はてなキーワード: 狂信者とは
自分はスターウォーズシリーズのそこそこファンだが、ジョージ・ルーカスが作ったもの以外は偽物という狂信者ではない。
(ただ、マンダロリアン最終回を観たジョージ・ルーカスがベイビーヨーダを救うためにEp7~9をスターウォーズ正史から除外すると発言したのは面白かったが)
とはいえ、やはりジョージ・ルーカスが関わらなかったスターウォーズにイマイチ食指は伸びず昨日の地上波初放送までEp9は観ていなかった。
一応昨日観たのでその感想を覚え書き。
何あの最後。
来たと思ったら能力奪われて、吹き飛ばされて落ちて、パルパティーンが死んだあとに登ってきてチューして消えるって。
あそこ、レイと共闘してあともう少しというところまでパルパティーンを追い込んだけど、
不意を突かれてピンチのレイをかばって・・・そういう演出もできたよね?
そして、これはEp8を観たときにも思った。
ジェダイを裏切り裏切られ、シスも裏切った存在として、スターウォーズの中でもかなり特殊な立ち位置に立っていた。
なのにその後また仮面をかぶっていたし、最後はただの(クソ雑魚)ジェダイだった。
パルパティーンなんか出さずにジェダイでもシスでもない、ただ憎しみに燃える(けどレイちゃんが好きな)カイロレンをラスボスにすることもできたと思う。
そして、確かにジェダイが絶対正義ってわけでもないかも、という疑問をスターウォーズファンに持たせる事もできたと思う。
カイロレンは今までのスターウォーズ=ジェダイ絶対正義を否定するというもっと大きなテーマを持たせることのできたキャラだったと思うので、ただただもったいないの一言。
日和るくらいならEp8みないな映画やカイロレンみたいなキャラを作るなよと。
あまり伏線は追ってなかったので、もしかしたら伏線はあったのかもしれないが、
みんなスカイウォーカーなんだ!って感じの終わり方もなんかダサかった。
せめて最後にフィンのことを助けさせてやれよ。
そこが一番残念だった。
今までのスターウォーズを否定して新しい物語を作る種をたくさん仕込んでいたのに、
結局無難にパルパティーンが出てきて、シスはジェダイに負けて、ジェダイは最高で、
これはマジで最高だった。
とりあえずこんな感想。
そもそもあらゆる宗教において狂信的な態度は有害なんだよね。ただ、「それは別にイスラム教に限らないよね」という話で。
例えばキリスト教の狂信者が銃乱射事件を起こしたこともあるし、今でもキリスト教教義を理由に同性愛を迫害する人は少なくない。仏教(の大元であるヒンドゥー教)にしてもインドあたりじゃ今でも狂信者が支配的(カースト制とか)。日本の神道だって、今や有害でしかない教義を律儀に守っている側面もある。
それは一般的な話であって、○○教に特有の話ではないんだよね。
「尊重する」ことと「全肯定する」ことは違っていて、「尊重する以上は全肯定しなければならない」わけでもないし、「全肯定してはいけないのだから、尊重する必要はない」わけでもない。それは両立しなければいけない。もちろんそれは非常に難しいことなんだけどね。世界は難解だから仕方ない。
そんなんジブリだってピクサーだって真善美とともに暴力だの破滅そのものは描いているわけで
「暴力的描写、世間的に醜悪とされる描写があれば現実的であり正義」と勝手に元増田が判定したところで
彼らがやってるのはデスクにすわって鉛筆で絵を書いているだけのことだ、
ドアをあけてみればおとなしい羊のような何ら抵抗手段ももたない、
運動不足で体力のない煤けたかっこうのおじさんおばさん絵かきの群れにすぎない。
作監のいうとおりかっこいい絵をかいて1枚あたり数百円だののアルバイト料をもらうだけでそんな派手な格好とかできるわけがない。
見る側のほうが自分が絵を書いたわけでもない円盤にお金出したりできるだけよほどお金持ちだ。
絵のちからのみを信奉しその教義に疑問を抱いたらつけ火するなんて狂信者の理屈。
狂信者になる一歩手前で疑問を抱くべきだなんて、普通の人なら言葉にするまでもないんだ。
梟雄、楠永玉秀には押さえがたい野心があった。武威ノ本第3位の勢力である居戸家で家臣の筆頭人になる、いや惣領である小鯨白姫すら超えて下克上を成し遂げることだ。
居戸領内には全光寺と呼ばれる宗教団体が深く根を張っていた。
信徒はもんぺ姿で自分たちを統一し、家臣を深く崇める居戸家の外交にまで口を出してきた。この武威戦国時代において勢力拡大に外交は欠かせない。多少問題のある相手でも、それを呑んで資源を交換するのも武略である。
だがしかし、極端に純化された全光寺教徒は居戸家の外交戦略に異を唱え、一揆を起こした。
これにあわてて彼らを諫めようとした居戸家の家老、馬場阿茶局は政治に疎い傾奇者ゆえ口を滑らせ「もんぺ姿の狂信者」と言い放ってしまった。失言に騒擾は拡大した。その裏には、もんぺ姿に扮していそいそと全光寺に潜入する楠永玉秀の暗躍があったという。
また楠永玉秀は家中でも讒言を行い家臣を2名ほど隠居させた疑いが後世もたれている。
居戸家の力を削いだ楠永玉秀は次いで、他の家臣の茶会の翌日、能舞台の前日に、辻説法を行い、涙ながらに自分が居戸家に尽くしながら不遇の扱いを受けており、まったく報われないことを訴えた。
領主への不信が蓄積し、全光寺勢力も意気軒昂だったところに、これは効果覿面であり、領民はたちまち真っ二つに割れた。武威ノ本各地で家政の失敗があいついでいた時流もあった。楠永玉秀は南蛮商人カルロス・某に情報を握らせ、舶来品と同時に風説を流布させた。
ここで、かねてより楠永玉秀への疑惑を強めていた桜桃みやこ、虫愛軽路、古田三目の居戸三人衆が決起、楠永玉秀と合戦に及び、宗教施設でもあった居戸家の本拠は激しく炎上した。爆発的な上昇気流に火の粉は高く舞い上がり、他家を恐れ慄かせた
楠永玉秀は得意の変装をもちいて一揆の中に何食わぬ顔で潜り込み、主家への不満を煽ることで多くの領民を味方につけた。そして内乱に荒廃する居戸家を尻目に家臣の一人を誘って出奔、民衆の判官贔屓と以前の人脈を活かして勢力を急速に拡大していった。
彼の誤算は居戸家が内乱の勢いのまま滅びず、騒乱の記憶が失われなかったことであろう。滅んだ居戸家を吸収する梟雄の目論見は頓挫した。
これは居戸家の家臣、鈴木神楽が連日にわたる鉄砲の三段撃ちで前線を支え、意気消沈していた他の家臣が復帰するまで戦線を支えていたことが大きい。
滅びなかった旧主家に対して楠永玉秀は初心の讒言を忘れず、ついでに新しく関わりをもった他の家中へも讒言を市中に振りまいた。自画自賛を交えながら。
ここに一人の剣聖が登場する。目にも留まらぬ二連続の抜刀術を得意とする彼は楠永の行状を疑い、仲間と共に調査を繰り返していた。
ある日、楠永を訪れた剣聖は得意の抜刀術を披露することになり、古着を着せられた巻き藁相手に抜いた。
「……ふぅ!」
抜刀の二撃が着物を十字に切り裂き、トドメの突きが古着の背中を突き抜けた。その切っ先には何やら札がついていた。
「呉服屋帳面屋お得意様 楠永玉秀殿 納入先土倉住所○○○ ○○○ ○○○ ○○○」
「ややっ!こ、これは……!?」
その土倉は繰り返し扇動や讒言を行う者が変装の服を着て出てくることで仲間内に注目されていた土倉であった。無数にある土倉の住所が偶然一致することは考えがたい。少なくとも楠永家中の者が謀略に関わっていることは確実であった。
剣聖は「であえであえ!」する楠永玉秀の前から血路を切り開き、市中に証拠の品を晒した。自らのしたことの大きさに改めて震えながら。
楠永玉秀は謀略への関わりを否定したものの、その理路は整然とせず、急速に求心力を失っていった。
「こんなこともあろうかと東の幌生家とはよしみを通じておる。今度は飛ぶ鳥を落とす勢いの幌生家と結ぶことで成り上がってくれるわ!」
より正確に言えば
端的に言えば場の空気の力に屈してるんだよ
やってない罪をしぶしぶ認めて
シベリア送りになる奴が続出した
あるいはその場にいない神(人間の教組だか別の国の独裁者でも良い)を盲信する
大紀元時報に「中国による対日工作、NPOや創価学会がパイプ役=米シンクタンク報告」という記事が掲載されていたので、創価学会について知っていること、理解していることを書いておきます。
なぜならば、カルト宗教団体の定義というものがあり、創価学会の実態は、その定義に多くの点が該当しているからです。
なお、カルト宗教団体の定義やマインドコントロールについては「マインドコントロールの恐怖」という本に詳しく掲載されています。
また、創価学会は、犯罪者と病人と貧乏人の集合体でもあります。
その内実は、イタリアやメキシコのマフィア・ギャングと類似したものであり、宗教団体の名を借りて、国内最大の犯罪・反社組織として君臨してきたという経緯があります。
なお、その構成員の多くはマインドコントロール(洗脳)されており、正常な人間としての認識・判断ができない状態に陥ってもいます。
1950〜80年代に創価学会による強引な宗教勧誘(折伏)が行われ、現在、国民の1割程度が学会員(創価学会の信者)だと考えられています。
とりわけ公務員、具体的には、警察組織、消防組織、自衛隊には浸透しており、警視庁職員の2〜3割が学会員であることが明らかになっています。
小中高校・大学のクラス、そして、企業の職場には必ず一定の割合の学会員が存在し、そのため、そういったコミュニティーの中で創価学会を批判することがタブーとなっています。
なぜならば、各コミュニティーの中の学会員は、香港に浸透している大陸系共産党員と同じように、コミュニティーの構成員の言動を監視しており、もしも創価学会に批判的な発言をする人間がいたならば、その人物をターゲットとして工作活動を開始するからです。
その工作活動は、中共が香港の人権活動家に対して行っている弾圧行為と類似したものであり、活動の妨害、嫌がらせ、後をつけ回す行為を含む、集団ストーカーを言われている行為のことです。
例えば、日本で、学校のクラスや職場で「創価学会は、カルト宗教団体の定義に合致しているからカルト宗教団体だよ」とおだやかに発言すると、コミュニティー内の学会員が、(受けているマインドコントロールの程度に応じて)狂ったように怒り出したり、怒りを噛み殺したような態度でその発言を否定します。
そして、そのような発言をした人間に「アンチ」というレッテルを貼り、また、創価学会員同士でアンチの情報を共有し、「仏罰が下るべき存在」として、監視対象、集団で攻撃する対象であると認識し始めるわけです。
しかし、実際のところ、カルト宗教団体の定義というものは、創価学会のために定義されたものではなく、オウム真理教や人民寺院のような危険な宗教団体から、一般人が被害を受けないことを意図して定義されたという経緯があるわけです。
創価学会が「カルト宗教団体の定義」に該当するのは、創価学会にカルト宗教団体的な傾向があるからです。
創価学会の信者が、そういった事実を指摘され、「自分が所属している宗教団体の悪いところは直していこう」と考えるのではなく、批判者(アンチ)を弾圧して沈黙させようと考えるのは、いかにもカルト宗教団体の狂信者の発想・行動パターンに該当するし、サリン事件(テロ)を起こした頃のオウム真理教の信者も類似した発想・行動のパターンだったろうと感じます。
カルト宗教団体の信者というものは、無自覚にマインドコントロール・洗脳されていますので、問題点を指摘されたから自分たちの考え方や行動を改めて行こう、という発想にならないわけです。この点では、香港の人権活動家たちの要求に対する中国共産党に態度と類似しており、つまり、創価学会のようなカルト宗教団体の狂信者は正常な人間ではないわけです。
ところで、日本にも日本共産党という組織がありますが、こちらも実態は反米テロ組織で、アメリカであれば非合法です。
また、反米組織同士で通じ合うものがあるようで、「創共協定」という契りを結び、反日・反米分子の工作員を融通し合うなど、この国を蝕むために協力していることはよく知られたことです。
カルト宗教団体と協定を締結している時点で、日本共産党の本質が反米テロ組織なのであり、また、日本共産党がカルト宗教団体的であることは明らかなわけです。
なお、別の視点から見ると、信者にとっての創価学会というものは、ネズミ講やネットワークビジネスのような詐欺・犯罪行為を行う巨大組織に見えるようです。ブラック企業のような要素もあり、入信した末端信者は、物的・精神的に疲弊していく一方なわけです。
そのような創価学会の実態が、シニフィエ氏が運営する下記のブログで暴かれています。多くの現役の学会員・脱退した元学会員たちの証言や体験談が掲載されています。
創価学会のこのような実態は、個人に心の安らぎを与えたり、精神的な支えとなるような、宗教の本来の役割とかけ離れたものであることは明らかです。
「類は友を呼ぶ」ということわざがあるとおり、創価学会が中共と良好な関係を維持しようとすることは理の当然です。
もっとも、日本で就労経験のある中国人の多くは、創価学会のことを嫌いになって帰国するようです。
創価学会はオウム真理教とは異なる戦略を採用しており、企業、警察、消防、自衛隊、地方公務員の様な多くの組織に浸透していますが、アメリカにとっては、霞が関官僚と自衛隊に浸透している学会員は危険な存在であると考えられます。
なぜならば、彼らは本質的に反米分子なのであり、中共に協力する工作員として活動する恐れがあるからです。
米欧の知識人の間では常識でも、日本ではマスコミや官僚が止めて日本国民に周知されていない知見があります。
その一つは、学会員の寄付を創価学会本部がパナマのノリエガ(元将軍、現在収監中)に送り、大規模な脱税・マネーロンダリングを行ってきたというものです。
ノリエガは、創価学会・池田大作から大量の学会マネーを受け取り、その金を自らの麻薬ビジネスに投入、国際的なレベルで麻薬を蔓延させてきました。
創価学会・池田大作としては、学会員から巻き上げた寄付を、脱税・マネロンも兼ねてノリエガの麻薬ビジネスに投資・運用。その運用益を国内に還流させ、創価学会幹部が私腹を肥やすための資金、および、創価学会施設・創価大学などを建立する資金にする一方で、同時期に外部に対しては「平和と人権」などと嘯いてきた経緯があるわけです。
なお、同時期、聖教新聞で「池田大作がノリエガを持ち上げてきた」事実は、聖教新聞を購読してきた学会員の皆さんには否定できないところでしょう。
とりわけ、警察組織、警視庁や道府県の警察官レベルで学会員が多く存在し、国内で社会問題をひき起こしたり学会員の犯罪を隠蔽してきたわけですが、彼らが「このような事実をどのように解釈するか」という話にもなります。
まあ、無自覚に洗脳・マインド・コントロールされている様な状態であれば、内容を信じないで、腹を立てたり、不機嫌になったり、書き手を攻撃しようとする行動パターンを想定することが出来ます。
つまり、オウム真理教の信者のように事実を頭から否定する態度が多くの反応として予想され、それは簡単の予想されるところですが、これ(創価学会と麻薬ビジネス・脱税・マネーロンダリングの問題)はノリエガがアメリカに麻薬を蔓延させて逮捕・収監されたために明らかになった事実であり、米欧では常識として周知されています。
このような経緯から、「創価学会が犯罪組織であるという事実」を否定することは非常に難しいだろうと感じています。
※「両親は創価学会に数千万円寄付した」 宗教2世・長井秀和が告発「100万円の壺なんて安すぎて学会員にはピンとこない」 (デイリー新潮)
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/11161131/?all=1
※「実家が保管していた創価学会への財務の受領証を預かってきました。※これはあくまで一部です」🌙🌟✨蘭丸✨🌟🌙@lWCBNyyAU1Wf6i0 (Twitter)
https://mobile.twitter.com/lWCBNyyAU1Wf6i0/status/1594306854217469954?cxt=HHwWhMDSyeHojqAsAAAA
※「創価学会2世。小学生から富士鼓笛隊員。我が子たちには継承してません。するわけない。新宗教に親が子供を勝手に入会させて過度な宗教ル―ルを押し付けるのは「精神的児童虐待」です。宗教2世にこそ、信教の自由を与えてください。」🌙🌟✨蘭丸✨🌟🌙@lWCBNyyAU1Wf6i0 (Twitter)
https://mobile.twitter.com/lWCBNyyAU1Wf6i0
※創価学会に"一度入ると抜けられない"理由 退会しても「統監票」に一生残る (PRESIDENT Online)
これは少し前にTwitterでバズった概念「おけけパワー中島」を自称した元フォロワーに対するただの悪口であり、それ以上でも以下でもない。
元フォロワーであるところの彼女を知っている人が万が一これを目にし、あわよくば同意してくれることを願っているが、基本的にただ自分の中のわだかまりを解消するためにつらつら書いているものだ。自己満足であることは承知している。
直接言えよなどあるかもしれないが、知るか。繰り返すが、これはチラシ裏に書かれた駄文である。
この神とは、すなわち彼女の好むストーリーラインを創作できる人間を指す。
彼女は神の布教を熱心に行う狂信者であり、神に並び立つことを喜びにするタイプの人間だ。神を崇めるが、神と己が並び立っているかのように振舞う。
でも、彼女は神の友人でもなんでもなかった。
でも、別に神の友人でも知人でもなかった。はために見ても怖いくらい熱心だとは思えたし――彼女と知り合ったきっかけのジャンルには彼女なみの熱狂的ファンがゴロゴロいたが、やばい四天王のひとりくらいにはジャンルの人間にも神にも思われていただろう。
けれど、友人にはなりえなかった。そもそも、神と呼び奉り、人間性を無視している時点で友人ではないだろうに、と思うのは最近になってからだが。
神の友人でも、神を人に堕すような人間でもない。ただ変質的で熱狂的なひとりのファンだ。ついでにこれは悪口なので付け加えるが、こいつは面倒みがいい陽キャでもない。(そのため、自分が形成したグループから結局ハブられた。付き合いが悪くて、オフ会にやってきても自分の興味のある会話にだけ参加、それもキャチボールじゃなくて豪速球早口自己解釈語りだ。TLでオフ会の様子がキャッキャと流れる度に毎度毎度悔しがっていたが、空リプするだけで当人たちに凸ることはなかった。ついでにこいつは空リプを他人がするとお気持ち表明する)
彼女が自分は「おけけパワー中島」だから、あの漫画の主人公たちにまるで同意できない、という旨をツイートした。
私は「おけけパワー中島に対する解釈違いです!」と胸の内で叫んでいた。実際はとりあえず彼女をミュートした。忙しくなってきた時期で、こういうツイートに批判的になるのはヤバい証左だ。精神衛生上良くないものは見ないに限る。
決定的に無理だな、となったのは神と同じジャンルの二次創作を辞めるという、彼女のお気持ちブログを読んだ時だった。
彼女はジャンル黎明期からいる人間だったから、ミュートしててもTLがうっすくざわついているのはわかる。比較的落ち着いていた気持ちの時にそれを読んだ。
ブログの内容は、神の解釈に自分の二次創作作品の解釈が混入し始めたから自分はこのジャンルでの活動を辞める、というそこそこ長い文章だった。
それから、こいつ本気で自分が神に並び立っていると思っていたのか、と怖くなった。
元々、神に積極的に絡みにいっていた。神の悪い部分を吹聴するのに、そういう部分も自分は理解しているけどね、という態度をとることも多かった。
全部全部、友人だと思っているからそういう態度をとっていたのか、と合点がいった瞬間、ブロックした。
創作者はべつに神ではないだろうと思ってる。ものを創るという行為はすごいし、作品も、本も敬愛の念を抱かせるに十分だ。
創作者を尊敬しこそすれ、神だと勝手に崇めたり、その神と自分は親しいものだ、と自尊心を守るために振る舞うものでもないだろう。
とりあえず、私は狂信者にもなれないのだろうが、あれのようにだけはなりたくないな、と痛感した。
それから、無邪気に信奉している、という言葉を創作物に使うのを控えるようになった。
とりあえず、「おけけパワー中島の解釈違い地雷です!そこの読み込みができない人間は無理です!」という、これはそれだけの話だ。
普通に生きててもマウントを取ってくる人はいると思うけど、オタクで同ジャンルの人がマウントを取ってくるとつらい。
自分のほうが〇〇をたくさん調べて良く知ってる、お金をかけてレアな商品を買ってる、みたいなやつ。
親しくなければ別に気にしなくていいんだけど、同じ時期にハマって仲良くなった人がだんだん狂信者みたいに変貌してマウントを取ってくるパターンが多い。
(しかも、「運良く入手できた自分は神に愛されてる…!」みたいな謎の陶酔も加わってくる)
無下にするわけにもいかないから「へーすごいねー!」って言わなきゃいけないし。
仕方ないからその度にジャンルを降りたり垢を消したりしてるけど、現ジャンルでまたそのパターンになってもう辛すぎるので、Twitterで相手をミュートして見ないようにした。
きっとそのうち反応がなくなってることに気付くだろうけど、もう知るもんか。
これは少し前にTwitterでバズった概念「おけけパワー中島」を自称した元フォロワーに対するただの悪口であり、それ以上でも以下でもない。
元フォロワーであるところの彼女を知っている人が万が一これを目にし、あわよくば同意してくれることを願っているが、基本的にただ自分の中のわだかまりを解消するためにつらつら書いているものだ。自己満足であることは承知している。
直接言えよなどあるかもしれないが、知るか。繰り返すが、これはチラシ裏に書かれた駄文である。
この神とは、すなわち彼女の好むストーリーラインを創作できる人間を指す。
彼女は神の布教を熱心に行う狂信者であり、神に並び立つことを喜びにするタイプの人間だ。神を崇めるが、神と己が並び立っているかのように振舞う。
でも、彼女は神の友人でもなんでもなかった。
でも、別に神の友人でも知人でもなかった。はために見ても怖いくらい熱心だとは思えたし――彼女と知り合ったきっかけのジャンルには彼女なみの熱狂的ファンがゴロゴロいたが、やばい四天王のひとりくらいにはジャンルの人間にも神にも思われていただろう。
けれど、友人にはなりえなかった。そもそも、神と呼び奉り、人間性を無視している時点で友人ではないだろうに、と思うのは最近になってからだが。
神の友人でも、神を人に堕すような人間でもない。ただ変質的で熱狂的なひとりのファンだ。ついでにこれは悪口なので付け加えるが、こいつは面倒みがいい陽キャでもない。(そのため、自分が形成したグループから結局ハブられた。付き合いが悪くて、オフ会にやってきても自分の興味のある会話にだけ参加、それもキャチボールじゃなくて豪速球早口自己解釈語りだ。TLでオフ会の様子がキャッキャと流れる度に毎度毎度悔しがっていたが、空リプするだけで当人たちに凸ることはなかった。ついでにこいつは空リプを他人がするとお気持ち表明する)
彼女が自分は「おけけパワー中島」だから、あの漫画の主人公たちにまるで同意できない、という旨をツイートした。
私は「おけけパワー中島に対する解釈違いです!」と胸の内で叫んでいた。実際はとりあえず彼女をミュートした。忙しくなってきた時期で、こういうツイートに批判的になるのはヤバい証左だ。精神衛生上良くないものは見ないに限る。
決定的に無理だな、となったのは神と同じジャンルの二次創作を辞めるという、彼女のお気持ちブログを読んだ時だった。
彼女はジャンル黎明期からいる人間だったから、ミュートしててもTLがうっすくざわついているのはわかる。比較的落ち着いていた気持ちの時にそれを読んだ。
ブログの内容は、神の解釈に自分の二次創作作品の解釈が混入し始めたから自分はこのジャンルでの活動を辞める、というそこそこ長い文章だった。
それから、こいつ本気で自分が神に並び立っていると思っていたのか、と怖くなった。
元々、神に積極的に絡みにいっていた。神の悪い部分を吹聴するのに、そういう部分も自分は理解しているけどね、という態度をとることも多かった。
全部全部、友人だと思っているからそういう態度をとっていたのか、と合点がいった瞬間、ブロックした。
創作者はべつに神ではないだろうと思ってる。ものを創るという行為はすごいし、作品も、本も敬愛の念を抱かせるに十分だ。
創作者を尊敬しこそすれ、神だと勝手に崇めたり、その神と自分は親しいものだ、と自尊心を守るために振る舞うものでもないだろう。
とりあえず、私は狂信者にもなれないのだろうが、あれのようにだけはなりたくないな、と痛感した。
それから、無邪気に信奉している、という言葉を創作物に使うのを控えるようになった。
とりあえず、「おけけパワー中島の解釈違い地雷です!そこの読み込みができない人間は無理です!」という、これはそれだけの話だ。