体罰が無くならないのは、体罰を行使する人間と、それを受け入れる人間が居るからだ。要は、今回のように「有効な場合がある」からこそ無くならないんだ。でも有効性のある暴力が認められてしまえば、脅しやら何やらで無理矢理有効にしようとする人間が現れることは容易に想像が付く。それをどうやって判別する?
今回のことは日野某にとっても成功体験となっただろうし、今後も改めることはないだろう。次に氏に体罰を受ける人間がそれに耐えられる人間かどうかは誰にもわからない。
「だったらどうしたらよかったんだ」というが、そもそも暴力という選択肢が存在することがおかしい。殴ったら止まるなんてことはベテラン指導者じゃなくても誰でも思いつく。ただそれは暴行であり犯罪だ。それをそのまま実行し指導だから見逃せとのたまう、ちょっと自分に甘過ぎやしないか。それに殴っても止まらなかったらどうするつもりだったんだ。締め落とすのか?逆に殴り返されたら?
殴打ではない拘束、連行。これだけでもだいぶ印象が違ったんじゃないかと思うが、個人的には「暴力以外に止める手立てがない」と判断した時点で演奏会を中止すべきだったんじゃないかと思う。予想外のトラブルによる中止。払い戻し金等が発生するかもしれないが、その場合は発端の子の親と協議し負担させるなりすれば、彼も自分のしたことの重大さに気付くだろう。
【追記】
拘束や連行が髪を掴む、ビンタと同等以上の暴力なの?マジで?例えば演奏中に無理矢理ステージに上がろうとする観客がいたとして、周りの人、あるいは警備の人は説得不可ならとりあえず体を掴んだり引っ張ったりするなりして止めようとするよね?いきなり殴るやついる?
【さらに追記】
賠償云々のところに噛み付く人が多いが、罰則をどうするかはそれこそ当事者間の話。子供のやったことだからそこまでの罰は酷、という判断もあるだろう。ましてや世間の声もある。あるいはその場で「このままでは中止になりかねない」ということを本人に直接伝え考え直させる手もあった。強制退場の過程で改める可能性だってある。そういうものをすっ飛ばしていきなり殴って黙らせることを是とするのか?
こういう人って実際に中止して損害賠償請求したら「子供相手に大人げない」って言いそう。
体罰って言葉を禁止にしたらいいんだと思う。傷害でいいじゃん
体罰を正当化してはならないが、加害者側にも同情の余地はある。 大人だって、クソガキの迷惑行為を見ればカッとなってしまうことはあるし、そういうときは情状酌量を認めてほしい...
殴られる側が納得してれば不特定多数の前で暴力行為をやってもいいという人達がゾーニングにもきっちり反対してるのかが気になる はてな村では性表現はゾーニングすればいいという...