はてなキーワード: 青色とは
面白い着眼点だと思ったので詳しくないけど自分なりにしらべてみたよ
錐体細胞の応答する波長には幅があり青錐体は人間の視覚の短波長の下限の紫までをカバーしている
太陽光は、波長の短い方から順番に、紫、青、緑、黄、オレンジ、赤の光を含んでいる。晴天時には波長の短い光が強調されるが、一番短い紫色の光は空の高いところで散乱されてしまうため、2番目の青色が現れる。一方、夕方になると、波長の長いオレンジの光が多く地上に届くことになる。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/10/10/purple-sky_a_23557444/
日中の青空と夕陽の赤とを波長の違いで説明するのはよく見るが、紫が上層でまっさきに散らされてるなんて知らなかった
・紫色の空
魔法のような色の空はなぜ見える?薄明はくめい・マジックアワーのナゾ
一つのテーマ、受賞者最大3人、に授与するというルールだったと記憶してるけど
ワンテーマから3人の時と、隣接領域から受賞者詰め込んだのかな、みたいな時があるよね。
なかでも今年は飛びぬけて関連性なくない?なくなくない?
1997年 レーザー冷却法[スティーブン・チュー、クロード・コーエン=タヌージ、ウィリアム・ダニエル・フィリップス]
2008年 自発的対称性の破れの発見[南部陽一郎] CP対称性の破れを説明するクォーク理論[小林誠、益川敏英]
2009年 光ファイバー通信[チャールズ・カオ(高錕)] CCDセンサーの発明[ウィラード・ボイル、ジョージ・E・スミス] ←ちょっとこじつけっぽい
2018年 光ピンセットの開発[アーサー・アシュキン] 超高出力・超短パルスレーザーの生成方法[ジェラール・ムル、ドナ・ストリックランド]
2020年 ブラックホールと一般相対論[ロジャー・ペンローズ] 銀河系中心いて座A*の発見[ラインハルト・ゲンツェル、アンドレア・ゲズ]
2021年 気候モデル・温暖化[真鍋淑郎、クラウス・ハッセルマン] スピングラス[ジョルジョ・パリージ] ←地球規模に適用できる複雑系の研究?
日本では真鍋さんの人物エピソードだけ報道され解説が少ないであろうスピングラスは、統計物理学が専門だったヨビノリの解説を見るといいと思う。
俺は見たけどよくわからんかったわ。ジョルジョの研究分野が多彩で広い分野に影響を与えたすごい学者なのはWikipediaの受賞歴からも感じられた。
同一テーマの受賞がほとんどだけど、その中から1997年のレーザー冷却法をピックアップしたのは、レーザー冷却法にアーサー・アシュキンの考案した技術が使われていて
受賞したチューもアシュキンが先駆者だと言ってたことが2018年のアシュキン96歳当時最高齢ノーベル賞受賞につながったのかなあ、とか思って入れました。
ペンローズも「2020年に、ブラックホールと相対論で受賞するのが、ちょうどいいのか?」という点に、光電効果のアインシュタインみを感じて入れた。
試合中にお菓子の箱を開けてビニールビリビリしながらバクバク食い出す破壊力。
小さいお菓子が画面の横にチラッと出てきて何食ってるのかわからないのはよくない。
だがお菓子なんぞにカメラがズームするのもあざとくって鬱陶しい。
ザッハトルテのような飾り気はないインパクトとカロリーの凄さは伝わるケーキを丸ごとムシャムシャしてくれれば見てる側も安心。
だが棒アイスはどうだ?
ガリガリくんを齧り青色の粉を将棋盤に撒き散らせば流石に下品っぽくなるのでは?
対面の棋士が上品なティーセットで一服している前で将棋盤に齧りつきながら一本60円のアイスに齧りつく姿が俺は見たい。
それでも威厳を保って欲しいし、失われてくれるならそれが見たい
某メーカー勤務なんだけど、修行の一環で地方の生産工場に2年間赴任してた。
そこの工場で働いてる奴らの通退勤時の服装が、とにかく酷かった。
「え?パジャマ?」と見紛うようなヨレヨレの上下スウェットで、田舎道をノタノタと歩く者、
センスが高校生時代から変わってなさそうな、意味不明の英単語がでかでかとプリントされたTシャツで堂々と歩くおっさん、
地味にもほどがある柄シャツ一枚はおってのうのうとあるくお姉さん、
野バラのようなくすんだ赤色のパーカーを夏でも冬でも羽織り、どこで見つけてきたのか、まったく同じ色のスニーカーを履き、ここまで「野バラレッド」にこだわっていながら何故か群青色のジーンズといういで立ちのオールバックおじさんなどなどなど…。
都心じゃなかなか見ない感じの人たちばかりだった。
見られる目がないと、何にも気にならないのかな。
ミリシタ
元々はボイスロイド琴葉姉妹によるマリオ実況で人気を博した投稿者なのだけど、今年の5月頃からデレステ、7月からミリシタにてプロデューサーに。『琴葉姉妹モノ』のお約束をある程度抑えとく必要はあるものの、茜ちゃんと葵ちゃんが熱情をもってゲームに取り組む様、所々ポエミーにMVを鑑賞していく様、何より着実にアイドル達への理解と愛情を深めていく様は、アイマス初見実況を好物とするオタク達に深く刺さることと思う。オススメ。
https://nico.ms/mylist/61820967?ref=nicoiphone_other
そういうのが好きなタイプのシャニマスオタクは当然知ってるであろうレベルの人気投稿者といえるが、ニコニコがメインということで知らない人もいるかも。とにかくシャニマスのシナリオに対する理解が深く、驚くべきポイントで驚き、感動するべきポイントで感動し、苦しむべきポイントで苦しんでくれる。なので、一緒にシナリオを深く読み込んでいくもよし、一度読んだシナリオの別理解を探るもよし、やっていることは従来通りのゲーム実況だけど、色んな楽しみ方を提供してくれる投稿者。
今や『月ノ美兎が作った流行』どころではなく一大ジャンルと化したVtuberシャニマス実況だと、今一番面白いのはこの人達。
https://youtube.com/playlist?list=PLX2omRlD-QVZ2IVIZ2b8Z6EnDujfVtK3T
紫色で小さい毒楽こぐまさんと青色で大きい仁星みぃなさん、仲のいい女性Vtuber二人組のチャンネル。ちょっとお口が悪いところがあるので若干人を選ぶかもしれないが、2人とも元々二次創作畑の経験が長いのかシナリオ理解の早さと深さが半端ではなく、こちらもシャニマス実況動画として純粋に面白い。
ブームがだいぶ落ち着いた今でもコンスタントに実況してくれている。現在最も追うべきシャニマス実況Vtuberはこの二人だと言っても過言ではないと思う。
https://youtube.com/channel/UCdPpPvMlmhzNj2IrpvzM07A
8月2日からシャニマス開始。「Vtuberとして上に行きたい!」という気迫が伝わってくるハキハキした喋りで283のアイドル達を味わっていく様は、アイドル業界で生き抜くシャニマスPとも親和性があるようにも感じる。今は印象派凛世で初回プロデュース途中なので追いつくなら今。
月ノ美兎委員長によってVのものによるシャニマス実況が開拓されてから早1年半、今やシャニマス公式が実況ポリシーを制定するまでになった。
https://twitter.com/imassc_official/status/1427541504084512769?s=21
そんな1年半の中で、ゲームとしてのシャニマスも、Vtuberという文化も進化し成長したが……最も進歩したのは実は視聴者たるシャニマスおじさん達ではないか……とも思う。
というのも、現在でもコンスタントに投稿されるシャニマス実況のアーカイブを見まくっていると、どういうわけか、どんなに登録者数が少ないVtuberによる配信にも、たとえそれまで一度もシャニマス実況をやったことがないVの所にも、ほぼ必ずライブでシャニマス有識者おじさんが現れる。それも「超人のようにどこにでも現れる1人がいる」のではなく、「そういう人が10人くらいいて、互助会があるわけでもないのに、その内の誰かがほぼ必ず顔を出している」という状況。そういう人たちが、この1年半のシャニマス実況隆盛を通じて「ネタバレをしないように」「指示厨に堕しないように」「初心者の興味が持続するように」「間違いやすいポイントや陥りやすいミスリードを避けられるように」という『シャニマス初見実況をする人へのアドバイス』という物凄くマニアックな技術を身につけて、毎晩どこかしらのVtuberシャニマス実況に顔を出している。なのでアーカイブを見ていても、コメント欄によく見るシャニマスおじさんの名前を見つけては「ああ、この人が来たか。なら大丈夫だな」と、謎の安心感を持ちながら動画を見ることができるというわけ。
「初見さんの反応を主食にするシャニマスおじさんは多いのですよ」とはその中の一人の言葉(これはアイマス15年の歴史でずっとそうだったかも)。これからVtuberシャニマス実況を見ていく人はそういう所にも注目すると面白いかもしれない。
私は何をしているんだろうな
みんなは日々、何をしているんだ?
いや、そういうことを聞きたいんじゃない
何のために何をして生きているんだ?
ケツが群青色したクソガキみたいなこと言って申し訳ないんだけど
みんな一体どうしているんだよ?なんで平然と生きていられるんだ?
そんなこんな言ってる私もさ、傍から見たら幸せに暮らしているように見えると思うんだ
齢40、一男一女に恵まれそこそこの企業でそこそこの給与を得て暮らしている
平日は働き、土日は小学生の子供達におとうさんおとうさん言われながら遊び回っている
どう?びっくりするぐらい平凡に幸せを享受してそうなシチュエーションでしょ。
なのになんなんだろうな、この虚無感は
苦しいんだわなんかここのところ。
思い当たる原因はたくさんある
家がなんだか苦しいんだ
妻は怒りの発出を自制することがない
育った家庭でそれが当たり前だっただからだろう
怒りを隠すことがない。不快なことを己の中で処理すること無く発出するのだ
怒りを発出することは非常に少ない
というか怒りを覚えることが少ないのだ
そこに怒りを感じて発出することは非常に利己的であり恥ずべきことと考えている
まぁとにかく、恋は盲目。そこが良い部分にも見えたのだ
ただやはり、時間が立つと恋という目潰しも効果が薄れてくるのだ
子供に怒りというコミニュケーションしかとれない妻には疲れてしまった
ずっと見せてきたよ。怒りじゃないコミニュケーション。怒りじゃない教育
妻に対しても、子供に対しても
少しの軌道修正はできるのかもしれないけど、大きな転換というのは人間の仕組み的に無理なんだと思う
私が無償の愛で包んでいくつもりだったんだけどどうにも苦しくなってきた
なーんて言ってもさ
結局は私が支えていかなきゃいけないわけ
働いているのは私だけだからさ
私が急に消え去ったらみんな露頭に迷うわけ
もちろんおとうさんおとうさん言ってくれる子どもたちを愛してないわけないじゃない
昔は自分の命と引換えにお金を残すなんて到底考えられないと思ってたんだけど
もうわかるよね。露頭に迷わせることがないならその手段もそりゃ考えるよ。
まぁまだ私はその境地にはたどり着いてないのでご心配なく
はい、これが1個目
まだまだ続く私の苦しみ
2個目は仕事
すげーよねみんな。高い能力でどんどん仕事をさばいていくのよ。
そこそこの企業がまだ、小童だったころに入ってさ、私以外のみんなの努力でそこそこになったわけ
そうなるとさ、そこそこにふさわしい人材がたくさんはいってくるの
小童にふさわしいスキルしかない私はそのふさわしい人材には淘汰されるよね
ふさわしくなれるように努力しろよってそこそこの人材のみなさんは言うでしょ?
そこもスキルなんだよ。努力が実をすぐに結ばないんだ。今更さ、この業界向いてなかったかなって思うぐらい
だから私はさ、日々ゲボが出そうになりながらそこそこの人材のみなさんの活躍を見てるの
もうなんだろうね、根本が違うんだよ。やる気に満ち溢れて輝いてるんだよ
ゲボ吐きながらその皆さんの半分ぐらいの仕事を必死でさばいてるの
知ってるよ。君らがつかえねーなって目で見てるの
でもここが俺の限界なんだよ、これ以上は象がヘソでイングリッシュマフィン焼き上げるぐらいに無理
でももうそろそろ終わりだよね、息苦しいよ、俺の居場所じゃないってわかってるよ
はい、これで2個
ラスト3個目
人ってさ、希望があると生きていける、頑張れるみたいにいうじゃない
でも良し悪しだなって
中途半端に輝いた希望が失われると、より深い絶望に落ち込んでしまうんだよ、って思っているところ
みんな夢はあるかい、どうだい、夢
恥ずかしながら私はある、あったというのが正確かな、あったんだ
苦しい日々のなかでさ、偶然に近い形で夢に向かえる環境ができたんだ
ちょっと今からでもその夢一緒に追おうよって言ってくれる人がいてさ
日々から時間を少しずつ少しずつ割いてその夢に近づけるように努力してきたんだ
本当に今更、今更すぎるんだけど、久々に生きている感じがしたんだ
それこそ冒頭の、私は何のために生きているのかを感じていた
とても辛い、とても辛いことなんだけどさ、なんでだろう
家庭の私、会社の私は私がなりたい私じゃなかったんだよ
自己実現ってこと?高校生かよ?って言われるだろうけどそうだよ。
でもさ、日々の自分が100だとしてさ、10だけでもなりたい自分だったなら
結構やっていけるもんでさ
夢を追っていたここ1年は上手く回っていたように思う、
ただまぁそんな都合の良い日々は続くわけもなく
夢を一緒に追ってくれる人がいなくなってしまいましてね
ここは長いしぼやっとしてるんではしょりますが、突如見切りを付けられてしまったのです
一緒に追ってくれた人はさ、お前は操船が上手だ、そっちの方向であっている、そっちに宝島はある
ってさ、ずっと盛り上げてくれてたわけ、私も信頼する人だったからさ、その言葉に乗って進んできたわけ
でもその人が、やっぱダメそーだわ、降りるねー。なんていったら無理じゃん。
宝島の影も見えなかったよたしかに。でもそんなすぐに見つかるもんじゃないし。
でも少し見えたじゃんいろいろ、少しずつ航海していく自身があふれてきたのにさ。あーあ。
こうやって一瞬見えてしまったありたい自分が死んでしまったわけです
残るのは何?
くるしーわ
夢を失った抜け殻だけだよ
わかってる、わかってるよ
みんなそうなんでしょ?夢をつかめるやつなんて一握りなんてそんなの武田修宏だってしってるわ
だから妥協して手がとどく幸せをつかみながら生きろよって話なんでしょ?
やだよそんなの
一回手をのばしちゃったんだよ、無謀にも手をのばしちゃったんだよ
わからんよね、たぶん、私の気持ちの1/10も書けていないし伝わる量なんてさらにこの1/10だよ
でも書かないとやっていられなかったんだ
それでも私は生きていくからさ
みんなが夢を掴んでいくオリンピックがつらいよ
これは彼らのオリンピックであって、私のオリンピックじゃないんだ
勇気をもらう気持ちはわかるけどさ、私の勇気は吹き飛ばされそうだよ
どうなるんだろう私は
みんなどうしているんだよ
先日、とある配信者が「配信内でのリスナーお行儀ルール」に関してお気持ち表明配信をしていたのを見た。
俺はこの文化に明るくない。なんなら未だ「ファン」と「推し」と「ガチ恋」の違いがわからんまである。
なので、彼女の掲げるルールについては素直に従おうと思ったし(郷に入りては郷に従えそのものである)、
実際それらはその文化圏ではかなり当然のことのようで、配信内でのリスナーの発言も賛同・あるいは
過去の自らの行動を反省するような感じのコメントが多くを占めていた。あるいはわざわざコメントするくらいの、
そもそも一定以上の熱量を持つ従順なファンしか集まらないものなのかもしれないが。
確かに彼女のいうルールは理由に納得のいくものばかりで、それに対する文句は本当に何一つない。
ついでに言うと彼女の配信に於いては当然彼女が王で神で仏でつまり絶対なのだから、仮に納得できずとも参加したければルールは
守らねばならないとも思う。
前置きがクソ長い。ここからが本題。
ただ一つ、気になるものがあった。もしもこの増田が目に止まった配信者サイドの人がいれば是非教えて欲しい。
繰り返すが不思議に思っているだけで、ケチをつけたいわけではない。どうやって書こうにも、俺の力量では煽っているような
文章にしかなりえず、でも知りたいので増田で吐くことにした次第。
「別の配信者の配信に自分がコメントしに行ったとしても自分をチヤホヤしないでくれ。
逆に自分の配信に別の配信者がコメントしに来たとしても、自分がそいつの存在に言及するまではお触り禁止。」(かなり意訳)
というルール。
曰く、「主役がいるにも関わらず自分が注目を集める感じになって気まずい・申し訳ない。」
その感覚は共感できる。コメントを考えなしに打ったら予想外に拾われてしまい、返さないと何だか無視するみたいなので
また誰得な自分語りをしてまたまた拾われて……、みたいな状況、正直何度かやらかしてしまったが非常に苦痛だった。
というか端から見ていてそんな奴が同じ配信に居たら単純に嫌だ、というのは想像に難くない。
(だったら初手のコメントからするなよ、というツッコミはまさにその通りであり、実際そうするべきであった。
応援したいと思っているが別に自分が目立ったり認知されたいわけではない。
ベストなポジションは映画でいうエキストラ、一般市民AとかBとかそういう体だと思っている。)
一般人側としては、わざわざ同箱の自分の好きな配信者が来てるとなると何かレスポンスを返してあげないと
悲しむかなぁ、とか思ってしまっていたので、この発言は「あ、逆なんだぁ」と新鮮だったのを覚えている。
ただ……では何故、彼女たちは青色でスパナのついたアカウントでコメントを残すのだろうか?
そこの心理を俺は知りたい。
一般リスナーと違って、彼女たちには楽屋代わりのディスコがある。
そちらで「実はさっきの見てた、あそこのアレ良かったよー」と後からでも評価してあげる、とか、
自身が脇があまあまな体質なのであれば、うっかりコメントしてしまっても注目を集めないように
皮のアカウントではなく中の人のアカウントなりで参加する、とか、
そういうやり方は何か理由があって難しいのだろうか。
まさか営業の一環でやってるわけではあるまい、それこそルールの意図と矛盾してしまう。よな。
もしこの理由を思いつく方がいれば、ぜひとも教えて欲しい。
(下手すると飯の種のリスナーを失い炎上しかねないにも関わらず、だ。その勇気、強さは素直に尊敬できると思っている。推せる。)
可能性の一つとして、単推しリスナーからこういった箱推しリスナーへの
「俺と〇〇ちゃんの庭なのにだるいやつらが〇〇ちゃんに関係ない俺の知らない話題で内輪で盛り上がってうるせえ」的な
念の為ぼかす。
一昨年、近所の庭のある1戸建てに一人暮らしのおばさんが引っ越してきた。
その家は前住居者が離婚して、家族が出ていき、その所有者がリフォームを施し貸家にしたものだ。
日当たりが良く、庭はその家と隣の家の間にあり南側の道路に面していたので、日照権を得られなかった私の家族はその家を羨ましがっていた。道路に面した部分はフェンスと門扉で覆われているが、野良猫がそのフェンスをくぐり、その庭の間を通るのを昔はよく見かけた。
独居中年女性の存在が結構珍しく、母の仲間たちも「未亡人なのかね」「子供が独り立ちしてるのかもね」「ママさんバレー興味あるかな」と引っ越し当初は持ち切りだった。
しかし、あまり周りとのコミュニーケーションを取りたがるような人ではなかったみたいで、周りもソッとしていた。
近所に大きな駐車場があり、そこに結構な数の野良猫がいた。過剰に猫に餌やりをする女がいて、そのせいか野良猫のたまり場になっていて、近所に庭のある家は糞尿の被害にあっていて、夏場の臭いは酷いものだった。
おばさんの家の庭も例外ではなかったのが容易に想像はついた。おばさんは園芸が好きみたいで、庭にはプランターや木の入った鉢など沢山おいてあった。
その横に開封してある猫缶らしきものが置いてあったのが驚いた。庭を荒らされても平気な程、猫が好きなんだろうなと思った。
ある日、珍しくおばさんを庭先で見かけた。おばさんはしゃがみこんで、菜箸で猫缶の中身を混ぜていた。その横に青色の不凍液のボトルが置いてあり、チョビチョビと猫缶に不凍液を混ぜながらかき混ぜているのだ。
ギョッとした俺は、見て見ぬふりを通り過ぎた。
今まで彼女はずっと、野良猫に不凍液を混ぜた猫缶を与え続けていたのだ。
今朝、そういえば最近野良猫全く見なくなったね。と母が言った。去年はふん尿のニオイも無くて良かった。窓を開けて喚起ができたから。そういえば駐車場でも冬場に野良猫1匹も見なかった。保健所に連れていかれたのかもね。車運転する時、誤っていつか踏むんじゃないかと思ってたから、ホッとしたよ。
そんな話をしていた。
俺は猫は好きでも嫌いでもないが、野良猫に餌をやる行為は間違いなく誤りだと思う。動物を飼ったことのある人間ならわかると思うが、餌やり、トイレの世話、健康チェックから看取りまで、全てこなして飼育なのだ。
去勢手術も施さず1番楽な餌やりだけやって猫を護った気になれるならそれは独善的すぎるし、なんなら雑食の猫の自活力を奪い、の不幸の連鎖を繋ぐ手助けをする悪魔的な行為だ。手えだすならしまいまでやれと、俺が子供の頃に働いていた湯屋で世話になっていた職人が言っていたのを思い出す。
おばさんが恣意的に野良猫を殺したことは、褒められたことではない。しかし、おばさんを責める事は誰ができるんだろうか。地域猫としての処置をされた野良猫なんて1匹も居なかった。
愛護法に動物はみだりに殺してはいけないとあるが、おばさんは自分の家の敷地内に不凍液を混ぜた猫缶を置いていただけだ。近所を歩き回って叩き殺したわけでもなく、猫のいるスポットに毒餌を置いて回っていたわけでもない。「みだり」の定義に反するかは疑問である。猫いらずでねずみを殺す感覚に近いのかもしれない。
俺にはおばさんを責める権利が見当たらなかった。
猫殺しの気味の悪い中年女の行為が、近隣住民のQOLの向上につながった事を知っているのは俺だけなんだろうな、と今はもう猫缶が置いてないおばさんの庭先を通り、ふと思った。
タイトルを失念したし細部は間違えているかもしれないが、アメリカのSF作家ロバート・シェクリイの短編小説で、こんな話があった。
= = = = =
ある日、主人公は、街中の交差点で歩行者信号が青色になったので横断歩道を渡ろうとしたところ、背後の誰かから「危ない!」と声を掛けられたお陰で、信号無視の車に撥ねられずに済む。
声を掛けて助けてくれた誰かにお礼を言おうと、主人公は背後を振り返ったが、それらしき人間は見当たらない。
その代わり、目に見えない何者かの声がして、主人公との会話が始まる。
その声の主は、謂わば異次元の存在だから、大多数の人間は、見ることも声を聞くこともできない。しかし、稀に主人公のように声を聞くことが出来る人間がいる。
そして、声の主は災難に遭う可能性が有る運命の人間を見分けることができるので、今回のように忠告の声を掛けて時折り助けているのだと言う。
声の主が「君さえ良ければ私がアドバイスをすることで、君が将来的に遭うかもしれない危険な目を避けられる。別に見返りを求めたりもしない」と言うので、主人公は謎の声の主をアドバイザーとして受け入れ、二人の関係が始まることになる。
声の主が予め危険を忠告してくれるので、主人公は危険を避けることができるようになる。例えば「明日の出勤は違うルートにしろ。いつものルートではガス爆発が起こるから」と言われて従ったところ、翌日の新聞にガス爆発事故の記事が載り、普段の通勤に使っているバスが巻き込まれたことを知るといった具合いである。
最初は主人公も「これは助かる」と重宝するが、二人の関係が続くうちに、危険を避けるために与えられる忠告の頻度がどんどん多くなる。
不思議に感じた主人公が、声の主に質問すると、次のような答えが返ってくる。「人間の運は、全体的にバランスが取れるようになっている。自力で未来の危険を察知したり避けたりすることができない人間は、大きな危険に遭遇する可能性が小さくなるようになっている。しかし、君は私の忠告によって危険を避ける能力が普通の人間よりも上がっているので、その分のバランスを取るために大きな危険に遭遇する可能性も上がっている」と。ちょうど、ヤジロベエの片腕を押し下げているようなものである。ヤジロベエが落ちないようにするには、反対側の腕も押し下げねばならない。
「冗談じゃない!」と思った主人公は、声の主との関係を解消しようと「私のところから立ち去ってくれ」と言う。しかし、声の主は言う。「君の傍から私が居なくなっても、運のバランスが直ぐに回復するわけではなくタイムラグがある。私の忠告は受けられなくなるが、君が危険に遭遇する可能性は暫くの間は高いままになる。私の忠告も無しに、それらの危険を君は避けることが出来るのか?」と。ヤジロベエの両腕を押し下げている力の片方が、急に消えるようなものである。声の主が消えれば、反対の腕を押し下げる力だけが残る。もし、そうなると……。
声の主は、主人公に対して「心配はいらない。私の忠告さえ守れば、君は安全だから」と言う。実際にその言葉どおり、主人公は様々な事故や事件を未然に避け続ける日々を送る。
やがて月日が経つと、声の主による忠告に変化が生じ始める。「主人公の住居であるアパートの玄関に✕✕を掛けておけ」とか「✕✕を肌見離さず持ち歩け」という具合いに。
まるで魔除けじゃないかと思った主人公が、声の主に尋ねると、やはり運のバランスの問題であることが判明する。声の主は言う。「異次元の存在にも、私のように人間を助けるのが好きな者もいれば、逆に人間に危害を加えるのが好きな者もいる。私からの忠告を受けられることで、君の運は相対的に良くなったから、その代わりに人間に危害を加えるのが好きな存在にも目を付けられるようになった。これらの新しいタイプの忠告は、それらの危険な存在を避けるためのものである」と。もちろん、声の主が居なくなったとしても、主人公が異次元の危険な存在に狙われる可能性は暫く高いままである。したがって、主人公に拒否権は無い。
声の主は言う。「心配はいらない。私の忠告さえ守れば、君は安全だから」と。ここに来て、ようやく主人公は悟る。声の主は、善意から主人公を助けていたのではない。単に、主人公を駒にしてゲームを楽しんでいるだけなのだと。しかし、関係を絶とうにも既に手遅れである。声の主が居なくなれば、主人公を待つのは破滅だけなのだから。
そんな或る日、またも声の主が忠告をしてくる。
この頃になると主人公も慣れてきていたので「今度は何だ?墓場の土を掘ってくるか?それともヒイラギやニンニクを玄関のドアにぶら下げておくか?」と、声の主にジョークを返す。しかし、声の主は言う。「いや、今回の戦術は『何かしろ』ではなく『ある禁止事項をしないようにしろ』という形になる。何しろ今度の敵は手強い。獲物にしようと狙いを定めた人間をずっと見張り続けて、そいつがミスを犯したところを餌食にするんだ。だから長期戦になるのを覚悟しろ。根比べで敵が音を上げて、君の傍を立ち去るのを待つしかない」と。
「いいか。絶対に『レスネライズ』するなよ」と声の主は言うが、主人公は理解できない。声の主が「あ、そうか。これは人間の言葉で言えば……」と説明しようとしたその時、突如として、アパートの部屋の中に獣臭い匂いが立ち込め、凶暴な唸り声が聞こえ始める。
「くそ!予想よりも早く現れた!」と声の主が言うのが聞こえると、目に見えない存在同士が格闘していると思しき物音が主人公にも聞こえ始めるが、その末に声の主の断末魔の悲鳴が響き渡る。
「おい!大丈夫か?」と安否を尋ねる主人公に対して、声の主は弱々しい声で「いいか……絶対に……するんじゃないぞ……」と言い残し、それっきり声も聞こえなくなる。
主人公は恐怖に震えながら、部屋の片隅にうずくまり、まんじりともせずに一夜を過ごす。
眠気に負けた主人公は少し居眠りして目を覚ますが、何事も無かった。だから、睡眠をとることはレスネライズではない。
催した主人公はトイレに行って用を足したが、何事も無かった。だから、これもレスネライズではない。
主人公は、喉が乾いたから水道の水を飲んだし、腹が減ったから冷蔵庫の中に有るものを食べたが、何事も無かった。だから、これらもレスネライズではない。
脅威の元である異次元の存在は、人間の目には見えないから、それが立ち去ったかどうかを主人公が確かめる術は無い。しかし、用心深く過ごしていれば、いずれ敵も根負けして立ち去ることだろう。それまでは気をつけるしかない。
= = = = =