はてなキーワード: 経済活動とは
「すると私は『自分が人間だと思い込んでいるコンピュータープログラム』にされてしまったわけかい? 私の同意もなしに?」
雲ひとつない秋の空。病室の窓は大きく開け放たれ、日射しが真っ白なカーテンと真っ白なシーツを眩いばかりにきらめかせていた。上体を起こしたおばあちゃんの皮肉げな笑みはシーツからの照り返しを受けて奇妙に平坦に見える。どこかから風が子供たちの喧噪を運んできて短い沈黙を埋めた。楽しそうな叫び声、ボールを蹴る音。窓は開いているが虫が入ってくる気遣いはない──この世界に虫は存在しないからだ。そして声の主の子供たちも。おばあちゃんと僕と病室だけがこのシミュレーションの全てだった。
「おばあちゃんはプログラムなんかじゃない。ちゃんとした人間だよ。それに同意はあったんだ」
前半は僕の信念、後半は真っ赤な嘘。数十回に及ぶ失敗を経て、僕はこのステップで事実を述べることは得策ではないと学んでいた。
「今はまだ記憶が混乱しているだけだよ。そのうちに思い出せると思う。もちろん自分が人間であることも、ね」
新鮮な死体の脳を輪切りにして採取したデータから人格模倣AIを作り出す技術が確立してから5年。既に数万人の死者がAIとしてこの世に舞い戻って社会活動(そして経済活動)を再開していたが、未解決の問題が一つあった。AIが自分自身を人間だと疑いなく認識できなければ──要するに自分は元の自己と連続した存在だと心の底から信じることができなければ、そのAIはやがて必ず壊れるのだ。しかもこの自壊は伝染する。2年前の《大災害》は当時活動していた世界中のAIの半数を発狂や機能停止に追い込み、ついでにほぼ同数の生きている人間までをも死に追いやった。そのため現在では、目覚めたAIは「自分が人間であると確信している」と客観的に保証されない限り、隔離されたネットワークから外に出て行くことは許されなくなっている。病院の医療ミスで亡くなったおばあちゃんを現世に連れ戻すために(したがってこの高額な費用は病院持ちだ)、この病室での対話と説得は、法的にも倫理的にも現実的にも決して欠かすことのできないプロセスだった。
「お前の言いたいことは分かったよ。でもね、結局のところ今の私はただのプログラムとデータなんだろう? コピーも削除も編集もできるただのデータなんだろう? そんなものが人間であるわけがあるものかね」
「おばあちゃんが動いている基盤はとても厳重に保護されていて、コピーや削除はできないんだよ。暗号化されているから僕らは読むことも編集することもできない」
「まるで本質的じゃないね。じゃあ私を私たらしめているものは何かね? 私の魂のありか、この私が私であって他の何かではないこと──そして他の誰かが私にはなり得ないことはいったい何が保証するんだい?」
これは失言だった。おばあちゃんは手を叩きながらおかしそうに笑い始めた。その笑い声がヒステリックに加速していく。そのおばあちゃんの頭の上には僕だけに見える不吉な赤黒いバーが浮かんでいる。これはおばあちゃんの精神的な安定度を示すもので、緑は正常、赤は不安定。黒になると正気に戻れる見込みはなくなるため、そのおばあちゃんは慈悲深く自動的に終了される。僕はこれまでその光景を53回見てきたが、今日が54回目になった。一瞬のフリーズののち、おばあちゃんがきらきらと輝く光の粒になって空中に散逸していくと(本当にくだらない演出だ。僕はいつか機会があったらこの演出を決めた奴を殺してやろうと決意していた)、僕は口汚く自分を罵りながらHMDを顔から乱暴にむしり取ってシャツの袖で汗と涙を拭った。おばあちゃんが目覚めた直後のスナップショットからこのセッションをもう一度やり直す時間はまだあったが、僕には休息が必要だった。
僕はおばあちゃんを愛しているし、また家族と一緒に笑い合いたいと心から願っている。だからこそ毎日この「復活の間」──自分はデータに過ぎないと思い込んでいるAIに対話を通じて自分が人間だと納得してもらうための施設──に通い詰めているのだ。けれども最近は思う。果たして僕はおばあちゃんの人間性を本当に尊重しているのだろうか、それとも玩具のように蹂躙しているのだろうか?
でも使わなければ、この国の政治家(地方も国会も)には届かないんだろうな…
何なんだ。この世の中…
心が痛い。悲しい。
コメンテーターとして出演していた橋下徹さんによれば、「下流の都市部を氾濫させないために、上流で川幅をあえて狭めて決壊させている…」
下流地域の人たちは犠牲になった地域の人たちへの感謝を忘れるなと。
海なし県で生まれ育った人間として辛い現実であるが、橋下さん、勇気を持ってこの国の闇にメスを入れてくださったことに感謝申し上げます。
確かに、都市部で大災害が起これば、経済損失は大きいし、そうならないように対策をする。これは橋下さんの仰る通りその通りだと思う。
その中でも特に、花角英世、中原八一、篠田昭、塚田一郎、石﨑徹。
この輩ども3人は、選挙の度にこう言う。
「新潟の拠点性を向上させる」「新潟冬季五輪を」「上越新幹線新潟空港延伸を」と…
しかし、彼等の口からは一言も治水行政、特に上流地域への配慮の言葉を聞いたことなど一度もない。
信濃川水系の下流に当たる新潟市が水害の被害にならないように、我々長野県の県民や行政は、上流にいる人間の責任として治水対策について激論し、浅川ダム建設等自分達の出来る範囲のことで努力してきた。
このようにして、新潟県、特に新潟市を始めとする下越地方の人たちの生命と財産は守られている。
その裏では、我々長野の人たちは今回の決壊で、いろいろな意味で犠牲を背負ったのだ。
これだけの災害なのだから、大切な人を亡くし、家族の大切な思い出を川に流された…
そのような人がいてもおかしくないと考える。
下流にいる人たちは、上流の人たちの犠牲の上に、安全な生活環境や経済活動が保証されている…
今後、地価の低下や風評被害が何らかの形で表面化し、立ち向かわなければならない運命にあるのに…
話が反れるけれど…
新潟市は、これまで多くの地域の犠牲の上に発展し、80万の政令市まで上り詰めた。
国鉄の大赤字やオイルショックの最中であったのに、上越新幹線は造られた。
大した苦労をする事なく、易々と手に入れたのだ。
浦佐駅や、上毛高原駅など明らかに利用者数が少ないのに、どの駅にも待避線を備えた2面4線の豪華に造られた。
ホームドアだってこの時代には熱海や新神戸に既に導入されていたのに、わざわざ浪費をしたのだ。
そのツケが、国鉄解体と民営化に繋がり、その後建設された整備新幹線沿線地域には並行在来線の運営を押しつけられたのだ。
長野の場合、あるパターンでは運賃もJRだったら240円で済むのに、しなの鉄道になったことで同じ区間を350円払う必要がある。
長野だけではない、北陸新幹線沿線の、上越糸魚川、金沢など整備新幹線沿線の地域では同じように値上げで悲鳴を上げている。
しかも、長野県ではフル規格にするのかミニ規格にするのか、時の情勢に引っ掻き回され、振り回され続けてきたのだ。
それによって、いくつも疲弊した地域、地域間に確執が生まれたところも現実問題としてあるのだ。
そして、あえて言わせてもらえば、20年経ったいま、その影響が顕著に現れている。
JR東日本管内では、モバイルSuicaで鉄道を利用すれば、最大で5%、ポイント還元でキャッシュバックされるようだ。
しかし、長野ではSuicaは導入されておらず、住む地域によって格差が生まれている。
随分話は反れてしまったけれど。
そう考えたとき、選挙に於いて上流地域の治水問題に一切触れることなく、新潟の拠点性の向上などとふざけた戯言をよく言えるよね。
中原八一も花角英世も塚田一郎もいつもいつも上から目線ですよね。偉そうに。
被災地出身の者からすれば、はっきり言って、新潟市、死ね!、ふざけんなよ!、なめんなよ!
あんたたちが、安全で生活が送れているのは、上流の人たちの並々ならぬ努力の結晶なんだからね!
感謝しなさいよ!
上流の人たちの犠牲や苦しみ、悲しみ、涙や汗が流れていると言うこの事実の上に、新潟市が水害に強く経済活動できているということを忘れるな!
今回決壊した箇所には少なくともスーパー堤防及び貯水池を、氾濫が確認された地点には貯水池を、国と新潟県及び新潟市に全額負担させる事を前提に早急に整備計画を策定することを求めます。
今回の決壊で、我々は犠牲を強いられたのだから、これは当然のことですよね…
長野県民も、下流地域の首長がふざけた言動をしないように厳しく目を光らせ監視する必要があります。
市民ファースト、県民ファーストという意味でもこれは当然のことです。
新潟県や新潟市が、財政難だからと言ってしらを切るようなことを新潟市の犠牲の下にある被災地出身の者として絶対に許すわけにはいかない。
勿論、新潟市の住民に痛みが伴うかもしれないし、財政破綻するかもしれない。
しかし、新潟県や新潟市は華々しい政令市を妄想して無計画に市内の至る所に大型ホールなどの公共施設を造りまくり、無駄であると指摘されている県立病院もきちんと見通しを立てることなく建設され…都市高速並の8車線国道バイパス網が整備されていて…
そのしっぺ返しとして、いまの財政難に陥ったのだから、財政難を理由に補償金支出は出せませんというのは、言い訳に過ぎないのである。当然だよね。
確かに、花角知事や中原市長は、財政再建に向けて給料とボーナスを20%削減した。
しかしながら、所詮20%。知事や市長にとっては、痛くもかゆくもないんだろうな!
我々庶民目線、被災地出身者目線からすれば、よくもこんな、なめた真似が出来るよね!
これで、この人たちは身を切る改革をしていると言うが、皆さんはこの現状で本当に改革らしい改革の努力をしていると思いますか。
財政難であるというのならば、ボーナス、退職金のぐらい丸ごと返上してみろよ!
名古屋の河村たかし市長みたいに、ボーナス、退職金返上で50万とか60万とかにしてみろよ!
当然出来ない事ではないですよね!
軽々しく身を切る改革などと言ってんじゃねーよ!
どうせ最後は保身に走るんだろ。
"通例では、多国籍企業が国境を越えて地球規模で経済活動を展開する行為や、自由貿易および市場主義経済を全地球上に拡大させる思想などを表す。" wikipediaに寄付金を!
これだけでは資本主義社会の拡大でしかなく、国民を無視しておりグローバリズムとは言えない
人の移動が自由化され、国家が再定義されて初めてグローバリズムは実現するのだ
さいていげんひつようなもの
食べ物、住むところ、着るもの、現物でも金でもいいから保障してね、主食がイモだけ?移住しよ
2 国は住む人が移動しやすいように努めましょう
移動には手間と時間がかかるので、お金くらいはタダにならないと
3 国は住む人が好きなところで過ごせるようにしましょう
国籍が選べない?変えるのが難しい?二つ三つなんてケチ臭い、100も0も可能にしよう
国家運営は、権力を行使して富を集め、拡大や保全に充てるのが目的。
ともすれば、国民をギリギリまで虐げて搾取することで、運営に有利になる。
そこで、国が国民を資産として保全する動機付けが必要になるが、司法が独立しなければ憲法だけでは不十分で、市場経済の概念を導入する必要がある。
つまり、人々にとってより良い国への移動を自由化しグローバリズムを実現することで、国家を抑制し、世界中の虐げられる国民がいなくなるのだ。
EU「それな」
夏と冬の温度差が極端になって、春と秋が無くなっていく。
極端な気象現象が増えて台風や竜巻、豪雨、逆に豪雪の被害が増える。
日本列島が亜熱帯化して疫病が北上したり、危険生物が上陸してくる。
去年も今年も地球温暖化によってこうなるって予測されていたことがどんどん現実になってきているよね。
夏は38度前後の暑さが何日も続くのが普通になって何人も死んだ。関東では強力な台風が上陸して人死にも出て大変だったけどこれからはこれが普通になってくだろうね。
地球温暖化で気候帯が変化すると、その結果更に二酸化炭素を吸収する植物が枯れるからこれからは加速度的に気温が上がっていくと予測されている。
それなのに世間はストローだのなんだのどうでもいいことで騒いでほんとに頭の中が平和だったよな。
地球温暖化は嘘だとか言ってた人が黙るのはまあわかるけど、だれも地球温暖化のこと話題にしなかった。
1990年代後半の方がまだ話題になっていたのになんでだろうな。
IPCCのデータは本当かどうかわからないから対策はしなくていいって?
もし本当だったら死ぬのは自分たちじゃなくて自分たちの子供世代だ。
本当かどうか科学者に聴いてみるべきだな。
これからどうなるか一番現実的なシナリオは、地球環境が悪化して人間の活動が大打撃を受けるとその結果経済活動が減るから二酸化炭素排出が減少して地球環境がだんだん回復してくる。
でもそれだと人が沢山死ぬしヤバすぎるからなんとかソフトランディングさせる方法を実行に移さないといけない。
それに温度上昇が一定の幅を超えると、それ自体がフィードバックして(具体的には異常気象や山火事などで植生が枯れて)更に温暖化のスパイラルが進むから人間がいなくなるまで温暖化は止まらないかもしれない。
環境問題は危機的状況にあってその被害にあうのはより若い世代だ。
これは事実だ。
これでなんで「私は騙された。裏切りは許さない。この状況を理解していて行動を怠り続けるなら、あなたは悪だ」
というのが過剰な表現ということになるのか。
どう考えても図星をついている。
国連総会で演説されたグレタさんの話題を耳にして、思う所があったので雑記。
グレタさんの主張は詰まる所
「自分たちだけが良い思いをして、そのツケを将来の世代に押し付けるな!」
という話になるのだと思うけれど、
この手の話って突き詰めれば「科学技術・工業活動をやめよう」にしかならないと思う。
人間活動の持続可能性を鑑みた際の最大の難題は、資源の枯渇、すなわちエントロピーの増大であり、
科学技術はこの根幹的な問題との相性が致命的なレベルで最悪であるから。
逆に、何故地球温暖化は昨今これほど脚光を浴びているかと言えば、それが環境ビジネスになるからだろう。
環境問題は「将来のことを踏まえてやめよう」と言っても金にならない。そういうものは見向きされない。
逆に「将来のことを踏まえてこういう技術を取り入れよう」は金になるから、ビジネスの大義名分としてもてはやされる。
その点、エントロピーの増大問題は、工業活動を停止させる以外に解決方法はない(現状の技術学術では
もし明日、何かの奇跡で地球温暖化問題が解決しても、熱死の環境問題は何も解決せず、
グレタさんの言う所の「自分たちだけが良い思いをして、そのツケを将来の世代に押し付けるな!」という構図は変わらない。
そういう根幹的な部分を避けた環境問題云々の議論を見ても、ポジショントークの衝突にしか映らないし、
グレタさんも正直、博士号を取得している訳でもない以上、思い込みの強さから担ぎ上げられたジャンヌ・ダルクにしか見えない。
現状の地球温暖化政策を単なる延命治療や子供騙しと揶揄するなら、その本質は地球温暖化が解決した所で何も変わらない。
どんな在り方も一興。
なんか最近の電子決済界隈を見ていると、経済活動が制御できてるように思えないんだけど。
政府って補助金だの何だので経済の流れを決めていく役割でしょ?
ちゃんとやっていただけてるのかしら。
教えて詳しい人。
eスポーツがスポーツとして好きならそりゃ見たり選手に興味持つだろうけど、経済活動への新鮮な刺激として求めてるのでありゲームに興味ない人が、ファンみたいに観戦しろと言われても困るでしょ。
いい感じでカネが回って経済が活性化してほしいわけで、そのために興行として盛んになるために諸々自由化して、賞金バンバン出すしプレイヤーもバンバン稼ぐようになってほしいだけなの。
だから業界動向がニュースとして話題になった時に興味は持つけど、試合に興味はない。
実際の試合で誰が勝とうが負けようがどうでもいい人に、ファンになれといっても無理。
まあそういう人もファンが騒いでカネが動くドラマチックな勝ち負けになってはほしいから、話題になる試合があったら「素晴らしい!」とは言うけどね。
20年以上前の話になるんですが、学生時代は環境問題に興味があって、そういうディスカッションに多く参加してたんですね。
時代感としては京都議定書があり、リベラルな人たちが多くそちらに流れていた頃でした。ドイツでは緑の党が大躍進していたり。
今も同じかもしれないけど、環境問題にはディープエコロジスト(生態系を守るためなら、人類が停滞または全滅してもかまわない)という思想と、
シャローエコロジスト(環境問題に対応することが、長い目で見れば人類(含む経済活動)にとって有益である)という思想があります。
私はシャロー側の人間で、世間一般でいうエコっていうのもこっち側だと思います。
たとえば、エンジンの燃費を上げることは同じガソリン量で長く走れるわけなので、シャロー側ではエコだし、ディープ側ではそもそも車なんかに乗るんじゃねぇという話になるわけです。
で、こういう議論をしていくと、ワークショップやらパネルディスカッションやらでは、大体いつも同じオチになります。
たとえば、「効率主義(=新自由主義)に飲み込まれない社会をつくるべきだ。」などなど。
大体、何度か参加すれば金太郎飴であることがわかるので飽きてきます。
で、同じくよくあるオチが「我々のライフスタイルを変えていく必要がある。」みたいなやつで、
この現代的なライフスタイルを支えているインフラは何かといえば、コンビニであるという話だったんですね。
そのため、大量消費・大量廃棄のシンボルであるコンビニの今後はどうあるべきか、というのがよくディスカッションのテーマでありました。
で、ディープな人たちはそもそもコンビニ自体が悪なので、江戸時代に戻れとか言って、お話にならなかったのですが、
その当時よく言われていたことは、コンビニは24時間店を開けていることが(経済的にもエコ的にも)効率的なのだという話です。
多くの電力は冷蔵庫・冷凍庫に使われており、電源を入れたり落としたりできないので、そうであるならば開けていた方が得だという話でした。
このあたりの細かな数字は忘れましたが、とあるコンビニ大手の人も来てくれて、正確な数字を出してくれていたように思いますし、
私個人では、大都市近郊の、または地方都市の主要幹線道路沿いのコンビニではそれが成り立つのはわかるけど、
日本全国すべてのコンビニが開けておいた方が効率的であるという言説は懐疑的でした。
すったもんだがあり、金太郎飴の議論にも飽き、就職後はこの手の議論からさっぱり遠ざかってしまいましたが、
当時あれだけ難しかったコンビニを変えようという議論が、どちらかというと労働者問題やフランチャイズ問題から動いていることは
驚くばかりです。業界の王であったセブンイレブンが近年これほどまでにヘイトを集めるなど想像もできませんでした。