はてなキーワード: 行使とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210109125912
を見るとわかりますが、大勢の意見としては、大統領ではないトランプという一個人の権限は発言者として影響力が多いからアカウント停止は妥当、というものです。これをもう一度復唱してみてほしいです。一個人ということはトランプは一民間人に過ぎないインフルエンサーということになります。Twitterは自由な裁量でインフルエンサーの発言を選択して止めた、ということであり、これ自体は自由を抑止するものです。
一方で、自由がどこまで許容されるべきか、という問題もあります。トランプ及びテロ行為に加担した人々に暴徒として表現して振る舞う自由があるとは思えません。つまり人種主義と表現の自由など建前でそんなものははなから恣意的に選択して逮捕できる程度のものでしかないことがわかります。ブコメの論調が面白いところはこうした一個人のインフルエンサーでしかないトランプの自由を剥奪するのが正しい、遠べていることであり、これは一種マスメディアによる検閲と抑止を許容したことになります。
では一方でTwitter側の自由とはなにかといえば、Twitter社は社内規定を行使できる契約を持ちますし、Twitter利用者は民衆の総意という自由に乗ることができます。しかしこれこそが民主主義を自ら否定してマスメディアや政府に飼われることを望む姿勢であることを理解しておく必要があります。我々は管理されるべきだ、管理されてこそ民主が保たれる、と思うならそう思えばよいかと思います。
ちなみに個人的に最大限の民主主義は無政府主義に近い概念ではないかなと勘ぐっているので、社会主義国としては管理されるべきかと思います。
離職率が高いのはもともとだったが、そんな弊社で退職代行が流行りはじめた!
去年の11月に1人目の時は「はえ~、退職代行ってマジであるんだな~」なんて面白半分に皆で噂してたけど、
その後、2人目・3人目と退職代行使う人が出てきたゾ😤😤すっごい、月1のペースじゃないか😨
1人目、2人目はいかにも辞めそうな若手社員だったが、3人目はそこそこ中堅で成績のよいルーキー社員だったよ。
さすがにそれにはびっくりしたね。お前昨日までばりばり契約取ってきてたじゃんか。
でも、弊社では退職代行以前は、ばっくれ退職が珍しくなかったので、(代理であれ)連絡して辞めていくのは大いなる前進ではないか?
ここ数年はコミケと旅行で逃避していた年末年始の『本物の社会』とのコミュニケーション期間。
「今回はオンラインでやるからお前も来い」とのことで久方ぶりにジョインするも以前にも増して感性のズレがしんどい(空白期間の情報量差と人生ゲーム落伍者コースとメインストリーム組との”格”差)。
SNSでは居心地のいいTL、つまり価値観の近い言葉で埋め立てられている。
趣味仲間においては趣味周辺の話題に終始していれば平穏無事な場面が多い。
しかし、基底現実での関係は物理空間での因果なので同時代性以外の価値観に致命的なズレが生じており本当に無理だった。
1対1での会話であれば相手に向けたチューニングをお互い出来る範囲で行うのが常なので、コミュ障同士でもなければなんとか成立し得る。
だがこれが多人数となると場の支配的な人物乃至主要となる関係性が全面に出されてしまう。
すると帯域が非常に狭い自分はエラーを吐きまくる。普段どれだけ相手に気遣ってもらっているかという証左でもある。
メインストリーム組は『流石だなと』思える立派な人もいれば『相変わらずダメやってるな』という昔なじみも多いんだけど『それ今の倫理だとアウトでは?』を平然と発言するジョックスも居て、
しかし自分の見たい世界以外の大多数の社会では実際一般的とされる認識であることも分かってしまうので病む、となる。
自分は彼らの発言の背景にある苦労を知らず、借り物のポリコレ棒を徒に振りかざすことの醜悪さに怯えているだけだという自覚はある。
ターゲットになることは少ないにせよ下層に所属する自分は弱者の発言権を行使してまで主張するほどの覚悟はない。
何れにせよ『対等のステージに立てていない』自分が相手の自尊心を不用意に傷つけ周囲の和もかき乱すというのは悪手と捉えているので事なかれ組に迎合している。吐き気がする。
9割方肯定、少なくとも否定せずにいられる相手の1割を『目下の者』が諌めるのはとても難しい。その配慮ができるのであれば暴君以外とは『対等以上』の関係になれているだろう。
その1割から目を背けるためにフローターを気取っていたという事実を改めて突きつけられてしまったので、子供部屋おじさんとしての呪詛をアルコール消毒することにした。
身近過ぎてそれが当たり前だったと思っていたが、大学進学で意識が変わった。
なんで地元の人間ってあんなに気軽に人を殴ってたんだろうか、大学の友達にはそんな人は全然いないのに。
と思っていたがどうやら事情は少し違うようだ。
直接的な暴力は見え難くなっていたが、言葉であったり、立場を利用した暴力は意外と身近にあった。
そして直接的な暴力も、間接的な暴力の先にきちんと存在していた。
そのことを知って安心したものだ、なんだここも地元も同じだなと思って。
直接的な暴力はそれを行使した人間が即悪者になる、間接的な暴力はそういった弱点を克服したより高度な暴力なのだろうなと理解した。
いずれにしても、なめられたら終りってことである。
中国みたいに強力な中央集権国家の権力が行使できればダイナミックなリソースの再配分が可能だろうが、日本の現状は省あって国なし、局あって省なし
小泉にしても安倍にしても一部分を中央集権的に改革するのに数年かかってしまった
ケインズだとかマルクスだとかピケティだとか言ったところで、当事者が縄張り争いをやめるわけじゃない
毛沢東だってレーニンだって政権を握ってからやったことは既存地主層を皆殺しすることによって権力・金力の空白を作り出して共産党が独り占めしたんだよ
日本の明治維新だって西郷が敗死してようやく御一新をみんなが受け入れた
理系研究者もケツ持ちを選ばなきゃリソース配分で貧乏くじをひくのは当たり前なんだ(その分を政治力に長けた文系連中が持っていく)
程度だから 多分大丈夫だよ 銀座へ いや本当に大丈夫だと思うんだけど 今回大丈夫だったから
たぶん 次も大丈夫 とさえ思わなければ 大丈夫 年末は色々あるからね みんな 魔法の行使はほどほどに
以前は単に学校の選択肢が豊富な都市民のナチュラル見下し vs 学校の選択肢がない地方民の怨恨と言った構図だったのが、ここにきて公立中学校を『動物園』と揶揄するのは差別だという視点が持ち込まれて収集がつかなくなってきている。
同じ人物が繰り返してるだけでは?
第1条
1 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。
2 この条約は、締約国が市民と市民でない者との間に設ける区別、排除、制限又は優先については、適用しない。
3 この条約のいかなる規定も、国籍、市民権又は帰化に関する締約国の法規に何ら影響を及ぼすものと解してはならない。ただし、これらに関する法規は、いかなる特定の民族に対しても差別を設けていないことを条件とする。
4 人権及び基本的自由の平等な享有又は行使を確保するため、保護を必要としている特定の人種若しくは種族の集団又は個人の適切な進歩を確保することのみを目的として、必要に応じてとられる特別措置は、人種差別とみなさない。ただし、この特別措置は、その結果として、異なる人種の集団に対して別個の権利を維持することとなってはならず、また、その目的が達成された後は継続してはならない。
①差をつけて取りあつかうこと。わけへだて。正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。「―意識」
②区別すること。けじめ。「大小の―がある」
よろしければ差別の定義を読んでどうぞ。自称フェミニズムと同じで無茶苦茶なんだよな定義が
第1条
1 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。
2 この条約は、締約国が市民と市民でない者との間に設ける区別、排除、制限又は優先については、適用しない。
3 この条約のいかなる規定も、国籍、市民権又は帰化に関する締約国の法規に何ら影響を及ぼすものと解してはならない。ただし、これらに関する法規は、いかなる特定の民族に対しても差別を設けていないことを条件とする。
4 人権及び基本的自由の平等な享有又は行使を確保するため、保護を必要としている特定の人種若しくは種族の集団又は個人の適切な進歩を確保することのみを目的として、必要に応じてとられる特別措置は、人種差別とみなさない。ただし、この特別措置は、その結果として、異なる人種の集団に対して別個の権利を維持することとなってはならず、また、その目的が達成された後は継続してはならない。
①差をつけて取りあつかうこと。わけへだて。正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。「―意識」
②区別すること。けじめ。「大小の―がある」
https://www.cnn.co.jp/world/35163657.html
「医療措置や義肢、装置の埋め込みなどによる体力、認知力、知覚力、精神力の増強」
→兵士をPTSDで戦闘不能にさせないことが目的だとしたら、「精神力」=残虐行為をしても/されても苦しく感じない力、ってことか?
でもそれって裏を返せばその兵士自身の残虐性を人為的に高めるということ。
つまり、
「兵士が武力の行使を抑制できる能力や、人道的な感覚に影響を及ぼすような改造は禁止」
なんか最近自民党をとにかく非難していればいいみたいな言説をたくさん見るので長文を書き散らす。
こういう事を言うとネット右翼だの安倍信者だの言われるのが目に見えているので先に述べると私は自民党政権を支持していない。
その上で、こういった事があるよと言っている事を前提としておく。
表題の件で何が言いたいかと言うと、社会的正義を建前としてメディアを通じて国民を煽り、自らの利益につなげるという商売スタイルが存在するので相手や立場の善悪に関係なく全ての情報を懐疑的に評価しなければならないという事だ。
未だに真実として語られるこの事実であるが、実は嘘と言って差し支えないほどの曲解、拡大解釈である。
これによって「ゆとり教育=テキトーを教える教育」というイメージが固着し、メディアや広告を通じたゆとり教育批判によって当時の小学生達は自尊心ガリガリ削られるという状態になっていたのだ。
「円周率は3」という事実はどのようにして形作られたかと言えば、90年代末に学習指導要領が改定され、小学校の算数について「円周率は目的に応じて3を用いる」「小数は小数点以下第1位までしか扱わない」という文言が登場した。
「目的に応じて3」というのは、円っぽい図形の時のみなし計算や、見積もりみたいな大雑把な計算をするときにとりあえず3としていいよ。ということであり、小数点第一位の件についても、円周率に関しては3.14で扱うという旨が明記されていた。
そこで、とある学習塾が「ゆとり教育では円周率は3!(だから塾に行こう!)」という感じの広告を撃ち、メディアも批判的精神の観点からゆとり教育の問題点の旗印として「円周率は3」を掲げて日夜教育批判を行った。
実際にはそうではなかったのにも関わらず、「円周率は3」という見出しのインパクトによってこれは広く受け入れられた。
それがテレビや親を通じて、当時の小学生達に「お前たちは失敗作になる」というメッセージで突き刺さった。
もちろんそういった意図があった人は一人も居ないだろう。しかし、「頭が悪くなるから塾に行こう!」「間違いだらけの教育!」といったメッセージが日夜飛び交っていれば、結果そういったメッセージとして当人たちに届いてもおかしくはない。
ここまで読んだ人なら想像がつくだろうが、私はもろにその世代である。
全員が全員ではないが、私達の世代には子供の時から「何をやっても無駄」「頑張っても無意味」という価値観の人が多い。
これはゆとり教育批判の流れ弾を子供自体に食らったからではないか?と思っている。
私もいい大人であるから自分の無能や怠惰というのは自力で解決すべきことであると思っているし、教育やメディアのせいにする気はサラサラ無い。その責任を取れとも全く思わない。
しかし、そのような環境に於かれていた当人たちは大人ではなく、第二次性徴も迎えていないような子供である。
精神が未発達でこれから人格を形成していくという子供に対して「失敗作になるぞ」といったメッセージを浴びせ続けるのは果たして円周率を3で教えるよりも良いことだろうか?
社会的正義に目が眩んで子供がどのように感じるかというケアはあの当時全く無かったし、その証拠に、未だに社会的には「当時円周率は3で教えられていた」というのが真実になっている。
いつからそうだったのかはわからないが、この時にはすでに日本のメディアは事実の観測者から正義の行為者へと変貌していた。
正義の行使ではなく、事実の観測を心がけていれば、ゆとり教育への批判も建設的に行なった上で学習塾の広告にも批判的視線を向けられたはずである。
メディアに観測者の存在しない今、情報の受け手である全員が観測者の心掛けを持たねばならない。
「○○政権の法案はこういう事実がある!」というような批判に関しても、「そもそもその事実は妥当なものか?」という俯瞰的観測精神を持たなければ、容易に誰かの意志に流され、守るべきものを壊しかねないということを忘れてはならない。
先日出かける用事があった。
コロナが流行ってからほとんど外食をしなくなったのだが、飲食店が潰れていることは当然知っているので、せっかくだからと潰れてほしくない店でランチを食べることにした。
コロナ前なら行列ができていたこの店だが、その日は昼時でも並ばずに入ることができた。
とはいえもともと人気店。
特にテーブルを間引きしているわけでもなく、対面二人がけの席が横並びにいくつか並ぶ一つに隣の客と一つ席を開けた形で案内される。
とても好きな店なのでここまでは怖さ反面、ウキウキした気持ちで席につく。
座ったときは隣が空いていたのだが、直後に男性客2人連れが来店して隣の席に案内された。
その時点で内心おいおいと思ったが、席を埋めないとやっていけないのもわかるのでそこはなんとかこらえた。
しかしこの2人、事もあろうに着席と同時にマスクを外して会話をし始めたではないか。
あれ?自分は1年前にタイムスリップしてしまったのか?と思うくらいに、普通の会話を続ける二人。
隣の人とは1mも離れていない。
他人の会話なんて全く興味がないのだが、聞こえてくる話はどう考えても今しなきゃいけないような緊急の話ではない。
むしろ守秘に関わるような話を誰にでもわかるような伏せ字で話をしていて頭おかしいのかと思った。
通信大手3社を伏せ字にした会話をしていたので通信業界系ITエンジニアだろうか。
そういう人は理系っぽいイメージがあってもっと賢いかと思っていたが間違っていたようだ。
食事が運ばれてくれば終わるではないかとギリギリまでマスクをして待っていたが、無駄だった。
店側も会話を止める様子はない。
アクリルが立ててあったり換気が強いわけでもなかった。
コロナが流行って以来初めての来店だったが、これはさすがにこれはしんどい。
久々の外食だったこともあり内心とても楽しみだったのに、砂でも噛んでいるかのように味気なかった。
この男性客のどちらかが感染していたら、ほぼ間違いなく感染しただろう自信があった。
店に何かを言おうという気持ちにはなれなかった。
人と会わないようにしたし、会話もいつも以上に距離をおいた。
幸いながら感染はなかった(あったとしても無症状だ。)し、身の回りにも感染したような人はいなかった。
潰れないように必死なのはわかる。でも、そのためにお客の命を危険にさらすのはどうか。
悪いけど、これなら潰れても仕方がないと思ってしまった。
コロナが終息したあとに潰れていなかったら行くかもしれない。それまでは無理だ。
ただ、店を恨むより、隣りに座った馬鹿な二人組みのほうが腹立たしい。
頼むから、Go toなり、助成金の要件に、「食事中、客同士の会話を禁止する」と1文入れてくれ。
たったそれだけで、店と客を守るためという正義が生まれて、こうしたバカどもに対してのパワーバランスを逆転させることができるのだから。
また、現体制へのプロパガンダとなる危険が大いにある。過去の総理のキャラ化を皮切りに、今の総理をキャラ化したくなるのは想像に固くない。私も年季の入ったオタクなので、その状況になったら絶対創作する。そして、創作したら愛着が湧く。創作する前よりも、現総理と現政権へ好意的な気持ちに変わってしまう。
税金で桜を見られようと、ヘイトスピーチを容認されようと、ひとたび萌えれば必ず現体制に好意的になってしまう。私は見境のないオタクなので分かる。あなたはならないかもしれないが、一定数のオタクは絶対なる。
別にそれは駄目なことではないでしょ。
誰を好きになるか、何を理由に支持をするかなんて当人の勝手なわけで、究極的には政治的正しさより萌えを優先して投票するのだって投票の権利の自由な行使でしかない。
それを駄目というのは”あなたの政治的価値観”の押し付けでしかないわけよ。
萌えで投票する人がいたとして、増田にはそれを「浅薄な考えだ」と嘲る自由も「安易なイメージに流されないで」と警句を発する権利もあるけど、駄目と断じるのは他人の選択権に対して踏み込み過ぎだと思う。
まあ、政治家や社会系のメディアがイメージ戦略のために意図して萌えを生み出そうとしているのならばそれは卑劣な印象操作だと思うけど、政治的な意図なく娯楽に徹して作成されたならものなら、この点に関しては罪はないと思うな。
件の二次創作の増田は不快とかじゃなくそこまで思い詰めてるのにどうして原作者の権利を行使して二次創作禁止と公に言わないのかがひたすら不思議だった。
公表しろって言ってた人たちも炙り出して叩きたいとかじゃなくてなんで公表しないのか不思議だっただけじゃないだろうか。
文句を言うオタクもいるだろうがそんな奴は初めからファンでもなんでもないでしょ。
(追記)
あんなに叩いておいて何言ってるんだって言われたり日本語が読めない奴扱いされたりして心外なので追記。
まず、自分は別に元増田叩きには一切関与していないし、自分が見た時にはツリーはかなり長くなっていたのでそもそも全部は見てない。でもざっと見た限り二次創作が嫌だと言ったことではなく他の作品の作者のことまで巻き込んで疑心暗鬼にさせるような書き方をしている点を叩かれているように見えた。原作者が二次創作を嫌だと言う権利を否定するようなコメントは見た覚えがないけどそんなこと言う奴がいたならそいつがおかしいと思う。