はてなキーワード: 綺麗事とは
あんまりやりたくないことや大変そうなことからふんわり逃げている間に、同期は自分が避けた仕事をやって実績を積み上げる。
そうこうしている間に、大きく差がついてしまった。
それでも良いかな、と思っていた30代前半だったが、少しずつ様子が変わってくる。
会社や社会の中でどれぐらい求められるのか、自分がどれぐらいできるのか、全力を出せるのか。
20代と違って30代になると自分の能力やキャリアみたいなものが、突然革命が起こるわけでもなく、今の延長線上であることが明確に見えてくる。
今更同期に追いつこうにも、もう追いつけないぐらい差がついている。
今更しんどい仕事をやろうと思っても、チャレンジングな仕事は活きの良い若手に任せられる。
責任を持つのは上司でも、ケツを拭くのは自分。若手のサポートをするだけで自分の成長にはつながらない。
若手の頃は、勝手に苦労が降りてきて選ぶことができた。
買ってでもしたい苦労がわかった中堅になった今、もう買うことはできない。
何事も遅すぎることはない、なんて綺麗事は言えない。
「苦労は買ってでもしろ」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20210829/k00/00m/040/291000c
ブコメに氾濫している
みたいなセリフ、綺麗事すぎない?というか、遵法精神高すぎない?と思う
そりゃ、法的には「硫酸をかけていい理由」なんてあるわけないけどさ、
そう言う綺麗事言う奴に限って、「性犯罪者は殺していいよ」みたいにコメントしてる
(今回の被害者が性犯罪者だと言っているわけじゃないぞ、念のため)
何が言いたいかというと、
という見え透いた綺麗事を吐くのをやめろ、ということ
かけるだろ、かけていいだろそれは
というか、「かけていい理由」なんてなくても、
自分がその後厳罰に処されるとしてもその覚悟があればかけるときはかけるだろ
今回の犯人にそれほどの動機があったとも、それほどの覚悟があったとも全く思わない(逃げてるし)
/高校2年生
/一人称は「自分」、伊丹と話す時だけは「あたし」、「僕」。意図的に変えているわけではなく、染み付いたクセ。
/絵が人並みに描ける
/子供の頃の記憶はあるが、中学2年までははっきりと思い出せない
・偽名として、「彼」。別人格(?)。
/一人称は一貫して「俺」
/歌を歌う。シャウトと巻き舌が異常に上手い
厨二病全開のスペックだが、本当にこれがあるんだから恐ろしい。ちなみに彼とは11年の付き合いだ。
もう1人いるはずだが、最近は目撃情報がないので多分死んだか寝てる。
そもそも解離性同一性障害は「解離性障害」のひとつに分類されており、
・解離性健忘、遁走
・離人症
と分類されるらしい。wikiそのままだ。診断書が書かれた訳ではないので、詳しい話は知らない。
この中で、自分は「健忘」「離人症」「同一性」に当てはまっている。役満だ。嬉しくない。
詳しい話は省く。今回は解離性同一性障害についてだけ話す。
解離性同一性障害は、ゲームや漫画で書かれるようなものとはまず違う。そんな美談で終わらせられるほど簡単なものではない。
「何かしらのトリガーで引き起こされる」。これは、人による。彼もロックを聴いていたら稀に現れるが、ほとんどは静かだ。自分は好きな絵を見ると帰ってくる習性がある。
だが、確定ではない。あとパッキリ切り替わる事もない。「いつの間に変わってた」と言う方が正しい。
「自分の意思で変えられない」。これは自分の中ではノーだ。目を閉じて30秒〜2、3分経つと、身体から血の気が引いてくるような感覚を覚える。それにに合わせて、頭が飛んでいくような感覚になる。スッと意識が遠くなったら、もう変わっている。
「記憶がまるきりない」。これはイエス。だが、自分達の場合はそれほど空っぽという訳でもない。目に焼き付いた景色は残っている。ただ、何をしたのかは朧げだし、思い出したとしても自分の経験として至らない。勝手に誰かが作った記憶のようだ。
「顔つきや目つきが変わる」。イエスだ。家族からは目でわかると言われる。彼はいつ変わったかわかるよと言われたらしい。
声の出し方も変わる。彼は男性ででいたいので低い声を出したがる。声帯の使い方が違うのかも知れない。よくわからない。
多重人格のキャラは見ていられないので特徴がよくわからないが、とりあえずはこんな感じだ。
少なくとも「バイクに乗ったら気性が変わる」と言ったような単純な変化はない。それは多重人格でもないと思う。
なぜこんな話をするのかというと、多重人格のキャラはあまりにも綺麗事ばかり書かれているからだ。
最近、SNSで「バニシングツイン」について書かれた漫画の広告を見た。片割れの双子が死んだ場合、もう一人に憑依する事がある、という話だ。
実質多重人格はバニシングツインと同義としてもいいだろう。意識が同じ身体の中にあるんだから、ほぼ一緒だ。
というより、彼も自分の生まれる7年前に流産した男の子説がある。どうせ偶然だろうが。とりあえず多重人格も憑依型のバニシングツインも変わらないものは変わらない。
「母親が死んだ方の双子の意見ばかり聞き、自身の意見は蔑ろにされてとても悲しい。自分が乗っ取られているようだ」
と話している。
この時点で気持ち悪い。
少なくとも、自分の身体を持たず、自分のやりたかった事もできず、ただ空虚な人生を送っている彼と主人公を比べれば明らかにどちらが素晴らしい人生かわかるだろう。
人格は悪じゃない。誰も悪くないのだ。
なんだそれ。
除霊?
人格を殺すって言うのか?
せっかく、身体なしでも生きながらえているのに?
作者は、何も知らないのだと思った。
バニシングツインについてもそうだが、それ以上に「人格」を軽く見過ぎなのだと。
当事者からすれば、人格というものは四六時中離れられない関係にある。情が湧かない、という方が無理がある。
それを、損得だけで、切り捨てようとしている。
レビューでは「親が理解できない」という声が多いが、自分はそれ以上に子供が理解できない。
どうして、同じ時を過ごした人間を殺そうとできるのか?
今、自分が「彼を消せる」と言われたら、泣き叫んで相手を殺してしまうだろう。
レビューを今読んでいるが、頭の中で声が聞こえる事が「ホラー」と称されてる事にも少し腹が立った。
レビュー作者も漫画作者も、それを「エンターテイメント」として見ているからその様に話せるのかもしれないが、当事者からすればこの上ない侮辱である。
自分が抱えているものはホラーでもエンターテイメントでもない、
それを、ただの自己満足で消費される程気持ち悪い事はない。不思議でもない、スピリチュアルでもない。そいつらの目の前に立って「私が多重人格てす」と話してみようか。
厨二病だと投げ捨てるのだろうか。
気持ち悪いと目を背けるのだろうか。
やってみたい気持ちと、自分もリアルを見たくないという矛盾で吐きそうだ。
幸せでもない。不幸でもない。それは彼らにとっての「普通」なのだ。健常者の物差しで測る方が間違っていると思わないか。
それと、人格の年齢や性別が身体と違っても、受け入れてあげてほしい。そういうものだ。そうとしか言いようがないのだ。
気にしない人格もいるのかもしれないが、彼の様にスカートを履こうとするだけで泣きそうになる、それくらい性別にこだわりがある人格もいるだろう。
そういうものだ。それさえも知らないで多重人格の話を書くのはやめてほしい。SNSに蔓延る三流作家達のことだ。
このところ常に死にたいとうっすら考えているような感覚で生きている
楽しいことがあってもふと「そういや死にてえな」と思い返して楽しさが冷めていく感覚。
そしてそれは大体みんな同じような感覚を抱いているんだろう、死にたいと思っていない奴はむしろ相当の楽天家か馬鹿の少数だけと思っていたが、どうやらむしろ死にたいと思っている人の方が少数派らしい。
別にいじめられているとかブラック労働がとかじゃない。それなら別にそうじゃない人は死にたいと思わないだろう。理由はSNSを始めとする社会に蔓延する憎悪があまりに重苦しく苦痛だからだ。
最初に断っておくとこれから出てくる加害者たちを擁護する気は無い。
もちろん悪い事をした人が悪いのだが、ことある事に槍玉にあげてその都度完膚なきまでに叩く多数をみて「ああ嫌だな」と何となく感じた。
スキャンダルに対してその当事者がネットで槍玉に上がったことはそれまでにもいくらでもあった。
思い返せば小保方氏や野々村議員もその例だろう。ただ彼らは音MADにされたりクソコラを作られたりと、もちろん本人してはたまったもんじゃないだろうが、スキャンダルをコメディとして消化しようとするものだった。
もちろん、ひき逃げの加害者を音MADにしろという訳では無い。こちらは明確に被害者がいる以上そんなことが許されるわけが無い。
それでも、一人の人間が憎悪の対象として消費されるのを見て擁護はなくても同情はしてしまう。
あまつさえ、上級国民とかいうこれまでなかった言葉まで使って高齢者富裕層まで主語を広げて叩く日には、「フランス革命でラボアジェを処刑した国民はこういう人達だったのかな」と思った。
オリンピックの諸問題の方々、金メダルを噛んだ市長それがし、不倫した芸人なにがしや声優なにがし等々。取っかえ引っかえの回転寿司状態だ。そしてその度に地獄のようなコメントが溢れる。これを書いてる途中に声優それがしが死にかけているらしい。書いている途中に知ってめちゃくちゃ偶然だが、遅かれ早かれそういうことが起きるのは明白だっただろう。
なぜそんなことになったかといえば、これらの人達は「わかりやすい自分と関係ない悪」だからだ。
家族や上司などといといった簡単には解決できない問題、更にはウイルスなどといった実体のない敵によるストレスは人類全体に重くのしかかってくる。「正義をもって悪を誅す」というのはそのはけ口としてとてもよく働く。自分のストレスや不安から目をそらすことに精一杯な人達はますます想像力が欠如して盲目になり、ましてや、加害者の心情なんて想像しない。
要はストレス解消のために叩いてもいい大義名分を持った人が求められているのだ。
こういう人達が活動を自粛したり降板したり表舞台から退いたり、ましてや自殺したら「責任を果たせ」だとか「逃げるな」だとか言われる。
そして決まって「被害者を思うと…裏切られたファンを思うと…」とかがくっついている。その綺麗事、大義名分になんの意味があるのか。
「次の悪者が現れるまで後腐れなく叩かせ続けろ」って言え
大体そういう人たちは何を以て責任を果たしたと認めるのだろうか。謝罪しても当事者でもないのに「誠意が足りない」だの「被害者には許さない権利もある」とかいうくせに。じゃあ目に見えればいいかといえば「金で解決しようとしてる」とか「上級国民が」とか言い出すくせに。
そして死んだら「責任から逃げるな」とかいう。むしろ自分が死の遠因になったという責任から逃げているのはそっちだろう。
開会式のいじめがどうとかいうミュージシャンそれがしを集団で叩くといういじめの構図をもって成敗した気になっているのは、悪趣味すぎるコメディかと思った。
もちろん自分が知らないずっと前からこういうことはネット、リアル問わずあっただろう。でもそれはメインストリームではない。
しかし、一億総発信社会/コロナ禍となってユーザーが生成するメインコンテンツが憎悪になってしまった。
そこに需要が存在すれば当然供給も発生する。メディアも問題があった人たちが如何に極悪人であったかを強調するために過去を漁って露悪的な記事を量産する。
もう現代においてピカソやワーグナーのような人はもう出てこないんだろうな。そして悪事はバレたら社会的に抹殺されるのだからますます陰湿になるか一撃必殺になるかのどちらかだろう。
膨れ上がった憎悪は関係ない人をも蝕むようになる。こんな社会に耐えるくらいなら消えた方がいい。いわんや当事者にしては想像を絶するものだろう。
こういうことを言うと起こりそうな意見に先に返しておく
・「悪いことをしたのは向こうなのだから当然だろう」「報いは受けるべき」
別に自分は「誹謗中傷はやめよう」とか「加害者にも人権はある」とか道徳の先生みたいなことを言うつもりは無い。これは絶望の言語化であって啓蒙ではない。
そもそもそんなことずっと言われ続けているのに悪くなる一方なのだから無理なのだろう
個人的にその原因は、歴史的に人類は「罰する」と「赦す」を神に丸投げしてきたからじゃないかと思う。
シャリーアを引き合いに出すまでもなく、法とは神が定めた道徳を人間にわかりやすくしたものだ。神の代弁者・執行者として悪人は裁かれ断罪された。逆に言えば、刑期を終えるとは「神が赦したのだから私達も赦そう」という理屈だろう。私刑が許されないのは、同じ理性の範疇内の人間が人間を捌くこと自体傲慢で歯止めが聞かないからだろう。
それが現代になって神が死に、ネットによって「罰する」と「赦す」が急に個人個人の人間の与えられたら上手く使いこなせるはずがない。何を以て許せば良いのかも分からない。だからこそ憎悪はどこまでも増幅し、終わりがないのだろう。
・「確かにクソなことはあるがネットにもリアルにも善意や楽しいことだってあるだろう」
それは確かにそう。実際自分もある程度いわゆるオタクなので「次のイベントが生きる糧」だの「2期を見るまで死ねない」だの思っていた。
でも最近ふと、なぜそれらが好きか理由を考えたら、自分は死にたいという感情を麻痺させる麻薬に過ぎないと思っていたことを悟った。一回そう思ってしまったらもうその麻薬は直ぐに効き目が切れるようになった。
これも確かにそう。ジャコモ・レオパルディという人も「世間とは立派な人間たちに対抗する悪人どもの同盟、あるいは寛容な人たちに対立する卑怯者どもの集まりだということである。」とか言っている。その通りだと思う。でもネットをやめたとてこの社会に逃げ場なんてあるのか。分断と対立・不寛容が加速するこの世界でネットのような憎悪が現実にも染み出していることはキャンセルカルチャーなんかを見るまでもなく明らかだろう。情報自体から隔絶された世界で仙人のように生きればいいのか。そうしたら確かに死ななくても良いかもしれないが、憎悪を撒き散らす人達が野放図に暮らして、そうでない人が隠れていきなければいけない世界ならますますこの社会はクソだろう。
・「この恨みにまみれた投稿だって憎悪を増やしているだろうブーメランじゃないのか」
その通り。だけど今更ネットにデブリがひとつ増えたとて誤差だろう。
繰り返すがこれは現実への諦念であって啓蒙ではない。だからこそ聞きたいのは、どうやってこの憎悪の中死にたいとも思わずに生きていられるのだろう?
:
この人の「2度目の」謝罪会見動画についての、SNSにずらりと並んだ反応は、見た限り大きく3種類に分けられる。
1つは
「これも計算なんでしょ?」
的なもので、
2つめが
「ここまで追い込んでるやつらも同類」
「みんな内心ではホームレスを汚いと思ってるはずだ」
みたいな、つまり「本心」「本音」に即していないはずだから駄目だ、というもの。
加えるなら、
「そういう綺麗事なあなたたちは、一体ホームレスのためにいくら寄付をしたんですかw」
みたいなのが、この2と3の間に入るのかもしれない。
:
1つ目の、つまり、この謝罪を、心からのものとして信じない、という表明、これが驚くほど多い。
なので、このDaiGoという人のこの(とくに二度目の)謝罪は、多くの人が指摘するように計算なのかもしれないし、
あるいは意外と、真実の、心からの反省に基づいて、あの涙だって流しているのかもしれない。
でも、もしあれが心から涙だったとしても、大勢の人が、それを信じようとしていない。
( https://twitter.com/umiuminemui/status/1426891746487586817 )
を含め、彼が繰り返しあちこちの動画とかサロンとかで示してきた、態度や言動の積み重ねによるものが原因であるらしく、
まるで寓話の狼少年そのままに、自分がしてきた行動や言葉の負債が、いまそのまま自分に跳ね返ってきている。
計算なのか本心なのかわからないが、筆者は、むしろ、この謝罪は「計算」であってほしいと思っている。
そうであれば、彼の内面は、「ちくしょう、うまくいかないなあ」といった悔しさで済むが、もし、彼が真実の反省からあの動画を投稿したのだとしたら……。
これがフィクションであれば、一種の痛快さとともに、一人の悪役の凋落の物語として消化できるのかもしれないけれど、
現実の出来事としては、教訓劇としたってあまりに陰惨すぎる。目も当てられない。
:
そもそもの発端になった、ホームレスや生活保護受給者に対する発言の時点から、
このDaiGoという人の「本心」なり「真意」なりは、なぜこれが問題になったのかとは、何も関係がない。
……少なくとも筆者はそう思っている。
「本心」や「真意」を気にする人は、例えば最初の問題の発言についても「DaiGoさんはそんな意図で言ったんじゃない」的な擁護をする。
しかし、繰り返すが、彼の「本心」も「真意」も、これが大きな問題となって「炎上」した理由とは関係がない。
■こういう場において(拡散され大勢に届きうる、つまり"公"につながる場所で)、
■こういう態度で(僕はこんな"辛口"な本音を言い放てるほど自分に正直でいられるんですよ、というアピールを"エンタメ"とする認識。なおこれは彼の「1度目の」謝罪で発言されているので、もはや「内面」の類推ではない)、
世に向けて放つこと。
それが、ホームレスや生活保護受給者の人たちに対する社会の視線を、どんなふうに「操作」(メンタリストを肩書とする人のようだから、そのことに無自覚だったとも思えないのだけれど)することになるか。
……問題はそこに集約される。
「この発言の底にある、叩いている人間によって捻じ曲げられたせいで語られることのない真意」のようなものは、
どこにも入り込む余地はない。
:
「彼の放った言動、彼の内側ではなく外側で記録されている言動という事実、それについて彼は責任をとるべきだ。」
これが、DaiGoという人に向けられた糾弾の内実である。……少なくとも筆者にとってはそうである。
もちろん、炎上してるとみて一緒になって石を投げてるような手合いだっているんだろう。
しかし、そういうイナゴめいた連中を、「糾弾している人たち」の「代表」に一方的に仕立てて、
「ここまで追い込んでるやつらも同類」
また、
これを書いてる筆者だって、家の前で不当に浮浪者に居座られたら迷惑なのでどいてもらいたいと思う。
そういうことと、
■「こういう言動を公にすることがどんなふうに社会の視線を歪ませるか、セーフティネットというものの存在意義をどんなふうに誤ったイメージにすり替えるか」
批判している人が「本心」でホームレスをどう思っていようが、また寄付をしたことがあろうがなかろうが、何一つ関係がない。
:
----------------------------------------
もうちょっとだけ。
本当のところ、
「特にDaiGoが好きなわけじゃないが、この綺麗事を主張しているやつを"どっちもどっち"で相対化してやろう。そんなことができる自分はなんて冴えてるんだろう」
という満足を得たいがための投稿、というのについては、
「炎上しているところに行って一緒に石を投げてやろう」
の手合いと同様、この件に限らず常にどこにでも発生するものなので、言及してもあまり意味はないような気がする。
そういう「冴えてる私アピール」は、確かにお手軽な娯楽であるが、しかし、何一つ、
それこそ"お花畑な理想論の綺麗事"を言い募るよりもはるかに、世の中の役に立っていない。
要は「言葉で言い負かして痛いところを突いてしまえる私はなんてすごいんだ」という満足感は、
それこそ当人の「内側」から外へ出て、何かのエネルギーになったりすることのないものだから。
そして言うまでもなく、
でも最近はどっちかというとそういう声ばっかりじゃない?
上も下もみーんな俺が炎上覚悟で言います!ぶっちゃけこうだよね〜って、ツイや5chでよく見るような同じようなことを自分が初めて言ったみたいにいうだけ
「自分もなるかもしれない」
という意見をよくみかけるけど、
ある一定以上の社会的ポジションにある大多数は結局ホームレスにはならないし、
いわゆる自己責任って言われそうな理由でなるべくしてホームレスになってる人もいるかもしれない
だから、理由としてこれらが最初に挙がってきたりするのがいつも違和感(それはそうではあるのだが)
そうではなくて、私達は社会という仕組みの一員として生きているし生かされているので、
その中で生じる出来事には(たまたま自分に関係なかったとしても)、一定程度責任を負わなければならない
責任とはいっても、何も全員が全員実行するのが難しいようなことが最低限のハードルとして設けられているわけじゃない
今話題になっているあの人のような思想を持たない、発言をしない、理解を持つように努めるっていうだけでも、
社会全体としては全く状況が違う
綺麗事いうな、助けもせずに言うなっていう人がいるけど、多くの人が必ずしもができそうにはないことを持ち出さなくてもよくて、
あなただって偶然が重なって今の立場にあるだけなんだから、せめて、ヘイトを振り撒かない、理解するように努める程度の社会的責任は果たしましょうよって思う
例の発言は、みんな思ってるけど言わないことを言語化しただけだと思ってる。
友達は1人もいなくなった。半笑いしながら「おめでとう税金泥棒」と言ってきた奴もいる。
病院でも生活保護を受けていると申請したら露骨に嫌な顔をされる。
みんな生活保護なんて居なくなればいいと思ってる。みんなそうなんだよ、みんなだ。
自分だけは違う、差別しないなんて奴に限って、実物を見たら拒絶反応を起こす。
綺麗事言ってる奴らは本物の生活保護を見たことがないと断言できる。
本物を知っているなら、綺麗事は出ない。みんな同じ感想になる。
一度でも本物の生活保護を見てみろ。
追記-----------
それ以上何の理由もない。本当にただそれだけ。何の同情の余地もない。
それは自分が一番分かっている。世の中には想像もつかないようはガチのクズが存在する。
ただ世の中には本当に、救われるべきでない人間も確実にいるんだよ。
どうもこんにちは、みなさんが生きる価値がないと思われております、キモい男性です。
弱者を狙うなんて許せないっ!
バカなのか?
いや~怖いですね~~
そうやってお前らはオレたちをバカにし続けんだろ。
よくもまあ30年間バカにし続けてくれたな。
たまには痛い目あわせてやらないといけないよな?
まず女な。
インターネットに溢れる弱者男性論のおさらいをするつもりはないが、
オットセイの群れ・ゴリラのシルバーバック・あるいは逆に女王バチ・アリ。そういうもんだろ?
性差とは相補的なモノって主張なら理解してやらんくもないが、弱者ぶってんじゃねーぞ。
じゃ、女さんのツイート鑑賞会でもするか。(女かどうかは知らんけど)
この手のクソインセルの言う「幸せそうな女を殺したい」って要は「女みたいな卑しいもんが幸せそうにしやがってムカつく」ってことでしょう。
男相手には決して手を出さない、さすがジェンダーギャップ指数120位の国の男。女を見下しながら甘えたおしておまけに殴ってくる、おまえは一体何様なわけ??
己の人生が失敗だとして幕引きは自由だよ。問題は何故そこで「満たされなかった」怒りを見知らぬ女に向けるのかってこと。
幼稚なくせにプライドだけ肥大させて、自分の汚れた尻をどうにか女に拭いてもらおうと考える。弱くて未熟で人任せで、ママ待ちの赤ん坊と同じ。体だけ大きいぶんタチが悪いわ。
日本に限った話じゃないけど、何も成し得なかった甘ったれ男に限ってこういうことをするよね。
無関係な女を勝手に見下して、無関係な女に勝手に甘えて、無関係な女を勝手に憎んで、加害インセルさんが幸せになれないのは自分自身が誰より卑しいからなんじゃないんすかねー。ああ胸糞悪い。死刑で。
おもしれー女笑 お前どこ住み? 沿線教えて?
「幸せそうな女性を見ると殺したいと思うようになった。誰でもよかった」?全然誰でも良くないし、36歳で女子大生襲うのキモい…
キモいのは知ってるよん。
まずは自己中だけど、そうなるように性格をゆがませたのは誰かな?
難しいな・・・君たちの言う「正しい思考」ができる脳ミノ、持ってないのよ。
いや、他人のこと考えて君たちの社会に奉仕するの「疲れた」から。
まあ自己中のレッテル貼るのは楽しいよね。オレも君たちに「敵」のレッテルペタペタ貼ってる。
楽しくてたまらん。
解釈というのは真実ではなくて、オレらにとってどう活かせるかということね。
1つは、このツイートみたいに知能にハンディギャップがあったという説。
通り魔事件だと割とある話だ。ただあんまりそうも思えない気がする。
電車を場所に選んだのはかなり計画的でオレも参考にしようかと思うぐらいだ。
2つ目は、混乱していた上での行動だったっていう線。
人を殺すのはそう簡単ではないし、何か大きな感情の異常インパルスが押し寄せた際にしか発火しない神経回路というものはある。池袋の通り魔事件とか、カッとなって計画したモノは多い。
そういうときにガソリンや季節はずれの灯油は入手しづらいし、台所のサラダ油を選んでしまう可能性は高いと思う。
そもそも、女さんが言うように日本には世界に誇れる死刑制度がある。
3人殺せば自殺サービスがつく。素晴らしい国だ。日本に生まれて良かった。
まあこの人は切ない言うてくれてるからそんな叩かんで次行こう。
36歳にもなってサラダ油にライターで火がつくと思ってるような男に、電車に座ってるだけで勝手に「あいつ幸せそう」とか判断されるわけですよ。なんなの。
30年分の「なんなの。」、お前にあげるよ。
統計的に女のが幸せなんだから、論理的にその推論は正しいと思うっ!
そろそろ締めくくろうか。
うん。生きててごめんね。
「ワクチンの強要があってはならない」「望まない人は接種しなくてもいい」「接種・非接種で差別がないように」という世論になっている。
実際のところ、反ワクチン論については懐疑的だが、強要自体はあってはならないと私も思う。
だが、「接種済みの者は人に感染させない」「非接種者は接種済みの者に感染させ、時には接種済みの者の症状長期化を招く」という結果が出た場合、この世論はどうなるんだろうか。
https://twitter.com/shuichiotsu/status/1420728134408671234
もちろん、この研究自体はまだ広く支持を得ている学説とまではいかないが、ワクチン効果の検証を重ねるうちにこういった結果が出ることは考えられる。