はてなキーワード: 世襲とは
賞与が下がったまま戻らないので、休みの日に副業をして補っている。
どうせ仕事が少ないのなら、副業がしやすいように休みの日を増やして欲しい。
と思うのだが。
周りの連中は、本業の業績が良くなるように努力しよう!みたいな方向性を示している。
それは代々世襲の経営者とか上の仕事であって、雇われに過ぎない我々のなすべき仕事ではない。というか契約書に書いてない。
職場がヒマならヒマでいい。副業に精を出すだけのことであって、何もやる事はかわらない。毎日出勤して生活に必要な金を稼ぐ、それだけ。
経営がますます傾いて生活にも困る程の待遇になったら辞めて去るだけ。それは、家族が居る人にとってもいない人にとっても変わらない現実だ。
お前が喧嘩越しで汚い言葉を使ってるんだろ。それに相応に返してるだけだが。俺の言ってる内容は基本的なことでしかないし。
なるほど、長く続く大国家の起源が部族連合のようなものであるケースも割とあるよ?
戦国期の地方領主を束ねて天下統一、みたいなことをやるときには便利な形態だからね。
でも、それで終わってしまうのでは脆弱な国家にしかならないんだよ。
国家統一がなったときには、地縁血縁の束による統治形態の「解体」が始まるんだ。
地方領主に土地を所有させ、世襲で相続させて、その地縁血縁による統治を行う、という形態から、中央から任命した官吏に中央の部分としての任地を統治させるという形態に移行しなければならない。
そのためには、建国の際に功績の大きかったものであっても徐々に失脚させ、潰していかなければならない。強固な地縁血縁による地方支配は、盤石な国家を築く上では不安要因でしかないんだよ。
北海道を治める俺がなんで沖縄の問題のために費用を負担しなきゃいけないんだよ、みたいなことを必ず言い出すの、地方領主は。当たり前だ。彼の所領とは関係のない話なんだから。
だから、国家の体裁が整い、これからは一つの国としてやっていきますよ、となったその時に、必ず、今までやってきた地縁血縁の束による統治のシステムは否定されるんだ。国家と国民というフィクションをそこから始めるんだよ。文化への手入れとか、それこそ国民教育によって。
「我々国民」「我々日本人」というのはそうやって生み出されるフィクションだ。フィクションという言葉が悪ければ、そういう人工的な思想だ。いい悪いの意味じゃなく、事実の問題として。
http://hamusoku.com/archives/8067863.html
DQNネームの歴史を塗り替える衝撃のDQNネームが爆誕wwwwwwwwwwwwwww
TLに流れてきたので何気なく覗いたらすごいことになってた。
なんというか、なんにもいえないこの感じ。伝わってますか?
ねらーの方々の反応が正常な反応だと思いました。釣りだと良いんですが。
こういうDQNネーム(巷ではキラキラネームとオブラートに包まれてますが)は、
一体全体どういう流れで生まれて、どうして無くならないのでしょうか。
いつの時代から生まれたのかは定かではないですし特定もできないですが、
社会問題として取り上げられた「悪魔ちゃん」の頃から顕著に表れてきたんでしょうか?
正直いつごろなの分からないですけど、結局悪魔ちゃんってどうなったんですかね?
まあそういう「悪魔ちゃん」みたいな「他にはない」という点で名前が決められてるように感じます。
そういう意味ではゆとり世代が親になり始めた頃から増加し始めたと言えるかもしれません。
まあ上記の「オンリーワン」感でつける親も少なからず居ると思うのですが、
「かわいい」「かっこいい」という単純な(わかりやすい)理由でつける親も多いのではないでしょうか。
ファッション性というか、まあいわゆる親の自己満足の世界の話ですが。
そういう事を考えていくとDQNネームをつけてしまう親も得てしてDQNだと思いますが、
そのヤンキー性で、自分の子どもを私有化しようという気持ちがあるように感じます。
マーキングというか、ヤンキーの縄張り争いなどと似たようなものですね。
「我が子」だから「自分」の子どもだからと言って「親の勝手だ」というのはカンタンです。
ヤンキーというのは基本的に世襲制ですので、よほどのことがない限り周りの親族や友人も
DQNネーム歓迎ムードだから「さすがにその名前はヤバくねwwww」という風に止める人物は皆無かと推測できます。
いや「さすがにその名前はヤバくねwwww」と賛成する人のほうが多いかもしれませんが。
子どもの立場に立って考えてみると「たまったもんじゃない」というのが本音でしょうが、
子どもというのはつまり、自分な訳です。世襲してきて次世代に受け継ぐまさにその瞬間な訳です。
その時に脳裏をよぎるのは「俺と同じように生きて欲しい」というような親心で
似たようなDQNネームをつけてしまうというサイクルが出来上がってしまっているのかもしれません。
ブラック企業であるような「俺にも出来るんだからお前らにも出来る」のような恐ろしい考えと言えますが、
そこに愛情がある分劣悪な環境に落ちていくスパイラルではないので安心出来るでしょう。
「資金繰りが上手くいかなくなって職場の経営が大変だから、下でも努力できるような改善案を上に提出しよう!」とか、ついに先輩まで言い出した。
経営を考えるからこそいい給料取ってるんだし、代々世襲で経営をしているんだから。
確かに、職場の経営が破綻して一番困るのは、転職の難しい年齢に達した連中だろう。しかしだからといって、経営に口出していいわけがない。
ボーナスカットされるわ昇給がなくなるわであっさりとおたついて、くだらない改善案やら主婦みたいな節約案やらを提出するなど実にバカバカしい。
愛社精神を利用されてる事に気付け。どんだけ社畜なんだこいつらは。
給料をきちんと出す事ができなくなった時点で労働者からは、経営者は無能、経営は破綻しているとみなされるのが当たり前なんだ。
その時点でもう、年齢的に転職が難しい奴も含め、全員が転職に向けて努力すべきなんだよ。
経営者の金遣いの荒さを横目で見過ごして、そして経営がうまくいかなくなったら仕事を手伝ってやって、一生足元を見られ続けるつもりなのか?
そういうのはもう愛社精神とは呼ばない。奴隷根性、と言うんだ。
俺は奴隷じゃない。
世間並みの給料すら普段から払わず、社会的責任のある職だからと世間並み以上のモラルを要求するような仕事に、尽くす義理は何もない。
経営者が労働者をなめてるからいつまで経ってもこんな、労働者を馬鹿にしたような労働形態がはびこってるんだ。
金さえあればこんな下らない論議に一切付き合わなくて済むのに。金さえあれば。
俺らが生きてる間は大丈夫かもしれないよ。一説によると、2100年までにはテクニカル・シンギュラリティつって、機械が自分で自分を修正できるような高度な知能を持って、人間を追い越してしまうなんて話もあるけど、これはあくまで理論に過ぎないし、反論あるし、まだまだ大丈夫かも。
ただ、俺らが死んだあとの世界がどうなるかって話なんだよ。俺たちの今がどうつながっていくのかという話。
で、ロボットは当分の間は人間が面倒看るだろうね。で、ロボットが必要になればなるほど、ロボットの面倒をみる技術者は社会の中で権力を獲得していくと思う。その時代は(まともな富の分配がなければ)格差も進んでいるだろうから、底辺の人たちがロボット技術者になる道は狭くなり、ロボット技術者は世襲になっていき、貴族的になっていくと思う。そんな中で、科学者/技術者の誰かがパンドラの箱を開けちゃうと思うんだ。ロボットに高度な知能を与えて、ロボット同士で面倒を看れるようにしてしまうと思う。科学者って道徳とか社会とか以前に技術的興味でそういうのやっちゃう生き物だから。で、この技術って短期的にはすごく理想的じゃん。数人の技術者だけで数千のロボットコントロールして、あとは何もしないでも車とかをばんばん作れちゃう。だから、この技術を海外にも売ろう、ってことになる。その先がどうなるかなんて、あんまり考えないと思うんだ。今の政治家見てても、先を見れても10年ってところ。少子化や年金の問題すら放置してきたわけだからね。短期の経済に目がくらんじゃう。ということで、この技術は推進される。人類は短期的に幸福になる。でも、そのあとどんどんひどくなっていく。
途方もない先の妄想だけどさ、科学技術ってこの方向に進んで行く可能性あると思うのよ。それについてどうするかって指針を漠然と考えておくのも悪くないんじゃないかなと思う。100年後にどうなっていて、どういう法整備やルールが必要か。ロボット三原則みたいなやつ。
ま、思考的なお遊びとして書いただけで、深くは考えてないよ。
条文ごとに別記事だと見にくいし、かといって今回のようにコピペするのも面倒なので、10条以降は書いたものに追記していくことにしよう。
改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。
ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。
今日はとりあえず前文を。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義。
学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。
あと気になったのは、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」って部分。
「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍の原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍の原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。
今日は1条。
「象徴」であるということをどう捉えるべきなのか。「象徴に過ぎない」という消極的な意味に尽きるのか、なんらかの積極的な意味を読みこむことが可能なのか。
そもそも「象徴であ」るってどういうことなのだろう。
今日は2条。
「国会の議決した」ってことなら「法律」でいいんじゃないの、と思ってしまうのだがなぜわざわざ「皇室典範」としたのだろう。
「皇室典範」は成立要件や効果等の面において他の法律とは何か違いがあるということなのだろうか。←解決。教えてくれた人ありがとう。
今日は3条。
ひとまずは(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解しておく。
今日は4条。
自分は3条についてひとまず「(象徴天皇制ゆえ?)天皇のフリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解」したわけだが、4条を見ると「国政に関する権能を有しない」と定めることで既に天皇のフリーハンドの決定は不可能とされ、天皇の政治的実権は奪われているように思える。
だとすれば、「国事に関する行為」についても「内閣の助言と承認」を要求したのはなぜなのだろうか。「内閣の助言と承認」はいかなる意義を有するのか。そもそも「国事に関する行為」とはいったい何なのか。
今日は5条。
皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
前条2項が準用されていないのは、摂政が国事に関する行為をさらに委任することはできないということだろうか。
今日は6条。
これらは「国事に関する行為」なのだろうか。4条に照らせばそう考えるのが自然な気がするが、司法や行政のトップを任命する行為は明らかに政治性を帯びており「国政に関する」行為であるという気もする。
前者だとすれば、国事に関する行為と国政に関する行為との区別の仕方がまったく分からない。
後者だとすれば、本条は4条の例外としてなしうる国政に関する行為を定めたものと理解することになるのだろうか。だとすると、3条が「内閣の助言と承認」を要求しているのは国事に関する行為のみなので、国政に関する行為というより濫用の危険の高いものがフリーハンドで行われることになりかねず大変問題ではないかと思うのだが。
今日は7条。
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
十 儀式を行ふこと。
ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。
「儀式を行ふ」などは国事に関する行為のイメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。
今日は8条。
財政上も統制を加えるということなんだろう。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
さすがにこれは有名なのでどのあたりがポイントなのか聞いたことある。
1項は「国際紛争を解決する手段としては」という文言が何を意味するか(放棄するのは侵略戦争のみか、自衛戦争もか)という点。
一本に拘るとか、バカじゃねーのって思うんだけど。
みたいなもんだろ。
ちょっと覗いてみればさ、トレーニング方法からしておかしいじゃん。
道着で走るとか裸足で外走るとか、なんなの?
冬の一番寒い時期の早朝に稽古とか、真夏にしめきった部屋で稽古とか、そういうのなんで好きなの?
今の時代でまだ練習中水飲むなとかだし、ウエイトトレーニング否定だし。
減量のやり方だって直前に絶食とか水抜きみたいなのやるでしょ?
たとえば段位認定が講道館でしょ?
で、講道館はやっとこさ5代目で嘉納家以外の人間が館長になったけど、それまでずっと世襲だったじゃん。
国際柔道連盟の下部組織が全日本柔道連盟で、でも全日本柔道連盟より講道館がエライ。
何年か前に「国際柔道連盟の代表に日本人がいないのはおかしい」みたいな抗議文だしてたじゃん。
もうね、バカなんじゃね?としか思えないんだけど。
嘉納治五郎があんだけ先進をいってたのに、なんでそれから100年も停滞して、というかむしろ後退してるんだよ。
追記
彼がなかったら武道どころか日本に近代スポーツが浸透するのがずいぶん遅れたと思う。
その点は認める。
基本的にはマニフェストって政権であれをやりますこれをやりますだから
政権が獲れなかったときのマニフェストって、考慮するべきだと思う?
その後に
「参議院選挙は政権と関係ないんだから、マニフェストには拘束されない」
って言い出したことがあるんだよ。
これを認めるなら、前回の総選挙で、例えば自民党がマニフェストに世襲禁止を書いたのに今回破棄したのは何の問題もないし、
これを認めないなら、
実は民主党って岡田派と鳩山・小沢派で派閥抗争を繰り広げていて、
鳩山党首の時に岡田マニフェストを踏みにじって、全く別のものを掲げたことが非難されるべきなんだよ。
(管って鳩山内閣時にはまず国家戦略担当大臣になって、閑職だったんだけどポスト鳩山を睨んでおとなしくしている、
ことのきはまだ小沢と連携していた時期だった。しかし管が小沢を敵に廻す道を選んだ)
ワンポイント開いて、
野田が総理になったら、市民派・岡田とも辣腕・小沢とも違った、官僚従属姿勢を取ったんだよ。
だから野田が今度作るマニフェストが、岡田マニフェストを継いでいるのか、鳩山マニフェストなのか、
それとも今までのどのマニフェストとも整合性のとれないものをつくるかの三択になる(全部乗せはここ)はずなんだが、
こういうことは考えなくていいのかね?
永田を見捨てた人でなし前原の番頭が野田だから、国民が何をどう言っても、耳を貸さないだろうな。
◆4世◆
◎鳩山由紀夫(曽祖父;鳩山和夫;衆院議長、祖父;鳩山一郎・総理/ 父;鳩山威一郎・外務大臣/弟;鳩山邦雄・衆/当選6回/北海道9区)
◆3世◆
◎佐藤謙一郎(祖父;金光康夫・厚生大臣・拓務大臣/父;佐藤一郎・ 経済企画庁長官/伯父;金光義郎・衆/当選5回/ 比例区南関東(神奈川1区落選))
◎松本龍(祖父;松本治一郎・参院副議長/父;松本英一・参/当選5回/ 福岡1区)
◎玄葉光一郎(祖父;町長/岳父;佐藤栄佐久・県知事/当選4回/福島3区)
◎鮫島宗明(祖父;永井柳太郎・逓信大臣・鉄道大臣/叔父;永井道雄・ 文部大臣/当選3回/比例区東京(東京10区落選))
◎松野頼久(祖父;松野鶴平・参院議長/父;松野頼三・防衛庁長官・農林 水産大臣/当選2回/熊本1区)
◎山花郁夫(祖父;山花秀雄・衆/父;山花貞夫・国務大臣・社会党委員長/当選2回/東京22区)
◎小宮山泰子(祖父;小宮山常吉・参/父;小宮山重四郎・郵政大臣/当選1回/埼玉7区)
◎近藤洋介(祖父;野原正勝・労働大臣/父;近藤鉄雄・労働大臣/当選1回/比例区東北(山形2区落選))
◎寺田学(祖父;寺田栄四郎・県議/父;寺田典城・県知事/当選1回 秋田1区)
◎菅直人(祖父:菅實 郡会議員 / 伯母&義母:町議会議長)
◆2世◆
◎小沢一郎◎羽田孜◎石井一◎佐藤観樹◎鹿野道彦◎中井洽◎玉置一弥◎横路孝弘
◎川端達夫◎赤松広隆◎岡田克也◎小平忠正◎古賀一成◎佐々木秀典◎田中慶秋
◎堀込征雄◎西村眞悟◎安住淳◎石田勝之◎一川保夫◎奥田建◎近藤昭一◎中山義活
◎松崎公昭◎渡辺周◎大出彰◎大島敦◎佐藤公次◎楢崎欣弥◎松本剛明◎水島広子
◎樋高剛◎泉健太◎岡島一正◎奥村展三◎梶原康弘◎岸本健◎楠田大蔵◎下条みつ
◆1世代とび2世◆
◎川内博史(祖父;山田弥一・衆/当選3回/比例区九州 (鹿児島1区落選))
◎鎌田さゆり(祖父;和賀平象・式玉村議・小牛田町議・柴田町議/当選2回/宮城2区)
◎黄川田徹(祖父;黄川田源吉・市議会議長/当選2回/岩手3区)
◎小宮山洋子(祖父;青木一男・大蔵大臣/当選2回/東京6区)
我が党 の世襲議員(詳細版)
石井廣治─石井一―石井健一郎(一の甥)・石井登志郎(一の長男)・石井秀武(親類)
一川保正─一川保夫
大出俊─大出彰
岡島正之─岡島一正
鹿野彦吉─鹿野道彦
玉置一徳─玉置一弥
http://d.hatena.ne.jp/m0612/20100414/p1
を読んだ。2年前の記事なのね。
書きたいことがある。テキトーに。だけどぼくの生き方に関わる話だ。
ぼくはここに書かれている内容のことは読めるし、納得できているつもりだ。
小学6年生のときから毎日毎日、朝から晩までインターネットして、
ついでに人と話したりセックスしたり受験を受けてみたり心折れたりして、今年で26歳。そしてインターネット。
もうなんとなくわかる。冒頭のブログの内容は簡単に言うと、「役に立つか立たないかで物事の価値判断をするな」っちゅうことですわな。簡単に言うとね。
たぶん読めているはずなのだ。文章を。 文責者が。 おおよそ。 意図するように。
その証拠として「なんの役に立つんですか?」という言葉をかなり注意深く意識的に使わないようにしている。その暴力性を思って。
そして実際(役に立たないからといって価値がないわけではない)とか(役に立たないかどうかをぼくが判断できるほどぼくは賢くない)とかそんなことを考えてる。
しかし、とても基本的な問題がある。
これはぼくがインターネットに触れるはるか前から存在する原初の問題だ。
ぼくは「なんの役に立つんですか?」という言葉、思想の暴力性を知っているが、わかってない。
子どもの将来を親が決めてしまうだなんて、あまり歓迎すべきことではないのかもしれませんね。
「そのほうがより役に立つから」なんて言って、子どもの可能性を狭めているかもしれませんね。
それはわかりますよね。
自分の言動をふりかえってみる。
ぼくは最も親しい気のおけない友人や恋人にさえ「今日何を為したか」を若干の優越感をもって伝えられるけど、
「今日何をしなかったのか」は暗い気持ちで黙っている。
ぼくは無職で実家ぐらしで一人でいるほうが気が楽なので、基本的にほぼ毎日朝から晩までインターネットをしている。
たまには身の回りの整理など、と思い立って今日は部屋の掃除と洗車をしたのだ。
で、幸運にもぼくによくしてくれる人が「今日はなにしていたの?」とあらん限りの優しさで、ほんとに何気なくぼくに尋ねる。
「今日は掃除をしていたんだよ」少しはにかんでぼくは伝える。今日はたまたまそういう日だった。
いつもは?
いつもは、同じように「今日はなにしていたの?」と訊かれても「なにもしていなかった」と答えるだけ。
ほんとはずっとこのイスの上に座ってキーボードとマウスで任意の動作をして不特定多数の情報を閲覧していたのだ。
しかしぼくに言わせればそれは「なにもしていない」。
暗たんとした気持ちで、すいませんという気持ちで、しぼり出すように、言う。
なんでだろう?
誰もぼくの可能性を狭めたりはしないが、ぼくはぼくが役に立たない存在であることを許さないようだ。
誰かに向かって「なんの役に立つんですか?」とは言わないけども、
自分に対しては「なんのために生きているんだ?」とは何度も何度も
何度も何度も
何度も何度もなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんども
どもなんども
なんどもなんどもななんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんども
どもなんども
なんどもなんどもな
なんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんども問うた。
基本的な問題。
なぜぼくは自分に対して「なんの役に立つんですか?」という暴力を振るうのだろうか。
わかっているのだ。ブログの例に取り上げられていたような、「学問」とか「研究」とかいう箔がついていれば役に立つかわからなくてもまだ寛容でいられる。
ぼくみたいなぼんくらがただずっとネットをしているだけなのと、そのような勉学を同列に扱えるはずもないことは。だからこれはブログの内容に沿った話をしているようで、実はぜんぜん関係ない話をしているだろうことも。
魚にも利き手があるというのがわかったという話とぼくが毎日ネットをしているという話。
前者ならアカデミックでない庶民には役に立つか立たないかもわからない話だ。しかし、後者はどうだ?それを「役に立たない」と断ずるにいささかもやぶさかではないか?
タバコはどうだ?役に立つか?ギャンブルはどうだ?役に立つか?
ぼくはタバコを吸う誰かだってギャンブルにハマる誰かだって役に立たないとは思わないし、消え去るべきだとも思えないし、役に立たないとしても別にいいんじゃないのって思うけど、
ぼくはぼくが何もしていないとか役に立たないということを申し訳なく思っていて、同時に「役に立つことという単一の価値観に縛られるべきではない」と頭で思考するぼくもいて、その二つの考えの間でうねうね漂っているんです。
そもそも、これは役に立つとか立たないとかいう次元をまたいだ総合的な問題ですよね。
実際、子どもの将来を小さいうちから決めてしまう親だっているわけじゃないですか、世界のどこかには。
もし、親が石油王だったら子どもにも跡を継いでもらおうとするじゃないですか。
世襲制がまだ残っているお家柄ならわりとそうなるじゃないですか。
でもそれって、世襲することが役に立つとか立たないとかいう単純な問題じゃないですよね。
世間の目もある、経済状況も鑑みないとね、親のエゴって可能性もある。
女優だか歌手だかになれなかったお母さんが、叶えられなかった夢を娘に一方的に託す、みたいな事例もあった気がする。なかったっけ?
こんな話はいくらでもありふれていて、庶民のぼくらにもそう関係ない話ではないと思う。
親は実際、ぼくみたいな能無しを飼えるほど、世間の目を気にしないわけでもないし、経済的に恵まれているわけでもない。
はぁ…書いている内に「ほんとうに言いたかったこと」に説得力がなくなってきた。
ぼくは最初
「役に立たないことが悪いわけではないのに、自分は悪いことをしているような気になってしまっていて、いつから刻み込まれたかわからんその呪詛からどうやったら解き放たれるのか教えてほしい」。
ひいては
「あなたも役に立たないからといってウジウジしないでいいんだよ。あなたは悪くないんだ」。
と書きたかったけど、もうただ自分がクズなだけに思えてきた。あなたが悪くないとかわかったようなことを言ってしまうところやった。呪詛じゃなくて相応の罰。
こんなことを書いているのも、少しでも誰かの役に立とうと思った結果だった。そしてまたぼくはいつものイスに座ってキーボードとマウスを操って「何もしていない」。
冒頭のブログはぜんぜん関係なかった。ぼくはダメ人間だった。それだけ。
もう飽きたしこの辺で…。
共産主義は敗北したと思われているが、それは大きな間違いである。世界に誇る偉大な共産主義的国家は、依然としてそのひどく夢想的な理想を実現しつつある。東洋にあるその国では、
情報は厳しく統制され、国民は総じてメディアのいうことをよく聞くよう訓練されており
政府の方針に批判的な人間はさりげなく表舞台から消えていく仕組みになっている。
「他の棒よりも突き出ている棒は、平らにならされるものである」という、その国に古くから伝わることわざ通り
誰かが突出して富を独占することは許されず、また、国民はそれぞれ誰かよりいい服を着ているということすら否定するために
その国でもっとも豊かなメインストリートでは、国民がみな同じように着るための味気ないデザインの安物の衣服が配布されている。
その国でもっとも人気のある芸能人は、頼まれもしないのに制服を着て、互いにほとんど区別のつかない容姿をしたグループである。
その国の国民の多くは、霊や神の存在を信じることをせず唯物論的であり
その国で政治にさえ関わる「自称」宗教団体は、死後の救いでなく現世利益を語り
むしろそれを積極的に破壊してやまない。
そして惜しむらくは、共産主義の多くの先達国家がそうであるように
その指導者層は外見的には品性を欠いており、本人たちはそれによって「庶民派」を装っているつもりではあるものの
実態は貴族そのもので、おおむね世襲によってその地位を得ていることから分かるようにひどく腐敗しており
権力闘争にあけくれ、また、結託した商人たちとともに富を独占する存在である。
しかし、それでも愛すべきその国の国民たちはその実態を直視せず
自分たちの国は世界に誇るべき理想を実現した偉大な国であるという自負のもと
実態はともかく制度としては一通りそろっている社会福祉や医療制度に感謝しつつ
なけなしの給金すら国債として投資し、「老後は国家が私の面倒を見てくれる」という幻想を抱きながら