はてなキーワード: 文鎮とは
IOSとWin10は別のOSで対応アプリが違うから速度比較に意味は少ないんです
Surfaceシリーズで問題にされているのは品質や安定性が悪いこと
同じような値段でMacも存在してるから高級品のカテゴリでコスパを問題視してる人は多くはいない
荒れ野何が不満点というかなぜ同じ金額でMacを買ってSurfaceを買わないのかといえば文鎮とか不穏なニュースが多いから
PCマニアが得意な再インストールとかでどうにもならない部分の不具合が多いわりに何かできることや機能が多いわけでもない
タブレットユースを売りにしてるけど
タブレット的な使い方だとIPADが安定していて速度が速くて鉄板の選択肢だからSurfaceを買うというのはPC用途以外にない
いくらかけようが、ベンチャーに対するものである以上、結果は売り上げと利益。
予算の額は正直関係ない。ただ、でかいネタはそれなりの金をかけないとチャンスすらもつかめないが、それでも当然失敗する者は失敗する。
「ベンチャー」である以上、百発百中なんてありえない。しかも、企業やVCすらも懸念するクラスのものを役所の研究開発助成は出す。
VCが出すのが一般的に10件に一軒大成功で10倍以上になるというのが目安だ。国プロは100軒に一件大成功で100倍以上になるようなネタを狙わないとならならない。
とすると、当然大量の死屍累々の嵐なんだよ。それでも何とか自立してくれる企業を作る必要がある。
それに必要なのは、とにかくそのネタ使って副次的効果でもいいから売れるところ見つけて来いということ。
なおかつ、研究開発助成のみならず、技術系ベンチャーの人間というのはどうしてもプライド高くて営業に及び腰。
だからそこを市場を見ろ、恥かいてでも飛び込み営業行って来い、ケツたたいて売って来いということが必要。
最初狙ってたターゲットが、別のアプローチでなした業者に奪われるなんてのも当然。逆に、思いもよらなかった用途に応用でき、売り上げが出ることもある。
なおかつ、何らかの形でベンチャーが自立してくれればそれ以上国が金を突っ込む必要もないわけだ。税金の節約にもつながる。
成果は出している売り上げが出ない。でも会社を続けたいし、可能性がある技術だから、助成金ゾンビが誕生する。
助成金ゾンビが誕生するから書類を増やして、しかも期間をどんどん短くする。ゆえにベンチャーのエコサイクルが成り立たないような予算になってる。
そこで、似たような技術での研究開発名目で出すということが行われてたが、その搦手がつぶされてますますうまくいかない方向に行ってると思うがね。
・評価
研究がらみの「書類の調査」って完全に機能不全になってるよね。誰が評価するんよ?
国プロの審査にかかわれるくらいの教授やビジネスコンサルタントなんて、めちゃくちゃ忙しいよ?
だから、大量の書類を作らせるが、それも斜め読みして適当に点数つけて終わり。
外部から見たらわかるとか言っても無駄に何十ページとなって、文鎮としての重さを競うようになってるような書類なんざ誰も読まない。今でも国民みんなに公開されてるよ?
そもそもそれなりの高度で特化した技術なわけで、読めるだけでもどの分野もそれぞれ数百人いたらいいんじゃないぐらいだと思うけどね。
その重さをどんどん増やせといってるようにしか見えないんだけどね。
むしろ、ただでさえマンパワーが少ないようなベンチャーの誰かがその大量の書類を作るわけだ。その「大量の書類を作らせるという行為」がベンチャーの足かせになるんだよ。
この評価のために大量の書類を作らせて研究を阻害するのは大学についてもいえることだね。バリバリ研究をできるはずの教授、准教授、助教、ポスドク、博士学生収支学生の時間を拘束する。
特に、ポスドククラスは時間が限られて成果を出さないと首を吊るのに、弱い立場だからそこにしわ寄せが行く。それを見ていた修士学生は博士課程に進まなくなる。
それこそが日本の研究開発力を落としてると思う。金もそうだが時間がなければいい研究成果作れないし、
時間を日本人研究者が拘束されるということはその分脚に鎖をつけてマラソンすることを求められてるようなもの。
UXを専門にしているが、これほどなイベントは他に知らなかった。
恥ずかしながら、buildersconへの理解がなく、特典をみて個人スポンサーへと申し込んでしまった。
しかしながら、行ったところ、個人スポンサー特典で約束されている「別途用意の部屋での充電等が可能」というのはなかった。結局は一般参加者と変わらないし、懇親会まで立ちっぱなしが多いし、充電もできないし、何のために15,000円払ったかよくわからない。
個人スポンサー特典が契約であると仮定するなら、全く契約を遂行しないという運営にはしびれた。
◯ 会場費は最低単価であるはずなのに経費はどこにいった
私はbuilderscon tokyo 2017に、懇親会のためにいったわけでも、朝食のためにいったわけでもなく、セッションを聞きにいったわけだ。登壇者がコンテンツであり、そのコンテンツを「1. 快適に」「2. 楽しむために」個人スポンサー料金を支払った。
しかしながら、快適に、という部分は、座れる部屋どころか電源がある部屋も案内されなかった。じゃあ、楽しむために、はどうだったかというと、楽しくなかったわけではない。けれど、その登壇者ってゲスト以外は何も支払われていないんでしょ?
簡単に考えて、7,500円と15,000円の間を雑にとって1万円が100人としても100万円。スポンサーの協賛費で100万を切ることはないと思うと最低200万円。
それに対して、カンファレンスで一番お金がかかる部分は「慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科にご協賛いただけることになり」(会場費協賛)でかかったとしても会場費は最低単価なはずなのに200万円はどこに消えた。
そう思うと、懇親会の食事はおいしかった。知りうる限りのカンファレンスで一番おいしかった。フルーツもよかった。
朝食もいろいろでてたし、あれ、ん?ということは、私が受益するはずだった快適さも、コンテンツメーカーであるはずの登壇者にも支払われずに、何となくイベントの格を高めるところに使われたの?
そういえば、何か顔をだして写真撮影するパネルも奥の方にあって、話を聞いたら「このために作った」と言われた。
ん?
◯ 「知らなかった、を聞く」というコンセプトはどこに
いろいろ聞いたけど、みんな「知らなかった」ってどれぐらいあった?結局はいろいろな分野の登壇者集めてしゃべってもらっただけでコンセプトとかなくない?
別に人件費とるなといわないし、ぜひ日給はとってほしいけど、スタッフって当日そんなに暇だったの?
そんな弁当食べてる時間あるなら、個人スポンサーの特典ちゃんと用意するなりやることあったよね。「すばらしいイベント」をつくりあげるために、スタッフ弁当も懇親会も朝食も最高級のものではないといけないってこと、あるの?
UXは時間軸に分けられることが多く、そういう意味では予期的UXはすばらしかった。他のカンファレンスにみられない高額な参加費、ちょっと行きにくい場所、豪華なベストスピーカー賞の用意。すばらしく予期的UXは高かったといっていい。iPhoneを買った時の開封の儀と雰囲気は似ている。
けど、実際あけたら、iPhoneどころか、文鎮が入ってた感じしかしなかった。予期的UXが高かったからこそ、「これもだめ」「あれもだめ」というすばらしいUX体験をさせてもらった。
いろいろ書きたかったけど、もう書くのも馬鹿げてるからやめておく。
とりあえず、私は来年いかないし、周りにもやめておけというつもり。箔付けをしたいなら、違うやり方の方がいいと思う。あれはスピーカーもスポンサーもみんな気の毒だ。
焦った俺はエミに電話した。もう10年以上前に別れた元彼女だ。
遠方に住んでてシングルマザーのエミは、高校生だった頃のままの鼻にかかった声でおー増田ーゲンキー?と、小生意気な話し方で近況を話してくれた。内容は頭に入ってこなかったが、当時のままの甘美さはより絶望を強くさせた。
5日後に訪れる死はついに伝えられず、電話を切った。窓の外は雨だ。
実家に帰ると歓迎するでもなく迎えられ、温泉に行く。祖父母が元気だった頃によく家族で行っていた温泉街だ。
大正ロマン風の橋を歩き渡りながら、弟に余命のことをつぶやく。
んなことあるわけねえべ。マジなん?
んだ。しゃーねべほいなぐ言わったんだおん。死ぬわ俺。
弟は兄に伝える。
なして母ちゃんさ言わねのや。
その配慮のなさに怒りを覚える。
おおっぴらに悲しんで欲しいわけじゃない。実家のイベントにして欲しいわけじゃない。いつも通りでいいのだ。
宴会が始まる。おじや兄嫁らとビールを注ぎ交わす。が、食事は喉を通らない。この食事が俺の血肉となることはないのだ。怖い。死ぬのが怖い。
酔いが回り、窓の下を見ると俺とサユリが雨の中一つの傘を差して小川の散策路を歩いている。何も考えていないようでいて敏感なサユリは、俺の変化に気付いていた。
どしたん。
なんも。
好きな人でもできた?
うん。
それでいいや。俺がもうすぐ死ぬことを伝えて特別視されるよりは、このまま別れた方が傷つけずに済む。
種々のアカウントを閉じたあと、この硯を誰に託そうかと考え始めたところではたと気付く。
誰にもあげたくない。この筆も文鎮も、それぞれ思い出がある。奪われたくない。何も奪われたくない。怖い。死ぬのが怖い。
おかしい。呼吸が苦しい。腕が動かない。宣告された余命はまだ残っているはずだろ。もう死ぬのかよ。嫌だ。怖い。何がメメントモリだ。そんなもん寿命有り余るやつらの戯れ言だ。くそ、なんで年上の親父が生きてて俺が死ぬのや。ふざけんな。怖い。くそ。惨めだ。怖い。
僕はサイコパスだ。
小学二年生くらいだったか、小さなサイコパスの最初のターゲットは仔猫だった。
公園の片隅にいた仔猫を落ちていた鉄パイプで殴った。何度も何度も。
片目は潰れ、頭に重篤な傷を負いながらも、仔猫は生きていた。
そのうち友達が来たので、「そこに倒れてた」と嘘を吐き、みんなで仔猫を保護した。
近くに大人がいたのでちょっとした騒ぎになった。
僕は犯人と名乗らず、あくまで発見者の一人として一緒に仔猫の手当てした。
翌日、仔猫は公園で死んでいた。僕は疑われることもなく、そのままだった。
二番目のターゲットは雀だった。
巣から落ちたばかりの子供だったのか、飛べずに道端を走り回っていた。
僕は雀を追いかけ、側溝へ追い落とし、逃げられなくなったところへ大きな石を落とした。
二三回繰り返したら雀は動かなくなった。死骸には唾を吐き小便をかけた。
苦しそうに顔を歪ませるのを見るのが好きだったが、これはさすがに親の耳にも入り、叱られ止めさせられた。
この後もちょっとした虫などは殺し続けていたが、さすがに小動物は狙わなくなった。
僕は嘘吐きな性分で、同性からはよく苛められた。
同性はみな野蛮だと思い、僕は異性とばかり遊ぶようになった。
ある夏、僕は苛めていたクラスメイトを殺そうと考えた。
事故を装い高所から文鎮などを落として仕留めようと思ったが、実行はしなかった。
完遂する自信がなかったからだ。
そのうち苛めの対象は他の児童に移り、僕は人殺しにならずに済んだ。
ちょうどその頃、今話題の神戸連続殺傷事件があったのだと思う。
その後も何かと殺人衝動が沸くことがあったが、実行には移さないまま季節は過ぎていった。
僕はおそらくサイコパスだ。
でも、僕は人を殺すことはなかった。
今でもその衝動と妄想には悩まされているが、おそらく殺人者にはならないだろう。
では、実際に人を殺すことはなかったサイコパスな僕と、実際に人を殺してしまったサイコパスな犯罪者とではどう違うのだろうか。
その答えは、きっと『あの本』の中にあると思う。
同じ性質を持った僕にとって、『あの本』は読むに値する一冊である。
入荷されるのが待ち遠しい。
『【Kindle & Fireタブレット発売記念】30日間全額返金キャンペーン』がやってたんだ買ってみたんです、『Fire HD 7』を。
発売日の翌日、朝の9時前に届きましたよ。配達のお姉ちゃんにパジャマ姿晒しましたよ。
私「うっほほ~い!」
……もう激おこですよ。
解像度はたったの216ppi 近くで見るとドットの粗さが目に付く。
ノーマルサイズのフォントはかろうじて読めるけど、ルビは無理。
iPhone 5が326ppi、Nexus 5が445ppiなのを考えると、ディスプレイのお粗末さヤヴァイ。
PCディスプレイと違って至近で観るモノだから低解像度しんどい。
『Google Play』使えないから、基本的に『Amazonアプリストア』にないアプリはインスコできない。
Google製アプリ, Dropbox, SmartNews, Instagram etc. エトセトラ、ふぁっきんベゾス、全部無い。
無いだけならまだしも、検索すると怪しげな(YouTubeっぽい名前がついてるけど開発元はGoogleじゃないしなぜか有料とか)アプリがいくつもヒットして怖い。
密林のコンテンツはPC, iOS, Androidからでも楽しめる。
不便さは『動画がAndroidで観られない』、『和書がPCで読めない』ことくらい。
……Fireなんのためにあんだよ。
メモリ1GB、ストレージ8/16GB、CPU1.2~1.5GHzとかいう中華タブスペックだけど、価格もチャイナ。
利便性ゼロなFireの活用法って言ったら、『カスROM焼いて遊ぶ』しかないじゃないですか。
案の定、ググったらFireは泥信者のオモチャにされてますね。『FireをAndroid化する』なんていうサイトが無数にある。
で、密林のカスタマーセンターに『OS入れ替えても返金してくれる?』って聞いたんですよ。
そしたら遠回しに『アホか返金するわけないやろ』って言われました。
ブチ切れポイントは以上です。
ユーザー視点でFireを総括(連合赤軍的な意味で)すると……
1. タブレットで密林コンテンツ楽しみたいなら林檎 or 泥 or 窓タブ買え。
です。
2014/09/17から2014/10/12までに買ったKindle, Fire HD 6, Fire HD 7は以下の方法で返金してくれる。
この期間以外に買った文鎮、失敬端末も返金してくれるかもしれないけど、あんまりゴネちゃダメだぞ★
1. 返品受付センター( https://www.amazon.co.jp/gp/orc/returns/homepage.html )にアクセス。
3. 注文履歴右端にある『この注文の商品を返品する』をクリック。
4. 返品理由で「サイト上の説明と違った」を選択、コメント欄にコード「KINDLE-AND-FIRE」と入力。
6. 返品ラベル(サイト、もしくはメールから印刷可能)をダンボールに貼る。
以上でオシマイ。端末が密林に届いたあと、1~3日後に返金される。
「もし気に入らなければ、購入から30日以内なら全額返金するよ」ってAmazonに言われて、Kindle Paperwhite(ニューモデル)を買ったのですよ。
顧客本位を掲げる密林さんがそこまでおっしゃるなら……と思ってポチりました。
注文後に配達日時を「火曜の20~21時」みたいにピンポイントで指定できて、実際その時間にKindleが手元に届きました。ここまではいつものヤマト&密林クオリティーです。
私「うっほほ~い!」
バタ臭いドラマによく登場する「奇声を上げながらクリスマスプレゼントの包装紙をビリビリに破いて開ける子供」みたいな気持ちです。
箱から取り出してすぐ使えました。セットアップも光の速さで終わりました。操作説明のチュートリアルは親切です。やっぱりベゾスは偉大。
で、あいぽんと泥のKindleアプリで読んでた本を、試しに開いてみたのですよ。
私「……」
おいベゾス! ちょっとJapanまで、私の住んでるTokyoまで来い! プライベートジェットで羽田まで来て、京急使って私の自宅まで来い!
紙と同程度の画面輝度だと見にくい。コントラスト比が低くて、文字がハッキリしないのね。
輝度上げれば文字くっきりするけど、今度はまぶしくて目が疲れる。
画面が変わる時(ページを繰る時)、ピカピカって画面全体の白黒が入れ替わる。ポリゴンショック起こすレベル。
タップに対する感度が鈍い。最初期のAndroid端末レベル。
触ってから反応するまでコンマ5秒くらいかかる。すごくストレスフル。
ブチ切れポイントは以上です。
出来不出来というより、ほとんどリコールレベルの欠陥品ですね。
こんなデバイスがネットを含むメディアに叩かれないのは、それだけAmazonの力が強いからでしょう。はてな、信じられるのはお前だけや……
「× ポリゴンショック → ○ポケモンショック」というブコメが一番参考になりました。風評被害、ポリゴンごめんな。
Kindleは着払いで返品キメます。土曜の17~19時に郵便局の兄ちゃんがウチまで取りに来てくれるそうです。
やっぱり密林はスゴイや! ベゾス、仲直りしよう……な?
2014/07/11~21に買ったKindle Paperwhiteは以下の方法で返金してくれる。この期間以外に買った文鎮、失敬Kindleも同じ方法で返金してくれるかもしれないけど、あんまりゴネちゃダメだぞ★
1. 「返品受付センター( http://www.amazon.co.jp/gp/orc/returns/homepage.html/ref=orc_surl_ret_hp )」にアクセス。
3. 注文履歴のKindleの欄内にある「この注文の商品を返品する」をクリック。
4. 返品理由で「サイト上の説明と違った」を選択、コメント欄にコード「KINDLE-RETURN-30」を入力。
6. 返品用ラベル(サイト、もしくはメールから印刷可能)をダンボールに貼る。
7. 専用窓口(インターネット or 電話 0120-275-333 , 携帯電話からは0475-38-3086)に「集荷してちょ」と頼む。
先回のエントリー( http://anond.hatelabo.jp/20140119132435 )はそこそこ好評だったようで、『Nexus5』でググるとトップページの上から2番目に表示されます(2014/01/24現在)。
Google先生のビッグデータをもってすれば、私を社会的に抹殺することは簡単ですが、メリケン人のデモクラシーとリバティーの精神はきっと私を赦してくれるはずです。赦してください。
前回までの話を三行でまとめると、
1. iPhone持ってるけどNexus5が欲しくなって衝動買いした。
3. Nexus5が文鎮になる。
です。
このGoogle製文鎮で何枚も『倹約』、『清貧』といった戒めの言葉を書きました。ちなみに給料日までの食費は弟(18歳)に借りました。
お習字にはもう飽きたので、今回は『文鎮化したNexus5をiPhoneライクな使える端末に変える』話を書きます。
以下、私がした具体的な作業を列挙します。
『既に持っているiPhoneと同じアプリをインストールする』という、既に結論が最初から決まっている会議と同じくらい有意義な作業をします。
Android用がリリースされていない、あるけどイマイチ使い勝手が良くないアプリは、代替物を頑張って探します。
私は『GoodReader』の代用品を見つけるのに苦労しました。というか、見つかりませんでした。Good〜を作ったヤツは天才だと思います。Good!
ニコ動プレイヤーは非公式アプリ( https://play.google.com/store/apps/details?id=net.binzume.android.nicoplayer&hl=ja )が良いです。
Google日本語入力は賢いです。ATOKに1,500円払う必要はないんじゃないかな。
有料アプリを買う時は、セブンイレブンで売っているGoogle Play ギフトカードを使うと良いでしょう。
Nexus7が当たるキャンペーン( http://vdpro.jp/google.seven/ )をやってます。もう要らないわ。
施策② 動作を軽快にする
バッググラウンドでメモリを喰っているタスクを減らす作業をします。
Zapper( https://play.google.com/store/apps/details?id=com.lookout.zapper&hl=ja )のようなタスクキラーアプリを使ってメモリを解放します。
必要に応じて各アプリの設定を変え、なるべくメモリを消費しないようにします。
とりわけ勝手に常駐したり、バックグラウンドで動き出す迷惑なタスクはぶった切っていきます。
これは諦めました。
あまりiPhone風の見た目にならなかったり、パソコンとデータをやりとりしたりと面倒です。
好事家は『Android ウィジェット iPhone風』でグーグル先生に相談してみてください。
Nexus5をiPhone化するために私がやったことは以上です。
他にも、Nexus5用クリアケースを魔改造して外観をiPhoneにするという考えが脳裏をよぎりましたが、既に結論が(ry くらい非生産的なので自制しました。
あとはカスROMでしょうか。カーネルに手を突っ込んで、本当に文鎮化したらテンション爆アゲ↑↑ですね。
上に書いたことをNexus5にしてあげると、多少は使える端末になります。
同じことをすれば、他のAndroid端末も利便性が向上するのではないでしょうか。
ただ、機種によっては『消せないゴミアプリがプリインストール』されていたり、『OSの更新をメーカーが真面目にやらない』といった困難があるようです。諦めましょう。
まぁ、一番良いのはiPhoneを使うことなんですけどね。誰か、私のNexus5買ってください。弟への借入金返済に充てます。
言い訳をさせてもらうとですね、Android端末が欲しかったのですよ(破顔)。
泥端末のダメさ(タップ、スワイプに対する追従性が悪い。アプリ・OSが不安定)は親父のNexus7(2012)をいじって知ってました。
ですが、ガジェット基地外の私としては、どうしても手元に泥イド君を置いておきたかったんです。
それに、Nexus4, 10がJapanでイマイチ評価されなかったことに憤りを感じている私としては、Google先生の愛に応えたかったのです。
ヤフオクでポチって、入金して、Nexus5が届くまでだいたい30時間くらい。
同じ速さで懐から35,000円が失くなったことを忘れるくらい、子供みたいにはしゃぎました。
社畜である私の、およそ5日分の労賃に相当するという事実は時間が経ってから頭をもたげてきました。
35,000円あれば、iPhone5cを丸パクリした泥端末( http://iosys.co.jp/pb/iophone5-syoku/ )が2台買えるとか、米帝に買収された老舗携帯メーカーのWindows Phone( http://www.expansys.jp/nokia-lumia-520-unlocked-black-247070/ )もやっぱり2台買えるとか、未来にありえたかもしれないオルタナティブな選択肢は熱が冷めてから頭に浮かんできました。
熱が冷めても「端末を買わない」と考えない点にガジェヲタの業の深さが見て取れます。こんしゅうもがんばってはたらくぞ!
給料日までの食費が気になって仕方ありませんが、せっかく買ったのでレビューを書きます。
まず動作。
すごくキビキビ動きます。
iOSのようなヌルヌル動く快適性はないですが、「よく頑張ってるじゃないか」と褒めてやりたくなる程度には軽快です。こんな部下が会社にいたら、きっと可愛がられてあっという間に出世するでしょう。
AndroidはOSの設計上、逆立ちしたってiOSの敏捷さには敵わないんですが、Nexus5は頑張っています。
たぶん、2.2GHzのクアッドコアと、上等なGPUを積んでいるためでしょう。
「ソフトがダメならハードがあるじゃない」と言わんばかりに、物量でゴリ押ししてくる米帝はやはり偉大です。
あと液晶が綺麗です。445dpiあります。326dpiのあいぽんより鮮明です。
林檎信者が林檎製品を紹介すると、言葉を尽くして賛辞を書き連ねますが、Nexus5はそういう端末じゃないです。
「ハイスペックなハードを格安で売る」という、極めてシンプルなコンセプトしかないので、レビューも自然「むっちゃ高性能だよ」で終わります。
話は逸れますが、Googleはハード自体の売上ではなく、ハードを通じてユーザーから吸い上げる情報で利益を出そうとしています。
端末を普及させることが第一目的なんです(それゆえ高性能なわりに端末価格が低いのです)。
だから、ハード販売で利益が出なくても構わなくて、事実Nexus販売事業はトントンか赤字だと言われています。
全く同じことがKindleにも言えるんですけど、それはまた別のお話。
「格安で売る」と書いたついでに言いますが、Nexus5はショップで絶賛投げ売り中です。
ソフバン傘下のイーモバが盛大に、主に都内で叩き売りを展開しています。
某社長が「殺りましょう」と言ったのでしょうか。
Google先生は眉をひそめていて、裏から時々クレームを入れてるらしいのですが、あいぽんに水を開けられている先生としては本気で怒れないようです。
コスパ最悪の芋場スマホ向けデータ定額プランに強制加入させられますが、それでもバカ正直に端末だけを買うよりはお得です。
おまけにSIMフリーです。
昨今、雨後の筍のように出てきている格安SIMを挿れたり出したりし放題です。
私みたいに発作的に欲しくなった人はオクやGoogle Playで買うしかありません。ほ〜れ(諭吉を燃やして足元を照らす成金)。
でも、時間と心に余裕がある人はショップ巡りをしてみてはいかがでしょうか。一括(not 実質)0円なんていう販売店もあります。
最後に私事で恐縮なのですが、衝動買いしてしまったNexus5をどう扱おうか悩んでおります。
既に所有しているiPhoneと同じアプリ入れても意味ないですしおすし、泥向けにしかリリースされてないアプリインストールしても「強制終了乙w」とブチ切れまくること必至です。
活用法が見つかるまではとりあえず文鎮として使おうと思います。かきぞめ!(製作:京都アニメーション)
※※※ 追記① ※※※
たくさんのブコメ、ありがとうございます。
頂いたアドバイスを拝見すると、やはりNexus5は文鎮に最適なようですね。
確かにこれを使うと綺麗な字が書けました。
視界に入る35,000円が心と財布を引き締めてくれるおかげだと思います。
※※※ 追記② ※※※
『35,000円でNexus5を衝動買いした話』の後日談( http://anond.hatelabo.jp/20140124181802 )を書きました。
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
言葉にしてしまうと平凡だが、そのときの僕はそれを言葉としてではなく、ひとつの空気のかたまりとして身のうちに感じたのだ。文鎮の中にも、ビリヤード台の上に並んだ赤と白の四個のボールの中にも死は存在していた。そして我々はそれをまるで細かいちりみたいに肺の中に吸いこみながら生きているのだ。
死とは何であろうか、という根源的な問いに対して答えようとした哲学者は多数いる。
例えばハイデガーがそうである。私はハイデガーの著作を簡単に理解できるほどの頭を持った人間ではないが、ハイデガーは人間存在をして、"Sein zum Tode"、つまり「“死”へと向かう存在」であるとして捉えている。
死は我々にとってあまりにも大きな存在であり、時に我々の在り方は“死”そのものによって規定される。
無論、そういう言い方はあまりにも“死”というものを大きく捉えすぎている、という反論もあるだろう。“死”というものはあくまで実体を把握できない彼岸にある存在で、我々にとって死とは多くの現象の一つに過ぎないか、あるいは文化として我々の前にあるものの一つに過ぎないと言うこともできるだろう。
その中で、村上春樹は“死”というものを「万物がその内側に抱え込み、育てているもの」とした。
彼はその存在について「何かぼんやりとした空気のかたまり」と称してもいる。
空気、というのは一つのキーワードでもある。スピリット、という言葉の語源は“空気”という言葉と根を共にしている。というのは、聖書の上で泥の人形だった我々に魂を注いだのは、まさしく神の息吹だったからである。
“死”とは一体何であろうか。
我々とって死とは、村上春樹の言う通り、「内側で腫れていく存在」と言えるのであろうか。
結論から言ってしまおう、それは、“死”というものの一側面に過ぎないのではないだろうか。
“死”とは確かに我々の内側にも存在している。しかし、それは同時に彼岸にも存在するものでもある。
彼岸に存在する死は、常々我々から遠ざけられている。日常において“死”を意識する瞬間はほとんどない。あるいは、葬儀などの機会に出くわしたとしても、その存在を具体的にはっきりと捉えることはないのである。
しかし、それでも我々は死に常々触れている。“死”は彼岸にありながら、確かに我々のすぐ傍に寄り添っているものでもある。
我々が様々なものを認識するときにもまた、死は我々のすぐ近くに存在している。
例えば、我々が何かに触れようとする時、その皮膚と対象との間のすぐ近くに、死は存在している。
我々は、例えば人の手に触れる。その時に、我々にとって相手のてのひらと自身のてのひらとの間に、死は存在しているのである。
死とは、我々のすぐ傍にあり、そして我々との間に境界線を形作るものでもある。死は、我々が何かと触れ合おうとする度に、その介添人として、我々の手を取り、そしてその対象と我々を結びつけるものなのである。
これがどういうことかお分かりであろうか。つまり、死は常に我々と触れ合っており、その死と我々との間にできた境界線と呼ぶべきものが、我々の触れている一切のものとの間にできた境界線に関わっているのである。
フランスの哲学者、エマニュエル・レヴィナスは次のように言っている。
しかし、私はそうは思わない。死は我々のすぐ傍にある。だからこそ、我々の存在、そして我々を縁取っている境界線と呼ぶべきものは、はっきりとした形で我々の認識に晒されるのだ、と。
確かに、我々は死を内側に含んでいる。
それはまるで胎児のように、あるいは生命の萌芽のようにして含まれている。そして我々はその死を育み、時にその死を拒もうとするものである。
しかし、時にその死こそが我々の境界線を規定している。死こそが、我々とその外部の世界とを結びつけ、我々と世界の間に境界を生み出し、そして我々のうつろいゆく認識というものの介添人となっているのである。
死とは、彼岸にあるものでもある。それは、我々の内側で腫れていき、今ぞ誕生の時を願っているところの(あるいは死産の恐怖に怯えるところの)胎児の存在にも喩えられる。
しかし、死とはそれと同時に、我々と世界との間に、あるいは、我々の手のひらと手のひらとの間に、芽生え、我々の関係を取り持ち、我々と世界の全てとの変化を結びつける介添人でもあるのである。
http://blogos.com/article/53423/
だいたいこんなかんじのEULA
1. これはGoogleNexusです。サムスンが作ってGoogleが売っています。いいビジネスモデルでしょ?
2.rootを取るということは,誰かにrootを取られる可能性があることを常に忘れないでください。
4.ソースをフォークするときは,マージの計画を立てること。あなたがフォークしたソースを持て余している間にも元のツリーは進みます。
5.ガジェットはあなたを助けてはくれません。あなたがしてほしいことを指示しなければいけません。注:メーカーの宣伝メールなどは別途考慮します。
6.万が一文鎮にしたり文鎮にしたり文鎮にしたりしたら,まず冷静にどこまで動くのか考えてください。ブートローダーが動けばなんとかなります。こういうことは怒ります。
7.このテクノロジーを使って自分を幸せにすること。もし面白いROMができたら,リソースをみなと共有すること。
8.面と向かって言えないようなFUCKな言葉で誰かがあなたのROMをFUCKだと言っても,それはその人の自由です。無視するのも良いですが,でも自分でも見返してみましょう。100のFUCKのうち1つは良い指摘も含まれています。
9.友達にすら使わせられないようなアルファ段階のROMは公開しないでください。それは内内で行うこと。
10.チート禁止。私の古いNexsus SにシェアできるようなROMをお願いします。パフォーマンス優先はときにバッテリーを損ないます。バランスは,最初は私に聞きなさい。あとで自分で考えなさい。
11.公共の場では,「それiPhone?」と言われても,くどくど説明しないこと。だいたい通じていれば,ひとさまの発言を汲んであげてください。
12.他の人にあなたのレポジトリの管理パスワードを教えてはいけません。笑わないで。参加ユーザーを作るのが面倒くさくて ついやってしまうときもあるのです。インターネットはあなたが思うよりも悪意に満ちています。
13.初期バンドルアプリを膨大に作らないこと。すべてを収録する必要はありません。/systemよりも/dataのほうが広いのです。
14.ときどき家にスマフォを置いて出かけてください。自分にとってスマフォが重要じゃないと思えたら,大人の階段を1つ登っています。また,逆にこの場合は必要だと思ったら,今度はそこを突き詰めたROMを作りましょう。
15.古いアニメ,古い音楽,古いゲームも楽しんでください。あなたの世代は史上もっとも幅広い娯楽にアクセスできる時代なのよ。プログレについてキングクリムゾンとアメリンカンプログレッシブとジャーマンプログレッシブで言っていることが違うことを確認してください。
17.前を向いて歩いてください。自分がものにぶつかって怪我をするのは勝手ですが,人様に怪我をさせると,いろんな意味で面倒です。