程度)もっとも近い地点では5程度しかもらえない。体験会でプレイした限り、最終クエスト(第二章10チャプター)では900を使用することになる。
そのため、離れた地点を選択したほうが良い、という風に思うかもしれない。だが安心して欲しい。そんなことは必要ない。
モンスターと1回戦うと10個のかけらが取得できる。10個程度でどうにかなるのか…などと思う必要はない。なにせ、それだけ戦ってレベルを上げなければ進めないからだ。(後述)
プレイ中には町中にモンスターが発生している。自分の近くであればそのままタッチすることで戦闘になり範囲からちょっと離れた地点のモンスターであればタッチすることでプレイヤーの近くに寄ってくる。
戦闘は伝統のコマンドバトル。コマンドを指定してマニュアルバトルもさくせんによってオートバトルも出来る。歩きスマホを避けるためにかウォークモードが存在しており、設定すると移動中範囲内に入ってきたモンスターと自動的にオートバトルをこなしてくれる。
町中には無数の回復ポイントとNPCの家が存在する。(あと、ごくわずかなプレイヤーの自宅が存在する)
また、ご当地クエスト用というシステムがあるらしく私の行動範囲では水天宮・東京タワーなどいくつかの場所が写真で表示されており、タップすることが出来るのだが「ベータ版では使用できない」と無情なメッセージで終わる。
回復ポイントでは壺が置いてあり、ドラクエらしく容赦なく割ることでHP/MPの30%回復と現在受注しているクエストレベルに応じた消耗回復アイテムか武器防具を成長させるための強化石がゲット可能。(ただし後半のクエストでないと強化石などまず出ない) この回復ポイントは10分程度で再び使用できるようになる。
NPC/プレイヤーの家ではドラクエの勇者らしく多少の消耗回復アイテムや最低レベルの武器防具、ゴールドを奪っていくことが出来る。
プレイヤーが装備するのは、武器・盾・頭装備・上半身装備・下半身装備・アクセサリが2個。それに、「こころ」というモンスターがドロップするレアアイテムが3つ。装備品は説明するまでもないが、こころはモンスターの種類ごとにコストが設定されており、3つのスロット合計のコストはプレイヤーのレベルに依存している…らしい。
こころのステータスアップ量はバカにならないので装備品より良質なこころを所得・セットする方が体験会の間のプレイスタイルには合っている。
スキル・魔法は職業に設定されているものが数個。例えば僧侶ならホイミ・バギ。魔法使いならメラ・ギラ。戦士や武闘家はパッシブスキルが数個ある程度。ちなみにバギやギラといったスキルはLV20になるまで手に入らないため基本的には全体攻撃など出来ないに等しい。
攻撃スキル・魔法は武器に設定されておりこれが各所で話題となっているガチャに関連してくる。(これも後述)
スラミチなるチュートリアル担当NPCの言うとおりクエストを進めやがて一人目の仲間(僧侶)が加わり、楽しみが増大するかと思ったあたり。
具体的には1章のチャプター9あたり。
「敵のダメージ量がしゃれにならない」
仲間が増えたためか、モンスターも複数が基本となる。だが、仲間の僧侶の攻撃力は微々たるもの。
結果ダメージを受けてはmp6を消費するホイミで回復しの繰り返しでただただmpが減っていく。プレイヤーはチュートリアルのガチャでゲットしたはがねの剣(中身はたぶん固定)の攻撃スキルのかえん斬りだけを頼りにモンスターを倒していく。
このあたりで理解する。
そしてクエストやミッションをクリアしたことで取得した装備ふくびきSPチケットを100枚消費し、10連ガチャを回したところレア度5の虹色の宝箱が2個も出て喜びが出る。
…2個とも帽子(麻痺耐性+5%と多少の防御力)だった。しかも全く同じ。
しかしそれ以外の多少の武器と防具によって被ダメージが減りそれなりにプレイを進めることが出来た。
その一方で最初はNPCの家を訪れることが楽しみだったのだがやがておかしいと思い始める。
それは、家に入ると完全にマップモードが中断されデータのロードを行うことで再描画が実施されるのだ。何度も読み込むうちに、もうNPCの家など訪れる必要は無いと確信していくようになる。
もうひのきの棒などいらない。
かといって消耗品はというと回復アイテムに状態異常回復アイテム、ポケモンGOで言うところの「おこう」であるにおい袋。消耗品の大半が10個の所持上限に引っ掛かり1つ目の消耗品の存在意義を問うことになる。
2章に入り、3人目の仲間(武闘家)、4人目の仲間(魔法使い)が加わったあたりからいよいよモンスターは本領を発揮してくる。
しかしプレイヤーサイドに用意されているのは僧侶のホイミ、魔法使いのメラ、そして魔法使いのベホイミだ。正確には、魔法使いのベホイミは武器のスキルなのだが、直前あたりのクエストの褒賞として与えられる杖であり、そのまま魔法使いに装備させてしまう。
なお、魔法使いがベホイミを使わないとキメラ複数匹の火の息連打の前にあっさりと敗退する可能性もある。結果メラとベホイミが使える有能なエセ賢者が誕生し、僧侶の存在意義はどんどん薄くなる。さくせんをいのちをだいじに、に設定すれば減ったHPをすぐさま回復し、mpをひたすら減らす。そんなことするくらいなら殴ったほうがモンスターの攻撃回数を減らせる可能性があるから殴れよと思い、プレイヤーはこのあたりでいのちを大事にの作戦の意味を見失う。
そろそろいい加減、全体攻撃は出来ないのかと怨嗟の声をあげつつ進めなくなったクエストの前にプレイヤーは経験値とモンスターのこころを求めてただひたすらモンスター討伐に明け暮れる。
体験会なのだから仕方が無いと言い聞かせ誰もユーザの訪れない自宅に置物を置き気分だけでも変えようとするが歩いた歩数はカウントされず、本来もらえるハウジングシステムの経験値はおそらく半分以下。
そもそもAndroidではカウントされていないユーザもいるとのことだがこれはGoogle Fit経由で歩数をもらっているからだろう。Google Fitを初期からインストールしているスマホはほとんどない。ポケモンGOをやってるユーザならいれてるだろうが。
かといってiOSだからといって安心はできない。私はiPadでフレイしていたがiOSでは「ヘルスアプリ」経由でデータをもらっているのだろう。結果、歩数などカウントされるわけもなく(iPadではヘルスアプリが入らない) 半減した経験値の前にそれでも部屋の大半をモンスターの置物で埋め尽くしていく。
そして位置ゲーム要素の薄さに気付く。実はこのゲーム、モンスターの沸きについてはユーザ固有のものであり移動すれば沸くのはもちろん立ち止まっていてもモンスターが沸く。
仕事の脇に充電ケーブルを装着した状態でたまにモンスターが沸くのを見てはオートモードでバトルさせ職場から届く回復ポイントでMPを回復させ(一応HPも回復するが、毎回のバトル後に手動で回復しなければ全滅は目の前にある)ひたすら経験値を稼ぐ。
もちろんメタルスライムというドラクエシリーズならではの救済策はあるが沸きは皆無に等しい。遭遇したものの容赦なく逃げるのはご愛敬だ。バトルを繰り返した結果、導きのかけらは早々とカンストし目的地を遠くに置く意義はなくなる。
一応歩く、という意味での意義として、「こころ」を確実にドロップするというモンスターが地図上にプロットされていることがある。このモンスターを倒すと、こころが確定でドロップする。
…1回目は。
実は私が遭遇した限り、同じタイミングで同じ種類のこころを持つモンスターが確定ドロップのアイコンを出していると2匹目のモンスターを倒してもこころが確定ドロップしない。結果、戦闘を繰り返した方がこころがドロップする可能性がある。
さらに、こころにはランクがありD→C→B→A→Sとランクが上がれば上がるほどステータス上昇量も上がり、さらにパッシヴスキルが付く。
このこころは合成することでランクを上げられるのだが少なくとも体験会の間については、どんどん倒してクエストを進め強いモンスターのこころをみにつけた方がマシだったことを伝えておきたい。そもそも合成するほど(体験会の期間が短いから仕方がないが)こころは大して集まらない。
なお、モンスターの種類によって沸きの程度に偏りがあり(これは図鑑上で「とてもよく見かける」「めったに見かけない」などと表示される)めったに見かけないモンスターのこころだと、パッシヴスキルが大量についていたりする。しかしパッシヴスキルよりはステータス上昇量の方が重要だ。
ちなみにこの確定ドロップのモンスターが他のユーザと共有されているかについてはわからない。なぜなら私の知り合いにはドラクエウォークをしてるユーザがいないからだ。
いずれにせよ、位置ゲー特有の「同じゲームを遊んでいるユーザが自ずと似たような場所で楽しんでいる」という感は全く感じない。なにしろ、最大の「目的地を置く」ということですらいっしよにいるユーザと同じ場所に置くことなどほぼ出来はしない。後述の「メガモンスターとうばつ」程度が位置ゲーらしさの最高潮だろう。
(そしてそれは大きく裏切られることになるのだが。)
ポケモンGOでも大きな問題となった歩きスマホ。はっきり言ってドラクエウォークはもっと致命的だ。歩きスマホ、というより「スマホ見ながら歩いて立ち止まってスマホ」の繰り返しだからだ。コマンドバトルは一戦あたり1~2分程度をどうしても取られる。ウォークモードに設定すると壺を割らない(回復できない)のであるあたりからモンスターとバトルしては全滅を繰り返すだけのマシンと化す。
ちなみにHP/MPは自然回復もあるのだが、その条件は「アプリをフロントで起動していない」ことだ。ウォークモードでは自然回復などしない。さらにこのウォークモードはフロントでアプリが起動していないと動作しないため存在意義は薄い。
ああ、出現させるモンスターのレベルを下げれば被ダメージは下がり、問題なくなる。(前のクエストに戻ると、出現するモンスターのレベルも下がる)ドラクエらしく、町のまわりをうろついて弱いモンスターをいっぱい倒してレベルを上げる。なるほど、そのためのモードなわけだろうか。
余談だが、地図データはGoogle Mapから取っているらしい。地図上には周辺のスポットが文字で表示され、否応無しに現実世界であることを主張してくる。取捨選択は微妙で、名所が集中しているとこでは、文字だらけになる。
ちなみに、GPSまわりの処理がどうもアレであり仕方がないのだが、移動していたりすると戦闘のたびにキャラクターが地図上をジャンプしている姿が見られるのはご愛敬。電車などで長距離移動した後に起動すると、読み込みの時間の素晴らしさを感じることが出来る。
続きます
今では8割回復したらしい。
涙が勝手に流れたり、麻痺側の口はあまり開かないし、笑うと下まぶた?が目を圧迫して元々小さい目がさらに小さくなる。
顔が麻痺するって精神的ダメージ大きいなぁと思った。半分動かない顔ってすごく怖い。筋肉って24時間しっかり仕事してたんだなと思った。
身体的にも口と舌が半分麻痺するから、水分多いものは口から出てきちゃうし、発音も曖昧になる。味もしない。
寝るときも目は開きっ放しなので乾燥防止の軟膏塗って眼帯の日々。
耳の中もただれまくって頭痛とも違う頭部の痛みが耳の奥で叫んでる。
診断されたとき、病室で夫と義母が「ビートたけしみたい!お隣の〇〇さんもなってたんじゃない?あとは…何に似てるかなー」などとキャッキャウフフしてて、それからは一度も義母に会ってない。
あのときはまだ歩けなかった子は、おしゃべり上手なチョロチョロ幼児に進化した。
ふと気づいただけで、意識してたわけじゃないけど、もう二年かぁ…と。
https://ex10.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1111932464/60
60 :涎(よだれ) ◆5pTqIcPy.E :2005/03/27(日) 23:46:23 ID:2iCOpEE40
「そしたら何も食べてなくても、常に牛タンの味がしておいしいのに」だって。
たしかに、人間の舌っていつも口の中にあるのに味がしないなー。
お姉ちゃんと話し合った結果、
それはもしかするとずっと同じ味の舌が口の中に入ってるから味覚が麻痺してるんじゃないかということになって、
お互いの舌を舐め合って確かめてみることにした。
そしたらすごい!お姉ちゃんの舌おいしい!!
まろやか!
お互いに相手の舌を舐めながら「おいしいよー」「おいしいねー」「デリシャスだよー」「デリシャスだねー」ってやってたら、
気が付くともうこんな時間だった。
この実験で、お互いの舌を舐め合えばおかずは要らないことが判明したので、
実家の近所には有名な老舗のうなぎ屋があり、子供の頃は、たまにではあるが、何か祝い事があるとそこのうな重を食べたものだった。
家族が滅多に食べられない御馳走だと舌鼓を打つ一方で、子供の私は小骨の多さに辟易した。鰻というのは食べるとのどに骨が刺さる不快な食べ物だ―そういう印象しか持てなかった。
そこのうなぎ屋は今でも繁盛しており、昼頃にはいつも行列ができる人気店だ。また、うなぎ好きの同僚がいるのだが、彼は他県の人なのにその店のことを知っていて、行きたい行きたいとよく言っている。一度土産に買って行ったのだが、恩人か何かのように感謝され、美味い美味い、身がふっくらしてるし皮が最高だなどと言いながら箸を進めていた。
私が美味いと思えなかったうなぎだが、うなぎ好きには納得の一品であるらしい。彼に限らず世間的にうなぎは御馳走なわけで、けして安いものではないのに、日本人は種を喰い尽くす勢いで食べようとしている。うなぎを美味いと思えないのはどうやら普通ではないらしい。
別に他者と足並み揃えたいわけではないのだが、美味いものを美味いと思えないのは舌が貧しいようで癪だ。もう大人になったわけだし味覚も変わってうなぎを美味いと思えるかもしれない。
そんなわけで凡そ20年ぶりにうなぎを食べてみた。感想としては、うーん
不味くはない。ただやはり小骨が気になる。ふっくらした身が売りなのだろうが、小骨のせいで食感が台無しだ。そしてタレと備え付けの山椒、こいつらがダメ。舌を麻痺させ、うなぎそのものの味を分からなくさせている。
昼食に2000円以上払ったのだから美味いと感じなければ損なのだが、そのスパイスあってしても2000円の価値を感じない。500円なら食べても良い。
なぜ日本人はうなぎに惹きつけられるのか、山岡士郎や中松警部がうなぎを評価する理由は何か、うなぎの分からぬ私には分からない。絶滅危惧種だし無理して食べる必要もない、それどころか食べない方が良いのだが、やはりどこか癪に思う。
あきうーさんの記事を読んで、自分なりに思うことがあったので、書きなぐってみる。
https://babonyans-akiu.hatenadiary.com/entry/2019/05/21/001946
ゲームの大会で優勝した女性(当時は女子高生)が、自分の容姿を批判されて悲しかったという内容が書かれているが、自分も似たような経験があるので、それについて書こうと思う。
(自分の場合は、あきうーさんとちがって、不特定多数の人に批判されたわけではないので厳密には違うのだが。)
自分は高校の頃 、同級生のある男子学生に、嫌がらせをされていた時期があった。
廊下ですれ違うなり、「ブス!学校に来るな!」といきなり罵声を浴びせられた。
今まで面と向かって話したこともない相手に、それなりには傷つく一言を言われた。
自分はそのとき、悲しいという気持ちよりも、怒りの方が圧倒的に強かった。
お前より真面目に授業聞いとるし、成績もいいんやけどな!!
くらいは思ってた。
めちゃくちゃ言い返したかったが、このまま言い返すと相手がエスカレートするのは確実だし、下手をすると先生に呼び出しをくらってしまう。
当時、自分は美大の進学を希望しており、放課後はデッサンの勉強をしていた。
そう思って、無視を決め込むことにした。
その後も、色々と嫌がらせがあったりしたが、先生に相談することもなく、ただずっと無視をしていた。
ただ、その場で無視はしていても、ダメージの方はそれなりに蓄積されており、心の中では相当ブチギレていた。
「将来、顔を理由に異性に振られたらいいのに」
「自分が受けた嫌がらせと同じくらいのショックが、将来相手にも返りますように。」
相手は無視されているから、攻撃が効いていないのか?とでも思っていたのかもしれないが、自分の中では確実にダメージを受けていた。
「いざとなったら、やられたこと全部紙に書き出して、先生と相手の親に突きつけよう。
そして、相手が学校を辞めるくらいまで、どうにかして追い込もう 。
たとえ謝ってきたとしても絶対許さないからな!」と考えていた。
嫌がらせの方はどんどんエスカレートしていったが、ある日、見かねた男子学生の友達が止めに入ってくれてたのを境に、それからパタリとやんだ。
(大勢の人が見ている場だったため、先生からも何か言われたのかもしれない。)
止めてくれた友達のおかげで、これ以上、人を呪わなくてすんだのは、本当によかったと思う。
少女漫画だったら「相手を見返して絶対綺麗になってやる!」となるかもしれないし、
心優しい人であれば、ただ傷ついて泣いてしまう人もいると思うが、
そんな嫌がらせされている間に、自分の中でずっと考えていたことがある。
「この男子学生、全然イケメンでもないのに、よく人のことブスとか言えるよな?」
ということである。
自分のこと、カッコいいとでも思っているのか?
彼女がいるとか、
それなのに、よく人のこと罵倒できるな
よほど自分に自信があるのか?
(嫌がらせされて「大嫌い」になってるので言いたい放題になってしまった。)
その人が今まで見たことないくらい、自分がブスだったのか?とも思ったが、
じゃあ、どこ基準のブスなんだよと考えた結果、「芸能界基準」ではないかという結論に行き着いた。
バラエティ番組で、女性芸人さんがよく「ブス」と罵られているが、あの感覚が一番近いのではないかと思う。
番組では「ブス」という言葉を使って笑いをとっているが、正直、テレビに出る人はみんな身なりに気を使っており、ブスと罵られるほどか?と思うことが多い。
しかし、芸能界では、「これでもか!」というほどの美人がたくさんいるのだ。
女性のお笑い芸人とモデルが並んで、芸人さんが「ブス!」といじられる構図はよくある。
でも、これってどちらに対しても結構失礼なことだと思う。
もともと顔がきれいなのはもちろん、もっときれいになるために、日々努力できる人だからこそモデルをやってる。
一方、お笑い芸人は、笑いをとるプロであって、モデルではない。
なんで自分の本業とは違うところで勝負する必要があるんだろう?と思うが、日本のバラエティは、すぐにそこで笑いをとろうとする。
もともと「ブス」と言う言葉は、猛毒に苦しみ、麻痺したときの凄まじい顔をさしていたらしい。
最近では、「醜い顔」というよりは、どこかで美人と比較して劣ってる場合に使われることが多いように思う。
だからといって、
「言うほどブスじゃないじゃん!気にしなくていいよ!」
ということが言いたいのではない。
「ブスって言われた方は、(下手したら一生)気にするんだよ!
軽はずみに使っていい言葉じゃないんだよ!」
ということである。
たとえその人がその場で、感情を出していなくても、悲しんでたり怒ってたりするものなのだ。
人を見た目で判断するな!とは言わない。
でも人に向かって「ブス」と言ってはいけない。
それを許可したところで、全員いつも同じ基準で暴力を使うわけじゃないし、暴力は麻痺するしなれるし増長するので、一律ナシの方がいい。
生理周期関係なく常に一定の罰を与えれるならいいと思うが、更年期障害があったり、自分のメンタルを常に一定にすることも難しい中で、暴力有りにするのはそれだけでリスキー。基準が一定じゃないなら、うちのママ・パパは気分屋って思われるだけだしな。
あと全部ひっくり返すこと言うけど、別にそんな躾がなかったとしても元増田さんは遅かれ早かれ学生時代が終わる前に正しい教養と躾の行き届いた大人に育っていたと思うよ。わからせなくても気付く人は気付くし、わからせても気付かない人は気付かない。どんなに躾が厳しくてもおとなになってからタガが外れる人は多いし、関係ないでしょ。
同僚「俺は2回ある。でかいのと軽いやつ。電気や通信が止まった状況は店なんてやってないし、物を買うって発想ができるほど余裕もないし、
僕「おまえ、バーコード決済なんて使ってるの?」
同僚「いまキャンペーンだしね。あとなんだかんだで現金より便利な気がするわ」
同僚「・・・・・」
僕「電気や通信止まったら使えなくなるんだよ。災害がきたらどうすんの?」
同僚「・・・・・」
僕「え?ないけど・・・・」
同僚「俺は2回ある。でかいのと軽いやつ。電気や通信が止まった状況は店なんてやってないし、物を買うって発想ができるほど余裕もないし、
軽い災害でも、買占めがおきて 欲しいものを買うって難しいからね。
僕「・・・・・」
僕「・・・・・ないです」
同僚「災害下で物を買う手段の心配なんてあほなことを言う前に、非常食や防災グッズそろえろよ」
僕「・・・・・」
なんも言い換えせんかったわ。くそ。
昔は二次創作の絶対供給が少ないジャンルにいて、何が投下されようともムシャムシャ美味しく食べられた。
もちろん自給自足もした。(あの時得られたものは大きいと感じている)
今は国民的オタクコンテンツにハマっている。pixivを見れば二次創作が溢れかえっている。
量だけはやたら多いが、今度は質で選り好みするようになってしまった。今までなら考えられなかったことだ。
あの時美味しい!美味しい!と言いながら食べていたけれど、どうやら舌を麻痺させて無理やり押し込んでいたものが多かったらしい。
それで結局、頼れるのは他人より自分だということに気が付いた。特にエロ。
あの時身につけた自給自足スキルは無駄じゃなかったんだ、と実感した。
でもさ〜〜〜やっぱ正直言えば他人の絵がいい。
大学の勉強も大学に行くことも部活も人付き合いもバイトも全てやりたくない。今すぐ放り投げてずっとyoutubeみていたい。
今属している学科の何もかも興味がない。せっかく親がお金を出して、一人暮らしまでさせてもらっているのに大学で何も学んでいない。テスト前日にちょっと勉強するくらいで何も学んでいない。
大学合格当時は輝かしい未来に期待していた。一生懸命勉強して研究者になる夢も持っていた。昔は図書館にこもって将来のためにめちゃくちゃ勉強をしていた。今考えれば本当にバカなのだがノーベル賞をとりたいとさえ思っていた時期もある。けど自分にはその能力とモチベが欠け落ちていて、高校生の時自分がバカにしていた怠惰な大学生になっている。
かろうじて授業に参加しているが、何がきっかけで行かなくなるかわからないくらい大学に行くのが辛い。何の目的もなくただ授業を聞いているふりをして時間を過ごす。あまりにも虚しすぎるが授業を聞いても外国語のように何を言っているのか全くわからない。人生で躓いたことがほとんどなかったせいで、わからないことのオンパレードで頭が麻痺してしまった。
全てが自分の努力不足のせいで、それがたまらなく嫌になるのだがこの状況を抜けるための努力はしないでここでこうして駄文を書いている自分に嫌悪を抱く。最近は生きている価値すら見出せない。生きる意味なんてないとよく言われるが、それを言われると絶望して死にたくなる。
高校生の自分が見たらなんて言われるのだろうか。あの時は常に何か頑張っていたと思う。勉強にしろ部活にしろ死ぬ気でやっていた。いやこれも思い出補正で実は自頭に任せて適当に勉強していただけかもしれない。もっと身の丈にあったところを受験すればよかった。たまたま恵まれた環境に生まれ育って、平均より少し頭が良くて、受験はほぼ運で受かった。周りは自分と違って超優秀。いつもそういう人たちと比べてしまい鬱になる。周りの人にあれだけ期待されたのに、学校であれだけ優秀と言われたのに、学部の授業で躓いてしまう自分が情けない。
でも大学を辞める勇気はないから多分ずっとこのまま何も変わらないで過ごしていくのだと思う。このまま生きていくのは辛すぎる。けどこの状況を変えるのがもっと辛く感じてしまう。辛い。誰かに助けてほしい。
脳が麻痺ってると、今までの惰性の行動をし、変えられない。そこで、解を出すよと見せかけて金を出すように仕向ければ、依存で金を出し続ける奴の出来上がり。
だから、まず休め、逃げろ。心療内科でくすりをもらえが正解。マインドフルネスや、禅も脳の休息ではある。ただし、あれはまだ科学になりきれてないから、いかがわしい連中もいっぱい蠢く。
でも、休む、逃げる、心療内科に行く自体も行動を変えるということだから、やらないんだよね、、、、それでも根気よく休め、逃げろというしか無い。
あんなの先祖代々の住職やっているところが、自分の檀家から盆に念仏唱えて金もらえるだけの商売と堕してる。けど、もう新規で檀家になる奴はまず見込めないから先細り。
それより、時間作って、色んな所で悩んでる奴に救いの言葉を授けたほうがいいと思う。と言っても、逃げて休め。いい本はこんなのだよ。ぐらいのものか。
仮に仕事にするにしても仏教関連の書物を大量に読みこなして、執筆業やったほうが人を幸せにできると思う。でも、軌道に乗るまでが自分が苦しむという循環。
宗教が絡むセミナーって、弱まってるやつをどう依存させるかとなってるから、ろくでもない商売になってる。
そのうえで、仏教の知識を元にセミナーをやったほうが救える人間はいる。だけど、自分で解決もできずデモデモダッテみたいな人間はいる。
もうそういう奴は適当におどめすかして永久に金をとり続けたほうが商売としてはうまく行くのかもしれない。
一応は座禅とかで疲労を相当取れば行動が変えやすくなるとは思うが、やっぱりどうしようもない人間っているからね。
「人を救う」というのは本当に難しい仕事だよ。
本業にせず、本業は別にもって、ここや知恵袋で、苦しんでる奴にアドバイスするぐらいでいいんじゃないか?一日何件、あるいは一週間に何件アドバイスすると決めて。
まあ、いかにも疲れていて、頭もこれもう働いてないなって奴には、逃げて休め。ぐらいしか言えない。だけど、それが最善なんだよね。
加えてプライド(=仏教の慢の感情)も相当傷ついてるから噛み付いてくるのもザラ。
かたや、馬鹿なアドバイス(もう完全に頭が麻痺って簡単に騙される状況になってるのに起業しろというアホ、毒親だろうが苦しみから逃げずかまってやれってアホ)にも疲弊する。
ってことで、本業は別に持ち、休みにできる範囲で仏教本、その他宗教本を多くよんで、道に迷ってる奴に休め、と言ってやるぐらいがいいんじゃないか。
依存ってのはゲームのみならず、頭を麻痺させて自分に嫌なことや、ためにならないことや、金を出し続けることを続ける状態。
何かにはまってる状態ってのは楽しいが、頭が麻痺ってる。その状態であれば金はどんどん出してもらえるのが期待できる。
何でもそうだが、どこかで抑えを自動的にかかるようにしないとならない。
ひとつの解として無課金=ガチャとして金を出さないというのを理性が生きている間に自分に課するのも一つだろう。
それを考えると買いきりゲームや、月課金ゲームだけだった時代がどれだけ幸せだったのかと思うな。まあ、ガチャはあの射幸性が気に食わないからガチャゲーはしてないが。
私は、子供の時期に誰もが持つであろうその身体から溢れんばかりのエネルギーの多くを、自分の欲求を抑圧し我慢し諦めること、感情を封じること、自己を否定することに使ったと思います。当時の私には、それが唯一自己を守る術でした。しかし、それで失ったものはとても大きく、守れたものは、私が生きているという事ぐらいだと思います。私は今頃になって当時の私がいかに辛く、苦しかったかを思い図る事ができるようになりましたが、当時の私は声をあげて助けを乞うことや、自分の意思や要求を他人に伝える事がほとんどできませんでした。そもそも自分の感情に対するアンテナがかなり麻痺していて、自分が何を欲しているのか分からなかったと思います。そして今でもその影響は尾を引いています。やりたい事は何なのか。嫌な事は何なのか。それらが分からないまま、大学に入って、大学生活を送って、気づいたら自分の感情や欲求とは全く別方向に進んできてしまっている。確かに心の奥深くで沢山の感情が存在していましたが、それを私は蔑ろにしていました。これまでに膨大な死んでしまった感情がいたであろう事を思うと、やりきれない思いが込み上げてきます。虚しくて仕方がない。この頃は、生まれた感情の一つ一つを見逃さないように気をつけて、そしてすくい上げて、大事に向き合っていくように努めています。それでもやっぱり見逃してしまったり、手ですくった水のように、ポロポロとこぼれていってしまうものはあります。
また、生きている感覚が薄く、生きる事への執着心が薄いです。頻繁に自己破壊衝動や絶望感に襲われます。積み上げたものを一瞬で壊してしまう。なのでその延長で人間関係にも困難を感じています。今やっている努力を自分で水の泡にしてしまう。ああ、つらい。楽になりたい。一瞬で楽になれる方法はみなさんもお分かりの通りすぐそこにあるんです。ただ、でも、私なんかが楽になっちゃいけないと、自己否定感が私に訴えます。死ぬのは怖いし。お前はつらくても生きる事を努めなくてはいけないと。でも、そうやってそれを我慢した分、別の方向にそのフラストレーションを向かわせる。本当に抑圧する事はできない。溢れ出てしまうものがある。つまり生きながらにして、生きたくないという自分の欲求を満たす。それは自分を傷つける。努力を台無しにする。そして自己を憐れむ。
私が本当に自由に自分を肯定して体を動かせるようになったとき、全能感を得たとき、私は死ぬんじゃないか。その可能性を自分で否定できない。
まあ結局のところ、私はこうやって自分の不幸話に酔いしれているだけなんだ。そして誰かに哀れんで貰いたいだけなんだ。そう言いながらあわよくばシンデレラストーリーのような幸せが自分に訪れないかと淡い期待をもったりしている。そんな救いようのない無価値人間。そう言いながらやっぱり自分に何の価値もないということを受け入れたくなく、価値のある立派な人間だと思いたい・思われたいという物凄い欲求を持っていて、そう言いながら自分は価値という基準で他人を優劣の視点で見てしまっていて、生物は無条件に生きる価値があるというような教説や誰もが救われるというような話は到底信じられないという救いようのない汚れた心を持っている。
私みたいになってない人が憎たらしい。無邪気に人生を楽しもうとしてる奴らが、希望を持とうとしてるやつらが、生きることに意味を見出している奴らが、活き活きとして見えるアイツらが憎らしい。何故、私はこんな状態になっているのか。何故、悲しいはずなのに涙が出ないのか。何故、こんなになっている自分を受け入れてしまう自分がいるのか。ああ、これが末那識か。どこまでいっても自分が可愛くて仕方がないという無意識。これがあると見出した仏教者はすごいな。ほんとその通りじゃないかな。