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はてなキーワード: 心臓マッサージとは

2014-10-20

http://togetter.com/li/732765

ご開帳前に「頂きます(=人=)」をしたのか?しなかったのか?

自分なら人工呼吸と心臓マッサージがごっちゃになって、おもむろに乳首吸ったり揉んだりしてしまいそう。

説明も面倒だから彼氏も一緒に吸っちゃえば、お別れ会として。

異常、ブクマにもついったにも書けなかったコメントでした。

はー、すっきり。

2014-10-14

犬が死んだ

ただただやりきれない。

電車に置き去りにされていた子だった。痩せ細ったパピヨン

駅に届け出て警察相談して飼い主さんの登場を待った。1ヶ月経ち2ヶ月経ち3ヶ月経ち、でも駅にも警察にも保健所動物愛護センターにも

どこにも問い合わせはなかった。

保護している間に健康診断を受けた。膀胱結石があった。

石の育ち方から少なくとも1年以上は放置されていたものだろうとの事だった。

これ以上石が育って尿道を塞いでしまったら腎不全になる恐れがある。

血液検査の結果、体の炎症を示す値も高かった。

ただ獣医師によると推定年齢が8~10であるし、やせ細ってしまっているので今すぐ全身麻酔を行う手術を行うのは躊躇われるとの事だった。

あと10日間で所有権が私にうつる事もあって、手術の日にちは11日後とし、それまで体重増加と体力作り(といっても朝晩散歩に行くぐらいだけど…

に努めることになった。

手術の日が来た。朝ごはんは抜き。

病院までちょっと遠回りして行った。散歩が好きな子だった。短い脚をちょこちょこ一生懸命動かして歩く子だった。

術後、5日間は入院になると事前に説明されていた。しばらくお散歩に行けないからね、と、でも体に負担をかけないように抱っこをして公園を一周した。

手術は3時間に及んだそうだ。子宮の酷い腫れも発見され、予定していなかったが急きょ子宮を取る手術も行ったとのこと。

手術が終わり、麻酔からも覚めることが出来た。夜、面会に行った。元気だった。

入院1日目。面会に行くと尻尾ブンブン振って出迎えてくれた。元気だった。

入院2日目。面会に行くと後ろ足で立ち上がって出迎えてくれた。抱っこをせがみ、点滴の管が外れるほど動き回っていた。

エリザベスカラーをしていた。獣医師に訊いたら、くるくる回ってカテーテルを体に巻きつけてしまうので防止にエリザベスカラーを付けたとのこと。

入院3日目。少し元気がなかった。抱っこをするとずっしりと重く感じ、お腹パンパンに腫れていた。

入院4日目。元気がなかった。あんなにフッサフッサと揺れていた尻尾がたらん、と垂れ下がっている。

それでも名前を呼んでアイコンタクトを取ると少しだけ尻尾を持ち上げてくれた。お腹パンパンだった。

明日夕方、予定通り退院出来そうです、と獣医師に言われた。

元気のなさが気になったが、翌日退院できるということもあって10分ほどの面会の後帰宅をした。

彼女が生きているのを見たのはそれが最後

その日の夜、病院から電話があった。突然悲鳴をあげて倒れ呼吸が止まっている、蘇生処置をしているからすぐに来てほしいとのこと。

傘も忘れて病院に走った。あんなに走ったのは小学生以来。

病院について診察室に駆け込んだ。そこには四肢を投げ出して横たわり、心臓マッサージを受ける姿があった。

名前を呼んだ。とにかく呼んだ。本当の名前はなんだろう、この子は置き去りにされるまで何と呼ばれていたんだろう。

本当の名前で呼びかけていたらひょっとしたら戻って来たのかもしれない。わかんないけど。そんなことを1夜明けた今思っている。

先生心臓マッサージの手を少し止めるととたんに心電図の数値が乱れる

心臓を動かす薬は全て入れたそうだ。

お尻に手を当ててみた。少しずつ体が冷たくなっていくのがわかった。

これはもうダメなんだなと思った。

先生は「これ以上はもう…」と口にした。20分間の蘇生処置。戻ってこれなかった。死んでしまった。

死因は心臓発作だった。心因性の可能性が高いらしい。

元気になったら家でお迎えをするか里親さんを探すかは決めかねていた。

から私は彼女ママにはならなかった。だけどママになってあげればよかった。

亡骸に「ママだよ、私がママだよ」と声をかけてあげても、もう遅い。

一緒に暮らした間、自分の犬同然にケアをし可愛がったけれど、もっと早くに自分里親になるという決断をしていればよかった。

そうしたらちょっとは頼もしかったのかもしれない。医学的には根拠のない発想なのかもしれないけれど。

前の飼い主がもっと早くに結石に気づいていれば、服薬で治療出来ただろう。

前の飼い主が避妊手術をしていれば、子宮病気にならなかっただろう。

そうすれば今回の手術は必要なかった。身体に負担をかけることもなかった。

歯もボロボロだった。涙やけもよだれやけも酷かった。日常的にケアをされていなかったのは一目瞭然だった。

台風一過今日は晴れ。本当なら今日夕方退院だったんだ。

帰ってくるはずの日に旅立ってしまった。

どうしてこんな小さな体の、ただひたすらに一生懸命に生きている子がこんな運命を辿らないといけないのか。

手術を決断しなければよかったのか?もうちょっと経ってからの方がよかったのか?でも膀胱の中にあんな大きな石を抱えたまま

過ごさせるのか?

どうすればよかったのか、わからない。ただ、もう何もしてあげられなかった後悔だけがつきまとう。

全てはこれからだった。退院したら。元気になったら。そしたら。

虹の橋を渡った先で、どうか幸せになりますように。

痛い思いも怖い思いもせずに、おいしいものをたらふく食べて遊び回れますように。

切に願う。

全国にこんな思いをしている子は何百匹いるんだろう。

もう犬の飼育免許制にすりゃいいのに。

2014-01-17

の子のこと

今日は4回目の命日。虚無感は未だになくなりません。

#書きたいことがまだあったので、内容に一部加筆修正します。

平成23年5月22日、午前8時30分(推定死亡時刻)、あの子は逝った。

2人と猫2匹で同棲していた分譲物件タオルをドアノブにかけた非定型首吊りによる縊死だった。

前日に喧嘩をした。予感はあった。

喧嘩理由彼女の寝つきが悪いので、

ベッドのマットレスを新しいものに取り替える。

しかし、その前にサイズを測っておらず、違ったベッドマットを持ってきてしまい、

どうしよ~と彼女に報告した事。

要領が悪いと指摘され、いじける僕にあの子はキレた。

「もうあなた学習しないところ、何もかもがダメなの。

最後まで最低な人だったね。飼ってる猫2匹連れて1晩でいいからこの家出て行って。さよなら

僕の中で、ベッドマットを交換してあげる事が好意で、

その好意はあの子に喜んでもらえるものだと確信していた。

その好意は結果が伴っていないため、また押し付けがましいものを提案してきたのに、結果が失敗していた。

と、いうやり取りが面倒で面倒で仕方がないみたい。

僕は誠意のない謝罪を繰り返すばかりで、あの子の心を動かす事はできなかった。

僕は一泊分の簡単な荷物をまとめ、翌日に戻ってくるつもりで家を出た。

だけど、出掛けの「さよなら」がとても気がかって、

車をなかなか発車させることができなかった。

その間、何度も家や彼女携帯電話を鳴らしたが、出ない。

その後、実家に戻り、1晩を明け、朝一で彼女と住んでいる家に向かった。

家や携帯はかけてもやはりでない。

家の覗き穴から見るも、部屋の様子は伺えない。

ただ、物音はするから普通に生活してる様子だ。

よかった生きている。

僕は安心してその日予定されていた自治会行事マンション前の草むしりに参加した。

▼あの子が逝ってしまい、中身が入っていない器を見つけた時の話。

平成23年5月22日11時くらい。

11時頃に草むしりを終え、帰宅し、彼女に精一杯謝って誠意を伝えよう。

意気揚々と家のドアを開けた。

距離は遠いが、明らかにあの子が不自然体制でドアに寄りかかっているのが見えた。

見た瞬間にすべてを悟った。

2年経った今でもずっと脳裏どころか、記憶のとっても浅い所に焼き付いている。

ショックだった。これほど衝撃的な場面に僕は出くわしたことはない。

首吊り縊死といっても、キャベツ太郎の景品で送られてきた景品ハンドタオルをロープのように使って首に巻きつけ、ドアノブでしばっているだけ。

ちょっと暴れたらすぐ取れるじゃん。こんなの。

でも、足掻いた形跡はない。彼女の中身が入っていない器は、口は半開きで眼の部分は半開きで、眼球はすでに乾いていた。

飼っている猫2匹があの子に寄り添って寝ている。

それまでは日常的な光景だったのに、この瞬間だけはあまりにも非日常的な光景すぎた。

そばには流れっぱなしのiPod。今も曲が流れている。

また、そばの椅子の上にはdocomoからの請求書に殴り書きしたような番号が書かれていた。

それはあの子が持っていたメインバンクの口座番号と暗証番号だった。

自分発見が遅すぎた・・・・・・

ここからは気が動転していたので、思い出せることを書くが、

すぐに110番をする。119番にまわされる。

消防センターからは、

「呼吸はありますか」

「脈ははかれますか」

心臓マッサージを隊員が駆けつけるまで続けてください。」

の子があの子であったなら、何も考えずに言われたことをやっていただろう。

でも、もうあの子は逝ってしまい、ここにいるのはあの子の器なだけなんだ。

足には縊死でなくなった方の特徴の斑ができていて、手もギュッとこぶしを握っていて開かない。

死後硬直まで起きている。

救急隊員が来る間、必死に人工呼吸を行った。

生きている人間ならば、押すと跳ね返りがあり、多少の息の返りがわかるはず。

彼女は穴のあいた風船のように押せばしぼむ、押せばしぼむの繰り返しだった。

鼻の穴をつまみ、口からの呼吸も試す。

まったく入っていく気配はない。

と、いうか口の中が乾きすぎている。

もう、誰がどう見てもあの子は器だけ残して中身がどこかへ飛んでいってしまったんだ。

救急隊員が到着し、人工呼吸を代わってもらい、その光景を見つめながら僕は天を仰いだ。

まだその辺にいるのか?いるのなら最後に話したい。

そんな馬鹿げた事を考えていた。

救急隊員があの子ストレッチャーに乗せ、マンションを出る時も心臓マッサージをした。

マンションの前には救急車が突然来た事に驚いて、

野次馬(失礼な言い方かもしれません)が集まっていました。

の子に白い布が体にかぶせられていたのですが、顔はそのまま出ていた状態でした。

僕はあの子はもう、死んでしまっていて、そんな死に顔を野次馬に見せたくない、との一心

白い布を顔までずらしました。

しかし、救急隊員は「まだあきらめちゃだめです!」とか感情論

白い布を体にずらし、再び彼女の顔はあらわになった。

中には小さい子供や、親しくしていただいた近所の住人がいたので、

僕は周りを気にせずに救急隊員に当り散らしてしまいました。

彼らはあの子を助けるつもりでいてくれた事には感謝しています

しかし、どう見てもあの子はもう、あの子が入っていた器だったんです。

結局、病院でも1時間近く蘇生術を行ってくれましたが、

彼女心電図が動くことはありませんでした。

もう2年以上経って、もうすぐ3年目を迎えるのか。

そんな気は全然しないな。

命日が怖い。3周忌の予定も立てれる自信がない。

あの日以来、いっぱい泣いたけれど、四十九日を境に泣くのをやめた。

でも、本気で笑う日は少ない。

すべてあの子がいたら、の仮定でしか話を考えられなくなってしまっている。

だけど、こんな悲嘆すること言いながら、

僕は環境も変わって、嫁さんももらって子供も昨年生まれた。

都合いいよね。

嫁さんには大方の話はしたけれど、こんな詳細までは話していません。

でも、気落ちした私を心底支えてくれました。

大切な人が命を断つ。

大勢いると思います。こういった経験をされた人。

自死であれ、不慮の事故であれ、闘病を続けられた方であれ。

まりにも彼女の入った器を見つけたときのショックが大きすぎて、

いろいろな自死遺族の会に参加させてもらったけれども、

皆さんこもごもにケースが違う。

似たようなケースの人なんているようでいないと思っている。

また、社会に出ると毎日のように人身事故自殺ニュースが目に入ってきます

その遺族の方達に自分と同じような感情を持っている人はいるのだろうか。

一人でずっと抱えてきたけれども、そろそろ限界な気がします。

自分価値観が大きく崩れて、自分首吊り死ぬことが一番最良の方法なんではないかと

感じてきてしまっている。

後を追いたいわけじゃない。疲れたんだ。

の子に会いたいけど、もう二度とあの子に会えないのはわかっている。

でも、少しでも、あの子が逝くその時にどんな感情だったかを知りたい。

少しでも死にたくないという気持ち、があったのか。

きっとなかったんだろうなとは思う。

じゃなきゃ、あんな覚悟ある行動できないもの

の子X JAPANが大好きな子でした。

hideさんが亡くなった方法もあの子と似たようなものでしたが、

それを真似したわけではなさそうです。

とりわけYOSHIKIさんが好きだったから、あの子に一度会わせてあげたかったな。

確実に、自分ひとりで逝く方法首吊りだったんでしょうね。

実行の際にはオムツも履いていましたし。

の子の死後、あの子PC警察調査した所、

色々な自死方法を調べていた痕跡があったそうです。

中には硫化水素を用いる方法練炭を用いる方法

それほどまでに死に執着していたのか。

話代わって、死後の世界なんて、本当にないと思っている。

昔は怖い話系のシリーズを読むと、怖くて一人でトイレも行けない僕だったけれど、

の子が逝ってから、その類への恐怖というか、関心が一切消えた。

霊的現象なんてもってのほかだ。

人の死というのは、電気スイッチと同じで、OFFになると消える。

一度OFFになったものは、二度とそのスイッチは戻らない。

火葬場に行くまでのあの子は顔色が青白いだけで、

今にも起きてきそうなほど、綺麗だったけれど、

何より、火葬場での変わり果てた姿を見たとき、あの子はもう、あの子の器すらも失ったんだと確信した。

もう、あの子存在は失われ、無になった。

の子に会えるならどんな形であれ、出てきてほしいけれど、

僕の夢にも一度も出てこない。

そんなあの子が例えば幽霊とかで出てくる要素がなくなってしまった。

もし、そういった現象を体験した、と自覚するならば

僕の気が触れてしまったということなんだと思う。

事情を知らない火葬場の人から「とてもお強い綺麗なお骨です。どこかを病んでいたようには思えません」と、

説明があった事が僕の絶望感をさらに増幅させた。

体はとても健康。でも、死ぬ。いや、僕が殺した。

の子の器だったものの骨壷を持ったとき違和感が今でも手に残っている。

しかし、そんな僕だからこそ、葬儀に至るまでの間、本当に僕の周りに迷惑をかけた。

本心葬儀の日まであの子と過ごしたかったのだけれど、

僕の両親・友達・近所の親しい方々が心配し、泊り込みで支えてくれた。

葬儀屋の方々も感謝してもしつくせないくらい、落ち込んでいる僕を支えてくれた。

あの時の恩を返そうと、今では笑顔を作って「僕は大丈夫幸せに過ごしている」を見せている。

遺産相続については、とても大変でした。

続柄としては内縁の夫でしたので。

の子は遠い親戚はいるのですが、身寄りがなく、

葬儀の際はその遠い親戚から相続はどうするんだと搔き立てられました。

でも、あの子遺書を残していました。

その内容を一部抜粋します。

同居人の僕にすべてを相続する。

 これまで大変お世話になりました。

 皆様には幸せになっていただきたいです。」

遺言書検認の手続きの際にお世話になった方に

「とても現代若者が書くような内容の遺書ではない」

と、言われました。

今でも読むだけで心がおかしくなります

正直、あまりに辛い出来事から逃れたいが為に、すべてその遠い親戚に渡したかったのですが、

遺言書の通りにするのが一番だ、という周りの方の勧めであの子のすべてを僕が相続しました。

そのすべて、には今僕が住んでいる分譲マンション並びに預金口座も含まれています

また、その中にはあの子が僕と出会う前にあった出来事のすべてを遺しています

これまで育った経緯の写真

その中でも一番心に響くのが、幼少の頃のあの子の親に大切そうに抱きかかえられている写真

水泳大会で取ったメダル

幼稚園から専門学校に至るまでの卒業証書

の子宛に届いたであろうラブレターなど。

何も捨てられません。

また、この遺産を見るにあたり、ますます自分があの子を殺してしまったんだ、という気持ちが強くなりました。

今の妻に、もしこの遺産を見つかったならどう説明すればいいかもわかりません。

再度似たようなことを書きますが、世の中、毎日のように自殺ニュースを目にします。

見る分にはいいんです。社会は広いし、いろいろな人がいますから

しかし、あまりにも自殺ニュースは多く、社会に出ていると

身の回り日常会話の中でも「○○さんが自殺したの知ってる?」なんて話題を振られたりする。

昔は僕も普通にこの会話に参加できてはいた。

でも、今はこんな会話を自分に振られると、一気にあの子の事がフラッシュバックして、

いてもたってもいられなくなる。

でも、社会とはそういうものなのかもしれないけれど、死こういった会話をする事がとても辛い。

けれど、その社会から逃れた生活をすることなんか出来ないし、仕方ない事なのかな。

だとしたら、僕はその社会から逃げてしまいたい。

ドアを開けて一目でわかったあの子の変わり果てた姿。

その直前までは生活音を聞いていて、生きていたであろうあの子の物音。

そこからの子生前の僕とのやり取りを思い出す。

多かれ少なかれ、関わった人間の生から死に関わると、

皆、こういう感じなのかな。

だとしたら、少しホッとする。

感情の向くまま、書きなぐってしまいました。

最後までお読みいただきました事、御礼申し上げます





(追記 1/18)

多くの方に読んでいただいたようで、ありがとうございます

コメントもすべて拝見させていただいています

色々なご感想、どれもこれも自分には有難い限りです。

の子の事を書くにあたり、自己陶酔は確かにしているかもしれません。

想像しか、あの子表現できなくなってしまっているので、

自分の都合よく美化している面もあるかと思います

僕がきっかけではなく、あの子はいずれ死を決めていただろう、とも心のどこかで思ってはいます

でも、思うところは僕が殺してしまったに変わりありません。

しかし、時は最良の薬なのですね。

この文はあの子が逝った翌月あたりにEvernoteに書き殴っていたもの

自分の現況を重ねて即興で仕上げたものなのですが、

添削した文はひどいものでした。

死にたい。消えたい。寂しい。会いたい。僕は人殺し。」

そんな事ばかりしか書いていませんでした。

今でも多分に希死念慮に駆られていますが、

それは自分希望であって、多くのコメントでいただいているように、

結婚し、子供を授かり、育てている以上、妻と子に人生を捧げるつもりで生きます

上記では死んでしまいたい旨、書いてしまいましたが訂正します。

僕が一番わかっていたはずの事を忘れていました。

周囲にダメージを与えない自死なんて存在しない事。

そして、余談とはなりますが、あの子が逝ってからというもの

不思議出来事ばかりが起きています

の子の納骨が終わった日の夜、

15年前に付き合っていた人から10年ぶりくらいで連絡があり、それが今の妻になります

東日本大震災被災地に住んでいた人だったので、

地震発生後しばらく電話をかけていたのですが、繋がらず、心配していました。

妻曰く、当時はバタバタとしていて自分の着信に気づいたのですが、後でかけよう、と

思ったタイミングが約4ヵ月後、あの子の納骨の日だったらしいのです。

また、あの子とは話し合いの下、結婚も考えていて子作りもしておりました。

期間にすると約3年くらい。

結婚子供イコールにするつもりはありませんが、

の子とは付き合いが長かった為、次のステップへの良いきっかけになると思っていました。

しかし、あまりにできなかった事から、あの子産婦人科不妊検査

僕は泌尿器科で精液検査をしてもらったところ、

自分精子が極端に少なく、子供は望めないかもしれない。と、いう話をされていた。

しかし、妻とは結婚後3ヶ月の期間で長男を授かった。

自分は正直、恵まれていると思います

……これ以上は言葉になりません。すみません

とりあえず、僕は僕を捨て、あの子になったつもりで精一杯、死ぬまでこの世を生きてみせます

ありがとうございました。

2013-07-07

プロダクトのABCD

救急救命のABCDなるものがあります

まずはA、次にB、それからC、Dというものですが、システム開発版のABCDをふと考えてみました。

なにかもっといい言い回しや既知のものがあったら教えてください。

2013-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20130507204309

巨漢警官 過剰制圧女性死亡 業務上過失致死で書類送検

昨年11月、大阪府堺市の自宅で暴れたとして、大阪府警堺署の男性警察官に押さえ付けられた女性(当時40歳)が意識不明となり、その後死亡する事故があり、府警が業務上過失致死容疑で調べていることが24日、捜査関係者への取材で分かった。警察官は装備を含めて100キロ近い巨漢で、制圧行為に行き過ぎがあり、府警は死亡との間に因果関係が認められるとみて捜査警察官書類送検する方針だ。

堺署によると、昨年11月9日午前7時ごろ、女性家族から「暴れている」と助けを求める110番があり、男性警察官を含む堺署員3人が自宅に駆け付けた。

女性自分の子供のおもちゃを投げたり、叫んだりするなど激しく暴れ、手の付けられない状態。そこで女性制圧するため、まず玄関先の地面にうつぶせにさせ、3人がかりで手足を押さえたという。

それでも女性が静まらなかったため、頭の上で両手に手錠をかけ、警察官のひとりが女性背中を両膝で押さえつける正座のような姿勢で乗っかった。

しか約20分後、ようやく静かになったと思った女性が呼吸をしていないことに気付き、緊急の心臓マッサージを行いながら堺市内の病院救急搬送。その5日後の11月14日、女性は死亡した。司法解剖の結果、死因は「低酸素性虚血性脳症」だった。女性に心疾患などの持病や外傷はなかった。

女性背中に乗った警察官は「かなり大柄」(堺署)で、体重は100キロ近くあったとみられる。府警は制圧行為に行き過ぎがあり、死亡との間に因果関係が認められるとみている。

酸素性虚血性脳症は、何らかの原因で呼吸機能が低下し低酸素状態となり、中枢神経系のうち、特に大脳皮質という大脳の表面の部分に重大な障害が発生する症状。世田谷井上病院井上毅理事長は「警察官女性の上に乗ってしまったことで、胸郭(胸部の外郭を形成する部分)や顔面の口か鼻の部分を相当圧迫してしまったのではないか」と指摘。女性うつぶせ姿勢で押さえつけられたことで呼吸機能が低下し、脳動脈を流れる動脈血に酸素が行き渡らなくなったとみられる。

井上理事長によると、うつぶせになった人の上に体重の重い人や物が乗った状態が3分以上続くと、脳機能ダメージを与えるという。井上理事長は「20分も乗っていたとしたら非常に危険。その危険性を警察官が理解できていなかったことが問題」と話した。

2013年4月25日06時03分

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20130425-OHT1T00036.htm

警察官による現場処刑について

正義暴走自分勝手な判断で死刑を執行した警察官たちによる殺人事件。

 

警官制圧女性死亡 業過致死容疑で書類送検

堺市堺区の民家で昨年11月、装備を含め約100キロの重さの大阪府警堺署員が、暴れていた女性(当時40歳)の背中正座のような格好で乗って押さえつけ、意識を失った女性が5日後に死亡していたことがわかった。死因は呼吸不全などで脳に酸素が行き届かなくなる低酸素虚血性脳症だった。府警は署員の制圧行為に行き過ぎがあったとみて、業務上過失致死容疑で書類送検する方針。

同署によると、昨年11月9日午前7時頃、同区の女性方で「女性が暴れている」と家族から110番があった。この署員が同僚らと駆けつけると、女性が物を投げたり、叫んだりしていた。

署員は約20分後、女性玄関先の地面にうつぶせにして同僚らと手足を押さえた。女性がなおも激しく暴れたため、頭の上で両手に手錠をかけ、背中や腰を手で押さえたが、静まらず、正座のような姿勢背中に乗ったという。

署員は女性の抵抗が弱まると、背中に押し当てた両ひざの力を緩めていたが、同7時55分頃、女性意識を失っているのに気付き、同僚らと心臓マッサージをしながら119番。女性は14日午後に病院で死亡した。

警察官職務執行法は、異常な挙動があり、救護が必要な者の保護を義務づけている。方法は府警の内規で定められており、自殺や他人に危害を及ぼす恐れがある場合、「真にやむをえないと認められる限度で、行動を抑止するための手段をとれる」としている。

府警は、同僚らへの事情聴取司法解剖の結果などから、署員の行為は行き過ぎで、死亡との因果関係も認められると判断した。

2013年4月24日 読売新聞

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130424-OYO1T00293.htm

2013-02-02

祖母が死んだ

今日祖母が死んだ。

風呂場の中で倒れてた。

祖母は祖父とふたり暮らし

祖父が最初に気づいた。

風呂に入った祖母が全然あがって来なかったらしい。

様子を見に行ったら風呂桶の中で突っ伏してたとのこと。

まぁ祖父もトシなので、どこまで正確かはよく分からない。

引き上げようにもどうにもならなかったので、

いちばん近所に住んでいる自分(孫)を電話で呼んだ。

急いで行って祖父母の家に着き、風呂場を見たら、

祖母の身体は浴槽に下半身を浸けたままで、上半身は浴槽の外側へ倒れていた。

それが自分最初に見た光景

呼びかけても肩をたたいても全く反応はない。

引き上げようとしたが、いかんせん自分には体力がなく、

介護のコツのような、他人を持ち上げる知識もなかったので

風呂から引き上げるのは諦めた。

とりあえず風呂の栓を抜き、119番電話をかけた。

電話をかけて住所と簡単な状況を伝える。

息はあるか確認された。

慌てて確認したが、息はしていないように感じた。

電話口に伝えると、仰向けにして気道を確保するよう指示される。

その時点でお湯はだいぶ減っていたので、

いちおう浴槽の中で仰向けにしてみる。

その時見えた足の裏が、ひどく紫色になっていたのが印象的だった。

顔色は真っ青とまではいかないが、生気がない。

電話から心臓マッサージはしたか、出来るか、と聞かれる。

正直まったくもって自信がない。自分は脈を測るのも出来ないのだ。

やらなきゃいけないのか?と逡巡するかしないかというところで、

救急車が近づいてくる音が聞こえてきた。

早い。ウチなのか?ウチで止まってくれ。止まった。

心臓マッサージ役はやらないで済んだ。

ちょっとだけホッとしたのと、救急隊員にいろいろ確認されたので

そのあとのしばらくは、よく覚えていない。

そこそこの近所に住んでいる父と母に連絡を取り、

急いで向かってもらったが、

救急車の出発には間に合わなかったので、

自分けが祖母に付き添い、病院へ向かった。

病院に着き、祖母は奥へ運ばれていった。

自分は待合室で待機。両親もすぐにやって来た。

数十分待った。

看護師医師か分からないが、

心臓も呼吸も病院に入って来た時点から反応がないと告げられた。

これ以上の対応は身体を傷つけるだけになるだろうと言う。

父は蘇生をやめることに承諾した。

そこからしばらくして、死亡確認に呼ばれた。

医師の宣告によって、祖母の死亡が確認された。

日付が変わる、20分ほど前のことだった。

祖母には蘇生必要であったろう管が挿入されており、

そのチューブの中が若干血で汚れていたのが痛々しかった。

そして祖母は霊安室へと運ばれた。

今回、病院では死因の特定が出来なかった。

そうなると警察の検分が必ず入る決まりらしい。

解剖までされるかは分からないが、監察医が検案せねばならない。

しばらくして警察官が数人やってきた。

搬送された病院から検案される場所への遺体搬送

葬儀屋に頼む必要があると警察に説明された。

うちの父は(祖母本人もだが)葬儀の具体的な相談はしていなかったようだ。

どの葬儀屋に頼むのか決まっていなかったので、

とりあえず市内でそこそこ大きそうなところへ電話して、

病院まで来てもらうことになった。

病院では祖母の遺体に対して警察の検分があった。

その後遺体葬儀屋に預け、祖父母宅へ移動し、そこでも検分する。

祖父は病院へは来ていなかったので、そこで改めて事情を聞かれた。

もちろん祖母が亡くなったことは事前に電話で伝えてある。

警察事情聴取を終え帰ったのは、午前3時頃のことだった。

祖母の異変を発見してから、4時間半が経過していた。

合間合間に待つ時間は長く感じたが、

振り返ってみるとあっという間のような気もする。


今回亡くなったのは父方の祖母だが、

以前母方の祖母が亡くなった時に比べ、

何の準備も出来ていないことを歯がゆく感じた。

子どもの頃、父と母は一枚岩だと感じていた。

大きくなって、父と母は別個の一個人なんだと理解した。

そして冠婚葬祭に立ち会うと、

父方の家の考え方と母方の家の考え方が

大きく違うことをまざまざと見せつけられる。


自分は今、たぶん父親に似ている。

先のことはあまり考えない。

「なるようになるさ」と流れに身を任せている。

そんな自分はあまり好きではない。

この先自分はどうなっていくのだろうか。

先のことを考えすぎると鬱屈としてしまう。

そうなるのを避けるため、先のことは考えにくい。

そんな自分を嫌いながら、時間だけは淡々と流れていく。

2011-03-23

フミコフミオ氏に贈る、防災マニュアル叩き台

上司の挑戦状

http://d.hatena.ne.jp/Delete_All/20110322#1300804667


なんか気が向いたので作成

部長暗号と、その辺から拾ってきた防災マニュアルの落とし所を見つけてサクッと作成したもの。

詳細化と詰めで、この変をきちんと参考にされたほうがよいかと思います。

wordファイルです

事業所のための「防災マニュアル」(愛知県防災防災防災支援チーム)

www.pref.aichi.jp/bousai/jigyousyo_manual.doc


で、ここから下が折衷案的な叩き台。見づらいのは勘弁。

地震についてのみなので、家事かについては追記が必要。でも文章長くすると部長が読まなくなるか・・・

==============================================

1:普段の心がけ・準備

2:緊急時に実施すること

3:危機を脱してから気をつけること

4: 救急措置



1:普段の心がけ・準備

a)非常用具をあらかじめ会社・自宅に準備しておく。用意するべき品は下記6種類で、リュック等に入れて取り出しやすい場所に保管しておく。※定期的に賞味期限等を確認すること

防災用品】・携帯ラジオ ・懐中電灯 ・ヘルメット ・防災ずきん ・ロープ ・非常用のトイレ ・手動の携帯充電器 ・紐つき笛 ・乾電池 ・ヘルメット

【貴重品・身分証明】・現金(小銭も必要) ・預金通帳有価証券の写し ・健康保険証の写し ・認印 ・年金手帳 ・家の鍵 ・免許証

【食料品関係】・飲料水(1人最低1日3リットル) ・乾パンやクラッカー ・レトルト食品 ・ビタミン剤 ・缶詰(缶きりや栓抜きも忘れずに) ・粉ミルク、哺乳瓶(赤ちゃんがいる家庭は必需品) ・嗜好品

【衣類関係】・下着(家族分) ・衣類(長袖も忘れずに) ・雨具 ・タオル ・マスク10枚 ・メガネ(衛生不安からコンタクトは難あり)

医療用品】・ばんそうこう ・包帯、ガーゼ ・消毒薬 ・常備薬 ・鎮痛剤、胃腸薬等 ・紙おむつ

【その他】・ティッシュペーパー ・ウエットティッシュ ・生理用品 ・軍手 ・マッチライター ・洗面具 ・ローソク ・スリッパスニーカー) ・筆記用具とメモ用紙 ・軍手ポリ袋


b)家や会社の中を安全に保つ

本棚が崩れ落ちないように整理し、テレビ箪笥・食器棚などを固定金具で固定しておく。

・ベッドの周り・上に倒れてくる・落ちてくるようなものを置かず、安眠できるようにする。


c)日々の生活を災害対応できるようにする。

・日々の生活の中で、災害が発生した際にすぐに対応できるよう、時間や心に余裕を持った行動を行い、また事前の情報収集を心がけること。

ワークライフバランスを保ち、イザという時に動けるように疲労やストレスをためないでくこと。睡眠趣味運動を十分に行うこと。

・自宅・通勤途中・仕事場・家族の勤務先・子供学校の5箇所について、緊急時に非難する、避難所の確認を行う。




2:緊急時に実施すること

a)地震が発生した際は、丈夫なテーブルや机などの下に避難する。ビル街では、ビルの外の広い場所(看板が落ちてこない場所)に非難する。

テレビ等を押さえることは危険なので注意すること。室内の場合、ドアを開けて非常脱出口を確保する。


b)海の近くにいた場合津波に備えて揺れが収まり次第すぐさま高台・コンクリート製の丈夫な建物の3階以上に避難すること。




3:危機を脱してから気をつけること

a)被災後のインフラ悪化への対応

 被災後は、電気・ガス・水道がとまり、それによって交通機関がマヒを起こす場合がある。

 交通機関のマヒが食料・毛布・薬品ガソリンなどの物資の不足を引き起こすので、皆で分け合い、節約をして過ごすこと。

 冬場に暖を取る際は、ストーブ等の一酸化炭素中毒に気をつけること。


b)不安と付き合う

 被災後は、被災の恐怖と共に、日常とはかけ離れた環境に身をおくことになる。肩の力を抜いて、軽く体を動かしてリラックスするよう心がける。

 十分な睡眠をとれる環境を早くつくりあげ、体温・体力・気力を維持できるようにする。

 他の被災者運命共同体であるので、冷静さと思いやりを忘れずに、相互に助け合って行動すること。


c)被災後、インフラが整い安全が確保されてから

 被災の恐怖を克服するために、希望のあることを考えたり、今までの生活について考えてみる。震災で受けた痛みを、正しく癒す方法や気持ちを大事にする。




4: 救急措置

 被災の際に、救命処置や、応急手当を行う必要になる場合がある。

 あらかじめ講習等できちんとやり方を学んでおき、非常用具に必要な道具を入れておくこと。※会社での講習実施が良い

a)救命処置

・人工呼吸

心臓マッサージ

AEDの使い方


b)応急手当

・応急手当マニュアル(メルクマニュアルや、iPhoneアプリ「家庭の医学」など)の準備

骨折

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ロックンロール

2011-03-08

無菌動物

無菌マウスという生き物が売られている。

体の外も、中も、無菌だそうだ。

作り方を聞いたら驚いた。

まず、妊娠していて生まれる直前のネズミお腹を割き、子宮を取り出す。

子宮の両端を縛って、無菌空気が充満した風船の中に入れる。

消毒薬が満ちた筒の向こう側にその風船があるというイメージだ。筒の中を通れば子宮の外側の微生物は完全に死滅する。

で、その風船の中に子宮が入ってからが勝負だ。

風船の外側から風船を押すと、腕が風船越しに風船内部のモノを触れるようになっている。

船越しに手を突っ込み、素早く子宮をメスやハサミで切り開き、胎児を取り出し、心臓マッサージをする。

うまくいけば、呼吸が始まる。

そこが第一の難関。

で、次に第二の難関。

無菌マウス赤ん坊には無菌ミルクを飲ませないとならない。

マウス用の人工乳なんてないので、マウスから絞るらしい

といっても、マウスから絞るというのも想像もつかない。

聞いてみたら、なんんと驚きのソリューション

まず、授乳中の雌マウスと、乳飲みマウスを大量に用意する。

乳飲みマウスお腹いっぱい乳を飲むと、寝る。

で、十数匹の乳飲みマウスの胃袋を裂けばマウスの乳を大量ゲット。

で、それを適切な方法で滅菌して、無菌充填して、さっきの無菌空気のつまった風船に入れる。

そんな手間隙の塊のような方法で授乳して育て続ける。

離乳さえしてしまえば、餌を滅菌するのは簡単なので育てるのは楽。

はいえ、帝王切開で分娩日より早く産ませると、たかだか二十日しか妊娠期間のないマウスにとってはかなりの早産で、虚弱だったりして育ちが悪いことがしばしば。

そんなこんなで、皮膚にも呼気にも、口の中にもウンコの中にも菌もウイルスもいない動物が出来上がるんだってさ。

すごくないか

で、いよいよこの話のオチだ。

実は無菌ネコも無菌イヌも開発されたことがあるんだってさ。

おそらく同じ手法で。

2009-06-18

mixiからのコピペ

mixiコミュニティにおいてうまい例えがあったので紹介します。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42813070&comm_id=111198

人を救うために具体策と財源の確保が必要なのであって、感情論では何も救えません。

死に掛けた人を前にして、麻生首相なら肩に携帯挟んで救急車を呼びながら心臓マッサージしてくれそうですが、鳩山代表なら傍らで滂沱の涙を流しながら「誰か助けてやってよ!」と天を仰いで叫んでくれそうな気がします…。

2009-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20090606210553

杉村太蔵議員秘書自殺未遂 - MSN産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080828/crm0808281211009-n1.htm

杉村太蔵議員秘書自殺未遂

2008.8.28 12:13

自殺未遂騒動があった杉村太蔵議員秘書の自宅=川崎市中原区自殺未遂騒動があった杉村太蔵議員秘書の自宅=川崎市中原区

 28日午前0時40分ごろ、杉村太蔵衆院議員の公設第2秘書男性(25)が川崎市中原区の自宅で首をつっているのを同居する家族発見した。男性川崎市内の病院に搬送されたが意識不明の重体。遺書などは見つかっていないが、神奈川県警中原署は自殺を図ったとみて調べている。

 同署や消防によると、救急隊員が駆けつけた際、男性は2階の部屋で倒れており、家族心臓マッサージなどをしていた。男性はドアノブにひも状のものをかけて首をつったという。

 杉村議員事務所は「現段階ではコメントできない」としている。

 杉村議員平成17年に比例南関東ブロック初当選した。

2009-03-23

昨日の話

そのとき、電車は行き違い列車の遅れで4分ほど遅れていた。これがリアル伏線

私はそのとき一番後ろの車両に乗っていた。そして、とある田舎の駅に着いたときに、前の車両から乗客が飛び込んできて車掌を呼んだ。どうも急病人とのことらしい。なんでも、隣の車両でおばあさんが突然倒れたらしい。私はおばあさんを見ていない。野次馬に行っても邪魔になるだけだし、介護者のプレッシャーを高めてもしょうがない。

車掌さんは無線で指令と連絡を取り、救急車要請したようだ。乗客の人が、電車を動かすべきだと文句を言っていた。次の駅はわりと大きな町だが、現在止まっている場所はとても田舎だ。山道を町から来る救急車より電車のほうが速い。そう、もし、この電車時間通り走っていれば、おばあさんが倒れたときにはすでに電車が走り出しており、次の駅で救急車を待たせるという対応になった可能性が高い。そして、多分それが最速だった。

しかし、止まっている電車でおばあさんが倒れてしまい、電車を動かして症状が悪化する可能性がある以上、電車を動かすという対応は難しかったのだろう。実際に救急車が来るまでは、それほど長く感じなかったが、10分近くたっていたと思う。救急車が到着するまでの間、一度車掌さんが医師看護師を探しにきた。私は、そのどちらでもないが、救急講習を受けていればと思った。

救急車がついて、救急隊の人がおばあさんをホームに担ぎ出し、AED使用したようだ。しかし、AEDからは自動音声で、除細動の必要はないという声が流れた。もう一度繰り返しても同じだった。そのあと、救急隊の人が心臓マッサージを始めたようなので、おばあさんの脈はなかったのだと思う。こういうときは無理やり除細動を試みたりはできないものなのだろうか。

おばあさんの荷物が下ろされ、心臓マッサージカウントする声が続く中で、電車は発車した。おばあさんの荷物には、おそらく誰かに渡すはずの土産袋があった。自分もいつか、何かをやり残したまま死ぬことになるのだろうか。次の駅では、遅れは20分になっていた。

そのあと、同じ日に乗った飛行機で、隣の席のお姉さんが、山ほど心電図とか生々しい心臓写真が載った専門書を読みふけっていた。

2008-12-09

何回死んでんだよ

父親は長年の高血圧高脂血症により、心臓がかなり駄目になり、

6年前の正月明けに心不全入院

その直後、一度目の心臓停止→電気ショック蘇生

それから確か10ヶ月位以上入院してたが、

その間に、二度目の心臓停止→電気ショック蘇生

それから4年位経って、このままじゃラチがあかないと言うことで、

心臓弁膜症手術をした

その後一年半位経つんだけど、まぁ調子は良かった

先週の土曜日、昼間にいきなり倒れてた

「なんかモノの上げ下ろしをした際にふらっと来た」

と言ってた、ただしきりに

「こないだ新しく貰った薬があわない気がする」

と言ってたので、

「じゃあ週明け(火曜日がその医者担当らしい)に医者にそう言ってきたら?」

と言ってすました

日曜の夜、俺が外から帰ってきた時、父親と顔合わした

父親は家の奥に歩いてきながら、

「なんか…変だ」

とか言ってた、

そのちょっとしたあと、いきなりドタッって多分ブッ倒れただろう音がしたので、

そこに行ってみたら、思った通り父親が倒れてた

息はしてるけど、呼びかけても反応無いし、躰が弛緩して息がいびき状になってたので、

「もしかして脳の血管でも切れた?昨日はその前兆?」と思い、

すぐに119番した

正直119番にはこれまで何度も呼んでて気が引けたんだけど、

土曜の倒れた時と違って意識無い感じ(目も半開きで全く反応無いし)だったし、

とにかくやばそうと思ってかけた

んで救急隊の人がすぐ来て担架に乗せてった

母親病院まで同行することにして、俺は家に残った

救急車が出てこうかという時、

向かいの家のおばさんが出てきたので、しばらく話をしてた

しかし、結構話してるのに、全然救急車が出てかない

「なんかあったんすか?」

とか聞こうかなと思ったけど、邪魔しちゃ悪いかと思って待ってたら、

3〓5分位(実際はもっとあったかも)してから走ってった

病院に着いた位の時間になったので母親電話したら、

ICUだから切るね」と言われた

つかICU直行はこの6年間にすでに4〓5回目なんで、別段何ともなく思った

3時間位して母親が帰ってきて(ここら辺のこともすでに何度も経験した)

「なんとか意識戻ったよ」と言ってたので、

その日は寝た

月曜の夜になって母親病院に連れてって、

その帰り道母親が、

大分元気になって、私が19:30になったから帰るね、って言ったのにベラベラ喋ってきてた、

 昨日救急車の中では心肺停止してたのに、ずいぶん元気になったもんだね。」

…それで昨日中々救急車出てかなかったのかよ

救急隊の人が酸素吸入と心臓マッサージして息吹き返したよ」

…なに?また死んでたの?

「2〓3分死んでた気がする」

…3回目じゃなかったっけ?死ぬの

「やー、救急隊の人さすがだよね」

というか、ショックでその事(救急車内で心肺停止を)日曜帰ってきた時に俺に言い忘れたんだろうけど、もっと早く言えよ

あと、やっぱり新しく貰った薬が不整脈とかを逆に引き起こしてたらしい、

医者が「合わなかったねー」とか言ってたそうだ

しかし、俺がドタッって音に気付かず、救急車呼ぶのが30分でも遅れてたら、

父親死んでたんだろうな〓、変な所で悪運が強いな、と思った

2008-08-17

トリ-ナチ-経営学論争への個人的疑問総まとめ

増田では概ね有意義な反応が尽きたようなので、戦闘的でも粘っこくもなさそうな方に試しにトラバ

http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20080814/1218670547

さて不謹慎な表現など多々あるかと思うけど、以下に私的な疑問・論点をまとめます。

時間掛けて経営学医学倫理学歴史学を学んでたら、軽くクリアーできる論点・誤解もあるかも知れないけど、その他も含めてご容赦を。

●論点1 トリアージを「極限状態」と呼んで忌避するが、何を以て「極限」と呼ぶのかが恣意的だと思う。

●論点2 「極限状態」という一種のフィクションを前提としなければ、ナチスホロコーストを行わなかったのだろうか?

●論点3 「資源の有限性を前提にするな」と言うけれど、実はこの世界ではあらゆる物が有限だったりする。

●論点4 経営学はそもそも社会全体について語る学問なんだろうか?

●論点5 トリアージに関連して「他者性がない」選択と言うけど、その「他者」の扱いも恣意性を含んでいるのでは?

●論点6 トリアージを「全体主義的な決定」「悪しき決断」と言うけど、平等な個人の自由な契約という所からも基礎付けられないだろーか。

●論点7 むしろ平時に「かわいそう」の論理を追求する方が、長期的には「かわいそう」な人を増やすのではないか。

●論点1

トリアージを「極限状態」と呼んで忌避するが、何を以て「極限」と呼ぶのかが恣意的だと思う。

たとえば、短い時間で選択を迫られるという意味でなら、(汚い例で恐縮だけど)映画館で上映開始数分前に便意を催し、

そこで素早くトイレを済ませるか、そのまま2時間前後我慢するかなど分単位決断を迫られたりとか、

あるいは語源となる(らしい)コーヒーの選別作業など秒単位決断を迫られる行為が、実は日常でもよくある。

もちろん時間以外の資源をモノサシにする場合も同様に議論を進められるはず。

つまり、時間等の量的な制約をその条件とするのであれば、いわゆるトリアージ以上に「極限状態」とみなせる

選択はいくらでも存在することになり、なぜトリアージだけを取り上げて「極限状態」と呼ぶのかがわからない。

そして呼ぶだけならいいとして、そこに殊更特別な意味を見いだそうとする行為には恣意性が入って来ないか?

明確な基準がなくはっきりしないせいで、そうした疑問が浮かんでしまう。

もし資源制約等々を最初から全部取っ払って、人の命を「切り捨て」るプロセスを指し「極限」と呼ぶのであれば、

蘇生行為の中断や、人工呼吸器の取り外し、あるいは脳死判定?など、(当事者にとっては非日常ではあるものの)

平時の医療行為の中にもそれらは存在する。これらはいずれも倫理学検討に値する問題ではあるんだろうけど、

今回の問題意識とはずれているのではないかという気がする。なぜなら、経営学講義中の「資源制約下の選択」

というトピックで取り上げる事は難しいと思えるから。よってこれも不適。

ここからはさらに妄想。そこで「資源」の意味をもう少し拡張し、技術水準まで含めるとしたら?

現代医療で人工呼吸や蘇生脳死判定が要請される重態の患者でも、実は簡単に救えるほどの医療技術

遠い将来いずれ誕生する事を想定すれば、それらの現場を「極限状態」と呼ぶ事も可能かも知れない。

けれど何事も有限なこの世界で、資源の有無は所詮相対的な問題でしかないから、逆に心臓マッサージも知らない

ような時代まで遡れば、現代医療は「極限」でも何でもなく、相対的にかなり恵まれた状態だとさえ言えるかも知れない。

だからこの妄想理論も、当然すぎるほど当然ながら、使えないよね多分。

●論点2

「極限状態」という一種のフィクションを前提としなければ、ナチスホロコーストを行わなかったのだろうか?

トリアージ現場では、住所氏名年齢性別人種思想信条宗教経済状態等ではなく、たとえばSTART法に

代表されるように、あくまで症例とその喫緊性を判断材料にして、医療資源の配分が決定されて行く。

そこでの個人は、生存者の最大化という観点から、同じ人間同士限りなく対等に扱われると見ていいはず。

他方、ナチスアーリア人種なんかにとって、異民族共産主義知的身体障害者等の存在有害だと

訴えてたわけで、その排除は平時であると有事であると問わず、進行していたんじゃなかろーか。

不謹慎な言い方をすれば、対等ならざる「異分子」の排除は、保健所動物駆除のように、

生存権私有財産権その他の人権を持たざる者と扱った上で、粛々と進められたんじゃないかなと。

また日本北欧等でも障害者社会的弱者の断種手術が進められたけれど、これらも特に有事であるからと

行われていたわけではないはず。社会ダーウィニズムや通俗的な理解によって「市場原理主義」など(あるいは

原理主義資本主義」?)と呼ばれる淘汰のプロセスは、ある緊急時の必要に応じて進む(進められる)

と言うよりは、むしろ長期的に徐々に着実に進行していくモデルだと考えるのが妥当だと思う。

そして比喩としての「極限」的危機のアピール自体は、かつてのワイマール共和国を含む(民主主義・非民主主義問わず)

あらゆる国家で行われる、支持者獲得の為の常套戦略で、たとえば、核戦争原発メルトダウンの恐怖を時に過剰に煽るのも、

類似の行為と言えるのでは?ナチスに特徴的な行動として取り上げるのは些か困難じゃないかと感じる。

以上の点から、トリアージ差別的な(どころか相手を人間扱いしていない)ホロコーストとなぞらえるのは

間違いであるし、また仮にトリアージが「極限状態」の選択であると仮定しても、ナチズムやホロコーストとの

同質性を認定するのは恣意的だと考える。トリアージの普及推進や例示がホロコーストと地続きである、または

そうした考えを広げるというのは、不謹慎である事を除いても有益な議論とは言い難いはず。

そもそもホロコーストの最たる物である絶滅収容所等におけるユダヤ人殺害は、ナチスドイツ

敗色が濃厚になった戦争後半期にかえって加速していたようで、一般的な意味で言う有事への対応や

資源の最適な配分という意図からは、どうも外れた感が強い。元々戦場の論理とは別物なのでは。

●論点3

資源の有限性を前提にするな」と言うけれど、実はこの世界ではあらゆる物が有限だったりする。

トリアージ現場においては人員物資設備等の制約がボトルネックとなっているけど、そもそも人員物資設備等が

無限であれば、トリアージはもちろん企業経営の探求や経済学考察など、資源の効率的な配分を研究する

学問・営為は生まれなかったはず。経営学経済学をはじめ、多くの人間知的営為はその濫觴において、

現実世界資源の有限性を前提としており、その有効活用目的としているわけだから。

たとえば、市場メカニズム根本を支える価格シグナルは、財やサービスの需要と供給によって決定されるけれど、

供給無限商品の物量だけでなく運搬供給設備やそれらの生産性等も)であればその価格ゼロとなり、

人は欲望の尽きるまでそれらを蕩尽するはずだが、もちろん現実はそうじゃない。一見価格ゼロに見えても

広告販促込みだったりして誰かが費用を負担しており(そのままでは持続可能ではない)、いずれにしても

価格」の存在は、資源の有限性がこの世界に付き物だという事実を、端的に示していると言えるわけ。

またたとえば、かつて環境問題が今ほど注目されなかった時期には、社会的制限が存在しない中で

工場は排煙を垂れ流し放題だったけど、現在では空気ですら無限ではないというのが、環境問題認識する

あらゆる人間の知る所で、その為に各種の環境規制や課税が行われ、少なくとも先進国では、工場経営者も排煙その他の

公害原因の扱いに注意を払うようになっている。逆に各種エネルギー補助金(それは低い技術水準とワンセットだが)を

与えている中国インドなどは、その凄まじい蕩尽によって資源の国際価格高騰や各種公害の原因としても台頭している。

以上のように、資源無限か有限か(≒価格ゼロか否か)は、その資源を効率的に扱うインセンティブを決定している。

そして、およそあらゆる物に価格税金規制が付きものなのは、それらが現に有限だからに他ならず、

経営学経済学トリアージはもちろんとして、多くの人間知的活動はその資源制約によって発展・流転を促されてきた。

よって「資源の有限性を前提にするな」という主張は、現実を無視し多くの知的活動を否定する行為に等しく、場違いな指摘だと考えます。

有限性の前提や資源の効率的利用・効用最大化と言った考えがナチズムへとつながるのであれば、必然的にこの世の

学問・営為・制度・生活習慣は、その多くがナチズムの眷属となり、今回の件を特別批判する意味は限りなく薄まるはず。

●論点4

上と関連して。経営学はそもそも社会全体について語る学問なんだろうか?

経営学経済学は、もちろん共に資源制約の下での効率的利用を目的とするんだけど、後者が主に

社会全体の効用最大化を目指すのに対して、前者は時に社会全体の効用をかえって損なう決定を推奨しかねなかったりする。

既に上で述べた環境問題における企業行動が典型例だし、あるいは独占や寡占の追求、他企業とのカルテル

最近も相次ぐ情報の非対称性を悪用した偽装問題など、企業は時に利益追求という存在意義に忠実なまま、

社会全体の最適化からは逸脱しちゃう場合がよくある。そうした行為には違法な物からグレーゾーンまで何でもあり。

他に経済学概念上でだけで考えれば、ブランド構築・製品差別化特許等の独占的使用販売権の取得等も、

完全競争を避ける狙いから行われる、社会全体の最適化に反した行動とみなせる。もちろんこれらの場合は

消費者社会利益となる場合もあるんだけど。ともかく経営が目指すのは本質的部分最適・部分均衡なわけ。

このように企業はいろいろな経営的実践を通して、市場における競争を避け、超過利潤・独占利潤を得ようとする。

それに対して、各種公害規制や独占禁止政策・不正競争防止、情報の非対称性の排除などを通じて、市場メカニズム

健全な作用を維持し、また時に所得再分配考慮し、社会全体の効用最大化を目指すのが、一般的な意味で言う経済学の使命。

つまり、別々の学問として定立している以上当然なんだけど、経営学的実践における「全体」と、

経済学的・政治的・社会的実践における「全体」とは、多くの場合かけ離れているんだね。

よって、(仮に)経営学的営為の例としてトリアージを取り上げる場合でも、それらが一般的な意味で言う「全体」、

社会国家全体に敷衍されて適用される恐れがあると考えるのは、学問目標を見誤った、飛躍を含んだ主張じゃなかろーか。

●論点5

トリアージに関連して「他者性がない」選択と言うけど、その「他者」の扱いも恣意性を含んでいるのでは?

既出のようにこの世界のあらゆる物は有限であり、ある選択は必然的に他者の選択を制限してしまうのが世の常。

だからたとえば、日常の買い物で財布の中身と照らし合わせながら商品を決める(予算制約下の最適化行動)裏には、

売り上げ好調で繁栄する勝ち組企業と同時に、売れない商品を作って経営不振に陥り、場合によっては

倒産する「かわいそうな」負け組企業存在があったりする。ひょっとしたら「切り捨て」られたその経営者

自ら命を絶ってしまうかも知れない。その他日常ありふれた選択が、当然のように多くの他者の運命を決定している。

政治上の決定で見ればもっとわかりやすい、再分配は必ず財源を必要とする。

たとえば公共事業を削ればどうしても倒産は増えてしまう。増税だって薄く広いだけで景気を落ち込ませずには居られない。

以上のように考えれば、無視出来ない他者の範囲は空間的・時間的に際限なく広げる事が可能であり、

トリアージだけを取り上げ、その「他者性がない」側面を強調する行為には、恣意性が含まれているのではないかと。

●論点6

トリアージを「全体主義的な決定」「悪しき決断」と言うけど、平等な個人の自由な契約という所からも基礎付けられないだろーか。

仮に「災害時に被災・負傷し、物的人的制約のある災害医療の拠点に搬送された場合にどのような治療戦略を望むか」

という契約をあらかじめ(被災時に意識を失えば意思の確認が出来ず不公平なので)交わすとすれば、

そして公序良俗に反するという立場から、金銭などの代償を対価とした優遇や、自己犠牲を禁じ手とすれば、

自由かつ平等な個人は、期待生存率を最大にする為=自分自身の為にトリアージを選択する権利を行使するはず。

これが全体主義国家ならマイノリティ放置され、地位や能力のある者の治療を優先させられるかも知れない。

よってトリアージは「みんながひとりのために」でも「ひとりがみんなのために」でもなく、

「ひとりがひとりのために」という個人主義ベースとした選択と考える事も十分可能だと思う。

また自分の命が常に他者の命と可換であるという強い認識が働くから、他者認識がないという批判も的外れとなるはず。

(ちなみに治療従事者自体はロボットだって構わないわけで、その他者性認識を問題にする意義は仮想の話の上では薄いと思われ)。

以上はリベラリズムの基本である無知ヴェールアイデアを多少拝借した物。

無知ヴェールとはリベラリズム上の社会正義のあり方を考える思考実験で、それを被された者は他人はもちろん

自分も含めたあらゆる属性・・・住所氏名年齢性別人種主義主張経済状態等々・・・がわからなくなってしまう。

その状態で、各個人は自身の利益も含めもっとも望ましく公正な社会の条件を考えてみよ、というのが実験の中身。

で、リベラリズム上の議論においては、その条件の下で「格差は最も弱い立場の人々の効用を最大化する目的でのみ正当化される」

という「格差原理」が導出される事になっている。では、トリアージ現場において、それがどのような人々に当たり、

かつその条件の下で選択要請される治療戦略とはどのような物になるだろうか、ちょっくらこれを考えてみる。

まず被災患者を症例・緊急度により以下のように分ける。

A.所与の医療資源技術では、どれだけ治療を施しても亡くなってしまうとされるグループ(START法では黒いタグを付けられる)

B.放置すれば亡くなってしまうが、治療を施せば助かる可能性のあるグループ(赤、または黄色のタグを付けられる)

C.治療の必要が無い軽傷か無傷のグループ(緑のタグを付けられる)

そして以下のように選択可能な治療戦略が提示されているとする。

1.治療を受けられない人は「かわいそう」だから「公平に」症状は無視し、医療資源を人数分で割って全員に割り当てる「平等戦略

2.治療を受けられない人は「かわいそう」だから「公平に」症状は無視し、各人へのくじ引きで割り当てを決める「機会均等戦略

3.最も重症で生存の見込みのないAは一番「かわいそう」だから、そこに医療資源限界まで注ぎ込む「蜘蛛の糸戦略

4.Bに医療資源を注ぎ込む、いわゆる「トリアージ戦略

5.まずCに医療資源を注いじゃおうという、文字通りの「贅沢戦略

これら5つの内であれば、各人は全体最適など考えずとも(それを考えるのが完全な悪というのもおかしいんだけど)、

個人の利害に触発されて、自由かつ平等な権利の下に、最も自らの期待生存率の高い4のトリアージ戦略を選ぶはず。

ではその場合の「最も弱い」人はどの患者グループなのか、その効用はどうなるのかを不謹慎な表現も交えるかもだが次に検討

もし医療資源を注ぎ込んでも「ほぼ」助からない黒いタグ、この場合グループAの患者だとすれば、どのような治療戦略においても

「ほぼ」死亡という結果に終わり、効用は「ほぼ」不変=「ほぼ」常に最大だからトリアージを選ぶ事は「ほぼ」許容される。

次に死亡状態とみなされる人ではなく、助かる可能性はあるが治療を必要とする赤や黄色のタググループBに含まれる患者

「最も弱い立場」とするならば、トリアージによって最も手厚く医療資源を配分される事になるから、やはり許容範囲となるはず。

グループCの緑のタグ患者検討するまでもないとします。

問題はもちろんグループAについての「ほぼ」の取り扱い。技術水準の問題として閑却する事も話の上では出来るんだけど、

(前にネタのした時は確実に生存率を判定出来ると仮定したので簡単だった)、現実トリアージではそうは行かない。

ただ、いずれにしても確率的な選択を強いられるのであれば、やっぱり4のトリアージ戦略しかないと思うんだけどね。

あと検討の順序が逆だったり、戦略や条件の設定の重複・恣意性等あるけど、まあ素人なんで大目に見てくださいな、と。

基本的には無知ヴェールまで降りて議論するまでもなく、最初の期待生存率+公序良俗の「治療戦略選択契約」の話で

大体OKと思うし、そこで「全体主義的」なる批判はシャットアウト可能だと考えてます。よってここらでこの論点終了。

字数制限でhttp://anond.hatelabo.jp/20080817193711へと続きます。目障りでごめんなさい。

2007-10-11

権力が欲しい、金が欲しい、とにかくチカラが欲しい

先日、友人が死んだよ。交通事故。友人2人も同乗する車での事故。酷いケガで意識も朦朧としていた。自分はちょっとした打撲程度で大した事は無かった。救急車を呼んで同乗するも、受け入れ先の病院が無い。なんだかんだで受け入れてくれない。別に深夜でもない。昼間の4時ですよ。たらい回し。そうこうしているうちに酷いケガの友人はみるみる元気が無くなっていく。「かかりつけのお医者さんは無いですか?」なんて聞かれたけど、全員、いたって健康でそんな医者なんぞ知らない。結局、病院に担ぎ込まれたのは、救急車に乗ってから1時間後。車内では救急隊員が必死で心臓マッサージ。大した事無い俺達は、泣き叫ぶ事しかできない。みんなで救急車の中から携帯で119して受け入れてくれる病院なんとかしてくれ、それはできないとかなんとかで怒鳴る事しかできない。104で病院探して電話しても救急車に従ってくれの一点張り。その救急車が困ってるのにどうにもならない。俺達はわーわー怒鳴るだけで何もできない。そういう時に何をしたら最善なのかもわからない。そうやってるうちにも友人は弱っていく。返事が無くなる。

受け入れてくれた病院でも大騒ぎ、結局、俺達の前で臨終になった。医者救急車の運転手にも掴みかかった。彼らはベストを尽くしてくれたのだろうか。俺達は感情むき出し、血まみれ涙まみれで抗議にならない抗議をした。彼らはたんたんとしていた。まあ、こういうもんですよ。みたいな、そういう態度だった。

俺達が政治家だったら、もっと違った対応をしてくれたのだろうか、明らかに金持ちっぽかったら対応が違ったのだろうか、無礼な話かもしれないけど、自分が天皇だったら、総理大臣だったら、県知事だったら、友人はしかるべき処置を受けられたんじゃないか。俺達は余りにも無力だった。大切な友人を失った。俺達にもっとチカラがあればよかったんじゃないか。

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