はてなキーワード: 仏壇とは
いわゆる宗教四世で、生まれた時から新興宗教の会員やってた。ネットだとよくおもちゃにされがちな、三色旗のとこ。
小さいころから家に仏壇があって、母親と祖父母が超熱心な人で、言葉をしゃべり始めた時から経を読まされてたし、ちゃんとやればみんな褒めてくれるから悪い気はしなかった。
母親が熱心な場合って厄介なんだよな。おかげさまで土日は宗教関連の予定でつぶれるし、父親も母親に勧められて入ったひとだから止めないし。そんなわけで、20数年生きてきて、最近やっと初めてちゃんと神社に参拝したような始末。だから、一般的な人間と自分の宗教観がかなりかけ離れてる、ってことに最近気が付いた。まぁ、それが当たり前だったんだけど。
高校の時とかはそれなりに真面目に、っていうか結構がっつりやってて、たぶんその時の周囲の何人かは幹部クラスになるんだろうな、って人間ばっかりの団体にもいた。
割と勘違いされてそうだけど、いやもう常識なのかな?一般的な認識が全くわからんからあれだけど、s大学行くのはもはや当たり前で、幹部になろうと思ったら、何かしらの宗教の団体に所属してたことがほぼ必須になるんだぜ、笑えるよな。
高校生はそうやって過ごしてたけど、大学に入ってから恋人ができて、その人が何というかこう、自分の所属してるとこ以外も含めた宗教全般のアンチだった。
今思えばものすんごい幸運なことに、現実社会の親しい人にそんな人がいなかったから大いに嘆いたし、なんで自分が、とも思った。でも、今は割とその出会いに感謝してる。
ここまでが前置き。すまんね長くて。
まぁ、親に「信仰捨てたいです!」とか言える訳も無くて。だってそんなことしたら普通に絶縁されそうだし、妹たちも割とがちがちに染まってるし。あと我が家、割と毒親気味で過干渉のケがあるから、最悪今住んでるところから連れ戻されかねない。
それは困る、だって実家には自室が無いし、プライバシーもへったくれもない。未だに帰省するとめちゃめちゃ消耗する。二週間とかしか滞在しないのに。実家を出るまで、自分のスペースと言えば本棚のついた机一台だけだったし、その中身も親が勝手に開けて改める始末だったから、秘密とか絶対無理だった。
かといって、じゃあ真面目にやるか?と言われるとそれは心がしんどい。
そもそもの話、自分は「信仰とは人生の杖であり頼り切るものではない」って思想を高校時点で持ってて、現指導体制に不信感しかなかったし。
やれって圧を掛けられて、今渋々試験の勉強してるけど、それにしたって普通に気色悪くて嫌になる。だって仏教ってマインドフルネスの一手法でしかないし。それだって、多様な方法がある現代社会でわざわざそんな化石みたいな方法、って思う。
そもそも悟りってざっくりいえば「この世のすべては気の持ちよう、自分の気の持ちようで天国にも地獄にもなる、それなら天国みたいに考えられるようになった方がお得じゃね?」的な考え方だし、唱題にしたって、「悟りを開けないお前らが悟りを開くための一助にしろよな!」的なものだから、自力でメンタル立て直せるようになった人間には必要ないんだよ。そもそも仏教って「人生なんて全部しんどいんだから、しんどいことそのものはもう諦めて楽しくやっていこうぜ」的なあれだし。ガバガバ解釈だが。
その上で、何もかもを宗教に依存して、生きてくための目的そのものを宗教にしてるの本当に頭おかしいと思う、それお前の人生じゃなくて教団の人生やんけ。生きてる価値ある?って思う。言わないけど。
確かに苦しい時に縋れるものは多い方がいい、人生かなりしんどいし、税金高いし内定はもらえんし、何もかもままならんし、ここからってときに病気になったりするし、なんかすげーもんに縋らないと生きてけない気持ちもわかる。
でも、その気持ちもわかるけど、それでも自分で立って自分で歩かない道に価値はあるんか?って思う。だって信仰してると、どんなに血反吐を吐くような努力をしたって、どんなに周りの人に恵まれたって、どんなに運がよくたって、それ全部「信仰のおかげ」にされちゃうんだぜ。そこに至るまでの努力とか、工夫とか、人間関係とか、そういうもの全部自分の成果じゃなくてなんかようわからんもののおかげになるんだぜ、それって悔しくないか?自分はそれを恋人に指摘されて初めて気が付いて、すごく悔しいと思った。だってここまで努力したの自分だし。別にすがってる”なんかすげーやつ”が何か叡智を下賜してくれたわけじゃないし。苦しいのも悲しいのも悔しいのも自分が背負わなきゃいけないのに、喜ばしいこととか楽しかったこととかは全部他にかっさらわれるって思うとはらわた煮えくりかえらんか。自分はキレそうになる。
そもそも、他力本願の他宗派をめちゃめちゃ批判する癖に、何かあったら馬鹿の一つ覚えみたいに「ご本尊に縋れ」だの「お題目を」だの普通に矛盾してて笑える。それはお前らの言う所の他力本願じゃないんか?あと題目とか言う呪文的なあれを大事にしてる割に、唱題の時の発音みんなガバゆるだよな、何それ。ダブスタまみれで普通に気色悪い、反吐が出る。
と、まぁ最近はこんな事ばっかり考えている。親には勉強したらわかるって言われたけど、勉強するほど意味わからん~~きしょい~~~ってなるの中々芸術点高い。って言うかそもそも子供の許諾を取らずに宗教に入れるな、はっ倒すぞ。これはどの二世問題でも共通だと思う。四世なんだけど。ウケるね。
ちなみにこの宗教だとよく取りざたされるのは政党の話なんだけど、自分は政策はまぁましな方なんじゃないかな、って思う。そこから声の汲み上げするの????正気か???って思うような政治を国政ではよくやらかしてるけど、地方政治だとそれなりに要望の反映早いし。政治と宗教観は切り分けて考えるので。まぁ今後の動向にもよるかな…でも宗教活動の一環で選挙活動やらされるのは普通に最悪で気色悪さの極みだからやめた方がいいと思う。実質強制の投票の「お願い」はお願いと言わない。海外から来た同じ宗教の人に選挙ばっかりしてるのどうして?って聞かれて、日本では信仰を広げることが十分にできたから、今度は政治の方からも生活をよくしていくんだよみたいなこと指導してるの聞いたことあるけど、それ普通に公職選挙法違反なんじゃないですかね。政教分離の法則死んでないか?
これを見て同じ宗教の人がどう思うかは知らんが、自分が納得できてないならなんかしらの答えにはなるんじゃないんですかね。がちがちの幹部ルート辿ってた人間がこう言ってるんだから、それなりに信ぴょう性はあると思うよ。
今から入りたいって思ってる人、人生に発生する損害と天秤にかけて、本当にそれじゃなきゃダメなのか一か月真面目に考えてみ、そんなことないから。周りからの偏見の眼はものすごいし、結婚したいと思った人ができてもめっちゃ苦労したりするぞ、自分は今死ぬほど苦労してる。
今しんどい思いしてる人、お互い頑張ろうな。自分は今何とかして家にあるご神体的なサムシングを親にバレないように滅殺する方法考えてる、なんかいい方法あったら教えてくれ。
マジで徒然なるままにって感じだなこれ。乱文で本当にすまぬ。ここまで読んでくれた人ほんとにありがとう。自販機でジュース当たるくらいの幸運が訪れますように。
追記:みんなコメントありがとう、ほんとに正気に戻れてよかったと思う。なんでカルトの話から仏教に?ってコメ見たんだけど、それはだな、s学会は曲がりなりにも仏教を名乗ってるから、仏教を学ばされるんだよ…だからです。
まぁ、s学会のは「ブッダの」仏教ではなく、日蓮とかいうなんかよくわからん狂人が急に悟っちゃったものを信仰してるんで、仏教かと言われるとかなり怪しいけどね……昨日このエントリ書いたあと、勉強の動画流し見してたらそんなこと言ってて笑っちゃった。仏教名乗るの辞めたら?
自然科学とかSDGsとか信仰してそう、って言われたのはマジでそうなりかねんからほんとに気をつける。一応これでも科学をやってる人間だから、変なのには引っかからないと思いたいけど…こういう気持ちが落とし穴だとは思うのでね!科学的思考大事。すごく苦手だけど。
ジャニーズの人は、親や兄弟などが勝手に応募したなどの話をよくしますが、関ジャニ∞・KAT-TUN・嵐の場合は、どうなのでしょうか?
横山君
同級生にジャニーズJr.がいて、その子をTVで見た横山君のお母さんが「うちの子のんがかっこええ」と履歴書を送りました
渋谷君
15歳の誕生日お母さんが「5000円あげるからオーディション受けてきて」と言われ受けたら見事合格
村上君
元はNSCに入りたかったんですが友達からの薦めでジャニーズ事務所のオーディションを受けました
丸山君
両親に「お前は目立つこと好きやしアホやけど割と男前やから送ってみろ」と言われオーディションを受けたんですが、事務所から連絡がなかった為、落ちたと思いった親が「まだ行けるやろ」ともう一度履歴書を送って2度目のオーディションを受けました
しかしジャニーさんに「YOU受かってるのに何でこんな所にいるの?」と言われたそうです(笑)
安田君
姉に「あんたはやったらなんでもできる子や」と薦められ応募しました
錦戸君
友達と受けてみるか~みたいなノリで受けたらしいです
大倉君
亀梨君
いとこが履歴書を送り、野球練習後の亀梨君をお父さんが黙ってオーディション会場に連れて行きました
赤西君
錦戸君がTVで歌っているのを見て自分も同じ事がしたいと思い応募
不合格だったんですが、付けてた名札を返した相手がジャニーさんで、「YOUも残っちゃいな」と言われ残ったみたいです
田口君
『SMAP×SMAP』を見てSMAPさんに憧れオーディションに応募しました
田中君
お母さんが勝手に履歴書を送り、訳が分からないままオーディションへ。「いとこが受けるからついてきて」と言われオーディションを受けました
上田君
両親に「稼げる仕事をしなさい」と言われ「じゃぁ芸能人になろう」と思いオーディションを受けました
中丸君
中3の時同級生の女の子が中丸君が文化祭で踊っていたのを見て、「あとははんこ押すだけだから」と全て準備してくれたらしいです
嵐のみ、回答します。
母親が友達から智くんをジャニーズJr.のオーディションに応募したらということで本人に確認したところ嫌だというので母が「あんたが受かるわけないじゃない!」と言い、それもそうだと思い母親が履歴書を送る。
一時審査を通り、二次審査のときオーディションに母親と二人で言ったが、智くんの身長が小さかった為、前の方が見えず、母親に手を振ってたらジャニーさんに「You何やってんの」と怒られ前の方でダンスを踊る。
そしたら「Youリズム感いいね」と言われそのままJr.入り。
慶応の友達にノリで受けようと言われ翔くんもノリで受けたら翔くんだけ合格し、そのままJr.入り。
SMAPの番組を見て「SMAPと一緒にバスケがしたい」と思い応募、二次審査のときバスケットボールを持っていく。
そのままJr.入り。
親戚が勝手に応募。日曜で野球の試合が有り、行きたくなかったが母親に「5000円あげるから行ってきなさい」と言われ仏壇の前で写真を撮りそのまま応募、Jr.入り。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1175272316
悪友5人で集まって近所のショッピングセンターや野球場や図書館などの施設に行き、ミニスカートの若い女がエスカレーターに向かったら数メートル空けて尾行し、下から覗いてパンチラをハントするのだ
リーダーのS君はボットン便所の市営住宅に住む貧しい家庭の子だったが、俺たちハンターは彼を慕っていた
研究熱心で、どこの店のどのポジションからパンチラが拝めるか常に研究し、情報を共有してくれていたからだ
俺たちは小汚い彼の家に集まって旧式のパソコンにS君が田んぼで拾ってきたエロ本の付録のCD-ROMを突っ込んで解像度の低いエロ画像を見るのも好きだった(まだインターネットは普及していなかった)
彼の女子高生の姉の下着がそこら中に干してあって見放題だったからだ
小学校は同じだったが学区の関係で離れてしまったという経緯で、気のおけない中だったのは間違いない
ただ、やはり普段付き合う人間が違えば価値観も少しずつズレてくる
その二人は次第に「やばくねえ?」みたいな事を言いだしてパンチラハントを渋りだした
関係が切れた訳ではないが、中2に上がる頃にはハンターとして参加することはほぼなくなっていた
S君は変わらず熱心だった
靴に鏡を貼り付けて能動的にパンツをハントしたり、当時出始めでまだ低性能だったデジカメを何処からか調達してきて、カバンに仕込んで盗撮するまでエスカレートしていた
俺ともう一人残ったJ君はそれをサポートする立場としてS君を支えた
良くないことだという認識はあった
しかしやめられなかった、女子にも大人にも相手にされない田舎の落ちこぼれの中学生にとって、それは唯一の熱中できる遊びだったのだ
その遊びは中3の夏まで続いて、唐突に終わった
S君が亡くなったのだ
S君は父親が運転するバイクに二人乗りしていて事故を起こし、増水した川に突っ込んで死んだ
その後は俺もJ君もパンチラをハントする気分にはなれなかった
いや、そもそも俺とJ君はパンチラハンター以外で絡むことはほとんどなく、クラスも遠くてお互いの家も電話番号も知らなかった
そのまま関係が自然消滅してもおかしくなかったが、夏休みも終りが近づいたある日、S君の姉に呼び出されて二人でS君の家を訪ねることになった
俺とJ君は自転車で合流したもののエロ画像とパンチラの話しかしたことがないからほとんど無言で市営住宅に向かった
俺たちが仏壇に線香をあげるのを、高校の制服を着たS君の姉が後ろで仁王立ちで見ていて、終わると
「きょうはどうもね。あとうちら引っ越すことになったから、あんたらさあ……」と言って二階に上がっていった
話が途中で途切れたのでどうしたらいいもんかJ君と顔を見合わせていると、
「これ、要るでしょ」
といって段ボール箱をかかえて戻ってきた
そこにはS君のコレクションの田んぼで拾ったエロ本や盗撮写真のデータが収められたCD-ROM、それに使ったデジカメ、手鏡、巨大なノートパソコン、パンチラポジションが詳細に書かれたノートが詰め込まれていた
「パンチラハンターなんでしょ。バカだね男って。あたしのパンツも何枚かあげよっか?」
と言って姉はケラケラと笑ったが、俺とJ君は感極まって号泣してしまった
5人で集まって馬鹿騒ぎしていた頃の記憶が嵐のように蘇って、情けないと思うのに涙が止まらない
もう最後には姉ももらい泣きして、三人で抱き合うみたいにして泣いた
遺品はJ君がほとんど引き取った
俺はデジカメだけ受け取って、その場でなんとなく三人の自撮り写真を撮った
しかしちょうどそれでバッテリーが切れたのか、液晶が切れて動かなくなった
充電用のケーブルは見つからなかったということで、無用の長物になってしまったが、一応持ち帰った
帰りの道中、「もう解散かな、パンチラハンター」とJ君に言ったら「いや」と低い声で否定した
J君はその数ヶ月で声変わりが急激に進んでいた
その大人みたいな声が、俺の中に重々しく響いたのを覚えている
家にあるケーブルでなんとか充電できないかと悪戦苦闘していた俺を見て「新しいの買ったほうが早い」と父親が新品のデジカメを買い与えてくれた
これがきっかけで俺は写真にハマり、数年後には東京の某芸術系大学の写真学科に進んだ
一方J君は地元の高専に入り、ソフトウェア開発の道に進んで関西の大学に編入
J君もS君の遺品のノートパソコンで勉強したんだろうと勝手に俺は思ってる
彼とも中学を出てからはあまり関わりはなかったが、盆とか正月には地元で会って近況報告くらいはした
俺たちは氷河期世代ど真ん中で、その後の人生もうまくやれたとは思わない
まもなく中学時代の同級生の女と結婚したが、すぐに事業所縮小でリストラの憂き目にあい二年で離婚した
噂によるとその後また再婚したみたいだが、コロナ以降は一度も会っておらずどうなったかわからない
俺は大学を出てからそこそこ有名な写真家に師事したが芽が出ず野に放たれた
しかし写真は諦めきれず、不動産屋の広告に乗せる新築マンションの写真を撮る安い仕事をもらって東京の安アパートで何とかギリギリ生きていた
仕事中、高級タワマンのエントランスの長いエスカレーターをみると胸がざわついた
地方でカメラマン崩れに仕事はなく、高齢者に混じって非正規の警備員をやっている
施設警備をしていると、エスカレーターの下で怪しい動きをする男の子たちを見かけることが有る
「お前ら、バレバレだぞ」
いたたまれなくなって諭すと、「うっせージジイ!」と悪態をつきながら逃げていく
そう
J君の実家はもう取り壊されていて無くなっている
調べれは引越し先も調べがつくと思うが、あえてそうしようとは何故か思わない
今朝、夢にJ君とS君の姉が出てきた
女子高生のままのS君の姉が「あたしら結婚したから」と照れくさそうに言っていた
こちらは若くはなく、最後に会ったときの熊のような髭面メガネだった
「証拠見せようか? ほら」
最近見てなかったけどこの人が持ってたのか、と夢の中の俺は思う
液晶画面には、俺が撮って一度も見ていない三人の自撮り写真が表示されていた
しかも、中央の俺が無邪気に自撮りしている後ろでJ君とSの姉が手を握って見つめ合っている
この頃から繋がってたのかよ、と夢の中の俺が思う
「そうだよ。確かめてみな」
目を覚ましてから、押入れの中身をひっくり返してあのデジカメを探した
昔は知識がなくてどうにもならなかったが、充電器などなくても記録媒体を取り出してマルチリーダーで読めばデータは吸い出せるだろう
しかし見つからなかったし、そのことで必要以上に感傷に襲われることもなかった
ただこれだけは言っておかねばならない
前提として義両親はクソではない。結婚してから意地悪をされたことは一度もない。
義両親と会う頻度は年に2~3回。関係性は良好だと思っていたが、嫁は嫌いなのかな?と最近感じたので吐き出し。
結婚した年の春に私の祖父が亡くなった。私はその年の秋に入籍した。
夏に両家顔合わせをした時に、私の祖父が亡くなったことは義両親には話した。(身内の不幸があったが入籍は翌年に回さず年内にして欲しいという話を実母がしたため)
私は喪中ハガキを出さなかった。義両親は祖父の死は把握してるし、別世帯とはいえ身内の中では喪中ハガキは省略して良いと思ったのだ。
すると正月に義実家に来訪した時、義母から「あなたのお母さんは喪中ハガキをくれたけど、あなたからは貰わなかったから年賀状は出したわよ」と言われた。
後で喪中ハガキについて調べ、喪中ハガキは出すのが無難だったと知ったのだが、義母の発言が引っ掛かっている。
「祖父の死を知っておきながら喪中ハガキの通例がなかったので年賀状は出した」という義両親に私は祖父の死や祖父の死で抱いた悲しみを軽視されたように感じた。
その翌年に今度は夫の祖父が亡くなった。葬式には夫婦で参列した。
義両親からの喪中ハガキは届かず、年賀状ももちろん来なかった。
私も年賀状は失礼した。「お義父さんお義母さんから喪中ハガキが届かなかったので年賀状は出しちゃいました〜」なんてことはしなかった。
ただ、自分達だって喪中ハガキを送らないじゃん・・・と思った。
もしかしたら喪中ハガキには親等の違いだとか細かいルールがあるかもしれない。
しかし、義両親は祖父の死を知っておきながら年賀状を送ってきたという事実が毎年年賀状シーズンになると思い起こされ、嫌な気持ちになっている。
今年、実家に帰省した時に実母が義両親から届いた年賀状をメモスタンドを使って仏壇に飾っていた。
なんで飾っているの?と聞くといい言葉が書いてあるからと実母は答えた。
年賀状の文面は実母の大好きな相田みつをテイストの文章になっており、実母が気に入るのは理解できたが、同時に実家とうちとで年賀状のパターンを出し分けされていることに気がついた。
うちに届く義両親からの年賀状は毎年白黒コピーで簡易なデザインである。一方で実家に届いたのは華やかなフルカラー印刷のものだった。
わざわざ2種類用意して出し分けしているのか・・・ひょっとして私のことちょっと嫌いなのかな?しかしそれだったら実母に出す年賀状もあっさりしたパターンにならないか?と考えた。
ついでに過去の年賀状も見せてもらったが直近3年分の年賀状はやはり全てカラー印刷だった。
帰宅してうちの年賀状も確認したら、今まで届いた白黒コピー年賀状はおうちプリントだった。
年賀状は実家に届いたのもうちに届いたのも両面印刷なのだが、実母分は年賀状業者に発注する分にあり、うちに送る分はわざわざ自宅のプリンターを使ったってコト?と驚いた。
自殺した人を憎んでいる。
わたしの妹。
あの子は不登校だし働かないし醜いしヒステリーだし愛されたがりなのに愛そうとしないし気に入らないことがあるとすぐに脅すようにアームカットするし嫌いだった。
首吊ったときはそりゃそうだと思った。
不出来で嫌われて当然なのに、お母さんはずっと妹のことばかり。
わたしの方が頑張ってるのに。
勉強も仕事も趣味も何もかも妹よりがんばって、理想の娘、自慢の娘になれるよう、がんばってきたのに。
周りの人に認められるよう、たくさん頑張ってきたのに。
あの子が全くしなかった努力を、わたしはたくさんしてきたのに。
お母さんの蔵書、お母さんの卒業制作、お母さんの好きな歌手、お母さんの好きな映画、この世で誰よりも知っているのはわたしなのに。
あの子は興味すら持たなかったそうでしょ?
若くにお父さんと別れて、経済的に苦労してきたお母さんのため、早くに独り立ちして、お金を入れてきたのもわたしだよ?
ヒステリー起こすたびに、この世で1番あの子を思って心を折っていたお母さんを、口汚く罵ったあの子がそんなに大切なの?
お母さんに、「もうあなたのことを愛せない」と言われたの。
あの子が死んだことが、わたしを愛せない正当な理由になるとでも?
わたしのほうがお母さんのこと愛しているのに。
妹が憎い。
死んだことによって特権を得た妹が憎い。
お母さんは変わってしまった。
わたしを愛してくれた母は死んだ。
妹が殺した。
わたしが頑張ってきたことも努力してきたことも心を砕いてきたことも全てあの女の死が台無しにした。
「ごめんね、お前は2番目なの」と泣く母を抱きしめるのは地獄の苦しみだった。
死んだら1番になれるのか。
死んだらわたしを蹴落とすことができるのか。
生きていることは意味がないのか。
わたしに残された努力の余地は、あの子と同じように、死ぬことだけか。
お母さんだって困っていたくせに。いつまでも働かないでわがままばっかりのあの子を。
死んだら全て許されるのか。
死んだ妹への憎悪と、愛されない悲しみと、お母さんから「要らないもの」と扱われる苦しみから、逃げたくて、死にたい。
死んだら妹のように全て許されてまた愛されるはず。
お母さん、遠方の結婚式に行って、帰ってきたと思ったら、真っ先にあの女の仏壇にお土産を供えに行ったの。
居ないものとして扱われるなら、死んでも構わないよね。
わたしが死んでも、恨むなよ。
朝起きたら一番にすることは仏壇のお膳を下げてこうかんすることなんだけれど
それか
庭の鉢植えの水やり。
まだ朝早いほうなのに、日差しがしんどくて
日を浴びると植木はすごく伸びるので
このままでいいかなと考えていたけれど
きのう、5時30分にごみを出して
そのあと水やりしたあとに
こい茶色なので日差しを遮るととても薄暗くなってしまうんだけど
壁がじりじりと熱くなるよりはましなのかなぁと。
本当に迷っていて。
多少はましになっていたんだけど
やはり夏の日差しは凄かった……
買ったときはなかったのです。
末期の癌、発覚から4ヶ月だった。
不幸中の幸いにも母が亡くなる直前に、弟嫁も含めて、父・兄・私・弟・弟嫁と実家で過ごす時間が1週間ほどとれた。
弟夫妻は関西在住。東北のとある県の実家での時間は、弟嫁にとっては、恐らくしんどかっただろうな。
母が亡くなったあと通夜・葬儀など実家で過ごす間で、寝る場所で揉めた。
母の死後、遺骨のある部屋で寝るのはイヤなので、
私が寝ていた両親の寝室を譲ってくれと兄を通して伝えてきた。
仏壇のある部屋は、
元々私が帰省した際に利用していた部屋で、
弟夫婦の結婚後、仏壇のある部屋をあけ、両親と共に両親の寝室で寝ることになった経緯がある。
兄を通して伝えてきたことに腹が立ったし、遺骨がある部屋で寝るのは..というのも何調子いいこと言ってんのと思い、両親の寝室を開けなかったことで、兄と弟と父と揉めた。
それがきっかけで、実家居場所がないように感じ、追い出されてるような気がした。
初盆の帰省を悩む中で、実家帰るのもなぁと思っていたのところ、父から兄の結婚報告を聞いた(デキ婚)
クソ狭い仏壇に住んでもらう予定だけど
いつも母が早朝仏壇に供える白飯をそんな暑い日には30分から1時間後にはもう本人が下げるのだが1日じゅう忘れていたらしく
寝る前になって「もう食べられないからこれを捨てておいてほしい」とラップに包まれた、仏具にそえつける容器の形になった小さい3つの丸がくっついたようになっている白飯の塊を渡された
つい1時間半ほど前の話で引き受けて捨てたはずなんだが、しばらく別の作業をしてさっきふとした瞬間にそのことを思い出してみたところ肝心のその「捨てた」行為の記憶がない
慌てて探し始めた
台所の小さいポリ袋(三角コーナーを介さず直接捨てるために置いてある)にも黄色い市のごみ袋の中に貯められた生ごみの中にも部屋にあるいくつかのゴミ箱の中にもトイレに行く途中の棚の上にもその他どこか寄って一旦置いておきそうな場所のどこにもその塊が見当たらない
念のためと思い、いつもは傷む前に下げて母が食べるために冷凍してあるその白飯の塊が複数入ったジップロックを確認してみたがガチガチに凍ったものしかない、あれは1時間やそこらでは凍らないだろう
どれでもないと思うが不安になり、また正直すでに数週間ほど経ったこれらの冷凍ごはんを母が食べるのが少々不安だったのもあり安全側に寄せて全部捨ててしまった
あの白飯の塊はいったいどこへ消えたのか?そしてわたしはまだ30代なんだけどわたしの脳、大丈夫か?わたしの記憶、いったいどこに消えてしまったんだろうか
とりあえず朝わたしより早く起きてくる家族に置手紙をして、どこかで見つけたらそれは食べられないので捨てて置いてほしいと書いておかねばならない
冷蔵庫の中も探したけどないな、本当にどこへ行ったんだよ
お墓はないけど自宅に仏壇はあるよね
ある地方では魂は2つあったり7つあったりすると考えられているという先生にある種懐疑的な思いを抱きながら
日本人は、墓と仏壇両方用意するが魂の所在はどちらと言えるのか?と尋ねられて言葉に窮した。
考えている内に三日間意識不明で入院していた祖父が亡くなった。
ゴールデンウィーク中に会いたいと電車の予約を済ませ荷物を纏めたままで彼は逝ってしまった。
午後の授業の事は一切考えられなくなり、駅へ予約した電車の切符二枚を払戻しに行った。
その内一枚を払い戻し終わると、不意に午後の授業に間に合う気がして来た。
私の大好きな内容の講義、忌引届の裏に必死でメモを取ると全て忘れられる気がした。
講義が終わった後も家に帰りたくなくてそのまま居続けた。家族の顔を見て何を話せば良いのか分からなかった。
ここに居させて下さい、と願いながらノートと消しゴムを買い足して、授業に集中しようとした。
真っ直ぐ教師を見つめると、度々目が合う。皆講義に飽き、俯いていたので目立ったのかも知れない。
何も口にしていないのに、鎮痛な面持ちの講師が言う。
「どんなに辛いことがあったとしても、振り返って見ると案外支えられていた事があったのだと感じる事が出来る筈だ」
と。授業の内容よりその一言が沁みた。