はてなキーワード: 冠婚葬祭とは
今日は会社の同僚の親戚の葬儀に出席した。血縁関係も交流もまったくない赤の他人の葬儀であったがやはり人の死というのは悲しい、喪主の別れの言葉に思わず大粒の涙を流してしまった。
しかし周りを見ると若い連中は涙を流さず早く葬儀終わってくんねーかなぁという表情。これがゆとりかと感じた。
人を殺すゲームやアニメ漫画が溢れ人の死というものに抵抗を感じなくなってるのか?それでも人の死に涙を流さない若者に異常を感じた。
この葬儀、神式で行われたが二礼二拍手一礼をしなさいという立て札が堂々とあった。
ご丁寧に玉串奉奠のやり方まで司会がアナウンスする始末。これもゆとりか…。
欧米と比して宗教色が薄いと言われる現代日本でも、完全に宗教と決別して生きていくことは難しい。
いわゆる「冠婚葬祭」においても、近年では小規模化の傾向が見られるとは言え、有形無形の圧力により望まぬ負担を強いられることが常態化している。
そこで、出来る限りコストのかからない極めて簡素な宗教を新たに用意し、それを宗教的圧力からの逃げ道にすることができないかと考えた。
簡素と言っても、冠婚葬祭を全く執り行わなければ社会的摩擦が生じ、かえってコストが増大しよう。それでは本末転倒である。
なので最低限の儀式は執り行いつつ、それ以上の出費を防ぐために、「私の宗教では盛大な儀式が禁じられている」などと、宗教を言い訳に使えるようにしたい。
メタ目的が「宗教に関連するコストを低減する」ことであるので、「戒律を課す」「現世利益を約束する」といったコストの嵩む方向性は論外である。
そこで「死に対する不安を取り除く」=「死後の安楽」という点に絞る。
死後の安楽を保証するために、まず神を用意する。
神は全知である。
故に神は「人の死後が安楽である」ことを知っておられる。
これを基本にしよう。
「神によって安楽がもたらされる」でないことに注意されたい。
安楽が神によってもたらされるのならば、神に対価を支払う必要性が生じてしまう。
むしろ、
とすべきだ。
信徒は神に期待してはならない。
ただただ「人の死後が安楽であることを知る神が存在する」ことを信じるだけである。
あらためて信心を表明したり、神へ誓いを立てたりすることは、神の全知を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである。
ことさら神へ祈りを捧げたり、神の名の下に騒ぎ立てたりすることは、神の無能を疑う行為であるので、できるかぎり慎むべきである。
と、このような教義を設定すれば、冠婚葬祭のたぐいを簡略化できるのはないだろうか。
神は新郎新婦の愛を既に知っている。
神は死後の安楽を知っている。
神は死後の安楽を知っている。
埋葬する必要もないが、埋葬した場合でも墓参りはしなくてよい。
といった具合だ。
もちろん冠婚葬祭以外でも様々なシーンで利用できるはずだ。
これを「全知無能神教」と名付けよう。
どうぞ信仰してくれ。
大体当てはまっていて、似たような人がいるかもとこれまでに考えたことがなかったので(考えてみればそりゃいるだろうと思うけれど)、おもしろかった。病名が付くという発想もなかったのでそれもおもしろかった。元増田の「これくらい普通でしょうか。考えすぎでしょうか。」に自分なりに答えるなら、生活に支障がないのなら普通だと思う。自分のなかの比較的普通でない部分をピックアップすると元増田の日記のようになるけれど、普通に人と話して普通に仕事をしているし、特に後悔もない。普通に生きていけている。友人関係や人生経験に「普通」最低ライン(一緒に何々できる人を友人と定義してそれが何人以上いなければ異常、とか)があると思う人のラインを聞いてみたい。個人的には友人がひとりもいなくたって普通の範囲内だと思う。
あたりは、大体かぶりそう。「~ない」の形での方が自分を表現しやすい。でもそういう人に聞きたい、興味本位なのだけど、ちなみになにが好きですか?どんなお仕事をされていますか?
私は
注文した娘の振袖を受け取りに行ってきた。
出来上がった着物に袖を通し、「かわいいね」「キレイに出来上がったね」と
和やかに話してた。
小物などの確認をし、店員さんが「では、お着物や小物をおまとめいたしますので、少々お待ち下さい」と消えていった。
次に店員さんが戻ってきた時には、何故か真珠のネックレスとイヤリングのセットを2点持ってきた。
・今の若い女性は首が細いから真珠は6センチの大きさが似合います
・留め具の部分が変わっててて、フォーマルとカジュアルで使い分けが出来ます
などなど、攻める攻める。
多分、着物を選ぶ時に「好きな着物を選びなさい」と娘に言って金額には一切触れなかったので
小金持ちだと思われたんだろう。
実際は「あの時、ママがこれがいいって言ったから決めたのに、やっぱり私には似合わない」と
文句を言われるのが嫌で、娘の好きなのを選ばせただけだったりする。
2度と行かないお店だったら、キッパリと断れるのだが
来年の前撮りと本番の成人式でお世話になるので、やんわり断るのが大変だった。
よく喋るけど感じのいい店員さんだったのに、この真珠の売り込みで、残念な店員さんになった。
少しぐらい売込むのは気にしないが、引き際がわかってないらしく、しつこいので最後には悪い印象になった。
たくさんお金があっても38万もする真珠のネックレスとイヤリングは買いません。
ツイッターで公式が「オタク趣味以外の何かをもったほうがいい」
とつぶやいたところ、批難殺到。「なんのためのオタ婚活だ!」と。
確かに公式がいきなりタメ口でツイートしてるのは確かに違和感あるけどさ。
婚活サービスに登録したら彼女ができる彼氏ができる魔法のサービスじゃないでしょ?
例えば自分が紹介された異性に会いに行って、ひたっすら好きなジャンルの話だけされたら
オタ婚活サービスの存在意義は、「オタクであることをお互い否定しない」ように
あなたが他にどんなものを相手に求めますか、そして自分は与えられますか。
会話できるかできないか、身なりはきっちりしているか、見られますよね。
結婚は人と人が家族を作るものではありますが、お互いのバックボーンにはそれぞれに家族がいます。
でも結婚ってそういうとこある。
それを乗り切るだけの何かももってないとダメだよ、と自分は捉えました。
酒は古来より人と人とを結びつける優れた触媒であったと、この社会一般的には考えられている。そうアタイは思っている。
例えば、この増田のブコメがそうなのだけど、はてなーには酒飲みを見たら取り敢えず叩いとけ、という習性があるみたい。
https://anond.hatelabo.jp/20170619212616
なぜ、はてなーは酒飲みを叩くのか?
それは、アタイが思うに、はてなーの哀しい歴史がそうさせるのではないかしら?
飲み会という飲み会で、酒が飲めなくて、盛り上がれなくて、席も動けなくて、ただただお地蔵様と化して、
「オメーがいると、場が盛り下がるんだよ!」とパーリーピーポーたちからは罵倒され、
宴の席の隅っこに隔離され、
アルハラを受け続けた日々。
サークルでも、
会社でも、
同窓会でも、
その他諸々の冠婚葬祭でも。
でも独りじゃ寂しくて、
誰かとつながりたくて、
流れ流れて辿り着いたインターネッツ。
わけても、コミュ障や非モテをこじらせたネット民の吹き溜まりである、はてな。
そんな聖地を土足で踏みにじるように
酒好きが、
その酒臭いクチで、
上から目線で、
酒を語ろうモノなら、
そりゃもう叩くしかないワケですよ。
酒飲みを根絶すべく、
そんな風に思っているので、
はてなーが酒飲みを親の仇のように叩く姿を見ていると、
なんか、はてなみを感じる。
アタイは。
そうなりたくないのなら、親族はただ居るだけでは駄目で、近くに住んでないとならないよね。
沢山いても遠くに住んでいたら意味がない。
更に常日頃から親しく交流している必要もある。ただ親族ってだけで疎遠なら何もしないだろうからね。
つまり、どこか田舎の、親族一同もそこに住んでいるような家系に生まれて、自分もずっとそこに住み続けて、結婚相手も身近で見つけて、
勿論結婚式は(親族接待の場でもあるから)盛大に行い、親族の誰かが亡くなれば葬式も盛大に行い、
冠婚葬祭以外にも親族が集まるイベントを定期的に開催して関係を繋げ、
子供もその土地から出て行かないよう幼い頃から圧力をかけ、下手に都会の大学行きたい!などと言い出さないよう教育はろくに行わず、
子供の結婚相手も身近で見つけて…ってな人生が理想と言う事になる。
…そういうの、はてなじゃいつもぶっ叩かれてなかったっけ?
スルーした方が良いかなと思ったんだけどすごく怒ってるみたいだからもし知らなかったら気の毒と思って追記するね
幅広甲高増田は、履き口(スロート)部分の革が柔らかい/履き口自体広く作られているものを選んでみてね
試着した時に小指と薬指の指の又部分が履き口から出ちゃうくらい先っちょ部分が少ないもの(=覆わないので甲に当たらない、横にも圧迫しづらい)もあるよ。安物で申し訳ないけど最近そういうパンプスと出会ったメーカーはルタロン。ランダもすごく幅広のラインやかなりのサイズ展開ある
あと、冬は微妙かもしれないけど甲高幅広の人にはサイドオープンタイプのパンプスもおすすめ革が伸びやすいし横向きの力が全然かからない。ついでに蒸れない
もちろん冠婚葬祭にしか履かないのであれば一足オーダーしておくのがいいと思う、なぜなら既製品の靴は日常的に履かないと足になじまないから
すてきな一足に出会えるといいですね
幅広甲高の足ナメんな
まず普通の既製品の靴はパンプスな時点で大多数が物理的に入らねえ
足先が靴の中に納まらねえんだよ
コンフォートシューズのメーカーで探しまくってやっと脱げない長さだけどまともに足先が入る靴が見つかる状態
それでもただでさえぎゅうぎゅうに詰め込んでるわけだから、ヒールが高くて足先に体重かかると痛くて歩けん
選ぶ楽しさ?そんなもんねえよ無難な形で履けさえすれば何でもいい状態だよそれでもなかなか見つからない
オーダーすりゃいいんだろうが高いしさ
キビラとかどうなんかな、でも安いけど見た目からして質悪いよなああれ
あの値段で質が良いもの出せる訳ないんだけど
まあ今後ビジネスシューズ履かなければならない仕事に就く予定なんかないから別にいいんだけど(つーか無理、万が一それを強いられたらオーダーするしかないわ)
冠婚葬祭が面倒過ぎる
それも滅多にないけどさ
まぁ、単位がわからないけど、全部金銭で考えるとして。まず、M1とc2は、既に市場の定価があるわな。
M1は、そういう風俗があることを考えると、多分、1回数万円ってところ?c2は電車賃だよね。通勤なら、片道数百円〜数千円程度では。
問題なのは、「単に電車に乗ることによるメリット」M2が人によって大分ちがうことかな。要は、電車に乗れないことによる機会損失がいくらかって話と同じだよね。
就職とか面接に行くために電車に乗る&それ以外の方法では遅刻する奴は、それこそ、M2が数千万円だったりするし。
毎日の通勤でも、電車に乗らないと職場に行けないんだったら、M2は1日の有給休暇分ぐらいの勝ちがありそう。数万円だわな。
載ってるのがビジネスマンで、企業同士の契約が絡めば、M2が数百万とか普通にありえるし。一生に一回しか無い冠婚葬祭系は、M2いくらするか分からんな。
一方、学校休みたいと思っている中高生だったら、電車に乗れないことによる機会損失は0円かもね。
…って考えていくと、まず、「いくらなら電車に乗るべきか」を決めないとな。M1<=M2-c2で、M1は数万円、c2が数百円なら、c2はほとんど無視できるから、M2も最低数万円程度ってことになるな。
つまり、その電車に乗らないと数万円の損害が生じるような用事でなければ、電車に乗るな、と。
で、痴漢でないことを証明するためのコストc1は、M1とM2-c2の間でテキトーに決めろ…と。まぁ、M2の男性乗客に対する平均値とか使って決めるんだろうな。
去年マッチングで関東方面の病院の採用試験をうけ、無事第一志望の病院に受かり、
今年の三月に国家試験合格の通知をうけて4月から無事第一志望の病院で研修中。
なんとなく安泰っぽいように見える人生だけど思うことをつらつら
関東方面はマッチング(いわゆる医者の最初の二年という「初期研修」生活をどの病院で送るか、という就職活動)
が盛んで志望者も多い。そんな関東方面を行く人達は各病院を「ハイパー」「ハイポ」といって分類する。
「ハイパー」は凄く忙しい病院(hyperは病名で「過剰」を意味する接頭語) 「ハイポ」は仕事が少なく暇な病院(hypoは病名で「低下」を示す接頭語)
私の働かせてもらっている病院はいわゆるハイポに属する病院と言われている。
けれど、この二ヶ月で回ってる科が問題なのか、全くハイポとは言えない
一応医療関係でない人にも読んでほしいので軽く説明するが、医師免許を以って最初の二年間は初期研修医と言われ毎月のように様々な科を転々として回る
(つまり。自分の専門を持たずに取り敢えず幅広く経験する二年間である)
なぜハードかは詳しくは言わないが、抗がん剤をフルに使う科であること、他の内科と比べ重症なのに治療を積極的に行う患者さんが多いこと、
血液の病気にかかると感染症などの厄介なトラブルが他の科よりも圧倒的に多いこと などが挙げられるが
とにかく内科志望の学生が「血液内科志望です」というと周りの見る目が変わるくらいハードで有名な科である。
所詮ほぼ見学実習生と同じレベルのなりたて研修医の私がその科ですることと言えば、
日々の塗り薬や切れそうな薬剤の補充処方箋を出し、担当患者四人分の朝と夕方のカルテ作成程度である。
(まぁ担当患者が他の科に診察を依頼したり、検査をするときの依頼は(いわゆる「オーダー」)はやったけど)
それでも先輩医師について回って、自分の最低限のタスクをこなそうとすると、毎日七時半には担当患者の居る病棟に到着し、
帰りは19時が早い方、遅ければ22時にもなる
周りの常勤の先輩医師はもっと凄い。カルテを見ると6時半には病棟にいて帰りも平均で21時とかそんなレベルである。
いくら近くに家を構えているとは言え、どの先生も片道30分は通勤時間がありそう。
単純に考えても家にいる時間は夜10時から朝6時までの8時間やそこらだろう。
人間にとってベストと言われている睡眠時間が7時間であることを考えると
日々の余暇は1時間程度しかなく、しかもこの1時間で風呂・朝夜の食事を済ましている計算だ。
これだけでも恐ろしいが、医者にとって土日のサービス残業はほぼ当然だ
土日のどちらかは必ず病院に出向いて少なくとも12時を越えるまでは病棟に待機する
つまりこれだけ平日が忙しい上に、土日は普通の人の3/4ほどしか余暇がない
勿論「会社員だって若いときはそれくらい忙しいだろ」という意見もあると思うが、
私が恐ろしいのはおよそ多くの医者は「引退するまで」この激務が続くという点だ。
当然、毎日のカルテ記載や日々のいざこざの対応は若手の担当で、それが忙しくはあるのだが、
医者の場合、経験が増えて序列が上になるとそれはそれで別の仕事が追加される
一番わかり易いのが外来の担当で、入院患者が退院したあとも定期的に様子を見る
(一見、重症患者の居る病棟診療より軽症患者の多そうな外来のほうが簡単そうだが、
短い時間で患者の状態を判断し、返していいか入院させるかを判断させる外来
それに加えて、若手医師数人分の担当患者を広く把握し、治療などの全体の方向性
結果として指して年をとっても楽になることはなく、下手をするとベテランほど
よくこんな毎日を続けているな、というより、よくこんな生活で国民・社会人としての義務を全うできていると思う
独身の医者が、いつ、身内の冠婚葬祭・税金や年金の手続き・その他諸々の手続きをやってのけるのか単純に疑問である(市役所とか平日しか空いていないし)
よく「医者は世間をしらない」だとか「常識知らずだ」とか言われることがあるし、自分もそうであると思う
学生だった頃、実習中に部長先生と飲みにいったときに料理の話になり「~合」とお米の量を表現したら、その単位を部長先生が知らなかった時があった
あのときはなんて常識とか生活力に欠けた人だろう と思っていたが、その日々を目の当たりにすると、こんな生活をしていたらそうなるのも仕方ない という気がする
こんだけクソ忙しいとまともに医者にもかかれない。
そして、自分の病院だけかもしれないがサービス・福利厚生が余りにも酷い
特定されるのでハッキリとはいえないが、 入職前の健診がない まだ保険証が渡されていない
これほどリスクの高い仕事をしているのに訴訟・賠償保険も提供されない 当然、残業ボーナスもない
あと、これはどうでもいいかもしれないが病院の職員食堂のメニューが余りにも酷い。 お米が多すぎるし揚げ物が多すぎる。野菜足りなすぎる。
こんなにプライベートの時間がない上に病院側からの福利厚生がここまで欠けていて、養生できるのなら逆におかしいくらいだ。
お医者様とか先生 とよく言われるが、あれはただ単に「人を助けてくれる尊い人」というだけではないように思える
これだけリスクが高く、プライベートの時間も少なく、それでいて実は給料も飛び抜けて高いわけではない(恐らく王手企業で同じ時間働いたら倍は貰える)
こんな職業 まともな人間ならやっていられない。「よくそんな職業やってられるね 尊敬しちゃうわ」みたいな意味もあの「先生」には込められている気がする
ここまでグチグチと言っているが、実はこれでも自分の血液内科は恵まれている
他の病院の血液内科では「土日毎日来い」だとか「平日は3時間くらいしかねれない」という話もよく聞く
それに、うちの病院は関東方面ではそれでも給料の良い方であるようだ
とまぁ、最初の科だけで話が膨れてしまったのでそれ以降のことはまた今度にするが
そんなこんなでおもったよりもハードな毎日を送るはめになっているのである
実は私は就職活動のとき、今自分が所属している病院よりも名声が高く、給料や診療実績の高い病院も幾つも受けていた
それにも関わらず今の病院に勤めているのは 決してそれらの病院に不合格になったのではなく
理由は自分が目指す分野だけなら今の病院が一番であること、 忙しい毎日に耐えきる自信がなかったからである
しかし私が夢見たほど現実の研修医生活はハイポとはならなかった。 それに研修医は人員補充の目的もあるため
自分が行きたい科以外の診療科にも何ヶ月も所属させられる部分もあったりして自分のこれからの二年に少なからず不満はある
「どうせ忙しいなら全部の科が有名なあの病院を第一志望にしときゃよかった あそこなら給料倍だし」 なんてことも 正直毎週のように思っている
でも今の病院も先生はちゃんと教えてくれるし、 勉強になることも沢山あるので 決して満足してはいないが嫌いでもないし完全に後悔しているわけでもない
(大体、 この程度で音を上げているのだからハイパー病院にいったらもう仕事やめてるかもしれないしね)
いずれにしても毎日のように思うのは「こんなタフな体に産んで育ててくれた親のありがたみ」である