はてなキーワード: 醜女とは
イケメン(美女)って何かっていうと、平均的な顔の持ち主のことなんだよね
つまり、平均的であるということは、遺伝子的に安定しているということでもあり、
人間の本能的に、そのような人間とセックスすれば子孫の遺伝子が安定すると思われるからこそ、イケメンはモテるのだ。
また、イケメンが何故モテるか、ということを簡単に説明すると、平均的な存在であるからこそ、誰からも必要とされるというワケだ。
つまり、誰しもにとっての需要を、平均的に満たすことができるからこそ、イケメンはモテるのだ。
恐らく、精神的なイケメン(美女)にも同じことが言えると思う。
しかし問題なことが一つある。
(精神的)イケメンは平均的だからこそ、無論欠落も備えている。
というのも、平均的であるということは、ピーキー(いわゆる(精神的)ブサメン・醜女)ではないということだからだ。
であるからして、(精神的)イケメンの欠落は、ピーキーな人間にしか埋めることができないのである。
また、ピーキーな人間は絶対的に少ないので、(精神的)イケメンが満たされるということは殆ど無いのである。
このことこそが、イケメンをして哀れと謂われしめるところの、大きな問題なのだ。
また、(精神的)イケメンの定義を『平均的である』ということによってではなく『完全的である』ということによって為したとしても、やはり(精神的)イケメンは哀れであろう。
というのも、彼はきっと恋愛をすることができないからだ。(笑)
つまるところ、恋愛という行為は、不完全な人間の特権だからねw
また、そのような完全な(精神的)イケメンが恋をするとすれば、完全に不完全な(?)ピーキー人間を恋の対象にするしかないだろう。
やはり色々と救われない、哀れなことであるなあ。
痴漢体験者のサイトが痴漢専門エロサイトにリンクされたとかで、自分のブログには書きたくないので、ここで書くことにした。
痴漢というと、電車でお尻さわさわというパターンが報道でもエロ漫画でも王道のようだけど、私は満員電車での通勤経験がない為、その経験は一切ない。
が、人に話すと、お尻触られるどころの話ではないまごうかたなき痴漢行為に遭っていたらしい。それも何回も。
よくあるパターンはこれだ。
朝、自宅から駅まで歩いている途中に、すれ違いざまに男に胸を揉まれる。触られるなんでもんじゃない。わし掴みだ。がしっと。
こっちは呆然。今なら追いかけて後頭部でも殴ってやろうか、と思うが、当時、まさか自分が、白昼堂々こういう目に遭うなんて…と呆然自失。
我に返るも、電車の時間は刻一刻と迫っている。なので煮え切らない思いを抱えながら駅へ向かった。
その1ヶ月後だろうか、同じような目に遭遇したが、遅刻寸前で駅まで小走りになっていた私は、振り返って男を追う余裕はなかった。
いずれの場合も、春~初夏とはいえ、私は決して胸の谷間を強調するような、グラビアのようなファッションではなかった。
ごく普通のオフィスカジュアルである。トップスは白シャツがカットソー。勿論襟周りは鎖骨がかろうじて見えるか、という程度。
スカートは膝丈のタイトスカートで、エログラビアやAVにあるような太ももまでのスリットなど入っていようはずもない。
顔は我ながら醜女だし、もうごくごく無難な事務員OLのスタイルであった。
当時私は20台の半ばだった。
地元の駅周辺でだけ起こる現象かと思ったが、そうではなかった。
人気の絶えた繁華街や、昼間の路地裏でも、同じような体験を何度かした。
別のよくあるパターンは次。
これは夕方が多い。
相手は露出狂だ。
直接何かされたわけではないから、これは痴漢に入るのだろうか?しかし私にとっては立派な痴漢だ。
夕方だったり、外勤先だったり、あるいは地元の駅付近で、寄り道先で、何度も何度も、そしらぬ顔で私に近寄り、ふと視線を落とすとファスナーから取り出したブツをプラプラと振り、私になすりつけてきた男たち。年齢は20代から高齢者まで、様々だ。
子供の頃にもこんな男達に何度かあった。
にこやかに歩み寄ってくる男に、子供の私は不審を感じず、こんにちはという挨拶に、オトナに習ったとおりに、こんにちは!と元気に返した。
しかし視線を目線(小学生女児の目線は成人男性の腰あたりだ)を戻すと、ぶらぶらとアレがぶら下がっていた。
その時も、大人になってからも、私はびっくりして道を戻り、遠回りして帰った。
特に、満員電車での痴漢以外は、報道されることもないせいか、人に話すと、「そんなこともあるのか」と驚かれる。
私にとって痴漢は、今だって『今そこにある危機』だし、悲しいくらい『よくあること』だ。
どうしたら彼らのような人間を生み出さずに済むのだろうか、とよく考える。
防ぎようが無いのか。
だったらもう、その行為を我慢できない人は、一生隔離してほしい。
痴漢に遭った後の落ち込みというと、どんな楽しかったことも、これからのお楽しみも、一瞬で喪失してしまうものだ。
なんでこんなくだだらない奴のことで、男のこと嫌にならなきゃならないのか、と悲しくなる。
男の全員がそうじゃない、なんて当然理性ではわかっているけど。
痴漢体験は笑い話じゃない。
なんか結婚についての話を読んでいたら、書きたくなった。
結果から書くと、今は結婚どころか一人暮らしをしてる。こうなったのも止むなし、という気もするけど。
当時39才。男のオタクでこの年まで恋人がいたことはなし。女性経験も無し。でも二次の妄想で十分事足りてるので、特に問題もなし。
結婚しようと思ったのは、そろそろ親に孫の一つも見せてやろうかなぁ、と思ったから。別に親は嫌いじゃなかったし、結婚しないの? という追求も厳しくなってきたので。
年収は7M円位、貯金・貯蓄は30M円位。普通の事務系のサラリーマン。課長とかそんな感じ。
煙草は吸わず、賭け事はやらず、車も持たず。酒はつきあい程度。二ヶ月に一本程度、ゲームをアマゾンから買うくらい。
両親と一軒家に同居。色々と事情があって。
婚活、というとパーティとかがまず考えられますが、自分は地道に、結婚相談所とかに登録して、見合い相手を見繕って見合いしていきました。
もう自分も結構な年なので、あまり高望みをするつもりはありませんでした。趣味自体を理解して欲しい、というつもりもなく、ただ、考え方というか感性というか、そういう部分が合っている人がいればいいなぁ、などと考えていました。
年齢が近い方がよいかなぁ、と三十後半の人と何人も会ってみてたわけですが……いや、すごかった。なんていうか、「この目の前の男は、自分の自由と交換にこの後の人生を養ってもらうに値するか」って目で、ずーっと見られてるわけです。いや、本当にこんなことを考えていたかは分かりませんが、観察されていたことには違いないですね。
お前も女の方を観察してたんだろう? と言われそうですが、まあ、そうですね。ただ、自分の場合「この後の人生を共に過ごすことができる程に、感性が一致しているか」という観点でした。だから色々と質問したり話を振ってみたりするわけですが……反応があるのは、お金とか、資産とか、親の面倒はどうする、とかそういう話ばかり。
中にはその上、「いかにこの男の持っている金を自分の物にするか」って考えてるような人もいましたが。考えてた、っていうか口に出てましたからね。「結婚したら財布は私が管理します」とか言っちゃう人。外見もかなりアレでしたが……ああ、醜女とかそういうんじゃなくて、見合いだというのに髪がボサボサとか。ありえん。
他にも、化粧のしすぎで顔面真っ白になってる人とかもいましたね。その下がどうなってるのか、恐ろしくて想像も出来ません。
あと困ったところとして、「あなたとの見合いは会社で会議をしているみたいでおもしろくない」と言われたこともあります。何でも、最初に会合のゴールを決めてそのゴール目指して話し合いをする、ということが会社の会議みたいで嫌だ、というのです。見合いをタダで飲食できて男と話が出来る席、とでも考えてるんですかね。今後の人生を決める重要な決断につながる場だというのに。
十人くらいは会いましたかね。一人、まあこの人なら、って感じの人がいました。あんまり金金って感じじゃなかったし、話をしていても受け答えがおもしろい。何度かデートして、互いの意志も確認して、悪くないかな、って感じまでなりました。二次元の萌えキャラ属性風に言えば、眼鏡っ娘で、ちびっ子で、貧乳。頭の回転も悪くなく、ツッコミが独特。良い感じです。
でまあ、話を先に進めるか、と、互いの両親に会うことを計画しました。この家族と今後付き合って行けそうか確認しようというわけです。
まずは彼女を自分の両親に会わせてみたのですが、なんかそれ以降彼女の反応が悪くなった。ある日メールを送っても返答が無くなってしまったので、結婚相談所経由で問い合わせてもらったら、話を無かったことにして欲しい、と返ってきました。どうも、親が合わなかったらしい。何が合わなかったのか、まではわかりませんが。もしくはそれはただの言い訳で、今まで嫌々付き合っていたのか。(一応顔を合わせてもらった後に直接話を聞いたところでは、特に問題無い、とは言ってたんですが……直接そういうことは言いずらいでしょう)
まあ残念ですがしかたがない。そういうこともあるさ、と自分は思っていました。
上記の別れから四ヶ月程が経ちましたか。その間に色々あり、実家を離れて一人暮しを始めていました。実家近くの結婚相談所に登録していたのでそこも解約していたんですが、突然その結婚相談所から電話がありました。
この一方的に連絡を切った彼女が、自分とやり直したい、と言ってる、というんです。何でも、自分と別れた後、他の人と見合いをしてみたがどうも良い感じの人がいない。これだったら自分の方がよいので、またやり直せないか、ということらしく。
思わず、「ハァ?」とかリアルで言っちゃいましたよ。相手は結婚相談所の人でしたが。
何か理由があるから別れたというのに、それを忘れたんでしょうか? 自分と付き合うということは、そのことと再度向き合わないといけないというのに。
それとも、とりあえず自分と付き合っておいて、もっと良さそうな人が現れたら、また都合良く別れると言い出すんでしょうか。
一言で言えば、ふざけんな、と。結局この女性も、自分の金が目当てだったのかと、そう思ったわけです。
さらに馬鹿げたことに、結婚相談所がこれを勧めてくるのです。せっかく忘れられない、と言ってくれているのだから、もう一度くらい会ってみたら、とか。あの時(付き合ってた頃は)いい人だって言ってたでしょ? とか。
これでもう、結婚する気は一切失せました。少なくとも、結婚紹介所を使って積極的に結婚相手を探すつもりは。
ネット上で云々言われている婚活している女性について、実態がよくわかりました。あんなのは特別な一部なんだろう、と思っていましたが、大半があんな感じでした。寄生されるのは毛頭ごめんです。
それに結婚紹介所、口先では色々あなたのためを思って相手を探して云々言ってますが、結局適当な二人をくっつけて成功報酬が欲しいだけなのだ、ということが、上のことでよく分かりました。まあ、商売だから仕方がないのでしょうが、その商売に乗ってやる義理もないわけです。
色々あって、両親に孫の顔を見せてあげよう、という気もすっかりなくなっていますし、まあこれからは結婚もせずに生きていくのでしょう。
とかも書いてみたけど、論点がずれるのでコメントアウト
http://anond.hatelabo.jp/20100129222703
最悪な夕食だった
いつもは自炊しているんだけど今日は面倒になったので途中駅で降りてご飯を食べてきた。そしたら隣の席に座ってた女性2人の会話がクソ過ぎて引いた。
彼女たちは最近行った合コンが最悪だったって振り返っているみたいだった。男性側幹事が高学歴を連れてくるとか言ってたから、2人はすごく期待して参加したのに、来た男性陣がぜんぜん高学歴じゃなくて、これじゃ詐欺だったと嘆いてた。彼女ら曰く「○○大って言っても○○学部だったらエア○○大卒じゃん。その学部で○○大卒とか言うなってのwww」とギャハギャハ笑ってた。こう書くとネタくさいけど、でもギャハギャハとしか表現できない笑い方だった。
なんていうか、合コンが残念な結果だったって話は良くあることだし愚痴ったっていいと思うけど、レストランとかで大声でする話じゃない。席変えて欲しかったけれど出された料理の半分くらいはもう食べていたし、仕方ないのでさっさと済ませてしまおう。そう思ってなるべく話を聞かないようほかの事を考えながら食事をすすめていたら、彼女らは何と「でもエア○○大卒の癖に私たちレベルと一緒に食事できたんだから向こうは感謝すべきなんだよね、本当は」って言った……。
もう、口にした文言どころか声質さえ覚えそうってぐらい引いた。そこまで言う彼女らのご尊顔を拝してやろうと思って(座るときにチラ見したくらいで、その時まではっきりと見ていなかった)隣の2人をよく見てみた。そうしたら、そこには30代前半かな?と思えるごく普通の女性2人が座ってた。別に美女でも醜女でもない、どこにでもいそうな、(30代なのが合っていれば)年相応の女性たちだった。
え、と思った。
同僚とかにいそうなごく普通の人たちに見えるのに、なぜそんなに上から目線なの。感謝って、男性陣は何に感謝すべきなの。エア○○大卒って何。
久々に"本気で引く"って体感をした。ここ数分の会話は周囲もなにげに聞いていたようで、皆さんチラチラ2人を見ていたけれど、彼女たちは気にする様子もなくギャハギャハ笑ってた。
それなりに品のよいレストランなんだけれど、なんという胸糞……。
彼女たちの人となりが知れるな、と思った。加えて、出会いの芽を自ら踏み潰していってるのに気付いてないんだなとも思った。あんな会話を公共でしていたら周囲からどう思われるか、彼女たちには想像もつかないんだろうな。
叩かれるようなことを書くと、
自分も、まあ
「うーん、教養バックグラウンドがこれだけ違うと、腹を割ってしゃべろうとしても、微妙なニュアンスとか伝わらないだろうなー」
と思って、相手を「見くびる」ようなことは、私も内心では、よくしてしまう。
ただ、まあ、結局は、1対1で会話しはじめてから20分からそこらぐらいで、相手の雰囲気をみて判断することだ。
大学名とか、出身学部とかで判断をする、というのもその判断素材の一つにすることはよくある。
でも、それはあくまで、「腹黒い私」だということを一応は自覚しているし、結局は、判断材料の一つにしかならない。
会話をしてみる。
相手の反応を見てみる。
結局は、そこが全て。
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1
いままで私が付き合った人はみんな大学を出てないが、彼女らはみな、とても賢かった。
「大学」というシステムによって認められることのなかった賢さは、あまりにも数多く存在している。
ただ、その一方で、三流大の人の多くが「???」となる話題でも、東大と京大の知人は特に問題なく理解するとか、そういう露骨な事態が発生して悲しい気分になるようなことも、現実に、なくはない。悲しいことだけれど、傾向性とか、確率論的な話としては、それは確かにあるのだよね。
しかし、
そういう確率論的に悲しい事態を、積極的に肯定し、再強化してしまうような言説を採用して、その世界観の中で生きてしまう、ということはやはり悲しい。
社会はそこまで単純にできていないし、学歴によって人を判定する、という方法は、単に判断コストを少し低くするアクション以上のこととしては使えないし、使うべきではないとは思う。
学歴ヒエラルキーは、学歴ヒエラルキーを肯定するような言説を受け入れてしまう人の数によってその性質を強化させてしまう。
世間が、学歴ヒエラルキーの意味をもっと「弱く」受け取るような世間でありえたならば、学歴ヒエラルキーの意味も、実質も、大きく変る。
18才のときにどういう成績を取ったかということの意味も、たぶん、ある程度はあるだろうけれど、
それ以上に、
18才以後の日々を、どういう人と会話をして、どういう人と議論をして、どういうふうな楽しさを生きてきたか、ということは、おそらくその人のあり方を大きくかたちづくる。
でも、学歴やキャリアによって、人の交流が分断されれば、人のあり方は、より大きく分断されてしまう。それは決して明るい事態ではないと思う。
事実である、ということを認めることと、
その事実を肯定するという態度を選択することは、
はっきりと区別されなければいけない。
でも、この区別を行うことの意味を「大学名」で人を笑ってしまう女性たちは、理解していないのだろう。
とても、残念なことで、とてもあたまのわるいことだと思う.
*
あたまのよい人が、恵まれない社会的境遇/キャリアにいる、ということはいくらでもある。
まえに、某えらい人が、「あれほどの人が、こんな三流大学の准教授やってるなんてもったいない」とか言っているのを聞いていて、
それはそのとおりだな、と思いつつ、
その一方で、
「いやー、でも、この人の知性って、一流大学教授とかになるタイプの知性とはもっと別の知性なんだよなー。」とか思い聞いてもいた。
ものすごく専門的で、何がすごいのか素人にはさっぱりわからないけれど、本当にごく少数の専門家にだけにしか理解できないような、厄介なタイプのマニアックな専門性をもった人とかって、大出世するか三流で終わるかのどっちかだもんなー、とか思って聞いていた。
社会システムは、知性を峻別するための効率的な構造を、それほどきちんとした形でもっていない。
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2
話を逆の方面から見てみてみよう。
「勉強すれば、いい大学に入れる」というような、「努力」が意味をなすエリート主義よりも、
より一層、どうしようもなく、タチの悪い恣意性に満ちていている。
「あたまがいい」とされている人が会話して「あ、こいつ、ちゃんと、あたまいいじゃん。」と思われた人しか、救われない。
とてもどうしようもないことを私は発言している。
「東大だろうが、慶応だろうが、スタンフォードだろうが、ほんと、バカな奴は、バカ」という言説を支えることは
決して、ホメられたものではない。
「そういう、おまえさんは一体どれほど、頭がいいんだよ?ノーベル賞でも取れんのか?カスが。」
「あの人は頭が良い」という感覚は、究極のところ、人々の主観に支えられている。
(IQやら、偏差値などというのは、人々の主観を定量化するために、近代になって発明された中途半端な道具でしかない。)
誰かを良いと思い、誰かを悪いと思う。
それは結局、人をフィルタリングすることでしかない。
「わたし」という恣意的な世界観のうちに、他人を巻き込んでしまう。そういうことだ。
「わたし」によって恣意的に作られ、人をフィルタリングする世界観は、
決して、多くの人を幸せにするものではないだろう。
もしかすると、今の学歴システムよりも、遥かにタチが悪いかもしれない。実際、そうだろうと思う。
「わたし」が他人をフィルターするシステムと、学歴ヒエラルキーのような制度とを比較したとき、
学歴ヒエラルキーがいかに欠点を持ったシステムか、ということは知られているが、
「わたし」が人をフィルタリングするシステムの欠点は、他の人には知られていない。
自らの人物鑑識眼に自信を持つ人は多いが、
多くの人の人物鑑識の自信は、それが、学歴システムよりもわかりにくく、複雑なシステムであることによって
批判されずに済んでいることによって保たれている場合も、多いだろう。
私は、自らのオリジナルな人物鑑識能力が、学歴システムと比べられた場合、
平均的には、質の悪いものであることを積極的に認めてもよいと思っている。
「学歴ヒエラルキー」やその代替的制度としての各種の「キャリア」システムは、ものすごく欠点が多い。
今後、よりよく改善していくことが常に期待されるのでなければありえないほどに、ダメなところの多い制度だ。
しかし、それでも、今現在、多種多様に存在している他のシステムよりも、相対的によく出来たところも多い制度であることは、認められてもよい。
たぶん、徒手空拳で戦闘をするよりは、近くの棒切れ拾って戦闘したほうが、ずっと勝率があがる、という程度のものとして、学歴システムは「マシ」である。
そのような制度と比べると、私の人物鑑識能力など、徒手空拳に等しい。
でも、私は、これからもオリジナルな人物鑑識能力を採用し続ける。ほぼ間違いなく。
それは、「わたし」の人物鑑識のフィルターが、わたしにとって心地よいからに他ならない。
そして、私自信の見つめる世界が、私にとってよりよいものになるように、努力してゆくことだろう。
それは、他の人がよいことだと思うかどうか、ということとは、直接には交わらない。
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3
自由恋愛の相手、というものは、結局は「わたし」たちの話である。
それゆえに「わたし」に根拠を持たない世界観がそこで導入されるとき、人は驚く。
「え、ちょっと待って?あなたが好きなんだったら、学歴とか重要なの?」
と思ってしまう。
自由恋愛とは、そのような制度として構想され、社会的にぼんやりと共有されている。
それもあって、恋愛において学歴を問題にすることは、ひどく滑稽に映る。
「おまえら、なんなんだ」と思ってしまう、ということはそういうことだ、と思う。
まあ、こんなうだうだとした話をしなくても、「おま、何様wwwシネ、カス」で終了クオリティの話だとも思ったのだけれども、
なんか書いてしまった。反省。
(長すぎて増田じゃねーな、と思ったので、こっちにも転載すた。)
http://d.hatena.ne.jp/maskin-monotonicity/20100130
そうなのかー。ありがとう!
長文は他者拒絶つーか、なんか、ぼんやりしてると書いちゃうんだよね。習い性。ごめんよ…よく、長いって言われる…
id:sagonohashi 付き合ってみてつまらない人間はいないんだと最近やっと分かった。(つまらないのは相手の心を閉ざさせてしまったという事)/みんな意外といい奴だし、意外と残念な奴だから先入観で好いたり嫌ったりしたくはないものだ
それはそのとおりだとおもつた。
でも、腹を割って話せる距離感を図るまでにかかる時間や、距離の取りやすさ・取りにくさ。相手に心をひらいてもらうまでに必要な「時間」はけっこう個人差が出るよなあ、と思った。そういうことを考えると、誰からも「はなしやすい」って言われる人ってすごいよね。
id:md2tak 個人的には自分がどれくらい頭いいか分かればいいかな。それが分からないと自分がどの程度の頭のよさまで判定し得るのか分からないから。
うーん、頭の良さって、そんなに単線的じゃないかも……。
いつもは自炊しているんだけど今日は面倒になったので途中駅で降りてご飯を食べてきた。そしたら隣の席に座ってた女性2人の会話がクソ過ぎて引いた。
彼女たちは最近行った合コンが最悪だったって振り返っているみたいだった。男性側幹事が高学歴を連れてくるとか言ってたから、2人はすごく期待して参加したのに、来た男性陣がぜんぜん高学歴じゃなくて、これじゃ詐欺だったと嘆いてた。彼女ら曰く「○○大って言っても○○学部だったらエア○○大卒じゃん。その学部で○○大卒とか言うなってのwww」とギャハギャハ笑ってた。こう書くとネタくさいけど、でもギャハギャハとしか表現できない笑い方だった。
なんていうか、合コンが残念な結果だったって話は良くあることだし愚痴ったっていいと思うけど、レストランとかで大声でする話じゃない。席変えて欲しかったけれど出された料理の半分くらいはもう食べていたし、仕方ないのでさっさと済ませてしまおう。そう思ってなるべく話を聞かないようほかの事を考えながら食事をすすめていたら、彼女らは何と「でもエア○○大卒の癖に私たちレベルと一緒に食事できたんだから向こうは感謝すべきなんだよね、本当は」って言った……。
もう、口にした文言どころか声質さえ覚えそうってぐらい引いた。そこまで言う彼女らのご尊顔を拝してやろうと思って(座るときにチラ見したくらいで、その時まではっきりと見ていなかった)隣の2人をよく見てみた。そうしたら、そこには30代前半かな?と思えるごく普通の女性2人が座ってた。別に美女でも醜女でもない、どこにでもいそうな、(30代なのが合っていれば)年相応の女性たちだった。
え、と思った。
同僚とかにいそうなごく普通の人たちに見えるのに、なぜそんなに上から目線なの。感謝って、男性陣は何に感謝すべきなの。エア○○大卒って何。
久々に"本気で引く"って体感をした。ここ数分の会話は周囲もなにげに聞いていたようで、皆さんチラチラ2人を見ていたけれど、彼女たちは気にする様子もなくギャハギャハ笑ってた。
それなりに品のよいレストランなんだけれど、なんという胸糞……。
彼女たちの人となりが知れるな、と思った。加えて、出会いの芽を自ら踏み潰していってるのに気付いてないんだなとも思った。あんな会話を公共でしていたら周囲からどう思われるか、彼女たちには想像もつかないんだろうな。
ネット上だと「相方」と書くな。自分の性別をことさらに明らかにする必要がなくて便利。まあリアルでは使わないけど。芸人が自分のパートナーを呼ぶ呼び方を転用してるわけだろうから。でも、こういう一種のジョークから来る呼び方って、過去にさかのぼるとむしろ普通なんじゃないかな。
高度成長期の「(ウチの)山の神」[*『山の神』は「女性で嫉妬深くて醜女」というのが定説。昔から田舎で女性が山に入れない理由=入ると祟る(山の神さまが自分よりキレイな女性に嫉妬するから)と言われたりした。多分そこから転じて、自分の妻を自虐的に卑下して他人に言う一種のジョークとして通用。]、「お内儀(かみ)→カミさん」[*本来は店屋や旅宿などの主人の妻でその家の内向きを取り仕切る人。他人の家及び妻に対して大げさに敬意を表明するジョークとして。]なんて言い回しもそうだし、一般のコトバとして使われてる「奥さん」だって「奥(=武家の妻)」からの、「女房」だって「皇室のメイドさん」からくる『過剰な美称』としてのジョーク、「ヨメ」だって語源が「弱女=ヨワメ(or手弱女=タオヤメ)」から来てる美称だとすると意外とジョークの一種だったのかもしれない。たぶん、古い古い日本語で言うなら「ツマ(=側にいるもの)」が唯一の、おそらくはジョークでない呼び方じゃないかな。でも大昔はこれ男女ともに相手に対して使ったんだけどね。