はてなキーワード: 万能薬とは
女性がイニシアティブを取る傾向が強い#MeTooなどのハラスメント告発を横目に、それとは違ったハラスメントの話
先日公共の場において30代くらいの女性同士がかなり大きめの声量で会話していたのだが
気になった部分があったので箇条書きにする
・ハゲた男は困る
・気を使わせてる時点で罪
・男なのに隠そうとしたり気にするのが悪い
・なぜだ…なぜハゲる…
など
公共の場で大声でするのが適切な話かどうかわかるんじゃないかな
ハゲもデブも多様性の一つ、という立場を取る人にはそもそも置き換えること自体が不要ですね
という押し付けが一般化されてるのも気になるというかまあよく聞く話ではある
当たり前だがコンプレックスに対して堂々としていた方が好感を持たれやすいのは
男女関わりなく同じはずだけど
これは普段容貌に対しての差別やプレッシャーが大きい女性が陥りやすい逆差別に見える
万能薬ででもあるかのようにリアップだなんだと知ってる薬剤の名を口にする女性をたまに見かけるが、
そもそも日々のケアによるリカバリーが難しいことがある当事者にとっては問題を深刻なものとし、
ある非当事者には取るに足らない(元に戻らないなら悩むな)問題であるとされる所以だとも思う
では事故で美観を損なった人間に対して元に戻らないなら悩むなと言えるだろうか?
それとハゲ人口との割合を比較してハゲの方は大した問題ではないと言えるだろうか?
あるいはハゲた上で男らしさを強制されることが事故でないと言えるだろうか?
単純にこう言い換えてもいい、悩んでもしょうがないことを悩みと言うのだ、違うだろうか?
自分は太りにくい体質なのもあって悩むハゲと悩むデブを比べてみた場合、
それはたんに想像力の欠如であり、
おそらくは事実の面からも不正確である、なぜなら多様なデブが抱えている多様な問題の情報に疎いからだ
ではデブ同士、あるいはハゲ同士でならアルファハゲがベータハゲを蔑んでいいかと言えばそれも違う
当人が問題を感じている事柄に関して公然と不快感の表明や嘲笑を行っていいかどうかは別問題なのだ、当然である
そして発言が問題となるのにベータハゲが目の前にいる必要はない
目の前に黒人がいないからといってN-wordが自由に使用されていいはずがないように(例えニューヨーク市以外であろうと)
愛情表現や仲間内のノリ?「ニガー」だって同じ側面を持ってはいるし、非当事者の発言は更に厳しい目で見られるだろう
…というのが多くの男にとっての疑問となっているのが、昨今のジェンダー論界隈のgdgdさではないか、と思うわけだ。
いやだってさ、あのスピーチ、「フェミニズムを助けて!」て主張じゃなかったのだろうか?違うのか?
それが昨今の議論では「フェミニズムはお前のママじゃない」となっているのでよく分からない。
男にとっては、救済を求められたはずなのに、フェミニズムは万能薬じゃない、という話に移行してるので、頭に疑問符しか浮かばないのである。
要するに「具体的に男にどうしてほしいのだ?」と聞きたいのだ。
(いやと言っても、短時間のスピーチでそこまで詳細に語れというのが無茶だし、そこら辺ワトソン嬢を批判したいというわけではないが…)
「ワトソン嬢のスピーチは分かった。で、男に対して仔細にどうしてほしいのだ?」と。
別にワトソン嬢でなくても、他のフェミニストの方々誰でも良いんだがな。
勿論別に絶対しろとは言わんし、しないことを糾弾なんてしないけど。
女性の皆さんは何となく実感できると思うけど「男は具体的に言わないと分からない」んですよ。
まあ「そんなこと一々言ってやらないから察しろ!」と言うのも良いけど
それって正直至極非効率だと思うのですよね。
生理が重いという話をした時。
生理前にイライラしたら、PMS(月経前症候群)だどうのこうの。
生理の話題になるとすぐ「ピル飲みなよ」って言い始める女が絶対いる。撲殺天使かよってくらいピルピルいう女が、絶対現れる。
今つけたけど、ピルハラだよ、それ。ピルハラスメント。飲んでないと、おかしいみたいな、そんな口調、ピルハラ。
大体、ピルが全ての万能薬だと思ったら大間違いで、弊害もある。というか、弊害だらけだった。
私の経験から言うと、まずすごい肌あれ。不正出血のオンパレード。
生理前どころか一カ月イライラし通し。吐き気。生理前には欝状態で口もきけなくなる。
ピルは数種類あるけど、全部上記のような症状がでた。ひどいもんだった。1年ヒイヒイ言いながら飲んだけど、結局やめた。
こんなことだったら、生理が重くて唸ってる方がよっぽどましだった。
どっと踏ん張りたい時飲む薬とかをリストアップしてみた。
スマドラとかに頼るのは怖いし、あくまで薬局で買えるようなものだけだけれど。
ド定番。なんだかんだでカフェインは神。コーヒーをそれほど好きではない(カフェオレは好きだけど)ので重宝している。
風邪の時によく飲まれるよね。マオウとかが入ってるので覚醒作用あり。半信半疑で飲んでみたがやたら効く。1日の用量を1度に飲むのが要。
エスタロンモカ錠にビタミンB1、B6、B12が入っていたので気持ち程度に。
ダイソーで売っていたのを好奇心に負けて買ったのが残っているのでついでに飲んでいるだけ。
生活的に昼は飲めないので朝と夜に15錠ずつ飲んでいる。精子ドバドバ。自分の中では万能薬的位置づけ。これを飲むのが生活に組み込まれている。
頭を回すのに必要な個人的三要素の砂糖・カフェイン・少量のアルコールを一度に摂取できる。
更に、カフェインで荒れる胃をある程度保護する役割があると思います。
こんなところ。読んでくれる人がいたら更におすすめとか教えてくれると泣いて喜ぶ。
こちらの記事(http://anond.hatelabo.jp/20150928163536)、
(http://anond.hatelabo.jp/20150929000832)
なんだか私についていくつもエントリー(?)がついてまして…
いやはや、こんな思考の駄々漏れみたいなものにたくさんの人にお付き合いいただけて頭が上がりません。
少しだけ書きたいことが出ましたので2つほど追記を…
まず一点目。
前回の2つの記事についてご指摘がありましたが、これは私の自分語りです。
客観的に見れているか?と言われますと私は首を縦には振れません。
それを理解していただければ幸いです。
更に申し上げますと、前回の2つの記事は、『私がこの時、こうだったから、私は楽になれた。』
その、たった一例を出したに過ぎません。
誰でも彼でも救ってくれる、万能薬のような魔法の言葉を言われたわけではありません。
当たり前ですね、状況がまず違うのですから、そのことを他のコメントを見ながら痛感しています。
未熟者でお恥ずかしい限りです。
しかし、それでもあんなに簡単な言葉で私が今まで生きてこれたのも、また事実なのです。
だから一番近くで、犯人のような人や、私のような人を見てきた人だけが
助けてあげられるのかもしれない。とも思うのです。
でも近いからこそ、それが出来ないのかもしれないとも思います。
親しい人ほど、無様な姿は見せられない、という心境とでもいいましょうか…
難しいですね、これは私がベストアンサーを出せる問題ではないように思うこの頃です。
さらに前の記事では、こうしたらいいなどと厚かましい意見を述べてしまいました…
私と考えが似ていらっしゃるとのことで、
色々と関連したもの(動画など)を拝見させていただいたのですが、
私の思慮の浅さが露見するばかりで…
こんなに深い考えをお持ちの方に間違われるのは大変恐縮するばかりです。
この方のお言葉にハッとさせられたのですが、
「自分という存在」は「他者」に認められて存在が成り立つということです。
当たり前のことですが雷のような衝撃を受けました。
私は何も選んで生まれて来ていない。性別も容姿も親も何もかもです。
それを私だけの一存で好きになるのは難しいことですね。
というか私には不可能に近いです。
じゃなきゃ、自己肯定感がこんなに低いとウダウダ悩んでません。
だって好きで選んだものじゃないんですもの。しかも絶対に逃れることなんて出来ない。
そしたら、すんなり好きになれなくて当たり前です。
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私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、
人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、
【カール・マルクス、岡崎次郎訳『資本論(1)』(国民文庫一九七二年)一〇二ページ。】
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一九〇二年の本のなかでさきのマルクスと同じようなアイデアを定式化している。
すなわち、かれは「お互いがお互いにとって鏡であり、その前を通る人を映している」として、
このような自我のありかたを「鏡に映った自我」(looking-glass self)と呼んだ。
他者と関わり他者の鏡に映った自分を認識することによって自我が形成されるのだ。
【C.H.Cooley, Human Nature and the Social Order,1902,p.184.】
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だからこそ私は他者を排除して自分を語ることが、どうしても出来なかったんだと思います。
人の目が気になってたまらないのも、きっと、ここら辺からきているのかな…
私という存在を求めてほしい気持ちがあるからこそ、他者からの無条件の肯定に焦がれてしまう
でも得るのはとても難しい…
ムムム…ここら辺はまだまだ私の中で考えていく必要がありそうです。
さすがその道に長けた方のご意見は納得させられるものばっかりです。
とても勉強になりました。南直哉さんのことを教えてくださった方、ありがとうございます。
気になる方は動画などもいくつかネット上にアップされているので、ぜひ拝見してみてください。
二点目は、エントリーについて少し触れさせていただきたいと思います。
◯『憎しみも怒りもなくふるわれる暴力』とエントリーを書かれた方
私はまずDVの話はしていません。
同じような「劣等感」からくる事件を持ち込むならまだ分かりますが
例えとしては、いささか整合性がなく、乱暴なようにさえ感じます。
そして加害者と被害者の言い分は別です。ごっちゃにしてはいけません。
もし、この言い分を使いたいなら私の発言はどちらかの立場だけに終始すべきです。
なぜなら私は被害者側の立場に立って、今回の話はしていないからです。
そもそも私が疑問に思った問題と、あなたが述べている問題点は相反するものではありません。
私が言いたいのは、犯人のやり口が卑劣だ、という犯行への結果ではなく。
どうして止められなかったのか?という過程へ向けた問いの話だけを今回の問題としてあげています。
分かりやすく言うならば、『起こったこと』(結果)、『今起こっていること』(現在)ではなく
『止められなかったのか?』という『過程』と、
『それはなぜ?どうしたら止められるの?』という『未来』の二点だけです。
むしろここで、ごった煮にして考えてしまって良いような問題ではないと思います。
『加害者擁護に感じる不愉快さは被害者の人権軽視の姿勢』についてのお話も
あともう一点だけ、トリイ・ヘイデンの「シーラという子」という本を引き合いに出されていましたが
これこそ、私が疑問視していたセーフティーネットが上手く発動した例にはならないのでしょうか?
社会という仕組みにある学校が、セーフティーネットとして、シーラという子を助けられたなら、
それはとても喜ばしいことに思えます。
他の場面でなら、彼女の体験はどう使えるのか、考えるヒントがありそうです。
こちらの子方は、いくつか引用を交えてお話させていただきます。
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犯人に自己を投影してしまうからこそその言葉が自分に返ってくるように感じてしまう。
コメントが賛否になるのは当然でどれに感情移入(主体として)するかによって風景が変わる。
コメントする人間は、自分がいちばん近い距離感に対し感情移入する。
であって、本人がこじらせている状態を「くだらない」と言ってるわけじゃない。
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そういう見方も出来るのですね!
私にはない見方でした。ひとつの方向だけを向いてしまう悪い癖です。
そうですね、どうしてあの時、母が「くだらない」と言えてしまうのか
とても疑問だったのですが、すっきりしました。
トラウマ的な部分もあって、私自身がそれに過剰に反応してしまった部分もありました。
こういったトラウマ的な部分は気をつけていても
反射で反応してしまうものなので、中々コントロールするのは難しいですね
そうった意味で言っていたのか、母には後日、確かめてみたいと思います。
ただ、やっぱり事件を「くだらない」と片付けてしまっていいものか…と私は考えてしまうのです。
背景は別々だけれど、同じような事件がたくさん起きているのは事実で、
なくならないかも知れないけれど、減らすにはどうすればいいか
もしかしたら犯人の人生において共通の何かがあるのか、ないのか…
私はそれを「自己肯定出来ない自分」という、ひとつの可能性と結びつけました。
探せばもっと違う可能性があるかもしれない。ないのかもしれない。はたまた、これ事態は関係ないのかもしれない。
それでも考えていくことを放棄したら、なんだかもっと危うい方へと世の中が転がっていくように私は感じてしまうのです。
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今この時の、家族の、学校の、大げさに言えば社会のセーフティーネットが機能していない深刻さ。
それを改善していく必要があるんではないかと強く思ったがゆえに投稿した記事でした。
ここに集約されてる。
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なので、こんなに恐ろしい気持ちを味わっていたらと思うと…と、
だいぶ犯人の側に入れ込んで前の記事を書いたことは否めません。
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問題のある家庭まで補正できるセーフティネットって具体的になんだろう。
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残念ですが私にも分からなくて、具体的なことはひとつも書けませんでした。
本当に何がセーフティーネットになりえるのでしょう?
そもそも、そんなすごいセーフティーネットを作ることって出来るのでしょうか?
家庭が駄目なら、どこでなら救うことが出来るのでしょうか?
直すべき形態はどこなんでしょうか?
殺人は犯人が悪いけれども、もし彼をそこまで追い詰めたものがあるとしたら、
それって何が悪かったんでしょうか?
遠くない私たちの問題なのかもしれないと、私は思ってしまいます。
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劣等感が「リセット」というキーワードと結びついて妄想が膨らんだ。
結び付いたらそれを「くだらない」といった母親の言葉が自分に向ってきた。
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そうですね、少ない情報から「同類だ」と勝手に思い込むのは良くなかったですね。
もっとじっくり考えれば、すぐに私と犯人は他人だと分かりそうなものですが…
そして、私の書いたものを共感してくださる方がいたのも事実です。
割り切れない何がある?それってなんだろう?
そうやって考える自分がいるのも確かです。
そして、私のことを「少ない情報で犯人と自分を同一視するな!」とおっしゃられるなら
「啓発にコロリと引っかかる」という型にはめた発言は訂正していただきたいと思います。
だって、わたしのこと、この2つの記事でしかあなたは知らないんです。
女か男か、はたまた性別も分からない人に、それを言うのは野暮ってものです。
やっぱり、自分の独り善がりで文章を書いてしまいますと、なかなか客観的に立ち返れずにお互い苦労しますね。
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犯人が違う理由を言いだしても増田は投影し続けられるんだろうか。
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「人を殺せば刑務所に入って人生をリセット出来ると思ったこと。」
よく考えれば、刑務所に入ろうという発想はありませんでしたし…
ただ、「小学生から大学生の今まで、自分は何をやっても駄目だと感じていたこと。」
「そのことを考えると夜も眠れず苦しかったこと。」
この二点は確かに私の味わった挫折感によく似ているので、
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自分の人生の責任も、運命を変えるのも、残念ながら自分でしかない。
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その通りですね。自分の人生をどうやったら大切に出来るか、自分なりに模索している最中です。
ただし、ご自分の人生へ責任を取るのなら『この記事だって誰の責任も取らない。』のではなく、
やはり言ったという事実には責任を持たれたほうがいいと思います。
持てないのでしたら、それこそ私などに発信せずに匿名でやってください。
私は匿名という時点で、心苦しいですがあなたと同じ土俵には立てません。
この発言をすることで周りへかかる迷惑を考えた結果の匿名ですので、
その点に置いては私は自分の発言に責任を持とうと思っています。
◯自分は自分であるというただ一点で何よりも尊い。についてエントリーを書かれた方
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「こうやれば楽に生きられるかも」なんてものは何も書けないと思う
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そうですね。そんな素晴らしい答えがあったら私も悩んでいません。
どうかその考えることを大事にしてください。
とてもいい環境で育てたのですね。それはあなたの財産であり、誇りになると思います。
どうかその世界をつくってくださった人を大事にしてあげてください。
そうして、きちんと悩めるあなたなら、誰かのために手を伸ばすことが出来るでしょう。
うらやましい限りです。手探りでは、なかなか及ばないところも多く、歯がゆい日々です。
でも、どうか私みたいにこれがいいと決めつけて傲慢にならないでください。
きっと時と場合によって回答は常に変化してしまうでしょうから。
時々、休みつつ、問題に真摯に向き合っていくことが大事なんじゃないかと思う今日この頃です。
ということを受け入れ始めることが出来てきたように思います。
その「尊い」という感覚は、きっとあなたがおっしゃるように他者との間にしか見つけられないものです。
そして、時にものすごく得ることが難しい。
「自分を愛せないのに、どうして他人を愛せようか」ということです。
そして、これが未だに誰かの胸を打つのは、この言葉が響く人が確かにいる証のように感じます。
書いてくれてありがとう。私の考えるきっかけになってくれて、ありがとう。
きっと苦しい状況はすぐには変わらないけれど、起こしてもらえるのってすごく大きな力になる。
あなたの人生を曲げない範囲で、どうか他者を労ってあげてください。
私もあなたのようになりたいです。ほどほどを忘れずにね。
以上で追記は終わりです。誤字脱字はご愛嬌の範囲でお願いします。
そして、私の個人の思う所を書いたという点だけは、重ね重ねですが、どうかご了承願いたいです。
この一連の記事を書く前は私は魔法のような一発で解決する答えがあるんじゃないかと
心のどこかで思っていました。
でも、たくさんの意見に触れてそうじゃないと気づけた。
きっと、現状を少しでも良くするためには、どうすればいいか?
それを柔軟に考えていくのが大事なんじゃないかと思えました。
これが現時点での結論です。
きっとまた四苦八苦して変えて、いかなくてはいけないのだと思います。
この投稿は、私の疑問の声であるという点を汲んで、少しでも考える機会になったら
これほど書いてよかったと思うことはありません。
長文、失礼いたしました。
『空き家に対する固定資産税が6倍になるせいで、市場に空き家が大量放出され、不動産市況が暴落する』
という飛ばし記事があった。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/157246
でも、「固定資産税が6倍になるのはわかっているケド、売りに出す手間が面倒だから、空き家のママ放置しよう」な家庭が案外多いと思う。
★自分の知っている人が、
「確定申告すれば税還付されるのはわかっていたが、忙しさにかまけて、手続しそこなった」と言ってた。
「面倒くさいから、経済的に有利な行動に踏み出さない」という人間は、実は結構多いと思う。
★政府は「固定資産税の6倍化が、空き家の有効利用のインセンティブになる」と思い込んでいるようだが、
「割と経済的に余裕のある家庭」だと、年間10万円程度負担増になっても、売却賃貸行動に踏み出さないのでは?
今相続で不動産を取得して、それを空き家化させている人は、50~60歳台の人が多い。
この世代は、割と正社員で恵まれた世代だから、そこそこの収入・資産がある。
バブル崩壊後の就職氷河期な30代以降だと『空き家にするなんて、勿体ない』となるが、
50代60代だと
『売りに出したり貸したりする手続きがメンドクサイ。手間かける割に実入りは少ないし・・・』
となる。
★というか、「空き家の大半が、スグに財産処分できる単独所有案件だ」と政府が思い込んでる気がする。
実際は、子供2人が相続して「共有状態」で、2人が話し合って合意しなければ売却も賃貸も出来ない、なケースが多数だろう。
酷い場合には、
『相続は発生したものの、遺産分割協議が整わないままズルズル空き家が続いていたり』とか、
『相続人のうち1人が認知症で、全く相続手続きに取り掛かれない、そのまま空き家化』のようなケースも。
「空き家のうち、単独所有案件は何割か?共有案件は何割か?そもそも所有権未確定案件は何割か?」を至急調査すべきだと思う。
★そもそも「空き家対策特別措置法」を万能薬のように錯覚させる報道がミスリード。
「特定空家」の認定作業がスムーズに進むと考えるのが非現実的。
第一、行政に空家認定作業をするマンパワーがどれだけあるのか?
仮に空き家認定作業を行っても、実際に指定を通知した時点で猛反発を喰らうと思う。
『これは空き家じゃない、たまに長男が帰ってきて、風を通している、荷物も少し置いている』と反論され、最悪は訴訟沙汰に。
訴訟覚悟で、特定空家認定作業を進める、ハラの坐った自治体が、そんんあにあるとは思えない。
結局、法律は作ったものの、実効性が発揮されない幽霊法律に終わってしまう公算大。
★だから、
「空き家対策特別措置法の施行に合わせ、市中の空き家が大量放出される」な日刊ゲンダイのストーリーは、
全くもってナンセンス。
ファーストリテイリングの会長のインタビュー記事をよんだ。
時代はグローバル化だ、そうだ。そもそもグローバル化ってなんだろう。辞書的な意味は、国家なんかの垣根をこえて自由に経済しましょう、ということだろう。境界の無視/自由という語感から、慣習からの脱却(年功序列、必ず問屋を通す?みたいな)と同一視されているかもしれない。昔にはやったデータマイニング、ちょっと前にはやったクラウド、そして旬なビッグデータと同じでバズワードじゃね、と個人的には思う。
意味も定義もよく分からないが刺激的で万能薬みたいな効果がありそうな単語を流行らせ、その単語を冠した商品を買わせよう、というやつだ。グローバル化も、そのグローバル化を声高に叫んでいるひとたちが得するわけで、その賛同者や感化されたひとが得するわけじゃない、構造はネズミ講と同じだと思っている。親とそのすぐ下の子ぐらいまでは儲けがあるじゃね、的な。
まあ、それは横道で。
年齢を問わずに実力でひとを評価しよう、と言っていた。うん、慣習からの脱却だね、年功序列の否定。でも、同じ口で、25ぐらいまでに基本的な考えをまとめて、努力を重ねて35ぐらいまでに執行役員に・・・という。これと同じ言葉を知っている。「吾れ十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず・・・」孔子というひとの言葉だとすれば、15歳で学を志そう、と基本的な考えをまとめ、努力して30で学の分野で責任を取れるようになった、と。たぶん、そんな感じ。とてもファジー。や、すごいね、旧弊だという儒教的な価値観のほうがそのひとの価値をバッサリと切り捨てる年の頃がずいぶん早い、ただ努力にかかる時間は長いよね。
親を敬え、という儒教的な価値観に根付いた年功序列とかを破壊したいひとの口から儒教的な価値観に縛られた言葉がでてくる。それは、そもそもの話として慣習というのは弊害がありながらも価値があるということか、人間ていうのはどんなに聡明でも「信じたいものだけが存在し、信じられないものは存在しない」という枠から完全に脱することはできないのか、どっちだろう。
最後。
よく破壊なくして創造なし、とかいうけど、新しいものを創造したらそれに噛みあわない既存が壊されるだけであって、既存の破壊の理由に創造を付けたら、それはただの破壊だよね、何も生まないし、だれも得しない。
先日読んだ本の中で、ある薬が紹介されていました。
その薬は特定の病気を治すためではなく、体の機能を高めることでいろんな病気を予防・治療するためのものだそうです。
日本人の三大死因であるガン・心筋梗塞・脳卒中の全てに効果があるし、免疫力が向上し感染症などにもかかりにくくなります。
体の病気だけではなく精神病にも有効で、特に鬱病に対しては一般的な抗鬱剤の効果にも引けを取りません。
骨や筋肉も強くなるので、怪我をしにくく、年をとっても元気に暮らせます。
まるで万能薬です。
さらにすばらしいことに、この万能薬には深刻な副作用がほとんどありません。
服用直後は思考力の低下や疲労感などがありますが、いずれも短期的なものです。
用法・用量さえ間違わなければ長期的な副作用は皆無です。
そのうえ誰にでも効果があるという、夢の様な薬なのです。
この薬の存在や効果は昔からある程度知られてはいましたが、一般的な薬と比べて効果を証明するのが難しかったので、最近まであまり重要視されていませんでした。
しかし今では研究が進み、その効果が年々知られるようになってきています。
本当にそんな薬があるなら誰でも使いたいと思うでしょうが、しかしまだまだその効果を知らない人が多く、意外と普及していません。
この文章を読んだ人はぜひ使ってみてほしいと思います。
元増田に限らず老人福祉を削れば若者が得をするという思い込みがネット(はてな村?)で多いように思う。そうすれば結局自分が親の老後の面倒見る私的負担が増えたり遺産が減って結局楽にならないし、財政再建したって国内から借りてるから結局現時点での貯蓄を削るだけで将来楽になるなんてことはないんだけど。
「希望を捨てる勇気」とか「万能薬はない」みたいな違憲に賛同しつつ、規制緩和や財政再建が万能薬でこれを実行すればよくなるかのような希望を持つ馬鹿が後を絶たない。そろそろ政策をどう変えようが自分の生活は楽にならないと認識するべきだろうに。
http://anond.hatelabo.jp/20100621194920
Firstly let me congratulate your acquisition of a PhD. You have done something that most of us never can.
Considering how successful you are in academia, I believe some people were jealous and picked on your Japanese accents and unsociable sides. I can't blame them, however, to think how daring your feat seemed to them. Let alone receiving a PhD, a good number of us can't even hope to receive a bachelor's degree, not even in our dreams.
And doing so in a foreign country? In a foreign language? That's beyond our imagination.
You have climbed a peak that many others have failed.
If you are still unsure about your sense of humor and accents, maybe you should spend some time traveling and having fun: Normally dry sober days of studying does not improve your communication skills much.
Just have some fun with friends and you will pick up their accents eventually. The rest will be easy.
現実問題として語学の習得に掛かる時間は相当なものでしょうね。
大体人間が普段使う単語数は25k前後と聞きましたが、教養のある人はこれが40K以上になる筈です。一単語につき意味は一つではありませんから、一つの言語の完璧な習得に必要な時間は、莫大なものとなります。
私の体感では、才能のない人が大人成ってから始めれば、フルタイムで8年から12年でしょうか(音楽なんかやってる人は早いみたいですよ。あと話し好きの方)?
英語は確かに必要なんですが、習得に必要とされるリソースの量に対して、リターンが微妙なのは事実です。私は勉強しなかった方ですが、それでも「今まで英語に使ったリソースを全て他の分野に投資出来ていたら、人生ここまで酷く成ってないかなぁ~」と思うことは多々有ります。
一部の人達の間に英語学習を万能薬のように扱う傾向があるようですが、現実に十分な量のリソースを学習に使えない(金銭的、時間的、環境的、或いは精神的理由から)私達の様な人間にとって「英語は勉強しても(自分の英語力が)リターンが発生する閾値に到達しないので、時間とお金の無駄」なんですよね・・・。
子供は6歳前後から[b]ある一定以上の時間、品質の良い英語教育[/b]を施せば、おそらくは違和感なくバイリンガルになるでしょうが、現実には費用と人材の欠如が深刻で、日本でその様な教育を受けられる子供は殆どいません。またそのような教育制度の導入に必要な金額、現在教職についておられる方々の抵抗を考えるに、公立の学校でのサービスの提供は不可能でしょう。
グローバル化に適応するためには英語は確かに絶対必要なんですが、「明らかに習得が(諸々の事情から)出来ないであろう人達に英語学習を勧めるのは国の長期戦略としては正しくでも、短期的には彼らをWORKING POOR ならぬ LEARNING TO BE POORしてしまう可能性は十分あるので、もっと英語学習を勧めるだけではなく、リスクの説明がなされるべきなのかもしれません。
リフレが話題になると、「フリーランチはない」「銀の弾丸はない」とかいうのに規制緩和や財政再建のときは一切そういうこと言わない。本人はわかってていってるのかどうかが気になる。インフレ目標が万能薬じゃないのはわかるし、万能薬じゃないからするなって事なら、規制緩和や財政再建だって同じことが言えるんだから構造改革を主張するのもやめるべきだろうに。でも金融緩和は完璧な根拠がないならやるべきじゃないけど、規制緩和や財政再建については完璧な根拠がなくてもやっていいとか思ってるんだろうな。「国債の日銀引き受けは学会のコンセンサスないからやるべきでない」という意見のほとんどは「1%以下のインフレ率・デフレ時の利上げ」について学会のコンセンサスがあったかどうかについてはスルーしそう。日銀は経済学者の意見と無関係に行動していいが、日銀批判をする国民は経済学者の言いつけどおりに振舞わないといけないってのも納得いかないけど。
冷静に読んだらどう見てもオカシイ、うさんくさい内容であるのを信じてしまう人というのが世の中にはおりますが、
場合によっては、「この健康食品は癌に効く万能薬だと宣伝されている場合もある」という、只単にそう宣伝されている旨が記述されているだけで、
そういった効果を持っているという記述は一切!無い場合にも、
『権威ある人が「この健康食品は癌に効く万能薬だと宣伝されている場合もある」と書いているんだから、この健康食品が癌に効く場合もあるってことですよね』
と自分の都合の良いように解釈する強者も世の中にいたのであった。
ホント凄いよ。どうすればそんな曲解ができるんだ…。そりゃニセモン商売が廃れないわけだよ。
嘘かもしれないけど信じたい、それ程必死である人は、私はもうそっとしておくけど、
どう考えても嘘っぽいのを、「これは●●に効く」という言質をとりたいがために(そして効かなかったときに「あの人が効くって言った」と言いふらして
人のせいにしたいがために)、人に「これって●●に効くんでしょ?効くよね?」と
押しつけがましく聞いてくる奴がウザイ。
よくネットでもリアルでもすぐに人を「頭が悪い」と罵る人がいるけどあれってどうなんだろう?
ちょっと拡大解釈しすぎなんじゃないだろうか?
人にはさまざまな長所や短所があるけどそれをなんでもかんでも「頭がいい」「頭が悪い」に集約してしまうようなひともけっこういると思う
例えば「優しい」なら
他人に優しくするということは頭がいい
他人に優しくするなんて頭が悪い
こういう言い回し
こういう文章になって現れるまでにロジックがあって結果頭がいい・悪いという結論に達したのだろうし
それについては正しいとか間違っているとかいうつもりもないけど
「頭がいいと思われたい」という意志が強ければ強いほど遠回りしてでもそこにたどり着けるということ
またそういう人があまりに多いように思う
頭のよさにもいろいろあってぱっと思いついたものを挙げるだけでも
記憶力が良い、ものごとを客観視できる、頭の回転が速い、要領がいい、観察力がある、思慮深い などなど
あちらを立てればこちらが立たないというものもあるし
たまにチートな例外がいるけどそれはごく少数だというのは同意してもらえると思う
その数ある頭の良さ中から自分にとって有利な能力だけを価値のあるものとしたり
またどれか一つを持っているだけですべてを備えていると錯覚したりしてるんじゃないだろうか?
そこまでしてすがるほど頭の良さって価値のあるものなの?
個人的な意見を言うと無いと思う
頭の良さは優しさや強さと=でも価値を包括するものでもないし不等号が付く類のものでもなく完全に等価値だと思う
そしてあらゆる能力は長所と短所をあわせ持っていて基本的にはいいとこ取りはできないと思う
一方で完全に独立したものでもないとも思うけど
例えば「どうでもいい」という言葉を言うとき
その言葉が本来持つ意味以上の意味をのせて人を不愉快にさせた経験があると思う
それが感情だしそれは便利だしいいものだと思うけど誤解や混乱の原因にもなったりする
また言葉は順列ができるから完全に客観的に語るのは不可能に近い
すぐに目的を置き去りにして言葉遊びに陥る、論点がずれる、すり替わる
すぐに相手の批判の間を縫ったような何の信念もない理論にすがってしまう
言葉は本当に難しい
そういうときにそれ言葉が本来もつ意味について考えてみたりより発言の意図に忠実な言葉に翻訳してみるのもちょっとはすっきりしていいと思う
自分の頭の良さを言葉で証明しようと意地になるなんてくだらない
他にも価値のあるものはたくさんある自分が理解できる類のものだけではなく
それ自体の価値やその多様性をを理解したい、理解はできなくても認めてあげたい
意地を捨てて楽しい議論をしたい
そういう気持ちの現れです