はてなキーワード: 権益とは
はてなブックマーク - 日本「サハリン、北方領土急襲も」 元ロ軍高官主張、主要メディア一斉に報道 | 47NEWS
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/463499364229923937
2600年の歴史の中で明確に外国に攻め入ったのこの2回くらいじゃねえか。
他の国見てみろ。ヨーロッパもユーラシアも年中攻めたり責められたり
むしろ日本なんて外国との戦争をほとんどしてない平和国家じゃんかよ。
そもそも第二次大戦以前はどこの国も覇権主義が当たり前でスキあらば領土権益の拡大を狙ってた。
それが国際連合ができて、一応表向きはもう戦争はやめましょうってことになった。
でもアメリカもソ連(ロシア)も中国も戦争しまくってたし外国への権益拡大を隠さなくなった。
イギリスもフォークランド紛争とかあったし。フランスも核実験したし。
それでホントにいいのかって考えが出てきたから「普通の国」論とか出てきた。
最近「自民党というか現政権は『サリンを撒かないオウム真理教』なんだな」と思うようになった。
オウムが掲げる教義は、ヨーガやヒンズー教をはじめとする既存の宗教を研究・解体し、自分たちの都合の良いように再構築したものだった。世の中の倫理観からはかなり偏って見えた。
一方、日本会議が育んでいる「教育勅語の復権」や「大東亜戦争の肯定」「ジェンダーフリーの是正」といった思想も、程度は違えどだいぶ偏って見える。
両者の違いは「その思想によって生活やアイデンティティを脅かされる人数の差」くらい。
あと「宇予くん」や「クールジャパン」みたいな、時代遅れ甚だしい感性でメディアに打って出るやりかたも似てる。
突如、総理が自分の名前をサビにした歌を歌いだしたとしてもまったく驚かないだろう。
戦後からの権益が礎になってるから、立場が危うくなっても無闇な虐殺はしなくていいし、急に弁護士一家を殺したり、サリンを撒いたりもしない。
生活を捨てさせずに支援者を増やして、彼らが持て余している在日外国人や同性愛者らマイノリティへの蔑視や敵意を上手く育てている。
今回の新内閣幹部から過去に「天賦人権論はやめよう」とか「同性愛者は国民として格下」みたいな頓珍漢な理屈が飛び出してても、国民の過半数は普通に生活出来てるからそんなに炎上しない。
そうやって、彼らはあらゆる疑惑を舌先と金で巧みに躱しながら、自分たちが気持ちいい宗教的イデオロギーで民衆を導きたいんだろうなと。
そう思えば「オウムにしては頼りになるな」と思えるのではないだろうか。
仮に、あの世紀末にオウム真理教がサリンを撒かずに与党に吸収され、教義を表向き廃棄としつつ隠匿、民主主義を標榜しながらこの国を治める立場になり、じんわりと教義を主張し始めたとしたら、きっとこんな感じになるのではないか。
まあ「教育勅語」のような数十年の間のみ通用した文言を重要視する歴史観だったり「EM菌よく知らないけど大臣を引き受けました」といった現代科学を軽視する様を見るにつけ、オウムと比べると姿勢はダサく、知性は幼稚に見えるけど。
でもいいのだ。それなりに生活できてるし。
このまま、サリンを撒かずにこの国を治めて欲しい。思想以外は支持しています。
そして、出来ることなら露骨な身内贔屓や醜い言い逃れを改めて欲しいです。出来ればだけど。
「関係ない連中がぞろぞろ制度を利用しにくる」という事態を防ぐためにこそ、「戸籍に書き込まれる」結婚という制度を利用する意味があるとは思わないか?
単に仲のいい同性の友達が同居していることに対して「結婚」と同じ社会的な権益を認め優遇するというのは理に適わないが、もしその二人が真剣に互いをかけがえのないパートナーとして終生変わらぬ関係を周囲に対して誓うというなら、その証拠を戸籍という形に残すことに何のためらいもないだろう。それならば、病気の際の代理人としての権利や法的責任、高度障害・死亡時の介護の責任、財産分与を求める権利など、「戸籍」に基づき発生する諸々の権利・義務をそのカップルに認めるのは理に適っている。同性「婚」というのは、愛や恋ではなく純粋にそういう話だと思っているし、それをただ「仲良く楽しく同居しているだけの二人」に認めよというのは、社会に混乱しかもたらさないのではないか。もちろん、同性婚ができれば深く考えない連中が悪用するということもなるほど起こるかもしれない。しかし、現今の結婚制度の異性間で同様に、たとえば在留資格を取るためとか名義貸しとか逃げ恥とか、そういう風に「結婚」という制度について、深く考えずにただ乗りする例はあるわけで、それでも全体としてはおおむね破綻なく運用されているところを見れば、発生する問題は制度を維持する上で致命的となるほど大きな物ではないと推測できるね。「戸籍に登録する」というのはそれなりに一定の社会的ブレーキとして機能していることが期待できる。
そして、仮に同性婚を制度として認めたことで社会の認識自体が変化するとしたら、それは二次的三次的な作用の方だろうし、その作用は社会全体にとって利益こそあれ、不利益がどこにあるのかよく分からない。いや、「不利益がある」と主張する権利が一体どこの誰にあるのか分からない、という方が正しいか。たとえばAとBが仲良く暮らすことがCにとって「目障り」だとして、それを主張してAとBを日陰者にするのは、社会全体にとってプラスかマイナスか? 普通に考えて、「Cさんにそんな口出しをする権利はありません」とするのが常識的な判断だろう。そんな判断がまかり通るなら、我々は安心して暮らすこともできない。実に全く「余計なお世話」だ。仮に「おたくらカップルがうちの○○ちゃんの教育に悪いザンス!」とか喚いても同じだ。悪いけどあなたにそんなことを言う権利はないです、としか言いようがない。「目障りだ消えろ」というのはきわめて幼児的な心性だよ。
また、あなたの「概念を破壊する改革」という主張も、残念ながら意味不明だ。あなたの「概念」とやらはたかだか10数年のずいぶん狭い観測範囲で培われた単なる「偏見」に過ぎないのではないか。大正時代くらいの一般社会の「常識」は現在とはかなり違っているし、あなたの思う「概念」とやらも、実はこの10数年ですらどんどん動いているよ。あなたはその変化を捉えることができておらず(いわば「若い者についていけなくなったヒステリー」で)単なるマイルールを常識や概念、伝統と呼び換えてごまかしているだけではないかね?
それからもう一つ付け加えると、「両性の合意のみに基いて成立」という憲法の条文を「両性は異性という意味だから憲法は異性婚しか認めていない」とかいう風に奇妙にねじまげて解釈しているのは、同性婚を必死に否定しようとしている方々であって、護憲派リベラルではないよ。ここで「両性の合意」というのは、一般には明治憲法下における家制度の否定の文脈で生まれてきたと理解されているので、その成立経緯を踏まえれば単に「結婚する二人」という以上の意味ではない。(参考:明治の民法第750条「家族が婚姻または養子縁組をなすには戸主の同意を得なければならない。」)護憲派はせいぜい「そんな解釈は無理筋でしょう」と言ってるだけだろう。事実は正確に観測すべき。自分の都合良いようにねじまげてはいけない。自分の主張に説得力を持たせたいなら。
増田の言うエスタブリッシュメントはえらい狭義だな。
じゃあある程度合わせるために俺の言うエスタブリッシュメントを裕福層と言い換えよう。大体年収800万以上ぐらいの世帯のことだと思ってくれ(それで裕福層?って笑うのはナシだ。平均年収が400万だってこと忘れるな。本当は富裕層って呼びたいけど、増田的には年収800万は富裕層ではなさそうなので)。
んで、裕福層だから子どもの学力を高くできて子どもの学力が高いから子どももインテリ層に入れてインテリ層だから裕福層になれてっていう再生産構造があることは今更説明するまでもないことだけど、この構造を支配的構造と言わずになんと呼ぶんだ?といった感じ。
これをインテリ叩きだ真の敵のエスタブリッシュメントは見えていない、と言われても、見えないエスタブリッシュメントなんて陰謀論と何も変わらんしそれより見えてるお前らの権益(ここでは裕福層の再生産構造のこと)を寄越せ、となるのは何もおかしな話じゃないだろ。
それを平和だからできることって言うが、これが100年200年続くとなるとその先にあるのは平和か?
あと増田の話、自分たちが現代のエスタブリッシュメントだということを隠したいがためのインテリの嘘ではないということ、論証できる?
「ゴールデンカムイ」見てますか? 面白いですよね! 原作全部読んじゃって「もっと・・・」状態
|
そんなあなたに明治維新前後(18世紀~20世紀前半)の北海道を舞台にした伝奇/アクション作品を紹介してみようと思います。
|
1)
「地の果ての獄」
”北海道が一般の人にとって地の果ての島だった明治19年。薩摩出身の青年、有馬四郎助は月形の樺戸集治監の看守に着任した。そこは刑期12年以上の凶徒を集めた人間の運命の吹きだまりであった。正義感あふれる四郎助は、個性的な囚人たちが起こす奇怪な事件に厳しく対しようとする。だが、元与力のキリスト教教誨師・原胤昭との出会いがその運命を変え始め...。明治に生きる人々の姿をつぶさに拾い上げた圧巻の人間ドラマ。”
|
2)
「旋風(レラ=シウ)伝」
北海道出身の朝松健先生の作品。本作はクトゥルーネタはあんまりない。
”明治二年、箱館・五稜郭は陥落し、戊辰戦争最後の戦いは終わった。南部藩出身の若き遊撃隊士・志波新之介は、古参の兵士たちのはからいで死をまぬかれ、榎本武揚から手渡されたスペンサー・カービン銃を手に北へ向かう。前途に広がるのは、コロポックルが邪悪な罠を仕掛け、犬神が姿をあらわし、淫魔が歌声を響かせる、いまなお伝説が息づく蝦夷の大地。残虐きわまりない北海道開拓使・仙頭左馬之介が率いる討伐隊と死闘を繰り広げながら、新之介は自由の地を目指して歩を進める。”
現代北海道ものでは「魔犬召喚」「凶獣幻野」がお勧めです。北海道こわい!
|
3)
”戊辰戦争もあと二日を残し、五稜郭で幕を閉じようとしていた。「降伏はせぬ。」と、陥落前夜、自由を求めて脱出した旧幕府軍の凄腕狙撃兵、蘇武と名木野。逃げのびる二人は、アイヌの土地を蹂躪する新政府の画策を知り義憤に燃えた。だがその背後に迫る、新政府軍残党狩り部隊の足音。酷薄で執拗な追撃戦が開始された…。広大な北海道を血にそめて追われる者と追う者が、男の誇りを賭けて戦う冒険小説。”
佐々木氏は北海道舞台のキング風の現代ホラー「白い殺戮者」で「アイヌ・ライケ・ウパシ」=「人を殺す雪」というアイヌの民話について登場人物に語らせていたりします。
|
4)
「蝦夷地別件」
”十八世紀末、蝦夷と呼ばれるアイヌ民族は和人の横暴に喘いでいた。商人による苛烈な搾取、謂れのない蔑みや暴力、女たちへの陵辱…。和人との戦いを決意した国後の脇長人ツキノエは、ロシア人船長に密かに鉄砲三〇〇挺を依頼する。しかし、そこにはポーランド貴族マホウスキの策略があった。祖国を狙うロシアの南下政策を阻止するべく、極東に関心を向けさせるための紛争の創出。一方で、蝦夷地を直轄地にしようと目論む幕府と、権益を死守しようとする松前藩の思惑も入り乱れていた。アイヌ民族最後の蜂起「国後・目梨の乱」を壮大なスケールで描きだす超大作。”
脇長人て何?って思って検索したら 夷酋列像 が はてなキーワードに登録されていました。
|
5)
「天動説」
山田正紀作品。山田氏の北海道舞台の作品というと「謀略のチェスゲーム」「人喰いの時代」なんかがすぐ思い浮かぶけど、昭和なんですよ。時代を合わせると「ツングース特命隊」「崑崙遊撃隊」あたりになるんですが…
本作は第一部が江戸編(ザ・”江戸時代”)、第二部が蝦夷編の伝奇小説。ラストはむりくり明治維新期まで到達。あんまりアイヌは出てきません。
|
6)
「カムイの剣」
|
7)
「王道の狗」
”明治時代中期、北海道開拓に使役させられていた若い囚人二人は脱獄し、それぞれの道を歩み始めた……。壮大なスケールで描く歴史長篇漫画”
|
どうでしたか? アフィサイト並みに読んでない作品も挙げてみました。
ちなみに「ゴールデンカムイ」読んでません! ごめんなさい!!
はっきり言ってそこでの存在感が強い国ってヤバい国ばっかじゃね?
すごい攻撃力を持ってて実際にやりかねない国。
米・中・露。
北朝鮮はそういう国の言うことは真っ先に聞く。
攻撃する為の武力を持たない日本は国際的な制裁強化の枠組み整備でアプローチしてきた。
ていうか日本と違って攻撃する軍事力持ってるEU諸国らもこの問題のアプローチは同じ。
強大な攻撃力と攻撃出来る意志と体制を持った国になれって言ってるの?
そしてもっとあの半島に積極的に首を突っ込み権益を求める姿勢の国になるべきだと言ってるの?
つまり米・中・露のような。
そういうのってすんごいタカ派の勇ましい右翼が言うならまだわかるけど
何故か左派っぽい人がこぞってそういうこと言ってるのが謎過ぎる。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54304 を読んで
生物進化の観点で考えると、少子高齢化は増えすぎた生物種を絶滅においやる自然の摂理と感じられる。
生物は両性具有から、役割を分担した方が種の保存の観点から効率的であったので”性別”を手に入れた。
主に運動性能を向上させた性と、新しい個体を生み出すことができる性である。
しかし、人間社会は成熟し、肉体労働の割合が減少するにしたがって、
ホワイトカラーであれば、女性は男性と同じパフォーマンスを発揮できるのだ。
新しい個体を生み出す機会(これは産む産まないの1か0かではなく、産む”機会”の話)を損失して、
社会に出て働くことを選択した女性のパフォーマンスは男性と同じでは意味がない。
あくまで種の効率性の観点では、男性と同じパフォーマンスなら男性がやればいい。男性には子供が産めないのだから。
(女性の皆さんは「そんなの派遣社員にやらせればいい」というおじさん上司の口調で読んでいただきたい。)
ホワイトカラーの観点で、本当に女性と男性の知性が全体として同等のレベルにあるならば
(男性の権益を守るには、肉体的疲労を伴う仕事を増やすしかない。AI化なんてもってのほかである。
究極は戦争。いろんな意味でマッチョにいくしか男性の権益は守られない。)
イスラム圏や発展途上国に残る女性差別は、人間という生物的プラットフォームの仕様に
ユーザー側が忠実に合わせている状態なので、種の繁栄という観点では効率的である。
ホワイトカラーの仕事が増えようが、組織的に女性の選択肢を絞り、男性の選択肢の数と等しくする。
女性から見ると、女性は男性に働かせ、自分たちにしかできないことに専念する。
そうすることで安定的に個体数を増やし、勢力を拡大することができる。
つまり、今までの進化で得てきた生物的プラットフォームを壊そうとしていると言える。
次は「新しい個体を産む」役割分担を平等化することが不可欠だ。
男性もできるようにするのは役割分担以上の効率化とは言えないだろう。
しかも、今あるような体外受精のあと子宮内に戻すような方式ではない。
フェミニズムは女性を解放したが、その副次的な作用として、男性をも男社会の抑圧から解放したのである。
以前の男社会であれば、男が社会的強者として女を守ることが当たり前の価値観であり、それに見合った権益が存在した。
男には納税や兵役の義務があり、女以上に責任が覆いかぶさっていたのだ。しかし、それにもかかわらず男は文句は言わなかった。
何故ならそれに見合うだけの男だけの特権が存在していたからだ。
その特権とは、自分以上の容姿の美しさを持つ女を選ぶ権利があり、社会からブスそのものを排除する仕組みになっていたのだ。