はてなキーワード: 信頼関係とは
今に始まった事ではないのだろうけど、飲食店で机に備え付けてあるソースや福神漬けとか箸とか、どっかのアホな客が何かやらかしてるんじゃないかと思って使いたくなくなってきた。
いやなら使わない、それこそ徹底してマイ箸持参すればいいんだけど、これから小梱包にしたり箸も含めて必要分をお盆に載せてくるのが主流になるんじゃないかな。
それにしても食べ物で遊ぶなんて、ほんと罪深いわ。
自分の子供にはこんなアホなことをやると巡り巡って自分に悪徳が降りかかってくるというのをしっかり教えておこうと思う。
非モテがとりあえずセックスしてアチーブメント云々とか、アニメとか知らんけどコミケとかいうやつに一度行ってみた、レベルの話
自分を磨けば、自分と見合う男のランクも上がっていく、世の中にいい異性はたくさんいる(クソも多い)
リスペクトできる相手とそれなりに長期間付き合って信頼関係築いて、それで初めて知る世界がたくさんある
恋愛経験乏しい、ルックス平均以下で挙動不審なキモオタ女子でも、30~35くらいでうーん婚活するか、でさくっと結婚したリアル女友がたくさんいる
ただ20代後半をずっと斜に構えて30超えてからうっすら焦り始めると手遅れになる可能性があるし、他人にケチつけてばっかで神経質で自己中な女は美人でも全然結婚できていない
うんうん、って話聞いたり、逆に対立したりするより
論理的におかしいことを説明して「それDVだよ」「お前頭おかしいよ」って言った方が上手くいくことが多い気がする。
「お前ちょろいなw」とか「俺に恋しちゃったか?笑」みたいに言うとストーカーとかなりにくいのよね。
肯定的、腫れ物に触る対応って結果的に相手に成功体験与えて増長させてしまうんだよね。
でも精神科とかでは「あなたは糖質でつね」とか言うと患者が心を閉ざすからダメって言われてる
でも自分の経験の中では、相手にはっきり自分の状況自覚させる方がうまくいくのよ。
まぁ恋とか恋人とか家族って一つの信頼関係の形でもあるから、言われると響くのだろうけど。
自分も昔精神病だったんだけど、それが精神病って知らなくて苦労した経験あるんよね。
精神病って知ってから、ある種の安心感をもって解決に向けて努力できるようになった経験がある。
主婦側のレス漫画(男性が相手にしてくれない)を読んでるので感想書いてく。かなり中傷してるので具体的な作品名は伏せます。ちなみに自分は女。
普通にありがとうも言えない奴と暮らしたくなくね?されて当たり前だと思ってるのがカワイく見えるとしたらそれ以上の愛という演出ありきですよ
・会話に返事しなすぎ
相手が真剣に真面目に自分の気持ちを開示したり、譲ろうとしたり、そこ絶対茶化さずに聞かなきゃダメじゃん!の場面でスルーしてしまう。頭の中がいっぱいらしい。発達障害?
・被害妄想が激しい
上の感謝しないに通じている
やってもらえて当たり前だと思ってんの?
面倒くさがり、仕事続かない、自分の感情に甘い、という描写があるのでADHD系の知的グレーにしか見えない
「できなくてごめん」と相手が謝罪している。ヤバすぎ。さらに自信無くなるだろ。疲れや歳や少し気が滅入るだけですぐ勃たなくなる繊細な生物なのに。そんな重い雰囲気で罪悪感を感じさせる必要がどこにあるのかわからない。パートナーなのに勃たないことを気楽に相談もできないやんけ。コミュニケーション不全をわざわざやるのが全く理解できん
君ら他人なの?
・変な自己嫌悪
意味不明なところでもう愛されてない、私に魅力がないなどと自己嫌悪に陥ってる。結婚してる時点で魅力はあるし歳を取るのは相手も織り込み済み。足りてないのは魅力ではなく頭のほう。下着の色は関係ない。
そもそもお前はパートナーの性癖を一度でも聞いたことがあんのか?「性的に魅力的な女性」の定義が見下してち○こを踏みつけながらヨダレ飲ませてくる女の奴もいるわけ。
・悩んでても言わないが不機嫌になる
言えよ
察してちゃんは3歳まで。幼稚。痛すぎ。昭和の女性なのかな?昭和女ってこんなんばっかり
せめて生理前ってわかってるなら相手に生理だからごめんとかなんか言えよ
本当に成人してる?
・話し合うことに抵抗がある
勃たないとかエロい気分になれないって心の問題をきちんと話してくれてる相手に、「話し合ってちゃんと解決しようよ!頑張ろうよ!」ってバカなのか?
お前は「今はあまり甘いものを食べる気分じゃない」「お腹が空かない」って言ってる奴に、無理やり口に突っ込んだら食べれるかも!甘いものを食べる日時を話し合えば解決!とか思ってんのか?永遠にお腹空かないのにどうして食べれないのか詰められるの?相手が不憫
理由を聞いて寄り添うのが先だろ
・浮気を考える
愛ある夫婦なのに、いい歳したオバサンが会社の優しい男に浮気心芽生えちゃった!キッショい
お前も妊娠して「ごめん妊娠しててor子育てで性欲なくて」って言ったら会社の若い子に浮気されてくれ。平等に。
人の話を聞け、真面目に仕事しろ、会社で仕事中に色気付くな。本当に成人してる?
思考が勝手に湧いただけでうるさい。どうでもいい。ネットリしてて気持ち悪すぎる
いいえ、受け身で無限に他人に気を遣わせ続けているケアテイカーです
自分のことしか見てない謙虚さは謙虚ではありません、自己主張できないことを美談にするのはやめよう
社交辞令を真に受けるのもやめよう
相手の事情も知らないのに意見を言っても意味なくない?ADHD?発達障害を疑う
幼稚すぎる
・沈黙を責める
今考えてるって言われただろ!!相手は考えてんだよちょっと黙れうるせえ自分のことしか考えてねえなマジで
幼稚!!!!!
いい歳したババアがキモい。いい加減そろそろ何が原因でどんな気持ちで何をしたいのか自己分析しろ
今まで人生何して生きてきたの?レスになって当然と言える要素しか見つからない
・オバサンって言われて傷つきすぎ
どちらかというと相手が失礼でエイジズムの濃い人ってだけなので怒るor不快になるべきとこです
・子供欲しいなー
上のような幼稚な思考回路の人間が子供を育てるのは悲惨な気がする。怖い
私が欲しいかじゃなくて育てられるかで考えろよ
犬でも猫でも先にまず育てられるかが問題だろ
後から「私は子供が欲しいんじゃなくて、旦那の気を引きたいだけだったんだ…」とかマジでやめろよ
・喧嘩したら気まずくなるのが怖い
夫婦向いてないから結婚するのやめようって判断できる能力が婚前に欲しかったね!!
・バイアグラを買ってくる
無神経すぎて草
セックス中も受け身で何がしたいとかどうしたら気持ちいいとか何が好きとか一切言わないし、無言で察してムーブして演技して、痛いとか下手くそとか萎える事言って相手の気持ち削いでそう
優しさのないクソ無神経なセックスしてそう
お前も男性に関する性知識ないんだからビビれる立場にねえだろwww
衝動性が強く、感情制御ができないADHDでは?普通は悲しい気持ちになっても行動に移すかどうかは理性によって選択しますので。
病院行ってください
キモい、幼稚、成人してると思えない、知的グレーのADHDだろ!!!!
病院行け
なんでも公共の場で、こんな感じのことを言ってしまったらしい。
——マンガ編集者の提案に、愚直に従ったネームを返されるとガッカリする。
これにコメントが殺到している。パワハラ類型だの、ハラスメントだの、イキリだの、プロ意識が低いだの、作家のやる気を無くさせて潰してるだの、いじめだの… 中には、サイコパスだ、とするものさえあった。サイコパス?
彼らの中では無名の大衆が誰かを「サイコパス」だと断じるのはハラスメントにもイジメにもならないらしい。
だけど俺は個人的には、マンガ編集者にも非はあると思ってるぜ。なにせ、世間的にはマンガ編集は悪の職業だからな。
世間一般の理解では、マンガ編集は発注元で依頼主で、作家のネームは見積もりで、編集者の提案は修正指示に当たるようだ。そんな中で、リテイクに費用も発生せず指示の意図も明確にしないのならば無責任だとみなされるのも無理はない。集団リンチの社会的制裁を受けても仕方ない。コメントには、マンガ編集者は何の作業もせず文句を言うだけで給料を貰えるのだ、と言っている人までいた。「内心でガッカリする」マンガ編集者は作家とコミュニケーションが取れてないと思われている。「編集者の提案には必ずしも従わなくていいですよ」のような事を作家に伝えてないとみなされてる。
だからマンガ編集が公共の場で、業態の実情を知らない世間一般の人に向けてその考えを伝えたいなら、「編集者の提案には必ずしも従わなくていい」「もっと面白くして持ってくるのが作家」ってコンセンサスは取れてますよ、信頼関係は確立されていますよ、とワザワザ明言する必要がある。
たとえばイチケイのカラスがまさにそれで、主人公がクソヤローだからそいつがクソミソにしてる人間がやってることを応援したくなる。
読者の心理を上手くハックしていると感心する。
でも大抵の創作者はこれが出来ずに、「主人公を(成長の余地を出すために)嫌な奴にする」「主人公に作者が「正論」として通したい行為をさせる」を同時にやらせてしまっている。
終盤に成長した主人公が、序盤を反省しつつ満を持して作者の推したい価値観を貫き始めるのなら良いが、序盤の成長前ゴミクズ人間に作者のやらせたいことをさせても作品がバラバラに分解してしまう。
序盤から作者の考える「正しさ」を主人公に実行させるなら、主人公は最初から成長しきっているべきだ。
編集者やディレクターなら「これマズいよね。失敗パターンだ」って気づくと思うんだが。
そういった指摘をしあって受け入れ会えるような信頼関係を構築するのを諦めているのだろうかお互いが
近頃の学生は人の意見に批判的なことをいうのをとてもためらうのだそうだ。
建設的な話し合いをするためには同調ばかりでは議論が深まらないのだけれど、
学生は批判的な意見を悪口やその人の否定と捉えて配慮してしまうのだそう。
否定から入る誹謗中傷まがいの意見に溢れたネットの言論空間を見る限り、
顔見知りの間ではそれが正当な議論の場であっても人間関係を優先したいということなのだろう。
あるいは非匿名環境では言いたくても言えないストレスが匿名空間で吐き出されているために、
人に対する意見や反論が中傷と言い得るほどに過激化してしまうのかもしれない。
そうした意図をもって書かれる批判や批評ももちろんあるだろうが、
私は自分にとって耳の痛い批判の声を攻撃とも排除とも考えていない。
批判してもらうことで初めて気づくことのできることもある。
誰かに自分を批判をされたと感じた人がそれを攻撃と捉えて反撃を仕掛けてくる。
批判に対する反論であれば良いことではあるが、批判を攻撃と捉えた人の反論には、
罵倒や人格攻撃や曲解が少なからず含まれ、おおよそ感情的で議論を成立させるような信頼関係を築くことができそうにない。
マウントを取られたと思い込んだ人がマウントを取り返しにいくような言い争いは不毛の極みであり、まったく生産的ではない。
寛容の必要を訴えたら寛容でないひとを受け入れないのは不寛容だというような皮相的な言葉遊びに時間を浪費するのは、
不寛容な人を受け入れられない人は不寛容か、多様性を否定する人を否定するのは多様性の否定か、
揚げ足取りやマウントの道具として消費するだけのことであればそれは不毛としか言いようがないだろう。
それでもあなたはやはり批判を攻撃と断じて反撃したくなる衝動に抗えないだろうか。
Twitterで昔の権威主義的な親の方が心の自由があるからましみたいな話は見た。
権威主義的な親は「週末はおばあちゃんちに行くことになっているだろ!行け!」と言う。
子供は「うるせー、おばあちゃんちなんか行きたくないんだよ!!!」と反抗できる。少なくとも心の中では。
今時のモダンな親は「君はいつもおばあちゃんにお世話になっているよね?おばあちゃんのこと好きだよね?おばあちゃんは君が来てくれたら喜ぶと思うんだ。まあ、来ても来なくても君の自由なんだけれど、週末におばあちゃんちに行くかい?」みたいな聞き方をする。
子供はおばあちゃんちに行かないという選択をすると、おばあちゃんが嫌いだったりおばあちゃんへの恩知らずだったりする感じがして精神的に追い詰められる。
行くとしても、たとえしぶしぶ行っていたとしても「自分が好きで選んで行ったんでしょ?」という見方しかしてもらえない。
だから、モダンな親の方が実は子供の心の自由を奪い、子供を悩ませて、より深刻なんだというお話。
確かに、モダンな親のやり方はブラック企業の社員洗脳教育やら新興宗教の洗脳みたいな感じがする。
物わかりがよいことを演じたい親が子供をコントロールしようとするとこうなるよねって思う。
一歩下がって、これって本当に物分かりがいい親が自分の意思を伝えるにはどうしたらいいだろうと思ったら、
「おばあちゃんにお世話になっている」だの「おばあちゃんのこと好き」だの言わずに、「君に来てほしい」と親の気持ちをストレートに話すことなんだろうな。
それぞれの考え方があるという前提に立つなら、親の希望を正直に話すほうが誠実だよね。
もし、「おばあちゃんにお世話になっている」と話すとしても、
「君はおばあちゃんの家に行ったときに、いつも好物のハンバーグを食べさせてもらっている。僕にはそれが君がおばあちゃんに良くしてもらっているように見える。」と
具体的に話が方が開いても反抗のしようがある気がする。
「いや、ハンバーグそんなに好きじゃないけれど、食べたら大人が喜ぶから食べているだけだよ」みたいな話ができる信頼関係を用意しないといけないが。
夫婦って、互いに背中を預け合って一緒に人生を生きるパートナーだから、しっかりした信頼関係がないと、木の根が腐るようにグズグズになって、倒壊するか、どこにも道が見えないまま腐り果てた人生になる。
この状態で元増田が妻としっかりした信頼関係を維持できると思わない。
でも、妻の意思を決めていいのは元増田じゃなくて、妻だけだよ。
ただ「大事な人だ」と、言ったり、思ったりしているだけだと、かえって相手を傷つけることも多い。
毒親だって本気で子供を「大事だ」と思っていたりする。DVするやつだって、本気で相手を「大事だ」と思っていたりする(信じられないかもしれないけれど、マジで)。
そういう人みたいに一方的に「大事な人だ」と思うだけじゃなくて、大事な人に、正しい事情を伝えて、元増田の謝罪と気持ちも伝えて、相手がちゃんと判断できるようにする。
つまり、性風俗斡旋業者であり、AV業者であり、女性本人には興味がない、又は女性嫌いだけど肉体にだけ興味がある人だ。女性好きでもなんでもないのに性欲が気持ちよくて、女性に何の愛着もなく信頼関係もなく、利用しようとする人たち。そしてそれを黙認してしまう人々。気まぐれに傷つけるキチも多い。
そういう奴に嫌悪感があるのはわかるが、それを理由にして女を守る行動を取るのは女が対等に渡り合えない保護が必要な弱い存在であると主張するような物であって、フェミニズムに反しているな
この日記とこの表現の自由規制の話というのは、ほぼ同じ話をしていると思う。すごく似ている。
注:ここでは性表現に関する表現の自由、表現の自由に関する法解釈法運用の話はしないよ(ついでに言うと元増田も含めた一般人には正確な理解が期待できないし。元増田は法について一般人であることは見ればわかる)
この手の団体はいろいろ言われることが多くて、増田も猫を譲り受けるときに家に来られたり個人情報を根掘り葉掘り聞かれたりでかなり辟易したんだけど、ボランティアで中に入ってみたら、そこまでしたくなる気持ちも分かった。それくらい虐待や多頭飼い崩壊の現場の話は酷かった。
性表現を公共に出すな、性表現をノーマライズするな、性表現は女性蔑視だ、とこの手のことにかなり厳しく、性表現に浸かりまくった性依存症気味のオタクは辟易するのかもしれないが、女性に関わっていると、それくらい世間には性犯罪や悪質なセクハラや女性蔑視が多くて酷い。現場と現場から遠い人で感覚に大きな開きがあるという点ですごく共通していると思う。
よく言われる、「そんなに譲渡の条件を厳しくして、条件を緩くすれば助かる命が保健所で処分されてもいいのか」という質問には、彼らはYESと答えると思う。
「そんなに世間をエロに厳しくして、オカズを手に入れにくくなり(女性にもおかずを必要とする人は結構いる)性を発散することが難しくなるかもしれなくてもいいのか」「好きな作品や好きな文化が今までと同じ形で存続できなくてもいいのか」という質問には、彼らは即答でYESと答えると思う。これも全く同じ構図だと思う。
それだけ現実において女性の心理的・肉体的安全性は担保されていない。この世界は性虐待をファンタジーと言い切れる優しくきれいな世界ではない。男性から見て完全に無害でちょっと羽目をはずしただけのファンタジーでも、女性から見たら実際に加害者が教科書にしてたものであり現実に経験する抑圧や虐待の理由であり男性の中に時々見えるミソジニーや偏見の正体であり存続し続ける加害精神の教科書であり現実の被害の反映だから。
現実の悲惨で酷い虐待や生命の尊厳の前には、多少の嗜好品の自由など消し飛んでしまう。
怖すぎるだろ。自分も驚いた。でも女性も、虐待や性加害をしにくるやつがたくさんいて、住所を明かさないようにしたり、顔を出して活動するハードルが高かったり、政治活動や目立つことをすれば性差別とハラスメントに遭い、同じくらい虐待を警戒している。その加害虐待の深さ多さ酷さについて、いまだ想像力が及んでいないから驚くのだ。
こんなの想像の範囲外だし怖すぎる常軌を逸したものだけど、これは女性たちにとっても日常なのだ。
餌やりさんっていうのは、その名の通り野良に餌をあげている人のこと。これだけ聞くと猫好きの人だと思うじゃん?実はそうとも限らなくて、餌をあげる時に猫がワッと寄ってくるのが嬉しくて、つまり承認欲求のためにしている人も多い。だから猫にはなんの愛着もなく、TNR(捕まえて避妊手術をして元の場所に戻すこと)に協力もしないどころか、気まぐれに毒餌をやったりするキチもいるそうだ。多頭飼いも同じように、必ずしも猫好きというわけではないらしい。
こういうのもたくさんいる。つまり、性風俗斡旋業者であり、AV業者であり、女性本人には興味がない、又は女性嫌いだけど肉体にだけ興味がある人だ。女性好きでもなんでもないのに性欲が気持ちよくて、女性に何の愛着もなく信頼関係もなく、利用しようとする人たち。そしてそれを黙認してしまう人々。気まぐれに傷つけるキチも多い。
それくらい虐待に対して敏感になっているし
つまり、こういうこと。
できる人にはなんでできないのかが理解できないことって世の中には普通にあると思うが、これもそうだよね。
よく似ている例がトイレトレーニングかなぁと思った。
親が神経質になって厳しいトレーニングをすればするほど、失敗し続けておむつが取れなくなるみたいな話があるよね。
そんでもって、ベテランの幼稚園教諭なんかが親に神経質にならないように指導し、子供にもリラックスできる環境を提供するとあっさりおむつが取れたりする。
増田が言う話もそれに似ているのかなって思う。
親が強制コントロールしようとすると不安感が高まって、逆に感情のコントロールができなくなっていくという話はあるよね。
今時の育児では、安心感を与え、信頼関係を築いたうえで、泣かずに自分の考えを主張出来たらそれを評価するようにするってことだろうな。
私はメンタルクリニックに忌避感はなかったけど、当時メンタル不調の原因になっていた人間関係のなかで「私が薬を飲み始めたら=精神的に問題あるとはっきりしてしまったら今の人間関係がさらに悪化する」っていう思い込みが強くて、医者に「お願いだから抗うつ剤のんで」って言われて「あーやっぱり無理なんだ」って薬飲み始めた。
奥さんも家族や周囲に迷惑かけたことに対する負い目とかいろいろあるのかもしれないからそこ相談できない状態で強制的に連れて行ったりすると信頼関係が損なわれてしまうのでできればやらないほうがいいと思う。
「家族のためにお願い」とかおそらくフィジカルも悪いところあるだろうからまず総合内科からとか、アプローチはいくつか考えられるけどどれも奥さんのこと、増田家の家族構成や関係性、地域にどんな機関があるかによっても変わってくるから、まず増田自身が一人で精神科やメンタルクリニックに相談に行くのがいいんじゃないか。自分も結構消耗してると思うから。そこで専門家に相談して、どうやって受診してもらうか一緒に考えるのがいいんじゃないかな。
薬飲み始めた時は「あー私ビョーキなんだ、薬漬けになるんだ」とか「いやいやこれは骨折したときにギプスや杖を使うのと同じなんだ」とかいろんな感想がごっちゃになってた。
とにかく生きていれば何かが変わる可能性があるから、増田が倒れないようにね。特に年末年始はメンタル不調が悪化することが多いから、暖かくして温かいもの食べたり飲んだりしてね。
確かに、タイミング的には遅いは遅い。チケトレの有効期限だってほぼない。
とはいえ。
この段階でのお知らせになったのは、直前まで、セレモニーになるのか、挨拶になるのか、調整を重ねてた可能性がある。
運営からしても、卒業が大切な思い出になるようにしたいという気持ちだってあるでしょう。
仕事をしている上で、外に言えること、言えないことがある。
外に出せるもの、出てるものだけで全部を断じるのは早計じゃなかろうか。
まあ、客である我々に届くものは外に出ているものだけでもあるんだけどさ。
ただ、運営に完璧を求めすぎる気持ちが強くなりすぎて、発言が荒れてるのは勿体ないなって思う。
運営への不信が積み重なると悪い方に受け取りがちになるし、
そう取られるようになるくらい信頼関係を築けていないのも、それはそれで問題ではあるんだけれども。
しかし、今回の対応は、なによりまなもさんを十分慮っていると思うけどね。
卒業発表がされた時点で時期は未定とはいえ、"ライブの終盤で卒セレ"が十分予想出来たし。
どのライブかは、ひなくりか、ひな誕祭の実質2択だったし、
卒セレなのか卒コンなのかは、体調的な負担の重さでどう考えても卒セレだったし。
むしろ、卒セレすら大丈夫なのか、という部分を踏まえれば、卒業の挨拶、になるのもやむを得ない。
言い方的には"挨拶"で済まされているけれども、ドレスを着て花束贈呈はあるかもしれないし。
それすら難しい、ヒールを履いて長時間立っているのもキツイ、という可能性すらありえるので、それら諸々踏まえて、
負担が極限まで少ない、というのを前提にして、その上で出来る限りのお別れの形に調整していると思う。
周りが憤れば憤る程、困るのはまなもさんじゃないかな。いつものケロッとしたトーンで「気持ちってなかなか伝わらないんだなー」って言ってそう。