はてなキーワード: 心臓マッサージとは
心肺蘇生法は2005年に大幅に変わりました。これまでは、胸骨圧迫心臓マッサージを15回やって人工呼吸を2回する方法がよいと教えていましたが、それではあまり心臓を押せていないことがわかりました。そこで多くの実験ならびに臨床研究の報告を調べたところ、胸をしっかりと圧迫して人工呼吸は浅く小さい方が、ずっと効率がよく生存率も高いことがわかりました。
へーへーへー
医師でも看護師でもない素人だけど、駅で倒れた人が意識と呼吸がなく、顔も真っ白になってたから心臓マッサージ(胸骨圧迫)した。
直接的に効果があったのかはわからないけど、息を吹き返したので良かった。
救急隊が来るまでにある程度(寝ぼけてるみたいな状態だけど)意識も回復していたので、たぶん大丈夫だと思う。
十年くらい前に地元の消防署で上級救急救命講習(横浜市の例:http://www.ydp.or.jp/guidance/kousyu02.html)を受けたことがあるだけの素人でも、たぶん役に立てた。
ほんと良かった。活かす機会が実際にあるなんて思って受講してなかったけど、あるもんだ。
受けてなかったら手を出せてなかったし、あの周りの様子だとたぶん他の人がやっていたって可能性も低かったと思う。駅員さんもこちらが言うまで心臓マッサージとか考えてない風だったし。
講習受けてて本当に良かった。今度、もう一度行こうと思う。
思ってる以上に強めの力だから。十年前でもちゃんと習って覚えておけば、体が覚えていた。
これ読んだ人はできれば講習受けてみてほしい。身近な人が必要な状態にならないとも限らないし、即座に開始できると有意に救命率上がるらしいから。
意識と呼吸がないのに、心臓マッサージできる(というかやるという発想?の)人が他にいなかったみたいで、周りに数十人いたけど交代要員はいなかった。駅員さんも交代の素振りや提案とか全然なかったんだけど、そういう講習って受けてたりしないのかな…。今回は幸い交代が必要なほどの時間もかからず息を吹き返したから、良かった。
私も今後誰かが倒れて、看護師さんらしき人がたとえ既にいたとしても、それが一人だけだったら「プロがいるなら大丈夫だろう」なんて思わずに交代要員として居た方がいいかくらい提案しようと思った。
今回実績解除したから、他の未経験の人よりは交代要員として役に立てるかもしれないし。
駅員さんいっぱいいるんだからマニュアルあるだろうし誰かしら持ってきてくれるだろうと思っていたけど、甘かった。救急車は普通に駅員さんが呼んでくれた。
息吹き返したあとに、「AED、いらないですかね?」って聞かれたくらい。次回こんなことがあったらガイドラインどおり、まず最初に指名してAED持ってきてもらう指示を出す。
「これもしや肋骨折れたか?」って頭をよぎったけど、「いやこんな簡単には折れないよねきっと」と思い直してそのまま続行した。
"適切な心臓マッサージは肋骨の骨折を伴う"なんていう話もあるようだし、もしかしたら折れてるかもしれない。だとしたらたぶん3,4本折ってる。ごめんなさい。
正直私がやった心臓マッサージが適切だったかもわからないけど、でもあの状況ではやらないとか止めるとか、私にはできなかった。
心臓マッサージ開始してからちょっとの間は全然反応もなくて、たぶん1,2分で息を吹き返したんだけど、その間、自分の手の触れている・押している・目の前の人がこのまま亡くなってしまうんじゃないかとめちゃくちゃ怖かった。そんなわけないのに、このまま亡くなったら自分のせいかもとすら一瞬思った。
変にこわばったようになってた口元がふっと動いて、呼吸が再開されたときは本当に本当にほっとした。
連想したのも不謹慎かもしれないけど、祖母が亡くなるのを看取ったときは"息を引き取る"っていう言葉のとおり、本当に最後の一呼吸は吸って、そのまま吐かずに亡くなった。
まあ、両方ともそう見えたってだけかもしれないけど、両方とも言葉通りだったから、なんかすごいなって思った。
結構大きな駅の、それも救急車が止まれるような地上の出口から一番遠いようなホームだったから、結局救急隊が来たのは人が倒れてから20分近く経ってからだった。
かなり遅い時間だったのもあって、たぶん駅員さんはよくある泥酔した人に救急車呼ぶみたいな感じで呼んでたんだと思う。救急隊は全然深刻そうじゃなくて、ホームに上がってきてからも近づいてくるまで駆け足じゃなく普通に歩いてきていたし、倒れた時に意識と呼吸がなかったことも全然伝わってなかった。
だから、倒れた人の連れの人と救助者(私)を(どっちがどっちか)確認して、リーダーらしき人が即座にこちらには何も聞かずに帰そうとしてきた。
情!報!共!有!倒れたのがただの酔っ払いだったら駅員さんがあんなにいるのに残ったりしないよ…。
ほんと、駅員さんってこういうときのマニュアルってないものなの???
最初にホーム担当らしき三人くらいがすぐに駆け寄ってきて、あとから追加で三人くらい来てたけど、20分の間に救急隊を構内に案内する人とかに情報共有することできたんじゃないのかな。改札からホームまでの間に、最低限の容態を伝えたりできなかったのかな。
もしすぐに息吹き返してなかったら・または一回息吹き返してもまた急変していたとしても、救急隊はホームに上がってくるまでその状況を知らされてなかったのかと、怖い。
心臓マッサージそのものよりも、救急隊の方とのやり取りの方にあとからだんだん不安になったので。
<息を吹き返してから15分弱、駅員さんと共に呼吸や脈を確認しながら状況説明のために待機>
<救急隊到着>
救急隊リーダー(以下救)「(倒れたのは)この方ですね。お連れの方と救助者は?」それぞれ確認
救・私に向かって「お礼を言うことくらいしかできないんですが…ありがとうございました。」と私を帰そうとする
私「あ、あの、心臓マッサージをしたので、状況をお伝えしたいんですが」
救「えっ…、心臓マッサージしたんですか?」
私「はい。倒れられて、意識と呼吸が確認できず、顔色が白くなっていたので、hh時mm分頃から1,2分ほど心臓マッサージをして、呼吸が回復しました」
救「看護師の方ですか?」
私「いいえ。ただ、消防署の救急救命講習を受けたことがあります」
救「脈は取られました?」
救「あー、ですよね…。わかりました。お礼を言うことくらいしかできないんですが、ありがとうございました。」
<お連れの方と駅員さんにもお礼を言われて、帰路へ>
という感じ。
脈を確認してないと伝えたときの反応が「確認もしてないのに心臓マッサージしたのか」っていうものに見えたので、
帰りの電車内で、「やったのが間違いだったのか?余計なことしたのか?私がやったのはただ倒れた人の肋骨を無駄に折ったかもしれないだけなのか?」ってすごい不安になったし、悩んだ。この間の土俵上の件を見て安易に真似した出しゃばりか、って思われたのかな、とか。
家に帰って落ち着いて、JRC蘇生ガイドライン(http://www.japanresuscitationcouncil.org/wp-content/uploads/2016/04/1327fc7d4e9a5dcd73732eb04c159a7b.pdf)を確認したらやっぱり心臓マッサージの前に脈を取らなければならないとは書いてなくて、意識と呼吸がなければすぐさまとにかく心臓マッサージするべきらしくて安心した。
もちろん患者が目の前にいて、ただの協力者に気を配ってる場合じゃないのはわかるけど、せめて「"ちなみに"脈は取りました?」って言ってくれていれば、追加情報として欲しいだけなんだなって分かったからあそこまで不安にならなかったな。
ガイドラインには
CPR に熟練した医療従事者が心停止を判断する際には呼吸の確認と同時に頸動脈の脈拍を確認することがあるが、市民救助者の場合、その必要はない。
ともあるから、多分期待されて聞かれただけなんだと今は思っている。
この間の土俵上の件のとき、ふと疑問に思ってくも膜下出血などの脳疾患でも心臓マッサージしてよいのかを日本循環器学会のプレスセミナー質疑応答ページ(http://www.j-circ.or.jp/about/jcs_press-seminar/index06.html)で確認して、ブコメに書き残したので覚えていた。読んだだけだったら忘れてたかも。
「開始の時間を記録しておいた方がよい」ということもブコメに残してそれも覚えていたので救急隊に開始時刻伝えたけど、メモを取るでもなく普通にスルーされたから、それはどうでもいいのかもしれない…。
人が倒れてから2分経ってないくらいで開始できた、そういう判断に至れたのは、あの件があったときにはてブで横断的に情報を読んでブコメして覚えていたから。はてブやっててよかった。
以上です。読んでくれた人いたらありがとう。
今更ですが書き方が良くなくて誤解を招いている部分があったので、訂正を。
救急救命講習の例として横浜市を挙げたのは私が横浜のものを受けたからであって、件の駅は、横浜駅ではないです。
紛らわしい書き方をしてごめんなさい。
また、駅員さんの対応の件を意見として申し入れては、という反応もいただきましたが、
救急隊が来るまでの間に駅員さんには住所氏名電話番号を伝えてあって、面が割れていて、しかも毎日使っている駅なので、ちょっとその勇気はないです。
当日の行動はちょっとの躊躇いを振り切れた必死さが上回ってどうにかなりましたが、本当はより広く影響を及ぼせるかもしれないそちらの方には、どうにも踏み出せません。
やっぱり私には人より特別な勇気などないし、勇者なんかじゃないんだと思います。
でもそういう普通の人間でも、知っておけばなんとか行動することができるかもしれない、という風に読んでいただければ幸いです。
多くの方に読んでいただけて、いつかどなたかのお役に立てそうで、とても嬉しいです。
ありがとうございました。
とりあえず心臓マッサージの交代として上がってた女性達への攻撃を一部を貼っとく、脳卒中には心臓マッサージが必要ないのにやっていた等、心臓マッサージをしていた女性達へのバッシングまであった。頭がくらくらする。
土俵まで入り込んで野次馬しにきた女達。何の役にもたってない。あれだけ人数いるのだか、人が増えるほど作業がしにくくなると何故わからないのだろうか?
事件が起きて、土俵に上がれるから興味本意で登ってきたようなもの。
女の人たちもっと賢くならないと。
何故に野次馬女2名を削除してんの?
それで、人命救助してる看護師の女性2名だけの映像写して性差別?
ヾノ・ω・`)イヤイヤ
マスコミ……怖いな……
こうして洗脳が始まるんやろうな……
相撲のアナウンスのやつ、タイミングが明らかに後から来た野次馬女が上がった直後なんだけど。
あの女の人二人組が土俵に上がって何もしないでうろちょろうろちょろしてただの野次馬に見えたからアナウンスでそう言ったんじゃないですか
#大相撲
言い方にもよるけど、心臓マッサージした女性1人やん。野次馬の女多すぎじゃない??笑
ただつったてる女達にいってるんじゃないの?そいつらはおりろよ(笑)
野次馬女が何か手伝いしたんですか?
立ってただけですよね?
それとも土俵から降りろっていうのは女性差別って言いたいだけなんですか?
ちゃんと調べたほうがいいですよ
野次馬女については何も触れないんですね
舞鶴市長が倒れた時のアナウンスの件、問題のアナウンス直前にふわふわ〜って土俵に上がってきた謎の女2人に言ったんじゃね?とも取れる。
まあそれでもアナウンスは言葉選び間違ってる。とっさに出た言葉かな?
どうでもいいけど。
正直、相撲アナウンス問題は「医療関係者以外の方は降りてください」って言えば良かったのにな。最初に上がってた女の方は知識ある方だと思うが
後から上がった2人組の人は野次馬みたいな感じだったし邪魔なだけだろって勝手に思ってる。アナウンスの人は先走ってしまったんだな
勘違いされてる方も多いですが
土俵から降りてとは心臓マッサージしてる女性の後で来た野次馬女二人に言ったものですよ
テレビの映像しか見てないけど心臓マッサージしてる人には行事さん降りろって言ってなくない?あとから来た女の人二人に言ってるよね?すでに処置しはじめてたんだから、その二人には言って間違いではなくない?どんな人かはわからない訳だし。それこそ野次馬みたいのが続いて上がってきたらやばいよ
自分の理性を、素朴な解答を、あなた自身が懐疑的すぎるきらいがある
自分の信じる正しさを証明するようなものは外部には一切存在しない
あなたの信じる正しさを保証するものは、あなた自身の知性と心以外に他ならない
六法全書を読んで自分の考えや思考が正しいかの答え合わせをしたり、
哀れな老人の気持ちを汲み取り、理解したつもりになって、自分の正しさの答え合わせをする
それのどこに正しさが在る?
単に自分の持つ正義感に対して、自分で責任を取れない故に、いわば他人に自己責任論を押し当てて無関心になっているだけだ
俺は自分以外の80億人、100億人、1000億人から間違っていると指摘されても
正しいと心から信じているのならば最後までその正しさを主張する
お前が心から正しいと思い実行できるということは、
それほどのリスクや外部からの評価を得てしてもなお揺るぎないほどの価値観がそこに存在するからだ
全力で俺はNOと答える
例えば、地球が宇宙人に支配されて毎日生贄に子どもを差し出さなければ人類が滅びるとする
それでも俺はNOと答える
子どもを生贄にしなければ生き残れない種になったのであれば、全滅し、それ以上の犠牲者を作らないことが善だと判断する
死は恐れることが当然だといったな
だが理性はその当然な事実から真正面からぶつかりにいける勇気も生み出す
勇気がなければ怒りでもいい
死地に面した人間が誰しもが悲観にくれ絶望してきたわけではない
例えそれが狂気であったとしても人間は自らの手で死を選ぶことができる
問題は、死に対して恐怖があるかどうかではない
死という恐怖と衝突する際に人間らしい姿勢でいられるかどうかだ
人間の尊厳を守るとは、人間が人間として、本人の平時に思い描く理想的な死の形を実現することだ
困窮し、緊急であり、非常な人間性で、本来望んでいた形を迎えられないからこそ、死の準備が必要である。
死の準備を怠った老人は見難く、哀れで、同情する隙間に溢れているだろう。
あなたが未来のあなたに同情せずに済むようにそういった動物として自然な反応を示す老人で良いと思わない方が、
何事にも準備を怠るな。
なぜ昔は栄養失調からの衰弱死が老衰と呼ばれ本人も周りも受け入れたのに、
今は枯れ木のような体に電気ショックで心臓マッサージを試し瞳孔にライトを当てなければいけなくなったのか
よく考えて欲しい
幼少期から夢遊病で、三十路手前の今もはっきりした寝言はしょっちゅう。起き上がったり動き回ったりする。
就職で家を出て一人暮らしになると目撃する人物がいなくなり指摘される機会が減ったため、少しは改善されたかと思っていた。しかし最近結婚し、やはり度々指摘されるようになった。頻度がそこまででもないため(派手なのは月1-2回程度)、対策は取ってこなかったのだが、昨夜初めて配偶者を攻撃してしまい落ち込んでいる。聞いた話では以下の状況である。
(どついたのではなく心臓マッサージをしようとしたのではないかと推察しているがまったく記憶がない/寝る前に通電を行う殺人事件のwikipediaを読んでしまったことが影響していると思われる)
寝室を別にするのも検討したが別室で叫んでいるとより気になるということで現時点では見送りとした。おとなしく寝る方法があるなら一番いいのだが...。
また、夢を覚えている(夢とリンクした行動を取っている)ことと、夢の記憶が全くない2つのパターンがある。同じメカニズムで動いているのか別なのかも気になっている。
医者に相談しようかと思うが何科がいいのか、解決できるものなのか悩んでいる。同じような悩みを抱えている人や解決策を持っている方がいたらお聞きしたい。
今回のビンタ事件は、ああいう場では仕方がなかったと思ってる。
照明消して緞帳下ろせとか、羽交い締めにして引きずり出せとかいうけど、
その上スティック奪ってたのに手で叩いてるのは、とっくにボーダーラインを超えてる。
「トランス状態に入ってる」という無難なブコメがあったけど、アレな子だったのかなとも思う。
そういう子の暴走を止めるのに緞帳下ろしても止まるわけないし、
羽交い締めにしても、それはそれでスキャンダルになるし、外向きには「屈辱的な行為」に見えるだろう。
ニュースでちらっとみた程度だけど、ビンタ後に彼の暴走が止まったのなら、
その場での正解だったわけで、それについては外野がどうのこの言えるもんじゃないと思ってる。
一回女性に覆い被さっている男を引っぺがしたのに
また女性に向かっていったらお前らどうするの?殴ったりしないの?
もう一度取り押さえても暴れたら、殴るだろ?
「金属に触れるとまずいから、ブラジャーを外すべきだ」と思っている
(今は外す必要ないらしいが、一昔前の講習だと明言していないらしい)人が、
ブラジャー外してたら「セクハラだ、やめろ!」っていうの?(「ブラ外す必要がない」ではなくて)
心臓マッサージする時、肋骨が折れる場合があるらしいけど、折れたら「暴力医者だ!」って医者訴えるの?
おおげさかもしれないけど、日野にとってはステージは命がけの現場だろうし、
それをブチ壊されて、スティックを奪ったのにそれでもドラム叩く奴は、
ひっぱたくくらいしかできないだろう。
特に日野はそういう世代だから、とりあえず手が出ちゃうと思う。
麻生の「軽口」同様、世代の病みたいなもので、同情しなくもない。
麻生については、政治家なんだし、総理大臣時代から散々叩かれてるんだし、
俺自身は左寄り、体罰絶対厳禁派で、ポリコレ的な見方は嫌いじゃない。
それでも、今回の「ビンタは絶対許されない、それを容認する奴もクソ」みたいな空気が怖かった。
自分が左寄りだから、そういうエントリの方をよく見てたり覚えてるっていうのはあろだろうが、
はてブって、左右6:4か7:3くらいで左寄り、リベラルだと思う。
だから今回のビンタ事件でビンタ絶対反対派9、容認派1になって、
容認しようもんなら人非人扱いされそうな雰囲気は凄く怖い。Twitterもそんな感じだった。
これがアメリカで起きてる分断かという実感があったし、ポリコレ疲れもよくわかった。
「ポリコレ棒」って言われるのもすげーよくわかった。
少数派が意見を口にするのも怖い状況って、それはそれでどうかと思うんだけど、どうなの?
http://innervate.exblog.jp/26821959/
●心臓マッサージを受けた全患者の87%(男性: 86%、女性: 90%)が何らかの骨折(胸骨 and/or 肋骨)をする。
●肋骨の骨折は全体の80%の患者に(男性: 77%、女性: 85%)、胸骨の骨折は全体の65.3% (男性: 59.3%、女性: 78.6%)に見られ、胸骨の骨折はかなりの確率で肋骨骨折を伴う。
https://plaza.umin.ac.jp/GHDNet/07/r2-law.htm
民法698条は、「管理者は、本人の身体、名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは、悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない」と規定しています。
もちろんそのつもり。
もちろんかわりにせめてそんな理由で死ぬ人がいるなら少し踏みとどまってくれたら、同じ思いをする人が少しでも減って、苦しいところから出るきっかけにでもなってくれたらいいなって思ったんだけど、変かしらね。
死にたいって常々考えてる人にはもう効果はない!ってのは身をもって知った気もするからまあそうなんだろうけど。
でもまー、軽症の人は少しくらい一時停止してくれたらいいなって事なんだけどナー。
もちろん、今から死にたい人がすべて同じ考え方でそうなってるわけじゃないのは承知してるんだ。
ここならモヤモヤ吐き出しつつ誰かの目にとまってなんかのきっかけにもなるかなーって思った、それだけ。
あとロープはキッチンバサミですぐ切れるから慌てず(まあ慌てるけど)、そんな大仰なもの探したり解いたりしないでも大丈夫、とりあえずキッチンバサミで切ってください。
あと救急にコールするときは可能ならスピーカーホンで繋ぐと安心かと思います。まあ安心な状況ではないが。
あと可能なら周囲に人がいたら大声で呼んで自分ともう1人で救急来るまで居ると助かります。心臓マッサージは思ってる以上に疲れる。マッサージはビー・ジーズのStayin'alive のリズムでやると良いらしいよ。
生きていればどうにか朝は来るんだぜ。
※中高年の虚無感、諸行無常感、燃え尽き感などにはご家族の皆様十分にご注意を。甘くみていると根は深く暗いかもよ。親がなんだか最近ぼんやり、疲れて無気力、食べる量すこし減ったかな、寝るのやたら早くなってきたな、とか。
気をつけてみてくださいね。
いくら現実世界とは違う世界観だとしても死んで酸素が脳に回らなくなった時点で脳細胞が死滅し始めているのに、
死後の念で心臓マッサージをして蘇生はいくらなんでもそれは無いだろという感想しか出てこない
数年待たせて暖めたネタがあれだともう今後に期待できないと思う
暗黒大陸編の導入は物凄いワクワクしてたし再開直後は楽しみだったけど、
面白い漫画で続きが気になるものなんて時間が経つにつれてどんどん増えていくし
過去の面白い漫画も電子書籍化されて追いかけるのが大変になってきた
クオリティも下がってる
あんな内容でもやっぱり信者は変わらず応援する姿勢を崩さないのね、
とひとしきり観察しきった後にもうコミックも集めなくていいのかと安心できた
同じ風に感じている方がいるなら、今いる子を可愛がって欲しいと、そう思う。
あと、決して後味のいい話ではない。
愛犬、と言いながら、実際に愛していたかといえば、怪しいものであった。
中学生のとき飼い始めた小型犬は、自分のしつけと世話がへたくそだったおかげで
飼い始めて5年後くらいに父の実家の祖母に飼われることになった。
散歩がろくにできないこと、糞尿の処理が面倒だったこと、
頻繁に洗えなかったこと、そしてその汚れや臭いで、
更に近づこう、触れようという気持ちが遠ざかることの悪循環だった。
全てにおいて未熟そのもので、そして同じく犬を買い与えた親ですら
汚れて狭いケージで過ごした5年間は、彼にとってはさぞかし地獄だったろうと思う。
祖母に引き取られてからの8年間は、ケージの中でなく、自由に家の中を歩く事ができ、
1日2回の散歩に連れていってもらい、月1回のトリミングとシャンプーで
不潔であることはなくなった。当たり前のことだった。
引き取った頃はガリガリに痩せていて、カーテンや畳に尿をかけて大変だったと聞いた。
祖母を信頼するようになったら、徐々にそういったことが減り、
よく『笑う』し返事するようになった。
(愛されている犬の写真というものは毛並がきれいとか、瞳が輝いているとか、
それ以外にも、『表情が笑っている』ように自分には見える。)
祖母に引き取られた後も、時々顔を見せるようにしていたが、
久し振りだね、元気にしてた?遊んでよ、と寄ってくる。
自分はますます彼をきちんと世話できなかったことで自分を責めた。
でも、彼にとっては自分からの愛情がほしかったのだろうとおもう。
祖母のことは好いていたけれど、それとは別に、自分からの愛情が。
祖母はたまに嫌味を言ったが、それでもこんなに笑って幸せそうに暮らしているのなら
彼にとってはそのほうがずっとずっといいと思っていた。
あんな飼い方をするより、嫌味を言われるくらいどうということはないと思った。
(その後その犬は胃を患って、ご飯が食べられなくなり、今から5年前に息を引き取った。
可愛がっていた祖母はたいそう悲しんでいた。)
その犬が祖母に引き取られて数年たたないうちに、
また親が別の犬を家に連れてきた。
同じ職場にブリーダーがいて、このほど子犬が生まれたのだという。
もしペットショップなどで購入したら30万くらいだろうと思う。
それを20万で譲ってくれるというのだ、試しに1日だけ家で見てみないかと、
自分は世話ができないので、全て親が見るのならいいが、
そうでないのなら飼うべきでない。こんなにかわいいのなら他に飼い手が見つかる。
絶対に返してきて、そう何度も念を押した。
その次の日、自分は遠出の予定があり、外泊したため家に2日ほど帰らなかった。
帰宅したらどうだ、察しの通りあの犬はまだ家にいた。
飼うことに決めたのだと。今度は狂犬病予防もワクチンもフィラリアの知識もある、
散歩も協力して行こう、ということで支払が済んでしまっていた。
それから10年、やはり親は忙しいという理由で散歩にいくことはしなかった。
家に人が尋ねれば、誰かが来たことにワンワン鳴いた。
犬のいる部屋で家族の誰かと誰かが触れ合ったりすると、羨ましがってワンワン鳴いた。
洗濯かごを持てば、また部屋に人が戻ってくることが分かっていたから、やはりワンワン鳴いた。
あんなに放置しているのに、なぜだか親に一番尻尾を振っていた。
自分は多分2番目だったと思う。
この犬もやはり、誰の愛でもなくて親の愛が一番欲しかったのだと思う。
その犬を飼い始めて3年後、大学最後の1年だけ単位が足りず恥ずかしながら
就職したとき、きちんとお金で返すと伝えたが、お金は要らないが、
1日いくらなのか、どれほどの期間世話をしたら元が取れるのか、
結局そのあたりの協議があいまいなままだったため、最後まで自分が世話係だった。
あなたにお金を払ってやってもらっているのだからやれと言われただけだった。
犬を飼育する上で最低限のことは欠かさずやっていたが
日常生活においてはたまに(1.5か月に1回ほど)洗って、爪を切って、
そのまま散歩したり遊んであげたりするだけで
毎日散歩などしたことがなかった。ひと月に1~2回、あればいい方だった。
生かさず殺さず、ただ狭いサークルの中で、生き地獄だったろうと思う。
4年前の今頃、ある朝ご飯を食べたがらなかった。
カリカリでも、おやつでなくても、残さず平らげていた子が珍しいなと感じ、
その日なんとなく、仕事の休憩中に今の犬も広義にはネグレクトなのでは、と思い
動物愛護団体に賛成するような人の、立派に犬を可愛がって育てている飼い主の意見が沢山でてきた。
それと同時に、こうしてサークルやケージの中で一生を終える犬が1/4くらいいることも知った。
ますます責められているように感じて、帰宅したら散歩に連れていこうと思った。
帰宅したら、おやつはなくなっていたが、ご飯を全部食べておらず、
お水も飲めなかったのか鼻が乾いていて呼吸が浅く、ぐったりとして、明らかに普通ではなかった。
最寄りの動物病院はすでに終わってしまっていて、電話をしてもなしのつぶてだった。
しかしながら、時間外でもたまに電気がついていることがあったので、
親の帰りを数分待ってから、ダメ元でも直接尋ねてみることにした。
親が病院の裏口に先生を呼びに行ってすぐ、犬の咳が激しくなった。
今まで聞いたことのないタイプの咳だった。包んだタオルに薄い血がついた。
処置室に運んですぐ、鼻と口から血を出して、突如首の力が抜けた。
もうダメかもしれません、覚悟してください、とお医者様が言った。
心拍を測る金属製のピンチを足の付け根の皮膚が薄いところにつけ、
血を吐かせて、心臓マッサージと酸素吸入をしたら、再びもがくように動いた。
そのまま酸素を嗅がせているだけで違うと言われ、吸入器を鼻に近づけ続けた。
肺水腫あるいは心臓疾患と診断された。
肺に水が溜まり、充分な酸素が取り込めず、呼吸困難に陥っているという。
強力な利尿剤を用いて下から水を排出できれば、なんとかなるかもしれない、
その間血液検査をしたり、レントゲンを撮ったりしながら様子を見ていた。
時折苦しそうに口から血の混じった水を吐きだしたが、
意識がはっきりして目がうごき、こちらを見る余裕がある瞬間もあった。
2回ほど呼吸が止まり、挿管して気道を確保したりした。
小さな体の半分ほどの長さもある管を、入れられる様は言葉にならなかった。
もうやれることは全てやりましたので、あとは酸素室に入れて薬が効くのを待って、
数分と無かったと思う、突如よろよろ立ち上がり、そして酸素室の奥へ行き、
それから動かなくなった。
大量に血を吐いていた。
診察台に戻し、心拍数を測りながら、心臓マッサージと酸素吸入を続けたが、
ほどなくしてそのまま動かなくなった。
お医者様が何度も、力になれず申し訳ございませんと、頭を下げた。
それ以上に、時間外でも嫌な顔をせず、ここまで処置をしてくれたことを
有難く、本当に申し訳なく感じて、ただ、ありがとうございましたと伝えた。
小さな箱に入れて、亡骸を渡されるまで、待合室で、
彼が生きた人生はどうであったろうかと考えていた。
親に「もう犬は飼わないで」と伝えた。
人生の8割くらいを、あのトイレと寝床とエサ入れと水入れしかないサークルで過ごし、
どんなに寂しい想いをしただろう。構ってほしくて吠えただろう。
あの時急変したのは、お医者様に預けて、帰ってしまいそうな自分たちを見て
1人で逝きたくなかったから、酸素室から出たかったからではないだろうか。
ペットを愛している方から、後悔するくらいなら親などあてにせず、
怒りをぶつけられても仕方のないことと思う。
何故こんなことを書き綴っているのかもよくわからない。罪から逃れたいのだろうか。
親のせいにして、自分のせいにしたくなくて。
けれど、どうして救えなかったのか、愛せなかったのかを考え続けている。
友人に犬が亡くなったことを知らせたら、「愛されて幸せだったと思うよ」と言った。
けど、そうではない、愛されていたら、こんな終りではなかったはずだ。
今朝餌を食べたがらなかった時点で、医者に連れていけたはずだ。
その日の夜に、合同葬の予約を取り付けて、夜眠れなくて階下に降りたら、
玄関口に安置していたはずの亡骸の入った箱がなくなっていて驚いた。
親が自身の枕元に持っていっていた。
一人で寂しいだろうから、と言った。泣いていた。
彼は生きているうちに、ずっとそうしたかったんじゃないだろうか。
生きているうちに、親の布団で一緒に眠れたら、よかったのではないだろうか。
毛が付くから、犬臭いから、そんな理由をつけて、一度もそうしなかった。
彼は他でもない、誰よりも親の愛がほしかったはずなのに。
泣くくらいなら、毎週のように旅行になんて行かず、
朝餌を食べない事くらい、自分ですら容易に気が付けたはずなのに。
追い打ちをかける言葉ばかりが出て、結局黙っているしかなかった。
あの日、強く反対していれば。
手続きを終えて、支払を済ませ、あとはお別れをしてきてくださいね、と受付の方に言われた。
祭壇の部屋で、安置された亡骸に、
ただ寂しい思いをさせて申し訳ない、
次はもっとちゃんと愛してくれる人のところへ生まれてくるようにと
一人で手を合わせた。
うちで飼ってた猫が亡くなった。
夜七時過ぎくらいにうちに帰ると、ドアを開けるなり娘が
「みーちゃんが息をしていない!」と大声で泣き叫んだ。
慌ててその場へ向かうと、押入れの手前下のちょうどそこだけフローリングになってる和室で静かに横たわってた。
体に触れるとまだ温かかったが、確かに息をしていなかった。
触れるとどんな時でも猫らしくぐるぐると嬉しがるのにまったく微動だにしない。
ふと見ると失禁というか、床には尿が大量に流れていた。
ともかくこのまま置いておけないと判断して、マンションのゴミ庫にあるダンボールを取りに行こうと玄関を出ようとするとちょうど買い物に行っていた妻が帰ってきたところだった。
「みーちゃんが亡くなったようだ」
と告げると妻は一瞬で表情を変えた。
ダンボールを取ってふたたび戻ると妻は動物病院に電話していた。
おそらく心停止して10分以上は既に経ってるから動物病院でも無理だろうと思いつつ、ダンボールにタオルを敷いてそこに入れた。
ふと、もう一人いるはずの息子のことが気になり、和室に引きっぱなしになってた布団をめくるとそこでゲームする息子がいた。
動物病院では、先生が酸素吸入しつつ心臓マッサージをしてくれたが、息を吹き返すことはなかった。
状況から、最初は押入れの段の上にいたが、そこから降りようとして失敗して落ちてしまい、頭を打ってしまって打ち所が悪く死んでしまったのではないか、とか先生と話したけど、遺体解剖するわけでもなく原因は分からない。
昨日まで、というか家にいた妻や子供の話では夕方まで、老いたとは言えそれなりにいつもと変わらない様子だったらしいし、腎臓は高齢とともに少し弱っていたが大した病気もしたこともなく、食事だって普通にとってたし排尿排便もまるで問題なしで、体重だって至って普通、予兆は全くなかった。年に一回の三種混合ワクチンも欠かしたことなく、その際にいつも軽く診断もしてもらってたし…。何れにせよ、原因は分からない。
うちにその亡骸を抱えて帰ると娘は依然として泣いていたが、息子がその死を理解できず、亡骸をみるもののすぐにゲームしようとしたので流石に妻が怒った。
でも、ほんとに理解できなかったようで、いずれ目を覚ますとでも思っていたらしかった。不意に息子が「これからどうなるの?」と聞いてきて「明日役所に引き取ってもらって焼かれることになる」と答えた時点で理解したらしく、突然大泣きしだした。
今年で17歳になる筈だった。
妻と結婚する年に、一人暮らししていた俺のマンションに妻が予告もなく生まれて間もない子猫を友達から貰い受けて連れてきた。
だから付き合いとしては多分、家族の中では一番長く付き合ったのが俺だろう。
彼女(※雌である)は子猫時代、恐ろしく元気でやんちゃだった。
俺は引っかき傷が耐えなかった。
あまりにとんでもなくやんちゃだったので俺も彼女をビシバシ叩いた。
そんなもんでやんちゃが止まることはなかったけど、カーテンを上るのだけは止めてくれたのが懐かしい。
思い出は語り尽くせないけど、なんとなく最近、死期は近いだろうなとは思っていた。人間にすれば90歳位だし。
亡くなって、実のところ、自分自身は特に悲しいとか感情は湧いてこないのが不思議。これからじわじわくるのかな。
16年と11ヶ月。ありがとう。俺がそっち行くまでまだ大分あるけど覚えててくれるかな。覚えててくれたらお前が一番気持ちよかったらしい尻尾の付け根をいっぱい叩いてやるからな(笑)