はてなキーワード: 仮想空間とは
天体観測とかも始めたらええやん。これからパソコンのスペックはどんどん上がってくだろうから、ちょっとずつ仮想空間の星を増やして、生涯かけて正確な天の川銀河を仮想空間に作ろうや
一昨日帰省して、実家の机に眠ってたノートを引っ張り出したら中学時代の夢が書いてあった。今はしがない営業マンになってしまったが、中学生の頃は億万長者になりたかった。大金持ちになって、自分の育った町より広大な土地を買いたかった。その土地の中心に直径140センチくらいの太陽の模型を置いて、その周りに8個の巨大な輪っかのレールを置く。順番に水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星。それぞれ太陽の大きさに合わせた模型を置く。太陽から1番端っこにある海王星のレールまでの距離は半径4500メートル。そんで太陽を回転させて、それに合わせてレールに置いた惑星模型たちも自転しながら公転する。つまり10億分の1太陽系公園を作るために金持ちになりたかった。
昔の夢を思い出したところで今更大金持ちになれる訳でもなく、そもそもそんな土地もない。そこで俺はパソコンを引っ張り出して仮想空間上に作ることにした。Unityをダウンロードして、3Dプロジェクトで太陽系がすっぽり入る空間を作り、惑星と太陽のアセットをダウンロード。他にもアセットをダウンロードして、足りない部分はググったスクリプトをコピペ。昨日は徹夜したが、ついに自分だけの太陽系を手に入れた。実寸大の巨大な太陽が現実世界の太陽と同じように回る。惑星も公転して自転する。今回手に入れた太陽系には昔の構想にはなかった月と冥王星もある。いやー楽しかった。
これはキリスト教社会にあるカード会社が禁忌とされる獣姦を避けているため。カード会社自体の好みかは分からないが、彼の国では忌避されるべきだろう。しかしインターネットという世界中の文化を相手取る空間でキリスト教圏の前提を押し付けるのか。
獣を犯して何が悪い。動物相手の異類婚姻譚など世界中の物語の類型として一般的であり、腐るほどあるというのに。
VR空間というところに来てみた。空を見てみろ。ダンボールに穴を開けたチャチなプラネタリウムみたいだ。
本物の星には距離感がある。他の星が近づきすぎると地球は壊れる。敬いてこれを遠ざけるといった奥ゆかしい空気感が、空の星にはあるはずだ。
なぜない?それはワールドの作者がその表現を要らないと思ったから。メモリの無駄、ストレージの無駄だから。
何をデフォルメし、何が真に迫るべきかを作者が決める。これは世界の創造にあたり、神のみに許される所業だ。これが冒涜ではなく何なのか。獣姦どころではない。
つまりだ、この仮想空間はアンチクライストたる我々のアジトであるというわけだ。諸君らは素晴らしい!天にましますpixivを地に落とすのだ!
正確に言えば私はアンチクライストではなく新時代の宣教師だ。カード会社は神の言葉を聞き間違えている。私はこのVR空間において神の言葉を正しく実践するものだ。仮想空間に神はいない。私が神を宿す。
光あれといった。Unityは音声認識に対応していないので何も起こらず、安普請で異常独身男性が狂った独り言を放つのみだった。
手動で光源を設置した。すると光があった。神は光源をPointLightとし、PLight01と名付けた。
自分のかたちに人を創造するととんでもない化け物を産んでしまうので、いい感じのアセットを引っ張ってきた。
また、それらは十字架に磔されてるっぽい初期ポーズをしており、キリストキッズであることは間違いなかった。
「公共空間で環境型セクハラしてるようなものですよ」って言っているんだが職場じゃないよな。
弁護士が職場関係なくセクハラと言っているんだが「のようなもの」がつけばいいってもんじゃないだろ。
弁護士が言っているんだからなあ、セクハラなんて法的概念ど真ん中で法の専門家がデタラメいうわけないんじゃないかなあ。
https://togetter.com/li/1417811
読売新聞でも仮想空間「『メタバース』でセクハラ横行…臨場感あり『とにかく気持ち悪い』」
https://www.yomiuri.co.jp/national/20221121-OYT1T50104/
セクハラって、日本語に訳すと性的嫌がらせなわけで、元来は職場内限定の用語だったかもしれないけど
広義のセクハラは性的嫌がらせ一般を指すようになってきてるんじゃないかな
検索してもらえばわかるけど、もともと労働関係からでてきた用語で職場内に限定して使う用法になっているものも多いよ。
だから、職場内の行為じゃないから「セクハラ」じゃない、ってのはまるっきりの間違いじゃないと思う。ここでそこに拘るかというと別問題だけどね。
これはまるっと同意なんだがanond:20221121152505に繋げてくれ。
まあセクハラに当てはまらんと言ったanond:20221121152505にセクハラかどうかだけを書き込んだ私がまずかった。
勝手に人の性的嗜好を決めつけて非難対象にするってのがそれだけで人格を疑われる行為で、
仮に、定義上のセクハラではないとしても下衆いとしか言いようがないわけで、こだわるべきところじゃないところに突っ込んだ私がおかしかった。
追記の2
太田啓子弁護士については私の読み間違いの可能性があり削除しました。
総人口に対し20%なりの確率で他人を見てわちゃわちゃクチャクチャしてるだけの人間が発生するということ。
わちゃクチャぽんこつマンたちは、どちらかというとメッセンジャーボーイとして生存競争に従事しているように見える。
小学校でいうと、成績とか体育をがんばるのではなく、
「誰それがウンコした」「わちゃくちゃ!」「誰それがニンジン残した」「わちゃくちゃ!」
「先生にいったろ」「わちゃくちゃ!」で6年間のアイデンティティを保ったような人間であろう。
結論、それが「楽しい」からだと思うが、ツイッターが実社会に最も近い仮想空間であると想定すると、
やはりわちゃくちゃペチャクチャして人生終わらせたいキョロ充は20%いるということを再確認した。
これはパレートの法則に一致する。
仮想世界の中の話。
つまり、私にとっては自分を伊達男然としたアバターにしたとしても、相手は私を「アリス」と名付けドレスを着た女性と設定して認識しているかもしれない世界。
書いていて気付いたが『鍋に弾丸を受けながら』や『ルーツレポ』と近い構造がある。
『鍋に弾丸を受けながら』は相手の設定を変え、『ルーツレポ』は自分の設定を変え、『キャッシュ』はその両方を変えることができるという違いがあるか。
他人を概念(or機能)で把握するので他人の名前が覚えられず悩んでいる人がもしも『キャッシュ』の作中人物だったらどうなるだろう。
おそらく、他人に機能に即した呼び名を付けることで悩みは解決するだろう。
さて、『キャッシュ』のように相手の名前を自分用の呼び名に設定できる世界は私が生きている(作中世界ではなく)現実世界で実現しうるだろうか。
では『キャッシュ』と同様に仮想空間、現在のメタバース空間では可能だろうか?
生身の体が「Aさん」と呼び名を含んだ声を発し、その声が相手に届く前に「Bさん」と自分が自分に設定した名前に変換する工程が必要になる。技術的に難しそうだ。
生身の人間がゴーグルを被るような仮想空間でも結局はコミュニケーションは音声会話になってしまうので物理世界と同じだ。
2006年とか当時は比較的アーリーアダプターとみなされるような立場にあったはずなのに、今になってもセカンドライフやり続ける奴ってなんなんだろうね
性質としてのアーリーアダプター(イナゴ?)だったじゃなくて、こだわりが強い人間が当時珍しかったメタバースが自分にどんぴしゃって感じで食いついた感じかね
んでこだわりの強い人間には今の仮想空間サービスのデザインとか無駄に没入的な操作性にはこれじゃない感を抱いて今に至ると
セカンドライフはオブジェクト作ったりそれにプログラム組めるのが楽しいところだったけど今の仮想空間はユーザにそこまでの自由度与えてない点も昔のクリエイティビティ求めてた人達にはなじまなくてって感じだね
物語という安寧な仮想空間から抜け出し、現実で着実な歩みを進めるために、そういう物語を読みたい。
あえて現実という過酷を選択できるように、そういう物語を読みたい。
もっと正確に言うなら、「アルティメットな物語」が読みたいのだ。
この物語を読んだら、もう他の物語を読む必要が無いというレベルのアルティメットな物語を。
最高に面白いかどうかではなく、物語というものを二度と欲することが無くなる、という意味でアルティメットな物語を読みたい。
それが例えば、現実の過酷を受け入れる物語でもいいということだ。
そのような物語がこの世の中に存在するなら、今すぐに入手して見て読んで、物語の世界からいち早く卒業したい。
そうして物語の世界から卒業したら、繰り返しになるが、今度こそ社会でしっかり生きていこうと思う。
つまり、例えば仕事とか家庭とか下らない物事に、物語の織り成す幻想に逃げずにちきんと向き合いたい。
集約して割り振るのはね、データみたいに仮想空間とか計算上で仕分けができるならいいんだけどね
病院みたいな現実だとね、物理で窓口とか待合スペースを圧迫するの。
受付だけにしても、さばけるのは一瞬じゃなくて、一人に何分ってかかるの。
で小さい病院でいいですっていっていいのは、国家資格がないとできないの。ナースや受付の人にはできないから。
その地域の人が、最初に一通り、大病院の先生に見てもらうまで治療に進めないって、それこそ詰みだろ。待ち時間の間に死ぬわ。
そう考えるとね、一定の国家資格に合格した人しかつくれない場所にまずはそれぞれ行ってもらうのが一番効率的なの。
膨大な金と人生の貴重な時間である15歳(志す)~25歳(留年・浪人・研修修了)をそれに費やした人ってことだよ。医者の時点でもうそれが出来た人だよ。
そこまでしてやっと得られる知識と技術に頼ろうとしてることを自覚して謙虚になったほうがいいし、いいアイディアは現実に落とし込むと、もっとよくなるよ。
多分男性専用車両(もっと進んで男性用女性用が分かれる)は導入されるし、満員電車は避けられる傾向になる。
ただ、逆に痴漢の当たりや的なのが頻発するから、監視カメラは必須で、警察はアタリヤか否かの検証に追われることになるだろう。
そうすると、「思考実験として、痴漢は即罪に有罪という概念を無くす」ことを思いつく増田が誕生してくる。
「痴漢冤罪という概念」を無くすのとは少し毛色は異なるが、「男性側からの女性の体を触りたい欲求」や「女性が男性に触られる嫌悪感」を無くす等の方向にシフトしていくことも考えられる。
ただその頃にはもはや満員電車みたいな時代遅れの状況は残ってないだろう。
仮想空間で、自分の性別がどちらでも、男性、女性、あるいはそれ以外のアバターで、パラメータ変更で相手との距離感を設定でき、
もっと言えば、各自が自分の望むNPCに囲まれて生活できるような。
これは男にだけ責任があるわけじゃなく、頻繁に電車を利用しない女性が団結してないところも問題。
半数は居るのだから、そのうちの半分でも全鉄道会社に要望すれば、(電車内での)痴漢は無くなるだろう。
複数車両ある路線は、毎年(か四半期毎に)男女比率で車両を割り振る。
田舎とかで一両で走ってるやつとかは、ダイヤ毎に男性用、女性用が分かれる。本数が少ないと凄く不便だ。
結局、男性からも、痴漢とは無縁の女性からも、痴漢を自衛出来ている女性からも、支持は得られれない。
これまでAVを一万本以上は見てきたと思う。
成人を跨いだ男性には珍しいことじゃないと思うが、これまでの人生で多分一万本から十万本の間くらいは、AVを、つまりはアダルトビデオを見てきたことと思う。
初めてAVに触れたのは高校生の時分で……などと書いていると些か気分が滅入ってくる。何故か惨めな気持ちになってくる。
ともかく、高校生の頃にいわゆるサンプル動画を見たのが最初だった。
何で俺はこんなことを話しているのかよく分からなくなってくる。ともかく、痩せてはいるものの張りのある肉体に男の身体が鈍くぶつかる。そこまで激しくぶつかっているわけではないが、肉と肉が強く優しくぶつかる音がして、女は声を上げるのではなく息を呑んでいた。今にして思えば中々質の良いサンプル動画だったようにも思う。
当時の高校生がアクセスできるような、つまりは大通りに面したネットの界隈に看板のように掲載されていたサンプル動画だったから、それなりに選り抜きだったのかもしれない。
ともかくも、それが俺のAVとの出会いであり、それ以降はそんな感じで動画を求めてネットを散策するようになった。
◇
つまり何を話したいのかと言うと、イマジナリー子宮の話である。
男には当たり前だけれど子宮は無い。だから、その存在ついて想像することはできても、実際の感覚として認識することは恐らく不可能である。
当たり前の話過ぎて何を言ってるんだと言われかねないだろうけれど、俺が言いたいのはAVの話であり、そこに子宮やら産道やらというものが大きく関わっているという話である。つまり、AV鑑賞をしている限りで、男は女性特有の器官について考えざるを得ないし、そこから逃れることはできないのである。
(いやそりゃAVに限らず現実の性的接触においても同じことが言えるだろう、と言われればその通りなのだが、俺は人生においてそこまでたくさん性的接触の機会を持つことが無かったので、どっちかと言うと俺の性的接触の本場は現実ではなくAVの中の仮想空間になってしまったのだ。)
AVをより楽しむ方法があるとすれば、それは女性の感覚について理解することだと思う。
要するに、AVを鑑賞している際に視覚的に認識できるのは棒の出入り以外の何物でもないわけで、その出入りを視覚的に認識するだけではつまらないのである。よりAVを楽しみたいのであれば、映像を通してまぐわっている人間の感覚を追体験し、両者の感覚をよりリアルに体感するべきなのだ。
無論、男優の感覚に関しては概ね追体験が可能である。性別という共通項が存在しているからだ。
俺は数千時間という時間を掛けて、AVをより楽しみ、より大きな快楽を得るべく、男女の感覚の追体験という作業に没頭していった。
◇
つまり、ある程度女性の認識や感覚を、少なくとも映像を通して認識できるようになったのである。
想像の中に存在する、女性特有の感覚を追体験し、想像するための仮想の女性器官。それがイマジナリー子宮だ。
そう、俺がAVを鑑賞する時には、常に女性の下腹部にはイマジナリー子宮が存在している。映像において直接現れているわけではないが、想像力によって成立したイマジナリー子宮が、女性の下腹部に存在させられている。
その際に生じる女性の感覚は、本来ならば男性に想像できるはずのないものである。
しかし、疑似的な追体験、近似値的な予想については不可能ではないと思う。少なくとも、俺は経験と想像の集積として存在している、イマジナリー子宮を通して、ある程度正確に女性の感覚を認識できるようになったと自負している。
無論それは疑似的な感覚に過ぎず、完全なトレースにはなっていないだろう。
とは言え、その精度が低いかというとそうでもない気がする。女性が何をすれば嫌がるのか、何をすれば愉しめるのか、それを、女性の視点に立って想像することは、時間さえ掛ければ決して不可能なことではないのである。イマジナリー子宮を生み出した今、改めてそう断言することができる。
女性の表情やその他の情報を参照することで、一体女性においてどんな感覚が走っているのかをある程度トレースすることはできるようになった。更には、空想上の、女性の体験を追体験的に理解しようとした結果、あくまで想像上の存在ではあるものの、俺の脳内には女性の中に存在しているであろうところの仮想の子宮が生み出されたのである。それを俺は数々の鑑賞体験を経ることで、生み出してしまったのであった。
(勿論、本来このようなトレース作業・想像作業は性行為を通じて行うべきなのだが、俺の場合は間違った方法において実践されてしまったのである。)
これを異常な作業だと思われるだろうか。
俺は決してこのような追体験や想像作業が異常な作業であるとは思わない。つまり、より性行為を理解し楽しみ、パートナーにも楽しんでもらうためには、パートナーの感覚の理解が欠かせないからである。
キズナアイが引退すると聞いたときに最初に思ったのは「はぁ?」って感じだった
ワンピースでいうなら、グランドライン半ばでルフィが「俺、船降りるわ」っていうようなものだったから。
キズナアイはVTuberの先頭ではなかったと思う。単純に数字で見ても瞬間風速と一番長い活動歴で築いたチャンネル登録者数以外、動画の平均視聴数や配信の同時接続数は他のVTuberに劣るからね。
それでも"バーチャルな存在"としての格は間違いなくトップで、ここにキズナアイの功績があると思ってる。
日本でVTuberが大流行し始めたのは2017年冬。キズナアイの切り抜きがバズると、すぐさま数少ない同様の形態である電脳少女シロやミライアカリ(あとばあちゃるとか)が注目を集めた。その後は雨後の筍のように様々な個性的なVが登場して、毎週のように現れる新人Vを特集する切り抜きが作られ、その中に輝夜月やときのそらがいた。人の言葉を話すバラエティに富んだバーチャルな存在が次々と出てきて、異世界の動物園で見たことない動物を見ていく時のような不思議な感覚で凄くおもしろかった。
年が明けてしばらくすると二次元アバターを利用した生配信中心スタイルのにじさんじが活動を始めた。これは2回目の大流行といってもいいくらい衝撃で、ここでVの進化経路というかスタイルが分化した感じがする。
にじさんじ登場後はVTuberのスタイルが動画勢、配信勢というような区別がされたけど、この区別はあんまり好きじゃない。Vtuberに限らずインターネット上に実名とは違う名前、容姿で活動するものに大きく2通りあると思ってる。
①現実とは一切関係がなく、インターネット上にのみ存在するもの
②インターネット上に存在するために3Dモデルや2Dアバター、ニックネームを利用するもの
①はまさにキズナアイが特に強く推し進めた概念で、徹底的なロールプレイ(※ひたすらキズナアイに徹すること(例:食べ物食べたことない))と何よりも説得力のある柔軟に動く3Dモデルによってもたらされた。
一方で、②はにじさんじを始めとして今現在のVTuberの多くがこちらに分類される。”バーチャルな存在”じゃなきゃいけなかったわけではなくて、ネットで活動するためにこれが適していたからこうした形式を選んでいるというタイプ。
最初の流行直後の無数のVTuberは①が多かったけど、生放送中心のVTuberが登場すると、一気に風向きは①→②へと遷移していき、アイドル部が隆盛を極める頃にはキズナアイやミライアカリといった①のVは相当キツくて、唯一ゲーム部プロジェクトだけが成功していた。
VTuberの人気が増していく一方で低迷が続くキズナアイは、いくつかの炎上もあった後、ただの「インテリジェントなスーパーAI」だけでなく、「VTuberの親分」としての自身を強烈にプッシュする方向に進んだ感じがする。具体的には数字的には劣るものの、「VTuberの親分」としての看板と共に今の大人気VTuber(多くが②に当たる)とのコラボを沢山するようになったのだ。
そうしてある程度「VTuberの親分」に恥じない立場といって良いくらいには人気が回復した矢先の引退発表だった。
俺はキズナアイが生み出したネット上にだけ存在する生物のような、現実と隔絶された存在の仕方に魅力を感じている。今でも銀河アリスだったりおうまゆうのように①のタイプのVTuberは居て、自分が知らないだけで3Dモデルを利用してインターネット上だけの存在として活動(存在)している人はVRchatとかにいると思う。
キズナアイは「VTuberの親分」としてライブを終え、大勢のVTuberとそのファンがキズナアイを送り出す言葉を書く。その中に「あなたがいなければ今のVTuberは全員いなかった」みたいな書き込みがあった。それは嘘でしょ、と思った。今のVTuberの本流は②のタイプで、これはキズナアイというよりかは月ノ美兎とかのおかげだから。キズナアイがいなきゃありえなかったVTuberっていうのは昔のミソシタや春日部つくしのような存在なんじゃないか。
①の象徴のキズナアイを別にキズナアイの文脈じゃない人たちが多くを占める中で感謝と拍手で送る感じ。これがなんか歪で嫌だった。
上がってたエントリも読んだ。
結構なことでしょ。Vの価値はインターネット上っていう仮想空間だけに”存在”することにあるんだから。Vは既存のIP(漫画、ゲーム、絵、アート、映像、本)の一つなんかじゃなくて、存在の方法が新しかったから衝撃的で魅力的なんだよ。キズナアイが後世に残ろうとも残らなくてもどうでもよくて、ただ存在し続けてくれることが大事だったんだよ。
というかこのエントリはなんか鼻に付くな。なんでVTuberに中の人を見るのか。お前はアニメとかもいちいち声優気にするタイプか。昔アニメの声優がテレビに出ているのを見て物凄く失望した覚えがある。画面の中であれだけ活き活きと生きているキャラクターは私たちが演じてましたよつっておばさんおじさんが出てきて。アニメやゲームのように、人が幻想と分かっていても本気で入り込むものに急に現実を結びつけるのは大嫌いだ。現実に空想・ファンタジーが入り込む余地がどんどん失われて、現実に現実しかなくなるから。そういうものと離されているからこそVは素敵なのに。インターネットの中だけで存在できるから幸せなのに。
話が逸れた。要するにここまで書いたけど幼稚園児の駄々こねみたいなもので、言いたいことは
キズナアイが生み出した”バーチャルな存在”としての存在方法が魅力的で、これが確かな権威をもつ前にその先駆けであるキズナアイ自体が下りてしまうのが悔しいってこと。
人々をVに駆り立てたゴールド・ロジャーであり、自身がVであるルフィみたいな存在が下りられたら困っちゃうってこと。色々な黎明期のVが辞めてったけど、まだキズナアイがいるから、みたいな最後の一枚岩的な期待を勝手にしていた。
つい最近ホロライブで契約解除になったライバーがいた。そのキャラクターは死んだけど、いわゆる中の人はすぐに自分のyoutubeアカウントを作成した。その人にとってはVだろうが自分自身だろうがどっちでもよかったのだ。この瞬間、"バーチャルな存在”だったそのキャラクターは、中の人がインターネットで活動するための道具・手段だったことになってしまった。元々②よりのVTuberなので最初からVのキャラクターは手段だったかもしれないけど、このとき、明確に。
VTuberと密接な関係のある3DモデルにもNFTみたいな少しきな臭い利益を求める思想みたいなものが入ってきてるように思える。さっき挙げたミソシタとかは今はNFTにドップリだ。
俺が"バーチャルな存在”にすごく夢を抱いていた一方で、その文化が少しずつ思ってたものと変わっていく。そうした中で、キズナアイだけは変わらないものの象徴というか柱だった。
だからそんなキズナアイが引退することは”バーチャルな、バーチャルだけに存在する”という概念が潰えてしまうことも結びつくし、それに追従して生まれた幾千もの個人的Virtualな存在にとってなんか絶望的だ。
後悔というか、ぶち当たった壁は4つあった。
事の発端は今年の初めにVRoid Studioをインストールしたことだった。完成した美少女をモーションキャプチャーソフトで動かしていた時に「もっと自由に動かしたい」と思い、やはりVR機器の導入が一番という結論に至ったため某電機の街へ。
体験コーナーの一つや二つあるだろうと思い向かったが、私が探す限り体験できそうな場所はひとつもなくモノだけを見て回った。初めてだからといって安いものを買うと上位機種を買うときにもったいなさを感じるためVIVEに目星をつけていた私はもろもろがついて10万手前でPROを売っている店を発見。すぐに買って家に帰る。ちなみにペイペイ祭りは外れた。
ここで一つ目の壁、ベースステーションを設置するのに苦労した。最初からついてくる設置機材は壁に穴を開けるタイプで、本棚やら何やらで壁が埋まっている部屋ではこれで設置することは難しかった。最終的に斜めにして”置く”だけにした。何か問題があったらその時考えればいいかということで。
二つ目の壁、部屋が狭い。部屋が縦長で、本棚の分さらに細く長い私の部屋はプレイするのに十分なスペースを確保できなかった。動き回らず立位のみで遊ぶことができるのでとりあえずそれでお茶を濁そうと次のステップへ。
三つ目、目が悪い。日常生活に支障はない(と本人は思っている)程度の乱視を持っていてテレビの字幕がだいたい二重に見えていたのだが、ゴーグルをつけてみてビックリ。どんなに調整しても視界がボヤ~、っとにじむではないか。こればかりはどうしようもないため後日眼下に行ってメガネの処方箋をもらうことにした。一番ぼやけが軽いポジションに合わせてからいろいろなソフトを遊び始める。
最後に四つめ、酔う。3Dゲームをこれでもかと遊んでいたのは10年近く前で最近はソシャゲか2D系のゲームしかやっていなかったこともあってか1時間ほど仮想空間に潜ってダウン。今もほんのり気持ち悪い。