はてなキーワード: リクエストとは
何かと話題になるオープンハートのネックレス、昔当時の彼氏からピンクダイヤとピンクゴールドのコッテコテのやつをもらったことあるがお返しのために金額調べたら三万五千超えてて貧乏人には高過ぎて緊張で吐きそうになったことある。
せめて4℃で買ってくれれば同じようなのでも半額程度は安かったのに、なんでネット通販で大して知名度もないブランドにそんなに出しちゃったんだ…。
アクセサリーは有名どころのブランドはわかるが、付ける習慣がないのでぶっちゃけもらっても迷惑。金額が高ければ高いほど迷惑。
貰いっぱなしは性に合わないので、相手は遠慮したけどすぐにリクエストを聞いた上でお返しした(ギリ3万いかないくらいのものだったのでちゃんとお返しになってたのかは不明)が、以降未だにプレゼント=不用品を押し付けられた上で相手に高額お返しをすることという認識が無くならずプレゼント全拒否マンをやめられない。
その人と付き合っている間も自分はあげてたけど誕プレもクリスマスもプレゼント拒否。リクエストを聞かれても拒否。完全にいらないものをもらって高額お返しをしたのがトラウマになってた。
元からその気がある自覚はあったが、自分は欲しくもないプレゼントをもらって適当にあしらうということが出来ないということにこの時気付いた。
件のネックレスはそもそも肩こり酷くてアクセサリー全般無理なので、結局もらった時につけたのみでその後は一度も日の目を見ることはなかった。
くれた人と別れた後は処分に困り、捨てるのも自分で売るのも抵抗があったので、友人が離婚する際に売って生活の足しにしてくれとタダで押し付けた。その後どうなったかは知らない。
「こうした方がいいんじゃないですか」とかいうど素人意見に対して説明してあげなきゃいけないのってなんなの
その通りにしないとapproveしない人とかどうすればいいの
ーー
まともなPRをやってるチームもあったが
大抵はリードの人がひたすら最低限のチェックだけしてた
あるいはリード+もう1人
「誰でも良いから2人」とか
プログラミングだけじゃなくて参画初期に「開発環境こんな感じなので1~2人日で整えてね」みたいに言われてサクッと対応できる感じになってないとつらい。
フリーランスでオンラインのみの場合はそもそも年齢なんか分からないまま進めることもあるから気にしなくていいけど、対面だったり雇用契約を結ぶ場合は年齢と経験年数の乖離は響くと思う。
プログラミングで行けそうと思っているのであれば、まずはクラウドソーシングで「こういうプログラム作って」というリクエストにフリーランスとして応募してみるところからはじめて試行錯誤でやり方とか諸々勉強するのが良いのでは。
そういうリクエストは地雷案件が多いけど今回の場合は自分も地雷なので両者気兼ねなくチャレンジできるという点でマッチすると思う(ハッピーエンドが待っているかどうかは知らない)。
今年に入ってからアークナイツを初めた。始めたきっかけはリクエストでアークナイツのキャラを描いたこと。その時にキャラ設定などを見てなんとなく気になっていた。よくあるスマホゲーかーで始めたら良い意味で裏切られたので、色々書いてみたいと思う。
純粋にゲームなのである。何言ってるんだという感じだが、そうとしか言いようがない。
タワーディフェンスとは何かを知った今では当たり前なのだが、始めた当初はタワーディフェンスという言葉も知らなかったので、まずここに驚いた。
ゲームがメインコンテンツであり、ゲームとして非常に実直で真摯なのだ。
最近のゲームとしてはグラフィックは控えめで、初めてみた時には「ん?」となったが、このゲームとしての実直さを知れば型落ちのスマホでも電池に優しく処理落ちしないからアリだしそんなことどうでもよくなってくる。
ゲーマーのやるゲームとしては普通だろうが、一般的スマホゲーの感覚だとハードがノーマルくらいの感じだ。
聞いた話では、タワーディフェンスというのは何度もリトライしつつ一手一手を詰めて攻略していくものらしい。タワーディフェンス界の人には当たり前なのだろうが、スマホゲーと思ってやり始めた俺は驚いた。
一手一手。まさしくその通りで、考えて詰める過程に面白さがある。失敗する→こうすればいけるか?→試す→いけた! このループがクセになる。それが成立する為には初見では余裕で死ぬくらいじゃないとなので、まぁ当然難しくなるよねいうかこれがアークナイツのノーマルなんだね的な。
ストーリー進めてアークナイツみが本気出してきたのに育成も半端でプレイヤーが追いついてない中盤あたりが一番やり直ししてた。
何回も失敗してやり直すのが当たり前だから、理性(AP的なもの)もやり直しでは1しか減らないし、その1でさえなしで試せる手段もある。もっと言えば、やり込み系コンテンツは理性無しで遊べるものばかりだ。
これは民度どうこうではなく、ゲームの設計から必然的にそうなってる。
まず、強キャラや課金額などでマウントを取る人を見ない。(別に課金額でマウント取られて嫌なわけではないが、何の参考にもならないので好きでもない)
引けば引くほど排出率が上がる為天井が低く、大金をかけてキャラを出す設計ではない。それに加えてガチャキャラを交換入手する手段もある。持ってるだけですごいみたいなキャラは存在しない。
(代わりに育成時短にコストがかかる設計なので、ガチャよりも育成急ぎたい人から金がつぎ込まれているのではないかと思う)
加えて、強キャラでマウントとるなんて「私はアークナイツ下手です」というのと似たようなものだ。ちなみに「強キャラ楽!きもぢいい!」は普通に言うし、そういう動画も沢山ある。あくまで持ってる持ってないがマウント理由にならないってこと。
があって、普通のソシャゲとかだと芸術性の高いプレイってあくまでネタ的な位置なのに対して、アクナイの場合これを重く見るプレイヤー文化に感じた。
こうしたプレイヤー自ら縛りや芸術性を上げる工夫をしてプレイングの限界を詰めるためのコミュニティも海外にはあるらしい。少人数やリレーの記録がまとまってるところとか。
そもそも、公式で定期的に開催される危機契約というやり込み系イベントがまさしく「プレイヤー自ら縛りや条件をつけて、限界を詰める」設計になっている。そして、即物的な報酬は大しておいしくはない。
じゃなんでプレイヤーがそれをやるのかと言えば、敢えて意地の悪い言い方をすればそれこそがアクナイでマウントを取って気持ちよくなるポイントだからだ。かっこよく言えば、自分のプレイヤースキルを鍛えたという証明や、頑張って考えたぞという証拠や、名誉という自己満足のためにやっている。
危機契約の時期になると様々なやり込み系動画があがるし、Twitterにはリザルト画面のスクショが流れる。悪意ある取り方をすればそうしてマウントをとることで気持ち良くなるわけだが、ぶっちゃけこのような方向性だと「どうぞどうぞマウント取ってください!っていうか自慢できて当然ですよ!そんなやり方思いつくなんて!公開ありがとうございます!!」なるしそうして人の工夫を見ているだけで面白くて時間溶けるので全然嫌にならないのだ。
「動画みないでオリチャーでここまで頑張りました」もあれば「くやじいけど動画見ちゃった。ああああ!こんなやり方あったなんて」とかある。
どっちにしろ楽しんだ人が大勝利なので(自分の観測範囲では)オリチャーできない人をバカにするとかそういうノリもみたことないし、逆に一人で詰まってる人に効率がどうとか言う人もいない。
初見でクリアは難しいくらいがアクナイ風味の当たり前なので、クリアできないコンテンツがあると文句を言う層は初めからふるいにかけられているから、某ソシャゲでうるさいそういう声が一切ないのも居心地がよい。
露出度が高くない理由には世界設定の関係もある。なんでも脱がせばいいんだろ?!が嫌な人にとっては大変よろしい。初期で入手できるキャラは女性に偏っているのでやり始めは「俺はギャルゲーをやりに来たのではないのだが?」なったが、進めていくと普通にイケメンイケオジも増える。
絵柄も良い。いろんなイラストレーターが書いている割には雰囲気にアクナイ風味があり、恐らく発注の仕方やマネージメントが上手いんだろう。自分は所謂アニメ絵に魅力を感じないたちなので、アクナイ風味の絵はツボにハマった。
こういう雰囲気だから、キャラが好きでやる勢にも実は相性がいい。
攻略面で工夫の必要があるということは、様々なキャラを使ってプレイヤーのうまさでカバーできるということだ。
工夫の余地のないゲーム性では、特定の強キャラを使った攻略だけが話題になりがちだが、アクナイなら低レア攻略も盛り上がる。
一部キャラの代用が効きにくい特定ステージもあるが、山があるなら登るアクナイプレイヤーの気質からしてそういうのがあれば攻略勢が必死に芸術的な◯◯無しクリアや低レアクリアを目指してくれる。
古き良きwikiが非常に活発に更新されている。wikiの雑談掲示板や質問掲示板の雰囲気も大変良い。なんつーかまろやかなのだ。
リセマラランキングや最強キャラランキングみたいので内容を稼げるゲーム性ではないせいか、企業系は殆ど更新放棄されている。
キャラの信頼度を上げたりすると解放されてゆくテキスト、細々したアイテムのフレーバーテキスト。そうした端々に広く深い世界が垣間見えて、破片を繋ぎ合わせてそれを想像する心地よさがある。
逆に言うとストレートなわかりやすさには乏しい。そのへんはフロムゲーの世界の表し方にも似てるかも。
キャラのテキストはぐっと引き込まれるショートショートのようなもの、極秘資料のようなものなど様々。
これはゲームの難易度以上に人を選ぶ所だと思う。特にメインストーリーの序盤は単純に翻訳?がこなれてない感もあって難解に感じるかもしれない。
だが、進めていくとこの一見難解で暗喩の多い文章や、洋画のような洒落たキャラの掛け合いの味がわかってくる。
深く暗く広い、単純な正義も悪もない複雑な世界に馴染んでいて、なんかそういうところからしか摂取できない養分もあるなってなってきた。
「プレイヤーの能力を信用して、本当に表現したいことを伝える」
感じがある。
難しい=面白くないでは当然ないし、難しい=ユーザーフレンドリーではないでも当然ない。アクナイはその辺が良くわかってると思う。
親しくしていた友人ともめました。いや、正確にはもめてすらいない、唐突に、一方的に絶縁を告げられました。
その人とはもう数年の付き合いで、割と頻繁に遊ぶ仲でした。
最近はあちらの生活環境が変わったこともあり、頻度は減っていましたが、幾人かで遊んだり、呑みにいったり、祝い事を祝い合ったりしていました。
蒸し暑い日が続いたので暑気払いでも、と、共通の友人と3人で、いつもの店で会ったのが最後です。楽しくお喋りしながらおいしく呑み食いして
「ではまた週末に。楽しみにしています」
そういって別れたあと、帰りの電車の中で、その人のお気に入りの作品のLINEスタンプを贈ったのを覚えています。
直後に絶縁を宣告され、幾度かのやりとり(ともいえない短い言葉しかもらえていませんが)を経た後、bioは消え、ブロ解されました。その人のアカウントには鍵がかかり、今どうしているのか、もうわかりません。
「そちらになにか悪いことがあったわけではない」
「辛い思いをさせた。これ以上負担をかけたくないのでブロックした」
まるで要領を得ないやりとりの果てに、ならばせめて再フォローをさせて欲しい、と請いましたが
「今はだれからのフォローも辛い」とリクエストは放置されたままです。
そんな最後の会話の直後の週末に。
共通の知人が多く集まったイベントにその人も参加していたようです。
フォローとフォロワーは一気に増加し、一度消されたbioは元に戻っていました。
ああ、そうか。今までのあれは全部嘘だったのだ。やっと、それを理解しました。その人にとっては、自分だけが邪魔だったのだ。それを面と向かって告げるのが嫌で、のらりくらりと嘘を積み重ねて、果てにここに辿りついたのだ。
切り捨てられたこと自体はもちろんですが。それにもまして、まるで隠す気すら感じられない粗雑な嘘で適当にあしらっておけばいいだろう、ぐらいに思われていたらしいことが悲しくてたまりません。
もう元の自分には戻れないと思います。人付き合いのスタンスも大きく変わるでしょう。
これは想像ですが、詳しい事情を知っている人が幾人かいるのだろうと思っています。その人たちはきっと、これを読んで嗤うのでしょう。
今はさまざまなことをどうでもよく感じています。先々の予定も、すべてキャンセルしてなかったことにしてしまおうか。そしてこのままアカウントを消して、いっそ失踪扱いでもいいかもしれない。
わかっていますよ。そんなことはできないので、いずれそのうち浮上します。
ここに辿りついた人は、呆れるなり怒るなり、馬鹿だと嗤うなり、好きなようにしてください。
あなたはどうして、あんなに楽しげに、いつもニコニコと笑って遊んでくれていたんでしょうか。内心を隠すのは辛かったでしょうに。いつから、なにが、どのぐらい、嘘だったのでしょう。きっと迷惑だったでしょうね。今は楽しいですか?これからは、あなたが厭うた者のいないところで、のびのびと活動してください。
親しくしていた友人ともめました。いや、正確にはもめてすらいない、唐突に、一方的に絶縁を告げられました。
その人とはもう数年の付き合いで、割と頻繁に遊ぶ仲でした。
最近はあちらの生活環境が変わったこともあり、頻度は減っていましたが、幾人かで遊んだり、呑みにいったり、祝い事を祝い合ったりしていました。
蒸し暑い日が続いたので暑気払いでも、と、共通の友人と3人で、いつもの店で会ったのが最後です。楽しくお喋りしながらおいしく呑み食いして
「ではまた週末に。楽しみにしています」
そういって別れたあと、帰りの電車の中で、その人のお気に入りの作品のLINEスタンプを贈ったのを覚えています。
直後に絶縁を宣告され、幾度かのやりとり(ともいえない短い言葉しかもらえていませんが)を経た後、bioは消え、ブロ解されました。その人のアカウントには鍵がかかり、今どうしているのか、もうわかりません。
「そちらになにか悪いことがあったわけではない」
「辛い思いをさせた。これ以上負担をかけたくないのでブロックした」
まるで要領を得ないやりとりの果てに、ならばせめて再フォローをさせて欲しい、と請いましたが
「今はだれからのフォローも辛い」とリクエストは放置されたままです。
そんな最後の会話の直後の週末に。
共通の知人が多く集まったイベントにその人も参加していたようです。
フォローとフォロワーは一気に増加し、一度消されたbioは元に戻っていました。
ああ、そうか。今までのあれは全部嘘だったのだ。やっと、それを理解しました。その人にとっては、自分だけが邪魔だったのだ。それを面と向かって告げるのが嫌で、のらりくらりと嘘を積み重ねて、果てにここに辿りついたのだ。
切り捨てられたこと自体はもちろんですが。それにもまして、まるで隠す気すら感じられない粗雑な嘘で適当にあしらっておけばいいだろう、ぐらいに思われていたらしいことが悲しくてたまりません。
もう元の自分には戻れないと思います。人付き合いのスタンスも大きく変わるでしょう。
これは想像ですが、詳しい事情を知っている人が幾人かいるのだろうと思っています。その人たちはきっと、これを読んで嗤うのでしょう。
今はさまざまなことをどうでもよく感じています。先々の予定も、すべてキャンセルしてなかったことにしてしまおうか。そしてこのままアカウントを消して、いっそ失踪扱いでもいいかもしれない。
わかっていますよ。そんなことはできないので、いずれそのうち浮上します。
ここに辿りついた人は、呆れるなり怒るなり、馬鹿だと嗤うなり、好きなようにしてください。
あなたはどうして、あんなに楽しげに、いつもニコニコと笑って遊んでくれていたんでしょうか。内心を隠すのは辛かったでしょうに。いつから、なにが、どのぐらい、嘘だったのでしょう。きっと迷惑だったでしょうね。今は楽しいですか?これからは、あなたが厭うた者のいないところで、のびのびと活動してください。
最近物価高や将来の不安から節約を始めたのだが無理なくせず始めて半年足らずで今月の娯楽費を5000円以下に抑えられそうだから自慢兼報告させて欲しい。
今月の娯楽費内訳
アニメ 実家暮らしなので親の持っているHDDにテレビ放送されている物を録画し見たら消す。
最新機種は持たず安価で売られているレトロゲーム中心にプレイ。
現在はスーパーファミコンの第4次スーパーロボット大戦の3周目をプレイ中。
ハードオフで名作を100~500円で揃えられ長時間プレイできるレトロゲームは節約に最適の趣味。
オススメハードはスーパーファミコンとPS2、ニンテンドーDS。
長時間プレイできる名作が多くソフトが安くハードオフのジャンク箱によくあるのが魅力。
教養本は図書館に豊富に取り揃えてあるので図書館で借りれば全て0円。
図書館には大抵リクエスト機能があり注文すれば欲しい本を無料で購入してくれるので欲しい本は図書館に買って貰う。
ネット通販のセールの時の方が安いこともあるが送料無料にするために要らない物まで買うと本末転倒なので欲しい物が多いときだけ通販を利用。
飲食費
一番金をかけている部分。
毎週末徒歩でドラッグストアに行きドリンクやお菓子・時によっては半額の菓子パンかカップラーメン、レトルトカレーのいずれかも購入。
一見金がかかりそうに見えるが一度に一つを食べきる・飲みきる事無く複数回に分けることで健康と節約の両立が出来る。
Spotify等の有料アプリには入らずAmazonのセールで買ったファイアstickTVのSpotifyを流す。
Spotifyはブラウザなら無料で選曲可能なので十分楽しめる。
また図書館は場所によってはCDがあり借りてPCで取り込めば外出時も無料で音楽を聴くことが出来る。
いかがだったろうか?
以前は月15000~20000円ほど使っていたが節約を始めてから今までの自分は以下に無駄なお金を使っていたのか気が付けた。
「お金がなくても作家を喜ばせる方法は図書館にリクエストすることだ」なるツイート(ポスト?)が伸びてたので https://twitter.com/jiro6663/status/1694628008366428193?t=3FxjKDajQYbjtPMwsgkrdw&s=19
現役図書館司書の視点からこの件について図書館的にどうなのか、本当に作家の為になっているのかを考えてみた
念を押しておくと田舎の小さい図書館司書視点なので一般化できるかは怪しい
①リクエストした人が必ず借りてくれるのであれば図書館は嬉しい
の2点になる
まず①から
図書館の予算は大体どこもカツカツで満足に本買えてる図書館の方が少ない
限られた予算の中で利用者が喜ぶ本を選書し、満足度の高い図書館をいかにして作るかというのは司書の腕の見せ所である
大体は児童向けや小説のシリーズ物、健康や生活の知恵に役立つ400〜500番代の本を数冊買い、余ったお金で1〜2冊ほど「これは利用されそうだな」という本をジャンル問わず選定するが、この「利用されそう」というふわっとしたものが難しい
よく動く本の傾向を見たり新聞書評や今ならYouTubeやTikTokでバズったものを選定してみたりするが、それでも買ったのに全然貸出されない本は出てくる
こういう時、誰かがリクエストをかけた本であれば確実に一回の利用は見込めるので選書会議も通りやすいし助かったりする
しかし、リクエストかけた人に借りる意思がない場合はとても困る
実際、みんなに読んでほしいと言う理由でリクエストがかかり購入したが誰も読まず書架の肥やしになっている本はある
(これはその本が悪いのではなく利用者のニーズに合致しなかった、例えば世田谷や目黒といった一等地に農業指南の本を置いて借りる人がいるのか?という話)
実際そういうことが起きたのでうちの図書館ではリクエストした本を必ず借りてもらうルールが作られた
予算もスペースも限られているので、本人が借りる意思の無い布教の為の、最低一回の利用も見込めない本はリクエストされても正直困るな…というのが本音である
作家としても、折角書いた本が誰にも読まれず本棚から動かない状況は売れたとしてもあまり嬉しくはないんじゃないかと思う
②について
図書館の本は必ずしも購入した物ばかりではない
リクエストがかかった本で、どうしても予算が足りず購入が後回しになる本はどうしても出てくる
そういう時、どこからか現れた善意の市民がちょうどリクエストかかった本を寄贈してくれることがある
それを確かめる方法は図書館には無いのて、作者の利益に貢献しているかは不明だ
また、リクエストされたからといって必ず本を購入する訳では無い
相互貸借というサービスが存在し、その図書館に所蔵が無い本にリクエストがかかった時に所蔵のある別の図書館から取り寄せて貸出することもできる
リクエストがかかった本は原則自分の図書館で購入することが勧められている
それはそれとしてどこも予算は無いので出版から時間の経っている本は相互貸借で補い合うケースは多い
よって、図書館にリクエストをかけたからと言って、必ずしも作者への貢献に繋がるとは言えない
最後に
色々書いたが予算だのスペースだの利用率だのそういう小難しい事は司書が考える仕事なのであまり深く考えず読みたい本があれば気軽にリクエストしてみて欲しい
図書館はその街に住む市民の学習や読書環境を整えるのが第一の仕事だと考えているので要望があればやれる限りは応えたい
もちろん本を書いた作家や出版社があってこその図書館なのでそちらへの感謝や還元も適切に行っていく
ただ、やっぱり市民の為にあるのが図書館なので特定の個人が推し作家の応援する為に手当たり次第リクエストかけてまわるのはなんか違うのではと思う
幼稚園のころから文章を書くことだけはたくさんの人から褒められてきて
結構前に「おっさんだけどアニメキャラの夢小説のようなもの書いてかなりの人に見てもらってる」という投稿を見つけた
それから、X(Twitter)やpixivでアニメや漫画、ソシャゲの二次創作小説書くようになったんだけど
昔小説サイトに投稿してた時の数百倍のpvがあるし固定ファンみたいな人もフォロワーもたくさんついてくれた
まあ多分おっさんが書いてるとは思われてないだろうからその辺は読んでくれてる人にちょっと申し訳ないし、作品を利用してるみたいに感じる人もいるだろうけど
やっぱり読んでくれる人・喜んでくれる人がいるのは嬉しいと思ってしまう
二次創作者の中でも絵描きと字書き、その2つの表現者たちの間に貴賎はない(他にもドット打ち師やぬいぐらマーなど様々な推し職人がいると思うが、今回はこの2つを取り上げさせていただく)。
私だってそう思いたいのだ。思いたいのだが、ここ最近で「字書きは絵描きより価値が低い」と考えているであろう人にぶち当たり続けてしまったので、字書きの自分としては少し疲れた。愚痴を吐きたい。
1人目は私と同じ字書き。若い方だった。スペースでフォロワーと話している時に、「自分の作品なんて……」と自分sageを始めた(この人は定期的に自分sageをして、フォロワーからヨシヨシしてもらうのがいつものパターン)。案の定、フォロワーの絵師から慰めてもらっていた時「でも○○さんは絵師じゃん」と彼は発言した。
「○○さんは絵師じゃん。でも俺は絵が描けないからさぁ」「字書きなんて絵が描けないからやってるだけ」「字書きより絵描きの方が(推しに対する)愛が深い」「字書きより絵描きの方がバズる、見てもらえるから凄い」
仮にも同じ字書きなのになんでそんな発言をするのだろうと耳を疑ったし、そのスペースには当時フォロワーだった字書きの私が、ガッツリ、参加していたのだ。字書きの私が聞いている中でこんな発言をしたということは、私の作る作品も「絵描きより愛が足りない」と思っているんだろうか。その日のうちに私は彼のフォローを外した。
2人目は絵師。独特な作風が好きで、一方的にフォローしていた。この絵師と私の共通のフォロワーさん(Aさん)のもくりで私たちは通話していた。通話中、ありがたいことにAさんから私の作品を褒めてもらえた。それだけでなく、Aさんは「私さんの書いた話、読んでください!面白いですよ!」とそのもくりにいた数人に薦めてくれた。しかし、その中で件の絵師さんが「私、全年齢の小説読めないんですよね~」と口火を切った。
そこから懇切丁寧に、彼女が何故全年齢の小説を読めないのか語っていただいたが省略する。とにかく私の作品(全年齢)の話題が出た後、彼女は全年齢の小説を読めない読めないとまくしたてて話は流れた。別に、読む読まないは個々人で好きにしてくれて構わない。ただ私が疑問なのは、それを何故、今、私の目の前で言ったかということだ。心血注いで書いた○万字の作品を面と向かって「読まない」と言われるとさすがに堪える。仮に私に興味が無いなら、何故そこで噛みつかずに話を流してくれなかったのか。その後彼女が、別の絵師さん(フォロー外)の全年齢作品はべた褒めしていたのもしんどかった。彼女のフォローもその日のうちに外した。
絵描きと字書きのギャップを感じたくないなら、字書きとだけ交流すればいいのかもしれないと一度は思った。しかし、絵描き視点の解釈や考察も聞きたいし、たとえ字書きに話し相手を絞ったとしても、字書きの中に1人目の彼みたいなヤツもいる。こればっかりはどうしようもないんじゃないだろうか。
現在、絵描き数人と字書きの私1人で構成されたディスコで交流をしている。その中でお互いのリクエストを描(書)き合うという企画を行い、私は全ての人にリクエスト通りのSSを書いて送ったが、私宛にはその中の2名が私のリクエストを放置し(恥ずかしながら催促をしたが流された)、現在一年が経とうとしている。
作品作りの上で、絵を描くという工程の多さは承知している。字は最悪、下準備せずに直接打ち込めば仕上がる。しかしそれだって、話の組み立てをゼロからやることに関して絵描きと変わらないはずだ。
私が字書きだから軽んじられているのだろうか。疑いたくないのに、そう疑ってしまう。
それでも私は字を書くことが好きだし、字書きであることに自信がある。字書きは絶対やめたくない。ただ軽んじられることだけが辛い。
ウチの旦那はミシンが得意で小学生の娘の服も下着以外はリクエスト通り何でも作る。全部通勤時間に見てるYouTubeで覚えたらしいがとにかく手先が器用。娘も何か作ってもらうと本当に嬉しそうで妻としても本当に助かってる。
で、お盆休みに娘と実家に帰ったんだけど、実家の爺婆は娘にお金を使いたくて仕方ないみたいで、少し面倒なことになった。娘をデパートに連れてって、あれ買ってやろうか?これ買ってやろうか?という父の提案にも娘は全く物を欲しがらず、洋服売り場に連れてってもらった時、娘が「これ可愛いからパパに作ってもらう」と言ったのが気に入らなかったらしく、お前んちの旦那は娘に洋服も買ってやらんのかと言われた。別に節約のためにやっているわけではないこと、娘も旦那も喜んでること、説明したんだけれど、真顔で「お金を掛けて伝わる愛もあるんだよ」とちょっとよくわからないことを言われて頭が混乱した。よくわからないけど、多分高額ボトルを入れたのにキャバ嬢とアフターに行けなかったお客の気持ちなのかなって思った。