はてなキーワード: 理不尽とは
細かい状況は違えどあまりに私の心象体験と似ていてのめり込んで読んだ。読んでいたら当時を思い出して心臓がバクバクした。当時は本当にしんどかった。
違うのは私の場合はBさんに相当する人(以下Bさんモドキ)の下についた点。Bさんモドキは1年前から同じ仕事をしていて正社員。
私は非正規の立場(下の立場)で後から参加した形だ。ペアで仕事をするので本当にしんどかった。
Bさんモドキは同僚とはよく通る大きな声で明るく笑って楽しく話し、相手を攻撃するような事は言わないので印象がいい人だった。
仕事面では前年度の経験はどうした?っていうほど無知で、肝となる部分の素養がない上、知識もなければ勉強する気もないので、Bさんモドキが通った後はほぼ荒地となる。
あまりに色々知らなすぎて、小学生に無理やり大人の仕事をさせているような感じだった。
寧ろやらないでくれた方がいいが不適切な対応をするのでトラブルになる。Bさんモドキが起こした問題の尻拭いは全面的に私がやらねばならない。ペアだから。
その原因が自分だとは夢にも思っていない。私にとってはBさんモドキは「荒し」でしかなかった。
見ていると問題を誘発するような事をしており、最初はわざとかと疑うほどだった。
荒れた状況を私が走り回って頭を下げて収めても当然のような顔で平然としている。感謝や謝罪の気持ちなどというものは持ち合わせていなかった。
あまりにまずい仕事っぷりに私が手をつける範囲が広がり、最終的には全部私がやることになり仕事量も心も身体も本当に大変だったが、本人は全然気にしていなかった。
Bさんモドキは今まで一緒に仕事をしてきた中で最も仕事ができない&問題を起こす人で、私は半年後くらいから夜も眠れなくなった。
そのうち大きな問題を起こしたが、それに対応している時も本人にその自覚はなくガハハといつも以上に高らかに笑っていた。
でも元増田も言うように訴えても言葉では伝わらない部分が多く、周囲の理解を得られないのもしんどさを強めたように思う。
一方的に強烈な理不尽を浴びせ続けられるので四六時中頭から離れなくなり、胃とか胸の辺りに何かが蓄積していって爆発しそうになる。
あと、呼吸をするように嘘をつくという点も同じで恐ろしかった。Bさんモドキは「他人が見ていない」🟰「なかった」という認識のようで、自信満々で自分のストーリーをスラスラとしゃべる。
自分に都合のいい事が真実だと信じ込んでいるようだった。誰が考えてもBさんモドキの仕業の事も「えっ?全然知りませんでした!」と屈託なく即座に言える人だった。
あと、発達障害と言う人がいたが違うと思う。発達障害の人は人付き合いに難がある事もあるが、ごまかしたりしない。
予想外の方角から計算高い言動が飛んでくるのでいつも緊張感を継続して警戒していたが、あまりに自然に振る舞うのでいつも全面的にストレートを浴びてしまう。
とにかく私はBさんモドキから離れる事を目的に辞めたが、上司もBさんモドキの異常性を認識していながら何もしない事も原因だった。
しないというよりできないのかもしれない。皆私の大変さには同情してくれたが本人は何も変わらなかった。
Bさんモドキは翌年、起こした問題の影響が及ばない部署に移され再度非正規と組んでいる。
ちなみに前年度ペアだった人も辞めている。別の理由だったらしいが本当はBさんモドキから逃げたんじゃないかと私は思っている。
「原爆被曝者・何世だから、「被差別部落」出身だから、朝鮮人だから、ハーフだから、このような差別に会った。社会の無理解や理不尽さ。悔しかった、悲しかった。あるいはこうして対応した。差別は許されない。」
…という文章はたくさんある。「道徳」の副読本であったり、人権授業で使われる読み物(「心のノート」とか)であったり。もっとわかる人向け(多分関西オンリー?)にいえば、「にんげん」みたいな読本などに載っている読み物。
ところで私は、この逆の立場の、差別を行ったとされる人々の気持ち、云わば「逆・にんげん」を読んでみたい。
差別や理不尽さというのはすべて人間が生み出しているものだが、果して(近)現代の人間の中で、人権と、差別との「妥協」はどのように行われているのだろうか。
一体どのようにして、差別の正当化と、その追認が行われているのだろうか。知ってみたい。
それももちろん何か差別の悪を糾弾するとか反面教師や皮肉としての読解ではなく、自然な文体としての体験談で読んでみたい。
「娘が誰かと付き合っている。結婚するかもしれない。うちは名家だ。興信所を使って相手の素性を探ろう。それみたことか、「部落」だ。ダメだダメだ、結婚は絶対に認めない。これでウチは安泰だ…。」
「原爆はダメだ。直接の被曝もダメだし黒い雨の被曝もダメだ。実際に被害の惨状や何かを見たわけではないが、とにかくダメだ。奇形児が生まれるかもしれない。病気をうつされる。こういうものは収容所に閉じ込めて二度と出てこないように」
みたいな文章になるのだろうか。差別は原始的かつ素朴な感情から生まれるとはいっても、もっと複雑な何かがあるはずだが。
ここまで書いてみて、ヤフコメとかまさにこのはてな匿名ダイアリーも絶対そんな部分があるよな、と思ったが、なんというか作為や露悪、学級会的な目配せもかなりありそうなので、何とも言えない。
国会図書館デジタルアーカイブなどで戦前の書籍などを探れば、より平然とさも当然に行われる差別とその正当化が現れてきそうだし、大きな参考になりそうだが、私としては戦後の・建前上は完全に民主主義社会に染まってる人々の思考を探ってみたい。
なぜ、あなたは近所の知り合い、子どもの結婚相手、就職してくる相手の出自や素性を知りたがり、そこに何かを見出したがり、そしてそれを排除したがることで安心したがるのかを。
それが明らかになることで…つまり何かそれを巨悪の告発などではなく、ただ反対の立場になっただけの「読本」として目に出来るだけで、道徳や人権などの教育はさらに一皮むけると思うのだが。
Twitter時代にトランス差別運動を見聞きするのがキツくなって以来、半年以上Mastodon系の個人インスタンスとかに籠ってて最近のX情勢を知るための取っ掛かりもないので誰か教えて欲しい。
と言う辺りなんだが、他に何か目立った話ってある?
ちなみにMastodonとかで起きた面白話って言うと、正直 Misskey.io ぐらいしか追い掛けてないんだが、
と言うぐらい。
利他的で自責的な人間など存在しないという事をざっくり語ろうと思う。
人間の精神のあり方は、コストのやりくりが如何にやりやすいかで優劣が定まる。
となる。
利己的というのは自己完結した行動でコスト回復がどれくらいできるかという事であり、利他的とは他人に依存して何かをすることでコスト回復できるという事である。
利他的は度が過ぎれば相手に対して求めるコストが高くなり孤立する。要はめんどくさい人である。
利己的も過ぎれば同様である。よく自分勝手と言われるものである。
自責的というのはトラブルが起きた時、それを自身の課題と受け取れるという事であるが、これには高いコストを要する。
他責的と言うのは自責の逆であり、低コストだが度が過ぎると精神的成長が見込めなくなるなどデメリットが大きい。
例えば、利他的10割、自責的10割というビルドを組んだとすると、コストの回復のしようがない。
相手に与えた恩というものが与えた分だけ帰ってくるという事は無い。あまり知られていないが、人間には他人の苦労を正確に認識できないという特性がある。
そのため相手から見た自分の恩も、自分から見た相手の恩も過小評価されるのだ。
そうして恩を与え合った時、自分視点で見た時の帰ってくる恩というのは主観で10%程度の物であり、これで消費コスト分を回収するのは不可能である。
この場合に起きる不具合として、「自分ばっかり頑張っている」と考えてしまうバグがある。事実はそうではない。そうではないが確実にこれは態度に出て、日常生活に支障をきたす。
一方で利己的で他責的というと、これはもうよく見るものなので詳細まで語らないが醜悪なものである。彼女達はコストはあり余っているが、どこか余裕の無いようにも見える。
これは、コストが減る事に対する耐性が無いゆえに、可処分コストが少ないからである。
どちらに偏っていてもやる事は似たような物になる。
大事なのは両者のバランスである。が、自分を変えよう!といった事はほぼ不可能であると言ってもいい。自責と他責のバランスはまだ変化させることができるとして、利己的と利他的の変化については至難の業であると思う。
最初から利己的である人間は簡単で、自責に変えても他責に変えても良い。1~2か月ほどかかるかもしれないが、何かトラブルが起きた時に「自分がなんとかできたかもしれない」とか、「これは相手が悪いな」とか考える癖を付ければ良いだけである。
それで自責と他責のバランスは変化させることができる。変化にどれくらいの時間を要するかは周囲の環境とそれに対する自分の立ち振る舞いに依存する。
利己的と利他的のバランスを変化させる事はとても難しい。これは、それまでの人生を反映するからである。
人生の中で自分を殺す事があったり、道徳を信じる事があったりするとより利他に寄る。
逆に自身の望みを叶えようとしたり、面白い事をやっていると利己に寄る。
利他的というのは異常な状態と言っていい。普通の人は道徳に従う事があっても信じる事はない。道徳を信じたくなる時というのは、理不尽から逃れようとしている時に限る。
利己的な目的の為に相手に優しくするというのが普通の事であり、優しくした結果、相手から良いフィードバックを得た。というのは一見道徳的な話に見えるが良いフィードバックを得られる相手を選んだからである。
道徳に殉じた利他的な人間が利己的に戻るというのは難しい。どうすれば戻れるかは今後の課題とする。
のビルドが最も理想的であると思う。利己的に回復しながら、自責にコストを費やし、たまに他人のせいにして生きる。それくらいが良い
ACⅥが発売されて、難易度ボスの多さやアセンの自由度の低さに「こんなのACじゃない」ってキレてる古参傭兵をよく見かける。頼むから気付いて欲しいんだけど、お前らのアーマード・コアはVDが10万本そこそこしか売れなかった時にもう死んでるんだよ。ACⅥはフロムがソウルライクで稼いだ金で作った、新しいファンに向けたアーマード・コアなんだよ。
いまやフロム・ソフトウェアのゲームと言えば、ちょっと頑張れば攻略できてコアゲーマーぶれる高難易度ゲーム(高難易度とは?)が売りの、任天堂のゲームにちょっと飽きた高校生大学生向けゲームなの。初見殺しされてSNSで盛り上がって、攻略サイトのアセンパクってクリアしてゲームうまい気になりたい人向けなの。
そう考えると任天堂のゲームみたいに親切じゃなかったり、理不尽な初見殺しとか特攻アセン組めば途端にヌルゲーになる難易度にも納得がいくんじゃないか。おっさんが僕の格好いいロボット動かして楽しむゲームはもう売れないんだわ。
この記事へのXの反応のトップが「おまえらこそ、若い世代に社会の席を譲れ」なのは本当に危ういよ。SNSの怒りを増幅させる作用がさらに悪化してる。
[B! トラブル] 「席を譲れ」新幹線自由席の高齢男性が、グリーン車の大学生に詰め寄る 理不尽な要求に「ただただ困惑」 - ライブドアニュース
https://twitter.com/ZanEngineer/status/1695957707390631998
見ればわかると思うがトレンドネタに便乗したウケるポストや拾ったネタでバズらせてサイトに誘導したり案件で稼ぐアカウント
まともに取り合ってはいけない
二次元だろうとアダルトビデオだろうと、フィクションでも巨乳、って言ってたら。
BL愛好家の間ではクソデカ感情という、強い感情発露が好まれている。
これは感情を抑圧されてきた女性たちのバックラッシュだと思う。
反抗として、憧れ、あるいは奪還のために、フィクションの中に想いを求めてるんだ。
女性ばかりが抑圧されてきた歴史の、男女不平等の表れだと言える。
感情労働を暗黙利に押し付けられてきた時代を経て、男たちの仲の良さに敏感にさせられた。
社会に求められた責任に理不尽さを感じないためには、自分たちが好きで関係性を見出しているのだ、…と自分を説得する根拠が必要だった。
だから、原作であまり関わりが薄いキャラクター同士の間に隠された想いを探ろうとする。
お仕着せではなく自分たちの自由意志で発見したのだ、という体裁が重要だから。
それがあることで隷属しているという抑圧の感覚から解放される。
理不尽な性役割。スムーズな内面化のためには、この社会的な要請を直視しない方がいい。
必然、自分たちと同性である女性の関わりは避けられ、ボーイズだけが残った。
男社会へのレジスタンス活動ではないので、なるべく社会に迷惑をかけようとは思わない。
実際に、社会の末端構成員に攻撃された歴史があって、それは現在も何も変わっていない。
そのため学級会と呼ばれる、自主的な閉鎖性のメンテナンスを行う必要がある。
目立たないように自衛しなければならないが、厳しさへの不満は飲み込まざるを得ない。
マジで理不尽な対応をされ、2ヶ月くらい放置され、もう話さん、何なら呪ってやるくらいの反転アンチになりかけたところで、
「心が狭い」って言葉、言った時点でそいつも心が狭いよなって思う。
大方この言葉は「それくらいしてくれてもいいだろ」って状況で使われると思う。
席譲ってくれよとか、ダースチョコ一個分けてくれよとか、あっち行くならついでにこの書類シュレッダーにかけといてくれよとか。
予め取り決めた事を果たさない相手にはもっと違う言葉を使うはずだし。嘘つきだとか不義理だとか、狭量とかとはまた別の話になる。
これをしてくれというのは命令や契約ではなくあくまで要請、懇願であって、頼まれた側はそれに応えなきゃいけない道理はない。
それを断られた時に自分の頼み、言ったらワガママを強要へと進ませる、あるいはそれに応えない相手を非難する、自分のワガママが達成されなかった問題を相手の道徳の問題へと追いやる。
いくら常識的な感覚というものがあったとて、「ちょっと」がどうかは頼む側と同時に頼まれる側の問題でもあるのだし。
まあ理屈で言ったら別に他人を狭量と言うのに非難する側が寛大でなければならないなんて事はないんだけど、常日頃の会話が議論である訳でもないしな。お前に言われたかねーよ、って不用意に相手を不快にさせる事もない。
こうやって面倒臭い事考えてる人間はあまりいないだろうし、むしろ世の中の皆様は助け合いが大好きで「心が狭い」奴の方が許せないのだろうけど。
なんか、不幸になりたいって言ってる人間に対して「イヤあなたも幸福を求めてるでしょ。望んだ状況を手に入れるのが幸福でなくて何なんだよ」って言うのに近いような話だな。
https://www.youtube.com/watch?v=JOYUNvpPPoE&t=340
職場で同僚が強いこと言われて泣いてるのとか理解出来ない。「『大人なのに』泣くのかよ。しかも理不尽なこと言われてるんだから怒れよな」と思ってしまうが、自分は「大人だから毅然としてる」というより小さい頃からそんな感じの人間だった。怒られたりしても反発心の方が大きかったし(基本的に真面目な子供なので怒られることはほぼ無かったが)
現在も勿論そうで、不安や悲しみよりも怒りの方が強い。そして「そうでなければ生き残れなかった」と思っている。「怒りで自分をガードしたり、踏ん張る力に替えないと生きてこれなかった」と
又、親にも「やられたらやり返せ」と躾けられた(上記の「小さい頃から反発心が強かった」と矛盾する様ではあるが、稚い頃は「攻撃性」よりも「被虐性」の方が勝っていたのでイジメの様なものに遭うことが多かった。心配した親がその様な躾けをするのも頷けるし)
↑の思考が極端になりすぎたことに加え父親も同じ傾向があり攻撃的な態度を見て育った為もあり「不安・悲しみを押しのけて攻撃性が前面に出る」タイプに成長した
若い頃はこの様な自分の態度に反省が止まらなかったが、老いて鈍くなってくるとそれも減った
もうどうにもならないよなと思いつつ、こうして「治療法」なんかを見かけると改善出来るもんならした方がいいなとも思うし
攻撃性に関しては老いるとますます手に負えなくなってくるだろうし。認知症までいかなくても認知能力は低下するし前頭葉の抑制も更に衰えるだろうから
それにしても、つくづく生まれる時代を間違ったと感じる(そもそもこんな風に生まれたこと自体間違いなんだが、それは措くとして)
神経発達症への理解や治療が確立されつつあるこの時代に生まれていたら、もっと生き易かったと思う
せめて今の自分の年齢の半分くらいの時に現在くらいの理解・治療・ネット環境があれば良かったなと思う
神経発達症に対する理解や治療はこれからもどんどん変容していくと思われるので、年若い人達はちゃんと向き合って楽に生きる道を模索して欲しい
注:長い&読みづらい
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この方が本当に目指すのは、苦しさからの脱却だよね。それは「二十数年間女性と縁遠いことによる鬱憤」の解消、and / or 将来的に同様の鬱憤を溜めないということだと理解しているのだけど、それだと男性らしさからおりることのみで達成されるとは思えない。男性らしさというのがいささかはっきりしないのだけど、後述される1〜4を読むと、苦しんでいることは次の2つなのではないかと推察される。
(B)女性から異性的魅力(=セックス可能な魅力)の価値を認めてもらえない
(C)異性的魅力をべつの女性に期待してもまた(B)になり、この世の女性から(B)となるのではないかというのが怖い
ということだと思う。これを迂回するのに彼のあげる(1)〜(4)が最適解かというと、そうでもない気がする。(1)〜(4)を引用しておく。
❶ 暴力的な悩みと縁を切る。立ち向かえない弱さを反省するのは止め、強い相手からは逃げます。
❸ 女性にモテたいという願いを捨てます。心を許せる誰かがいない空虚さ、家族がいない寂しさにずっと耐えていましたが、諦めます。
❹ 女性を女性として扱う以前に、人間扱いするようにします。性別に関係なく、自分と同じただの人だと考えるようにします。美人だから緊張するとかおっぱいに目を向けるとかを一切止めるよう努力します。具体的には、美人、などという評価基準を捨て去るように反省します。僕は男性は別に美人だとか考えたことないのだから、シンプルに男女平等を適用すれば可能なはず。
おれの考える最適解は以下のようになる。
(イ)暴力的な定義を変える。真っ向に向かうことだけが暴力的ではない。<(A)の解決>
(ロ)性的にひとりで充足する。すなわち、性欲を肯定する。ただしペニスや射精による性欲を辞める。< (B) (C)の解決>
以下詳細。
(イ)については、(1)の肯定でもある。強い相手は勝ちようがないのだから逃げれば良い。それが最適で合理的だ。しかし、だから弱いとか暴力的ではないと考えるのは早計だ。その場では逃げるという選択肢をとっただけで、別にあとから立ち向かっても良いし、そもそも立ち向かえないものに突っ込んでいくことは暴力ではなく単に無謀なだけだ。例えば目の前に理不尽に怒鳴る上司みたいなのに言い返せず頭が真っ白になる、というようなことで「自分は弱い」と考えているのだろうが、それはあなたの防御特性であったり思考回路や知能特性であり、またその場では何もできないというだけの話だ。たとえば後からムカついていれば、あなたは立派に暴力性をっもつことになり、法治国家において、この上司を後々階段から突き落とすことは自身への利益<損害という判断をしているだけにすぎない。階段から突き落とすのではなく、もっと合法的に合理的に復讐をできないのはあなたの考えが足らないだけの話だから、(1)とは関係ない。あとでゆっくり考えるべし。これを「陰湿」と思うかもしれないが、陰湿であろうがなかろうが暴力的であることに変わりはない。なにが言いたいのかと言えば、暴力性というのものはどんな形にせよあるものなので、「逃げる」ことで陰湿なことを実行しないのであればにならないのであれば十分倫理的じゃないかということである。
※ちなみに、わかりやすく抑止的な暴力性を発露したければ筋トレをして会社で認められる限り坊主にして眉を薄くすればよい。男は禿げるので「禿げてきた」という言い訳で坊主はいける。なんなら人為的に禿げさせていって最終的に坊主になれば良い。
(ロ)これは(2)(3)の否定でもあるんだけど、まずあなたが女性に異性的魅力を認めてもらうのは現在では無理なのだけど、それが気になって仕方ないでしょ?でも性的な充足感がないから気になるわけじゃん。これはもしろいんだけど、自慰行為をセックスの代替ではなく目的にするとここらへんはけっこうな勢いで解決する(ことが多い)。すごく端的にいうと、結局異性が性的対象なんでしょ?というの。そこに未練をなくそうぜという話。そこに特に具体性がなく「モテたい」という願望を捨てる、といってもそれは結局無理なので、今度は男としてというより「人として尊厳が低くなる」とかいう悩みに行きがちで、有効ではない。この面倒な性欲を満たすというところを具体的に処理しないといけない。なので自慰をするわけだ。薬で性欲を無くするのは特殊な事情でもない限りいまは無理だし、寺、修行、悟り系は時間がかかる上俗世と断ち切られてハードル高い。そこまでやっても実は性欲があったりするのでぜんぜん効率的ではない。現実的には自慰でより深い満足・肯定感を得る、自己充足方式が一番現実的である。
それは人それぞれ色々あるけれど、ペニスからの快楽を捨てることは必須になる。アナル、乳首、なんでも良いけど、ペニス以外の性感帯をつくり、ペニスに刺激を与えて射精をするという仕組みからさっさと脱却すること。一般的にいうメスイキってやつを身につけろってことね。これを丹念にやっていくと、わりと対象としての女性はどうでもよくなることが多い。ようは、性癖を拗らせろ、射精をやめろ!といってるわけだ。
うまく拗らせると目の前の女性は別に性的な立ち位置ではなくなるから、(3)(4)はどうでもよくなるのよ。
まあ人としての評価は得たいから、身だしなみには気をつけておく。これは社会人として仕事してればそうじゃん。男性らしさとか関係ない。服を洗え。髭を調えろ。鼻毛を切れ。髪を調えろ。しわくちゃの服を着ない。そういうやつだ。そこは機械的にやればよい。モテではなくマナーとかいうやつだから、別にオシャレである必要はない。で、髪を整えるのが面倒なので3〜5mmくらいの坊主をお勧めしている。
あと、性癖の方向性について注意したいのは、肉体的な快楽を追求することに専念することだ。
精神的な快楽、つまりシチュ萌えとかにいくと対象としての女性が概念的にも登場することになって結局(3)を克服できないからね。あなたがオタクなら完全にキャラ依存しても良いけれど、声優がいる場合はそこに意識が向きがちのでやめるべし。その場合は自分でオリキャラを作れ。いまは絵心なくても3Dカスタムでできるでしょ。
もしくは、純粋に肉体的な快楽を追求する。そうするとかなり無機的な性癖になっていく。いやいやそんなことないと思うだろうけど、男は切羽詰まれば羊にも突っ込むわけで、そこらへんはほんとうに何ともなるのよ。ちょい性欲トリガーを変えてやればいいだけの話で、残念ながら男はそこらへんちょっとしたことで変わりやすい。
注意点として、自慰に時間を使いすぎないこと。とくに性癖チェンジ初期はそう。賢者タイムに後悔するリスクがあり、そうなった場合感情をフラットに戻しづらくなり、最悪今の自分を否定し始める。本当に面倒臭いので、性壁に堂々たる肯定感を得てから長くすること。あと長すぎる場合、社会的な信用を失う(タスクのdueを破るなど)ことにつながることもあるので、それも気をつける。このときはもう射精をしていないはずなので、そうすると下手すると延々時間を溶かすからね。15分くらいからはじめて、長くても1時間にとどめる。
これを達成しても(1)の暴力性は年収とかそういう社会的成功者としてのマウント欲が露になってきたりする。
自分が上ならマウントしたくなるし、下なら惨めになったりする。それを回避する方法を書くには余白が足りないともいうし、プロフ欄に→とかいうしかないし、正直にいえばこれの回避はまだおれもわからない。いや、マジでほんと色々欲望ってのは面倒だよね…