はてなキーワード: 醜女とは
とりあえず、転部のためのTOEFL ITPは終わった。
自分がどうして容姿がものをいうクソ大学の底辺学部にいるのか良く分かる出来だった。
仕方がない。とりあえず来週TOEIC IPを受けてひとまず終わりだ。
どうせ醜いものはボコボコにするのに、心地の良いものは大切にする人間が多くて呆れる。
同性愛の人間が異常なのか、そうでないのかというのは、結局のところどこで異常にするのかというものである。
自分は容姿が醜い。容姿が醜いから、ひどい扱いを受けたことが散々あるし、自分が醜い者に散々な扱いをしたこともあるし、今もしているかもしれない。
だから、容姿がいい人間はセックスができるのに、醜い人間はセックスができない。
そんな社会は自分にとってクソだと思うし、異常なのだが、そんな社会を皆さん認めているし、醜い者がひどい扱いを受けているのをよくわからない科学的根拠でウダウダ肯定したりするのだ。
そのくせして、同性愛が異常だとかいう科学的根拠はあるのかとか言って怒るのだろう。
結局、容姿がいい人間がどこまでも肯定される。毎日、自分は生きている心地がしない。
同性愛の人間が異常だと言った人間に対して正義面して叩いている人間というのは、結局のところ自分にとって同性愛は受け入れられるから叩いているだけだ。
正義もクソもない。
源氏物語をひたすら読んだ授業の後、薄暗い部屋でぼんやりしていた。
あまりに、空気がひどかったので窓を開けている。千代田区も京都も空気の質は変わらない。
すると、隣の部屋から「起きてくださーい」という女の声が聞こえる。時間は午前11時である。
朝、同じ学部の同じ学年の醜女は孤独だった。醜いから、相手にしないのだ。美人なら男一人いるはずだ。
隣の部屋の男女はどちらも顔がいい。
11時45分、赤ん坊の鳴き声が聞こえて来た。マンションの隣の家の赤ん坊だろうか。
大きく言ってしまえば、容姿の良い女が大っ嫌いなのだ。性的魅力という武器で、自分が苦戦している源氏物語のWEBでのテストの解答も楽々手に入れているだろう。
嫉妬という輩がいるが、そんなこと言われても困る。きれいな容姿なら自分は文句を言わない。でもきたないからいう。それだけ。
窓を閉めようとした。
隣の部屋からだった。
「あっ あっ あっ」とかいう女の鳴き声だ。
MARCHの不細工な高校生時代の友人に電話をかけた。その時、英語のテストだったので繋がるわけがない。
そして大声で、母親に話した。「隣でセックスしている いま、終わっておはなしちゅう」と。
母親は笑った。
正直なところ性的魅力がなくて、嫌がられるのはわたくしのご両親のせいだし、金なしのセックスができないのもそのせいだ。顔の肌からは膿やらが吹いているし、赤い月面だ。
数日後、猫がいる広場にいた。
17時で寒かった。
猫と遊びながら弁当を口に詰め込んでいた。
一人は重いアトピーな肌だ。
例えそうでなくても、金を払わないセックスは無理だ。
自分が女なら断る。いやがる。
救いは猫が優しかったことだ。
いや、あの猫たちは誰にでも優しいから、救いではないかもしれない。
彼らも僕も醜女も、性的魅力がないからこの学校でいやな思いをしていることは確かだ。
悲しいことにお互いが繋がりたいかと言えばそうではない。醜い人間も、美しい人間も、美しい人間とセックスしたいというクソみたいな輩は卑屈だと怒り出す、当たり前があるのだ。
普段、自分の書いた文章など読み返さないのだが、似たようなことばかり書いているなと思い読み返したら、同じ内容が繰り返されている。
最近は同じ学部で同じ学年の美容整形外科医も匙を投げるであろう醜さ故に孤独な醜女の哀れさについて何度も書いている。
美しいものと醜いものを同時に見るのは苦しいし、どうして世の中に容姿格差があるのか考えてしまうものだからだ。
だから書くのだけど、あの醜女の姿が良くなることはないから書いてもどうにもならない。
だけれども、醜女を思い出すと色々と考えてしまうのだ。彼女の行動や性格 全てがあの醜い容姿が故であるのは確かだったので、綺麗な姿だったら。。。などと。
とても苦しい。
正直、書く頻度を減らしたほうが良いのかもしれない。
こんなサイトを見てただでさえあまり良くない精神状態を悪化させてはいけない。
最近、NETFLIXでリトルウィッチアカデミアを見た。前作から見るべきだったのだが、最新作を見てしまった。
物語を振り返るのは苦手だから、前作を見ることはまだしていない。だけど、とても楽しく見れた。
おそらく、これは自称美人の腹立つ内容の文章や美人が故にそれを擁護するブックマークがない世界だからだろう。
恋愛がない。
こういう何もない世界を見ていくことをやっていくべきだと感じた。背景に金や女などが絡んでいたとしてもとりあえず綺麗なところだけを見ることに徹する。
とりあえず、鏡も大学の人達も見ない。考えるのをやめたら負けな気がするがとりあえず心がやられてしまうから見ない。
例え、目の前で美人が良い思いをして、自分がひどい扱いをされていても見ない。目をつぶってとにかく耐えるだけだ。
NHKにようこそ!というメディアミックス展開された小説がある。
書かれたのは2001年。まだインターネットがどこかなにか現在とは違う おそらくまだ良い様子で、リタリンがまだ簡単に処方され、まだ格差はマシな時代。
今現在、そんな人間は家に優しい美少女なんかこないいうことを嫌ほど知っているだろう。
出版時よりも容姿格差は強まったり、ありとあらゆることは変化した。大抵は悪く変化して絶望しているかもしれない。ヘタしたら死んでいるかもしれない。
とにかく自分は容姿は醜いし内臓はゴミで、通う大学はクソだけど、仕送りは家賃抜で12万円もあるから、本をダラダラ読んでいって、ここに書く頻度は減らそう。
今日は奈良に行ってきた。京都駅からはタクシーで月6万円の家賃の汚い部屋に戻ってきた。
東京よりも安い料金設定なはずなのに2500円も取られた。
奈良に行ってきた理由は中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像を見るためだった。
なぜ、そんなアカデミックなことをしてきたかというと、弥勒菩薩半跏思惟像を見て勃起したというツイートがある日タイムラインに流れてきたからである。
それから、機会があれば見ようと思っていた。
ついに見る機会ができた。平日に1限以外の授業がない日が出来たのだ。
丁度いい。みやこ路快速に乗って奈良方面へ向かった。顔とスタイルの良い女子高生を見て嫉妬したりしたが、なんとか法隆寺駅に着く。
法隆寺駅から法隆寺まで歩くのだが、途中で自転車を漕いでいるお顔が綺麗な女子高生を見る。天使みたいな顔だった。
ウェブ上で不細工であまり頭のよくない田舎生まれの鬱屈とした大学生から「お前が都内の金持ちに生まれず、田舎で生まれたら自殺してるだろう」と言われたのを思い出す。
少なくとも奈良の普通の家に生まれたら確かに自殺していただろうと思った。
自分は1年前、都内の高級住宅街の近くの大手予備校に通っていた。
私立文系の授業を受けていた時、重度のアトピーの容姿がよくない男がよく講師に怒られていた。
よく授業中に寝ていたからだ。
邪推だが、痒みで夜に眠ることが出来にくいのだろう。彼の顔はいつも辛そうだったし、無気力だった。あまりにも理不尽なことを経験しすぎているのだから当然だろう。
自分もだが、容姿やら病気など、クソみたいな体で明るい大学生活、未来を描くのは無理に決まっていたし、今もどちらもそうだ。
ある日、彼は授業が終わると、どの駅の方向でもない方向に歩いてので、気になってついていったことがある。
予備校から歩いて数分の1.5億円以上はする高級分譲マンションに彼は住んでいた。
彼は親が金持ちなのが救いだった。それだけだろうし、それが幸せなんていえない。
本当にどうにもならないことばかりだ。特に容姿に関して感じる。
とりあえず、寺に着いた。
勃起なんかしなかった。
家賃抜きで毎月12万円を父は振り込んでくれる。
しかし、容姿や体が悪いと、大学はセックスが出来なくて地獄だ。
時間制限ありで木屋町で売女に2万5千円を払うのはとても嫌である。
母親にお前らのせいでこんな買うしかない容姿なんだと言ったら、母は病気だからやめたほうがいいと言った。
かわいそうだ。醜いから孤独だし将来就職できるのかも怪しい容姿だ。
しかし、彼女は醜いから可哀想だと思ってもどこでも慰められることはないだろう。
自分の容姿がよくてセックスとかに不自由しなければ醜女なんか気にしなかっただろう。気にしても仕方ないが。
これから先、親が死んでもグロメンハゲ腎臓病の男として生きていかなきゃいけない。
どうせ、美人が愚痴を垂らしたら可哀想にとか言われる中、自分は何やってもキモいと言われる存在になるだろうし、金を払わなければセックスはできないだろう。
第1位 やよい軒
さんまの塩焼き定食が最近美味しい。家で魚を焼く気力はとことんないので、助かる。
おまぜ定食もうまい。最近レギュラーメニューっぽくなった気がする。確か、祇園祭の時にはあった。評判がいいのだろう。
個人的にとりカツが苦手だ。衣が多い。油っこいのが辛い。自分の顔も膿とか脂まみれで、凹凸だらけだ。僕の顔はとりカツかもしれない。とりカツに失礼か。
やよい軒の素晴らしいところはメニュー以外には、もちろん米のお代わりし放題と、熱いほうじ茶飲み放題だ。
自分の通うクソ大学本部の隣のやよい軒まで暗い部屋から、自転車で15分。
素晴らしいことばかりだが、カップルがよくいるのが玉に瑕だ。
自分も、メニューから一番美人(美味しそう)なのを選んでいるから文句が言えないのかもしれない。
いやそんなことないか。
木屋町が一番熱いらしい。そこで、自分の知り合いはクラミジアと淋病を同時に頂いたらしい。
第3位
パン屋。意外と都内と違いパンを自分たちでこねて焼いているところが多い。都内は工場から持ってきたものを焼いている。
暗い部屋の近くのパン屋で可愛い女の子が働いている。ルッキズムだ。以前とてつもない美少女がパンを買っているところも見た。
自分は殆ど映画を見ない。考えたくもないし、それに関する大学に授業も受けたくない。
実写は邦画も洋画も金を払ってみたくない。1500円を払う価値が微塵も無い。
見るアニメ映画も実は大した価値はない。だけど、とりあえずアニメだから見ていられるのだ。人間が好きじゃないのかもしれない。
映画を映画館で見てみて思うのが映画が始まるまでが長すぎである。
僕は、シアターに入って一番最初に映画の宣伝をしている山○○菜とかいう女優の服から浮きでるおっぱいと顔を見て腹が立つ。
あんなに性的魅力を持つことが出来てとても腹が立つ。こっちは汚いなりにコソコソと皆に迷惑をかけないように映画館に来ているのだ。
人から嫌がられる容姿なのに三越前まで地下鉄を乗ったのだ。京都でセックスを楽しんでそうな美男美女が強者なアホ大学に通う今よりも精神状態は安定していたが、やはり女優のおっぱいを見ていた時は疲れた。
その後、某上場企業の会社が作ったオリジナルアニメが上映される。それもとてもうざい。
ネットを見る限り、その会社の社長の娘が金と性的魅力と大学に苦労してないようなので、それがなおさら自分を苛つかせる。
その後の映画予行もとてもとても映画の本編を見る気を減らしていく。タワーマンションの広告すら流れる。
そんな時に、前の方の席で、ブサイクなカップルが手をつないでいるところを見つける。
ブサイクなカップルは哀れだ。女が特に不細工だ。20くらいなのだろうけど40くらいにさえ見える。シルバニアファミリーの体型で、若い時の林真理子の顔だ。おっきいお顔でくせ毛だ。40で結婚した母親の高卒である弟と結婚した女の後ろ姿にそっくりだ。酷い容姿だ。
しかし、どこかまだ可愛さがあるかもしれない。本当に醜い女 男なんて一生できなそうな醜女を自分は知っている。今日の映画ビジネスの授業で見たから、そっちよりはずっと救いがあるし幸せそうだ。。
映画予行が長い以外にも女優やオリジナルアニメ、マンション広告 顔とスタイルが悪い発情した女 容姿格差 大学の映像系の授業 まぁ腹が立って仕方がない。
もちろん家賃抜きだ。
大体2万円以上が本代で消える。
みんな、アルバイトで忙しいようだ。
勉強なんかする隙がないだろう。
当たり前だが、僕はアルバイトをしなくて良い。
でも、仕送り12万円があって自由時間がたくさんあっても僕は楽しくない。
セックスが出来ない理由は自分の容姿が悪いという理由でしかない。
僕は木屋町の風俗を2回生に教えてもらったが売女を買う気になれない。
2万5千円を払って、腎臓が悪く免疫抑制剤を飲んでいる体に病気を取り込むのは勘弁だ。
バイトしろよという輩が出てくるだろうが、表参道のケーキ屋でオシャレに可愛く売り子をやっている慶應大学に進学したマナちゃんと比べたら惨めになるからやらない。働く先でもルッキズムが働くだろうからやらない。
あと数百日眠ったら、自分はお金持ちになれる可能性があるらしい。
可能性だから、その可能性が消えるのが怖くて震えて本を読んで時間を潰す。父が死なないことを祈る。
怖くて、怖くて、そして容姿がいい女にずっと嫉妬していたから心を落ち着けるために神戸でクレーの絵を見た。
思ったより早く見終わったから、内心飽きてたのだろう。
いつも、僕を正常な気持ちにさせないものがあって、それはお顔のいい女から飛び出た胸だ。
冬は特に苦行だ。目立つ。授業なんてまじめに取り組んでないくせして、セックスは不自由なく、みんなから愛されて楽しそうだ。
僕は本物か粉飾された胸かを見分けるすべを持ってはいない。
だけれども、顔のいい女の子が性的魅力を振りまいているのは許せないのだ。
ミスキャンもどっかのキャンパスで持て囃されている相撲の女もだ。
スカートなんか履いたことない、一生孤独な醜い女を僕は知っているのだけども、彼女を見ていると可哀想な気持ちになる。神は優しくないというのはこの女の容姿で証明される。
三条を歩いていたら、風俗の勧誘に注意というアナウンスが流れていた。
僕の知っている醜女は声をかけられないだろう。
結局、僕があの醜女を気にしているのは自分の容姿が彼女と同じくらい悪いことに尽きる。
今からでも手に入るなら死んでも手に入れにいくつもりだ。
最近、とてつもないブスが頭に浮かんでくる。
4月から7月は小学生の時、同級生だったドブス まぁ、世の中の美しいとされている顔とは正反対の女が見えてきて苦しかった。
寝ようとしていると、急に出てきたりと震えていた。
その他の理由も重なりに重なり、7月くらいには気を病んで、ロープを買っていた。結局、試験後に部屋の掃除に来た母親に捨てられた。
色々と辛くはなるけど、ブスは出てこなかった。
また、大学に戻ったら今度は同じ学部で同じ学年のとてつもなく醜い女が、急に見えてきたりして苦しい。
目をつぶると浮かんでくる。その女がおぞましい顔で、汚い笑い声を発して笑っているところが。
悪魔みたいである。こんな醜くないと悪魔に怒られるかもしれない。
顔を近くで見ると、化粧をしていることが分かる。醜い。美容整形外科医も匙を投げるだろう。美容院のチラシなんか渡されないだろう。
そして、自分とあの女の容姿の共通点が多いと、鏡を見て思う。最悪だ。自分も汚いのだ。
学部と学年が同じだから、この醜い女と授業が同じであることが多い。
みんな平気そうな顔をして座っているけど、自分はもう見るだけで泣き出しそうだ。
大学の中に落ちている、ミスキャンパスで選ばれた数人との顔の共通性のなさ、コントラストに震える。なんでみんなこんなに顔が違うんだ。
今日は美学の授業で見た。とてつもなく醜い顔で、一人で座っていた。講師がたまに発する、アニメネタにおぞましい斜めの横顔で、汚い声で笑っている。
美とは一切関係ないためか、ずっと生協で買ったであろう高いだけの富士通製のパソコンでなんか別のことをしている。マウスを持ってきて、カチカチとうるさい。
醜女は周りを気にしない。周りを気にしていたら、とっくのとうに自殺しているだろうから当たり前かもしれない。
なんていうか、ブスを美人にしてくれ。こっちが死んでもいい。あまりの醜さに可哀想だ。スカートを一度も履いている姿を見たことはないし、授業を受けている様子を見ていると彼女は外見の醜さが故に孤独なのがよく分かる。
配られたカードで勝負するしかないというのだけど、何に勝てばいいのだろう。
自分が通う頭の悪い大学の最も偏差値が低い学部にとてつもないブスがいる。ブスというと曖昧だから容姿が醜いと言おう。
接続された女のヒロインの醜女とおんなじくらい醜い。この醜女は化粧をしているということが、醜女の周り 半径1メートル以内に入るとと分かるがこんなもの焼け石に水だし、美容外科医も匙を投げるだろう。
この女は容姿が醜いがあまり孤独だ。授業は一人ぼっちだ。しゃべり方も気持ち悪い。声が低い。汚い。
この醜女がミスキャンのファイナリストに選ばれた天使みたいな文学部の女の子に何が勝てるのか。
何を勝負すればいいのか。
潰した蚊の数か。それとも孤独に耐えた回数だろうか。そうでなかったら、スカートを履かなかった回数か。
配られたカードで勝負するしかないというけれど、勝負なんか最初からないのだ。
用意してくれない。
なにもない。
天使は生きているプロセスの中で容姿のおかげで自分に自信を持つし、他人からも応援されるだろう。
ただ、あの醜女はずっと醜女を引きずるだろうし、何をやってもあの天使みたいな顔の女とは違うのだ。
勝負があって、あの天使から、美人のカードを引き抜いて自分が天使になれるチャンスがあるのなら、あの醜女だって自分だって救われただろう。
しかし、ないのだ。ないからどうにもならない。どうすればいいのか、自分はわからない。醜女もわかっていないだろう。
どうして皆、すでに公開が終了したブレンディのHPに掲載されていた動画で騒ぐのか謎だ。
とても可愛い女の子が動物園へ、可愛くておっぱいが大きい女の子が乳牛へ。
まぁ、努力しても無駄だということを自分に教えてくれる動画ではあっただろう。
例えば、僕の大学は偏差値が低くて、関西で大学受験をする人ならバカにする大学だ。
こんな大学のバカな文系キャンパスで一番早く就職先が決まるのは容姿の良い人間だ。
まぁ、可愛くておっぱいが大きい女の子から就職が決まっていくのだ。
僕が阪大に編入を志望しているモテない、1年前には風俗でクラミジアと淋病を両方同時にもらった男と大学の近くのファミレスで食事をしていた時のことである。
隣のテーブルには、美男美女が座っていた。男1人、女が2人だ。
いや、そんなふうでもなかったか。とりあえず3人とも内定が決まっていた感じだ。
女1人の内定先はわからなかったが、男はN○○デー○の子会社だそうだ。下請けを使うだのなんとか言っている。女は京○銀○だ。
僕が話を聞ける範囲で聞いて内定先がわかった2人はバカな北海道の付属校からの内部推薦組だそうだ。
北海道からわざわざ京都の私立大学に行くほどだから頭が悪くないわけがない。
バカで、セックスを楽しんで勉強はあまりやっていないであろう人間が妙に名前が通っているところに就職できるのは容姿が良かったからだろう。
特に京○○○に就職が決まった女はとてもとても容姿がよくてクラミジア阪大編入志願男は足が良いと褒めていた。
努力。。。
そんなの関係がないのだ。努力で容姿がよくなることなんてないのだ。努力で一生懸命、容姿の良い女に頭下げてキモがられて、なんだかんだ金を払ってセックスをしても惨めさしか残らないのだ。
牛はどっちにしろ食肉コースだ。
遅かれ早かれ食肉コースだ。
でも、僕たちは食肉にはならない。
牛よりも差が激しすぎるのかもしれない。それは良いことなのかもしれない。
でも、同じ運命ではないのだ。
同じ学部にいるとんでもないくらいの醜女は就職できないかもしれない。
食肉にすらなれないあの女は。。。牛なら未経産牛として褒められたかもしれない。
あぁ、こんな話をしていたら牛たちに怒られてしまうかもしれない。
突然だけど俺はワキガだ
脇自体からは(いろいろ塗りたくったり吹き付けたりしてるおかげか知らないが)そんなに臭いを感じないものの、なんだかちゃんと洗って干したシャツからすっぱいような納豆のような臭いがする
家族からは俺の鼻ではワキガを感じないから多分両親や兄弟はワキガじゃないし
容姿に関しても贔屓目もあるかもしれないが悪くない
でも最近気づいたんだけど
自分がそうだからなんとなくスクールカースト低そうなオーラ漂ってるのがわかる
それで思ったんだけど
ワキガの遺伝子もらった時点で俺がブサメンなのは決定づけられてたんだわ
そう気づいてから何も根本的な解決になってないものの少し不公平感が薄まった
余談だけどワキガと違ってハゲは容姿の美醜に関係なく来てる気がする
今のところその前兆はないが
容姿が悪くて差別されるといえば、「美人だって差別されているの いい?不細工のほうが楽よ」
などというのを遠回しに書いてあるWEBの記事や書き込みが散見される。容姿が醜い人間としては、これはごまかしである。
美人なんていつでもやめれるものである。そんなに苦労しているなら顔に熱湯をかければいいだけだ。
どうせかけないのだから、苦労なんて言い訳にしか聞こえないものだ。
自分も含め、容姿が悪い人間は容姿の良い人間にはなれないのだ。
自分が通う学部にはとてつもない不細工がいる。SF小説で言えば、接続された女のP・バークという女レベルに醜い。
世の中の美的感覚の正反対だ。千年に一度の容姿の醜さとでも言おうか。声も、授業中の行動も、ネイルも、体の指も、書いている小説もなにもかもが醜い。頭も悪そうだ。
この女の悪口を書きたいのではない。
美人の苦労なんて、どうってことがないことがこの醜女を見ていれば分かるのだ。
あまりに容姿が醜いために、友人も一人いるかいないかで、男と話した様子は一度もない。
就職だってできるかわからない。京都でも東京でもあれほどの醜女が働いているかといえば怪しい。
しょうもない会社で採用に関わっている自分の父親はあの醜女は採用しないだろう。
いや、赤坂の某ラーメンチェーン店に居た。凄く醜かった。他の店員からも客からも嫌われていた感じがする。
整形や化粧なんて焼け石に水だ。自分もだが。
こんなに醜女が可哀想なら、お前が救ってやれよというかもしれないが、容姿が同じくらいかそれよりはちょっとだけましなくらい醜い容姿の自分だってあの醜女に金を使いたくはないし、向こうもお断りだろうがセックスなんかしたくない。
それはやっぱり容姿が醜いからに限るのだ。これは自分 つまり雄ゴブリンがあまりの容姿の醜さに雌ゴブリンを忌み嫌う様である。これが美男美女同士 エルフ同士だったら美しい物語だ。
なんとなくだけど、女性の社会進出などで男女ともにより容姿が問われる気がしそうだ。ビジネスの最前線にいる不細工で腎臓病の頭が悪い子供を作った父の雰囲気から感じるだけだが。
学歴よりも、資産よりも、容姿の良し悪しが人間の価値を決めていくかもしれない。
乾き物と冷蔵品分けろ言うたんそっちですやん
入れ終わったカゴなんでいつまでも台に置いてんすかね、さっさとカートに乗せてくんないっすかね場所ないんすよ
どう渡せと
いつもどうされてるかは知りませんがな
あと目の前に袋ありますし
藁敷の上の産みたて卵一家なのか?
乾き物と冷蔵品ごっちゃにしたのを持ってきて乾き物探しながら、つまりはどこで終わるか目処が立たない状態で調整いれずに完璧に入れるのは無理です
スキル不足です
最初に言いましたね
卵がまさか乾き物扱いとは思いませんでして
別のは紙切らした当人なのになぜか入れ替えないし
入れ替えるの知らないのかな?
紙の場所知らないのかな?
入れ替え方知らないのかな?
え?なに?こっちに恥でもかかせたいのか?
4・50代の醜女はやっぱクソ
結局全部僕が悪い
ついに出来ました。
早速実験してみようと、医者は装置を見てみると醜い女が装置にくっついていた。
肌は泥水色で、顔はとても大きくて長く、髪はひどい癖毛で、目はもちろん小さく、体はブヨブヨとしていて、背は低いのにガタイは良いという徹底的に神から見放された容姿の女が目を瞑って装置にくっついているのには医師は眉をしかめたのと同時に気持ち悪くなった。
医師は聞いた。
「これは何なんですか?」
「酷く醜いでしょう。醜いからなのか理由はわからないですが自殺を試みて失敗した女です。死んではいないけど、生きてはいません。生きていても仕方ないでしょう。」
「入れ替えができるわけじゃ?」
「この生きているのか死んでいるのか分からないこの女じゃないと装置はうまく適合しないのです。
他の肉体試してみましたが、ダメでした。」
「この醜女に魂を移すことはできますが、醜女になった後は一生醜女のままだと考えたほうがいいでしょう。
あと、この醜女 こう見えても18歳です。
似たいような年で同じ性別 つまり若い女じゃないと成功しませんよ。」
死が近い若い女なら手をあげてくれるだろうと。
そして、もう現行の肉体では翌月を迎える望みのない若い女に一人ずつ声をかけていった。
しかし、誰もやりたいと言ってはくれなかったのだ。
長生き出来る望みがある肉体が醜女だと死んだもどうぜん 今の肉体のまま美しく死んだほうがいいのだと皆答えたのだった。
よってとことん醜女は嫌われた。醜いがゆえに。
生きているのか死んでいるのか中途半端な目を瞑った醜女は皆が彼女の肉体は散々嫌がっているときに涙を流したように医師には見えたが気のせいだった。
そのまま腐っていった。
美しくなければ。。。
ある女の子が言いました。
「美しくて苦労する」と。
確かに女の子は美しいのです。みんなが可愛いと言って寄って来ます。
それをきいた醜い女の子は言っている意味がよくわかりませんでした。
可愛いと言われてそんなに嫌なのかと。醜女は家族からも可愛いなんて言われていません。
母が自分や、自分に似てしまった醜い我が子とは正反対の姿をもつ 美しい女の子を大人にした つやつやしたさらさらな沢山の髪で、すべすべな白い肌で、顔の大きさが我が子の半分よりも小さい、華奢な女の子がテレビに映る度に、「あなたはあの子に似ているわ」というのはよくありますが。
顔に熱湯を沢山かけて醜くなれば良いと。すぐに可愛いなんて言われなくなると。
誰も醜くなんかなりたくないのを悟りました。
でも、醜い女の子は生きていかなければいけません。
一生懸命、自分はみにくいアヒルの子なんだと思い込むようにしました。
いつか冬が過ぎて、美しく、あの子のようになった自分の姿があると信じて。
しかし、いつになっても冬は過ぎないのです。むしろ、美しい女の子はどんどん美しく、幸せそうになっていくのでした。
ある日、お金持ちと結婚してとても幸せそうな美しい女の子に聞きました。
美しくて苦労するかと
美しい女の子は自分を守るために醜女に気を使いつつ、「苦労しても、幸せなほうが大きい」と答えました。
醜さゆえの悩みは一生続きます。しかし、美しさゆえの悩みはすぐに癒やされるのでした。
醜女はなにを信じていけばいいのでしょうか。
自分は数少ない友人と授業を受けたのだが、自分の前にドブスが一人で座っていた。
髪は艶がなかった。そしてひどくボサボサで癖がひどかった。
つむじのあたりはなんだか薄い。
ひどくめちゃくちゃな髪たちの隙間から顔の輪郭を知るとえらく顔が長く、でかい。
自分よりも大きいかもしれなかった。
その時点でわかった。この女と言えるのかよくわからないものは同じ学部で同じ学年であると。
いつもこの女はスカートなんか履かない。男のような服に若干女の要素が入っていた。
この女は自分が容姿が悪いことを知っていることはなんだかんだ確かだ。
自分はいつも、この女を遠くからみてストレスが溜まったのだった。
どうしてこんなにもひどい容姿をしているのかと。
今日初めて、近くで見た。
肌の色が汚い。褐色ではない。泥水みたいな色だ。
体全体が泥水色の女など、この大教室には他に全くいなかった。
どす黒い若干凹凸がある綺麗ではない肌が貼りつけられた長く大きくて、顎が突き出た顔には小さな目が彫ってある。
また、大きな鼻が適当にひっついている。
体は無駄にがたいがいい。背は低いが。
太っていないが、ぶよぶよとしている。もちろんどす泥水色の肌だ。
とりあえずおしゃれをしているのがわかるのは目の周りと爪だった。
目の周りは真っ黒になっていた。容姿のいい女の子と違い、どうにもならない。
爪はネイルアートと言えるのかわからないが、紫が背景で白の水玉っぽいものが描かれたいた。
爪がひっついている手やそこから生えている腕も泥水色でぶよぶよとしていて見ていて腹が立った。
女は授業中、パソコンを開いていた。確かあれは生協が売りつける高いだけのパソコンだ。
そんなパソコンのデスクトップは散らかっていた。授業中に可愛い女の子たちが授業をなんだかんだ受けている中、ドブスはメールやらを見ていた。
途中でドブスはパソコンを閉じると、普通のハサミで爪をガリガリと擦り始めた。爪に描いた絵を整えているようだった。
女は全く美から離れている。
自分は決して、ブスでも授業を聞けとかひどいことを言うつもりはない。
この女はどうしてこんな行動をしたか考えるとやはり、ひどく醜い容姿であるからという結論に至った。
可愛い女の子というのは行動が美しいから可愛いというのはとんでもない嘘だ。
可愛い顔に生まれたから可愛いし、まともな動作が身につくだけだ。
自分はこの醜女の容姿を見て可哀想になると同時に、容姿を見て腹が立って仕方ない。
自分がこの醜女が見えるのは、醜女と同じレベルで醜いからだった。
だから可哀想だから付き合ってくれとかいうと、死んだほうがマシだ。向こうもそうだろう。
醜女は本当にただ生まれた姿が醜いだけで、悲惨になるきれいな手本だ。
なんでこんなにも不平等なのか。
母親と赤プリ通りを歩いて、赤坂にある某ラーメンチェーンに向かった。
このビルには一流企業や超高級ホテル、高級賃貸住宅が入る予定らしい。
一流企業というのは美人が多いわけで、一流企業がここへ来るとなると、この通りに美人がたくさん歩くことになるだろう。
超高級ホテルや高級賃貸が入るとなると、自分よりも金持ちなやつらがたくさんくるだろう。
金持ちや美人を見るのは苦しい。この通りを顔を上げて歩けるのも僅かだ。
母親と某ラーメンチェーンに向かったのだが、某ラーメンチェーンは潰れていた。
土曜日の夜だから、空いているのは当たり前だけど、某ラーメンチェーンの時の方が混んでいた。
内装は某ラーメンチェーンとあまり変わっていなかったし、同じようにedyで払えたし、同じプラスチックの水差しだった。
メニューは650円からで某ラーメンチェーンの時に比べて高い。
店員がいうに某ラーメンチェーンの別ブランドだそうだ。某ラーメンチェーンのHPを探してもこのラーメン屋の名前は見つからないから試験的にやっているのかもしれない。
母親は安心していたが、ラーメンは値段の割にうまくなかった。某ラーメンチェーンの麺とスープが好きで母親も自分も来たのに、変に凝った麺でスープは濃かった。
自分は店員が某ラーメンチェーンの別ブランドだということを述べたときから余計なことを考えていた。醜女はどこへ行ったのだろうかと。
赤坂の某ラーメンチェーンにはとてつもない醜女がいたのだ。いつもそこでキッタナイ容姿で声で、働いていた。
背は低く、丸々と太り、顔はそれはもう醜く、髪は自分と同じような陰毛みたいな髪の毛だ。顔はパンパンだった。
声は顔のように潰れた声で、年齢がどのくらいなのかわからないほどの醜さだ。
もしかしたら50かもしれないし、はたまた30かもしれない。
醜女は頭が悪くて人とまともに会話ができない雰囲気であった。大学生らしき男の店員と業務中にコミュニケーションをしようとしても、醜女はうまく物事を伝えられない。業務中に汚い顔で笑みを作り、すごい汚い声で男店員に何か言うときがあるのだが、男はスルーする。醜女の容姿と声の汚さで、ラーメンがまずかった。
別ブランドになって土曜日もいたはずの醜女は消えた。運営側はラーメンの値段を上げたくて、一生懸命この別ブランドを立ち上げているのだろうから、あんな醜女いては困るのだろう。
また醜女に会いたいとか、見たいとか、声を聞きたいなんて気持ちは一切ない。
新しい店はラーメンの味はイマイチだったが、醜女がいなくて居心地は良かったのは確かで、自分は醜いのに醜いものに嫌悪感をいだくのがよくわかった。
あの醜女がいま何をやっているかはわからないけど、ただわかるのは、あの醜女は何をやっても不快だろうから、どこでも良い扱いは受けられないだろう。
昔から腐女子の間ではごくごく普通に語られている理由だよそれ。
女攻め男受けが少ないのは、男が受けてるのは見たくても女が攻めは嫌、って女が多いからだろうね。
嫌な理由は「攻めるような性格の女キャラが好きじゃない」「(二次の場合)そもそもそんな性格の女キャラが原作にいない」
「女にやられる男は情けなく感じて魅力がない」「やっぱちんこ無いと」とかは聞いた事が。
凌辱系だと「女だと何だかんだでご褒美っぽくなるし、ご褒美になり得ないような醜女は見たくもない。
攻めの見た目が見苦しくないのに受けが本気で嫌がってるって状況を成立させるには攻めが男だと都合いい」ってのも。
2014年面白かったマンガだとかベストなんちゃらだとかでよく見かける松浦だるま先生の「累」を読んでみたが、面白いことは面白い……けどそこまで2014年を代表する名作として語られるような作品か、というと疑問が残った。設定は大変興味深いんだけど実際の本編が設定負けしてるっつーか。
これは既に書いてるブロガーさんもいらしたんだけど、主人公の累がとんでもない醜女という設定の割に可愛らしすぎる作画なんですよ。長すぎる前髪で顔を半分隠してるさまが、わたモテのもこっちみたい。(もこっちは可愛いよな。)なので、自分を見る人が皆あまりの醜さに眉をひそめ、ほとんど誰からも優しくされないような人生を生きてきた累が、それゆえに他人の美しさをかすめとるという凶行につい及んでしまう、そのことの凄みがいまいち伝わりにくい。
何かの作品の欠点について語るのに他の作品を引き合いに出すのは下の下だというのは承知の上であえて言えば、山岸涼子の「舞姫 テレプシコーラ」にはそれこそ本物の醜女が出てくる。主人公のクラスに転校生として登場する須藤空美だ。小学校5年生にして全く女性らしさのないガリガリに痩せた長身、地味なだけで端正でもない目鼻立ち、ざんばら髪に荒れた肌。そんな須藤空美の容姿は、キングダム序盤の河了貂よりももっと、男にしか見えない。だが女だ。
その上須藤空美は大人しく、というより暗く、必要な会話も十分に交わせないし学校も休みがちなので女子からは浮いてしまい男子からはいじめられるようになる。「舞姫 テレプシコーラ」はバレエ漫画であるのだが、貧乏で育ちの悪い須藤空美は、主人公の実家でやっているバレエ教室に興味を持つが体験レッスンの日にも平気で遅刻してきた挙句(ただし遅れた理由はある)挨拶もできないし、使う人が居ないからと貸与されたバレエシューズをそのまま自分のものにしようともする(ただし思い直して返しに来る程度の善良さは持っている)。須藤空美の抱えている事情は特殊だ。貧乏すぎるので母から児童ポルノの撮影モデルをさせられている(ただし母が空美を食い物にしているかというとそうとも言えず、男との絡みを伴う撮影は母も断固拒否しようとする)。父親はアル中で働かず、どうせ生活保護を貰うのだからとパートに出る母親を常に馬鹿にする。父親の姉である伯母はかつて偉大なプリマだったので空美は幼い頃から一流のバレエを習うことができたが、今は伯母が心身を病んでいるので世話をするためにたびたび学校を休まざるを得ない。父親の家系はかつて名のある地主だったようで、伯母のバレエでの妹弟子であったとおぼしき母親にも貧しさとうらはらな気位の高さが稀に見え隠れする。
おそらく貧しさとか醜さとかいったものはそういうものなんじゃないかと思う。本人にはさして大きな悪意はないのだが、抱えているものが特殊で大きすぎるがゆえに周囲の人と普通のコミュニケーションが取れず、ごく自然に浮いて、いじめられる。その点「累」は何かと悪意が明白すぎる。累自身の悪意も周囲の累に対する悪意も明白なのにそれを支えるはずの醜さの描写が象徴的でしかなくて、しかもどちらかというともこっちみたいで可愛いときている。だからいかにも作り物めいていて、あたかもB級ホラーかレディコミか、といった風情なのである。決してつまらない訳ではなくて、醜さの扱いが軽いのだと思う。でも野菊が出てきてからは割と面白くなったと思うけど。と言ってもこれもどこか大映ドラマっぽい面白さなんだけど。
少し話が逸れるが、累が丹沢ニナの顔をしている時に演出家と懇意になるエピソードがある。演出家はニナの顔をした累の中に、累がその人生で感じてきた執念や情熱の片鱗を見てそこに魅かれるが、逢瀬に現れた本物のニナを別人のように感じ拒絶する。ここはなかなか胸のすく演出で、見た目が醜い女の方が最初のハードルを越えて話してみたら美人より話していて面白かったというのはよくあることじゃないかと思う。同時に、デレマスアニメに出てくる前川みくが劣等感を抱えているという件を思い出す。正直噴飯ものである。語尾に「にゃん」とかつけられる程度の劣等感。みくにとってはアイデンティティを賭けた決死の選択かもしれないが、醜女にはもちろんそんな選択肢は初めからないのだ。中途半端に可愛い子ならではの心理を細やかに描いてくれたらデレマスの評価は一変するのだが、今のところはただの薄っぺらいアニメだなーと思っている。しぶりんは最高。
長州ルーツの首相在任中に、狂信的な国粋主義者の妹が1年間ドラマの主役を張るというのは、NHKに何か考えがあってのことなのでしょうか。
大河レベルの大掛かりなドラマは構想がかたまるまでにだいぶ時間もかかりそうですし、結構前には決まっていたはずで、タイミングは偶然でしょう。
それにしても1年間も(!)上昇志向ゴリゴリの長州人たちが(!)狂信的なその思想を大声で叫びまくり(!)切った張ったの大立ち回りを白々しく演じ続ける(!)ことを想像するだけでげんなりです。
セリフには間違いなく「この国の未来のために」が出てくるはずです。それも何度も。
松蔭自身は若くして死ぬのでそんなに長期間出てはこないでしょうが、流れ的には彼の刑死を盛り上げていく段階で「大和魂」も連呼されることでしょう。
げんなりを通り越してげっそりです。
見なければいいだけなんですけどね。
かなりの醜女であったという主人公を井上真央ちゃんが演じるんです。
無念であります。
やっべ。長州弁つかっちまった。