はてなキーワード: 盗撮とは
東京都内の路上で、ズボン姿の女性が見知らぬ男に後ろからスマートフォンで尻を撮影され、近くの交番に助けを求めた。女性は「盗撮」と訴え、男も行為を認めた。ところが警察が男を立件することはなかった。なぜなのか。
問題が起きたのは3月中旬のことだった。交番に駆け込んできた女性は「近くで不審な男にスマートフォンで撮られた」と申し出た。警察官が男に事情を聴くと、男は撮影を認め、スマホからはこの女性の尻部分の静止画のほか、ほかの女性を写したという同様の画像も多数見つかった。男は「ズボンをはいたお尻が好きだった」と説明した。
女性は「盗撮ではないか」と訴えたが、警視庁は男を帰宅させた。法令で罰せられる「盗撮」に当たらないと判断したからだ。
警察が盗撮行為を摘発する際は、都道府県の迷惑行為防止条例を適用することが多い。ただ、基本的に撮影の対象を「衣服で隠されている下着または身体」などと定めており、ズボン姿の尻は対象外だ。今回の対応を指揮した警視庁幹部の一人は「女性の気持ちは理解できるが、違法でない以上仕方がない」と話す。
よねはらうさこを名乗る、中国とビジネスをやっているイラストレーターさんの漫画。
中国の大学で、盗撮行為が見つかった新入生に対して、翌日に退学処分がされたということを肯定的に描いている。
https://twitter.com/yoneharausako/status/1439211551274065927
最初、これに対する、コメントや引用の多くは、即断の処分を評価し、日本もそうすべきだ、遅れている、意識が低い、盗撮犯は追い出せみたいな意見がほとんどだったんですが、途中からちょっと風向きが変わっている。
そりゃ、組織における意思決定に関わったことがある人なら、どう考えても1日で退学処分を下すというのは、適正な手続きをとったのかという疑問が出てきて当然なんですよね。
しかも、ご存じのとおり、中国は人権を軽視する独裁国家ですから、反政府的な学者とか、即断即決で処分してきたわけじゃないですか。でも、そのことを指摘すると、反社会的な連中は処罰して当然、レイプ犯は銃殺にされて当然、死刑にするのに何十年もかける日本とは違うみたいなエキセントリックな意見が飛び出してきて、マジヤベーなって感じになってます。
でも、これを見て、やはり悩む部分はあるんですよね。今回のコロナ対策もそうだし、即断即決で権力を行使し、自由をサクッと制限してしまう国家が、民主主義国家よりも成功してしまっているわけじゃないですか。
また、「罪刑法定主義」とか「疑わしきは被告人の利益」とか「法の適正手続き」とか「合理的な疑いを差しはさむ余地の無い程度」とか、そういう近代的な刑事司法の概念は、一部のフェミニストの人たちにとって、性犯罪者の人権ばかり守って、被害者の人権を蔑ろにする、男性主義的支配の象徴みたいな扱いになっているんですよね。
こういう中で、保守的・家父長的な庇護者としてのふるまいをする政府というのは、確かにすごく魅力的なんだろうし、進んでいて、素晴らしいように見えるんだと思うんですよ。政府はお前のパパじゃないって言って皮肉ってくるアンチフェミと、パパのように庇護してくれて、悪い性犯罪者を即断即決で処罰してくれる習近平、そりゃ、寄る辺なき女性にとっては習近平のほうが魅力的ですわな。
でも、私はそれじゃいかんと思うんだよな。女性にも図太く強くなって欲しいけど、無理なんだろうな。結局、脳の器質を含めた肉体という檻に囚われている以上、進化心理学的な頸木にとらわれることは必然なんだろうからなあ。結論は出ないけど、とりあえず、人権無視の北京政府はクソだということだけ、分かってほしい限りです。
コムドットについて詳しくなくとも、SNSで拡散される彼らの活動を目にする機会は多い。彼らはそのように有名になってきたのだから、彼らのファンでない私のような人間が彼らに言及することも、ごく自然なことだと言える。
彼ら、というかリーダーのヤマト氏の炎上に対する声明を読んだ。
少し調べれば、多くの人がその文章に対し強い違和感を抱いていることがわかる。今暇なので、この違和感を明文化してみようと思う。
まず、コンビニ、近隣住民への騒音での迷惑等についての謝罪がある。これはそうだろう。コロナ禍でなくても絶対にやめてほしい。赤ちゃんが寝付いたばかりかもしれないし。
ここでは明確に謝罪の対象にしていないが、彼らは当然マスクをしていない。感染症予防のため、飲食店等を除き、複数人でマスクなしで密になることは避けるべきという『ルール』がある。
コムドットはこれまでも何度か炎上しているようだ。YouTuber飲み会をはじめとするそれらは、『ルール』に違反したから炎上した。
ではここで、この『ルール』について踏み込んで考えてみよう。
ここでの『ルール』とは、法律ではないものの、社会全体の利益のために守るべきこと、とでも言い換えられるだろうか。現在におけるマスク着用はまさにそれだろう。
私が彼らの炎上やそれにまつわる弁明について調べ強く感じたのは、彼らは本当にこの、マスク着用『ルール』の必要性を理解しているのだろうかという疑問である。
マスク着用ルールは、判子は斜めに押すとか、乾杯の際はグラスを下にすべきとかそういうクソくだらない仕草ではなく、疫病の蔓延を防ぐためという目的を持ち、また明確に効果が判っているものである。マスクは本当に不便だが、私たちは自分がウイルスの運び屋にならないよう、大切な人、あるいはそうでない人を守り、この疫病を根絶させるため、マスクをして、密を避け、ときには帰省や結婚式を我慢して過ごす。
自分と他人を守るための『ルール』を履き違え、大きな問題となった、NAMIMONOGATARIというHIPHOPフェスについて、知る人は多いだろう。HIPHOPにカウンターカルチャーの側面は認めているものの、それは体制的な抑圧であったり、不条理な命令であったりに対するカウンターである。
おそらく参加者にとって、マスク着用、密の禁止、禁酒もしくは減酒というルールは、「根拠のない、上からの不条理な命令」程度の認識だったのだろう。だから破っていい。
コムドットメンバーの根底に、同じような気持ちを認めるからこそ、ファンは不安すら覚えているのではないか。
コムドットのファンには良識的な人が多いと感じる。悪いことをしたことは認めつつも、応援の姿勢を示し続けることは簡単なことではない。
だからこそ彼らは不安を抱くのではないか。自分が応援している人たちが、バカではないと信じているからである。
コムドットと『ルール』は意外と根深い関係性を持つ。彼らが盗撮を嫌い、直接ファンに苦言を呈する動画をアップロードしたことは有名らしい。
盗撮はもちろんルール違反であるが、ただちに法律違反ではない。そんなことを言い出したら、彼らの撮影中映り込む人々は、彼らを訴えていいことになる。
では何をもって悪意のある盗撮とみなすのか、その線引きが難しいからこそ、『ルール』によって彼らは自分たちの、また、ファンは彼らの盗撮を許さない。
マスクおよび密を避けるというルールと、この盗撮に関するルール、正当性については述べるまでもないが、彼らは前者のルールをたびたび軽んじ、それどころか、タバコは外で吸うが(条例違反)、他人のタバコのポイ捨てを厳しく指摘するなど、矛盾が多く見られる。
これは大きな違和感であるし、彼らもその矛盾を否定はしないだろう。だから謝罪文は早々にその姿を変える。
ヤマト氏による謝罪文は、いかに多くの誹謗中傷が寄せられ、その恐怖が如何程であるかを切々と述べている。情に訴えている。
さらには過去に行きすぎたネット上の誹謗中傷により自ら命を絶った有名人をもちだし、覚えていないのかと訴える。
ここにも大きな違和感がある。明文化するのは難しいかもしれないが、やってみよう。
まずここでの有名人はまず間違いなく木村花氏のことであろう。彼女の痛ましいニュースは私たちに否が応でも画面の向こうに人がいることを思い知らせた。もちろんそれを私たちに教えるためだけに彼女は亡くなったわけではない。
まず第一に、このタイミングで彼らが自らその話を持ち出すことに対する違和感である。
任意の誰かが社会通念上誤ったことをしたとき、「そんなに叱ったら死ぬよ!」などと言われたら、私たちはどうしたらいいのだろう?
死は究極的に個人的なものだ。100人いれば100通りの死に方があるだろう。もしそれが自死であれば、その理由は本当に個人的なものだ。
彼らはあえて木村花さんという個人名を出さないことで、これに関するそしりから逃れようとしているのかもしれないが、個人名を出せないということは、それは配慮ではない。後ろめたさがそこにあるということである。
木村花さんは、何もしていない。本当に何もしていないが、マスメディアにより悪意のある人間に仕立て上げられ、自分の意見を述べることもできず、頼れる人もおらず、また前例もないため、亡くなるほど追い詰められていたことに気づく人もおらず、孤独に死を選んだ。彼らとは土台から違う。それを指摘されたくないから、個人名を出さなかったのは、卑怯とすら思う。
自分たちの引き起こした不祥事に、無関係の故人を持ちだし、自分の死を匂わせることで、批判から逃れようとする姿勢がダサい。彼らの肩で風を切るイメージとあまりに相反する態度に、違和感を覚えるのである。
もちろん誹謗中傷はルール違反ですらなく法律違反だし、絶対に行ってはいけない。密になるよりマスクしないより騒音を起こすより、明確に悪いことである。そういう人に対し、彼らは私刑に出る必要もない。法的にアプローチすることができる。皮肉なことにこれは、あきらかに木村花さんの事件あっての効果である。
正直なところ、そんなに批判の矢面に立つのが嫌なのであれば、大きな芸能事務所に入ればいい。大きなところであれば文春スキャンダルを揉み消すこともできるし、こういった際矢面にたちタレントを守ってくれる。
しかし彼らは自由でいることを選んだ。事務所のものになり、金銭的、肉体的な縛りを受けるより、自由に活動していくことを選び、彼らのそんな姿勢がウケているのである。
自由は必ず痛みを伴う。これは、自由な者は痛みを覚えるべきということではない。痛みを受けることと自由であることは、ほとんど同じ意味であるということだ。
総合的に一貫性がない、悪い意味で、あらゆる立場のいいとこ取りをしてやろうという彼らの甘えを私たちは感じ取っており、彼らと彼らのファンが大事にする『筋を通す』ことができていないことに、失望を抱かれているというのが、現状への分析である。
それが幸せだと感じるのを否定はしないのよ、ストーリー的(TPOとして)に順当でないシチュエーションなのにその一方的な「幸せ(を感じるのは全員でなく、嫌悪する人も一定数いる)」の切り取りを意図的に作って掲示して流布するなよって言っている訳なんだ。
何にでもエロが含まれてなかったら自分が自分の属性が楽しませてもらえないのは自分が自分達が侮辱されてると感じるのか?
そのエロと同様の事を現実に期待して他人(敢えて女性とは言わないよ)をじろじろ見たり、お仲間と一緒になって品評したり野次ったりするチャンスが減る、機会損失なので自分にとって損になると思うのか?
意味ない文脈で突然ぶっ込まれるのを楽しみたいなら、ゾーニングされたフィクション内で楽しんだらいい。
たぶんあんたが思うより馬鹿で卑劣で想像と創造性に欠けた人間は沢山いて、頻繁に見るものは社会的に許容されていると受け取り、その幸せを得るために、見たことのあるそれを目の前で再現させようと他人に付きまとったり強要したり画策したり、下品にやじったり直接的に盗撮だの手の甲で痴漢だのする、ぶつかってくる奴がかなりいるんだよ。
ツイフェミ迷惑増田、気持ちはわかるんだけどTwitterのフェミ的な人は男性の暗黒面を滅茶苦茶見てしまうので憎悪が煮詰まるのは無理ないところもあるんだよね。
盗撮アカとか痴漢アカとかエロ無罪アカとかオタクチキンレース文化(ロリをハイエースみたいな冗談をよく言う)とかフェミに思い知らせようとするデマ(女にAEDすると痴漢扱いされるぞ!)とか、政治家のヤバ発言(『政治家 性差別』で山ほど出る)に企業のヤバCM(乳牛として出荷される少女)、学校のヤバ案件(女子一律減点)、ヤバ判決(娘を強姦してた父親が無罪)など、とにかくあらゆるヤバい男尊女卑案件が仲間うちですぐさま共有されるので暗澹たる気持ちになるのだ。なぜか絡んでくるアンチフェミアカもいるしね(次第にこの手の奴らは単に構ってほしいのだとわかるようになるけど、気を引こうとして攻撃してくるので大変疲弊させられる)。
それに真摯に向き合って丁寧に解決しようとする人たちもいてマジで頭が下がるのだが、私は辛くなって見なくなってしまった。見なくても存在するのでただの逃避なんだけど。
盗撮アカの通報に専念してる人なんか賽の河原で石を積んでるようで本当に気の毒だった。
まぁツイフェミもいろいろいてね、『過激系悪口派(ミサンドリスト)』『過激系社会変えたい派(石川氏辺り?)』『穏当系社会変えたい派(男性の性被害とかも言及しがち)』『オタク系愚痴派(キレキレのオタク文法で読ませるがオタクらしく外部には見つからない)』ぐらいには分けられる。ちなみにこれらのグループはあんまりお互い関わりない(少なくともリプしあわない)です。
口汚く罵るタイプの人なんかは私も苦手だけど、ツイフェミ(ていうかTwitterにいるフェミニスト系の人)に救われることもあるので、最近の『ツイフェミは馬鹿で過激』っていう風潮は悲しいんだよな。丁寧な言葉で言っても無視されるから過激化したみたいな人もいるしさ〜……。
ツイフェミ迷惑増田が「後ろから撃つな」って言いたい気持ちはわかるよ。「いまその話ややこしくなるからやめて」「ガバガバ理論で隙をつくるな!」「この辺と同類に思われるのいやだな」みたいなことはね、思いました、私も。でもTwitterにいるフェミ系の人を全部分断処理しちゃうのも乱暴だと思うんだよな。
あ、ちなみに、トゲとかでツイフェミとしてまとめられてるアカウント、成りすましもあるのでご注意を。ある程度慣れてるとわかるんだけど初見の人は気づかないと思う……。
人って性別で括ってこうと決められるようなものではないから、男性だから○○とか言いたくないんだけど、歴史を勉強すると権力を手にした男性がありとあらゆる手で女性を劣っていて愚かで不浄で短絡的で陰湿で人(つまり男)を堕落させるものと定義して支配しているのでびっくりする。宗教もそういうの多いよね。制度的には夫に殉死しなきゃいけないとか、妻の浮気は死罪だけど夫はお咎めなしとか、女は教育を受けさせないとか。反対に女性でカウンターとしてでなく男性を貶めて支配しようとする人ってそんなに見ない(たまに排撃しようとする人はいるが「私の下にいろ」ではなく「関わりたくねー」が基本)。この違いってなんでなんだろーってずっと考えてる。
以下記事に対するブコメを読んでいると、リベラルが多いとされるはてぶで監視社会を望む人が多くてびっくりした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210903/1000069755.html
痴漢という犯罪行為に対して、対策として監視カメラの導入を推す声があまりにも多い。何も悪いことをやってなければ監視されても困らないだろう、という理屈なのだろうか?
そんなに監視社会を望むなら中国に行けばいいのに。ただ電車に乗っているだけで公然と盗撮される社会の方が嫌だわ。痴漢の被害者は気の毒だし対策は必要だが、その結論はおかしい。
以下記事に対するブコメを読んでいると、リベラルが多いとされるはてぶで監視社会を望む人が多くてびっくりした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210903/1000069755.html
痴漢という犯罪行為に対して、対策として監視カメラの導入を推す声があまりにも多い。何も悪いことをやってなければ監視されても困らないだろう、という理屈なのだろうか?
そんなに監視社会を望むなら中国に行けばいいのに。ただ電車に乗っているだけで公然と盗撮される社会の方が嫌だわ。痴漢の被害者は気の毒だし対策は必要だが、その結論はおかしい。
ある日のことである。以前のブルマーに関する調査に物足りないものを感じていた僕は、なんとはなしに「ドイツ ブルマ」で画像検索した。すると、個人のブログで、戦後の西ドイツを舞台にした「橋」という映画にブルマーが映っているのが紹介されていた。1959年の映画であるが戦時中が舞台なので、これは明確に戦前にもショーツ型ブルマーが使われていたことを示しているようだ。Youtubeにも動画が上がっており22:48頃からブルマーの出てくるシーンが確認できる。
そんなことから、もうちょっとドイツのブルマー事情について調べたくなった。
自分が以前調べたナチスのブルマーとは、ドイツ女子同盟のものだ。
ウィキペディアによれば、ドイツ女子同盟は、もともとナチズムを信奉する少年の有志で構成されていたヒトラーユーゲントの下位組織として発足したものだが、ヒトラー政権の成立から3年後、全ての未成年男子がヒトラーユーゲントに編入されると、これに伴ってドイツ女子同盟も強制参加の団体へと変化した。
設立の理念は、ドイツの将来を担う「良妻賢母」の育成であり、軍人教育は施さなかった。よって、健康な子供を産むためにカリキュラムは家政学ではなく、体育の方に重点が置かれた。つまり、国によって「女らしさ」「母性」「健康」が強制されていたわけである。そのせいか、略称をもじった卑猥なジョークもあったらしい。
さて、そういうわけで、軍服のような制服のみならず体育教育に使う、こちらのように黒い短パンというか提灯ブルマー姿の女性を確認することができる。写真によっては、サイズがあっていないせいか、角度のせいか、ほとんどショーツ型ブルマーのようになっているものもある。
ちなみに、こちらのサイトによれば、ブルマーを卒業すると白いワンピースになったそうである。また、色は黒であると言及されている。
しかし、写真を見る限りでは、冒頭の映画ほどハイレグではない。これは地域によってブルマーの規格に差があったのか、それとも監督の趣味だったのか、よくわからない。1930年代のThe Woman’s League of Health and Beauty(英国の健康増進団体、ヨガも取り入れている)ではhttps://flashbak.com/the-womens-league-of-health-and-beauty-nazis-pilates-and-the-birth-of-the-keep-fit-movement-4580/:title=
ショーツ型ブルマーに似た制服]で運動しているし、https://aurora-ray.blog.ss-blog.jp/2017-09-15=ドイツ女子同盟のフィギュア(オーロラモデル 1/35ミリタリー WWII ドイツ少女同盟 体操着姿 ガレージキットフィギュア ML76)]ではやっぱりショーツ型ブルマーに似ているのだが、詳細はわからない。冒頭で紹介した映画ではのんびりしたシーンであり、ナチス的な全体主義をあまり感じない。もしかしたら、ドイツ女子同盟とは別に、普段からブルマーがそれなりに普及していなことも考えられなくもない。
その後ドイツではブルマーはどうなったか。以前の記事にも書いたように、東欧ではブルマーが採用されていたことを示す写真はちらほら見つかったが、制服として具体的にいつ頃採用されていたかなどの情報は見当たらなかった。そのため、しばらく調査は暗礁に乗り上げていた。
きっかけになったのはDeepLやGoogleの翻訳である。英語のショーツ型ブルマーを意味する語の一つ「gym knickers」をドイツ語にしたところ「Turnhose」という語が出てきた。これで何かがわかるかもしれないと思った。確かにこれは「短パン」を意味する言葉に過ぎない。だが、ドイツ語のウィキペディアには、英語版とは違い、こんなことが書いてあった。
Für Frauen, Mädchen und Jungen (bei Jungen aber nur bis zum Alter von etwa zehn Jahren) gab es etwa zwischen 1960 und 1990 Turnhosen in Slipform, die zwar umgangssprachlich Turnslips genannt, im Katalog aber unter der Bezeichnung Turnhose geführt wurden. Als Material verwendete man anfangs schwarzen Doppelripp und Helanca. Passend dazu gab es auch die Turnhemden.
女性、女の子、男の子の場合(ただし、男の子の場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブとヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。
やっとのことで、具体的な年代を特定できる情報を見つけた。1960年から1990年、確かにドイツではショーツ型のブルマーが採用されていたのだ。
もちろん、出典が明記されていない以上どのくらい正確な情報かはわからない。ショーツ型ブルマー(上ではジムブリーフと訳されている)を意味する「Turnslips」で画像検索してもまったくそれらしいものは該当しない。だが、調査は確実に一歩前進した。
ドイツでブルマーがいつまで採用されていたか、かなり具体的な情報を手にすることができた。しかし、今回のドイツや前回のチェコとは違い、ポーランドやロシアに関する情報はなかなか手に入らない。昔の記事のように確かに写真はある、動画もある。だが、文字情報が乏しいのだ。「ソ連 体操着 歴史」「ソ連 体育 制服」「体操着 1960」などと単語を変えてもなかなか引っかからない。おまけに、ポーランド語でgym knickersを訳して「majtki gimnastyczne」で検索すると、スポーツ用の下着しか出てこない。また、言語によっては体操着に該当する言葉を探しても、レオタードしか出てこないこともある。
プロの陸上選手がブルマ姿になっているものは出てくるが、学校での採用事情については、なぜかデータが少ない。
資料が見つからない理由は恐らく三つある。一つは、ロシア語やポーランド語ではブルマーを何と呼んでいたか、正確な名称がわからないことだ。チェコ語では、幸運なことに「Jednotný cvičební úbor」が「体操用の制服」といった意味で、直訳でもよかったようだが、他の国の言葉ではそうでなさそうだ。
もう一つは、そもそもネットに資料が載っていない可能性だ。国によってネットの普及した時期は異なるが、紙媒体の資料をわざわざネットに乗せる熱意や理由がないことも考えられる。
最後に、これは前述の熱意がないことと重なるが、欧米ではそもそもブルマーに対して関心が薄いのではないか。海外にも服装に対するフェティシズムはあるようだが、何がセクシーと感じるかは国によって全然違う。ブルマーフェチの人は海外では人数が少ないのではないか。
全くの推測だが、ブルマー時代末期には、ブルマーを性的に感じるあまり盗撮する者が後を絶たなかったという。それが原因で、ますますブルマーが性的だという感覚が強まった。となると、日本でブルマーマニアが増えた理由は、個人のカメラやビデオが日本で普及した時期にも理由があるのかもしれない。
ポーランドやロシアでのブルマーについての文字情報が見つかったら掲載する。しかし、いつになるかはわからない。また、東ドイツと西ドイツとでブルマーの普及に違いがあったか。このあたりも資料が乏しいが、見つけたら公開したい。
また、今まではブルマーはほぼ紺色と思い込んでいたが、黒という記録を見つけた。白黒写真の画像しか見つからなかったケースを、再検討する必要がある。