はてなキーワード: 募金とは
このゲームは「理由あって、アイドル!」というキャッチの通り、何かしらの理由により何かの職を辞めているという設定が、恐らく全キャラにされているのがひとつの特徴となっている。
で、この桜庭薫の場合は元医者なのだが「姉の命を奪った病気を治すため、トップアイドルを目指す」という。
公式HPにもバッチリ書いてある→ http://side-m.idolmaster.jp/
各所でそのようなツッコミがされまくっていて、自分もその一人。
何があったら医者からトップアイドルを目指すのか、彼の人生に一体何があったのか。
気になって気になって仕方なくなってしまい、気付いたらそのことばかり考えてしまっていて、そうこうしているうちにいつの間にか仮説を3つほど考えたのでまとめてみた。
仮説①「募金を募るため」
姉の命を奪った病を無くすため猛勉強し、無事医師免許を取得した薫。すぐに研究に取り掛かり、やっとの思いでその治療法を見つけたが、その治療法を確立させるためには莫大な金が必要だった。予算の枠を遥かに超えた額だったのである。
落胆する薫だったが、たまたまテレビに映ったアイドル番組を見て閃いた。
「これだけ沢山の人を集められれば、その人達から募金を募れば金はなんとかなるかもしれない」
自分で言うのも何だがカラオケは多少自信があるし、ルックスも街を歩けば声を掛けられることも珍しくない。元医者という経歴の異色さも面白いのではないか。イケるかもしれない。
デビュー当時からその動機はオープンにし、募金活動も積極的に行った。ステージでの決め台詞は「みんな、今日も募金頼むぜ」。
なお、ファンに公言はしていないものの医者時代から必要最低限の生活費(大卒の初任給くらい)を超えた収入は全て自ら募金に充てており、アイドルとしては質素な生活をしている。そのためラジオやテレビでたまに見せる意外な庶民性に心打たれるファンも少なくない
まず、公式の画像に「至高の舞台(オペ)の始まりだ!」という台詞がある通り、薫は「舞台」を「オペ」と言う(http://side-m.idolmaster.jp/)。つまり、薫にとって舞台とは治療であるということ。それを踏まえた上での仮説である。
薫は医者になってすぐに研究に取り掛かり、辿り着いたその治療法は驚くべきものだった。
なんと嬉しさや楽しさ、つまり「幸福感」を与えること。それも歌や音楽で与える幸福感が最も効果的な治療法だということが判明したのである。
姉のために猛勉強して医者になった薫だったが、医者では姉の病気を治療できないと分かると、次の日には辞表を出してアイドルを目指していた。
ステージの決め台詞は「ファン(患者)のみんな、オペ(舞台)の時間だ」。
なお、姉と同じ病気の患者は交通費も含め無料で招待しており、現地まで行けない患者には病院まで薫自ら足を運び歌を披露することもある。普段はクールなキャラだが患者の完治報告があると顔をぐしゃぐしゃにして涙を流して喜ぶ。
まず、sideMという世界ではチャクラや念のような「アイドル」という力を使うことが出来る。
薫は姉の命を奪った病気を無くすため、最も効果的に「治癒のアイドル」を鍛えられる医者になったが、いくら研究しても研究してもその治療法を発見できないまま、月日は流れていった…。
そんなある日、世界中に大ニュースが流れた。生きた伝説である日高舞がこの世の果てにあると言われていた幻の鬼ヶ島(別名:天ヶ瀬)へ、彼女の力の全てを置いてきたという。
秘宝の名は「トップアイドル」。そして大アイドル時代の幕が開けた。
トップアイドルを手に入れればその力で夢が叶うかもしれない。ライバルは星の数ほどいるが、その目に迷いはなかった。
個人的には百歩譲って有り得そうなのは①だが、キャラ的に美味しいのは②。
③は7つのアイドルを集めて願いを叶えるverやトップアイドルという名の火影を目指すverなど、バリエーションは様々。
あー、スッキリした。
これらの仮説が正解か不正解かどうかは個人的にはわりとどうでもいい。
確かにそうでしたね。おっしゃるとおり、単純に売上げで比較することは難しいですね。しかしこのサービスそのものが募金箱のようなシステムだとも考えることができると私は考えています。
我々には少なからず「何かをしてもらったら、お返しをしたい」という気持ちがありますよね?それをこのシステムで体現できます。サービスの対価としての払うお金もありますが、「感謝」や「応援した」という気持ちでお金払うこともあるのではないでしょうか?また潜在的にそういった欲求があるのではないでしょうか?私はそう考えます。
利用者が価格を決められるコンテンツショッピングについて考えています。匿名ダイアリーの皆さんの意見を聞きたくて投稿しました。
ネット上で映画とかドラマ見ようと思ったら料金かかりますよね?それを利用者が自分で決めることができたなら、面白いんじゃないかと思ってます。具体的にはiTunesStoreみたいなものです。映画を見るには購入する必要があります。ただiTunesStoreと違うのは、「支払う金額をユーザが入力することができる」という点です。もちろん、0円でも購入できます。0円でも1000円でもコンテンツに制限はなく、利用者が納得した金額だけ払えばいい。そういったサービスです。また見終わったあとでやっぱり「0円じゃ申し訳ない」と思ったら、追加で払うことができます。
「それでは作者の収益がなくなるのでは?」と考える方も多いと思います。正直なところ、これについてはやってみなくては分かりません。ただ、面白いデータがありますのでご紹介いたします。
スタンフォード大学で「起業家コース」を専攻していた学生たちの話です。彼らは授業の一環でタイヤの空気入れのビジネスをはじめました。最初は「1ドルでタイヤの空気をいれます」という看板を出していました。その後で「タイヤの空気を入れます。料金はあなたのお気持ちで」に変更し、募金箱を設置しました。すると後者の方が収益があがったそうです。-NHKスタンフォード白熱教室より
もちろんこの事例がそっくりそのままインターネットコンテンツに当てはまる訳ではありません。ネットコンテンツでは逆の場合も多いに考えられます。ただ、興味深い事例だと思いませんか?
俺は虚構新聞。小学校の塾講師をやる傍ら、人気ジョークサイトをひとりで作り上げた。
ツイッターでも人気がある。なぜなら人気ジョークサイトをひとりで作り上げたからだ。
俺はロックでパンキッシュだから、天下の朝日新聞すらネタにする。
歴史ある新聞社が、新聞社そのものをパロディにしたサイトを逆取材して来た。これはついに、ユーモアが事実に勝利した日だと認識していいよな?
まあそんなちょっとした自慢は置いておいて、今日は何よりもユニセフの話だ。
俺はお前ら無責任ひきこもりニートと違って、炎上で儲けた広告費をフィリピン大地震に募金するイカした塾講師だから、まず間違いなく俺は正義だ。これで誰も俺を叩けやしない。
ちなみに西村ひろゆきとかいう小物もユニセフと揉めて赤十字に寄付したらしいが、要はアレは俺のパクリだ。
まあそんなこんなでオリジナリティ溢れるジョークセンスを世間に振りまいている俺だが、そんな俺にも困ったことがある。
それはユーモア欠乏症のお前らが、この俺様のイカした人気サイト、「虚構新聞」をまるで理解しやがらないことだ。
モンティパイソンにも通ずる風刺の感覚を持っている俺だが、新聞社が大手を振るって歩くこの時代、なかなかどうしてこれを面白がってくれる奴がいない。まったく、どいつもこいつも新聞社を信用しすぎなんじゃねえか? ミスインターナショナル吉松育美さんの脅迫事件も全然報道しやがらねえし、どうなってんだよ。
ただ言っておくが、俺はツイッターでは大人気だからな? ファンも多い。
俺の風刺の感覚を、ちゃんと分かってくれてるんだよな。モンティパイソンにも通ずるこの感覚をな。
あ、そうそう。ちなみに「kyoko-np.net」っていう虚構新聞のアドレスは、京都新聞の公式サイト、「www.kyoto-np.co.jp/」からパクった。あ、「パロディ」って言わないと誤解を生むかな?(笑)。
まあ言っても、面白いと感じる感覚は人それぞれだから仕方ない。ただ俺はモンティパイソンを通って来た人間だということだけは改めて言っておくがな。
最近もichidaっていう、うちのサイトで連載をしてる漫画家と会って来た。
こいつは俺と違って普通に面白い。虚構新聞にも四コマが載ってるから、ぜひ彼に仕事を与えてあげてくれよな。まあ俺は塾講師との二足のわらじでなかなか忙しいんだが(笑)。最近は人気の副作用でいろいろと仕事を貰えるようになって来た。漫画のレビューもやってるが、本当はもっと飛躍してバンジージャンプなんてやってみたいんだよな。テレビに出て、生徒に虚構新聞だってバレるのも時間の問題かな?(笑)
そうそう、そのイカした漫画家ichidaと会ったときも、俺は人当たりのいいジョークで場を和ませた。まあもっとも俺は関西人だから、元からそういうのは得意なんだが(笑)。
しかし、最近はどうも俺に恥をかかせたがる奴が多い。俺は天下の虚構新聞だぜ? フィリピン大地震にも寄付したし、塾講師と二足のわらじを履いて日々の生活を成立させてる関西人だ。そしてなんといってもモンティパイソンが好きだ。
まあ、恥をかかせる奴が多いと言っても、俺自身はいくらでもネタにしてもらって構わない。中にはちょっと批判されるとすぐツイッターで言い訳する奴もいるが、ああいうのは正直言ってダサいな。相手の捉え方がおかしいとか言って正論を吐き続けたりするが、そんなことしてる暇があったらフィリピン大地震に募金しろってんだよ。いやマジで。
ちょっとでも批判されるとすぐにアツくなって「俺は恥をかいてないぜ」って理論武装しやがるけどさ、いやいや、そこでマジレスしてる場合かよ。アンチこそがネタの大資源だろうが。南海キャンディーズの山ちゃんを見習えってんだよな。このままじゃ、俺とあいつは日本の石油王になっちまうぜ?
だからさ、自虐ができてこそのジョーク使いだってことを、お前らにもちゃんと分かっといてほしいんだよな。モンティパイソンだってそうだったはずなんだよ。
まあ長くなったので今日はここでそろそろ終わりにするが、これからも俺の運営する神聖なるジョークサイト、「虚構新聞」をよろしく頼むな。もっとも最近は、ボーガスニュースがアラブ人にハッキングされてんのが一番面白かったが。これにはさすがに嫉妬した。うちも対抗して本当のニュース載せてみようか?(笑)
あ、そうそう。言い忘れてたけど、ついでに言うと俺はサザエbotも運営している。
どうだ、この多才っぷりに参ったか?
なんでパーソナルな趣味趣向に俺1個人が状況に適応する必要がでてくんの?
ルールの話と俺ルールの比喩? なんかそれ本題に沿ってる気がするね
なんで一回あやまったら1個人との意思疎通に関して1個人が1個人に謝罪とか必要になってんのかな?
一体なんなのと聞かれたから 応えてあげるが世の情けってノリで応えたら 返事しただろ謝罪しろみたいなもんか?
金角銀角みたいなもんなの?
いやあったらあったで そうかもしれないし俺気付かなかったよ
たださ その納品にあたってこっちはなんにも対価もらってないよ?
取引成立してないとおもうから 謝れとかいうのは いやもう謝ってるけど ちょっと溜飲を下げて欲しい気がするわ
たしかに個人間のコミュニケーションで不快に思う事があれば謝罪を求めたりとかするのもあるとおもうよ
でもさ匿名じゃん 謝罪はするけどさ 個人間のコミュニケーションを確立するためのサービスじゃないの 使ってるわけじゃん
ちょっと溜飲下げて欲しいわ
いやべつにさ そのきみがどこのだれでなにをしてどういう文章がすきとか全然関係ないことを前提に話してたわけで
何をもって100%なのかその損失分は何なのか というか100%違ってたら別物じゃね?関係ないことに謝罪しろってあれか
返す刀か すまんそれまあよくわからんけどあやまるわごめん
それですまんな 説明もとめられてるから返事してるだけなんだけど こんな匿名サービスが気に入らなかったらそっとじな
その自転車な 乗ったことあるって 運転じゃないって 外的要因を察知するという話も関係はするんだけど そうじゃないんだって
ボリュームがいきなり大きくならないって保障が完全にないならいいけど シャッフルで流しててまわってきた絶叫イントロが不意にきたとして
運転側だと ハンドル操作あやまらないかと 二人乗りができる自転車だとして乗車状態に影響はでないのかと その可能性がないのかと聞いてたんだわ
それもべつに関係なかったらいいじゃんごめんっていってるじゃん 関係なかったらスルーな 100%関係なかったらスルーな だって関係ない話題なんだもん
歩いてる人間でも突然びっくりして飛び上がったりぶつかったりするだろうけど 自転車とかそのなにかしら器具つかってるときに なにかしら行動をしてしまう要因をもたせるのは
どうなのって質問な 意見じゃないし命令でもないし肯定でもないよ だったらやばいだろって話だよ だから自転車でイヤホンはだめってルールは遵守しようって話にしたかったんだよ
やばくないよってことならそこで話はおしまい ごめんな変な話だしてしまってさ
そんなの音楽きいてなくてもいきなりへんな行動とるバカいるだろって 話はあるとおもうよ そんなやつには自転車のせんなって 言いたくなるじゃん?
ならないか ならないわなすまん だれにもそんな権利ないもんな いきなり人にむかって突進するようなやつでも自転車にのる自由の権利はあるもんな
たださ ちょっと俺はさ そういうのが事前にわかってたら乗るのやめようよって ふつう思うじゃんってその普通が何人のどういった事項に対する平均かわからんけど
そういう選択が多くあればいいなって希望的観測をしてみたんだよ ああすまん俺個人の脳の中身の話は不要だったな ごめん
イヤホンしてるやつが気がつかないなら避けたらいいだけだろ むしろ真正面からきても自動車が完全停止しなかったら自動車側に責任とわれるだろ
外的状況を把握して避けられるものを避けろってのは こっちは寝不足で運転してるんだからぶつかることくらい予想して道路を自転車で走行しろよってことに近くないか
ああ近くないな ごめんこれはわすれてくれ スルーで てか車と自転車とイヤホンって電車と電話と全然関係ない話だもんな 忘れてくれ ごめん
そういういちゃもん状態をぬきにしてだな その自転車とイヤホンだけの関係から発生する まきこまれるじゃなしな 発生する自体はどうなのよって問題提起を質問にしたかったわけなんだよ
もちろん 応える義務はないって答えもありだし できればないならスルーが一番たすかるんだが いろいろごめんな 忘れてくれ
「俺はお前の文章がキモいから改めろ そして不快だから謝れ」ってその気持ちをぶつけてくれるのはありがたいけどさ こっちも一応それなりに誠意をもって接してるわけじゃん?
なんでこっちの気持ちは汲み取ってくれないわけ? 一体なんなの?
とりあえずさ あげあしとって相手から謝罪を引きだしたら論破ゲームなのかわかんないけどさ
べつにだれもそんなことしてないだろ ぷぎゃーみたいなそんなの したか?感じたとかじゃなくて したのか?
どこの定義で知らずにしてたならすまんあやまる ってかあやまってんじゃん 気に入らないかもしれないけどさ それ別の文化をアタマから否定しない筋からいえば
こっちのつくしてる礼をあんまり踏まないでほしいんだけどさ
文句を言った事がある経験か回数かと 他の人が遭遇する問題と同じ論点になるのか?俺はならないと思ってたんだけどなったらごめんな
募金したことがあるのかみたいなやつだけどさ 自分が募金をしていれば募金していない人間に対してなにか特権が生まれるの?
文句をいいたくなることはあるさ いったかもしれねえ それはすまん 言わないようにはしたいけどできるかわからん
なあ その無意味に文句をいわれる回数を 言われる側は減らしたいとか思わないか? 思わないか だったらすまん
電車で電話をしているとそれについて意見したり指摘したりしてくる件数がそれなりにあったんじゃないかと思うんだよ だったら電車内での電話の仕方を策定するのと 禁止にするのとでは
きっぷ代金で対応できる理想的な案は 禁止だろって思うんだわ それ市民生活じゃなくて 電車の運営側でな
それがマナーとか俺かんがえたとか 言うのはいいだろうともおもうよ 電話をしないということに方法とか手段とか関係ないもんね
たださ そうなると その発案した人がいないところならOKなのかってつっこみが不要にこないか? こないならすまん だれもがその発案者をしってたらすまん
電車がそういうルールなら その人いなくても大丈夫だろ 問題低減できないか? アイドルとかに提言させたらファンがルールに順応するとか予想してしまってだな
すまんできないな 関係なかったわ
海外の話も OKかNGか 二極じゃないと思うんだが 違ってたか ごめんな
海外でOKなのは電話だけじゃねえ って話だったんだわ 海外でしてること でもなく 海外の電車での携帯電話 でもなく
海外の電車の運営は 日本のそれとちがうよな って言いたかったんだよ
海外の電車の運営が違う それには電話もふくまれるが電話の部分だけ取り沙汰しても 他の要因がついてくるよな って同意的な質問だったんだよ
なあ ぶっちゃけどう思われようがかまわんし こっちは個人を特定してその知性や個性や特徴についてなにか語るつもりは全然ないわけなんだよね
伝わってなかったら悪かったよ ごめん すまないと思ってる
まあ 気分で応えるってスタンスも それは個人のものだし それは改めて重ねて 俺がなんとか言う問題じゃないだろう
俺がアホかどうかはツイッターかはてなブログで晒しておくれよ 気の済むように罵倒を連投してくれてもかまわない
いやおれはかまわないんだがはてな運営がそういうシステム利用についてなにもしないって俺が保障するわけじゃないよ
俺は 1個人として1個人の自由を奪う気はない その気晴らしに使う手段は俺の意見するところじゃないよなって思うよ
厳密にいえば いや厳密とかいう画数の多い感じだと不快だよね とか個人情報に立ち入った?いやごめんね立ち入るつもりはなかったんだけどさ
ホスピタリティみたいなもんでさ ああ 俺の情報もいらんか ごめんわるかった
その 携帯電話使用のルールについて局面選択として電車に乗車しているとき の話じゃん?
車内で電話がマナー違反っていってるのは都市伝説じゃなくて 鉄道会社がポスターつくったりして掲げてるわけじゃん?
電車つかってるのに 鉄道会社の意図を無視するとかおかしくね? てか鉄道会社が経費をかけてくれてるのに 日本の民度が高いとかに転換するのとかおかしくね
みたいな話をしたかったんだよ いやこれも俺の意図って個人情報だわな すまん
これで「一体なんなの」という疑問に返答が出来たかな? できてなかったらすまん 俺の力不足だ ここまでしかできないと思うわ
アフリカの子ども達より自分の家族や子どもが大事なのは人間の本能。
人間の本能に反することをやろうとしても、どうせ長続きしない。
無理しない範囲で募金とかしてればいい、と思ってる。
地球上のすべての土地を削り取って海に投げ込むと陸地は無くなって海だけになるという。つまり山の総量よりも海の深さの総計(海の容量)の方が大きいということだ。
一つの例え話なのでこれが事実であるかはどちらでもいい(たぶん事実だけど)。
もしくは以下のような仮定をしてみる。。
予算に限りのあるNPO、例えば貧しい人に食料を配布するNPOだとしよう。そのNPOが一部の人だけに支援をするのは不適切だからと支援の対象者を世界の全員に広げたら支援は一食分にも満たずに結局は一人も救えないことになる。一人ひとりには取るに足りない金額でもかき集めれば何かを成し得るという募金の考え方の真逆になってしまう。
世界は少しずつ改善されており、建前と現実に食い違いはあるものの着実に民族や宗教、性別やジェンダーでの差別を減らす方向に向かっている。
奴隷はいなくなり、軍人ですらも拷問されない権利があり、病気や障害などで働けない人、そもそも働く気のないような人ですらも生きることは保障されていたりもする。
今では子供向けギャグマンガでうっかり男の子同士がキスしちゃったりしたときに「オエー!気持ち悪い!」なんて言っている描写を見ると、同性愛者の人は気分を害していないだろうか?なんて余計な心配をしてしまうぐらいに世界は「配慮」に満ち溢れている。
もちろん国や地域や社会階層などで進行・浸透の度合いは違うけれど、少なくとも日本の属する西側先進国の間ではあらゆるマイノリティに対しての配慮を進め、平等な社会を実現することを目標としているように見える。
貧困や差別は無い方がいいに決まってる。貧困にまつわる問題を解決するためには貧困層以外の全員がなんらかの負担をしなければならない。それはある程度は税金と言う形で実現されている。
差別をなくすためにも何らかの負担は必要だ。上に挙げた例のようにゲイやオカマ、デブ、ハゲ、チビに嫌な思いをさせないためには程度の低いジョークを止める程度の負担で済む。もっと根深い差別に対しても同様で、差別される側が深く傷つく代わりに、差別していた側が広く浅く少しだけ何かの負担をすればいい。それは金銭的、精神的な負担だったりもしくは歴史的背景を学ぶことだったりといろいろな事が必要だとは思うけれどつまりはマイノリティが抱え込まされている負の財産を大勢でちょっとずつ負担するという募金のような考え方になるんじゃないかと思っている。
2012年ごろに月刊アフタヌーンで連載していた「勇者ヴォグ・ランバ」という漫画で以下のようなセリフがあった。正確には覚えてないので印象に残った部分の要約みたいになってしまうがこんな感じだ。
「世界から奴隷がいなくなったので今まで奴隷がやっていたような労働を一般の人が少しずつやるようになった。世界から戦争を無くしたいならば一般の人を含めた全員が今まで軍人がやっていたような作業をやらなければならない。」
続きで語られる具体的な部分は覚えていないが、つまりは戦争を無くすという大きな変革を成し遂げるためには全員がそれなりの負担をする(主人公は為政者側なので「負担をさせる」が正しいが)覚悟が必要。覚悟も無しにきれいごとを言っても意味が無い。という会話だったと思う。
誤解の無いように書いておくと、ここで言う「軍人がやっていたような作業」とは人を殺して回ることなどではなく、もっと精神的な部分だったと思う。この辺で揚げ足を取られるのは本意ではないので意図を汲んでいただけると幸いです。
現実に話を戻すと、少人数の重病の人の治療費をみんなの保険でカバーすることは可能だと思う。日本の人口の2%程度に生活保護を支給するのもまだ大丈夫だろう。でもこれは日本と言う裕福度の平均値が高い閉じた社会だから可能なだけであって、先の二例だけであってもこれを世界中に広げることは不可能だ。
全ての先進国が食事の選択肢を減らし、贅沢をしないように、残飯が出ないように、とがんばればアフリカで飢えてる人を全員救ってもまだ余るらしい。じゃあやりますか?「それ(アフリカ)とこれ(先進国)は別」というのが現在出ている答え。これについては特にコメントしない。
食料やお金なら多少は分けてあげてもいいという人もいるかもしれない。じゃあ平和を少し分けてあげることはできますか?過度な貧困地域や犯罪多発地域を無くすために世界で広く貧困と犯罪を引き受けてあげますか?
(貧困が減れば犯罪も減るかも知れないので、それらの総量は常に一定ではないかもしれないけどここでは無視する)
今は世界の都会でもいわゆる危険なエリアに行かなければそこそこ安全だけれども、広く薄く貧困と犯罪を引き受けるというのは、全員が常にそこそこの犯罪リスクにさらされながら生きるという事になるのではないかと思ってしまう。全員が「負担」として十分な警戒心と自己防衛の知識と技術を持たなければならなくなるのではないだろうか。
先進国の豊かな暮らしは、貧困や犯罪や差別や不衛生やその他の負の財産を途上国やマイノリティに負担してもらう事でなりたっている。
みんなの理解や努力で負の財産自体を減らしたり消滅させたりすることが可能な部分もあるとは思う。
全ての人を救おうとした結果に待っているのはすべての人の不幸なんじゃないだろうか。
おれの考え方がおかしいのかもしれない。みんなこの辺にどう整合性を付けているか気になる。
トラバにあるように、まずは自分の生活が大事。遠くの誰かより身近なペットが心配。というのは理解できるし自分もたぶんそういう人間だと思う。
しかし目が届きにくいからと言って遠くの問題から目をそらすのは人間としてあまり程度の高くない行いにも思える。100年前ならいざ知らず今はインターネットやマスメディアなどで多くの情報を得られ、一般人でもその気になれば世界のほぼどこにでも行ける時代だ。なのに「遠くの事は知りません」という態度が(個人としてではなく社会として)正しいのかはわからない。
じゃあ何をどこまですればいい?そもそも今のまま差別や不公平をなくして行けば良くなるのか?もしかして良くしてるつもりがみんなで袋小路に突き進んでるのではないのか?と疑問がつきない。というのが現状。
トラバもブコメもあんまりついてないのに追記ばかりしてもしょうがないのだけれど、どうも意図がうまく伝えられてないようなので書き足す。
身近 VS 遠く という軸も気になる部分の一つではあるのだけどそれが主題ではないのです。
社会は確実に「遠くの知らない誰か」や「昔なら無視していいと考えられていたマイノリティ」に配慮する方向に向かっています。だからと言って身近な人やマジョリティに死ねとかは誰も言っていない。全員が幸せになるために、現状不幸せな人が幸せラインに立てる方策を模索しているわけですよね。
だけど「全員が幸せ」っていうのは実現可能なのか?それは「全員が少し不幸せ」になるのではないか?と言っているのです。
10の人、5の人、マイナス10の人、いろいろいると思います。(誰がどういう基準で判断するのかは置いといてください。定量化が目的ではなく、ただの表現ですから)
全員の幸せを目指した時にせめて3とか4で落ち着けばいいけれど、結局全員がマイナス7とかになるんだとしたら悲しい結末ですよね。会社で言うならば使えない社員やアルバイトにも平均的正社員と同じ待遇を与え、障害者雇用も推し進めてたら潰れてしまったということになるんじゃないの?差別や不平等は無くした方がいいとは思いながらも、差別や不平等があるからこそ今の生活があるのだとしたら、差別や不平等を無くさない方がいいんじゃないのか?でもそれは被差別者の人権を考えるともうありえない選択肢になっている。つまり社会は沈没に向かっているということになるのではないか?
というのがメインテーマです。
いろいろ意見をいただけてうれしいです。今後も考える材料にしたいと思います。より有益な意見をもらえるように以下に気になったコメント等に返事します。これ以降、コメント等への返事については「追記」とか区切らずに追記しちゃいます。
そもそも幸せかどうかって以前に命が保証されてない生活を送っている層もあるわけで、食料や医療の問題と、差別やマイノリティの問題を同じステージで考えるのは無理があると思うよ
だけども、基本的には同じだと思っています。
命が保障されていない人たちを救うために自分たちの命の保証度を引き下げる事をどう考えるか?
差別されている人を差別から自由にするために自分たちの自由が減ることをどう考えるか?
一個一個を見ると「やるべき」に思えるけど、それらをすべて推し進めた先には暗い未来が待ってる気がする。結局は誰かを犠牲にしないと生きていけないのか?という疑問です。
歴史上、農耕社会成立以降に被搾取者や非差別者がいなかった事はありません。彼らの犠牲なしに人間は社会を維持できるのか?犠牲のない社会とはどんな社会なのか?そこに自分は暮したいのか?今の暮らしを維持するために誰かを犠牲にし続けるのか?結局は「遠くの被差別者よりも身の回りが大事だから」と言って物質的精神的搾取を続けるのか?わからないことだらけで困っています。
わかりやすい説明をありがとうございます。
富の問題に関しては少なくとも良い方向に向かってるんですね。なんか安心。
これは同意するけどね。
でも、実際の所、2000円程度って、今の就活生にすれば全ての会社に払っても別になんともないくらいの金額なんじゃないのかな?
勿論余計な出費にはなるけど100社も受ければ20万とかになるし。。。
でも、地方からくる人だと数社受けるのに旅費で数万かかるんだろうし、ある意味で機会均等にはなるしな。今回も地方からは取らないみたいだし。
それに、せみなーやらなんやらで、なんか色々お金かかるんでしょ?ぜーんぶリクルートとかがウハウハしてるだけなんだろうけど。
なしにするには単に一括採用やめればいいだけ。ただ、急にそんなこと言っても確かに一括採用の方がコストが低いから全てが出来るわけじゃない。
受験料を全額募金すれば批判かわせるだろうと思ってそうなところが余計に質が悪い。
立場を利用して学生にこういう無意味なことをやらせたがる会社は総じて気持ち悪い。
ドワンゴが受験料を払わせるのと餃子の王将が新人研修で新入社員に土下座を強要させるのは本質的には同じ。
会社や上司の無意味で理不尽な要求をどれだけ忠実に守れる奴隷なのか試しているだけ。
自分の頭で何も考えない奴隷を積極的に募集するような会社は例外なくブラック。
ドワンゴは本気度を試したいとか言ってるが、こんなのにカネ払って集まってくるような学生は間違いなく無能。
書くのが遅れてしまって、ちょっと古い話なんだけど。11月15日~24日まで東京の駒沢オリンピック公園で開催されていた、東京ラーメンショー2013に行ってきた。今年で5回目となるイベントだそうだ。ラーメンマニアというわけではないが、立ち寄りやすい立地にあり毎年一度は足を運ぶ。今年は人付き合いもあってなんだかんだで開催中の10日間毎日行き、30種類以上のラーメンを食べた。
イベント価格というやつなのだろうが、それでもやはり高い。800円も取るのならそれなりに量を多くしてもらいたいところ。もしくは一度に何種類か食べられた方が嬉しいので量は変えないかやや少なくして、価格を安くしてほしい。小サイズがあってもいい。
100円~500円くらいの別料金を払ってトッピングを追加できるという店が大半だ。数年前の同イベントではトッピングは一部の店がやっているだけで、価格も50円~100円くらいだったと記憶している。今回見る限りチャーシュー1枚で300円くらいかかることもあるようだ。あとトッピング全部乗せ1200円の店があった。トッピングだけで1200円。ラーメン代との合計で一杯2000円。また、冊子や看板に掲載されているラーメンの写真がトッピング追加状態の写真という店もあったようだ。写真を見てラーメンを選ぶことが多いはずだが、追加料金を払わないとそのラーメンにならない。これはちょっとヒドイと感じた。トッピング入れた方がおいしいと自信があるのならば、最初から惜しまず具材を乗せてほしいと思う。コスト的にどうしても見合わないのならば仕方がないが、どうもそういう風には思えなかった。
人気のラーメン店がコラボしたり競い合ったりということで目を引くような奇抜なラーメンも見受けられたが、おいしいと感じるものの多くは正統派な感じのラーメンだった。また、味の方向性の問題もあるが全体的に多くのラーメンの味が濃すぎると感じた。舌や喉がピリピリするほどしょっぱいのだ。作っている人は自分の出したラーメンを食べておいしいと思うのだろうか。もしや計画段階とかけ離れたラーメンになってはいないか。作った人は疲れのせいでしょっぱい味を求めているのかもしれないが。味に関しては好みの問題もあると思うのでこの辺でやめておこう。しかし、トンカツラーメンは意外にもおいしかった。
ラーメン代のうち、ある程度の割合が被災地への募金やその他寄付に回っているようだ。こちらはラーメンに800円払っているつもりだが、店側には800円支払われたという意識はないのかもしれない。募金のような取り組みはいいことであるとも思うが、そのためにラーメンの味を犠牲にしているようなことがあれば残念ではある。
おそらく来年も開催されるのだろうが、今年と方向性が変わらないのであればもう今回のようには足を運ばないだろう。ただし、毎年楽しみにしてきたので今後に期待する気持ちもある。運営側にはおいしいラーメンが食べられるような工夫をしてもらいたい。
もちろん日本ユニセフの主な仕事は募金事業であるということは重々承知した上で、
それでも今彼らが真っ先にやるべきことはただ一つだと思う。
悪質なデマをネット上で撒き散らし、その責任を負うことを一切放棄するような無責任な人を法廷に引っ張り出す事だ。
虚構新聞を法廷に引っ張り出し、法廷という極めて客観的な場において、風刺などという名目で他人の名誉・財産を毀損するような行為は絶対に認められないんだと日本社会に示さなければならない。
正確には俺がある程度経歴を知っている人の中には叩いている人はいない。
逆に言えば、そこから虚構新聞を叩いている人の人物像が絞られてくる。
1.低学歴
勉強会や交流会を主催していたり、参加したりする人が叩いているのは全く見ない。
サンプル数は1000超えてるのに、ゼロなのだからかなり統計として説得力がある結果だと思う。
虚構叩きしている人は低学歴、あるいは無名大学出身ということだ。
理由は同上。
社名を公開している人がそういう問題に口を出しにくいというのは分かるが、
普段は様々な問題に首を突っ込む人もこの問題には関心を示さないようだ。
全員が無職というわけでもないだろうが、傾向としてはそうなのだろう。
俺自身やや右翼的な思想を持っているので付き合いは自然そういう人に偏るが、
彼らが叩いているのを見たことがない。
ということは、逆に叩いているのは左翼的な思考を持っているということになる。
まとめると、虚構新聞叩きをしているのは高卒でニートやってる左翼となる。
その義援金はPhilippines Chinese Charitable Association incorporatedを
世界的に有名なとこなの?
ぐぐっても日本語出てこないし。
日本ユニセフに対する悪質なデマをまき散らすことで日本人の寄付意識を削ぎ、
救えるはずだった命をいくつか失ったのではないだろうか?
私は以前から虚構新聞の悪質なデマまき散らしマシーンとしての存在を危ぶんでおり、精魂投げ打って以下のエントリを書いたことがある。
もう一年以上も前のことだ。
虚構新聞が誰かを殺す前に我々は止めなければならない
http://anond.hatelabo.jp/20120730173046
虚構新聞という悪ノリが過ぎるサイトについて、これ以上我々は看過してはならない。
必ず虚構新聞は人を殺す。その前に我々は止めなければならない。
誰かの人生が致命的に傷つく前に我々は虚構新聞を止めなければならない。
絶対に止めさせる。絶対。絶対に止めさせる。絶対に絶対に絶対に絶対に止めさせる。絶対だぞ。
必ずや止めさせる。俺の人 生を全て投げ打ってでも止めさせると固く決意した。虚 構 新 聞というデ マ拡 散マシーンを止めさせる。俺は無実の人が死 ぬのを見過ごせるほど鈍感な人 間ではない。だか ら絶対に止めさせる。デ マや捏 造情 報を看 過などしない。俺はそんな畜 生のような行 為を許さない。
私の情熱の全てを注ぎ込んだこの記事をもってしても、あの悪質なデマ拡散マシーンを止める事は出来なかった。
虚構のデマの悪質さは以前にも増してパワーアップしているようにすら感じる。
ああ神よ、同じアジアの同胞を見殺しにするこのいまわしき虚構新聞という存在を消し去る事はできませんでしょうか。
虚構新聞の書き手がこの世からいなくなれば、その数百倍もの命が救えるのではないでしょうか。
ああ神よ、彼をこれ以上生かしておく事が誰の為になるというのでしょう。
虚構新聞の書き手がこの世からいなくなれば、もっと慈悲深い世界が到来するのではないでしょうか。
ああ神よ、ご決断を。
何卒ご決断を。
ああ神よ、英雄を今この星に解き放ちたまえ。
多くの命を救う為に何卒ご決断を。
例の虚構新聞の日本ユニセフ協会の記事削除の件。自分は虚構新聞を毎エントリ読んでる。おもしろいと思うネタのほうが多いけれど、つまらんと思うネタもある。 今回のユニセフの記事は、つまらないと思った。
けれど、日本ユニセフ協会の対応の早さにびっくりした。8:00に記事が配信されて、14:30前に抗議が入ったということは、記事配信後6時間半以内に削除依頼を出していることになる。これって、早すぎないだろうか。この記事削除に絡んで、日本ユニセフは週刊新潮や個人サイトにも抗議を入れていることを知った。
つまり、日本ユニセフ協会には自らの名誉を毀損すると判断した対象には断固対応する姿勢があり、それもそれが即座に対応できる体制になっている。そのために雇ってる人間の人件費がどこから出ているかというと、ひろゆきの指摘したユニセフ本体に回っていない募金である。
慈善事業にも運営費がかかるのはわかる。日本ユニセフ協会が自身の名誉を毀損すると判断した媒体に対して抗議をするのも、それが日本ユニセフ協会の姿勢ならば、それはそれで認めざるを得ない。けど、こんな虚構新聞のような、インターネットの末端にまで日々調べまわって(まるで中国共産党のように)、抗議をする人間を雇ってるのは、全くの無駄であり、1円でも募金を無駄遣いする日本ユニセフ協会には募金はしない。そう決めた。