はてなキーワード: 理解力とは
togetterとか5chとかここのトラバとかを見る日課がある。暇つぶしに誰かさんたちの話の流れを追うってことが割りと好き。
でもその話の流れがいまいち追えないというか理解が追いつかないということも割とある。本よりも語彙とか単純なのにむしろ本よりも難しい。
トラバなら対立する思想同士が交互にぶつかってると思ったら直後にいずれかの擁護者が同意の旨を書いてたり横増田が入ってたりする。そういうのを見極めないと話の流れを誤って理解してしまうわけだが、それが案外難しい。togetterなんかとても指で数えられる程度の党派は括れないくらい種々雑多に好き勝手な書き込みがされているからそれらを自分の中で統合するのが難しい。これも本とは違った理解力が求められるところ。
こういうのって読解力とはまた別だよね。なんかこういうことするのに求められる力に名前とかついてるんだろうか。
このツイートによると、
https://twitter.com/edanoyukio0531/status/1435183473120067584
”「政権発足後、初閣議で直ちに決定する事項」を発表しました。法改正を要する事項などを含まず、文字どおり「直ちに」できることのみ掲げました。
今後発表する政権公約に掲げる各政策・法案・予算措置なども、順次実施します。政権が変わったら、政治は確実に変わります。”
とある。
つまりこれは政権発足後、法改正なしで直ちに実行する事柄を並べたにすぎず、
つまりこの増田は枝野の「直ちに決定する事項」と岸田の「政策」とを比較していることになり、
皆に言うけれど、誰かのこうした言説を目にしたら、まず一次ソースに近い所を当たる方がいい。
揃いも揃って比較対象にならないものを比較している記事に乗せられて、
正しくなくても、それが正しいように見せかけられる。
ある言説を多数派が支持していても、それはその言説の正しさを保証しない。
保証するならば、多数の人が「空が赤い」と言えば、それが正しい世界になる。
もうちょっとリテラシー持って、インターネットをやって欲しいと思った。
追記:
skgctom 残念ながら国民は国語力と理解力と政治的知見に優れたお偉い方だけでできてる訳じゃないんですよ。立民に政権取らせたいなら、現時点のアピールが及んでいない事を国民の理解力不足や陰謀論に責任転嫁したらいけない
確かに国民のリテラシーが低く、言っちゃえばバカであるという前提で活動しろというのは、
政党の票をたくさん頂くという目的を達成するには正しいと思う。
ただそれでも、この事実誤認したまま批判している人の多さからして、
情報化社会の黎明期、人同士のつながる量が加速度的に増えていくことで可視化された問題の一つだ。
当時は言葉の響きだけが独り歩きして、本そのものをちゃんと理解できた人は少なかった。
その反応は大きく分けて2つ。
「自分の言いたいことをはっきりと言ってくれた」と肯定的な反応と、「バカとはけしからん。人は言葉でわかりあえるに決まってるだろう。」と否定的な反応だ。
しかし、その反応のどちらもがこの言葉に対して大きな勘違いをしていた。
それは、「自分の話が相手に伝わらない理由は、相手がバカだからであり、そこに越えられない壁=バカの壁があるから」という理解で読み解いてしまったことだ。
「人は自分の話が相手に通じなかったとき、相手がバカだと決めつける性質がある。」ことこそが、本当の意味でのバカの壁の存在を意味している。
しかもこの時、聞き手側にも「自分が相手の話を理解できない時、説明できない相手の方がバカであると決めつける性質がある。」というバカの壁も同時に存在している。
なぜなら、人の理解というものはその人の経験や知識から成り立つものであり、それらが両者に存在していない限りは、お互いが理解しあえるなんてことはありえないからだ。
つまり、相手がバカなのではなく、相手をバカと決めつける自分がバカなのだ。
これについては著者すら気がついていなかったと思う。
だからこそバカの壁の本質を理解できないやつは全員バカだ。という論調であの本は締めくくられていた。
自分の話が相手に伝わらなかった時、自分が「相手はバカだ」と思うのと同時に、相手も「説明がしっかりできないだなんてこいつはバカだ」と思っている。
だから、あの本の本質を理解できなかった人にしてみれば、著者はバカであり、バカの壁なんて概念は無駄なものだと考えられていた。
そうして、著者と読者それぞれがそこにバカの壁が存在していることを証明してしまうという皮肉な構図に至っていたことは、あまり知られていない事実だろう。
そもそも、言語というものはコミュケーションの中でそれほど多くの情報量を持っていない。
人同士がコミュニケーションを行う上では、ボディランゲージや声のトーン、表情、目線などのほうが、伝える情報量はよほど多い。
なぜなら、言語という道具を使い始めた歴史はそれ以外のコミュニケーション方法に比べれば非常に浅く、言語だけで情報を伝えられると思っていることのほうが誤解だからだ。
残念ながらそのことを理解できている人間は少ない。妄信的に言葉で情報の全てを伝えられると思いこんでいる人がほとんどだろう。
ここまで考えてみれば、つまり本当の意味でのバカの壁とは、言語のみで自らの思考や情報を伝えられると思いこんでいるおごりのことであることがわかる。
受け手に置き換えても、言語のみで説明されても理解できるはずだというおごりがそこにある。
今だってSNS上では当たり前のように誤解が繰り返され、真意が理解されることもなく説明も釈明も許されないまま受け手の都合によって勝手に解釈が広まっていく。
しかし、バカの壁の存在を認知できているだけで、人の理解力はまったくもって変わってくる。
情報が理解できない理由を相手ではなく自分に求めることができれば、足りない情報を自ら補うことができるからだ。
自分が理解できなかった理由は相手にあると考え、誤解させた人間を責める行動を取る。
自らのバカを棚に上げて、相手がバカだと罵るだけの野蛮な行為に走る。
ただただ情報や人の人生をエンタメとして消費するだけの、消費行動のみだ。
声高に批判する相手そのものに成り下がるというのも、バカの壁に見られる特徴的な行動の一つだ。
果たしてはてなユーザーに、バカの壁を越えてこの内容の真意を理解することはできるだろうか。
結局はこうして、バカの壁の話をする度にそこにバカの壁を可視化させることでしか存在を理解させることは不可能なのだろう。
今一度一人ひとりが自らの心にそびえるバカの壁の存在を見直すべきときに来ている。
人にはバカの壁が存在していて、相手に話を理解させることも相手の話を理解することもそもそもできないのだ。
だからこそそのまま情報の一つとして受け止めて、その情報を役立つものへと活かしていく。
それができる人だけがバカの壁を越えた向こう側に行ける人なのだろう。
これすらできる人にはとっくにできていることで、できない人だけがバカの壁の内側に取り残されているという皮肉でしかないのだが。
いまのはてなを憂い、向こう側に行きたい人にだけ届いてくれることを切に願う。
※蛇足
かつて士郎正宗氏は無知の知ではなく「不可知の知」であると置き換えていた。
人は何かを知れば知るほどに、知ることができないことを知るのだという。
そしてその時の自分は、それがコミュニケーションにおいても同様なのだと悟った。
どれだけ理解を深めようとも、最後まで理解することも理解させることもできないのだと。
それならば、そもそも理解を深めることだけを目的にすることはナンセンスである。
そこには最後まで取り払えないバカの壁があるのだから、相互理解はそこそこに、目的や行動を優先すべきだと悟ったのだ。
そこに少しでもヒントがあれば吸収し、利害がなければ自分には関係のない情報なのだと切り捨てるようになった。
確かコミック版攻殻機動隊のあとがき(BLACK MAGIC M-66だったかも)だったと思うが、他にも人生は螺旋階段を登るようなものだとか、士郎正宗氏の哲学の一部を垣間見ることができてとても興味深かった。
例えば、『20代の酒に酔った若者が、路上で30代の会社員に刃物で襲いかかる』というニュースがあったとする。
これに対して、情報量が少なすぎて分からないと言った人がいた。
それを読んで情報量が足らないというのは、何が足らんのかと。
これが分からないという人がちらほら居る。
もっと普段から会話や読書をした方が良いというのは、前述した程度の事ですら理解できない人がいるからって事。
普段から他人とのコミュニケーションも取らず会話らしい会話もせず、読書もろくにしてないから読解力すらない。
正直ね、スマホが普及している現在で、常に触ってないと落ち着かないような中毒症みたいに情報端末をいじくっている割に
かんたんな文章も読み解け無いというのは、ちょっとどうかと思うんだよ。
かんたんに検索して回答が出てくる世の中も悪いんだろうけど、わかりやすく書いてある文章ですら理解できないっていうのは
いったい何のために情報端末を持っているんだと思うのね。
ヤフコメなんかは、もう全然記事を理解してない人らばっか。あそこの人たちは小学校以前からやり直したほうが良いレベル。
たまに増田にもそういう人が湧くけど、どっちかっていうと増田の方が頭が良くも悪くも良い。
本当にね、もう少し本読むなり会話するなりして理解力を深めたほうが良いと思う。
─追記─
増田で言及してくる人は、大体が煽ってくるか読解力の欠如を証明するような人が多いんだけど
自演してるのかな?って内容で引用してくる人は話にならないのよね。
6人の言及でまともに言及出来ている人が半分で残りの半分がどうしようもないろくでなしっていう事だけはわかった。
やっぱりこういうのがいるから駄目なんだろうなあ。
『見出しで何が起こったかが分かるだろう』という話に対して、『場所』『性別』『知り合いかどうか』という見出しに不要な話を持ち込んでいた。
こういうのを【馬鹿】というんだなあ。
https://anond.hatelabo.jp/20210827203552の続き。
とにかく1回見ただけじゃわからないので、見た上であれなんだったっけと見返す必要がある。
リアルタイムで見てた人って今ほど見返すの簡単じゃなかったと思うけど、よくわかるなぁ。
いや、私の理解力が低いだけか。ちゃんと見てるつもりなんだけどなかなかついていけないよ・・・
カミーユがなんかバジーナさんに対しても批判的な見方をしだしたぞ。
バジーナさんに対して「口先だけで戦争が好きなだけじゃないのか?」って言った割りに、
必要があると思ったら戦闘を躊躇しないあたりは、合理的なのかそれとも・・・
ハヤトさんの立場からしたらカミーユってちょうめんどくさい子やな。
自分の立ち位置をバジーナさんに依存してるわりにバジーナさんに反抗・・・オスガキわからせたい(ワキワキ)
いきなり強化人間とかの設定が出てきたんですが……
ニュータイプもいるしまあ強化人間くらいいてもいいか!むしろ連携考えたらニュータイプよりこっちの方が優秀では?
どちらにせよこっちのほうが理にかなってて機動性とかいろいろ強いよね。
「人型である必要ないよね」という身も蓋もない現実をつきつけられてるような気がするけど大丈夫なの?
すげえ重要なシーンなはずなのにポーズとかパラシュートとかのせいでちょっと笑ってしまった。
それにしてもなんというツーカーぶり。ニュータイプ同士の恋愛とかどうすんの。それともこれ戦闘特化型の感覚なの?
ロザミオさんがいきなり電波みたいなこと言い出して怖い・・・。
カツうざい!
カミーユうぜぇ!
だけど「アムロの殻を破る」みたいなのが目的だろうからこれはこれでいいのか。
ベルトーチカ「あの人には平和なインテリジェンスを感じないわ」
なんじゃそりゃ。
「・・・私、何か悪いこと言いました?」
何なのこの子。
カツくんのおかげでカミーユが大人に見える。というか実際だいぶ成長している感じ。
Zガンダムは、カミーユの視点にくっついていくだけじゃ全然話についていけないわけで、
今は自分のことばっかりのカミーユもどこかで「全体」を意識するようになるんだろうか。
16話。
ベルトーチカ「女の愛撫で男を奮い立たせることができるなら、女はそれをする時もあるのよ。なぜだかわかる?」
アムロ「男を試しているんだろ?」
ベルトーチカさん死にそう・・・もうどうやって死ぬかが楽しみになってきた。
どっちかというと
「同情ならいい」
「同情してる暇なんてない。戦災孤児よ。同情されたい方」
「すまなかった」
「私すぐ忘れるかもよ」
「はは、構わないさ」のやり取りが好き。
「私はそれほど鈍くはないと言ったでしょ?」も。
っていうかアムロがベルトーチカとキスしてる時そんな悲しそうな顔をするなよ・・・ホモオ
「父親代わりの経験もいいと思っている。胸がときめく」胸がときめくとか言ってみたいわー
カツくんみたいな子供が明確に邪魔者・足手まとい扱いされた上で、でも大事にされてるって描写がいいね。
カミーユ「こんな時に女を気にして!」「ベルトーチカはアウドムラへ、邪魔だ!」
前回と違って、カツくんがそれなりに格好良くてカミーユがアレな感じに。
しかし最後のシーンでベルトーチカみつめるカミーユの表情はなんだろこれ
カツとアムロの間でカミーユの扱いに苦戦してる(持ち上げたり落としたり)印象受けたけど、15話・16話合わせるとかなり好きかも。
シンジくんも最初からこういう世界観なら、いきなりエヴァ乗せられてあーだこーだみたいなことにはならんかったろうに・・・
ベルトーチカさん、その攻めかたは男には逆効果やで。 ましてカミーユ相手に。
前の話ではあんなに聡い感じだったのに、ちょっと恋愛脳になってネジゆるんじゃったかいな。
まして「(アムロに機体を譲らないなんて)あなた、アムロが嫌い?」ってあたりの発言は男からすると理解不能じゃなかろうか
カミーユからしたら、まさに「アムロのためにもお前のその案にはのれねーわ」ってなっちゃうだろに・・・ってやっぱりそういったw
記事の著者です。ごめんなさい、理解力がないのかもしれませんが、あなたの反論にすべて反論できてしまった気がします。
・まず「「作中に描写がないこと」を「作品に書いてあるかのように読める断定で書いた」」と言うが、鴻巣は「描写がある」と読んだのだから平行線で終わり。
→では、自分の主張を補強するためのツイートで「ICUにいる描写がある」という前提を設けた鴻巣が、「「Aは死んだ」という明示的な記述」に言及する合理的な理由を教えてください。この「明示的な記述がない」が「描写がない」を意味しないことを説得的に論じてください。「描写」と「記述」に差があるのだ、と言いたいのかもしれませんが、そこに差を設けるのであれば鴻巣の主張が成立するように注意してください。なお、この鴻巣の例で「「死んだ」と理解する」のは合理的だと思いますが、この例と「少女を埋める」の例を一緒にはできないと思います。
・鴻巣は「合理的」な読みの話をしているが、この記事の筆者は「客観性」と言い換えている。
→「描写の有無についての客観性」と「読みの合理性」は別の問題です。さもなくば「「Aは死んだ」という明示的な記述はなくても、「死んだ」と理解する合理的な理由があります」という表現は成立しません(読点の前が描写の話、読点後が読みの話)。また、言うまでもありませんが、描写についての「主観/客観」の語彙は当事者二人が用いているものを借用しており、元記事でも補論でも、引用部分を除く私の本文は読みについて「客観」という言葉を使っていません。
・誰かの「あらすじ」を先に読み当該小説を読むとして、読者はそのとおりに読んでもいいし読まなくてもいい。実際に小説を読んで鴻巣の「あらすじ」は「おかしい」「頓珍漢」と「わかる」人もいれば、鴻巣の「あらすじ」のとおりだと読む人もいる。どちらもあり得るのだから、「「読み」が閉ざされたことを意味」しない。
→私は「鴻巣の「あらすじ」のとおりだと読む」一人ひとりの経験的読者について、「「読み」が閉ざされた」と述べています。抽象的な読者群としてはおっしゃる通り「どちらもあり得るのだから、「「読み」が閉ざされたことを意味」し」ません。「どちらもあり得る」読者を排除して、桜庭解釈に「思い至りもしない」経験的読者に限定していることを明示的に記述するべきでしたね。反省しました。なお、全面的に閉ざされたとは言いません。鴻巣解釈が先行したことによって、桜庭解釈というひとつの解釈の可能性がある読者にとって「閉ざされた」という意味です。
・ある合理的な読みが誰にとっても一つ
→と、私が書いたかのように言われているんでしょうか? 明示的な記述がない部分を埋めるにあたって、合理的な解釈が複数あるのであれば、そのすべてが認められます。それがエーコの言う意味での「テクスト解釈の可能性」の「無限」さであり、また、空白を埋めるのは読者の「主観」でも経験的作者の意図でもなく「テクストの意図」に沿ってです。ただ鴻巣解釈、というか鴻巣の読みが合理的ではないだけ(「曲解」)で、桜庭とは別の合理的な解釈があるかもしれないし、それに思い至った人が桜庭解釈の視点を同時に持つことも可能なはずです。
・他の読み方(たとえば鴻巣のような読み方をした人も一定数いる)が合理的ではないということにはならない。
→「一定数いる」ことが「合理的」であることの条件、あるいは合理的であることの証明であると言いたいのでしょうか。私はその前提に乗りません。そのために「鴻巣解釈の検討」の項目を設けたわけです。また、非合理的な読みを複数の経験的読者がすることも当然あります。鴻巣の読解が合理的ではない(「曲解」)とするのは、鴻巣が削除したツイートの文言を借りれば、「どう見ても」テクストの意図にそぐわないからです。
・それが、開かれた「読み」
→ここは反論ではなく主張のようですが触れておきます。経験的にどう読むかという広い意味では、確かに、非合理的なものも含め、どんな「読み」をする自由もあります。ただしこの自由は自明(他人の思考=「主観」は制御できない)なので、せっかく「開かれた「読み」」というかっこいい言葉を使うなら、範囲を絞った方が有意義そうです。この意見に納得いただけたら、補論の最後に引用したウンベルト・エーコの諸著作をお読みになることをお勧めします。「結局多数派か少数派か(一人か)の主観ということになる」とおっしゃいますが、主観を排除できるように、「テクスト論」をはじめとした理論というものがあるのではないでしょうか。そうした解釈の方法を(体系的かどうかはともかく)学び、身につけた、かつ解釈をしっかり書くことのできる者が書評家や批評家を務めているのだと、私は考えたいです。
・「作中に描写がないこと」を「作品に書いてあるかのように読める断定で書いた」
・「描写がある」「明示的な記述はなく」という仮定は客観性を持たねばならない
・「直接描写されていないこと」は、主観ではなく客観としなければならない
・桜庭の言う「直接描写されていないこと」を「なに」という言葉に置き換え、「あるひとりの読者=作者の主観だ」としている
まず「「作中に描写がないこと」を「作品に書いてあるかのように読める断定で書いた」」と言うが、鴻巣は「描写がある」と読んだのだから平行線で終わり。
鴻巣は「合理的」な読みの話をしているが、この記事の筆者は「客観性」と言い換えている。客観的な読みとは、多数派が、合理性をもって読み、到達するような読みではあるが、合理的=客観的ではない。どのような「直接描写されていないこと」があるかないか、多くの人が「ない」と言えばそれは客観的な読みだろうが、だからといってただ一人が固有の合理性で小説を読み解くこともありえ、ある合理的な読みが誰にとっても一つ(閉ざされた「読み」)だとは言えない。多くの人が小説「少女を埋める」に「虐待」の描写がないと読む(この記事の筆者もそう読む)からといって、それは結局「主観」の集まりであり、他の読み方(たとえば鴻巣のような読み方をした人も一定数いる)が合理的ではないということにはならない。
もちろ特定の読み方い対して、それは合理的ではない「曲解」だと主張することは可能で、文学研究や批評においても後の研究・批評が先の研究・批評を否定することはある。それが「鴻巣解釈の検討」で行われていることだが、誰もがこの記事の筆者のように読むわけではなく、結局多数派か少数派か(一人か)の主観ということになる。それが、開かれた「読み」。
・あらすじに書かれた鴻巣の解釈だけを前提とし、桜庭の提示した(あるいは以下で私が説得的に示す「真っ当な」)解釈に思い至りもしない、という可能性はある
誰かの「あらすじ」を先に読み当該小説を読むとして、読者はそのとおりに読んでもいいし読まなくてもいい。実際に小説を読んで鴻巣の「あらすじ」は「おかしい」「頓珍漢」と「わかる」人もいれば、鴻巣の「あらすじ」のとおりだと読む人もいる。どちらもあり得るのだから、「「読み」が閉ざされたことを意味」しない。
どうやっても矯正できないだろうし、こんな新入社員を通した人事は一体何を考えているんだか
基本的にうちに入ってくる人材は物理や生物を齧ってきた院卒の理系が中心なんだけれど
去年入ってきた新入社員は本当にひどかった、いや現在進行形で今もひどい
第一印象は穏やかで基本的にはイエスマンな学生、悪く言えば根暗な子という印象だった
最初にあった時に長期目標(弊社で、弊部署でどの様になっていきたいか、具体的に何をやりたいか)を聞いてみた時には
はっきりと目標を見据えてないらしく、ぼんやりとした回答しか返ってこなかった
まあ最初のうちはそんなもの、一年もすればもう少し使い様のある人物に育つだろう
そう思っていた
ところがこれがてんでダメだった
最初のうちは雑用が中心だったのだけれど、報告書や議事録の作成にも一日かかる
日報や月報もおぼつかない時があるし、かといって研究業務は液クロガスクロすらちゃんととれない
確かにうちは大学の「分析化学」「物理学」「生体機能解析学」みたいな括りからは少し外れた所をやっているけれど
少なくとも半年すれば多少は使いものになるはずの人材だったのが、全然それに当てはまらない
おまけに内向的でコミュニケーション能力も低い、というより主体性が何もない
研究なんて新しいことをしてなんぼ、長期目標を見据えて動けるのが普通という所なのに
彼はそういったことが全然できていないし、大学で6年間何をやってきたのかというレベル
共同研究先の大学に同行させて打合せさせたり、海外企業の研究員との商談(英語)に出しても
ほとんど喋らず帰ってきて議論のタネも英語力も皆無という事実が分かるのみ
この時点で大分手の付けようがなかったけど、まだ何とかフォローして成長してくれればと思っていたんだよ
一年経験したんだから分かるだろと案件を任せたが未だに解決しやしない
普通違う分野の知識なんて皆無でも一年猶予があって自習できる向上心があればできるはずだろう
(というかそういったものがなければ、我々がやっている法令対応や特許対応、申請業務なんぞ一生無理だと思う)
正直な話、派遣社員の方が技術力含め何もかも高いし、正社員で登用しているメリットが本当にない
弊部では基本的に二年目に新入社員の教育を行わせるのが慣習なんだが、あまりに酷すぎてやめさせた
替わりにお願いした中堅社員も「まあ、仕方ないですね」と納得しながら引き受けてくれたよ
その社員の方が二年目の社員よりも数十倍忙しいし、おまけに家庭も持っていて一番大変な時期だというのに
そうせざるを得ないほど、ただただ彼の状況が酷すぎた
そんな彼が、今度の社内発表会で弊部の業務成果の発表者に任命された
基本的に一年間で成果を出した人が発表するのだけれど、自分含め年かさの研究員は現在
結構な長期プロジェクトを抱えているためそちらに発表している暇なんかない
なので彼しか発表する人がいなかったというのが実情なんだけれど(ほかに動けるのが新入社員と派遣しかいないので消去法)
正直役員や経営陣にタコ殴りにされて、部署の株が地に落ちて終わりになると思ってる
確かに成果が無い所に急に発表者を投げた上司も悪いと言えば悪いんだが、
発表を押し付けられてから二ヶ月もあったんだから、発表に値する新規知見やら研究成果は普通に考えて出るでしょ??
納期に追われる企業勤めの研究員なんだ、不慣れとか二ヶ月「しか」なかったとかどう考えても言い訳だよね??
おまけに発表のストーリーすら全然できていないし、実験に対して全然ロジカルな考え方は出来てないし
その癖危機感がなくて上司にろくに相談しないし、上の人に助力を申し出たりしないし、かといって残業3桁やるでもない
上司についに詰められて一日かけて(わざわざ一日の業務や実験時間を潰して)発表のストーリー提出してたけど
そこまでしないと動かないのなら、研究はおろか社会人として働くのは向いてないからさっさと辞めてほしい、辞めてくれ頼むから
今年入った新入社員の子の方が気が利くし理解力はあるしコミュ力高いし、君の完全上位互換なんだよ
まだまだ書きたりない部分はあるし、バレとか気にしなければゆうに10倍くらいの愚痴は書けるくらい酷い
もう少し人間らしい社員だったら良かったなぁと、彼の無能さとそれで増える仕事の対応に頭を抱える日々にはもう疲れました
いい加減にしてほしい
まず、こちらの話を遮って返答らしきものを語りだして止まらないし途中で独自の見解が交じる。バカじゃないの。
これやられると大家のバカみたいな長広舌の要点抜き出して一個ずつ確認する作業が入って、概ね否定し、改めてこちらの要望を表明する流れになる。大家が語らなければ必要なかった認識合わせの作業だけは頑張って聞く姿勢を示すものの、こちらの言ってることはそうじゃないですという否定の積み上げにイラつくのか最後にせざるをえなかった本題の途中でやっぱり遮るので見事な無限ループ。バカじゃないの。
証拠写真付きのメールにすれば、ようやく理解するっぽいけど、その返答を電話で寄越すので少しでもつっこんだ確認をすると負のループ。バカじゃないのホント。
メールで連絡してやったんだからメールで返事しなよと思いがちになる。はい、いいえの一言でいいからメールにしろよとまで思うって、そうとうヤバいよね、ほんとバカ。
賃貸契約を介しているわけだし、こちらは仕事のつもりで丁寧に話すのが癇に障るのか知らんけど。会社の仕事上の会話で大家みたいなノリになった事ないので、概ね大家のバカでクソのお陰様であろうと言い放ちたい。
バカとかクソを枕詞か語尾にしたい。バカ大家、大家のクソ。どっちでもいい。
つまるところ気が合わないんだろう。どうしても合わない人って居るよね。大家だからどうにもならないっていう。
大家だけど会社名義の契約だから是非ビジネスライクに話して欲しいんだけど。クソ田舎のクソ家族経営で取締役が棺桶に半分入ってるようなクソジジイだし。この表現好きじゃないけど年寄が理解力削れていくのは事実なのでしゃーないと思う。ボケてなくてもそうなんだよ。意思疎通にクソほど時間かかった挙げ句、こっちが悪いみたいな返答されるのホントにクソ。ビジネスの関係なんだから、オレは悪くないしアンタも悪くないよねっていうフワっとした落とし所へもってくのが大人の対応なのでは?こちらがソレをやると鬼の首を取ったかのように責めてくるので、やらなくなったけど。そうすると勿論大家もやらないので、最初から大家はやらないけど険悪になる。
これだからサラリーマンやったことない中途はんぱに土地だけ相続した田舎の老人とか付き合いたく無いんだよ。でもそんな大家の物件に住んでるんだけどね。契約時にわかんねーよ仲介会社入ってると、会社名だったんだぞ大家、会社なら会社らしいと思うじゃん一瞬。分かってたとしても諸所勘案してクソ大家かバカ大家の物件に住むしか無いかもっていう田舎だけどね。嫌なら一軒家買えって意見は受け付けない、上モノ含めて土地ごと一括購入した人間だけ言ってもいい、受け入れないけど。
ほんとクソだわ。
引っ越せとかいう意見も前述通りなので受け付けない。クソ田舎の同程度物件なんて、どうせ皆、大家がバカだからな。
社会通念上ありえねーとか、ガイドラインに反しまくる事とか平気でやるんだ。バカなんじゃないの。低額訴訟しても失うものの方が多すぎて泣き寝入りになるので自分が一番クソだわとか自己否定に落ち着くので、ほんとクソ。
大家が個人でビジネス対応してくれないのが許容されるような現行の制度をどうにかして欲しい。
どうにもならないだろうけどな、ほんと大家がクソでバカで。クソクソ書いてスッキリしたいのでスキあらばバカとかクソとか書いてる。
旧帝くらいでアルバイトやめて客観的に性格良くてって話だから簡単な問題だと思ってるみたいだけど実際にはかなり重症だったりします。
何故かというとその手の人間は体育会系、又は馬鹿や自分本位な人間から極端に嫌われがちだから。
馬鹿って要は自分に都合のいい解釈をする人間なんだけど、それ指摘しちゃうんだよね、その手の人って。
んで簡単な事実だから説明すれば相手も理解してくれるって考えるんだけど、相手の理解力の問題で理解されず、相手は意味不明なことで否定された。
肯定しないなんて喧嘩売ってるって言ってぶちぎれられるんだよね。
何だけど、その子は相手を尊重しますから、相手が理解力がなくて切れているって事実を、自分が失礼なことを言ってしまったって解釈して、
考えすぎてやむって話。自分は共感性がないんじゃないか。指摘した内容は間違ってしまっているんじゃないか。自分の思う正しさは間違っているんじゃないかってね。
まあこれ以外にも頭がいいせいで皆がバカに見えてそれを意識的に否定しようとして、過剰にストレスがかかってたりあれこれしてるケースが多い。
でこれ見ればわかるけど、正社員になるってことは問題の解決にならない。(まあ私が想像してる通りの性格ならだけど)
だって馬鹿とあったら問題が起こるんですから。バカのいない職場ってどこだよってことになるわけですよ。まあないわけではないんだろうけど、ガチャ振らせることになる。
旧帝くらいでも彼女からすればバカの定義に入っちゃうわけで。(頭いい人って大変だよねーって思う)
だから現実的な解決法は2つあって、一つは自営業にさせること、もう一つは他者への過剰な評価を正すこと。
ただ後者の解決は本人より頭良くて、議論強くないと無理だし、その手の人って議論が糞強いんで諦めたほうがいいです。(正確には解釈の精度が糞高いんですが)
言葉の単語選択や、解釈の精度が低いとそもそも聞き入れないので・・・。
具体的にはフリーランスでホームページ制作なんて最初はいいんじゃないかな。やり方はyoutube、やgoogle検索で調べると出てくるのでそれ見て1週間から一月くらいで覚えて受注し始めるといいと思います。副業始めたいんだけど、手伝ってくれないとでも言って、二人で半年間位コツコツやればまああなたから見て、将来的に彼女が一人でも生活できるように見えるようになるでしょう。