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2022-04-20

anond:20220419140308

「まあでも早慶下位学部はどこか引っかかるだろ」みたい客観性皆無のエリート意識受験本番を迎えて全滅したのが私です。

2022-04-19

超難関進学校自称進学校との違いであまり指摘されてない点がある

それは勝負強さ。

東大合格者数ランキング全国トップ10に入るような超難関進学校だと、中1~高3夏まで遊び尽くして一切の勉強放棄したせいで、気づけば同世代間で下位レベル学力にまで落ちぶれた(共通テスト主要3教科で7割弱とか)ような奴でも

「まあでも早慶下位学部はどこか引っかかるだろ」

みたい客観性皆無のエリート意識受験本番を迎えて、マジで早稲田社学とか所沢とか慶応文とかSFCとか、たった1個だけ都合よく引っかかる奴が多い。

こういう自己暗示大番狂わせ起こせる奴が難関進学校底辺層には多すぎる。

東大数人以下の自称進学校だと早慶A判定連発で全滅して立教行きの子かめちゃくちゃ多いのに。勝負弱い。

で、都合良く行かなかった難関進学校底辺層は当然浪人するわけだけど、恐ろしいことに彼らはチンタラサボりながら1年過ごしても一橋とか早稲田政経とか慶應経済かに受かる。

彼らは6年間ですっかり落ちこぼれたくせに自分勉強できると思い込んでるから

基礎スっ飛ばして何も知らないような状態からいきなり問題集を解きまくるという自惚れムーブをしがちだ。

当然、めっちゃ賢い中学1年生がいきなり難関大過去問演習しているようなもんなので結果は伴わない。模試の判定はほぼE。

でもこいつらは受かる。

他によく見られる特徴としては

共通テスト本番で都合良く自己最高点を叩き出す(マーク模試過去問演習で7科目73%が自己最高だったのに本番は86%とか)

・1回もC判定以上出したことがない東工大東大にギリッギリで受かる(ちなみに東大数学0完で受かる例が多い)。


高校1年から東大意識して基礎を大事にコツコツ勉強を積み重ね、

高校3年時や浪人期に猛勉強模試の結果もB判定安定とかだったのに遂に東大に受かれなかった

みたいな子がとにかく多い自称進学校でよくある例とどうしても比べてしまう。


ちなみに物理化学選択東大理1行った友達

「受かったけどぶっちゃけちゃん理解してない。酸化還元反応分かってないもん」

と言っていた。

問題を見て正解答案を作ることはできるけど、現象自体は全く理解してないらしい。

から塾講師とか家庭教師バイトとか絶対にできないと言っていた。

彼は共テ化学93点で東大二次化学では7割弱取っていた。

難関進学校の本当の恐ろしさは都合良く自分運命を変えられる豪運なのかもしれない。

2022-04-17

anond:20220417095304

ID付きのブログだと客観性担保されると思ってるの?

どういう理屈?w

anond:20220417095018

別にid付きのブログで堂々と主張してきなよ。客観性あるんやろ?

2022-04-15

フェミニズムが傷を抱えた人間セラピーになることについて

前書き

現代日本フェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピー看板のような機能を持っていると言える。

弱者が慰め合える駆け込み寺、いわばフェミニス堂があること自体は良いことだ。

エンパワメントシスターフッドという自己肯定を重視した精神的な言葉最近人気なのもその一環かもしれないし、そこまで前向きな気持ちになれないからとにかく苦しみや怒りを吐き出させてくれという層だって駆け込み寺には居場所がある。

だが、「セラピーとしてのフェミニズム」と「学問言論としてのフェミニズム」が分離されていないために、言論としてのフェミニズム信頼度が著しく弱まっている。

セラピー面も学問言論面もひと固まりからフェミニストはメンヘラだとか、他人幸せを許せないだとか、ミサンドリストセックスヘイタージェンダークレーマーだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。

私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていることを批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。

追記:↑ここで私の精神疾患に言及したのは、私も議論の場で当事者性を武器として使おうという態度でよくなかった。反省する。)


本稿で主張するのは、「冷静な研究者としての立場」と「傷つき怒れる当事者としての立場」は、兼任すると問題が生まれるのでどちらか片方だけの立場に立つべきだ、ということだ。

たとえ学位免許を持っていても、冷静になれない話題については傷が治っていない当事者から理論議論を使いこなせる研究者ではなくあくまで苦しむ当事者個人として発言した方が良い。

本論前に、何がOKで何がNGかおおざっぱに切り分けておこう。

冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係必要だよね」という学問理論を組み立てる。
冷静なフェミニズム研究者もしくは心理医療専門家が、セラピーの場の最低限の安全が保たれるように監督をする。
セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズム用語理論武装したり、怨恨を吐き出したり、過激むちゃくちゃな主張をする。(なぜなら、セラピー的な場では、ひどい発言原則許されるべきだから。ただし、それをそのまま社会への要求として広めるべきではない)

×
まだ傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間研究者としての発言力を得て、本来患者としてすべき主張を研究者立場でする。
×
傷の残っている研究者セラピー監督役をやり、セラピー患者同調してしま患者内面吐露検討・洗練せずそのまま社会にぶつける。
×
研究者同士でも肯定しあえないと傷が痛んで耐えられないので、アカデミックであるべき関係を仲良しグループにする。




本論

フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感あい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。

当事者自体は、様々な依存症障害事故被害者などについて行われており、有用セラピーと言っていい。

だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。

要するに、当事者として治療を受けるべき傷を抱えたままの人間が、セラピスト役と教師役もやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。

全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。

だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。


普通当事者会やセラピーは、福祉医療心理専門家によって研究理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。

傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復必要な心の解放だ。

それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。

客観的専門家当事者たちの感情吐露分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。

から普通健全当事者セラピーは、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者ヤバいことを主張していても研究者評価が下がることもない。研究者監督しているか当事者同士の会話が先鋭化するエコーチェンバーも防げる。当事者要求研究者が整理したうえで一般社会に伝えるので、外部の一般人当事者過激すぎる主張を直に聞かされて悪感情を持つこともない。

全てが完全に徹底されているわけではないが、それでも、当事者セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、ある程度は弊害抑制ができている。

しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者監督者、研究者区切り曖昧になりやすいので、普通当事者セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。

たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張したことに対し、「議論や説得において言い方ってのは大事だろ」と反論されているのをよく見るが、あれも、内輪の癒しセラピー的な感覚と対外交議論感覚がごちゃまぜになっているせいだ。

「私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシング(言い方警察)するな」、という話なら真っ当である

「私は冷静を保ち、言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ」、というのも真っ当である

だがそれを同時にやろうとする、「自分セラピー的に感情をぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれ」というのは無法な要求だ。

せめて、セラピー監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。

なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである


当事者研究者の分離は、簡単なことではないとは思う。

特に精神思想分野ではそうだ。

臨床心理士カウンセラー看護師助産師になりたがる人間はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はともかく実体験としてはよく聞く話である

博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物保護したがるだろう。

だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。

しろ愛護派の過激な主張の角を取って一般社会的に可能動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者自分のところで一度止めて丸め社会に伝える、当事者会に対する医療福祉関係者の立場と近い。

から臨床心理士動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。


ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた当事者と同一人物だったり肩入れしすぎたりするせいで、冷静な監督者のいないまま野良セラピー的な語りあいを続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるがそのまま社会要求するには妥当性に欠ける内容が研究者学問立場から主張されてしまっている。

フェミニストはメンヘラだとか他人幸せを許せないだとかミサンドリストセックスヘイターだとか言われてしまうのはこのせいだ。

それにもかかわらずフェミニズム大義名分世界中で力を持ち、フェミニストの要求の内容を精査して妥当性が十分な時だけ応じますという態度は悪だと指弾されるのが、本当に良くない。

ここで断言しておくが、メンヘラも、他人幸せを許せない人も、ミサンドリストミソジニストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。

過激思想トラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。

ただし、その好き勝手発言暴言あくまで傷つき冷静さを欠いた人の胡乱な言動として生暖かく聞き流されている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。

弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままで妥当性が低いので、客観的研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。

フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ当事者発言をそのまま重用したり、著名な研究者が「冷静さを保つために私の当事者としての感情一時的に抑えよう」という努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である

辛すぎて悲鳴を上げざるをえない当事者と、冷静で他者対話可能研究者弁別は、完璧でなくとも努力する価値がある。できたぶんだけ弊害が減るはずだ。




おまけの具体例 朝日新聞運営の『かがみよかがみ』について

一つ、わかりやすい事例を挙げる。

フェミニズムジェンダー学周辺で、セラピー機能学問言論機能が混在することの弊害を私がはっきり感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である

『かがみよかがみ』は読者投稿エッセイメインコンテンツとするWebサイトだ。

「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けている。

18~29歳の女性からエッセイ募集して、編集部がチェックして載せている。著名人契約コラムニストの連載もある。

そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストTwitter検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)

二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割にはてはで話題になる回数は少ない気がする。はてなとは読者層が違うのだろう。

上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008

フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941

これの上の記事に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、そこから辿れる記事類を読み、フェミニズムセラピー言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。

上野千鶴子座談会セックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティ雰囲気について(下)|滝薫

https://note.com/hannnahkuku0819/n/n6514127ed85a

私はこれを読んだ時、伊藤編集長があらゆる批判に応じないのもわかる、といっそ清々しささえ覚える形で納得してしまった。「セーファープレイス」を構築しようとして、内部を守っているのではないかと思った。

(略)

『かがみよかがみ』を必要としている利用者はいる。それはわかっている。私も、エッセイ投稿した後の”共感”と”褒め合い”によって自信がついた一人であることは変えようがない事実である。その価値を認めていても、『かがみよかがみ』の未来に不穏さを感じてしまう。

『かがみよかがみ』が目指すのは、あくま女性自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定である

それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。

若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のSlackか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である

フェミニズムジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくま自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。

エッセイ投稿年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイ愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者本音を慮って、微妙理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。

投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるかである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そのタイプの人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。

伊藤あかり編集長モットーらしい「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」とも合致する態度だ。

傷ついた若い女性のために、正しさではなく自己肯定感爆上げを目的とした当事者セラピーの場があること自体は、良いと思う。

だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネット広告され、上野千鶴子石川優実企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者ジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。

なのに、そこが曖昧に混ざった立場で『かがみよかがみ』の文章は発表され続けている。

から『かがみよかがみ』の記事批判されたのである

そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。



まとめ

最後にもう一度まとめる。

傷ついた当事者同士が慰め合うセラピー看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。

現在日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。

心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者が、ある程度重なってしまっている。

この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。



追記。本稿は3か月ほど前に増田に投げたが無反応だったものの再投稿である。)

2022-04-01

anond:20220401234737

そりゃ女さんがそんなもん重視しないだけでは?

まあ真面目な話すると

わかりやすく数値化できるスペックよりも客観性の面で難しいものはある

anond:20220401172912

いやぁ、これマジ分かる。

と言っても自分メモ議事録を取れる側。新人にどうやって指導したらいいのか困ってる。

そういう自分も、ハイコンテキスト自分が背景を理解していない初回の会議での議事録は苦労する。

仕方がないので、ブクマでもあったが録音して聞き返しながら議事録作成する。不明点は推察を入れて書いている。

それを数回やると文脈が見えてくるので、聞きながら書けるようになる。議事進行と同時には、ある程度進行か内容を自分が把握または制御出来ている時でないと無理だな。

改めて考えると議事録作成は本当に難しい。

要点=その会議議事録に残すべき大事なことが分かってないと書けない。

かつ、その会議大事なことは、出席者の立場によって違う。

A社とB社が責任分解点を話し合う会議なら、A社とB社では当然、書き残したい項目の優先度は違ってくる。

議事録を書く側は、当然自社に有利に書きたい。もちろんそう指摘されないような客観性担保しつつだが。

ゆとり弊害なのだろうか

自分@niftyADSL契約したのが2000年だったと思う。インターネットが、時間を気にせずに、生活の中にがっちり組み込まれたのはそれ以来だ。以来22年。2003年くらいかブロゴスフィアなるものが登場した。ネット論壇は高度で刺激的で、礼儀を守りつつ論争的であった。自分体感的には2008年くらいから、「あれ?」と思うことが多くなってきた。はてなブックマークもそこから如実に子供の言い合いのような罵倒コメントが増えてきた。それまでは仮に、イラッと来る言論があったとしても「お言葉ですが、かくかくしかじか理由で、お考えには多少の齟齬があるのではないでしょうか」くらいにぐっと堪えたものである2008年ぐらいから急に「やーいやーい、うんこちんちん」みたいな反応が多くなった。

何が変わったんだろうと考えてみると、だいたいゆとり世代が成人し始めるのがそれくらいからであった。ゆとり世代17年間続いたので、今がちょうどネット活動世代のヴォリュームゾーンかも知れない。明らかに日本語を読めてない人たち、過度に構図を単純化する人たちが増えてきた。

例えば先日の橋下徹twitterでの発言である

ウクライナ兵の決死戦闘に敬意。終結するまでロシア 軍を叩き潰すしかないが、報道がきちんとなされているか懸念。」

これが従前からの、人命を守るために早く降伏しろと言う彼の持論から手の平返しと叩かれた。

手の平返しだろうか。以前からロジックとかけ離れているのであれば、その解釈をまず疑うべきではないだろうか。

「人命のためには降伏が早い方がいいが、それもできないというならば人命を犠牲にしても終結までロシア軍を叩き潰すしかない」

と読めば何の矛盾も無い発言であるし、実際、これ以後の氏のコメントを見るにこの解釈妥当なのだと思う。報道がきちんとされていないという橋下氏の主張は、ゼレンスキー全体主義的な強権を発動して国民盲目にしていると言う橋下氏の見解に沿っている。このtweetの主眼が後段にあるのは明らかだ。

しかし大半の人がそれを読めていなかった。

ウクライナ戦争への評価の話ではない。単純に日本語読解力の問題である

まず国語能力が大幅に低下している。

次に相手に都合がいいように解釈してみると言う精査の段階を欠いている。端的に言えば自己肯定、万能感が強すぎる。客観性が欠如している。

更に悪魔視した相手だと罵倒の限りを尽くしても構わないとする、異論排除傾向と念のために礼儀を守っておこうと言う安全策をとらない無謀さが顕著である

昔はよかったとは安易には言いたくない。

しかし今の20代30代のヴォリュームゾーン20年前と比較しても明らかに水準が低下している。IQが30くらい下がっている印象を受ける。

これは日本人自己肯定感情の低さをてこ入れした結果なのだろうか。

2022-03-13

『女たちのデータベース広場』の管理人さん、不倫被害者女性にわざわざ引用RTで絡む

https://twitter.com/nono__sare/status/1501800737579597827

このツイートについてる引用がもうホント酷くて見るに堪えないんだけど

その中でも『女たちのデータベース広場中の人』のツイートが酷い。

https://twitter.com/females_db_park/status/1501928593622192131

「他の女にち○ぽぶっこんでヨダレ垂らしながらヘコヘコ腰振ったマヌケづらの旦那様()」って…

よくもこんな下品過ぎるツイートをもって、鍵も掛けずに被害者当人に直接引用で絡めるな。

『女たちのデータベース広場自体は一応、多くの女性に役立つ客観性あるコンテンツを目指しているんだと思うけれど、

https://veiled-cobalt-3f5.notion.site/abe3a9c28688499f893a5d1ce0c1ce5f

仮にもそういう場所管理人を名乗る人間がそのままの名前被害者中傷するとは一体どういう事なのか?

ていうか本当に「夫に不倫されたら妻は夫『だけ』を責めるべき、不倫相手女性を一切責めるべきではない」という意見を持つ人が多いね

まりにも不自然過ぎる思考なので正直、この人自身不倫経験者なんじゃねーの?とすら思うんだが。

2022-02-12

anond:20220212111858

じゃあ「男性社会ホモソの柔軟性や客観性のなさが全ての原因」には何の根拠もないんだねw

anond:20220212052434

値段が安いことで炎上してるわけじゃないってのを読み取れない男性社会ホモソの柔軟性や客観性のなさが全ての原因な気がするけど

2022-02-06

anond:20220206013246

「弾くことで気持ちよくなって」とは書いたが「オナニー」とまでは書いていないw

昭和企業」とは書いたが「ヤクタタズの生産性なし」とまでは書いていないw

どうも、文脈プラスアルファをする傾向がある人ですな。

ひょっとしたらそれが採用担当に求められることなのかもしれない・・・

かに、人の中身なんてわかるわけがないし、ある程度主観で「決め打ち」しないといけない。

からこそ「客観性ゼロオナニー基準」「思考停止の決め打ち行為」といった言葉自然に出るのだろう。

無意識自己批判でもあるのかな?わからないけど。

「低知能猿」とかい言葉出てしまうのも、求職者の質にへきえきしてるのかもしれないね・・・

まり自己批判はしないほうがいいと思うよ。辛かったら辞めたらいい。

とりあえず人事採用というふわふわとした掴みどころのない業務の大変さが少し分かったよ。

付き合ってくれてありがとうw(これは皮肉ではなく本当に感謝している)

anond:20220206011449

ぶら下げるところ間違えただけだが?他人には「昭和企業」だの「ヤクタタズの生産性なし」だの厳しいくせに自分評価客観性ゼロオナニー基準で「レベルが高い」だの「正しい人材」だのと意味不明に高評価

自分に甘く他人に厳しい見下げ果てた人材がどこまでバカ晒すか徹底的に観察してみようかな

2022-01-14

フェミニズムが傷を抱えた人間セラピーになることについて

前書き

現代日本フェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピー看板のような機能を持っていると言える。

エンパワメントとかシスターフッドという言葉が好まれるのもその一環と考えらえるし、そんな前向きな所まで至らない、まず苦しみや怒りを吐き出させてくれという層もいるだろう。

弱者にとって慰め合う場があるのは良いことなのだが、セラピーとしてのフェミニズムと、学問言論としてのフェミニズムが分離されていないために、言論としての信頼度は弱まってしまう。

それが、フェミニストメンヘラだとか他人幸せを許せないだとかミサンドリストセックスヘイターだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。

私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていること自体批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。


冷静な研究者と、傷ついている当事者は、兼任しようとすると問題が生まれやすいのでどちらか片方だけの立場に立つべなのだ

それぞれ、何がOKで何がNGか切り分けておこう。

〇 冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係必要だよね」という学問理論を組み立てるのはOK

〇 セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズム用語理論武装することも、武装しつつ過激な主張をするのもOK。(セラピー的な場の発言は、過激なことや邪悪なことも原則許されるべきである。その反面、そのまま社会への要求として世の中に伝えるべきではない)

× 自分に傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間が、研究者としての発言力を得て、セラピー患者としてするべきな過激主張を研究者立場でしたり、他のセラピー患者内面吐露ちゃん検討せず世の中にぶつけたり、学者同士でも肯定しあう関係じゃないと耐えられなかったり、そういうのはNG


本論

フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感あい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。

当事者自体は、様々な依存症障害事故被害者などについて行われており、有用セラピーと言っていい。

だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。

要するに、患者セラピストもやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。

全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。

だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。


普通当事者会やセラピーは、福祉医療臨床心理士といった専門家によって研究理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。

傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復必要な心の解放だ。

それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。

客観的専門家当事者たちの感情吐露分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。

から、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者ヤバいことを主張していても研究者研究分野の評価が下がることもない。研究者監督しているか当事者同士の会話が過激化するエコーチェンバーも防げる。外部の一般人当事者の無茶な話を直に聞かされて、振り回されて悪感情を持つこともない。

これらの全てが完全に徹底されてはいないが、それでも、当事者セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、様々な弊害抑制はできている。

しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者監督者、研究者、全てが一体になりやすいので、普通当事者セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。

たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張し、議論や説得において言い方ってのは大事だろと反論されるのをよく見るが、あれも、セラピー的な場と議論の場がごちゃまぜになっているせいだ。

はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシングするな、というなら真っ当である

言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ、というのも真っ当である

だがそれを同時にやらせてくれ、自分セラピー的にぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれというのは無法な要求だ。

せめて、セラピー監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。

なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである


当事者研究者の分離は、簡単なことではないとは思う。

特に精神思想分野ではそうだ。

臨床心理士カウンセラーになりたがる若者はしばしば自分精神不安定を抱えているというのは、統計はないが実体験としてはよく聞く話である

博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物保護したがるだろう。

だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。

しろ、愛後派の過激な主張の角を取って一般社会的に妥当で持続性のある動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者自分のところで一度止めて丸め社会に伝える、当事者会に対する医療福祉関係者の立場と近い。

から臨床心理士動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。


ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた患者当事者と近かったり同一人物だったりして、監督者のいないまま野良セラピー的な語り合いをし続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるが社会妥当性の薄い発言みたいなもの研究者学問立場から主張されてしまっている。

フェミニストメンヘラだとか他人幸せを許せないだとかミサンドリストセックスヘイターだとか言われるのはそのせいだ。

ここで断言しておくが、メンヘラも、他人幸せを許せない人も、ミサンドリストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。

過激思想トラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。

ただし、その発言あくまで傷つき冷静さを欠いた人の発言として生暖かく見られている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままで妥当性が低いので、客観的研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。

フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ発言をそのまま重用したり、著名な研究者自分当事者性を切り離して冷静さを保つ努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である




おまけ 朝日新聞運営の『かがみよかがみ』について

一つ、わかりやすい事例を挙げる。

私がフェミニズムジェンダー学のセラピー機能と、学問言論機能の混在の弊害をわかりやすく感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である

「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けているサイトだ。

コンテンツとしては、エッセイ投稿サイトである

18~29歳の女性からエッセイ募集して、編集部がチェックして載せている。著名人契約コラムニストの連載もある。

そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストTwitter検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)

二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割に回数は少ない気がする。特にはてなとは読者層が違うのだろう。

上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008

フェミニストでも、守られたい。フェミニストから、守りたい | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941

これの上の方に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、ここから辿れる記事類を読み、フェミニズムセラピー言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。

上野千鶴子座談会セックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティ雰囲気について(下)|滝薫

https://note.com/hannnahkuku0819/n/n6514127ed85a

『かがみよかがみ』が目指すのは、あくま女性自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である

それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。

若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のスラックか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である

フェミニズムジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくま自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。

エッセイ投稿年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイ愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者本音を慮って、微妙理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。

投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるかである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そう言う人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。

編集長伊藤あかりさんのツイッターbioには"「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」という感じ。"と書かれているのだから

この世に、傷ついた若い女性のための当事者セラピーの場があること自体は、良いと思う。

だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネット広告され、上野千鶴子石川優実企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者ジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。

なのに、そこが曖昧に混ざった立場文章が発表され続けている。

から『かがみよかがみ』の記事批判されたのである

そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。



まとめ

最後にもう一度まとめる。

傷ついた当事者同士が慰め合うセラピー看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。

現在日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。

心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者も、ある程度重なってしまっている。

この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。

2022-01-12

https://b.hatena.ne.jp/entry/4713879839131729058/comment/cript

表現の自由絶対守らなきゃいけない。キモいもんはきもいのよ。公共の場に出さないでくれ。と言うのも立派な表現なので。

また議論のスジが分かってないブクマカが1名。

キモい公共の場で見たくないと表明するのは自由理由も要らない。

お前の主観からな。

ただし、②性犯罪を誘発とか偏見助長するなど、客観性を謳った主張なら、当然エビデンスを出せや、という話になる。

何でこんな簡単なことが分からないの?

2022-01-11

anond:20220111094437

俺が誰よりも頑張ってるのに

(みんながボドゲ好きなのか知らないけど)俺が遊びたいかボドゲ誘ってるのに誰も返信くれない

俺が俺がで客観性欠如して俺の価値基準しか物事判断しなかったら誰も相手にしなくなるし褒めなくなる

少しは相手立場になって考えてみましょう

自分世界も変わると思います

2021-12-30

友達必要という文脈必要とされている事はなんだろう

愚痴言ったり夢語ったりで感情的相互扶助をする

人生における自身の諸々の判断に対して客観性を補佐する

孤独を紛らわせる程度の些細な日常会話相手

学校会社等、組織コミュニティにおいて、いずれかのグループに属していることの証明

友達という居場所があり孤独ではない、誰かに認められている実感を得る

自分友達がいない、学生時代はいたけど徐々にいなくなった人間なので、今後どう困るんだろうなと

2021-12-18

anond:20211218105606

他の人も書いていたが、こういう自認論客みたいな人を場所から排除したいんだよな。こういうのが場を腐らせる。はてなにもいっぱいいる。敵だと見なすと口が汚くて横暴、独善の限りを尽くし、いう程客観性が無い。本当に最低。

2021-12-03

いい加減フェミニストは「~~党系のフェミニストだ」ということをわかりやすく明示してほしい

https://togetter.com/li/1810889

フェミニスト一口で言っても、系統によっていうことも対策も異なってくるので、

今回は「~~党系」のフェミニスト

共産党関係者北原みのり氏と仁藤夢乃氏に代表される。言動過激な人が多く、フェミニズムどうこうより共産党の方が大事という印象なのでそもそもフェミニストの要素が薄いと感じる。とにかく怖い。会話ができる気がしない。

石川優実関係竹下郁子氏やクボユウスケ氏などに代表される。一方的断罪するばかりで人の話を聞こうとしないという印象。会話ができる気がしない。

朝日新聞関係ハフィントンポストAERAリテラなどを頻繁にRTしている人たち。つりがねむしやtomoなどが代表例。事実よりも感情を優先する傾向にあり、よく事実誤認に基づいた発信をしていてまずその訂正から入らないといけないの。会話の入り口に立つのがとてもハードルが高いがかろうじて会話はできる気がしなくもない。

腐女子系:最も恐ろしい。一方で、男オタク以上にエロフェチへの理解が深く観測範囲も広いため、男オタクですら知らないエッチな絵を見つけては拡散してくれる。 腐女子系の方々が騒がなければ一生知らなかったであろうコラボイベントなどはかなり多い。調子に乗りすぎた腐女子アカウントいいね欄を見ると、膨大な男のエロ絵が集まっており、サイコパスなのかなと思うこともよくある。相手文脈理解できれば会話自体結構成り立つ。

立憲民主党関係反自民が優先で、フェミニズム要素はあんまり感じない。政治に関連しない話では温厚でちゃんと会話も通じるので、政治系の話題だけ避ければ付き合える。地雷にだけ気を付けたい。

・その他のフェミニスト普通に話ができる。 地雷を踏んだら発狂するという恐怖もなく、普通人間と会話しているという安心感が持てる。


だいたいこういうイメージ。他にもあると思うが、扱い注意なのはこのくらいだと思われる。

とにかくこの手の方々、意見の前提として、客観性以前に党派性ゴリゴリなので

まずその人たちがどの党派に属しているのかがわからないと会話もできない。

それなら最初から党派性を明らかにしてしゃべってほしいのだ。

アンチフェミも似たような党派性あるだろうから、詳しい人はアンチフェミの分類もしてほしい。

例:表現の自由戦士系など

いまいちアンチフェミは生態がよくわからない。

フェミと比べて個性が薄い。

もへもへや青識、神崎ゆきなど、「特定インフルエンサー」ごとに群がっている印象がある。

2021-11-28

anond:20211127221600

これ皮肉じゃなくて素で下方婚増田がいってたらすごい客観性あってえらいとおもう

けど当然別増田なんだろうなぁ

男って上方婚になりそうになった瞬間不機嫌で離婚検討させちゃうって話だもんな

2021-11-25

第4章 四等娯楽

前回https://anond.hatelabo.jp/20211124223202

インターネットはしばしば酒やタバコやその他の薬物に喩えられる。

無限時間を吸い込み、人間の脳を麻痺させ、人生破壊し、それでいて人生に役をなしていると錯覚させる。

ニコニコ動画が産まれた少しあとに「作業用BGMなど存在しない」という言葉が産まれたが、まさにインターネット作業関係はコレだ。

飲酒運転をするもの飲酒による客観性喪失により自分がいつもより上手に運転できていると錯覚するのと、インターネットをやりながら作業をすると捗る気がするのは同じだ。

結論から言おう、インターネットに絡み取られれば人生は全く捗らなくなる。

そこで財を成すものや、仕事につながるものもいるのだろう。

だがそれは酒屋の店主になるような道だ。

そしてそんな道に進める酒飲みはほとんどおらず、大部分はインターネット仕事に繋げられることなくただそこで人生無駄にして管を巻くのだ。

高校2年生、受験シーズンが始まった頃のある日のスケジュールである

6時半起床

7時 出勤

17時 帰宅

    親が帰ってくるまでの間に昨日インターネットから落としておいたオカズオナニー

    眠くなったので昼寝

21時 親が帰ってきたので夕飯

22時 風呂

    ゲーム

    ネット巡回

    親の気配を感じたら勉強してるフリ

25時 親が寝たのでオナニー

    寝る

勉強時間?どこに消えた?

もちろんオナニーと昼寝の間に消えている。

その間にネットゲームもしなきゃいけないのでとても忙しくて勉強などしていられない。

そうだ悪いのはネットじゃない。

ネット無料エロコンテンツが見れることだ。

テレホーダイを親が払っていればあとは無料エロが見放題なのだ

他人嘲笑下品な笑いや、私が目指していたけどなれなかった「一人で完結したゲームクリエイター」が作ったフリーゲームだって遊びまくれる。

楽しいことが沢山あって勉強なんてしていられない。

もちろん、大学は落ちた。

その次の年、なんとか滑り止めに受かった。

まだプログラマーという生き方に未練が合った私はそういったことが学べる学部に行くことにした。

ちなみにプログラミング部をやめてからプログラミングに費やした時間は0である

なぜ、プログラマーという生き方に未練が合ったのか。

映画のカチャカチャターンを自分もやりたかったのか。

無理だと思い知ったのではなかったのか。

後悔はつきない。

2021-11-12

anond:20211112153438

737名無しさん@どーでもいいことだが。 (ワッチョイ a524-N+yq)2021/11/12(金) 15:07:20.34ID:523fqjje0

これキモい奴が自演してるでしょ

わざと特徴的な書き方してるし

たかよって思った。

俺じゃないんだけど俺じゃないとはいちいち書き込まなかった。

自演じゃないなら問題外だし、自演だろうが「自演と思えるような(主張が異なる)内容」なのならそれでよくね?

なんで5chにいる奴らって内容じゃなくて誰か書いたかどうかで見るんだろうね

自演認定に走るのは内容に価値を見出すのではなく多数派であることに価値基準を置いてる証拠だよね(多数派であるかどうかで価値判断を下す構造では確かに自演ノイズになる)

多数派かどうかなんて客観性には無関係なのに5ch民はそこんとこわかってないんだよ

その点増田は誰がどいつとかいうのは野暮だってほとんどの人は分かってるから人間レベルが進んでるといえるよね。

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