はてなキーワード: 副委員長とは
自分のことかと思うくらい、とても良くわかる。
20代、30代、40代と、他人の言うことを最優先にしてやってきた。
上司からも「お前はそういうやつだし、そういうところが良い」とまで言われ
言われたことはなんでもしてきた。
あの人に頼めばなんとかしてくれる、という地位を勝ち取った。
長男ということもあり、親の言うことをよく聞く子だった。
小さい頃に虐待されたような記憶はないが、いろいろ厳しかった。
高校は、地域では指折りの進学校に入ったので両親は喜んでくれた。
地元にいることが親孝行になると思って、地元の起業に就職した。
八方美人であることは認める。八方美人であることが、自分の良さだと思っていた。
怒られることや拒否されることを極端に恐れ、飲み会でも自分の意見はなるべく言わず
しかし、50歳を目前にした今、猛烈な後悔に襲われている。
きっかけは、高校の同級生がミュージシャンとして成功している(ように見えること)。
しかし彼は自分の夢を追い、東京に出て勉強し、今の地位についた。
決して楽な仕事ではないだろうが、テレビで見かけることもあり、まぶしい。
何もせず誰にも嫌われない人生を歩んできた。
誰かの反対を押し切って東京に出るなど夢にも考えられなかった。
農業から離れて「あの息子もやっぱりダメか」と言われることが耐えられなかった。
他人の目が人生のすべてになり、他人から見て立派であることが人生の目標になった。
確かに人には嫌われていないが、それが何なのか。
人生最後の日に向かうカウントダウンの音が聞こえるようになってきた今、
このまま何もしないで死んでいいのか。
なんか違う気がしてきた。
だけどもう遅い。
独立開業しようにも、他人の意見を尊重して組んだ住宅ローンの残債が重すぎる。
妻子を持つ身としては身動きが取れない。
このまま何もしないで終わる人生を望んでいたのに
何もしないで終わる人生が耐えられなくなってきた。
ふと、漫画の「君たちはどう生きるか」を読んだ。
「人間はそういうふうにできている」とのこと。
もっと若い頃にそういう考えをして、自分をきちんと認めるような生き方をすべきだった。
もう50年近く、自分を殺して生きてきた。
このまま気が狂いそうな後悔を抱えたまま死ぬのだろうか。
きっかけは、小2の時にクラスの女子のメガネケースが机から落下し、壊れてしまう。ということでした。
その様子を遠くで傍観していると、赤井さん(女子)が教師にこの事について話しているようでした。
赤井さんは、「近くにいたから」という理由で大石さん(仮名)と何故か私を指名しました。
その後、緊急の学級会が開かれ、教師が明らかに私に対して不利になるような言葉を並べ、
「柳沢さん(仮名・私)と大石さん、どっちが悪いか多数決しましょう。」
と言い出しました。
クラスの大半が私がやっていた。と手を挙げ、私は反論しました。
しかし、それは無意味なもので教師はなにも認めてはくれませんでした。
下校後、学校から連絡が来ていた。ということもあり、親から様々なことを言われ、私は「絶対やっていない。そもそも、その場所に行っていない。」という趣旨のことを伝えた後、同じクラスの友達の親から電話がかかってきました。
「柳沢くんは、やっていないらしいね。私の子供が言うには、『大石くんがやってた』ということだった。詳しく話聞きたいからおうちに来れる?」
かけてきた友達の親の家は、とても近所で電話がかかってきたあとすぐに親が私を連れ、到着後話し込んでいるようでした。
次の日、教師から「もうあなたが認めれば、ことが丸く収まるから、赤井さんに早く謝って。」と言われ、私は、赤井さんに「ごめんなさい。」と言ってしまいました。
帰宅後、親から「どうだった。」と聞かれ、「謝ったよ。」と伝えると、「何で謝ったの! あなたやってないんでしょ! それは罪を認めることだよ!」と言われました。
この時、小学2年生だったため、「謝る」という本当の意味を知らなかったためです。
これらのことがあった後、クラス内で1人でいることが多くなりました。
3年生に進級し、新たな楽しい生活が送れると思い、とてもわくわくしていました。
クラス担任を中心とする、酷いいじめを受けるようになりました。
相談する相手も居ず、学校が嫌いになってしまいましたが、「とりあえず学校には行け!」と言われ、抵抗はしたものの通じず、仕方なく学校に行きました。
このときの私は太っていて、担任からおなかを直に触られることが数え切れないほどありました。
また、クラスメートからは悪口や陰口、さらには過度なちょっかいなどがあり、とてもこのクラスにはいられない気がしてきました。
給食の際にも、いじめを受け、給食を食べないということもありました。
しかし、担任が止めてくれましたが、それがきっかけで、さらにいじめがエスカレートしていきました。
担任は、私のすべてを受け入れてくれるとても優しい先生でした。
今まであったことをすべて話した私は、泣いていました。
小学3年生の時と同じクラスメートでしたが、その先生の支えもあり、クラスになじめていたような気がします。
私はパソコンが趣味で、その先生もIT系に強い先生ということもあり、Excelの話やPPの話など様々なことで盛り上がりました。
ただ、先生はそこまで甘くはありませんでした。
毎日、職員室に行って先生から様々なことを聞いていたり、教室にプリントを運ぶ手伝いをしていたりしました。
突然、「お前はもう大丈夫だから、朝職員室には来るな。」と言ったのです。
私は、少し悲しくなりましたが、自分に自信を持っていたため、「わかりました。」と返しました。
担任は、とても優しかったものの、その事が理由でクラスの雰囲気は崩れ始め、学級崩壊・学年崩壊とまでいくようになりました。
秋頃、小2の時に私は大石さんと喧嘩をして、感情を抑えきれなくなり、教室にあった水槽を割ってしまうということがありました。
小学6年生の時、すべてが変わりました。
担任は、少し厳しい先生が入り学級・学年がまとまってくるようになりました。
私がパソコンに強い。ということを知っていた担任の先生は、放送委員会の引き継ぎを私に優先していただき、さらには委員長までになりました。
その先生は、ダメなことはダメ。というはっきりした性格で、私の曲がってしまった心を矯正してくれる、恩師でした。
さらには、「小2の時にメガネケースが破損した」という事に関して、真犯人が出てきたこともありました。
卒業式の呼びかけの際には、担任の計らいで、私と大石さんがラスト・ラスト2という大役を任されました。
中学校1年生から、自分の感情を抑えきれるようになり、中学校2年生の時には、学級副委員長にもなりました。
中学校3年生の時には、学級副委員長・文化祭の実行委員をやるようになり、いじめでコミュニケーションも控えめになっていましたが、それが改善されるようにまでなってきました。
現在は、中学2年生の時から志望していた高校に合格・入学し、部活や勉強にのめりこむ毎日を送っています。
その人たちに、会っていなかったら私はとても楽しい小学校生活を送っていたと思います。
何故教師たちは、いじめを助長するような言葉を発するのでしょうか。
いじめは、受けている側が「いじめ」と思った瞬間にいじめになります。
まだ「いじめ」という考えが浸透していなかったこともあるのでしょうか。
学校の評判が下がる? いじめに関わったらいい役職に就けない?
それは、学校・教師の話であり、苦しんでいる人たちはさらに苦しむことになります。
こんばんは俺です。
森友学園への国有地売却問題解明プロジェクトチーム(民進党)が行った、籠池泰典氏のヒアリングを文字起こしました。
なのでミスはあるとおもうです。
二次利用する人はそこんとこよろしくです(自分で確認してください)。
はい、えー、それでは、ただいまより、えー森友学園の、国有地売却問題解明PTを開催していただきたいと思います、
えー、では改めまして皆さんお疲れ様でございます、今井議員と共に共同座長を仰せつかっております参議院の川合でございます。本日のこの会議の趣旨は、既に皆様もご承知のとおり、ここへきて国有地の払い下げの手続きに関わる、近畿財務局の説明資料と、新たな証拠が出てきたということを受けての会議の開催ということでございます、本日は籠池前理事長にも、お越しいただきまして、直接皆様にご説明をいただけるということでございますので、この機会を設定させていただきました、あらためて、確認するまでもないことでございますが、私どもがやらせていただいておりますのは、事実の確認ということでございますので、その視点から、ぜひとも、議論深めていただきたいと思います、限られた時間ではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
はい、あのー、お手元に資料が二つあると思いますけれども、ここ最近、近畿財務局からの説明資料という「今後の手続きについて」という、紙が出てまいりまして、それともうひとつ、田村室長との面談の時の、録音というのが出てまいりまして、いま国会でもこれが非常に、注目されておりますので、今日、1時半から、役所のほうとヒアリングをさせていただきたいと思いますが、両側から話を聞く必要があるということだと思いますので、今日はあの、籠池、当時の森友学園理事長に、お越しいただきまして、お話を伺いたいと思いますので、宜しくお願いしたいと思います。
どうも皆さんこんにちは、えー、貴重な時間を設けていただき、まことに有難うございます、あのー、まずもって、えー、皆さん方からのお話をうかがう前にですね、私ちょっと纏めてまいりましたので、えー、そのことを、ちょっと、お話させて頂きたいと思いますが、座らしていただいてよろしゅうございましょうか、はい、失礼します、えー、まずこの、はじめに、えー、この度、思いもかけず、民進党の方々のほうから、瑞穂の國記念小学院建設に伴う、土地取引、ならびに学校設置認可について、説明せよと、要請をお受けしました、私といたしましては、証人喚問でも申し上げました、あー、とおり、自分の反省すべきところは反省し、えー、自分の承知しておりますことは出来るかぎり、率直にお話を申し上げる方針には変わりはありませんので、えー、このご要請に応じ、出来るかぎり、議員の皆様方のご質問に誠実に、お答え致したいと考えております、えー、まず、あの、昭恵夫人との関係につきましては、えー、おそらく、あの、議員の皆様がた、につきましては、本日のご興味はですね、えー、先般明らかに致しました、私と、財務省の田村室長との会談の録音テープで、あろうかというふうに、思っております、えー、まずはあの会談に至るまでの経緯について、申し上げたいというふうに思っております、えー、瑞穂の國記念小学校の建設構想が、具体的に走り出しました直後の、平成24年の10月ごろ、まず真っ先に、この構想についてご相談申し上げたのは、あー、尊敬する安倍晋三首相のご婦人、安倍昭恵先生でございました。当時まだ、安倍晋三先生は、自民党総裁に返り咲かれる前でしたので、えー、安倍先生応援するためにも、ぜひ当園にお越しいただき、ご講演をいただければと思い、えー、安倍先生サイドと接触を図ったところ、おー、安倍昭恵夫人とお会いすることが出来まして、えー、その際、安倍晋三先生のご講演の依頼をすると同時に、えー、小学校建設構想についても、お話申し上げた、いうことでございます。
残念ながら、自民党総裁選挙等の影響で、安倍晋三先生のご講演はかないませんでしたけれども、その後、平成25年の9月に、財務省に対し、安倍晋三記念小学校として土地所得要望書提出すまでにも、おー、安倍昭恵夫人にも、小学校建設プロジェクトのす、進捗については、適時、ご報告を致しておりました。安倍晋三先生が総理に就任されたため、ご講演はかわな、叶わぬ、うー、だろうというふうに思っていましたところ、おー、思いがけずに、えー、安倍昭恵夫人からご講演をいただく運びとなりました。ま、平成26年の3月、講演の最終的なご依頼のため、昭恵夫人と、東京のホテルオークラでお会いすることになりまして、その席で、えー、昭恵夫人から、小学校建設、うー、運動について、えー、お話をし、主人にお伝え、えー、伝えますと、いうことを言っていただき、更には、何かすることはありますかと、までいっていただき、嬉しかったことを記憶しております。この際、昭恵夫人は、安倍事務所の秘書の方と、を帯同されておりましたので、当時の昭恵夫人のスケジュール等に関しましては、安倍事務所のほうに、ほうがお詳しかろうと存じます。また平成26年の4月、塚本幼稚園に昭恵夫人がご講演たまわった、あと、昭恵夫人を豊中の、おー、野田の、小学校建設用地にご案内申し上げました。この際、昭恵夫人が帯同されておられた秘書は、えー、コウタケさんと記憶しております。昭恵夫人には、小学校建設予定地をご視察たまわった際も、当然のことながら、財務省との交渉についてもご説明申し上げた次第でございます。その後、昭恵夫人には適時、財務省との交渉内容について、電話でご報告をしておりました。当時、私は、あの土地を、定期借地、定期契約にて借り受けたいと考えておりましたものですから、その交渉のため、半月に一度は、あー、もうちょっと多かったかわかりませんね、15日、十日間くらいに一度は近畿財務局に出向いておりました。昭恵夫人には、この交渉の都度、交渉の経緯などを報告申し上げて、えー、おった次第であります。また、当時の財務省の担当者、マエニシさんには、当時から私が交渉経緯を昭恵夫人に報告していることを、お伝えしておりましたので、財務省のほうも、このことは当然、認識しているものと思われます。それまで定借契約に難色を示しておりました財務省が、平成26年夏ごろ、えー、突然、定借での契約に前向きになってくれました。なぜ財務省が突然、態度を、おー、変えてくれたのか、私には知る由もありませんが、あの録音データの中で、タムラ室長が言う特例と言うのは、ま、このことを指していたのではないかと、いうふうに考えております。そのの、その後、財務省との賃料に関する値段交渉が始まり、財務省の統括官から、値段にはストライクゾーンがあると、ストライクゾーンは上と下がある、という話があり、高いほうは2,700万、低いほうは2,100万、という、具体的な、金額の提示が、ありましたので、低いほうにしてくれとお願いしたという経緯もございます。この、定期借地にむけた、けいし、えー、契約交渉についても、適時、安倍昭恵夫人にはご報告申し上げて、おりました。平成26年末、きんぶ、近畿財務局がその後の契約書の雛型を一式揃えた文書を提示してくれました。この時私は、この雛型とおり手続きをすすめば、土地取引はスムーズに動くであろうという、ということを感じ安堵いたしました。しかし、翌年、平成27年になりまして、建設予定地でゴミが、大量に発見されるにおよび、このゴミの場内埋め戻しを財務省が、建設業者に指示しているという話を聞くに及んで、土地の値段のことよりも、工期の遅れひいては開校の遅れが心配になり、近畿財務局のイケダさんに頼んで、財務省本省のタムラ室長の直通電話を教えて頂き、アポイントをとって、お会いする運びになりました。あ、失礼、しかしこの翌年というなことは、平成28年でございます。今般、問題となっておる録音データはその様子を録音したものです。この会談の後も、昭恵夫人には、交渉の推移を、適時、ご報告しておりました。昭恵夫人に、名誉校長にご就任いただいたのは、土地取引の交渉がまだ完全に終わる前でしたが、名誉校長就任後は、当然のことながら、業務の一環としてご報告を、続けた、次第で、ございます。結びに変えまして、録音データーの素性については概略以上のとおりであります。冒頭にも申し上げましたように、私は、私の承知しておりますところを包み隠さずお話申し上げる所存であります。証人喚問で、維新の会の、下地先生が仰ったように、大阪府にもたくさんの、梯子をかけていただきました。その御恩に報いるためにも、答えられる限り誠実にお答え申し上げる所存であります。どうぞご遠慮なくご質問いただきたいというふうに思っています。どうぞ、議員各位そして、メディアの皆様も、この問題を有耶無耶にしないように、しっかりと、解明のほど、よろしくお願い申し上げたいと思います。以上でございます。
ありがとうございました。それではあのー、ご質問を、承りたいと
えー、参議院議員の風間と申します。ご説明有難うございました。あのー、2点うかがいたいんですが、今の籠池さんの、おー、ご説明を聞いていますと、結局、総理夫人が、あの、今回の件で果たされた役割というのは、えー、この問題に関するコンサルタント的な役割、を果たされたと、結果として、えー、そういう印象があるんですけれども、えー、籠池さんは、あの、どのように受け止めてらっしゃいますでしょうか。それからもう1点。あの、稲田防衛大臣、に対する、籠池さんご夫妻の個人献金について、えー、お伺いをしたいんですが、あのー、私あの、収支報告、稲田さんの、入手しまして、えー、献金者の氏名を、調べておりましたところ、えー、籠池さんご夫妻を含んで、えー、数多くの、保守系文化人が、えー、献金をされていました。で、その中の何人かに、えー、ヒアリングを、しました。その結果、えー、自分は、あー、当時、稲田さんの、おー、後援会の役員を務めていたと、この役員のもとに、えー、稲田さん側から、えー、献金をして欲しいという、依頼の、手紙が、あー、来たので、それに応じて献金をしたと、こういう回答が得られました。で、お尋ねは、あのー、籠池さんは当時、稲田さんの、おー、後援会の役員、いー、をお勤めになったのかどうかと、この点、2点をお尋ねします。
えー、ではお答え致します。えー、安倍昭恵夫人がコンサルタント的な、えー、立場をさして、して、おられたかどうかと、いうことですけども、あのー、コンサルタントという、ことではなくてですねぇ、あのー、私の、おー、考えておること、ご説明申し上げて、えー、そして、それが、えー、まあ、どのような、状態になってるのかということをお知りいただいて、で、そして、えー、そのことを、おー、通じてですねぇ、えー、色々と、おー、各方面にわたって、えー、対応していただいて、いたのではないかと、いうふうに考えております。えー、稲田先生の、献金のことにつきましてはですねぇ、えー、私はあのー、役員はやっておりませんが、えー、麻生大臣がお越しなったときに、えー、私が麻生大臣の、おー、アテンド役という立場をいただきましてですね、えー、そこにずーっと付き添って、おる役をいただいたということは、あります。それでよろしゅうございましょうか。
2点お伺いいたします。えー、先ほど、おー、昭恵夫人には、ま、適宜、ご報告を、されていたと、おー、いうことでした。あのー、多い時には10日に1ぺんぐらい、その財務、うー、局に行くというお話でしたが、あのー、例のあの、おー、タニサエコさんのFAXの返答、等の場合などは、まあ単なるご報告にとどまらず、ま、お願いということで、具体的に動いていただいたということだと思うんです。そのように、具体的に何か、あのー、動いていただいた、あー、ということは、あー、この、その、先般の、おー、FAXで返答があった例の件以外にもあるのかどうか、これを1点お伺いしたいんです。えー、もう1点はですね、えー、昭恵、えー、夫人が、えー、名誉校長をお辞めになった時の話ですが、えー、ご家族のツイッターだったと思いますが、その退任のときの、そのご連絡が、昭恵夫人ご本人ではなく安倍晋三事務所から、あー、きた、あるいは、そのー、ま、退任させてくれ、ホームページから削除してほしいということが、自民党の国会議員から来たというような、あのー、ことが、ちょっとあったと思うんですが、そこらへんの事実関係をお伺いできますでしょうか。
参議院の白眞勲と申します、今日は有難うございます、えーっとー、今の宮崎さん、との話と同じなんですけど、あのー、この前あのー、予算委員会において、えー、籠池さんから、この、今ここに議事録あるですけども、平成27年10月の、おー、ことです「留守番でしたのでメッセージを残しました。すると後日、内閣総理大臣婦人付きのタニサエコさんというかたがご連絡をいただき、なかなか難しいとのお返事をいただきました」というお答えをされてるんで、あのー、その時、ご証言をされてるんですけども、その、普通、メッセージってそんな長くは、なかなか、残せないんじゃないかと私は思うんですね、ですから、それに対してはたぶんお電話を頂きたいみたいな話が、をされて、それに対してタニさんからお電話、ふつう来たのかなと私は勝手に想像したわけなんですね、それで、それに対して、なお、たぶん籠池さんのほうがご説明されたらちょっとそれじゃなかなか難しい、あのー、話がよく分かりにくいので、えー、ということで、えー、お手紙を、このー、具体的なお手紙を、それはコピーいただ、みましたけど、そういう経緯がここにあったんではないのかなと私は、こう、勝手に推測したんですけども、そのへんをもう少し詳しくお話いただければありがたいというふうに思います。以上です。
えー、順番にお答えいたします。えーっと、10日に1回、安倍、昭恵、夫人のほうに連絡したというんではなくて、私が、近畿財務局に行っておりましたは、えー、10日に1回くらい、えー、でありますと、えー、ですからその、報告を、せないかんなぁと言う時は、適時考えてやっておったと言うことであります。えー、それと、タニさん、のこと、えー、えーっと、タニさんのことですか、えー、タニさんのことですねぇ、はいはいはい、そうですねぇ、えー、当然ですねぇ、えーっと、平成にじゅうー、うー、ろく年、に、の4月に、えー、初めて、学園に、ご講演に、お越しいただきました時に、えー、もう、そのまま、学園の野田町の、えー、小学校建設用地までご案内いたしました。で、そのなかでですね、あのー、これ学園なんですよって、この土地のところで、えー、小学校建設させていただきたいと、それについては今、このような状態で、えー、近畿財務局と対応しておりますがなかなか難しいですと、うん、ということをお話しまして、そうすると、あのー、なにかすることはないですかと、いうことでありました、ですから、えー、その時に具体的に何をと、いうのは、もうこれなかなかー、もう前に進まないんでと、いうことの状況と、早くあのー、これは、えー、工事を、していきたいということでありましたので、それは心の中に留めていただいたと、その後、どのように動いていただいたか、ちょっと私は具体的には触れませんけども、しております。で、その後、えー、それぞれですねぇ、えー、難局に、あの差し掛かりました時は、こういうことがあるんですああいうことがあるんですということは、電話で、えー、対応さしていただいておったと、いうことであります、また、私だけではなくて、やはりあのー、家内のほうからですねぇ、あの女性同士ですから、えー、私はもうたかだか2~3分で終わる話ですが、家内の場合でしたら1時間2時間ほど、携帯電話で話をしておりますので、その中で、いまの状況についてはこうなんです、ああなんです、という話は、あの、必ず入って、おりました、はい、でー、それと、えー、あっ、それは今のでよろしゅございますか、はい、えー、それと、あー、めー、名誉校長を、退かれたとき、えー、平成29年の、おー、2月の23日、えー、これは、安倍事務所、えー、国会の中、国会というか議員事務所、議員会館の中の、えー、国会、えー、議員事務所の中から、発信されました、えー、FAXが、届いておりました、えー、そこに、あのー、私に対しては23日、えー、ちょうど、えー、財務省の、えー、理財局長のほうから、身を隠しといてくださいということでありましたので、えー、身を隠しておりました、23日の、えー、昼過ぎでしたかね、ハツムラさんという、秘書のほうから、連絡がありまして、えー、非常にコワモテの声で、えー、もう降ろせと、えー、いうなことでありました。えー、FAX流してるから、流しとくんで、今日中に、えー、顔写真全て外せと、いうことでございましたので、そのようにしたと、いうことで、ございます、えー、FAXの、番号のほうは、全て私どもの、FAX、うー、機ののなかの、おー、えー、記録器に残っておりますので、これは確かなもんであろうと、いうふうに、思っております、えー、それとタニさん、それはよろしゅございますか、
国会議員のかたが、あの、きてお願いされたというのは、それは、ちがう
あ、えーと国会議員の方は、来られました、えー、それは、えー、2月の21日、えー、国会、えー、なんていうんですかね、あのー、国会の、運営委員か、ていうんですか?えっ?国対、国対、あのー、副委員長で、えー、あられるですね、えー、豊中市選出の、大塚たかし議員が、えー、その前日の、日曜日に、秘書の方と来られたんですが、私ちょっと留守しておりまして、お会いできません、ですから、その次の日に、あの秘書の方が来られましてですねぇ、えー、昨日は、えー、当人と来たんだけどもと、いうことで内容は、いまこのような国会を、おー、騒がしてるので、えー、なんとか、安倍昭恵夫人の、おー、写真を外してほしいと、いう、お願いでしたけども、ちょっとそれはなかなかできにくいですねぇというふうなご回答をして、お帰り頂いたと、いうことでございます。それでよろしいでしょうか、それで、はい、それと、タニさんのことでございますけど、これはですね、えー、安倍昭恵夫人が、えー、まあ外遊されてたんだと思うんですが、そこの、おー、ところにむかって私が電話をさしていただきました、えー、電話さしていただきまして、あの、すぐに、えー、ちょっとこう、急ぎますのでと、いうなことを、まあ、入れておりましたんで、えー、昭恵夫人のほうからきっと、あの、タニさんに連絡がすぐいったんだと思いますが、すぐに、あのー、タニさんのほうから連絡をいただきましてですね、えー、お急ぎのようだから、えー、どういうことなのかお聞きしてほしいと、いうこと、だったわけですねぇ。ですから私は、電話でそのことは、一応お伝えしたんですが、あのー、タニさんのほうから、えー、これはもう大切なことなんで、あの、きちっと文書にして、したためて、出してほしいということでしたので、私のきたない字でしたけども、書きまして、で、えー郵送さしていただいたと、いう経緯でございます、はい、はい、そいでよろしいでしょうか、はい、
えー、衆議院議員の辻元です、えー、昭恵夫人にですねぇ、えー、ご報告をされたり、お願いをした折にですねぇ、えー、昭恵夫人のほうから、例えばですねぇ、じゃあその件は財務省にちょっと聞いたげるわとか、そういうことはなかったかどうか、それから、えー、証人喚問の折にですねぇ、えー、稲田朋美、いー、防衛大臣の、夫の弁護士の方が、の事務所で、えー、近畿財務局等と打ち合わせをしたと、いうご証言をされたんですが、これは1回だけなのか、稲田朋美大臣の、夫の弁護士さんに、どういうお話をそのときに、お願いしてたのか、それから、橋下徹知事、えー、松井知事の前は橋下徹知事だったわけですが、えー、維新等に対してですね、えー、どういうお願い等をして、橋下徹、えー、知事の直接のコミットメントはないのか、で最後に、加計学園という、うー、学校法人があるんですが、この理事長とはお知り合いかどうか、えー、お願いします。
はい、えー、では、あのー、えー、先に、安倍昭恵夫人に私どもがお話さしていただいたときに、じゃあここに、連絡したらいいわねって、えー、いうのは、例えば、あのー、私が加計学園の、、に行きたいんで、ちょっと、あのー、連絡を取って頂きたいと、いうなことでしたらすぐ連絡は、とって、いただくことができたり、でー、まあ、あのー、財務省に云々と、あー、いうことは、えー、具体的にじゃあ連絡しますということは、ありませんでしたけれども、えー、まあ、なんというんですかね、まあ、聞き置いて、そして、それを、まったく、聞いただけで無視をする、うー、というようなことでは、なかったように、えー、感じております、はい、えーっと、それと、えー、稲田龍二先生の事務所には、1回だけ行かしてあーっと、いまご質問の趣旨で言いますと、えー、私どもの顧問弁護士だったころと、は別にしましてですねぇ、最近は、近畿財務局と、そして航空局の職員を伴って、一度、行かして、いただきました。その内容につきましてはですね、えー、先に、えー、有害物資を出しましたときの、おー、こちらのほうが、えー、立替払いしておりました金額について、えー、まだまだ返してくれないので、なんとか、これ、ならないですかね、と、いうふうなご相談をさしていただいたと、いうことで、ございます、えー、それと、えー橋下知事、いー、そして松井知事、のこの時期ですが、んー、まあ、私も、あのー、大阪在住でありますんで、えー、まあけっして、えー、維新系の府会議員の方とか、それとか市会議員のかたとか、また現職の国会議員のかたとか知らないかたは、あの、まあまあ、知っておるかたは多少いらっしゃるわけですけども、えー、この、維新のこのことにつきましてはですねぇ、当時、あのー、維新は、あー、平沼先生の、おー、直轄下に、いたときがありますね、でー、その時に、この我々の、小学校はですね、やはりあのー、平沼先生がですねぇ、あのー、もう素晴らしい学校だからというふうな、添え状も頂いて、私は意気揚々と、あのー、東京に行って帰った、あー、記憶があるわけですけども、やはり、あの、その時期に、えー、平沼先生の、はああいうご実直なかたでございまして、立派な方でございますので、まあどのような経緯で、えー、松井さん、あるいは橋本さんのほうに、口添えをしていただいたのかわかりませんが、えー、あのー、党が同じだったときはですねぇ、やはりあの、ある程度の、事柄については、えー、お声をかけていただいておったんではないかなぁというふうに、思っております、えー、それと、加計学園につきましては、今先ほどもうしあげた、とおりでありますが、あのー、すぐに連絡をとっていただきましてですね、インターナショナルスクール、これは西宮にありますが、これはあのー、すぐに行かしていただきました、そして、えっと、広島にあります小学校、のほうにもですね、えー、連絡をとって頂きましてですね、えー、私の、と事務局のほうが、すぐに行かしていただきまして、むこうの事務局の方と合わしていただいたということでございます、ただ、あのー、仰っていただいております、理事長との面識は、ございません、はい、よろしゅうございましょうか、はい。
えー、あの、有難うございます。参議院の杉尾と申します。えー、1点伺いたいのがですね、いまちょっと、ばーっとあのー、おー、このテープ起こしの、おー、スクリットを見さしていただいたんですけれども、例えば、えー、あのー、二つ目のですねぇ、えー、ホッチキスで閉じられてる例えば7ページのところに「昭恵夫人のほうからも、たしかここも聞いてもらったこ Permalink | 記事への反応(0) | 19:54
現在位置: トップ 佐賀ニュース 行政・社会 玄海原発の再稼働同意 共産、社民が撤回迫る
前日に山口祥義知事が表明した玄海原発3、4号機の再稼働同意に対し、質疑した臨時県議会
前日に山口祥義知事が表明した玄海原発3、4号機の再稼働同意に対し、質疑した臨時県議会
正副議長の選出や委員会構成などを決める佐賀県議会の臨時議会が25日、開会した。九州電力玄海原発3、4号機(東松浦郡玄海町)の再稼働に関し、山口祥義知事が同意したことを報告し、共産党と社民党の議員が緊急質問を行った。県民の理解は得られていないとして撤回を迫ったが、山口知事は拒否した。
議会冒頭、山口知事は再稼働に同意したことについて、13日の臨時議会閉会後に、九電の瓜生道明社長や世耕弘成経済産業相と相次いで面談したことを報告した。県民の意見を聴くなどしてきた過程を総合的に勘案し、「現時点では一定程度原発に頼らざるを得ない」などと述べた。
緊急質問には、徳光清孝議員(県民ネットワーク)と井上祐輔議員(共産)が登壇した。県民の理解が得られたと判断した理由や安全性に関する疑問など、知事の姿勢をただした上で、「容認は撤回すべき」と迫った。山口知事は「知事という職責を非常に重いと考えている。撤回するつもりはない」と答弁した。
傍聴席では再稼働に反対する市民がやりとりを見守った。山口知事の答弁に「同じことの繰り返し」「県民の声に応えて」などと失望の声が漏れた。
会期は3日間。26日は委員会構成などについて各会派で調整し、最終日の27日に正副議長、各委員会の正副委員長などを決める。
ロシア政府はロシア国内での『ポケモンGO』の使用を禁止した。その代わりにロシア政府は、モスクワ市政府監修の『ディスカバー・モスクワ』というロシアの歴史にゆかりのあるキャラクターを捕まえるゲームアプリを8月末までに提供するとしている。
ロシア政府が『ポケモンGO』を禁止した理由として、ロシア上院国防安全保障委員会のクリンツェビッチ第1副委員長は「群衆を集めたり特定の情報を拡散したりして、政変を起こす道具として使われる可能性がある」と指摘した。
また、ロシア共産党のポロネンコフ下院議員は「『ポケモンGO』はアメリカの情報機関によって作られた可能性がある」と言っており、こうした疑念が使用禁止に結び付いた可能性が高いと報じられている。
ブコメで突っ込まれてるけど、小学校の家庭科については昔から男女とも必修。
増田が言ってるのは中学の家庭科だろう。男子は技術・女子は家庭に分かれてたから。
逆に「男子も家庭科をやるべき」と言う時代の要請に従って教育制度が変わった、という順番なのではとも思うけど、
義務教育に男女別の科目が存在した事が「男子は家庭科的な事はやらなくてもいい」と言う認識を生み出す元となっていたのが是正された、
という意味はあるのかもしれない。
それよりもっと細かな所で男尊女卑を植え付ける教育が行われなくなった、って影響の方が大きそうだけどね。
技術・家庭が分かれてた時代に育ったBBAが子供の頃は「あらゆる場面で男子が先で女子は後、とされる」
「学級委員選考はまず男女一人ずつ選んで自動的に男子が委員長、女子が副委員長とされる」
ってのがごく当たり前だったよ。
中学生くらいになれば子供なりに疑問を持つ事もあったけども、それを表だって言える雰囲気ではなかった。
中高年男性の「男の方が優先されて当たり前」「男の方が偉くて当たり前」と言う認識はこういう所で育てられたんだろうな、と今になって思う。
今の学校はそんな教育しないよね。子供見てると「昨日は男子が先だったから今日は女子が先」とか普通にやってて時代は変わったな、と思ったよ。
なんせ国連でも「人道に対する罪」に匹敵すると糾弾された拉致問題について、北朝鮮が「1年間で調べられませんでした」なんて言って、調査期間の延期を通告してきたのに、共産党などは赤旗で批判すらしないからな。
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「拉致」も「北朝鮮」も、影も形も見当たりません。ある意味、徹底しておりますな。
全国でも稀な、瓦礫受け入れを断固拒否した市長として、ある意味有名な我が札幌市市長(大恥)ですが、
周りについていらっしゃる方々も(ある意味)凄い方ばかりです。。。
らと、定期的に札幌「市民」を元気にする為のセミナーやらゼミナールとかを開いておられたりします・・・・・。
ちょっと、公式のInformationをさらっただけでもこのあり様。
http://www.uedafumio.jp/info.html
こんな方ですが、2007年から勝ち続けていて現在3期目、2015年春には4戦目を本人が闘うか、別の候補を立ててくるかするのだと思いますが、
既に、↓のような水面下での闘いがあったり・・・
(要するに、唯一、奴に勝ち目がある自民候補の本間奈々氏を、地元の経済関係者ら伝いに別の候補者を推させて、上田の息のかかった奴と入換え、早々に潰そうとする流れ・・・)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/515747.html
ほんと、目の前で左巻きな方々の盤石たる横綱相撲を延々と観続けさせられてる身にもなってやって下さい。。。今回の都知事選ですら日本の地方選挙に置いて、どんだけまだマシな部類だったかというね・・・。(そもそも、左巻きの候補者しか出られない地域すら多々・・・)
ちなみに、ちょっと漁っただけでも上田さんのアレな話は枚挙に暇が・・・
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51329026.html
http://blog.goo.ne.jp/mazuka2002/e/6cb6ed128c2a49291b48eeba0b7a8c28
この記事を読んで思い出した。
入会なんて聞いてない ―― 父親たちの語るPTA(前編)
http://synodos.jp/society/5096
子供が通っている学校のPTA保護者の部は、執行部といくつかの委員会から成り立っている。
各委員会には委員長と副委員長が各一名、その他は平委員という感じ。
通常の委員会に加えて年数回ある総会にも参加しなければならない。
当然これらの集まりは基本平日であり、まじめに全部参加していたら有給なんて吹っ飛ぶ。というかおそらく足りない。
保護者は通常、児童一人につき最低二回(場合に寄っては三回)、何かしらの役員をやらなくてはいけない。
免除はない。保護者本人が入院中か妊娠中の場合に限り、その年の役員は免除される。
八年の間に役員を五回か六回は引き受けなければならない計算になる。
しかし夫婦ともにここ数年で持病持ちとなってしまい、互いに休職や退職を何度か経験しているような状態。
正直無理ゲー。
だけどもやらないわけにはいかない。
一回目の役員はそれなりにこなして、二回目の役員を引き受けることになった。
委員会最初の集まりで委員長と副を決めるのだが、私はこの日仕事が休めなかったため欠席。
その夜、知らない番号から電話がかかってきて「あなたが委員長に決定しましたのでよろしくお願いします」と言われた。相手は執行部の役員だった。
ええええええええええ。
「家庭の事情で平日の役員会には参加できないので、申し訳ないのですが委員長は・・・」と断ると、電話の向こうからキレ気味の声が聞こえる。
「仕事しているのもご家庭の事情があるのも、皆さん子育てしていて大変なのは同じなので!!」
ごもっとも。
「・・・すみません、考えさせてください」と言いながら会話を終える。
大体なんで面識ない人が連絡網にも載せていない私の携帯番号知ってるんだよ、誰だよ勝手に番号教えたの。
翌日仕事を終えると、昨日とはまた別の、知らない番号で着信履歴が埋まっていた。
着信攻撃に恐怖しながら電話に出ると、副委員長になったという人からの挨拶だった。
後日、執行部役員さんに「やはり引き受けるのは難しいので辞退させてください」と連絡。
そしたら役員さん、こう仰る。
「それならば委員全員を集めて、ご自身の事情をすべてお話して、全員の賛同を得てください。それならば引き受けなくても結構です。」
家庭の事情を?
全員に?
そうなの?そこまでしなくちゃいけないの?
おまけにこっちは今休みも取れなくて、平日帰宅できるのが21時過ぎで、土日もどうなるか分からない状態で、招集なんてできないですよ。ああああああ。
会話の中で「役員っていうのは保護者としての義務なんですよ」「責任感がない」「保護者失格」って言われたときはさすがに後で泣いた。
みんな大変なのは分かってる。
独身時代にはボランティア活動や小学校の手伝いをしていたこともあるので、そういう活動自体が嫌というわけではない。
そこまで言わなくちゃいけないの?
役員できなくなった人は親を辞めなくちゃいけないの?
PTAを退会したら楽になるのかな、と思った。
でも退会するのにもエネルギーが必要なのかと思うとなかなか踏み出せない。
世の中の保護者は大変な状況下でもPTAの仕事をこなしてるんだよね。
役員できない自分が悪くて、ただ逃げてるだけなんじゃないかと考えてしまう。
はあ。
TPP(環太平洋連携協定)交渉参加へ向けた日米事前協議が12日決着し、日本が7月にも交渉に参加する見込みになったことで道内の農業・産業関係者に激震が走るなか、自民党道連のTPPに関する情勢報告会が14日、北見市内のホテルで開かれた。自民党側は「安倍総理は北海道を守る、と言っている。党道連は乳製品など農業の重要品目は死守する考えだ」と述べたが、出席者からは「一刻も早く交渉参加から撤退すべきだ」「自民党の裏切り行為だ」などの批判の声が相次いだ。
網走管内の自治体や経済団体の関係者ら140人が出席した。冒頭にあいさつした自民党道連・議員会TPP問題対策本部長の今津寛衆議は、先の衆議院選挙で自民党の道内候補が「交渉参加断固反対」を唱えていたこととの矛盾について「皆さんから、約束が違うと批判を受けていることは止むを得ないものと思う。大きな責任を感じているが今後、我々がどう責任を果たしていくかが問われると考えている」と述べた。また武部新衆議もあいさつし「皆さんの意見をしっかり受け止め、不安を払拭し、政府と一体になって国益を守っていく」と決意を述べた。
党TPP対策委員会・副委員長の森山裕衆議が情勢報告を行い、党の決議として「農林水産分野の重要5品目(コメ、麦、牛・豚肉、乳製品、甘味資源作物)や国民皆保険制度などの聖域の確保を最優先とし、それが確保できないと判断した場合は、脱退も辞さない」という考えであることを説明。党のTPP対策委と政府が緊密に連携していく考えであることを示した。
農業団体を代表してオホーツク農業協同組合長会の佐藤正昭会長(JAこしみず組合長)は「(TPP参加表明は)暴挙であり、自民党を信じて票を投じた選挙民への裏切り行為」と厳しく批判。
漁業団体を代表して北見管内漁業協同組合長会の阿部滋会長(紋別漁協組合長)は「原油価格の高騰など漁業経営の厳しさが募るなか貿易自由化は、ますます経営を厳しくする。またTPPにより(漁港整備などの)漁業補助金が廃止されるようなことになれば、国の漁業政策が大きく阻害される」として強く反対した。
オホーツク商工会議所協議会を代表して知見喜美男氏(紋別商工会議所会頭)は「1次産業が衰退すれば2次・3次産業まで波及し、地方は滅びる。自民党は日本の農業をどうするのか、また地方そのものをどうしようというのか。明確なビジョンを示すべきだ」と訴えた。