はてなキーワード: 暴走とは
エンジニアと肩書きにつくような仕事をしているが、それこそエンジニアの性なんだと思う。
エンジニアリングというのは、目的を達成するためにものを作り上げることなわけで、これも単にそのドグマを当てはめているに過ぎないと思う。
フェイルセーフやフールプルーフという言葉を聞いたことがないだろうか?
人間はミスをする生き物なので、ミスをしても致命的な状況を避けるような設計にするし、それ以前にミスに簡単に気づけるような設計にしておく。これがエンジニアリングによるトラブル回避なんだと思う。
人間はミスをするのが当然で、それを起きないような仕組み、起きても被害を最小限にするような仕組みを作るというのはこういったエンジニア的アプローチを現実の問題に適用しただけだと思う。なぜ仕組みと言ったかというと、組織や制度だけで何ともならない場合、それ以外のアプローチも含めて対応するのがエンジニア的な方法だからだ。
「社内の連携ミスで無謀な仕事を取ってきた営業がいる場合」についても同じだと思う。
エンジニアも人間なので文句は言うかもしれない。営業に対してだけ言うのではなく、ミスをしたエンジニアに対しても文句は言う。ただ、そこで思考停止するやつはエンジニアじゃない。エンジニアなら、なぜ社内の連携ミスが起きたか、どうすれば社内の連携ミスを防げるかを考える。営業とステークホルダーたちの連絡会を作っておいて、仕事をとる場合は連絡会メンバーの決済を得るなども一つの方法かもしれないし、営業と他部署との信頼関係が無いのが暴走した原因なら、親睦する機械を設定するというのも一つの方法かもしれない。
エンジニア的なアプローチでは、やる気や注意力、個人の力量に頼っている仕組みは一時的にはうまくいっても長期的なコストが大きいので可能な限り改善するものだと考える。エンジニアはエンジニアのミスだけが仕組みで回避、軽減されるべきと考えているのではなく、全てのミスが仕組みで回避や軽減されるべきだと考える。唯一、エンジニアに特権意識のような部分があるとすれば、エンジニアリングによるトラブル回避・軽減というアプローチができず、同じミスを繰り返している連中を学習しない馬鹿だと思っていることかもしれない。...「自分たちの苦しさは異常だ!」で思考停止しているなら、その人たちは本当にエンジニアなの?
今回日野さんが暴走した中学生ドラマーをビンタして制止した後、
その父親と当人が謝罪。日野さんも謝罪。これで解決なんだよね。
世間が騒ぐ。
あの状況でのビンタを暴力、体罰に結び付けて考えちゃうのは怖いなと思ったし、自分も気をつけようとおもいました。
1ねん1くみ
殴られる側が納得してれば不特定多数の前で暴力行為をやってもいいという人達がゾーニングにもきっちり反対してるのかが気になる
はてな村では性表現はゾーニングすればいいという意見をよく見かけたから暴力表現もゾーニングしなくていいと思ってる人は少数派だろうと思うが
演奏聞きに行って一人だけきちんと演奏しない人がいたら不快に思う人はいるだろうが
だからと言って髪の毛つかんで殴るのを見るほうがましと思う人ばかりではないという想像力が働かないんだろうか
それとも変な演奏を聞きたくない人を暴力を見たくない人より優先すべきってことなんだろうかね
中学生の暴走を体罰で止めたとか聞いたから周りに危害が及ぶレベルのを想像してて動画見たら拍子抜けしたわ
演奏し続けるくらい殴ってまで止めるほどのことかよ10分でも20分でも待ってやれよ待てない人は帰ればいい
外野は黙れという人は不特定多数に暴力を見せた以上当事者だけの問題ではなくなるということが分かってない
公開の場で演奏中にセックス始めても両者が納得してたら周りは一切批判できなくなるのか?そんなわけないだろ
あともう一つ気になったのは納得した親子とやらが本心を言ってるのかという事
権威権力のある人が加害者なら周りが忖度して無形の圧力で本当は嫌だったけど泣き寝入りするなんてよくあること
納得してますという発言を真に受けてる人は本人でないならピュアすぎる(薄々わかって黙らせようとしてんだろうけど)
人前で躊躇なく殴れるってことは普段からそういうことやっててそういうのがストレスになって中学生が異常行動するような心理状況に追い込まれてたんじゃないのか
絶賛炎上中のローソンチケットの件について、自分なりに一番しっくり来るストーリーを書いてみる。
あくまでも増田の妄想。ローソンには特に縁も恨みもないけどからあげくん北海道チーズ味は好きです。
【登場人物】
【AとBの主張】
【炎上までの流れ】
【Aがアップしている主な「証拠」】
【不思議なところ】
Aが8月31日付の18,032円のレシートをアップしているが、レシートに記載されるはずの『非課税 チケット代として』という文言がない。これはただ「8月31日に18,032円分を買い物をした」というだけのレシート。
コンビニでチケット類の支払いをしたことがある人間なら覚えがあると思うが、チケット関係の支払いを行った際は、仰々しすぎるくらいのでかい支払い証明書が発行される。これについてAは現時点ではまったく言及していない。もちろんZ店の店員がAに渡し忘れた可能性もあるがAはそれには一切触れていない。
Aがキャンセルメールの証拠として上げているスクショ、表示されているアドレスl-tike.comの「.」がない。「お受付いたしました」など、言葉遣いもいささか怪しい。
「キャンセルメール」の受信が7:30。Aの主張するカスタマーと通話記録内の最初の通話が9:00。発端となったBのツイートが9:40。ちなみにローチケのカスタマーセンターは10:00~
【仮説】
以上を踏まえて、自分的に一番しっくり来るストーリーを雑に書くと
→支払いの期限(入金期限は8月31日の23:00。23:59ではない)を過ぎてしまった等、何らかの理由でその当選権が消失。
→同行予定だったBに「入金したのにローチケ側からキャンセルされた!」と説明。
→レシートは18,032円分の買い物(1円単位で買えるiTunesカードとか)あるいは偽造で用意。
今回の件で一番引っ掛かってる人が多いのは「Aがローチケを貶めるために嘘をでっち上げるメリットがない」という点だろうけど、本来あまりおおごとにはしたくなかったAの言い訳をBが真に受けて暴走したと考えると、割とあらゆる点の辻褄が合う。
Aとローチケの間でひとまず話はついた模様。さて。
今回のビンタ事件は、ああいう場では仕方がなかったと思ってる。
照明消して緞帳下ろせとか、羽交い締めにして引きずり出せとかいうけど、
その上スティック奪ってたのに手で叩いてるのは、とっくにボーダーラインを超えてる。
「トランス状態に入ってる」という無難なブコメがあったけど、アレな子だったのかなとも思う。
そういう子の暴走を止めるのに緞帳下ろしても止まるわけないし、
羽交い締めにしても、それはそれでスキャンダルになるし、外向きには「屈辱的な行為」に見えるだろう。
ニュースでちらっとみた程度だけど、ビンタ後に彼の暴走が止まったのなら、
その場での正解だったわけで、それについては外野がどうのこの言えるもんじゃないと思ってる。
一回女性に覆い被さっている男を引っぺがしたのに
また女性に向かっていったらお前らどうするの?殴ったりしないの?
もう一度取り押さえても暴れたら、殴るだろ?
「金属に触れるとまずいから、ブラジャーを外すべきだ」と思っている
(今は外す必要ないらしいが、一昔前の講習だと明言していないらしい)人が、
ブラジャー外してたら「セクハラだ、やめろ!」っていうの?(「ブラ外す必要がない」ではなくて)
心臓マッサージする時、肋骨が折れる場合があるらしいけど、折れたら「暴力医者だ!」って医者訴えるの?
おおげさかもしれないけど、日野にとってはステージは命がけの現場だろうし、
それをブチ壊されて、スティックを奪ったのにそれでもドラム叩く奴は、
ひっぱたくくらいしかできないだろう。
特に日野はそういう世代だから、とりあえず手が出ちゃうと思う。
麻生の「軽口」同様、世代の病みたいなもので、同情しなくもない。
麻生については、政治家なんだし、総理大臣時代から散々叩かれてるんだし、
俺自身は左寄り、体罰絶対厳禁派で、ポリコレ的な見方は嫌いじゃない。
それでも、今回の「ビンタは絶対許されない、それを容認する奴もクソ」みたいな空気が怖かった。
自分が左寄りだから、そういうエントリの方をよく見てたり覚えてるっていうのはあろだろうが、
はてブって、左右6:4か7:3くらいで左寄り、リベラルだと思う。
だから今回のビンタ事件でビンタ絶対反対派9、容認派1になって、
容認しようもんなら人非人扱いされそうな雰囲気は凄く怖い。Twitterもそんな感じだった。
これがアメリカで起きてる分断かという実感があったし、ポリコレ疲れもよくわかった。
「ポリコレ棒」って言われるのもすげーよくわかった。
少数派が意見を口にするのも怖い状況って、それはそれでどうかと思うんだけど、どうなの?
正義マンってのは、自己判断で、良かれと思って、悪を断罪する人たちだ
「この人痴漢です」という声を信じ、被疑者をどこまでも追い詰めるような人だ
正義ぶったメディアもそうだし、廊下を走った子を捉えようとして廊下を走る委員長もそうだ
webで通報行為を繰り返す人もそうだし、SNSで皆で誰かに罵詈雑言を浴びせる行為もそれだ
関東大震災の時に朝鮮人を殺して回った人もそうだろうし、体罰をした指導者に非難するのもそうだろう
→その人の思想信条に依るし、騙されてる可能性もある、罪の大きさをその人が判断している
2.良かれと思っている
→自分が正しいと信じているせいでエスカレートし、タガが外れる
3.数の暴力に発展する
→同じ情報を多数の人が見ると、正義マンの反撃が果てしない規模で個人に向かう
この現象は構造的問題であって、一見すると非常に奇妙に見えるはずだ
正義の対象になる行為は、その程度が大きい場合もあるが、犯罪に満たない些細なものだったり、個人の思想依存のものだったり、それ以前に噂程度ということもある
しかし正義マンの逆鱗に触れると、ことの真相や行為の大小に関係なく正義執行されてしまう
「暴力は良くない」という理由で「暴力を振るわれる」というのが最も奇妙な例だ
そして、正義マンが自分で「このくらいの仕返しなら良いだろう」と思うような正義執行でも、その数が千や万になると大きな暴力となり奇妙な状態になる
正義執行がそもそもの行為の被害者や、関係者全員を不幸にするケースもある
そうなるともはや正義マンこそが悪という、これまた奇妙な状況が生まれる
こういった問題は、SNSの炎上や、ワイドショーのネタ、性の問題、ポリコレ周辺で多く発生していると思う
差別発言をしたものはリンチしてもいい、性犯罪者は皆殺せ、みたいな。おおよそ社会的な価値観とは合わない意見が展開されている
ただ個人で心がけることはできる
・真偽不明なことを拡散しない(自分の不用意な拡散が、誰かを正義マンに変身させている)
・正義マンの暴走を勇気を持って止める(これは非常に難しい。簡単に悪認定される)
ちなみに一時期、2chではこれが上手く機能していたことがあった
途中で「実は真相が違っていた」という場合に、安易にのっかって非難していた正義マン達が今度は追求される側になるという現象が起きたのだ
「こいつらは禄に調べもせず、スレの情報を鵜呑みにして叩いたバカだ」と言った具合に
私も何度も踊らされては、後から真相を知って自分の正義ぶった書き込みを恥じた覚えがある
やがて正義ぶった行為の愚かしさを学んでいくのだが、今の世の中全体の情報の流れ(SNS・メディア・ワイドショー)だと、そういうのが体験しづらくなっていると思う
そこはどうにかできるのでは? と思う一方で、暴走する正義マンはどこにでも居るので、仕組みだけじゃ解決しないなとも思う
https://anond.hatelabo.jp/20170831175916
無いな。
北朝鮮の先制攻撃による開戦、弾道核ミサイルによる飽和攻撃で日本はおしまい。ってストーリーだがおそらくその総攻撃を察知した時点でアメリカによる空爆でミサイルが叩かれる。
そして次に空軍が叩かれなけなしの戦闘機、地対空ミサイルがつぶされ制空権が奪われる。
この間おそらく数日。
当然海は第七艦隊、自衛隊、韓国軍により制海権を抑えられている。北朝鮮の海軍力は空軍よりさらに弱い。
陸上侵攻部隊は韓国陸軍が38度線で押さえる。むしろこの状態で侵攻ができるか、その意味があるかは謎。
ロシアは既にウクライナやシリアでアメリカと対立しているのでこれ以上火種を抱えることができるか?むしろ領土をかすめ取ろうとするかもしれない。
中国も南沙でアメリカと対立している、さらに北朝鮮自体が中国の抑えがきかず暴走している今援助を行うだろうか?
せいぜいが人道的支援という名目で食糧・物資が多少できるかもしれないといったところだろう。
その後の治安維持活動でゲリラ化した北朝鮮兵士との戦闘は起こるだろうがそれは組織的なものになりえず散発的なもので
(アメリカ軍はイラク・アフガンで疲弊してるのでもうやりたくないだろう)
批判派「暴走した中学生も悪いけど大人が手を上げたのはもっと悪いだろ」
擁護派「大人が手を上げたのは悪いけど暴走した中学生はもっと悪いだろ」
日野「手を上げたのは悪かったです」
中学生「僕も悪かったです」
https://anond.hatelabo.jp/20170831173534
>>世の中にはヤンキーでもいいし障碍者でもいいし癇癪を起したりパニックになったりする子どもでもいいし、そういう人物がいるわけだけど。
>>現実的なのは取り押さえたり平手打ちするというものだけど、ポリティカルコレクトネス的ではないよね。
>>まさか説得しろとか警察を呼べとか(警察呼べとやたら言う奴ってその労力と手間を全然理解してない場合が多いけど)思ってるんだろうか。
>>俺は幼い子供を子育てしてる親も子供が逸脱した行為を起こして迷惑かけてたら多少ぶってもいいと思うし、暴走したら取り押さえて平手打ちの一発でも食らわせればいいと思うよ。
注意されスティックを取り上げられてもドラムソロをやめなかった中学生を往復ビンタで制止したのは、
そして、私は今までバンドをやってきたので、演奏のスイッチが入ってしまった奴の狂乱っぷりを嫌という程間近で見ている!
これは個人的な経験談だけど、トランス状態になったプレイヤーを止めるのは狩の真っ最中のライオンを止めるのに等しいと思っている(笑)
そもそもプレイヤーが暴走してライブ中に演奏を止めるケースなんて極稀だが、
この10年間に2回遭遇している。(詳細を書くと身バレするので……)
ひとつだけ簡単に書くと、ドラマー(ラスボスみたいな人)が演奏中に流血し、
その量が尋常じゃなかったので流石に止めようって判断したけど、叩き続けて最終的に5,6人がかりで止めようとして……ということがあった。
あの時もし、漆原教授がいたら我々は吹き矢での制止をお願いしていたが……。
とまあ、暴走した人間(ライブに限らず)を映像やネット上の記事や遠目といった他人事の距離ではなく、
自分の間合いに入られたりいたことがある経験をしたことがある人は、少なくとも「ぶん殴って落ち着かせる」という選択肢が頭に過ぎるはず、だと思っている。
それを実際行動に移すかは個人の判断だが、私は今回の行動を支持します。
という話。
【上げてすぐ追記】
ということもあるので、今回の件を「なにがどうあろうと暴力!許されない!」と鬼の首をもぎ取ったかのように批判するのは短絡的かなと……。
そんな人あまりいないと思うけどね。
「うちの癇癪持ちな下の子は地団駄踏んでキーキー泣いてる時に私が両手を広げて笑顔で待ち構えてると、照れ臭そうな顔でこっちをチラッチラッと窺ってから腕の中に飛び込んで来るのでちょう可愛いわ。」
「まずは角を破壊したら怒り状態にならなくなるので、そしたら尻尾を破壊したあと落とし穴で捕獲。角破壊前だと激昂するので注意。つか部位破壊→捕獲なんて基本だろ」
「やっぱり手斧かなあ。」
ミスじゃなくて暴走。しかも5分以上ドラムソロを叩いていたという情報もある。
著名なトランペット奏者である日野皓正氏が、演奏の最中に共演していた中学生をビンタしたことが波紋を呼んでいる。
ジャズ・トランペット奏者の日野皓正さんが往復ビンタ 中学生との演奏会で 世田谷区教委「行き過ぎた指導。だがイベントは続けたい」 殴打された生徒は…(1/3ページ) - 産経ニュー
http://www.sankei.com/affairs/news/170831/afr1708310010-n1.html
ジャズミュージシャンが教え子に体罰に近い暴力を振るったということで、
音大でジャズドラマーを志望する学生を主人公にした映画「セッション」を連想したという声も多い。
青年がスパルタ教師のしごきによって疲弊していく様を描いたサイコスリラーだとか、
教師の手厳しい指導に食らいつき成長していくスポ根的ドラマというふうに捉えている人が意外にも多い。
僕が思うにそれはこの映画の評価して的を外したものではないかと思う。
「セッション」という映画は音楽に対して不遜な人間たちが共依存関係に陥っていく過程を描いた映画だ。
まず映画を通してみて主人公の演奏技術が向上したという描写はない。
フレッチャーの下心ありげな言葉を除けば誰もその演奏を際立てて褒めるわけでもなく、
観客がわかるような明白な上達の描写もない。
それは至極当然で主人公が「いい演奏をしたい」と思っていないからだ。
「上級クラスに入りたい。」「いい成績を収めたい。」「教授に可愛がられたい。」「ミュージシャンとして羨望を集めたい。」
主人公の欲求はいつも自己顕示的なことばかりでその視線はいつも自分に向いている。
音楽の道を志す動機もどうも浮ついていて、インテリジェントエリートとして将来を期待される従兄弟を持つが故の劣等感によるところが本音だろう。
印象的なのがチャーリー・パーカーのエピソードである。
チャーリー・パーカーがアドリブに熱を入れすぎてドラマーからシンバルを投げられたというエピソードが劇中の会話に登場するが、
主人公はそれを冷水を浴びせられた屈辱をバネに精進したと解釈するのだ。
本来ならば出鼻を挫かれたことで冷静に自分を見つめられるようになったという教訓を得るべき小話をナルシシズムによって曲解しているのである。
自分の対外的評価しか見えていないために独りよがりで思考が歪んだ主人公は家族にも恋人にも音楽院からも見放され最終的に孤立していく。
そしてそこに魔の手を差し伸べるのが悪名高いフレッチャーなのであった。
フレッチャー教授もまた音楽のことなどその実どうでもいいと思っている不遜者である。
彼の指導は支離滅裂で学生を恐怖心で抑え込みコントロールする以外の効果はない。
彼もまた音楽家として、指導者として羨望を集めることしか眼中になく、自分が携わる音楽のクオリティなど二の次なのである。
映画終盤で主人公を逆恨みしたフレッチャーは、実際とは異なる演目を主人公に伝えて舞台上で彼の音楽生命を絶たせることを画策する。
いい演奏がしたいという気持ちが微塵でも存在するならドラマーを罠にはめて演奏会を混乱させる真似など出来るだろうか。
フレッチャーもまた自己中心的な振る舞いが祟り音楽院から追放されたわけだが、
フレッチャーは孤立すればなお自分を崇拝する人間を渇望するわけである。
フレッチャーが主人公を罠にはめたのは恨みをぶつけるためでもあるだろうが、自分の手中に収められる無力な下僕を作り出すためもある。
何にせよなんの後ろ盾もない大学中退者で大ポカかました主人公に明るい未来は多分ないのだ。
誰からも評価されず未来もない孤独な青年だからこそ、因縁があるフレッチャーなんぞにわらをも掴む思いですがって行った。
そして名誉を得ることにしか価値を置いていないからこそ、主人公はフレッチャーという有名人と関わりを持つことに喜ぶのである。
どう転んでも演目にない曲を演奏して暴走することは失態である。あれはフレッチャーが自分を見捨てないであろうことに安堵しての笑いだ。
フレッチャーもまた青年がいいドラムを披露したから笑みを浮かべたのではない。
彼が完璧に無力な存在に成り下がり自分の支配下に置くことができるようになったことを喜んでいるだけだ。
話は日野氏の話題に戻るが、件の中学生もこの映画を見ておりスポ根ドラマだと誤解していたのかもしれない。
多分そうでなくて単にソロパート演奏中に気持ちが高まりすぎたという可能性が高いが、
何にせよあれは失敗というほかなく、演奏者として道徳として師である日野氏が叱責すべき行いだっただろう。
舞台上という表立った場所で感情的な振る舞いをしてしまったことは非難されても致し方ないのかもしれない。
しかし氏の叱責そのものを否定するのは当該生徒含めイベントに参加していた生徒にもあまりよろしくないのではないかと思う。
当該生徒やイベント主催した世田谷区が氏に一定の理解を示しているのは幸いだ。
せたがやこどもプロジェクト2017《ステージ編》 日野皓正 presents “Jazz for Kids”
というイベントだった。
会社に入ってプロジェクト等々人生で催し物に携わったことある人は分かると思うけど、色々な人が関わっている。
イベントが大きくなればなる程に。
前々からスケジュール組んで、出演者との交渉、場所、機材のレンタル、チケットやチラシのデザイン等々色々な人が走り回る。
そんな中でやっと迎えた本番で中学生のドラマー(日野さん好きだそうで)が暴走!!
日野「まじかよ」
って思っていたんだろうなあ(笑)
そんな状況の中での対応ごくろう様でしたとしかいえない。日野さんも当人も父親も謝罪して丸く収まりました。
という中、
どんなに非があっても暴力は駄目
と主張する人は本当なんでもいいんだなと思いました。
当事者じゃないもんね。
なんでも言えるし。