はてなキーワード: 矯正とは
当方男だが、男もそうだぞ。
俺は天性の不細工で、全高頭27の巨頭には重たい一重と、剛毛で縮れて黒光りした陰毛(学生時代のあだ名はチン毛)の様な髪の毛と、ガチャガチャな歯並びが搭載されていた。
そりゃ学校でゴミみたいな扱い受けたよね。勉強どころじゃなかったし、学校なんてコンプレックスを助長させてブサイクの精神を破壊する糞みたいな処刑装置だと今でも思ってる。
話が脱線した。
偏差値38の高校を出た俺は働き出してからすぐに期間工に就職した。高卒にとって金のいい仕事だったからだ。キャリアなんて考える余裕無かったし、今を生きるのでいっぱいいっぱいだったし、人と関わるのが死ぬほど怖かった。
2年ほど務めた後に任期満了金含めて400万近く貯金できたので、二重の全切開と歯列矯正をした。短く刈り込んだ髪の毛は伸ばして縮毛矯正をかけた。縮毛矯正はくせは伸びるが真っ直ぐになりすぎるのと、連珠毛のようなボコボコした髪質でもあったので、特有のザラついた縮毛矯正ヘアーになってしまう。その為、縮毛矯正で真っ直ぐにした髪の毛にヘアアイロンを当てて癖をつけるアプローチをとることで、ナチュラルな髪型に近づくことができた。
さて、ブサイクの見た目がある程度マシになるかとどういうことが起きるか、という点だが、女に滅茶苦茶モテる。ということはあまり無かった。業務上で引いたような愛想笑いで対応してくる子は過去にいたが今では普通に笑いかけてくれて、業務の間に気兼ねなく雑談を振ってもらえるぐらい受け入れて貰えるようになった。
大きな変化があったのは同性からの変化だ。ブサイク時代は同世代の男からとりわけ舐められていた。というより不細工なら何をしてもいいと思われていたというべきか、人間として勘定されていなかった。新人を蚊帳の外にする職場かと思ってたが、後輩が歓迎されていたのを見て、ああ、俺はそういう人間なんだなと理解出来た。どこに行ってもそうだった。所がな、聞いてくれよブサイクども、見た目が人間になってから転職した途端、普通に人間として扱ってもらえるようになった。ビビるよな、昼飯一緒に食べないかとか声かけられんだぜ、飲みに行こうぜとか誘われんの創作の話だけかと思ったわ。男女問わず飲んでるそのお酒気になるから1口ちょうだいとか言ってくんの。本当に俺が今まで居た世界と同じ世界線の話なのか?ってなったよ。そして職場内のブサイクに対してはどこか線引きして対応してんだよ。ああ、俺はやっと受け入れられたんだな。って思った。嬉しさと悲しさでグッチャグチャな気持ちになったよ。
小学生低学年の頃の増田は男勝りで(ほんとに男の子みたいな見た目で)、いっつも男の子とふざけ回ってるタイプだったんだけど、
一緒に遊んでた男の子の内ひとりから「ブタゴリラ」ってあだ名で呼ばれてたんだよね。
その時は別になんとも思ってなかったんだけど、学年が上がるにつれて段々気にするようになってきたんだよ。
でも別にその子だって私のことをめちゃくちゃいじめてやろう!と思って言ってたわけじゃないだろうし、ほとんどその男の子だけに呼ばれてたあだ名だから単なるおふざけだったんだろうけど
中学生になってブタゴリラなんて全く呼ばれなくなってもずっと「あー自分の顔って豚とかゴリラみたいなんだろうなー」と思って過ごしてた。
結局大学生になって一人暮らし始めてからバイトするようになって、バイト代を整形に使うために貯めるようになったんだよ。
最初はメジャーで安くてダウンタイムの短い二重埋没、その次に目頭、とやって
目がマシになったらやっぱり豚鼻が気になってきたわけで。
でも鼻は高いしダウンタイムも長いからなー…と思って渋ってたけど、
整形垢でその頃アデノイド顔貌を知って、自分って鼻なくて口が出てて顎もないからこれじゃん!となってやっぱ最終的には鼻もやったんだ。
口ゴボは大学卒業して就職してから歯列矯正して直すことにして、今もまだリテーナーつけてる。
最終的に顔面には260万くらい(うち矯正代は親も出してくれた)かかった。もういいかな〜とおもってまあまあ満足してる。
でもこの間Twitterで「アデノイド」でパブサしたら(まだ気にしてたから…)、『チー牛顔とか簡単に言うけど、アデノイド顔貌かもしれないし馬鹿にするなよ(意訳)』と出てきて、
増田が「自分はアデノイド顔貌かも」と思ったときはまず「だから直さなきゃ」ってなったから、この考え方にはちょっと衝撃を受けた。
でもよくよく考えたら、顔のこと馬鹿にしちゃいけないってことは当たり前だったはずなのに、
1年半ぶりに髪を切ってきました。
そもそも私はマジで美容室が嫌いで嫌いで嫌いでここ数年好きなアイドルのコンサート前にしか美容室に行ってなかったんですけど
それでもコロナ前は絶対年1以上のペースでコンサートがあったので定期的に髪切れてて(アイドルにマジ感謝)だったんですけど
そんな私が今回髪を切りに行ったのは、家のお風呂が壊れたため仮設風呂のクソよわ水圧シャワーで長い髪を洗うのが面倒すぎるという理由です。
でせっかくバツンと切るんだったらヘアドネーションしたろと思って、ヘアドネーションのサイトから探した初めてのお店に行きました。
マジで予約の電話するときもお店入るときもクソお腹痛くて我ながら(本当に嫌なんだな…)と思った。(本当に嫌なんだよ…)
最初に問診みたいな感じで髪を扱う習慣についていくつか質問されて(下手言うと怒られるやつだ…)と思って嘘つきながら答えたんですけど、
「最後に美容室行ったのいつですか?」て質問にはどう短く見積もっても1年だったのでびくびくしながらそのように答えた。
しかし思えばその時から担当のカワィィお姉さんは怒りもせず呆れもせず(してたのかもしれないけどそれはおくびにもださず)フムフムって聞いてくれていたのだった。
鏡の前の椅子に掛けてひとつ結びにしていた髪を解くと毛先が椅子の肘置きのところくらいまであって(そんなに長かったんだー)て他人事みたいに思った。
同時に、それだけ長い間放っておいたんだと一目で分かる長さだと思って恥ずかしい?居たたまれない気持ちになった。
ヘアドネーションは31cm以上の髪だけを送れるのだけど、お姉さんは「これなら余裕でとれますね~」と言ってサクサク切ってくれた。
マッサージしながらのシャンプーも気持ちよかったし、肩くらいまで短くして(たぶんトータルで40cmくらい切ったと思う)とてもすっきりした。
絶賛無職なので「お休みなんですか?」とか「お仕事何してるんですか?」とか聞かれたらどうしようと思ってドギマギしていた私に、
お姉さんは業務上の言葉以外は何の話も振らずに、静かにただ髪を切ってくれた。
最後に「くせっ毛、好きですか?」と聞いてくれた。
何を隠そう私は己の半生以上を天パいじりと共に生きてきたのだ。
人からいろいろ言われるのが嫌でストパーや縮毛矯正をしていた時もあったけど、
だんだんそれも面倒になってケアもおざなりになって(普通にケア不足は私の努力不足なのでなんか因果100ではないんだけど)
何か言われても「嫌だけどまぁどうでもいいや」と思うようになっていた。
お姉さんは「私はすごくいいクセだと思います」と言って、簡単なスタイリングの仕方を教えてくれて、実際にやってくれた。
帰り際には「スタイリングで分からないことあったら何でも電話してください!」って名刺をくれた。
なんか美容室のお仕事として当たり前というか普通のことなのかもしれないけど、私はすごくすごく嬉しかった。
今まで美容室に行くと、カット中に顔の角度を何度も何度も修正されたり、シャンプー後に30分くらい放置プレイ決められたり、
普通に雑誌読んでたら「めっちゃ読み込みますね(笑)」て言われたりしてきたのだ。
身動きひとつにすごく気を遣って、何の雑誌を読むかも監視されているようで、知らない人と話をするのも苦痛で、
なりたい姿もやりたい髪型もなくて(あるいは私がそれを言ったらバカにされるんじゃないかという怖さがあって)、だから私は美容室が嫌いだった。
不快なことが一度もない美容室があるなんて、今日の今日まで知らなかった。
それどころか気持ちよくシャンプーしてもらって、褒めてもらって、鏡を見たり自撮りをするときに思わず笑ってしまって、
ここに来る前より自分のことが好きになっていて、私は美容室という場所の素晴らしさをようやく知った。
ちょうど昨日、友達と会ったのですが、ある話の流れで友達が「〇〇って芸人さんがね、すごいアゴが出てるんだけど、学生時代1回もいじめられなかったんだって。いじられる愛されキャラだったんだって。そういうのってさ、自分の意識の問題だよね。」って話をしていて、私はマジで「………」になってしまった。
私だって確かに「いじられる愛されキャラ」だって思ってきたけれど、本当はいじめられていたのかもしれないのだ。
「いじめられていた」、と思うより「いじられる愛されキャラ」だって思っていた方が傷つかないから、惨めじゃないから、苦しくないから、無意識にそう思い込んでいただけかもしれないのだ。
でも自分がどう思おうが、どう捉えようが、自分が受けた仕打ちは変わらないじゃないですか。
ふわふわの、ぼさぼさの、私の髪のことを揶揄した人はたくさんいて、私がそれにどうやって返していたのか思い出せない。
10年経って今でも会うような友達の中でも、私を揶揄った子がいる。(別に今それを恨んでいるという話ではないんだけど、いじめっ子といじめられっ子ではない友達同士でも当たり前に拳は振るわれていたということ)
いつの間にか何を言われても曖昧に笑って流すようになってしまったな。
何ていうか髪以外のこと、例えば私の生き方に関することや、おっぱいの大きさに関することで揶揄われたときには
「そういうことを言わないでください」「あなたにそういうことを言われる筋合いはありません」とちゃんと言い返すことができるし、
そうしているうちに私につまらないことを言ってくる人は周りからほとんど消えたけど、
どうしてか髪のことはずっと曖昧に笑って流してきた。
どうしてかというか、私は髪のことを痛めつけている自覚があったし、大事にしていないと分かっていたし、自分だって好きじゃないし、
そういう風に言われても仕方ない、そういう風に言われるのは当然のことなんだ、という気持ちがあった。
今日が初めてだった。
他人が私の髪を「良いクセですね」と言って、そして私自身も良い!と思える形で見せてくれたのは、本当に初めてのことだったのだ。
これまでだって「外国人みたいで良いじゃん」と言ってくれた人が、いたにはいたんだけど、
私は本当に卑屈なので(皮肉…?)(嫌味…?)(良いわけね~だろ)(なんの苦労もせず直毛の人間は黙っとれ)などと思っていました。(口では「ありがとうございます^^」と言っていました)(最悪)
鏡を見て、私も「確かに、良いかも!」と思えたのが、本当にスゴいことだと思う。
今日こちらのツイートを拝見しまして、今まで私って自己肯定感バリ高だと思ってたんだけどもしかして全然違いましたか・・・・・?????になっちゃった。
https://twitter.com/job_rinu/status/1412011094512603141?s=20
なんかそもそも私の自己肯定感の高さって22歳の頃に「人はそれぞれ違う」ことを完全に理解したことに由来していて、
人はそれぞれ違うんだから、私がどれだけクソだろうがクズだろうが、それで良いんだ!!!!!っていう肯定感だったんだけど、
それってもしかしたら、私が自分のことをクソだとかクズだと思っているというゆるぎない証拠だったのかもしれません。
自分のことを大事にするっていうことにはまっっっったく取り組めていなくて、いつまでもセルフネグレクトをし続けていて、それがもしかしたら私の無意識の呪いだったのかもしれません。
ということに気づけたのは間違いなく今日美容室に行ってあのお姉さんに髪を切ってもらえたからでした。
お姉さん、本当に本当にありがとう…
おっぱいの話で思い出したけど、私の新卒時の同期は私含めて6人いて、1年目2年目はまぁそれなりに仲良くてみんなで休み合わせて遊びに行ったり飲みに行ったりしてたんだけど、
一人の女の子が私のおっぱいが小さいということを結構しつこめに揶揄してきたときがあって、私は「いえ、すべてのおっぱいに平等に価値があります」「どの大きさが好きかというのは人それぞれなので、価値も人それぞれです」と答えていたんだけど、
そろそろしつこいな~と思ってたときに、他の同期がその女の子にちゃんとみんな揃って「言いすぎだよ」「しつこいよ」「もうやめなよ」って言ってくれたことがあったんですよね。
おふざけだろうが何だろうが他人の身体や属性に対して攻撃したり揶揄ったりすることはそもそもクソなんですが、そういう場面を見かけたときに、「それは間違ってる」「良くないことである」とちゃんと指摘できる人間がいる心強さよ…
自分も誰かに対してそうありたいし、自分自身についても、ちゃんと大事にしていきたい。
クソでもクズでも良い!っていうのは確かに救いだし、ぬるま湯だし、セーフティーネットだし、私がダメダメなのは本当にそうなんだけど、
私だってまるっきりダメなわけじゃないし、価値があるし、その価値をこれからいくらでも磨いていけるし、既に私を大事にしてくれている人たちのためにも、磨いていくことを諦めちゃいけないんだって、忘れないようにしたい。
松ってそんなに良いものかね。たしかに植木なり盆栽なり手間をかけたならば他の木にはない魅力が生まれる。でも、枝ぶりを矯正し続けてはじめて得られるゆがんだ美は、そんな称えられるようなものだろうか?
普通に植わっている松を見て、ああこれは松の木だな、なんてまず思わない。下に落ちている松ぼっくりから類推して松の木であろうと思うだけ。食べられる部位も松の実くらい。身近にある松は安価なパイン材。松はせいぜいこんなものだろう。
それならば、手間をかけずとも真っ直ぐ天を目指して伸びる竹のほうがよろしいと俺は思う。繁殖性の高さは玉に傷だが、手頃な刃物があれば誰でも加工できるし、青竹の香りの清々しさときたらこたえられない。筍もうまい。
というか、松竹梅で梅が一番下なのはあり得なくないか。花の可憐な美しさは誰もが理解できるし、漬け物として特別な地位をもつ実がある。普通に考えてこれが一番上ではないのか。皆も本心ではそう思ってはいないか。「松竹梅」がランクをあらわすと知ったとき、梅が一番上だろうと皆思ったのではないか? 松が一番上なのはおかしいと最初は思ったのではないか? 世間に慣れていくうちに松が最上だなんて刷り込みが完了してしまっただけではないのか。
悩んでいるようだから、あえて大変に身も蓋もない話をすると、
これらに加えての中身だよ。
顔なんて、どんなかわいい子でも、電気消してしまえばおんなじなの。
目をつぶればおんなじなの。
バックですればおんなじなの。
何が大事かって、
抱き心地・触り心地がいいかだけなの。
あえぐ声が心地いいかだけなの。
綾瀬はるかさん夏帆さんとか、決して美人じゃないけれど、まさにこれだよね。
新垣結衣さんなんかも、決して美人じゃないし、おっぱいもそんなになさそうだけど、
あの程度を抱き心地がいい、触り心地がいいと感じる人はいっぱいいるから。
目や鼻はどうでもいいよ。
ボイストレーニングをして声のバリエーションを増やすことはおすすめだよ。
いろいろ書いたけれど、全部無視してもいいよ。
そして、「私を好きにならない方がおかしい」って思い込むことだよ。
鏡に写った自分を見たら、泣くのではなく、にっこり笑いかけるといいよ。
そうすると、鏡の自分もにっこり笑うでしょう? その子、とってもかわいいよ。
一重をチャーミングと感じる人はたくさんいるよ。
歯並びが悪いことをチャーミングと感じる人もたくさんいるよ。
低い鼻をチャーミングと感じる人もたくさんいるよ。
でも、顔に勝手な劣等感を持って周囲と比べて卑屈になる性格をチャーミングと感じる人はいないんだよ。
そうだ、大事なことを一つ書いておくよ。
もう一回書くよ。
劣等感とか卑屈さとかは、そういう奴を引き寄せることにか働かないよ。
持ち続けるのだったら、人との交わりを捨てるかのどちらかだよ。
人は中身だよ。
人は性格だよ。
結局世の中は顔。本当に顔。「顔より中身」とか言ってるヤツほど信じらんない。顔ありきの中身だろ。適当なこと言ってんじゃねー。
先日、初対面の男3女3で集まる機会があったのだが、もうそこで私の精神はズタボロになった。
元々顔面コンプがあった私は大学生になってからなんとか頑張って垢抜けた。つもりだった。全然垢抜けていなかった。
嬉々としてその場に参加した私。もう、周りの女の子のレベルが高すぎて本当に穴があったら入りたかった。楽しく写真なんか撮っちゃったものの、見返すのも嫌になるレベルで自分のブスさ芋さが酷い。このご時世でマスクをしているのにマスク越しでも伝わる気持ち悪さ。なんというか、もう本当に可愛くないのが一目見てわかる。
何より辛かったのが「遠回しに可愛くないこと」がわかる状況。もうストレートに「お前ブスじゃね?」とか言ってくれた方が100万倍マシだった。他の子には恋人の有無を聞いたり、可愛いですねって褒めるのに自分にはそれがない。別に期待してた訳じゃないけど…いや、してたのかな。それが一切ないってことはつまりめちゃくちゃブスってことなんだよね。ガチでブス。ブスすぎる。
なんかもう本当にその場にいるのが申し訳なくなったし男性も可愛い女の子と喋ってたいだろうから少し下がって会話に参加しないようにしてた。でもそれが逆に気を使わせてしまったようで、女の子が私に話題を振ってくれたりした。優しさが痛かった。取り敢えず「お笑いポジション」につければなんとか良いかなと思ってテキトーな事をぺらぺら話すもビミョーな空気になる。死にてえ〜(笑)
その場にいた男性からどう思われるかどうかは正直二の次で、自分がなんとか普通レベルのビジュアルに持っていけてると勘違いしてたのが本気でショックだった。都会のJKの方が100億倍垢抜けてるし可愛いしお洒落だし清潔感あるし…。何より女の子たちに申し訳なかった。とても良い子達だったから。ブスだからってハブったりするような子じゃなかったから。可愛い子って気持ちに余裕がある子が多い気がする。可愛い女の子大好き。私もその顔に生まれたかったな。
帰宅してから本気で病んで自分の顔面をマジマジと鏡で見た。取り敢えず死んだような重い目をどうにかしなければいけないので二重は切開しようと決めた。低い鼻もお金ためていじりたいな。歯並びも矯正したいな。お金が必要だな。醜い顔。泣きたい。泣いてる。つらい。
顔の良い女はそもそもの土俵が違うんだもん。いいな。私もその顔がよかったな。ちやほやされたかったな。世の中顔なんだよね。
もう本当に顔面コンプが辛すぎて書き殴った。日本語おかしいとかわかってるから。ただただ辛いだけだから。平安美人って本当に存在したのって思っちゃう。あーあ。目が覚めたらぱっちり二重になってないかな。お人形さんフェイスになってないかな。
僕は多分、自分の周りの世界を正しく認識できていなかった。そして、それは雰囲気で仕事を行うことに繋がっていた。
これは、決して目の前にある物を正しく視認できない、という事でもないし、また他人の気持ちを正確に読み取れない、というものでもない。
勿論、僕は他人の気持ちを正確に汲み取れてなどいないのだが、とにかくそういう事ではない。
この問題を感じたのは、ずっとずっと前のように思えるが、実際には7年前に社会人になった頃だった。社名や業種は公開しないが、サービス業の営業部門、企画的な仕事を行う部署に配属された。
そこでは、施作自体は他社の後追いに過ぎないものが過半であったが、淀みなく施作が企画・提案・実行というレールに放たれていた。僕はそういう環境に身を置きながら、少しだけ自身とのズレを感じ始めていた。
先輩や上司は一体どのような思考で、施作を考えつき、実行しているのか、全く分からなかったのだ。
僕は少し悩み、飲み会(!コロナ前は普通だったのだ)で相談してみた。すると、まあ当然なのだが、慣れや経験不足を指摘された。
しかし、違和感は、僕の中で、夏の空に浮かぶ入道雲のように膨らみ続けた。成層圏にたどり着いたある日、突然、僕の心を揺さぶる稲妻の如き結論を叩きつけた。
僕は何も考えてなどいなかったのだ。
いや、正確に言うと、僕は所属する組織のビジネスを巡るマクロ環境、顧客の動向への知識が浅すぎて、考える事などできなかったのだ。
「何をバカな事を。」、「お前が仕事できないだけだろう。」など読者諸賢に於いてはそうした罵詈雑言を僕に投げかけることだろうが、甘んじて受け入れよう。
僕は、つまるところ、少しはデキる奴だと信じて生きてきたのだが、そんな事はなかったのである。
これは、僕が、自分がデキる奴だと思い込んでいた痛い奴というだけの簡単な問題ではない。
なぜか。
その答えは単純である。
僕は、違和感を持ち続けてこの自身の問題に気付いた。しかし、それは矯正されずに過ごせてしまったということの裏返しでもあるのだ。
もちろん、出世はしにくいのかもしれない。だが、クビにはならないだろう。驚くべきことに、僕の評価は過去上位を保ち続けたのである。
会社という、何らかの利益を出さねばならない環境においても、雰囲気で仕事をすることが許される。これは考えようによっては恐ろしいほどに顧客への冒涜だろう。顧客は我々に、プロとしてのサービスを期待しているのだから。
にもかかわらず、僕はあるがまま生きてきてしまった。
もしかすると、大半の人はこの問題、つまり世界をきちんと認識して、それを仕事に活かす、ということをしているのだろうか。
それとも、一部の人だけが考えており、大半は雰囲気で仕事をしているのだろうか。
いずれにしても、僕は冷や汗で気持ち悪くなる。
気付かずに過ごしていたら、僕はどうなっていただろうか。気付いたとして、僕は一体どうしたらいいんだろうか。
「50歳と14歳で同意性交、捕まるのはおかしい」発言、四方八方から叩かれているけれど、これはとてもよいことだ
50歳と14歳で同意性交できるのはおかしいとか性的同意年齢を引き上げるべきだ、なんてネットで主張すれば、やれ子供とも同意で性交できるべきだ、若さに嫉妬したフェミがどうのこうのと騒ぐ輩が必ず湧いてきた
でもその手のアンチフェミ層は何故か自民党が大好きで立憲民主党が大嫌いだから、その大嫌いな立憲民主党議員が「50歳と14歳で同意性交、捕まるのはおかしい」なんて言い出すと、逆張りして叩いてくれる
結果、フェミもアンチフェミも口を揃えて「性的同意年齢を引き上げるべきだ」で論調が一致する珍しい状況になった
彼らは大嫌いな立憲民主党と反対の意見を持ちたがる。だから立憲民主党議員においてはどんどんトチ狂った失言をして欲しい。その度にアンチフェミの人格が矯正されるだろう
僕は実家とは絶縁をしている。実家がどう思っているかはわからないが、とにかく僕の意思で絶縁状態を保っている。
なぜかと言えば妻や子供、ひいては妻の実家等々と本当に性格や考え方等々が合わないからだ。
結婚当初からお陰様で妻とは仲が良い方なのだが、だいたいの喧嘩の原因は僕の実家が絡んでいた。
「子供に○○○なことを言った」だの、「普通は○○○するよねー」だのまぁ普通のことだ。
それに対し少しでも実家を擁護するような内容を含ませる発言をするとまず喧嘩になる。
なので、そのうち同調して批判するようにしていったのだが、そのうち実家の矯正を求めてくるようになった。
そうなってくるとなかなか対応が難しくなる。そういうのすらもうまくやれるのが夫のスペシャリストなのかもしれないが、僕には無理だった。…なのでスッパリ切った。
だからまぁ自分のためなのだ。切ってからもう何年になるだろうか…?10年ぐらいは経っただろうか…なんか忘れちゃったなぁ。
詳しい体験談ありがとう。こういう有用な知見が得られるから増田は侮れない
腸腰筋とは上半身と下半身を繋ぐ筋肉。腰の上の方から股関節にかけて、体の中心についている。後述する鍼の先生から腰痛の原因はこの筋肉にあることが多いと聞いて始めてみた
やり方は足を前後に開き、伸ばしたい方の足の膝を地面につけて片膝立ちになる
この状態で前に出ている膝に両手を置き、膝をつけてる方の足の股関節の前側を伸ばす感じで体重をかけていく。地面につける方の膝の下にはクッションを置くといいかも
けっこう痛いが、腰痛の改善については即効性があると感じている
・腰方形筋ストレッチ
腰方形筋とは腰椎から骨盤にかけて付いている筋肉。姿勢の安定に重要らしい
やり方は立った状態から伸ばさない方の足を前に出して交差させ、両手を上に伸ばし、伸ばしたい側とは逆方向に体を倒していく。ちょうど両手で大きく「C」を描くような感じだな
けっこう難しいので、俺は下になるほうの手で椅子とかを掴んでバランスを取っている
こっちは痛みは少ない。むしろ固まっていた筋肉が伸ばされて気持ちよく感じる
まあ要するに運動だな
ウォーキングは日の光を浴びれる、目を休めることができる、運動強度的にも楽といいことづくめでぜひやったほうがいい
やる前は腰痛があっても、30分ほど歩くと筋肉がほぐれてきて楽になってくるのを感じる
とは言っても外に出るのもダルイ時もある。そういう時に活躍するのがサイクルマシン
今どきは通販で15000も出せば十分なものが手に入る。テレビを見ながら30分も漕げば汗ビッショリ、腰にも熱が戻ってくる
・鍼治療
そちらも言われる通り鍼や整体は腕前もピンキリで、その時は気持ちよくても次の日になれば元通りになることが多い
俺の場合はたまたま近所に腕のいい鍼の先生を見つけることができただけだから、再現性はあまりない
それでも腕のいい人は本当に腕がいいので、近場で探してみるといいかも
・バックジョイ
姿勢矯正用の硬質な座布団のようなもの。俺は座り仕事なので、これは助かった
座ると自然と腰がS字になり、負担を軽減してくれる。腰痛には中々効果があると感じている
正規品を新品で買うと中々高いが、メルカリとかなら中古品が半額ほどで手に入る
合わなければまたメルカリで売ればいいから、試してみるのもいいかも
・筋トレ
体形が崩れるのが嫌だから今でも続けているけど、強度や回数は控えめになったな
・ストレッチポール等のほぐし用品
恋煩いと言えば聞こえは良いが
こうなるともう普通の人付き合いが成立しない
お互いにいい結果になることはないだろう
真の問題はストレス源から離れられないというか、離れて行く先がないことだ
良心的な人が居たとすれば矯正的に離れさせるのかもしれないが、やはりその先がない
地獄へ進むか虚無へ後退するか
ただ一緒にいたかっただけなのに、決定的に既に壊れている
俺はいつもこうだ
人として色々と欠落している
まともに人を愛せないし、誰からも愛されることもない
道を歩けば全員振り返ったり、TikTokで可愛い友達枠として出演しおすすめにのるような顔ではない。しかし、別に『ブサイクの写真貼ってけ』みたいなスレで貼るほどブスではないし、おっぱいも盛れば視線をゲット出来るくらいはあるし痩せ型だし、むしろ狙えば大抵の人と付き合えるくらいの容姿はある。しかも声も喋り方も可愛いので、外見とかイメージみたいな部分でさほど苦労はしない部類ではある。
でもお笑いキャラっていうのはよほどな才能がない限り、顔が良くないとか、声が低くてしゃがれてるとか、そういう特徴がないとなかなか難しい。私の顔とこの女の子らしい声では、みんな『面白いこととか言わないしツッコミとかしたら壊れちゃいそう』みたいなイメージを勝手にもたれて"おもしろの振り"を全く貰えないし、自分からボケても『え…どしたの汗』みたいな反応をされてかなり辛いのである。
私はどんどんボケたいしツッコミされたいし…イジリも歓迎だし。
でも世間は、私のような女の子には、常に微笑んで男性からのボケにはあはは…と口に手を添えて笑い、動きのあるボケにはちょっとびっくりし、下ネタ寄りの話には恥じらい、流れ的にツッコまざるを得ない時には『なんでぇ〜』と特に内容のない言葉を発し、ちびちびとカシオレを啜り…ということを無限に求めてくる。
だから私は、大好きなカシオレを封印し、永遠にビールを飲み続け、声を出来るだけ低くし、うんちちんちんという下ネタには爆音で笑うようにした。私は、あなたたちが思っているような人ではありませんよ、ということを示すために。
でも、それにもなんだか疲れてしまった。
どうすれば、私のことをお笑いキャラと認めてイジったりボケを振ってくれるの?
お笑い芸人も結局は同じで、よほどの才能がない限り女芸人は太ってるとか突き抜けたブサイクとかがないと難しい。言わずもがな、声も可愛いだけじゃ全くダメで、可愛い系なら嫌悪感を催すような行き過ぎた声じゃないと難しい。
お笑いライブをして渾身のネタをしても、アンケートの半分くらいは、私が可愛かったとか、声が可愛くて好きとか、いつもそんなのばっかり。一応褒める言葉ではあるので、周りは良かったね!と言ってくれるけど、別に嬉しくない。
しかもお笑いの世界というのはゴリゴリのホモソーシャルなため、他のコミュニティより、私にお花のように居ることを求めてくる。多少はお笑いに寄った話ができても、芸人同士だとみんな面白い奴ポジションを勝ち取ろうとするので、相対的に女であり可愛い私はお花のようなポジションに無理やり追いやられるのだ。
また、ここでもか…と、悲しくなった。
私はこの可愛いというディスアドバンテージを埋められるほど才能がなかったので、芸人を諦めた。
可愛いなら、それを武器にやればいいじゃんと言う人もいると思うが、だいたい女芸人というのは、
顔が可愛い→声が汚い
声が可愛い→顔が汚い
のどっちかではないだろうか?
どっちも可愛い私には無理だった。
何度も言うが突き抜けた才能があるなら別だ。
しかし、男社会であるお笑い界でやっていくには、上記のどちらかのイメージを勝ち取って『女捨ててます』アピールをしないと、芸人のくせに色付きやがって…と間違いなく言われるし、なによりもあと単純に客が笑ってくれない。
だって可愛いんだもん、お花みたいにニコニコしてて欲しいよね。
激しい例えツッコミとかして欲しくないよね。
わかるよ、その気持ち。
でも、自分としてはこれが辛い。
しかも、可愛いから成功できない…なんて言うのは口が裂けても周りに相談できない。
その後、アイドルは全員つまらないのでアイドル界でお笑いポジを目指すべくアイドルデビューすることになるのだが…これはまた別のお話。
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皆様コメントありがとうございます!思うところを書きます
A: その通りです。それは何度も書いてますが、その方には容姿云々が霞むほどの才能があったはずです。
芸人とかアイドルとか色々芸能の道を目指したことが経験があり思うのは、ある程度成功する人って才能があるんですよ。
滑り芸も才能の一つですし下ネタで笑いをとれるのも才能の一つです。
よければ下北とかでやってる小劇場の駆け出しのお笑い芸人のライブ見に行ってみてください!
めちゃくちゃ面白い人たくさんいて、何で売れない??と思う人もたくさんいます。
思うんですが、例えばお笑い芸人は面白いだけではスターになれません。運とか、カリスマ性とか、時にはお金とか学歴とか…そういう面白い以外の部分もある程度重要になってくるんです、そういうのを全部ひっくるめて才能と呼ぶのが良いのではと考えています。
そういう"才能"がある人は可愛くても売れます。
でも、才能も無くて、何もなかった私は売れませんでした。
これまでの経験とか、言われた言葉とか、全部ひっくるめると、中途半端に可愛かったのが足枷になったと思わざるを得ないのです。
A:その通りです。つまらなかったんですよ、端的に言うと。
でも、同じネタをもっと"可愛さ"から離れた女芸人がやればもう少しは上手く行ったのではと思ってしまうんです。それで、この自分のことを好きになれなくて、許せなくて、でも、可愛いから悩んでるって相談なんかできないんです。
Q: 何故ブスに整形しないのか
あれ、時間もお金もかかるし、痛い思いはするし、ブサイクにしてくださいって言ってそれを叶えてくれる医者っていますかね?
あと、整形は多少の変化はできても、一般の人が思ってるように全くの別人になれることは少ないんです。
とにかく、整形ってすごく大変なことです。
あと、何より言いたいのが、私は自分のアイデンティティを無理やり無くした状態でも売れたいとは思いません。
自分は自分のままで、人に笑って欲しかったんです。整形で無理やり自分を変えても、意味ないんです。
"お笑い"というものに蔓延る強烈なジェンダーバイアス、ルッキズムへの反感
ということをうまく伝えられていませんでした。