はてなキーワード: 大袈裟とは
クリスマスの夜22時頃のスーパーで翌朝の食パンのお供に粒あんでも買うかとウロウロしてたら
ヨーグルト売り場でカゴいっぱいのヨーグルトを持って佇んでる人ひとり
そんな大袈裟なと思うかもしれないけど文字通りカゴいっぱいのヨーグルト
...いや、ちょっと誇張したけど4段くらい積み重なってたから軽く40個はあったぞあれ
しかも3個入りで128円とか大容量のブルガリアヨーグルトとかそんなやつじゃなくて
1個98円とかその手のやつ
近くに冷蔵品の特売品を売ってる空っぽのショーケースがあったから1個78円とかで特売してたのかもしれない
よく考えたら賞味期限までに一人で食べ切れる量じゃないだろあれ
レジ終えて帰り際にまた見かけると
なんかしかもプレーンだけでなくストロベリー味とかブルーベリー味とか味変を楽しもうとしてるし
なんか俺が知らないだけでコロナに効くとかそんな噂でもあるの?
何を思って買い占めたのか気になって今から寝るんで
本人見てたら名乗り出てくれ
なんかさ、内容っていうより、美(少)女が持つ「格」というか「価値」で勝負してる感じがある
お前ら尊い尊い言ってるが、ブサイクなオッサン2人が同じことやってて同じ尊さを感じるのか?というところに疑問が残る
美(少)女属性を消費してまーす!中身はどうでもいいでーす!って姿勢が感じられる作品(きららの4コマとか……)ならまだ許しやすいんだが、4コマじゃねえ大袈裟なコマ割りで「硝子のように繊細な世界」みたいなノリのことをやってるやつが一番嫌いなんだよな うつくしい関係性!とか言ってるが結局うつくしいのは顔なんじゃねえのか?という疑念がつきまとうから
とにかく顔を良くしないでほしい
いや、それを言うと恋愛要素とかそんなに無いような話でもその気持ちは生じる とにかく意味もなく登場人物の容姿を盛るやつ、アレすげー嫌なんだよな
校内一の美少女とか髪型を整えたらモデル級とかそういう設定が出てきた時点でかなり嫌になる 学年最低レベルのブサイクって設定じゃなくていいから、せめて並くらいにしてほしい
理想はあたしンちなんだよな みかんはパッと見で美少女じゃないし、吉岡くんも「十人並み」と評しているが、読者としてずっと見ていると愛着が湧くくらいのかわいさはある
あれでしょあれ アレが理想なんすよ
可愛いお人形さんと可愛いお人形さんが仲良くしているよ!うれしいね!ってえ感じのする百合漫画は気色悪いし、それをみて「関係性が〜」つって喜んでる奴らも気色悪い 顔だろ顔
さすがに弟と間違うなんて失礼すぎる。
そりゃあ、もう焦った。
弟の友達だが、無口な子だったからマトモに話したことはない……くらいの印象だった。
その程度の間柄なのに、ちょっとフザけた感じで声をかけてしまったのも気まずい。
だが一度そう振舞ったなら、なかったことにはできなかった。
俺は気さくな対応を崩さず、徐々に軌道修正することにしたんだ。
「俺のこと覚えてるか? いつも弟が世話になってます、なんだが」
やや大袈裟に身振り手振りを交えながら、俺は一方的に世間話を始めた。
弟と呼んだのは冗談、もしくはあっちの聞き間違い。
そう遠まわしに思わせて、有耶無耶にしようとしたのさ。
「帰り道こっちなんだな。ご近所さんとは知らなかったぜー」
だけど俺は演劇部じゃあない。
「……お?」
その時、俺の顔に何か冷たいものが当たったのを感じた。
今まで中ぶらりんだった天気が、いよいよ本格的に傾こうとしていたんだ。
“天の恵み”なんていうけど、正にこういうことなんだと思ったね。
「ごめんな、引き止めて。お詫びと言っちゃなんだが、これ使えよ」
もしかしたら折りたたみ傘を持っていたかもしれないが、どちらでもいい。
「遠慮すんな。兄は弟を大事にするもんだ。弟の友達は、同じ弟みたいなもんだよ」
申し訳なさそうにするドッペルに、俺は気にするなと言いながら退散した。
「いま考えても、我ながら強引な対応だったな」
兄貴は気恥ずかしそうに、そう語った。
「そこは相合傘くらいしてほしかったな~」
まあ確かにマンガのように綺麗じゃないし、劇的なエピソードとは思えない。
それでも、ドッペルにとって何か感じ入るものがあったのだろう。
実際、俺の変装をし始めたのも、その頃だった気がする。
他部署から「こっちが忙しいの分かってるのになんで手伝わないんてすか」みたいなクレームが出た。
他部署だから責任の範囲も分からないから手伝わないわけで、ヘルプが出て、具体的にどんなことをすればいいか伝えられたら手伝いますよ。
でも、クレームの主は"察して"手伝ってほしいらしい。
察してほしいって、ずるいと思う。
依頼があったら「手伝って"もらう"」という事実が明確になるから、それが嫌なんだとしか思えない。それが嫌じゃなかったら、作業の見通しを立てて、大変になりそうだったら 手伝ってほしいって言えばいい。
「手伝ってくれてありがとう」と言うのが嫌だから、「勝手にあっちが仕事やってくれた。ラッキー」と思いたいんだよ。
そんなこと思ってなくとも、少なくともこちらはそう受け取っていることは事実だ。ひねくれているかもしれんが、こっちはサービス業じゃねえ。
しかし、補強するように上司に、察して手伝ってやってくれと言われた。
カチンときた。
別にこっちも暇じゃないし、空いた時間に進めたいこともある。手伝わないとは言わないが、手伝うための時間は捻出している。
しぶしぶではないが、人の助けを借りるってことは、人の時間を奪ってて、さらに売り上げを作るような部署の人の時間を奪うことは、会社の損失にもつながっている。
で、上司に、手伝わないとは言わないが、察してほしいっていうのは、やめてほしい。クレーム元がしっかり依頼を出すように伝えてくれ。と言った。
そしたら、「一流のレストランは、何も言わずにさりげなく水をサーブする。」「一流の店は、気遣いができる。」「お前も一流の社会人をめざして気遣いができるようになれ」と言われた。
しかし、レストランの人たちはそれが仕事である。サービス業だ。こっちはサービス業ではない。
そりゃできるに越したことはないが、できることは当たり前じゃない。
泥沼だった。
もう、諦めて、「自分の能力が足りないので、察することは自分に求めないでほしい。」と言った。
仕事干され始めた。
水がめちゃちべたいわ!
この時期の風物詩!
注いだそばから液体の水が凍っちゃう超常現象実験映像あるじゃない。
うちの水道から水が出たらそばから固まってそんな状態になったから笑っちゃったわ。
ウソだけど。
ところで、
たまには真面目に仕事をするでお馴染みの私なんだけど、
不慣れな輸出のこと?
大袈裟にそれ輸出というのかも怪しく分かってないんだけど
そういった海外輸出のことを調べていたら
お手上げする前に上げる手もないぐらいややこしいのよね。
すでに、
テストに出る海外輸出のことについてのテキスト赤本を読みたいところだけど、
あんまりそう言うことやったことない不慣れなことはなかなか慣れないわね。
そのオンスとかポンドとかでいきなり詰まっちゃって詰んだーってもう終了したいところ。
おんぶに抱っこって似た節で言い方をしても解けないものは解けないわ。
やっぱりまたドキュメンツをちくちくと読み進めていく地道な作業となるのその辛い辛みに効く特効薬があったらいいわ。
でね、
海外発送でもなんか種類があってまた読み進めなくちゃいけないんだけど、
「海外発送」と「グローバルセリング」って言うもうまたここで分岐点が2つあって
2種類もあるとかよく分からないし、
ぐろーばるせりんぐ?って美味しいの?って平仮名で言っちゃうレヴェルよ
前途多難中の前途だわ!
今日の日替わり昼ランチは何かと尋ねてみたら今月の献立表の紙を昨日くれた給仕さんにも感謝!
だいたい何でも感謝!
だいたい何にでも感謝!
と言うことで、
調べ物してたら
今日の日替わりのことすっかり忘れていたので、
すっかりSwitchずいちゃって冒険癖がついちゃったみたい。
よく分からないけど、
ゲーム遊びたいし
仕事もあるし、
日替わり定食も救いに行かなくちゃ行けないしで
私もハーレーダビッドソンにクリスマスサンタの格好して乗ってクリスマスの告知に走ろうかしら?
にしても
この時期、
ハーレーダビッドソンに乗ってる人は
クリスマスのサンタの衣裳を着てクリスマスの告知に精が出るわよね。
今時、
ハーレーダビッドソン達の人よね。
ハーレーダビッドソンに乗ってる人って、
クリスマス衣裳をこの時期着がちだし
みんなで集まってツーリングしがちでもあるわね。
彼らが街を走っているうちは
何でも無いようなことが
幸せだったと思う
トラブリューの第65536章の一節を引用して今日は締めたいと思うわ。
私は日替わり定食を救いに出る旅にでる!
ってオレは海賊王になる!ってルフィーの節の言い方で言ってみたら、
日替わり定食がまたより一層美味しく感じられちゃうから不思議よね。
今風に言うなら
日替わり定食の呼吸!っても言えるわね!
うふふ。
まぐれ美味しいかも知れないので、
今日も食べて確かめたみたら美味しかったのでリピまたしてみようと思いました。
さすがに寒くて寒い冷たい水飲んだら、
腰に響くわ!ってことで
ほうじ茶でホッとするわ!ホットだけにとかってベタなことは言わないからね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
コーンが次々と口の中に飛び込んでくる!!
SNSバズ狙いのやたら大袈裟な文章っぽく書こうとしたが上手くいかんかったわ。
「缶入りコーンスープ、缶の飲み口のちょい下あたりを凹ませると残コーン粒が減らせる!」みたいなライフハックを
特濃コーンポタージュ 缶 185g | 商品情報 | 伊藤園
www.itoen.jp/products/detail.php?id=300
「特濃コーンポタージュ」「大納言しるこ」「寒天しるこ」 4月2日(月)より販売開始 | ニュースリリース | 伊藤園
www.itoen.co.jp/news/detail/id=25109
中身を最後まで楽しめる「粒がよく出る容器」を全製品に採用しています。
www.itoen.co.jp/files/user/news/2018/%E7%B2%92%E3%81%8C%E3%82%88%E3%81%8F%E5%87%BA%E3%82%8B%E7%BC%B6.jpg
缶内の液体の残量がこれくらいの時に缶をこれくらい傾ければコーンがこれくらい出てくるだろう、という通常の予想
それを超える勢いでコーンが流れ込んできて少し驚いたのは本当。
が、最後のほうで液体の残量と流速が弱まると勢いはさほどでもなくなり、結局は缶のフチにコーンが6粒ほど引っかかって残った。
もっと勢い付けて流し込めば残粒は減らせたんだろうけど。
でも自分はチビチビと少しずつ飲みたいの。缶の都合に飲むペースをコントロールされたくない。
以下の記事が他社のコーンスープとの比較も含め上手くまとまってた。
まだ、あるのに…出そうで出ない缶入りスープの「コーン粒」、うまく飲み切るコツは? | オトナンサー
otonanswer.jp/post/27228/
これも同様の原理。
2012年8月から採用とのことで自分も飲んだことある筈だが、さほど感銘を覚えた記憶がない。
担当者「まず、飲む前に缶をよく振ります。そして、缶を軽く傾けた状態で缶上部を軸にして、手首のスナップをきかせながら、
缶の中で渦ができるように、時計回りに細かく回してから飲んでください。時計回りに回すのがポイントです」
otonanswer.jp/post/27228/
などと面倒臭い飲み方を指南しているところからすると、『ジャンピング缶』の形状の効果はそれほどでもないと想像せざるを得ない。
現在のポッポロのオフィシャルサイトに詳しい画像が見当たらないので他人のツイを借用するが、
こんな形状。
粒残り対策缶 | 飲みやすさのテクノロジー | DAIWAテクノロジー | 大和製罐株式会社
www.daiwa-can.co.jp/technology/drink_01.html
缶胴ネック部を延長することで、「アルミ蓋のカウンターシンク部」と「ネック成形部」の隙間に粒が詰まらないようにする。
へー、上面周縁の凹んだ部分、「カウンターシンク部」って言うんだ。
ポッポロも伊藤園も缶のサプライヤーの社名を堂々と前面に出して技術をアピってほしい。
自分の結論は前出の記事と同じになるが、コーンスープの缶はダイドーが採用してる広口ボトル缶がベスト。
まだ、あるのに…出そうで出ない缶入りスープの「コーン粒」、うまく飲み切るコツは? | オトナンサー - (2)
otonanswer.jp/post/27228/2/
正直愚痴です。
どこのジャンルでもある程度母数がいれば往々にして発生するトレパク問題が身近で起きました。
厳密には計測の上描き写すタイプの模写のようですが、やり過ぎて線が重なるので実質トレスです。
言い分としては、行為自体はトレスではなくあくまで模写なのだからセーフだ、とのことです。
というわけで私は今、私達が美術系の漫画やアニメ、漫画研究会などで当然のように触れて身に付けてきた知識や知恵を全く知らない二次創作者が少なからずいることに不安を感じています。
なのでここで、そうした経験から学んだなぜ模写・模倣は問題視されるのか、について吐き出そうと思います。
そこそこ上手いんですよ。
そこんとこ素直に褒められてると受け取って承認欲求満たして自己肯定感上げてとっととステップアップしてほしいです。
もし本当にただの無知なら。
まあここで言って本人に届くとは思ってませんが。
さて、本題に入ります。
無名絵描きは練習(習作)としてとある有名画家の作品の模写に取り組んでいました。
最初はそっくり同じに写しとっていました(模写)が、ある時「この画家の描いたネコも見てみたい」と思うようになりました。
その有名画家はイヌ派だったので、お手本はイヌの絵ばかりだったのです。
そうして無名絵描きは、有名画家の作品を模倣(いわゆる絵柄パク)しながらネコの絵を描いてみました(パロディ/二次創作)。
「上手に描けたよ!」
「すごい!」「本物(有名画家の絵)みたい!」
そこへ通りがかった画商が「素晴らしい!その絵を買わせてくれないか?」と持ちかけました。
「絵が売れた!売れたぞ!」
近所の人達もお祝いしてくれました。
画商は無名絵描きから買った絵を画廊に飾り、新聞社へ電話をかけました。
なんと無名絵描きの描いたネコの絵は、有名画家の絵と間違われてしまっていたのです!
無名絵描きは無名ですから、画商は無名絵描きが絵描きだということすら知りませんでした。
ですからたまたま出会ったそっくりな筆使いのネコの絵を、有名画家の作品と疑いもしなかったのです。
とはいえもちろん画商も目利きです、並大抵の模倣では騙されるはずなどありません。
そうしてネコの絵は、有名画家の未発表作として多いに世間を沸かしました。
そういうことです。
だから模写や模倣は習作と呼ばれ、公にするものではないとされているのです。
パロディ(二次創作)が成立するのは、それがパロディであると受け取り手にとって明らかな時だけです。
商業的なパロディ作品の場合は適宜許可取りや原案表記をしています。
そこそこの年齢の二次創作愛好家は知っているでしょう、青いタヌキの二次創作が訴えられた事例を。
あれは決して二次創作を締め付けようだとか見せしめだとかのためだけに訴えられたのではありません。
それを本物、公式だと勘違いした一般人がいたから、海賊版の扱いをせざるを得なかったのです。
海賊版とは、公式(権利者)の商売の邪魔になる商品のことです。
コピー品に限らず、著作権者に無許可で売買される、著作物を利用した製品は、全て海賊版です。
よく二次創作イラストが海賊版グッズに利用されるという被害が出ていますが、絵柄が公式とある程度異なっていれば、二次創作に関連する知識のない一般人にも容易に混同されることはありません。
逆に公式そっくりな絵柄だった場合、ライセンス料の分安い当該商品は売れに売れてしまうかもしれません。
二次創作者本人を知らない人がたまたまそれを見かけたとしましょう。
(制作者の注意書きの及ばない無断転載を含みます。無断転載もしてはいけないことですが、避けようがありません)
「有名絵師さんってご自身の手掛けた作品の二次創作も描かれるんですね!」
絵師さん大慌てです。
特にゲームやアニメなど集団で作る作品の場合、絵師さんにライセンスはほぼありません。
公式絵師が非公式二次創作をする場合、ほとんどのケースではまず公式の許可を取る必要があります。
そして多くの場合は公式の目の届く範囲で、非公式と注意書きを添えた上で公開しています。
この辺りは私は詳しくないので深掘りはしませんが、公式絵師の非公式二次創作をファンが公式同然に受け取ってしまい、トラブルになりかけたこともあります。
公式絵師は自身の関わる作品に関して、一般の二次創作者以上に慎重を求められるのです。
公式絵師の絵柄を模倣するということは、その責を公式絵師に負わせるということにもなりかねません。
ところで、先だって二次創作漫画の無断転載サイト運営者が二次創作者から著作権侵害で訴えられ有罪判決となりましたが、ご存知でしょうか?
原作サイドではなく二次創作者からの訴えですので、二次創作作品に関して二次創作者の著作権が認められたおそらく初めての判例です。
○二次創作者の考えた公式ではあり得ないようなストーリーがあったこと
の二点が大きく挙げられます。
専門家の解説記事へリンクを貼っておくので、詳しくはそちらを読んでください。
少し大袈裟なところもありますが、とにかく二次創作で公式の模倣はまずいってことがもっと浸透することを願ってやみません。
偶然絵柄が似ていることも世の中にはありますが、二次創作をする際にはあえて公式から絵柄を遠去けることが暗黙の了解と言われている程です。
二次創作にまつわるリスクと回避方法が少しでも伝わっていれば幸いです。
○おまけ
イタコ漫画家はどうなんだとお思いの方もいると思いますが、大抵は知識やコネを持っています。
十分な知識があり、上手く立ち回れるのでしたら、頑張ってみればいいんじゃないですか?
そこまでしてやりたいのなら、ですが。
こういうときに必ず出てくるのが「お前が避ければいいだけ」「ぶつかっているということはお前も避けていない」
というしょうもない混ぜっ返しだ。
「お前が避ければいい」論者は「ぶつかった・ぶつからなかった」という結果論の話にしか興味がないが、まるで幼児である。
人混みを避けて歩くことは「コミュニケーション」の一種である。
人混みは「お互いに」避ける、ぶつからないというコミュニケーションでできている。
自分から避けない奴には理解できないのだろうが、「お互いに避ける」不断の努力なしには平和な人混みは生まれないのだ。
考えればわかることだが、誰も避けなければ皆ぶつかるのだ。
コミュニケーションの反対はコミュニケーションの拒否、つまりは「暴力」なのである。
人混みで「避けない」人間は積極的に「暴力をふるっている」のだ。
世の中には高齢だったり障害だったりベビーカーを押していたりで「避けられない」人はがいる。
それを察してこちらが全面的に「避ける」こともコミュニケーションである。
数々の証言が示すように、「避けない人間」は相手が高齢者だろうが障害者だろうが、構わず避けないのだ。
避けないで、ぶつかるのだ。
「暴力をふるっている」ということの意味を多少なりとも理解していただけただろうか。
暴力に対し反対を表明するなんて、当然すぎる事だろう。
「人混みにおける暴力」なんて、これはもう現代社会人なら反対して当然の低俗な行為である。
それをどうすべきかという話なのだ。
「お前が避ければいいだけ」論が無意味なのはここに理由がある。
演じるキャラクターの特徴をよくつかむという意見はわかりやすいな!なるほどなるほど。ハマり役をもってる俳優はまさにそれだな
アニメとか声の演技は普通に喋るより大袈裟に演じる方がいいとか聞いたことある
参考になった
何をもって演技が上手いと考えるかは人それぞれなんだなあと思ったり
しかし、若井おさむと古谷徹が並んで喋ると何か違う、そんなに似てないんじゃないかと思ったりする
コロッケとかだと尚更そう思う、そんなに似てないんじゃないかと思う
でも、そんなに似てないモノマネでも、それを見た瞬間に、あー、あの人かー、と思い浮かぶのがモノマネなのではないか
演技も同じで、現実の人物を演技するとしても、リアルであればいいのかというとちょっと違う気がしてて、
リアルを徹底するより寧ろ特徴を抽出して強調した演技をした方がいいのではないかと思ったりしてる
声優とかもリアルか?というと変なんだけど、その方が特にアニメとかだと大袈裟ぐらいな方が寧ろ違和感なかったりする
何が言いたいかというと、宮崎駿の声優をプロ声優から選ばないみたいなの、自分はあんまり納得できなくて、
キムタクや庵野秀明が普段通りに喋るのがリアルなのか?演技が上手いというのか?というと違うんでないの?と思ったり、
だったらアニメの方がもっとリアルな絵になってないと、声だけリアルでもおかしいだろ、と思ってしまうのでした
自分なりに演技が上手いというのは、演じるキャラクターの特徴をよくつかんでいる人だと思うんだよなあ
1人分隔離されてるベンチに座ると目上のテレビに昨夜、不倫騒動の謝罪会見をしている彼の姿が映っていた。
個人的に彼に対する感情は特にないのだが記者の質問に対してホントに、馬鹿な事をしました、はいそうですね、とばかり繰り返して答えてるようで答えていないその姿は
あまりにも滑稽でクスっと心の中で沸いた。しかし、この待合室という微妙に俗世からかけ離れた雰囲気をする場所でその滑稽な姿が映し出されるのはなんともシュールなのと
何かやらかしてニュースに出るとこうして多くの人の目に触れることになるというのはとても恐ろしいのだと、ふと再確認させられた。
例えば犯罪者ならその人のバックボーンなどは知られてないから犯罪内容を大袈裟に取り上げるぐらいだが、有名人はそういうわけにはいかない。
過去に出演した番組の映像などマスコミが舌なめずりして発掘してそれも流すだろう。ヒューマンステージという単語を用いて有吉とマツコにイキる彼の映像もあった。
有名人になるというのはこうして逃げ場も同時に失うという側面も担っているのだと待合室で急にふと体感したわけである。
繰り返すが俺は彼に対する感情は特にない。あえていうなら相方の中島はこれからもお笑いは置いといて俳優としての活躍をお祈りしたい。
突然ですが皆様、昨年末から続くコロナ禍の中、マスクはしていますか?
昨今のコロナ禍での世界の感染者数は6295万人、死者146万人という生きているうちに一度お目にかかれるか否かのパンデミックですね。
おそらくこのコロナウィルスは一生消滅することはなく、流行と収束を繰り返しながら人類の体の中で徐々に抗体が出来上がりいつしか死ぬほどの病気ではなくなるのではないでしょう。例えば現在のインフルエンザのように100年後は流行期に予防接種をする程度で死のリスクを避けられる病になるのだと思います。
まぁ、私は医学者でもなければ研究者でもないただの一般人なので、有識者は「違う!」とおっしゃるかも知れませんが、今回のエントリでそこは重要ではありません。
皆様マスクはしていますか?街を歩いて交通機関を利用すれば、皆一様にマスクをしております。
マスクをせず外に出歩いたせいでトラブルになった事例もよく聞きます。
ですが、この記事の筆者はコロナが流行してから今の今まで一度もマスクをしたことがありません。
いや、一度もは大袈裟ですね。ポージングとしてコロナの予防をしている体が必要な場面、例えば仕事で会社に出社する時は上司などへの体面を保つため会社に入る直前だけマスクをします。それ以外の地下鉄などの公共交通機関を利用する時などは一切マスクをつけておりません。そのせいで周囲の人から避けられたり、通りすがりに「マスクしろよ」と吐き捨てられたこともあります。しかし私は極力マスクを“しない”様に心がけています。それはなぜか。
よくある理由としては、煩わしいからとかマスクに予防の効果がないとか。
正当な理由では健康上の理由で物理的にマスクができない人などもいる様です。
変わったところでは宗教上?信じている人が「コロナはただの風邪」と言ったからとかでしょうか。
思い返せばここ10年ほど、ずっと病気や不慮の事故による「死」を毎日祈りながら生きてきました。
にもかかわらず健康に生きたらまだ50年以上人生が残っているのです。
これはなかなか辛い道のりです。この人生の苦行を後50年続けなければいけないのです。
しかしながら私の中で自殺という手法は最後の手段です。その手段もないわけではありませんが、私の最も理想の死に方は30代のうちに病死か不慮の事故により死亡することです。
なぜなら、病死や事故死といった死に方なら身内や周囲の人間も「避けられない運命だった」と諦念を持ってくれますが、自殺となると少し具合が違うからです。だって自殺者の周囲の人たちは当事者の死後、「なぜ死を選んだのか?」「死ぬ前に誰かに相談できなかったのか?」その様な考えから私の自殺理由を“墓あばき”よろしく、詳にして開陳しようとするでしょう。死ぬまで抱えてきた思いを、死んだ後に晒されて慰めの道具にされるなんてたまったものではありません。
その様な理由から、死ぬなら病死か事故死がベストだと考えています。
だから、私はこのコロナ禍というパンデミックを病気で死ぬための絶好の機会だと捉え、大気中のコロナウィルスを肺に取り込むことを目的にマスクをせずに今日も街を出歩くのです。
コロナ禍でマスクをしないことに憤慨する皆様。どうぞ石を投げてください。たとえ見ず知らずのあなた方に石を投げられても私は明日も明後日もその先もマスクを“しない”ことをやめません。だってマスクをしてない私を救ってくれるのはそれに憤慨するあなた方ではなく、今まさに蔓延っているコロナウィルスなのですから。