はてなキーワード: 職業病とは
野村克也「昔のパ・リーグにはいろんな個性的な選手が居ました。名前は出せないんですが、誰もが名前を知っている大打者の話です。
彼と私とではチームが違ったんですが、どっちも若い頃からオールスターの常連だったんで
そういった舞台では同じチームの一員として戦ったんです。
オールスターゲームが終わったあとはチームみんなで一緒に風呂に入るんですが、まあ男所帯ですから みな前など隠さず堂々としたもんです。
これがどうも気になりましてね。ある意味捕手の職業病というやつでしょうか。
そこで私はある先輩と結託して、その選手が頭を洗っている隙に股間を隠してるタオルを奪い取ったんですわ。
するとそこには小さな獅子唐が……。その選手は顔を真っ赤にして逃げるように風呂から出て行きました。
それから何年も経って、互いにベテランと呼ばれる歳になって、その大打者は球界を代表する打者になったのと同時に非常に態度のでかい打者になったんです。
私の囁き戦術なんかもまるで通じない。
そこで私はその若い頃の風呂場の一件を思い出し、こう囁いたんですわ。
『ハリ、お前は態度がでかいのに、ナニは小さいのう』って。
そうしたら張本の顔が信号機みたいに真っ赤になって……。その打席では効果があったんですが、次の打席では空振りの振りをして私の頭をバットで殴りおったんですわ。
ベビーシューズでとりあえず一足持つのに個人的にオススメなのはアシック○なんだけど、それは最もたくさん運動する時に履いて欲しい靴という意味で。
たくさん歩いたり走ったりすると、それだけ足に負担をかけることになるから、それを軽減できる靴を履いた方がいい。
足の形に合えばどんな靴だって履いていい
ただ子どもの場合はどんなシーンで履くのか、履き分けて欲しいのよ。
公園とかで、めいっぱい身体を動かす時はそのための靴を選んで履いて欲しい
職業病ですれ違う子どもたちの足元を見てしまい、ガタガタな足を見つけた時は本当に声をかけそうになって危ない人になるところだった。
可哀想で不憫な足の子たちが多くて、みんなの靴を探したくなってしまう
あ、変態だ、私…
・勤め先変えただけで時給が上がった。今の時給は900円。片田舎のバイトとしてはまずまずだけど、夕勤としては低いかもなぁ。
・コンビニって一度仕事を覚えたら、同チェーン内ならいくらでも職場かえられると思ったけど、そんな上手い話はある筈もなく。
・同一エリア内で転々とするのはかなりまずいって、今の勤め先のオーナーが言ってた。
・同一エリアのオーナーは皆知り合いだからだって。仕事が出来るバイトほど転々とすると問題になるのだそう。引抜きにあったのかってオーナー達が疑心暗鬼になるとか。
・今の勤め先の良いところ、商品の量にたいして大きめのレジ袋を使ってもオーナーや先輩バイトから文句言われないところ。
・余裕を持った袋詰めをしてよくなったら、何故か袋詰めがうまくなった。
・笑顔を瞬間的に作るスキルが職業病言っていいほどのレベルになった。私生活の人間関係が微妙に円滑になった。
・瞬間的に笑顔を作れるようになったのはいいものの、同時に何故か、思い出し笑いをしやすくなってしまった。なので、暇な時間に余計なことを考えるのがとても危険な事になった。ふと出勤前に見たネタツイなんか思い出したら大惨事だ。
・バーコード決済が凄い勢いで普及したのでびびった。店員としては、「なんとかペイで」ってお客様から言われて一々バーコード決済ボタンを押下しなくちゃいけない、その僅かな手間が激めんどくさくて嫌。
・お客様は当たり前のように「なんとかペイで」って言ったら店員が0.2秒くらいでバーコードリーダーをかざしてピッ!してくれると思っていらっしゃる。なので、店員がリーダーをかざす前にレジがめんをポチる動作をするのを見ると一様に「えっ」って顔をなさる。
・お客様、その「えっ」はすごくお顔に出ていらっしゃいます。ああお客様。
・最近皆慣れて来たみたいだけどね。
・ワンオペ業務が問題になっているというのに、今の勤め先は夜の9時台に何故かバイトが三人も居たりする。前の勤め先の三倍は混む店だとはいえ、何でその時間帯にそんなに人が要るのか、私にはわからない。
・私にもっと動く権限与えてくれたら、その三人の時間帯の仕事を普通に二人で回して何か暇だねぇって言うくらいの事は出来るんじゃないかと思う。
・しかしただレジに立っていればいいと言われるし、雑用に手を出すとそれはやらなくていいと怒られるので、私はごく限られた事しかできず、レジにボーッと立ってる時間が長いのだ。退屈。
・深夜帯のシフトの人に、仕事が回るよりも自分がシフト時間内で退屈しない事の方が大事な人がいて、その人がやたら仕事を溜め込むので、九時頃には終わっていてほしい事の大半が終わっていない、だから人を増やさなければ!ということになってるっぽい。
・あと、不織布を使い捨てしても怒られないとか、ゴミ袋に三分の一くらいしかゴミ溜まってないのにゴミ袋交換するとか、やたら消耗品の使い方が荒いのに、この店は潰れそうにないのが不思議。
・惣菜パンとおにぎりとサンドイッチの発注数がべらぼうに多いのに、タバコはいつもギリギリ欠乏してるのが謎過ぎる。
・昨日は、クロネコヤマトの人から「長い伝票ください」って言われた時の伝票の出し方を教わった。
・レジの「受付業務」を押す→「宅配便」を押す→「伝票を印刷する」→「入荷なし」だったかな?
・最後に「入荷あり」「入荷なし」の二択から「入荷なし」を押すのが不思議で、教えてくれた人に「入荷ありを押す場合ってあるんですか?」と聞いたら、教えてくれた人は三秒くらい固まったあと、「ないと……思うよ」と言った。
・そういう質問するから、私はやたら他人から嫌われるんじゃないかと思う。
・壁の向こうには人類はいないって、どうやって調べたんですか?とか素で聞くタイプだという自覚はある。
・けど、気になるじゃん……。
・疑問の答えは、ふと目にとまった壁にぶら下がってた「宅配便の店頭受け取りマニュアル」に書かれていた。
・店頭受け取りの荷物が入荷した際に長い伝票を発行するときは、「入荷あり」を押す。なるほどわからん!とにかく押せってことね!
・あーすっきりした。
頸肩腕症候群は、
広義の頸肩腕症候群は、首(頸部)から肩・腕・背部などにかけての痛み・異常感覚(しびれ感など)を訴える全ての症例を含む。この中で、他の整形外科的疾患(たとえば変形性頸椎症、頸椎椎間板ヘルニア、胸郭出口症候群など)を除外した、検査などで病因が確定できないものを(狭義の)頸肩腕症候群と呼ぶ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%B8%E8%82%A9%E8%85%95%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
なのでアレですが。。
他増田が書かれているようなリウマチ(自己免疫疾患による関節痛みたいなの)でなければ、特定の筋肉、神経を使いすぎてるのかもしれません。
私も似た症状に苦しめられ、マウスのクリックすらできない時期がありました。
その時は、クリックしなくて済むマウス、左右に傾けるだけでクリックになるマウスを買ってしのぎました。
医者曰く、とにかく、特定の筋肉を使いすぎない、特定の姿勢で硬直させないことが大事だそうで
30分仕事したら、筋を痛めないように軽くストレッチしたり揉み解したりして血行を良くし、肩から腕まで上半身をリラックスさせるように言われました。
痛みの発生している場所が、一番の原因箇所とは限らないらしく、
肩関節のこわばりが原因で、腕の筋肉を過剰に動かすことになり、その負担が痛みを発生させることもあるそうです。
痛みがひどかった時は、市販のバンテリンみたいなのの強力な処方薬をもらったこともあります。
整形外科の先生からは、まったく動かさないで安静にしていてもダメで負担にならない範囲で動かすこと、衰えた筋肉は少しずつ回復させないとダメとも言われました。
治らなかったら転職しなくてはと思い詰めていた時期もありましたが、20代後半に発症後しばらくして寛解、30代半ばで再発するもしばらくして寛解、
名前は出せないんですが、誰もが名前を知っている大打者の話です。
彼と私とではチームが違ったんですが、どっちも若い頃からオールスターの常連だったんでそういった舞台では同じチームの一員として戦ったんです。
オールスターゲームが終わったあとはチームみんなで一緒に風呂に入るんですが、まあ男所帯ですからみな前など隠さず堂々としたもんです。
これがどうも気になりましてね。
そこで私はある先輩と結託して、その選手が頭を洗っている隙に股間を隠してるタオルを奪い取ったんですわ。
その選手は顔を真っ赤にして逃げるように風呂から出て行きました。
それから何年も経って、互いにベテランと呼ばれる歳になって、その大打者は球界を代表する打者になったのと同時に非常に態度のでかい打者になったんです。
私の囁き戦術なんかもまるで通じない。
そこで私はその若い頃の風呂場の一件を思い出し、こう囁いたんですわ。
『ハリ、お前は態度がでかいのに、ナニは小さいのう』って。
エンジニアとかやってると普段から情報不足に悩まされ続けてるわけ。客からの仕様に情報が足りない。デバッグチームからの報告に情報が足りない。これでは仕事が進まない。日常が常に情報不足との戦い。イライライライライライラ。何故奴らは十分な情報を渡さないのか?
このことが原因で、逆に自分が話す時は相手に情報を多く与える方が親切だと思っちゃうわけ。話してるうちにあれも伝えなきゃこれも伝えなきゃ伝える情報は多ければ多いほどいい詳しければ詳しいほどいいからあれもこれもと頭の中で伝えたい情報がどんどん増大する。すると早くしゃべり終わらないと忘れちゃうんだよね。今頭に浮かんだ伝えたいことを。忘れる前に全部話し切ろうとするから早口になる。つまり職業病だ。
文章トレーニングのための新機軸の練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字が共通している単語を書きまくるというものである。赤ちゃん、あんこ、アンダンテ、アスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当な単語を書きまくっている内に――つまり無秩序に単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋な欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為が可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。
例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。
ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。
そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないからである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章の推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。
例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないからである。」
やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまりは文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ。適当な文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章の価値の根本が存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナルな文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。
というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれるカフェインの効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分。
あいうえお、あんこ、アンダンテ、秋、憧れ、有馬記念、阿久津主税八段(将棋棋士)。
以上の文章で文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字の文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。
ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字を限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字の共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒーが純粋に作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単に文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単な方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェインの所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。
基本的に俺という人間は人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数は分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらいなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワな運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実が存在するのであれば全国の小説家は廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字の文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病が存在するのだとすれば全国の作家及びキーボードを日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードをタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずにタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。
こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚も存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェインの所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。
しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間の心理的なハードルや技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードルや心理的なハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術的ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。
ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプの人間なのだ俺は。つまり自分で心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまうタイプの人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり、自分が書いた文章を最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって今文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分で心理的技術的ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェインの所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタを楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識が必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。
ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティング・ハイ的な状態になっているのだ。それがカフェインの所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェインを摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。
ところでアレですよ、最近「なろう小説」というものが流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。
この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界で主人公は稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説のジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪極まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトルの作品を推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。
で、俺が言いたいのはそういう稀有な面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間の文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字の文章を生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間がゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたかの西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインのブーストと心理的技術的ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字は突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピート、リピート。繰り返すことが人間の心理的なハードルや技術的なハードルを下げ、人間に効果的な文章のトレーニングを提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。
そら数値で見ても、払ってる税金に対してインフラや社会保障がぜい弱もいいところで、国連から直々に非難決議の声明を食らうほどの、産業革命期のイギリスや、奴隷制があったアメリカやヨーロッパ並みの労働人権後進国
IT系なんてうつ病が職業病と呼ばれ、ここをみりゃわかるが、自殺志願者しか行かないレベルの滅茶苦茶な慣行が文化かしてまかり通り
一度レールに外れれば、東大卒だろうがDr持ちだろうが、人非人の扱いを受けて実質奴婢と変わらない扱いに転落、エリートですらそんな感じだから、汚職はなくとも致命的になるまで隠蔽しまくり
明日は我が身だろうに、ネットでも表社会でもそういうどんな理由があって落ちたかも聞かずに、自己責任だの負け犬は死ねだのと、水に堕ちた犬は棒で叩け精神の国民性
努力至上主義の癖に、生きるために泥の中を這いずり回り不死鳥の如く復活した苦労人みたいなのは、過去のアラ探して晒しものにしてつるし上げて潰そうとして
そんな奴等のいう勝ち組の定義が、金持ちとして生まれるか金持ちの婿養子や、玉の輿、太鼓持ちになるか、(地方)公務員になること
これさ、射撃の国体選手やオリンピック選手ですら困窮したり自殺が多発したりさ
あまりにも猟師弾圧しすぎて、都会にすらイノシシやクマが出没して被害が出るレベルで銃規制とか弾圧とかそういう知識のリテラシーが異様に低くしてるだけで
これが増田のいう「海外のような普通の国」なら今頃、アイルランド紛争時代の北アイルランドや、70年代のイタリアとかレバノンみたいになってるよね
いや税金に関してはしょうがないよ、もう普通に働いてただけで国民の9割が赤字になって経済が崩壊するレベルで税負担かけなきゃ維持不可能ってくらい、俺だって大学出て馬鹿じゃないんだから統計や政府の資料見りゃわかるよ
そういう理由じゃないにしてもさぁ、経済とか政治とか以前に、陰湿な国民性がこういう李氏朝鮮みたいな社会と末期を呼んだんじゃないのか?
普通に生きてたらダブルバインドどころの騒ぎじゃねーじゃん、なんだよ嫌なら海外に出ていけとかいってホントに出ていったエリートや天才を裏切り者の売国奴呼ばわりって、頭おかしいんじゃねえの?
真面目に生きてうまくいかない奴等叩く癖に、最初から開き直って悪事全開の半グレとかはビビってたたかねえよな、むしろ野放しにしてる警察に罵詈雑言投げてるしさ
頭のおかしいネトウヨが「朝鮮人と化した」なんていう表現最近よく使ってるけど、まさにそんな感じだわなとニュアンスは伝わるよ
日常的に、着物を着ている若い人に対してその着付けを直したがるお節介なおばさま達は存在しますが、この時期は本当に多いです。
実際に歩いていて急に脇に手を突っ込まれるなんてことはないですが、SNSで「浴衣」「着崩れ」とか、「浴衣」「下手」「直してあげたい」とかそういうワードで検索すると、街中を歩いている浴衣女子の着崩れを直してあげたい欲望と戦っているツイートがワンサと引っかかって風情があります。
個人的にとても好きなのは、おばさまたちよりもどちらかと言えば若い方でそういったツイートをされている方ですね。
大学生になって着付けを習ったとか、日本舞踊のサークルに入ったとか、「一応、資格持ってますんで」「中学生の時に勉強したんで」「職業病ですね(笑)」などの文句が付け加えられていると、ツイートに味わいが生まれます。
ベテラン着物警察から若手着物警察の皆様まで共通していることは、ほとんどの方が「せっかく浴衣女子かわいいのに」といった旨の文章が含まれていることです。
「直してあげたい」と並んで常に上から目線でくるところがとても趣深いですね。
皆様も夏の風物詩浴衣警察を見かけた際はその趣を味わい夏を実感してください。今年も熱中症に気をつけて元気に過ごしましょう。
チャイニーズマフィアとヤったけど、万札のチップ出されて、職業病(天使病)でダメですこんなにいただけませんー!って脱ぎたてチャイニーズヒョウ柄マフィアパンツの上に置く拍子に「まずった、受け取っときゃよかった」って思った。チャイニーズ金色(こんじき)マフィアベルトが巻かれたズボンのポケットから100万円の半分ぐらいの束が、ニュルっと顔を出してた。裸で入れててもはした金だし、チャイニーズマフィアすぎて誰もひったくりなんかしないしな。気性の荒い人だから「何かあったらすぐに部屋に入って殴ってでも止められるように」的な意味で、側近丸出しないでたちのムキムキチャイニーズマフィアヤングマン側近がドアの前で待機してたし、人いっぱい殺してんだろうなっていうのは正常位んときに間近で見た目でわかったよ。濁りきってて奥の方だけ異様に光ってる、いや、日中極道友好のお仕事お疲れ様です。受け取っときゃよかったのは、気に入られないほうが無難っちゃ無難だから。下手な真似しなきゃよっぽど下っ端のチンピラ紛いでない場合、一般人をあれこれせんけど、やっぱ相手が相手だし気に入られないのが無難だった。そりゃ性欲解消はしたいだろうし、気に入ってくれたからまあ日中友好の期間中来るんだろうけど、「お忍び」っていう概念ないんか。数珠みたいなのを外すとか…側近にパーカー着させるとか…ないんか