よくネットでもリアルでもすぐに人を「頭が悪い」と罵る人がいるけどあれってどうなんだろう?
ちょっと拡大解釈しすぎなんじゃないだろうか?
人にはさまざまな長所や短所があるけどそれをなんでもかんでも「頭がいい」「頭が悪い」に集約してしまうようなひともけっこういると思う
例えば「優しい」なら
他人に優しくするということは頭がいい
他人に優しくするなんて頭が悪い
こういう言い回し
こういう文章になって現れるまでにロジックがあって結果頭がいい・悪いという結論に達したのだろうし
それについては正しいとか間違っているとかいうつもりもないけど
「頭がいいと思われたい」という意志が強ければ強いほど遠回りしてでもそこにたどり着けるということ
またそういう人があまりに多いように思う
頭のよさにもいろいろあってぱっと思いついたものを挙げるだけでも
記憶力が良い、ものごとを客観視できる、頭の回転が速い、要領がいい、観察力がある、思慮深い などなど
あちらを立てればこちらが立たないというものもあるし
たまにチートな例外がいるけどそれはごく少数だというのは同意してもらえると思う
その数ある頭の良さ中から自分にとって有利な能力だけを価値のあるものとしたり
またどれか一つを持っているだけですべてを備えていると錯覚したりしてるんじゃないだろうか?
そこまでしてすがるほど頭の良さって価値のあるものなの?
個人的な意見を言うと無いと思う
頭の良さは優しさや強さと=でも価値を包括するものでもないし不等号が付く類のものでもなく完全に等価値だと思う
そしてあらゆる能力は長所と短所をあわせ持っていて基本的にはいいとこ取りはできないと思う
一方で完全に独立したものでもないとも思うけど
例えば「どうでもいい」という言葉を言うとき
その言葉が本来持つ意味以上の意味をのせて人を不愉快にさせた経験があると思う
それが感情だしそれは便利だしいいものだと思うけど誤解や混乱の原因にもなったりする
また言葉は順列ができるから完全に客観的に語るのは不可能に近い
すぐに目的を置き去りにして言葉遊びに陥る、論点がずれる、すり替わる
すぐに相手の批判の間を縫ったような何の信念もない理論にすがってしまう
言葉は本当に難しい
そういうときにそれ言葉が本来もつ意味について考えてみたりより発言の意図に忠実な言葉に翻訳してみるのもちょっとはすっきりしていいと思う
自分の頭の良さを言葉で証明しようと意地になるなんてくだらない
他にも価値のあるものはたくさんある自分が理解できる類のものだけではなく
それ自体の価値やその多様性をを理解したい、理解はできなくても認めてあげたい
意地を捨てて楽しい議論をしたい
そういう気持ちの現れです
これを読んだ大半の人は、「うわこいつ頭悪そう」と思う可能性は高い。