はてなキーワード: 先入観とは
横だけど、それこそ先入観じゃね?そりゃ、体力的な面で子供の時と比べて劣ることはあるだろうけど、子供時代と同じような視点・感覚でスポーツなり趣味なり勉強なりに取り組めば、それなりに結果は出るだろ。
だが、お前みたいな経験者は必ず「出来ない」という。なぜか。自分が経験した辛さ・苦しさを他人が簡単に乗り越えようとすることに嫌悪感があるからだ。だから、元増田のように初心者がいきなり波に乗れたりする事実に我慢ができなくなる。
俺は別に元増田が天才でも運動神経抜群でも無いと思うよ。あんたの言うように海の怖さに対する認識もそれなりに持っていたと思う。でも、それ以上に「楽しさ」とか「波乗りしている姿」を想像していたから、そんなに下手打たずに乗れたんだと思う。
これは別にスポーツや趣味じゃなくても、一般的な社会生活でも一緒。お前にもはじめてやることでなぜか上手く行った経験あるだろ?それと一緒。なのに、お前が経験しているサーフィンを例に出されたからって否定するのはおかしい。
あえてタイトルは書かないけど、それなりに有名だと思う。
読んだ結果・・・・・落ち込んだ。
なんの先入観もなく読めればよかった。
相手のパニックだとか困ったことに対してひとつひとつ丁寧に対処していることは本当に上手だなと思う。
そう、本だけ読むとそれなりに幸せに過ごせていて素敵だなと思える内容なのだ。
けれどもtwitterでその人たちのtweet読んでるとそれはあくまで一面であって根っこの問題の大きさをひしひしと感じてしまう。
例えば本の中で彼女が親にカミングアウトするところ、それはとってもほほえましい受け入れ方で終わっているけれど、確かひどいこと言われたかされたかで実家を出たことは触れられていない。
騒音が苦手とか服のかざりとかの意味がわからないと言ってる彼女が田舎が嫌で都会で服を見たいとtweetしている矛盾にも。
これを書いた作者のひとが今鬱で求職中にも触れられていない。
ふたりとも料理が苦手で外食ばかりになることが触れられているだけにこれは厳しい状況だろう。
だからといって作者が嘘をついたわけではなく、出版の時期よりも後から起こった事だから触れられていないだけなのだろうけど。
当たり前だけど人生は長くて、その長さが真綿のようにじわじわと彼らを締め付けて行くように思えてならないのだ。
どうしたらこの状況が打開できるのだろう。
彼らには幸せになってほしいから本を買ったことは後悔しない。ちょっとの手助けにもならない額だろうけど。
けれども読むんじゃなかった。
あ、本のレビューを見るとみんないいことばっかり書いてるので、その本よりも私の文章の方がよっぽど読むに値しないのは間違いない。
以下は「集団主義という錯覚」という本からの要約引用で、私は心理学を学んだわけではないので誤謬もあるかもしれませんが、
・確証バイアス:自説に有利な証拠ばかりが目に付く
その後被験者aにAがセールスマンの仕事を希望していると言うと外交的な側面ばかりを思い出し、
被験者bにAが図書館司書を希望していると言うと内向的な側面ばかりを思い出した、
Aの一週間の行動には内向的なエピソードも外向的なエピソードも等しく入っていた。
・錯誤相関:現実にはそぐわない相関でも、先入観を持っていると実際に相関があるように思ってしまう
例:ロールシャッハテストにおいて、ゲイは肛門を想起しやすいという先入観を臨床医の大半が持っていた、
実際には人間以外の架空の生物などが見える場合が多いが、そのことを指摘した医師は極少数だった。
・信念の持続:自説(先入観)を合理的な形で否定された後にも、自説に対する非合理的な執着が残る
例;4つの遺書を用意し、一つは本物の自殺者の遺書だが残りは偽者であるので本物を見分けてほしいと被験者に言う、
実際にはすべての遺書が偽者なのだが、グループAには正解である旨をつげ、グループBには不正解である旨をつげた。
実験後に「実は遺書はすべて偽者である」と告げた上で、実際に本当の遺書を用意したらあなたは遺書を見分けられますか?
と問うと、グループAの人々は「見分けられる」と言う場合が多く、グループBの人々は「見分けられない」という人々が多かった、
グループAの人々は実際には全部偽者であることに気が付かなかったのにもかかわらず。
・外集団同質性効果:自分の内集団は個性的に見えるが、外集団は没個性的に見えること
という、この辺りの組み合わせなんじゃないですか?
http://anond.hatelabo.jp/20130826094522
近所にこの言葉が好きで
判断もこのタイプの人がいて
1・そもそも「歴史に学ぶ」をどう実践すれば「先入観判断しまくり」になるのか。
増田の隣人はその言葉の吹聴が好きかもしれないがその言葉を実践していると言えないようだ。
従ってその人の程度を見て言葉の価値を判断するのは適当でない。
2・「近所にこういう奴が1人いるからこの言葉が好きな人間はこういう奴だ」という増田の判断は
もう1つは経験を過大に評価する傾向を持つこと。
(つまり経験したことについて偏見を抱える、初めて会った黒人が嫌な奴なら「黒人はクズ」と断じるようになる)
■そもそもビスマルクはそんなこと言ってない
勝手に思い込むな
気づかないうちに学び実行しているだろう。
その「他人の失敗」の壮大な積み重ねが歴史であって
「他人の失敗」を文字通りの目の前で見て取れるレベルの他人の失敗として直訳すると
ビスマルクの発言は小さいスケールのノウハウやtipsレベル、
つまりはてなホッテントリのお仕事ライフハックレベルのことになってしまう。
そんなしょっぱい発言だったら現代まで残らない。
歴史から学んだ政治と軍事の原則通りに鉄と血によるドイツ統一を成し遂げたが
強硬派や原理主義ではなくいろんな思想や勢力と妥協して手を組める思考の自由さもあった。
彼の政敵は理想主義的ドイツ統一を掲げるだけで、しかもそれに固執し現実性を欠いたので敗れた。
近年半可通の馬鹿が「ビスマルクは他人の失敗から学べと言ったんだ!」なんて喚くのが散見されるが
発言の趣旨は「歴史からエッセンスを抽出せよ」「グランドデザイン・戦略を持て」ということである。
ただ、言葉を正しく理解してもなお、歴史から適切なエッセンスを抽出できるかは個人の才覚や器量や教養による面が大きい。
最近、自分の考えが駄目な方向へ突き進んでいるので、吐き出す事にした。
まどかマギカ、ソードアートオンライン、幻影ヲ駆ケル太陽、ダンガンロンパ、進撃の巨人、BTOOOM!、神姫絶唱シンフォギア、ヴァルヴレイヴ
・なんで死んだのか不明(現在進行中)
・主人公たちが置かれた状況がリアルだということを証明するために死ぬ
・戦争がリアルだということを証明するために死ぬ(実は死んでない)
この、冒頭にキャラを殺して精神的な、あるいはストーリーのトリガーにする手法(厳密に確立しているのかどうかはわからない)に、少々うんざりしている。
気に入らないのは、キャラクターが死ぬために存在しているのではないかとも取れるような、後に何も残さない死に方をするところだ。
マミという個人ではなく、魔法少女の先輩として死ぬ、仲良くなったみんなが軽はずみな行動で死ぬ、友達が死ぬ(何故死んだかはわからない)、同じ環境の子が死ぬ、母が死ぬ、同じゲームの参加者が死ぬ、相方が死ぬ、好きだった彼女が死ぬ(実は死んでない)
このやり方が増えると、アニメに没頭できない。「そういう」雰囲気の作品があると、どうせ死ぬんだろうという先入観が生まれてくる。
シリアス路線でも「死ぬ以外に何かないのか」という不満が生まれるし、それ以外だと「茶番」の匂いがしてくる。
リアリティを突きつけるには、作品の内容がお粗末なのも気にいらない。
こういうだまし討ちのような事をされると、その後の見る目が厳しくなる。粗を探そうというわけでは決して無い。楽しもうとしても、前例のあるだまし討ちに対して予防線を張ろうと、細部まで目を光らせるのではないだろうか。私はそうだ。
そうやっ楽しんでいるうちに、作品の粗が見つかる。やれポッと出てきた女キャラが唐突に二人の関係に踏み込んできたり、やれ推理前に「死んだ奴は犯人じゃない」と主催者が宣言したり、めちゃくちゃなのを逆に作品の売りにしたりする。
騙しに来ていたくせに、あっさりと馬脚を現し、こんなものに騙された覚えのある自分が腹ただしくなる。心証が悪くなる。
■何度も繰り返せば陳腐になる
この日記の冒頭で記載した、「何かを証明する」死であるにもかかわらず、死ぬ事自体が陳腐化してファンタジー要素を強くする。
このやり方を批判しているのではなく、陳腐化するまで繰り返し同じ事をやった後の本末転倒であるから、余計にもやもやする。
「起こらないから奇跡っていうんですよ」からの「奇跡も、魔法も、あるんだよ」
そういえば、前にもエロゲギャルゲ界隈でおんなじような「殺しとけば感動するんだろ?」という批判の言葉があったのを覚えている。
最近、自分の考えが駄目な方向へ突き進んでいるので、吐き出す事にした。
まどかマギカ、ソードアートオンライン、幻影ヲ駆ケル太陽、ダンガンロンパ、進撃の巨人、BTOOOM!、神姫絶唱シンフォギア、ヴァルヴレイヴ
・なんで死んだのか不明(現在進行中)
・主人公たちが置かれた状況がリアルだということを証明するために死ぬ
・戦争がリアルだということを証明するために死ぬ(実は死んでない)
この、冒頭にキャラを殺して精神的な、あるいはストーリーのトリガーにする手法(厳密に確立しているのかどうかはわからない)に、少々うんざりしている。
気に入らないのは、キャラクターが死ぬために存在しているのではないかとも取れるような、後に何も残さない死に方をするところだ。
マミという個人ではなく、魔法少女の先輩として死ぬ、仲良くなったみんなが軽はずみな行動で死ぬ、友達が死ぬ(何故死んだかはわからない)、同じ環境の子が死ぬ、母が死ぬ、同じゲームの参加者が死ぬ、相方が死ぬ、好きだった彼女が死ぬ(実は死んでない)
このやり方が増えると、アニメに没頭できない。「そういう」雰囲気の作品があると、どうせ死ぬんだろうという先入観が生まれてくる。
シリアス路線でも「死ぬ以外に何かないのか」という不満が生まれるし、それ以外だと「茶番」の匂いがしてくる。
リアリティを突きつけるには、作品の内容がお粗末なのも気にいらない。
こういうだまし討ちのような事をされると、その後の見る目が厳しくなる。粗を探そうというわけでは決して無い。楽しもうとしても、前例のあるだまし討ちに対して予防線を張ろうと、細部まで目を光らせるのではないだろうか。私はそうだ。
そうやっ楽しんでいるうちに、作品の粗が見つかる。やれポッと出てきた女キャラが唐突に二人の関係に踏み込んできたり、やれ推理前に「死んだ奴は犯人じゃない」と主催者が宣言したり、めちゃくちゃなのを逆に作品の売りにしたりする。
騙しに来ていたくせに、あっさりと馬脚を現し、こんなものに騙された覚えのある自分が腹ただしくなる。心証が悪くなる。
■何度も繰り返せば陳腐になる
この日記の冒頭で記載した、「何かを証明する」死であるにもかかわらず、死ぬ事自体が陳腐化してファンタジー要素を強くする。
このやり方を批判しているのではなく、陳腐化するまで繰り返し同じ事をやった後の本末転倒であるから、余計にもやもやする。
「起こらないから奇跡っていうんですよ」からの「奇跡も、魔法も、あるんだよ」
そういえば、前にもエロゲギャルゲ界隈でおんなじような「殺しとけば感動するんだろ?」という批判の言葉があったのを覚えている。
サンプルとして、話題の記事を引き合いに出そう。
iOS 7: ここ10年で最大の悪夢 | Ticking Point
こう書かれている。
(中略)
しかし、そこで「ユーザビリティの低下」の根拠として挙げられているのは“Slide to Unlock”の問題だけだ。
いちおう線が多いだとかフォントが嫌いだとか書かれているが具体性に欠けている。
曰く「オシャレなだけ」「流行を追いかけただけ」「目新しさだけ」。
やはり具体性に欠ける。
フラットデザインには実用性がある(「メリットを上回るデメリットがあるのだ」というなら分かる)。
「オシャレなだけ」「流行を追いかけただけ」「目新しさだけ」といった批判はまったくの的外れだ。
そもそも、シンプルなデザインの代名詞とさえ言えるサー・ジョナサン・アイヴが、ソフトウェアをシンプルにデザインすることは「流行の後追い」なのか?
あるいは、Appleは目新しさのためだけに功臣スコット・フォーストールを追放したとでも言うのか?
まったく馬鹿げたことだ。
個別の使いづらさについては批判されるべきだ。
フラットデザインというだけで使いやすいわけではないのは当然だ。
“Slide to Unlock”への批判については確かに一理ある。
声優さんにとって、演技を聞かれて名前を当てられるのは名誉なのだろうか、それとも不名誉なのだろうか。
いい声だな、すごい演技だな、と思うことはあるが、それが誰なんだという事には執着がないし、よほど特徴的だったり野沢雅子レベルのメジャーな声以外は「声優当て」も全くできない。
俺は音痴だ。音を聞いても音階がわからないうえ、自分で音程も取れない。たぶん音という情報の処理が苦手なんだと思う。
だからと言って「声優当て」ができないことへの劣等感は全くなく、逆に多くのキャラクターの声を先入観なしに聞く事ができて得だとすら思っている。俺の中で、ルイズとシャナは全く無関係な別人なのだ。
ところが俺の弟はたいそう声優にご執心だ。
アニメを観ては「お、この声は誰々だな」「○○の主人公の××の声だよ」と、聞いてもいないのにクレジットを見る前に各キャラの声の主を当てていく。
俺はそれを聞くたび、いま見ているキャラクターにその別の作品のキャラクターのイメージがかぶってしまい、苦い思いをする。
俺にとっては、そのキャラクターはただ「そういう声」なのだ。別のアニメの別のキャラクターとは何の関係もない。そのキャラクターを気に入っていればいるほど、イメージに横槍が入るのは気分が悪い。そういう目で見る(耳で聞く?)のは無粋だとすら思う。
弟の「声優当て」は、悪気はなくとも自慢の範疇には入るのだろうから、正直バカにされているようで不快だ。そういう話は声優オタの間でやってもらいたい。
が、そんなもの気にするなと言われればそれまでだ。
というわけで、冒頭の疑問に戻る。
声優さんにとっては、果たして俺と弟、どちらが「嬉しい観客」なのだろう。
キャラクターの背後にいる自分ではなく、声と演技のみに目を向けている俺か。
演技で声を変えても(そうでない時もあるだろうが)ちゃんと見破ってくれる弟か。
当然声優もさまざまだろうけど、基本的には自己表現の仕事なのだから、自分を認識されたいと願うのが普通だと思う。
しかし、「七色の声」という表現もある声の演技者においては、そうでない部分もあるのではないかという気もする。
どうなんだろう。
そういうことを繰り返してるよね?
ヤマカンは馬鹿ではないんだし、怒らせようとして怒らせてると思うんだけど。
だからっつって粘着してアンチやってる奴等を暇な奴らだなあと呆れる気持ちはある。
フラクタルの出来は確かに微妙だったけど、アンチはその微妙さをヤマカン叩きの燃料にしていたよね。
良くも悪くも反響が過剰になるのは彼が望んだことだと思うんだけど。
(俺個人はフラクタルは「なんとなく見なくなっちゃったなあ」以上の感想が無い)
そのうちどれぐらいが個人的感情的な発作で、
よくしらんけど。
似た例としては、近頃話題のヴァルヴレイヴ。
最初期に「ギャグ」というレッテルを貼られて以降は、何がなんでもギャグ扱いにしないと気が済まない連中が増加。
「脚本」がスケープゴートにされて叩かれ続け、「最近は普通になってきてつまらない」とまで言われる有様。
まさに「一度ユーザーの不興を買うと、何故か人格すら否定され、 以降は作品を全うに評価してもらえない」という構図そのものだよ。
「一度〇〇認定されると」っていう話ならまだわかる。
で、話を切り分けた上でしかし、
安定してつまんないのを量産し続けるクソ(手が早いので仕事が多い)も居るけど
喧嘩売り続けてると言っても、ヤマカンという先入観がなければ「過激なこと言うなあ」で終わるようなレベルだし。
どちらかと言えば「アンチが売った喧嘩をヤマカンが買い続けている」に近い状態だったしね。
フラクタルの出来は確かに微妙だったけど、アンチはその微妙さをヤマカン叩きの燃料にしていたよね。
「まっとうに評価されない」って、別に「プラスの評価がされない」という意味じゃないよ。
ヤマカンを叩きたいがためにフラクタルを叩くならその時点で「まっとう」じゃない。
似た例としては、近頃話題のヴァルヴレイヴ。
最初期に「ギャグ」というレッテルを貼られて以降は、何がなんでもギャグ扱いにしないと気が済まない連中が増加。
「脚本」がスケープゴートにされて叩かれ続け、「最近は普通になってきてつまらない」とまで言われる有様。
まさに「一度ユーザーの不興を買うと、何故か人格すら否定され、 以降は作品を全うに評価してもらえない」という構図そのものだよ。
痴漢や強姦の被害を受けた女性でも、加害者がイケメンであれば許すしブサイクなら即通報するものだ。
それが、日常的に行われている性的なスキンシップであったり恋人同士や夫婦間の営みの最中であってもだ。
気持ちが良ければそれで不問だし、気持ちが悪ければ訴える。ごく自然の行動だ。
さて、日本の世の中では不倫は悪しきものとしているが、実際はどうだ?
ある元アイドルの不倫報道では浮気相手の男がイケメンだったため周囲の反応は意外に良かった。
一方、大鶴義丹やそのまんま東の不倫はどうだったかというと、女性陣から総スカンを喰らっていた。
この事からも分かるように、日本社会では理不尽といっていいほどイケメンが優遇されブサメンが不遇な扱いなのだ。
よって、日本社会では、イケメン無罪ブサメン有罪が適用されていることが証明されただろう。
採用基準に顔判定というのがある。
履歴書やエントリーシートに顔写真を貼らせるのは、為人を見るためでも今後の選考用だからでもない。
その人が美形であるかどうかを見るためだ。
例えば、受付嬢の募集で必ずと言っていいほど美人が採用されているが、顔採用を行っているためだ。
それは会社の顔を決めるためであり、篩に掛けられるのは顔かたちが整った人間であることが前提だ。
学歴なんてものは、社会生活に全くといっていいほど役に立たない。
世の中には学歴採用を謳っている会社はごまんとあるが、その内情は顔採用のついででしかない。
日本社会では、まずイケメン無罪ブサメン有罪が適用されていることが前提だ。
例えば、会社説明会や他社へのプレゼンで顔の整った人間と、そうでない不細工な人間ならどちらが説得力があってその会社が素晴らしいと感じられるか、である。
内容が多少稚拙でも、イケメンであれば許されブサメンであれば許されない風潮はあながち間違いではない。
マスメディアは、道端の人間で近くの不細工よりも遠くの美形の意見を尊重する。
それは、そういう人の意見の方が視聴者に正しい先入観を与えられると考えての行動だからだ。
逆にそうしないマスメディアがあれば、それこそ物事を正しく公平に周囲に左右されず客観的に捉えられていると言えるが、
そうでない事が多いのはまずメディア自身がそれを恣意的に行うためである。
彼らは、日本社会では、イケメン無罪ブサメン有罪という前提があって初めてジャーナリズムをかざすことができるのだということを理解している。
こうして、彼らの印象操作が巡り巡って日本社会の循環を担い、結果的にイメージ戦略が出来上がるという仕組みを手伝っているのだ。
逆にきみは人種で差別をする場所には行こうとしない。黒人であれ、中国人であれ、白人であれ、先入観を持つ場所には行こうとしない。
その人の過去の生き様を学歴でしか判断できない場所にきみはいる
地方の偏差値の高い高校を出て、早慶に行く人間が、同じ借家に住んでいる。
そういって、仕事ができないきみは同い年の上司に陰で笑われている。
東京に出て、社会人になって、地元の時よりもたくさんの人と出会うことになったときみは言う。
その人がどんな人で、どんな考え方をするのかはちょっと話をすれば見えてくるよと思い込んでいる。
でも、きみは日本人を語るアダルトチルドレンだから、直接的な質問は怖くてできない。
だから、ちょっとずつ、ちょっとずつしか相手のことを知ることはできない。それを、他人は演技がうまいからさとうそぶく。
人を知るのにはとても長い時間がかかり、その人と仕事をするのは将来大きな事故になるかもしれないと怯えている。
何年も努力をしてきたか、何年も地道なことをしてきたか、そしてそのようなグループと過ごしてきたか、
そういってきみはいつも過去を見て、今目の前にいる人のことを、自分の周りの人びとを、いつも君を支えてくれる人に
ひとかけらの眼差しも投げることはない。
きみを見ているたくさんの人に気づくこともなく、振り返らなかったあの人にいつまでも意固地になっている。
きみは口に出してはいないけど、心の中で、学歴を判断基準にしていることが顔でわかるから。
「何歳で東京に出てきたの?」⇒浪人して大学入ったこと気にしてんのかな、こいつ?
「フェイスブック教えて」⇒お前の大学、友達で分かったけど隠すことないのに
「へー、東大の院を出たんだ?!」⇒研究内容とか聞かないで黙っちゃったよ、どうしよう…
いつも、僕たちは学歴で差別をするところをきみのためだけに用意しているんだよ。
・・・でもそれは心の中だけで、口に出しはしないけど。
逆に僕は人種では差別をしない。黒人であれ、中国人であれ、白人であれ、先入観を持っていないと思う。
地方の偏差値の高い高校を出て、早慶に行く人間では、大きな、とっても大きな隔たりがあるんだ。
東京に出て、社会人になって、地元の時よりもたくさんの人と出会うことになった。
その人がどんな人で、どんな考え方をするのかは話をすると見えてくる。
ちょっとずつ、ちょっとずつしか相手のことを知ることはできない。しかも、大人は演技がうまい。
人を知るのにはとても長い時間がかかり、その人と仕事をするのは将来大きな事故になるかもしれない。
何年も努力をしてきたか、何年も地道なことをしてきたか、そしてそのようなグループと過ごしてきたか、
みんな口に出していないだけで、心の中で、学歴を判断基準にしている。
「何歳で東京に出てきたの?」⇒現役でこの大学に入ったのかな、こいつ?
増田で30を過ぎたら性欲なんて減退して、風俗に行っても女の子といちゃいちゃするほうが楽しいと聞いた。
だが俺にはその気持ちがわからない。
俺は30にまだなったばかりだし、独身というのもあるが、正直、射精したい欲求がなくなるという感覚がわからない。
俺はセックスもオナニーもセックスが好きだ。セックスは中で精子をたっぷり出すのが好きだ。
安心して中出しできるのは高級ソープ嬢くらいだから、よく行く。
仕事も趣味も人並みに充実しているので、金も余っているほうだと思う。
こういう道楽者なので、もし大変な性病にかかって死んでもまあそれはそれでしかたないかなくらいに思ってる。
しかし不思議なもので、病気は運がいいのか今まで一度もなったことがない。
今までの風俗で印象深い体験をつらつらと書いていく。
・
初めて風俗に行ったのは20代前半だった。飲み会の後男友達と冷やかす感覚で繁華街にあるいかがわしい店に入ったのだ。
いかにも偽物らしいきらびやかな内装。照明をたっぷりあててフォトショップで加工したであろう写真と、そこに写る嬢達。
なんとなく薄い感じの顔をした好みの子を選んで、待った。迎えてくれたのはけっこう好みな自分と同い年くらいの女の子。
スラっとしててわりとかわいい。彼女と別れてだいぶ経っていたから女の身体に触るのも久しぶりだ。
よく言えばフレンドリーというか、サバサバしている子で、風俗とか初めてなんすよーって言ったらへーと軽く返していた。
あの時は抱き合ってフェラとかして速攻で手抜きで射精してしまった。
しかし、そんなのは置いといても金を払えば女と好きにエロいことができるというのが、俺にとってはかなり素晴らしく感じられた。
というのも中途半端に人間関係がある女とセックスをしてもロクなことがないというのが俺の信念だったからだ。
だから、俺は金を稼ごうと思った。金さえあれば、より好みして女とエロいことができる。
学生の頃もちょくちょく行ってたが仕事をするようになってからより頻繁に行くようになった。
風俗と言っても下はピンサロから上は高級ソープまで様々に種類があって、様々な階層の人々の様々な需要によって成立している。
↓
↓
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下に行くほど、値段も行為の内容も上昇していくわけだ。
俺はキャバに行かないからわからないが、容姿は風俗嬢よりキャバ嬢のほうがいいと聞く。
だが、高級ソープともなればキャバ嬢ランクの容姿の風俗嬢がたくさん居る。
例外で、関西の飛田新地などは全体的に容姿が良い若い子しか居ない通りもある。
・
これほどネットが身近になり、共有だクラウドだとさかんに騒がれている世の中だが、風俗情報はそうはいかない。
そもそも性行為、本番自体がやってはいけないという体で営業をしているあぶないビジネスなのだ。
それでも水商売がなくならないのは、それがあまりにも普通に多くの男に求められているからだろう。
2ちゃんのヘルス板やソープ板でそれぞれの店舗や地域スレでどの嬢が地雷がとかあたりだとかは書かれている。
風俗関係のスレは皆が疑心暗鬼になり、叩き、罵倒しあう殺伐とした空間だ。
馬鹿正直に信じてはいけないがまったく参考にならないわけではない。
どの嬢がその店で一番かわいくてヤりがいがあるのか、というのはなかなかわからない。
ある程度あたりを付けて挑めばそうそうひどい目に合うことはない。
積極的に広告を出しているような店舗を中心に探していけば漫画で描かれるようなぼったくり店にあたることはまずない。
・
だが、一度だけひどいはずれにあたったことがある。
いかがわしい雰囲気の店や呼び込みで釣れられて、ムラムラしていたのもあって5000円と称されたピンサロに入ってしまった。
狭くくらい店舗内で、壁とも言えぬような布で仕切られた空間に入れられ、文字通り全裸になって待機する。
入ってきたのは「(あ、不細工だ!)」とひと目で思ってしまうような女。
細面でタバコをたくさん吸ってそうな不健康そうな肌。40手前か?謎のソバージュ。まったくかわいげがない。
その上最初に5000円を払ったのに胸を触るのにもう5000円、フェラをするのに一万円とのたまう。
俺は激怒した…と言いたいところだがロクに下調べもせずにホイホイ知らん店に入った俺も悪い。
だまって手だけで射精をさせた。もちろん目をずっとつぶっていた。
あと山手線のある駅付近のデリヘルもひどかった。隣のに住んでる若いおばさんみたいな嬢だった。
まあサービスは丁寧だったけど、きつかった。
はずれと言えるのはこの2つくらいか。
・
店舗型のヘルスやソープが初めてだったので箱物しかない先入観があった。
ホテル代を払わなきゃいかんのが厳しいが、怪しい雑居ビルで手続きをして、ホテルで逢引して事を致すのはなかなか趣がある。
基本はフェラや素股でフィニッシュだが、嬢との相性が良くてノリがいい時などは本番をやらせてもらえる。
どうせなら本番がしたい。じゃあソープに行けよという話だが、俺は当初はソープの存在も知らなかった。
あとデリヘルでの本番は本当は、やってはいけないのにお互い合意でやってしまう感覚がいいのだ。
とはいえ世の中には嬢に本番をさせてあとで強姦だと訴えるという悪徳な業者もいる。
相手がどんなつもりで本番をさせるのか、しっかりと見極めないといけない。
・
デリヘルで素晴らしかった本番をさせてくれた嬢は、早稲田付近のデリヘルだ。
所要をすませたあと、用もなく駅前をふらふらしてて、近くに風俗がないか検索してそれなりに変な処ではないのをチェックした上で電話。
待ち合わせて出てきた子は街中で見たら「おっ」と思うような美人だった。
蛯原友里のレベルをワンランク落として気弱にしたような顔だった。
内気な子で照れ照れしながら会話する。ホテルに入ってもいちいち服を脱ぐ動作も遅い。
演技かどうかはまったく問題でない。魅力があった。丁寧に脱がせて愛撫してやると嬉しそうにする。
盛り上がってきたら当然のように「…入れちゃおっか?」という流れに。心の中でガッツポーズ。
中もとても良かった。可愛い子とできるとやっぱり気分がいい。
やったあと、なんか会えてよかった、とお互いに話す。デリヘルだと忘れるほどいい子だった。
何度も指名しようと思ったが、店から消えてしまった。本当に残念だった。
・
もう一人はスザンヌをワンランク下げたような顔のノリのいい子で、エロかった。
車が予定の時間より一時間も遅れて、本当に申し訳なさそうにたくさんサービスしてくれた。
すごくいちゃいちゃ系で、あそこの近くでちんこをこすりつけ続けたらむこうから入れたそうにしてきた。
「ゴムしてないよ…いいの?」と意地悪に聞いたら「駄目だけど入れたい…」と気持ちよさそうにエロそうに言う。
結局生で入れてガンガン突いた。流石に外に出したけど、この子はすごく気に入って、何度も指名した。
慣れてきたらシャワーでいちゃついてるときにふざけてうしろから挿入しても嬉しそうにする子だった。当然生。
今はもう居ないけど、デリヘルの値段でいちゃいちゃで生挿入ができて最高だった。
・
ソープを調べて初めて行ったのはやはり有名なあそこだった。
最初行ったのは八枚の所。
しかし流石高いだけあってサービスはめちゃくちゃ丁寧だった。尻の穴まで舐められた。
で、生挿入なんだよね当然。生で入れてしかもそのまま射精していいの。
腰動かしながら「いいの?中で出しちゃうよ?」って言うと「そのまま出して!中にいっぱい精子欲しいの!」って言ってくれるの。
デブだけどかわいげある嬢だったし、こんなこと言われたら流石に勢いマックスで射精しちゃうね。びゅっ びゅーですわ。
エロ漫画や二次元の世界でしか言われないようなセリフ言わせてしかも生で中で精子出し放題。
これはもうね、はっきり言って男として生まれた以上快楽の最上位として位置づけざるを得ない快楽ですよ。
これで可愛い子にあたったらどうなっちゃうのかと思って次はもっと細い子で!とボーイに相談する。
高級ソープは嬢だけじゃなくてボーイの対応からトイレから内装から、何から何まで凝っている。
昔からあるんだろうなーって建物を頑張ってきらびやかに改造しました!
という内装なんだけど。
・
ボーイも懇切丁寧にお勧めの嬢を選んでくれるわけよ。
顔がどうなのか、性格がどうなのか。体はどうなのか。中出しOKなのか。
高級ソープでもゴム付きの子も居たりする。そういう子はたいていクオリティ高かったりするんだけど。
ゴム無しソープはだいたい嬢がピルをちゃんと医者の処方に従って飲んでいる。
ボーイは客の要望をすっごい腰低くして聞いて、答えてくれる。
高級ソープの場合は最初の一回を犠牲にしてもいいから、まずボーイと話して良い嬢の情報を手に入れることから始めたい。
三枚以下のソープだとボーイの対応とかも適当になってきちゃうかも。
・
歳がちょっと行ってるけどすっごく体つきが良くてエロエロな嬢とか、今時の軽いギャルっぽい嬢とか、ソープにも色んな嬢が居る。
すっごく喋る嬢が居て、その子自体はまあ中の下くらいの良さだったんだけど、その子から色々な情報を聞けた。
で、その子が良いって言ってた店の嬢に行ってみたらこれが最高だった。
・
ちょっと肉付きがよくて、ふとももがエロい、藤原紀香を若くしてアホにしたような子だった。
しかもパイパン。毛が無い嬢は初めてだったが、興奮したね。69で俺が下になって舐めまくった。
セックスがとにかく大好きで、エロくて勃起したちんこを見せたら心から喜んでくれる。
その子に行くときはいつも三回ヤッてる。もちろん全部生で中で出す。
締りもちょうどいい具合にきつくて、3日以上精子溜めたギンギンのちんこがギッチリ入るんだよね。
喘ぎ声もいいし、甘甘で挿入までがいつも楽しみで仕方ない。
・
飛田新地に行った時は一度だけある。
その一日で二回行ったんだけど、最初の子がめちゃくちゃキレイでかわいい子だった。
あそこは道を歩きながらずらりと並んだ嬢の顔を見ながら選べるので、顔でハズレることはまずない。
照明がうまく当てられてるから、実物よりかはよく見えるんだけど、写真に比べたら段違いの確実さがある。
若い子ばかり居る通りはみんな綺麗でかわいいから迷っちゃうんだけど、俺は最初の5分くらいで良いと思った子を即決した。
ああいう感じで、めちゃくちゃキレイで可愛い子だった。テレビに出てそうな。
茶髪ロングでキツい感じの顔。スレンダーな体に浴衣だけ着てて色っぽい。
抜くことに特化していて、それが目的の俺には素晴らしい場所だった。
でもその子はかなりあたりで、キスやクンニ、ハグは頼んだらさせてくれた。する前に
「3日以上精子溜めてるからめっちゃ濃いの出るかも」って下品なこと言ったら「じゃあ期待しちゃっていいのかな~?」
と笑顔で話してくれた。最高。
新地の二人目の子は巨乳で制服で眼鏡と素敵な格好だったが、対応が悪かった。
挿入の時ちょっと手があそこに触れただけでバシッと手をのけて「あ、そこ触るのはやめてください。」と冷静コメント。
胸も、触るのはいいけど舐めたりは駄目。一人目の子と随分対応に差があった。
まあここではこっちのほうがスタンダードな対応なのかもしれない。どうなのだろう。教えてエロい人。
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とまあひと通り印象的な風俗体験を語った。
俺はこれからも通い続けるだろうが、いつかスナックに愛情を求めていくようになるのだろうか。
性欲が減退すれば今の情熱も冷めてしまうのだろうが、今のところその気配はない。
風俗に行かなくなればだいぶ金が余るが、それはそれで他の趣味に全部使えるから楽しみである。