https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210109125912
を見るとわかりますが、大勢の意見としては、大統領ではないトランプという一個人の権限は発言者として影響力が多いからアカウント停止は妥当、というものです。これをもう一度復唱してみてほしいです。一個人ということはトランプは一民間人に過ぎないインフルエンサーということになります。Twitterは自由な裁量でインフルエンサーの発言を選択して止めた、ということであり、これ自体は自由を抑止するものです。
一方で、自由がどこまで許容されるべきか、という問題もあります。トランプ及びテロ行為に加担した人々に暴徒として表現して振る舞う自由があるとは思えません。つまり人種主義と表現の自由など建前でそんなものははなから恣意的に選択して逮捕できる程度のものでしかないことがわかります。ブコメの論調が面白いところはこうした一個人のインフルエンサーでしかないトランプの自由を剥奪するのが正しい、遠べていることであり、これは一種マスメディアによる検閲と抑止を許容したことになります。
では一方でTwitter側の自由とはなにかといえば、Twitter社は社内規定を行使できる契約を持ちますし、Twitter利用者は民衆の総意という自由に乗ることができます。しかしこれこそが民主主義を自ら否定してマスメディアや政府に飼われることを望む姿勢であることを理解しておく必要があります。我々は管理されるべきだ、管理されてこそ民主が保たれる、と思うならそう思えばよいかと思います。
ちなみに個人的に最大限の民主主義は無政府主義に近い概念ではないかなと勘ぐっているので、社会主義国としては管理されるべきかと思います。