はてなキーワード: 離婚届とは
今週、離婚届を出したから、バツイチ出来立てほやほやだよ!離婚前のここ半年は、地獄を見てた。やっと離婚出来てほっとしているところだよ。
ところで、離婚して早々に、好きな人が出来たっぽい。相手は職場の28才年下男子。
離婚前から、仕事上の関係もあり、雑談したり、タイミングが合った時は、一緒に帰ったりしていた。隙があれば話しかけてる。この前は、帰りがてら2人でご飯を食べて帰った。(離婚成立したから、勇気出して誘ったよ。カツ丼食べたよ。)
彼は、わりと笑顔でプライベートや家族のことも、自分のことも色々話してくれる。わたしの話も聞いてくれる。2人いると楽しいし、別れ際は名残惜しい。(元旦那との泥沼の話は一切してないよ。)
とはいえ、私はサレ妻!バツイチ!!年増!!マイナス要素てんこ盛りだよ!!!
いくら何ヶ月も前から結婚生活が破綻してたとはいえ、離婚成立は最近だし、職場での名前が変わりますの公表は、ほんの3、4日前。もう次の男にアプローチするってどうなの?される方も困惑しない??
それに私は、彼より6〜7才年上。±5はオッケーって人はよくいるけど、+7ってどうなの?アウトじゃね??
マイナス要素多すぎ。どうすりゃいいんだ…。サレ妻の裏切られトラウマが疼くし、踏み込むのに躊躇もある。
それと、私は結婚はしてたけど、恋愛経験がほとんどない。元旦那は向こうからアプローチされて、わりと流されて付き合って結婚した。
男心よくわかんない。分かってたら、不倫されたりしてないよね…。男子的にも元サレ妻と付き合うのは、不良債権引き取るようなもんで、やだよね。
でも、私はもう彼のことが好きになってる気がする…。どうしたらいいんだ…。
■好きかもしんない
今週、離婚届を出したから、バツイチ出来立てほやほやだよ!離婚前のここ半年は、地獄を見てた。やっと離婚出来てほっとしているところだよ。
ところで、離婚して早々に、好きな人が出来たっぽい。相手は職場の28才年下男子。
離婚前から、仕事上の関係もあり、雑談したり、タイミングが合った時は、一緒に帰ったりしていた。隙があれば話しかけてる。この前は、帰りがてら2人でご飯を食べて帰った。(離婚成立したから、勇気出して誘ったよ。カツ丼食べたよ。)
彼は、わりと笑顔でプライベートや家族のことも、自分のことも色々話してくれる。わたしの話も聞いてくれる。2人いると楽しいし、別れ際は名残惜しい。(元旦那との泥沼の話は一切してないよ。)
とはいえ、私はサレ妻!バツイチ!!年増!!マイナス要素てんこ盛りだよ!!!
いくら何ヶ月も前から結婚生活が破綻してたとはいえ、離婚成立は最近だし、職場での名前が変わりますの公表は、ほんの3、4日前。もう次の男にアプローチするってどうなの?される方も困惑しない??
それに私は、彼より6〜7才年上。±5はオッケーって人はよくいるけど、+7ってどうなの?アウトじゃね??
マイナス要素多すぎ。どうすりゃいいんだ…。サレ妻の裏切られトラウマが疼くし、踏み込むのに躊躇もある。
それと、私は結婚はしてたけど、恋愛経験がほとんどない。元旦那は向こうからアプローチされて、わりと流されて付き合って結婚した。
男心よくわかんない。分かってたら、不倫されたりしてないよね…。男子的にも元サレ妻と付き合うのは、不良債権引き取るようなもんで、やだよね。
でも、私はもう彼のことが好きになってる気がする…。どうしたらいいんだ…。
平成最後の平日、
子供には離婚することは告げていなかったが、役所に行く私を見つめていた眼差しは心なしか寂しそうな顔をしていた気がする。
妻のほうから離婚してほしいと言われたが、役所に着いたら「やっぱりやめよう」と連絡があった。
私は「今ここで止めてもこの先同じ話を繰り返すだろう」と伝えて離婚届を提出した。
他人同士が仲良く暮らすということの難しさを感じた4年間だった。
道行く家族や両親はこれを乗り越えて私たちを育ててくれていたのかと思うと、親のありがたみを感じる。
意見の食い違いや価値観の違いを話し合って乗り越えて成長していくものだ。
どちらかのほとぼりが冷めるまで待つだけで、今後同じようなことをしないための取り決めや話し合いを怠った。
私はこのやり方は間違っていると気付いていた。
しかし、収まった事態をまた掘り返して相手の機嫌を損ねることを恐れた。
今考えても呆れる。
ただそのときは彼女の暴言が自分のストレスとなり、どうしても次に生かす話し合いができなかった。
せっかく収まったのに、また心無いことを言われるのではないかと。
そんなことを続けながら付き合って1年くらい経った。
喧嘩の頻度が増えてきていよいよ私が耐えられなくなった。
お互いの家は3時間ほど離れており、すぐ会えないことも原因だと考え、同棲を提案した。
今思えばここで別れるという選択肢もあったが、私も彼女もお互いに依存してしまっていたのだと思う。
同棲を始め、しばらくはうまくいっていたが、それも長くは続かなかった。
やはり根本的に解決していない問題を前にしては、同棲という付け焼き刃では役に立たない。
同棲前は物理的な距離があったたため、険悪な雰囲気になっても、自宅で一人知らないふりができた。
一緒に住んだらそれができない。
「良いことばかりではない。」
頭ではわかっていたはずなのに、それが起こったときには結局何もできない。
そんな馬鹿なような真面目なことを考えたりもした。
何かあったときは淀んだ空気の中で2人、喋ることもなく置物のように存在していた。
最初は問題に向き合っていたが、何度も繰り返すうちに心が錆びていくのを感じた。
まるでどうやっても動かない岩を一人で運ぼうとするような。
すべてをシャットアウトする彼女を見ると、そんな虚しさを感じた。
そんなときでもお互いどちらも居づらくなって、家を出るようなことはしなかった。
私は気分転換に家を外したかったが、自分が1人で出掛けることは浮気とみなされたので、それは叶わなかった。
さすがにこれには私は首を縦には振らず、「今の状態ではできない」と伝えた。
数日考えて結婚することにした。
彼女だけではなく、私自身を改めなければいけないことがたくさんあった。
ここまで読んでいただければ予想ができる通り、結婚後も何も変わらなかった。
子供が欲しいということは以前から聞いていたので、結婚後はすぐに欲しがった。
それにお互い貯金も貯まっていなかった。
彼女は激昂した。
・産まないほうは何とでも言える。
・作ろうとしてもできないこともあり、危険な高齢出産なんかしたくない。
2人の関係が続くかどうかや、こんな状態で子育てができるかどうかは気にしていないようだった。
子育てが始まればこんな不毛な争いを夫婦間でやっている暇はないのだ。
逃げ続けた私はあろうことか、まだ見ぬ自分の子供に救いを求めた。
それからは子供ができればこの生活は終わるんだと言い聞かせて生きてきた。
私の希望的観測は一瞬にして崩れ去った。
私たちは変われないのだと。
もしくは変わる気がないのだ。
事あるごとに「離婚しろ」とは言われていたが、今回初めてそれに同意した。
そして冒頭に戻る。
『一緒に住むようなれば…
結婚すれば…
そんなことを毎回信じていた。
今考えたら何と甘い考えだろうか。
話し合うことから逃げて、意見の衝突を恐れて、相手に付き従う。
私たちは離婚届など出さずとも、初めから夫婦にはなれていなかった。
自分がまっすぐ正面から向き合って矯正しなければならなかった。
自分が例え嫌な思いをしたとしても、それは後々の自分のためになったのに。
離婚したことに対して後悔はしなかったが、子供に対しては無責任なことをしてしまったと罪悪感は残った。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASM461CLKM45ULBJ01M.html
この件、凄い業績を上げたのに食い扶持に困ってたことが本当に気の毒なんだけど、
安定した職がないまま、両親は老いていく。14年、苦境から抜け出そうと、ネットで知り合った男性との結婚を決めた。だが同居生活はすぐに破綻。自らを責めて心を病んだ。離婚届を提出したその日に自死した。
離婚届を出した日に亡くなったというくらいだから、死の直接の引き金は研究だけじゃなく、結婚のことにも深く関係していると思う
最近セックスレスの話題がちらほらあってその度に思うんだけど、解決には夫婦で話し合ってみるしかない気がしている。
レスなのを愚痴りたいだけならそれはそれでいいんだけど、解決したいなら話し合いか離婚の二択以外思いつかない。外注や不倫もあるけどバレた時のリスクが高い。時間で解決も分が悪い。
話し合う以前に向こうが取り合ってくれないとか、深刻さをわかってくれないとか、怒ってくるとかあるかもしれない。けど、本気で悩んでいるのに話し合いを放棄するような相手なら、自分が我慢するか離婚届けを差し出すしかないよね。
3大欲求は食欲、睡眠欲、性欲っていうけど、性欲は個人差がありすぎる。
10段階でいうと、食欲と睡眠欲はほぼ5~7段階だけど、性欲は0~10段階でバラバラの印象。生きるために性欲は必要ないから仕方ない。(種の繁栄には必須だけど)
個人差が大きい性欲を相手に察してもらうのはまず無理だと思う。
セックスしないと心が餓死する人もいれば、正直セックスが面倒な人もいる。拒否される側はひたすら苦しむことになるし、拒否する側もあんまり興味ないことを高頻度で数時間やらされるのもしんどいだろう。
別に性欲に限らないけど、結局は夫婦で話し合って、お互いの価値観を共有して、そこから解決のために妥協できる範囲を探して歩み寄るしかないんじゃないかな。理想論かもしれんけどさ。
女性は出産育児でホルモンバランスが変動して性欲が変わるらしいが、それはどうしようもない事だ。男性も年齢で性欲が増減したり、突如新しい性癖に目覚める可能性も考えられる。
状況が変わって何か問題が出てきたら、その都度話し合って歩み寄って……って繰り返すしかないと思う。正直面倒くさいが、他人と暮らす以上は避けて通れないんじゃないかな。
どっちかが我慢するとか、薬で対処するとか、病院行くとか、外注するとか、性欲のわかない理由を考えてみたり、解決策を一緒に模索してさ。
嫁の妹とその子供達が嫌いだ。
俺にとっては血の繋がりも無いし他所のクソガキでしかないし、煩いし家の中汚すし馴れ馴れしく絡んできやがるし生理的に受け付けない。
近所に住んでるから頻繁に来るのもウザい。
俺が休みの日は遠慮して欲しいという話をするが、嫁は俺の心が狭いと言う。
他所のクソガキのせいで離婚なんざアホくさいと思って我慢してたが限界なので今夜離婚の話をする事にした。
はー、あのクソガキ達ダンプに轢かれて○んでくれねーかなー
回避条件は
①嫁の妹が俺が休みの日にクソガキ連れて家を荒らしに来るのを止めさせる事。
②俺が仕事で居ない時に来るのは構わないが、散らかした物は俺が帰宅するまでに全て綺麗にしておく事。
③俺の自室への立ち入り禁止、ゲーム機やPC・タブレットの類は一切触らせない事。
嫁が上記は守ると言うので、捺印済離婚届を俺預かりの上、約束を破ったら即離婚届提出する旨を書面で取り交わし。
ほぼ間違いなく②③のどちらかを来週中に反故にされると思う。
話し合いの結果、離婚が一週間先延ばしになったなーって感じだ。
追記②
4月21日の祝日に俺が休みという事を忘れていた元嫁とその妹がやらかしてくれたので無事に「元」嫁と書く事が出来る様になった。
いつも俺が仕事に行く時間に元嫁は起きていないから俺が自室に居るのを知らずにAM9時30分頃、妹とクソガキ共を家に入れる。
30分程経過し程よくリビングが荒れているであろうところへ俺が突入すると見事なまでに俺が期待していた有様だった。
先日書かせた誓約書の内容全てに反するという事でクソ女2人とクソガキ2人を叩き出して実家に帰らせた上で不動産屋に3月一杯での退去を申し出、22日に離婚届提出で夫婦関係終了。
情けで共有貯金は半分だけ渡す事にした。
眠れないので酒飲みながらダラダラ書く。
今年でもう65歳、大学卒業してから40年以上仕事に邁進し、同期ではトップクラスに出世した。
家庭のことは妻に全て任せ、仕事一筋でそれなり規模の会社の役員にまで上り詰めた。
今思えば、家事も育児も全て妻任せ、帰宅は12時を回るのがデフォルト、家族をかまったことなど殆どなかった。
私が悪いのは明白だと自分でもわかっている。
息子は妻のヒステリに晒され続けたせいか、攻撃的で、そのくせ暗く、人間関係を上手く築けず、高校も中退している。
今思えば、陸上でそれなりの結果を残し、性格も明るかった妹と比べてしまった自分が悪かったのだ。
大検を取ってそれなりの理学部に進学した時は、家族関係が一番マシだったときだ。妻も喜んでいた。
今息子は小説の印税で少し多い収入があるが、投資だの仮想通貨だのと馬鹿みたいなことで浪費してしまっている。
妻はうつ病で薬を飲み始めてから、攻撃的になり、私に家庭崩壊の責任を負わした。
娘は息子のことを嫌ってめったに家に寄り付かない。
どこで間違ってしまったんだろう。
嫁は生活費どうしてるんだろう?
まさか俺が貯金振り込んだから無問題という設定なのか?どんな金持ちだよお前。それただのサラリーマンレベルじゃないだろ。
それとも嫁はいつでも復職できる資格・スキル持ちとか実家が金持ちとかなのか?ならそう書きそうだけどな。
嫁は実家に帰って、自分はすぐ引っ越しした、って自宅に置いていた荷物はどうなったんだろう?
自宅が賃貸としてもどうせ1か月先でしか解約できないだろうに、即引っ越す必要性全然ないよな。
「俺はそもそも荷物らしい荷物殆どなかった」って、普通に暮らしていてそんな事あり得るか?
荷物の大半を実家に置きっぱなしの学生一人暮らしじゃあるまいし。
自分と子供の最低限の荷物だけ持ち出すにしたって、一人で一日で動かすのはまず無理な量だと思うが。
業者使って持ち出すなら、見るからに部屋ががら空きになるだろうし。
当時まだ未就学児だったってなら、離婚した親の事なんかすぐ忘れるだろうし。
と思った所で嫁実家が金持ちなら金と家については問題ないのか、と思った。
住んでた家も嫁の持ち物なら増田はただ出ていくだけで後の事は知らないのは当然だし。
(だとしたら離婚届置いておくだけじゃなくて増田はとっとと出てけ、って話になりそうだけど。増田に居座られたらどうするつもりだったんだろう)
でもそれだと嫁にとっては増田の存在意義無いから、嫁の機嫌損ねた時点で離婚されるのは当然だよね。
俺は稼いでやってるから他の事は何もしなくて良いんだ、という夫は
まあ多分創作なんだろうけど。
嫁都合で出て行ったわけで、元増田が今後の元嫁の生活費を負担する必要はなくなった。
子供の成長を近くで見守ることができないのはデメリットだが、向こうで責任を持って育ててくれるというのなら、むしろ好機であるからそれに任せておけば良い。
その間に、元増田は他の人と家庭を持っても良いし、大きくなった子供の助けになるようにお金を貯めておくでも良いから時間を有効活用すべき。
元嫁の将来を心配してやる必要はもうないが、子供は元増田の子供であることは変わりないのだから、養育費はできる限り十分に出してやれ。
元嫁に使われないように、ちゃんと子供に届くような方法はよく考えたほうがいい。
自分および自分が考える世間の常識で考えて、自分が頑張っていたと思うのなら、恥じることはない。
頑張っていたけれど、元嫁が評価してくれなかったというだけ。
子供も今は元嫁の価値観に影響を受けているだろうが、大きくなってくれば、双方の言い分を理解できるようになる。その時に恥じることが無いように生きていれば、それでいい。
母子家庭であることの苦労は労いつつも、あくまでも元増田なりに頑張ったが報われなかったことが原因であること、必要であれば助けてやれる準備があることを子供に伝えておけ。
これで終わりにしたい、という期待を込めて書き捨てる。
いきなり離婚届を出したという報告だけが来て、予定を告げて荷物を取りに行ったらやはり不在で、LINEで残りの家具や家電の話をした。
そのくだりで「やっぱり不倫してたんだね」と言われた。「みんなそう言ってる」だそうです。してないっつの。根も葉もない噂すぎて一番びっくりなのが私だよ。というか『やっぱり』って何なんだ。
とにかく、そうやって、いまだに他に理由があると思っているところに失望した。自分は悪くないと言わんばかりだ。やっぱり全く分かってない。
私にとって、うまいバランスで人と共同生活を送ることが思った以上にストレスだったこと(事前にそれを自覚していなかったこと、結局自分ではどうにもできなかったこと)は、私の至らなかった点である。
相手が、いくら言っても協力してくれない(人に変われって期待するのが無謀なのも分かるので、ある程度仕方ないと諦めてはいた)のも結構辛かったけど、それ以上に「私のこういうところは良くないが、既に病院のお世話になっている状態で、これ以上無理は出来ない」って話した時に「でもそれはあなたの問題だよね」と突き放されたのが一番堪えた。というか『あっこれもう無理だわ』って思った。一緒に・うまく・やっていく気無さすぎじゃん。
そういう状態で「うまくやってる」と思えた鈍感さだとか、具体的な解決策もなく「仲良くやろうよ」って言えちゃう無神経さとか、そういうの思い出すと、本当に早めに決断して良かったと思う。あのまま何十年と大きな息子のお世話をする人生を送ることにならなくて、本当に良かった。いや、向こうにもきっといろいろ言い分はあると思うけどさ。
やってみて初めてこんなに上手くいかないし向いてもいないってことが分かったので、仕方ない結末だなと思ってる。高い授業料ではあったけど。
一度は一生を共にするっていう選択をした相棒なので、もう少し後味よく別れたかったけど、結局カネと家財の話でごねられて、高圧的にされて太刀打ちできなくて家電も全部とられて終わりそう。まぁ実際こんなもんなんだろう。これも高い授業料の内だ。
そういえば自分の周りに親権を押しつけて離婚した母親がいたなあと、元増田を読んでいて思い出した。
もう20年近く前の話だし、元増田の元家庭とはずいぶん環境も違う。
記憶も定かでは無いけれど、「親権押しつけて離婚した母親」がどう見えたか、息子の立場の思い出で自分語りする。
私と弟が学童保育から帰ってきて一息ついたあと、入れ替わりで母親は家を出ていって、そのまま帰ってこなくなった。
私と弟がどこにいくのか尋ねたところ、
「ちょっと買い物に出かけてくる、あんたたちも来る?」と母親は応えた。留守番をしている、と返したと思う。
まだ日が落ちる前で外は暑かったし、エアコンが効いた部屋から出たくなかった。
母がいっこうに帰ってこないから、勝手にレトルトのカレーを食べるか迷っていたところだった。
そこからは記憶があいまいで、「お母さんは買い物に出かけている」と父親に伝えたこと、その日は結局帰ってこなかったこと、
翌日の夜に「お母さんはもう戻らないんだってさ」と父親に伝えられたことは覚えている。
数日経ってから改めて、「お前たちはどうする?お母さんについてくる?」と父親に聞かれた。父と母だけで子供に見えないところでやり取りをしていたんだろう。
私と弟は、間髪入れずに「父親についていく」と伝えた。
子供ながらに、「父親は家に住んでいる、母親は家を出た」「父親は仕事をしている、母親はパートタイムで働いている」「母親と一緒になるのは不安でしかない」と思ったから。
その日からしばらくは子供部屋ではなく、父と母親の部屋で寝ることになった。
父親には「お父さんが寂しいだろうから」なんて言ったけど、たぶん怖かったんだと思う。寝ている間に父親もいなくなったら、とかたぶんそういうことを考えてたんじゃないか。
正直なところ、離婚の前後の夫婦関係や母親の状況について、父親に聞いたことはない。父の浮気のようなわかりやすい理由があったのかも分からない。
当時は、父親の機嫌を損ねたくなかったから、そんなの聞けるわけがなかった。
私も弟も父親も、母親がいなくなって、各々で新しい日々を送ろうと四苦八苦していたし、そのうちに聞くタイミングを失ってしまった。
というかよく考えたら、父と母親の馴れ初めについてすら詳しく知らない。なにしろ私がそんなものに興味を持つ前に離婚してしまったから。
父の年齢から離婚時点の年齢を考えると33~4歳前後になるから、彼らはおそらく大学を出てすぐに結婚したんだと思う。
父は普通のサラリーマンで帰宅は20時前後、母親も、私が幼稚園の頃からパート勤務をしてて18時頃の帰宅が多かった。
なにしろ大学を出てすぐ私たちを生んだわけだから、我が家にも給料的には余裕が無かったはずだ。
共働きということもあって、私と弟は小学校に入るとすぐに学童保育に預けられた。
周りの友人たちの母親は専業主婦ばかりだったし、いま思えばマイホームを持った落ち着いた家庭が多かった。
記憶にある限りでは、私の母親はPTAなどにもほとんど参加していなかったと思う。地域での友人関係というのも無かったんじゃないか。
当時は家の鍵を渡されてなかったから、学童保育から帰ったあとは玄関の前に座って、母親の帰りをぼうっと待っていたのを覚えている。
離婚の経緯に関しては唯一、母親の祖父母から「あの子はあんたたちを育てるのを投げ出した、だから勘当をした」という趣旨の話を聞いたことがある。
そのため、母が家を出て行った理由は、私と弟の世話に嫌気がさしたからだと思っている。
実際、当時の私と弟は問題児で、小学校でも幼稚園でも喧嘩や忘れ物などの問題行動をよく起こしていた。
あまり詳しく覚えていないけど、家庭でも似たような状態だったのだと思う。酷く手のかかる子供だったと思う。
そんな状態である上に、私と弟は昔から比較的父になついていた。母親から見れば「男3人と自分」という対立構造に見えるときも多かったんじゃないだろうか。
上に書いたように、父と母親のどちらにつくかのやり取りもあったから、子供目線だと「母は親権を押し付けて出て行った」のではなく「僕たちは自分で父親を選んだ」という意識を持っていた。
でも、こうして書いていると、やはり母親は私たちと居ることが耐えられなかったんだと思う。
「買い物」に出ていく際の「あんたたちも来る?」という問いは、きっとそんな耐えられない息子たちと自分の関係を確かめる意味の言葉だったんだろう。
ごめんね、お母さんよりも冷房を選ぶような息子たちで。あの日は暑かったからなあ。
断片的な記憶だけど、父親が離婚届を書いているところ、書類を返送する際に「こんな男と10年以上いてくれて~~~」という趣旨の手紙を添えていたことを覚えている。
父は「本当にお母さんと連絡したいと思ったら、この携帯番号にかけたらいいから」といって、母の連絡先が書かれたメモを電話機のわきに残してくれた。
何度か電話をかけた記憶はあるが、そのとき何を話したかはもう覚えていない。
しばらくは祖父母が手伝いに来てくれていたこともあり、私も弟もすぐに母親がいない生活に順応した。メモはしばらく壁に貼ってあったけど、どこかにいってしまった。
もっとも、何年かに一度は連絡がある、ないしは帰ってきていたこともあるらしいので、本当のところは知らない。
私が二十歳を過ぎたころぐらいに、祖母から「母親と会うつもりはないか」と聞かれたこともあった。
ただ、そのときにはもう私も大学生だったし、妙な蒸し返し方をされるのが不気味で会うのを拒んでしまった。「会わなかったぶんのお小遣いをくれるなら考えるよ」とかなんとか適当なことを言って。
小遣い自体は実際にもらった。
あとから聞いた話によると、これは母から祖父母に「息子のために使ってほしい」とあずけられたお金から出されたものとのことだった。
祖父から「残りは、いつかお前たちがいい人を見つけて結婚式をするときに渡したい」と言われた。
父と母親の間で、慰謝料だか養育費だかの金銭のやりとりがあったかについては、知らない。たぶんもう知ることもないと思う。
離婚してすぐに一家4人ですごしていた家からは引っ越すことになった。
学校が変わったことがきっかけで、無自覚な問題児から自覚のある問題児に変わった。
父親との関係とは紆余曲折あったものの、大学までは出してもらった。
その間、母親がいないことで不便した記憶というのはほとんどない。保護者参観に親が来ないことにもすぐに慣れた。
中高生のときから料理をするようになったし、親が家にいないおかげでのびのびと生活していたから、むしろ恩恵のほうが大きい。
「いつ結婚するのか?」と尋ねられること。
これは母親がいなくなったこととは直接関係とは思うけど、異性と生活を共にして、家庭を持つイメージがどうしても持つことができない。
おじいちゃん、お母さん、ごめんなさい。どうも僕はあのお金をもらう気にはなれません。
今になって思うと、ひどく気の毒に感じている。
母親が私を生んだ年齢をすぎて数年が経つ。もし今の私が、私のような子どもを持っていたとしたら、おそらく私だって投げ出すと思う。
もっとも、母親が買い物に出かけた理由が、本当に私たちだったのかは知るよしもないんだけど。
本当にお疲れ様でした。
自分語りをしながら、もしかしたら私も元増田の書いてるような「隠し通された子供」なのかもしれないのかなあ、なんて考えてしまいました。
ただ、いずれにせよ元増田さんの体験は元増田さんだけのものですし、好き放題に増田で叩かれたり、長文で自分語りする父子家庭出身者が現れても、あまり気に病まないでください。
どうにかいろいろと上手くいくようになって、元増田にとってもお子さんたちにとっても一番傷が少ない結果になるように、祈ってます。
嫁に恩返しをしようと思って働いて、転職して、転職して、転職して、転職して
その間に息子も生まれたりして、それでも俺は頑張れなかった
完全に心が折れて無職となり、嫁は代わりに自分が働くと言い出し、俺は専業主夫となる
その家事も子育ても満足にできず、喧嘩もたえなくて、ついには離婚を俺から切り出した
喧嘩の勢いのまま離婚届を書かせて、あとは証人欄を誰かに書かせるだけ
俺は自分に甘い、本当に甘い
だからこそ嫁は俺を諦めるべきだ
結局、俺が嫁にできることは俺と関わらせないことだと思っている
俺は嫁にとって足手まといでしかない
別れたくない、別れたくないがそれが多分一番良い
婚姻期間は12年だったけれど、学生時代から付き合いはじめたから、人生の半分以上二人でいたことになる。
身体が半分ちぎれたままひとり旅に出るような気分、原因はいくつも絡み合っていてもうどうしようもなかった、子供を持ちたいと思い始めた時期や仕事が忙しくなったタイミングが二人でずれまくってこんな年齢になってしまった、少しずつお互いを信頼できなくなってしまった。
両家に挨拶に行き、その足で二人で離婚届を提出した。受理されるまで時間がかかってぶつくさ言い合い、帰りに夕立ち前の稲光を見て、同時におーと言った。
相手はとても子供が欲しかったから、そうなってほしい。そうなったときに曇りなく喜べるようにわたしも充実した人生を送ってやるに決まってるけど、今夜だけは泣く。
一緒にじいさんばあさんになりたかったよ。
義母の話や義兄の話、義兄嫁の言動、そして甥の様子を見ていると虐待も少なからずあったんじゃないかなと私は感じている。
義兄嫁は結婚当初から言動が不安定な人だったらしくて、出産後も子どもといたらノイローゼになるからもう要らないと言ったり、家出したり、泣きながら帰ってきてやっぱり子どもは手放したくない、家族でいたいと言ったり、かと思えば突然義兄に離婚届を突きつけてきたりするそうだ。今は子どもの顔も見たくない時期だからと義実家に子どもを預けて以降連絡がつかないらしい。今までどうにか孫の面倒を見つつやってきたもののついに力尽きた義母が、我が家に助けを求めてきたのが預かるきっかけだった。
いやこれどう考えても真っ先に保健所や児相に相談案件でしょう。
そう思い児童福祉関連施設への相談を提案するも、義兄は虐待はないから行政への相談は必要ないの一点張りだ。
隣県に住んでいて月2、3回会う我が家と義実家とはそこそこ良好な関係を築いている(と思ってたんだけどわからない)のに、これまで義母から義兄家の話はしてこなかった。甥がいてもよく泊まりがけで遊びに来てるのよ、くらいの説明だった。ところが今になって出るわ出るわ我慢を重ねた3年分のトラブルに鬱憤に愚痴。なぜそれをもっと早く言わなかった。
虐待は簡単には表に出てこない。本当に愚かだと思うけど、私たちは身内のことなのに気がつけなかった。でも子どもには間違いなく傷が残るだろう。我が家に来たときの甥はとても大人しくて蚊の鳴くような声でしか話せなかったし、トイレを失敗したときには真っ青になって固まってたし、ジュースをこぼしたら慌てて隠そうとする子だった。今は我が家の男児ふたりに負けじと大きな声で主張し、パンツ履かないで大笑いしながら走り回るし、失敗したらごめんなさいが言えるしっかりした子だ。本当はカウンセリングとかに連れて行ってあげたいけれど、私たちには勝手にはできないよな。虐待されていたかどうかも推測だし、親じゃないし。少なくとも義兄の了解を先に得なきゃいけない。
義兄は離婚するつもりだ。親権もとるらしい。義兄嫁からしてみれば私たちは可愛い息子を奪った敵に見えるだろう。そもそももっと早い時点で介入できていれば義兄嫁も育児を続けられていたかもしれない。
甥だってそうだ。後々あのとき母から引き剥がしたと恨まれるかもしれない。本当は今も母親に会いたくて我慢しているのかもしれない。
私たちは甥を健やかに成長させてあげたい。だけど余計なお世話なのかもしれない。義兄家に介入していれば、と思うこと自体おこがましいのかもしれない。何が正しいのかわからない。全部が堂々巡りだ。身内ですらこうなんだから赤の他人である児相の職員さんはもっと大変だろう。大変な仕事だと思います。本当にお疲れ様です。
とはいえ身内だけで悩んでいてもラチがあかないし法律のことなんかもわからないし、今はとにかく行政に繋げられるように夫が義実家と義兄にかけあっている。近いうちに相談には行ってくれそうだ。
最近は夜になると息子①が私のお腹の上で、息子②が私の右腕の上で、甥が私の左腕の上で寝てる。皆でぎゅーぎゅーに抱き合って寝てる。昼間皆でよく遊ぶから、ぐっすり寝る。子どもは体温が高い。なので囲まれるとめちゃくちゃ暑い。汗だくだ。だけどこの時が私たち間違ってないかなぁという不安が和らぐ唯一の時間だ。
元カノの夢を見た。夢の中で彼女の苗字は分かっているのに、名前が分からないという問題と格闘した。結局分からないまま目が覚めた。でも、今では彼女も結婚して苗字が変わっているんだろうなと、ぼんやりと昔を懐かしみながら考えるが、こんな夢を見るのは今の僕の状況が引き起こしているのか。
嫁と喧嘩を一昨日からしている。喧嘩の理由は嫁が僕の誕生日を祝ってくれなかったからである。こう言うと幼稚だなと思われるかもしれないが、この性根は昔からの特性でありどうすることもできない。
誕生日の日に、飲みに行く予定ができたらしく行ってもいいかと聞いてきてくれて、それに対して了承をした。プレゼントも貰った。別の日にどこか行きたいところがないかも聞いてきてくれた。でも、拗ねた。
その日は子供の習い事の送り迎えがあって、誕生日を祝う余裕がないことも分かっていた。でも、拗ねた。
そういえば、元カノと別れたのも、こんな自分の感情からだったかな。未だに彼女のことが好きなのに、それは好きという感情すらも軽々と超えてしまう。
嫁は普通では付き合えきれない僕のような人とよく過ごせてるな。普通の人間は、タンスに離婚届を隠し持って、いつでも逃げる準備をしている自分勝手で幼稚な普通ではない人間とはやっていけないだろう。気をつけないといけない気がする。
正確には、元カノの苗字は思い出せるけど、名前が思い出せないって夢だった。
名前は思い出せたけど、そういえば結婚して、苗字変わったんだよなと思っておきた。
嫁さんは、自分の誕生日に飲み会にいった。飲みに行っていいか確認してくれたし、プレゼントももらったし、他の日はいつがいいか、どこか行きたいお店はないか聞いてくれてた。
そもそも誕生日は子供の習い事の送迎があって、誕生日会どころではなかったのもあって、僕はいいよって言ってしまった、また、後出しジャンケンで拗ねるんだろうなとおもったら、結局、拗ねた。
ずっとこんなことばかりしてる。
元カノと別れたのもたぶんこうやって幸せになることから逃げたからなんだなぁーと、思った。
嫁さんは、仕事休職してもあちこち引越しても家事や育児さぼっても、いつでも結婚生活から逃げ出せるように離婚届をタンスに忍ばせてる旦那の文句も言わずにそばにいてくれる。
ぼくは、拗ねて人の気持ちを受け取る事を拒否してると思う。未だに好きな元カノと別れると決めたのもそれだなぁーと起きて思って、反省しようと増田に、書いた。
36歳女、9歳の子持ち、フルタイムで働いている。夫とは会話が多い方だと思う。
2年前、夫が元カノと数年に渡り浮気していることがわかった。夫にはその旨を伝えていない。まあきっかけがどうであれ最終的に夫のメールを見てしまったわけだ。これについては私が100%悪い。人のメール除いて幸せが訪れることがあろうか。絶対に無い。不幸の扉を開いたのは私自身だ。
浮気と言っても性行為無しのプラトニックな恋愛のようだった。夫は性行為自体が苦手で、だから浮気の心配は無い、と浅はかな考えでいた。実際に浮気されていることを知った時の衝撃は、全身の震えが止まらないほどに凄まじかった。ちなみに元カノの他にも別の女性を口説いていて、失敗していた。
ところで、子どもができてから私は典型的な母親と化した。家事育児に必死で夫は二の次、三の次だった。夫は寂しかっただろうし、気持ちもそれは冷めたことだろう。その後反省して、コミュニケーションをなるべく取り、相手への思いやりを忘れないように心掛けている。毎日ではないが身なりにも気を遣っている。でも、まだまだ全然足りないのだろう。
一方で私は明らかに情緒不安定になった。夜になると涙が止まらなくなったりした。最近は落ち着いてきたけど、たまに負の感情の波が押し寄せる。まさに今日だ。日常を生き抜く為に、不安定な気持ちを強引に引き出しの奥にしまい込んでるだけじゃないか、と思い知らされる。心の中で自分を責めて、夫を責めて、結論に辿り着けないでいる。
そもそも離婚という形で決着が付くものなのだろうか。離婚届を2度入手し、夫への手紙もしたためたものの、最終的には2回とも本人の手に届くことなく闇に葬った。子どもにとって本当の父親は彼だけだ。子どもから父親を引き離す権利は私には無い。せめて子どもが大きくなるまでは離婚せず、楽しい家庭を築いて維持するのが母親としての努めだと言い聞かせている。ただ、夫への愛情も今となっては自分でも正直よく分からない。どうすれば良いのか、時が風化させてくれるのか。
誰にも相談できなくて増田で吐き出した。読み見返すと、自ら不幸に飛び込み苦しんでて馬鹿ですね。つまらない文章になってしまったけれど、最後まで読んでくれた人がいたらありがとう。