はてなキーワード: ブロガーとは
週末の借金玉氏(id:syakkin_dama)のエントリやそれを受けて書かれたわかり手氏(id:ganbarezinrui)のエントリ、http://anond.hatelabo.jp/20170227005158 あたりのブコメとか読んでいて、随分と世知辛いねえ、と思ったのだけれど、良い場所が無いので増田にこれを書いている。たぶん超長い。
俺はタイトルに書いてあるようにADHD(診断済み)だ。典型的な注意欠陥・多動性が認められ、一方でASDの症状はゼロという純正ADHDマンである。なので先のお二方のエントリは全力で泣きながら、共感しすぎてヘドバン状態で読んだ。でもわからない人には何が「なので」なのか本気でわからないんだと思うし、それで正常なんだろうということも理解している。
んで、一般的なIT関連の企業で管理職をやっている。それなりに多様な部下もいる。業界的にブラックな香りがするWeb開発関連の仕事だけれど、自慢じゃないがだいたいニコニコ定時上がり、サブロク遵守、月間平均時間外は毎月20時間以内に抑えることに成功しているスーパーホワイト課である。一点ウソついた。これは自慢である。
俺はこういう属性の人間なので、自分自身のことを照らし合わせて借金玉氏の主張は痛いほどわかるし、このような性質の人がいることを十分に評価、理解した上で全体的な労働条件の改善に努めたいと日々考えている。残業含め労働時間は減らしていきたいとも思うし、人の個性や多様性への対応と労働条件の改善は両立し得ると信じているので、ADHDの人のぼやきをイコール残業問題に結びつけて批判するのはあまりに極論に過ぎるというか、違和感を感じてしまう。皆がそれぞれのフレンズのすごいところを理解し合えるやさしい世界になれば良いのに。
そもそも、俺なんかは借金玉氏の記事を読んで「お前は俺か」状態になる性質であるものの、何とか自分を飼いならして社会をサバイブできている時点で生物として人より劣っているとは思っていないし、仕事も(やり方やプロセスにクセはあるのかもしれないが)たぶん人並みにはできる。つまり、おそらく自分は弱者ではないし、どちらかと言うと強者の側に所属していると認識している。id:p_shirokuma先生的に言えば「よく発達した発達障害」ということになるのだろう。もっともADHDと言っても程度の違いがあるのかもしれないし、ただ単に俺は運が良かっただけなのかもしれない。普通の人だって大小あれど皆それぞれモチベーションのムラとかはあるわけで、ブコメに付いた「ADHDマン=無能」、「世の中は正常と異常の二者択一」、「席を空けて退場するべし」みたいな言説を見るとヤバさしか感じないし日本大丈夫か?と思う。こういう「性質」の人が少なからずいることを正しく理解した上で適材適所の人材活用を目指すべきだし、だいたいからして発達「障害」という言葉自体が良くないんじゃなかろうかと思わざるを得ない。
自分語りが目的ではないのであくまでモデルケースとして。ちなみに年は先の方々よりたぶんちょい上くらい。
端的に言って俺は相当に運が良く、理解者のおかげで生きていられる。上司は何度も変わっているが、往々にしておもしろ重視の管理者とは相性が良く、労働集約型のマネジメントをするタイプの管理者とは相性が悪かった。
で、自分自身がこういう人間なので、定時内にピークタイムを持ってくることができない問題についてはフレキシブルに対応したいと考えている。
今後ありたい姿を考える前提として、俺の職場は現状こんなふうになっている。
基本は定時勤務だが、企画関連などの職務については裁量労働制も存在している。とは言え、裁量労働は会社側の論理で不当労働の温床になりがちなので、ホワイト企業的には定時勤務できちんとタイムマネジメントして、時間外が出たら残業代はきちんと払うよ、という当たり前の考え方を推進している。
ただし、職種的に均等な業務が苦手な人もいるので、カミングアウトしている人については個別対応もあり得る。当然ながら他のメンバーから「なんであいつ日中フリーズしてんの」みたいな白い目で見られると職場の雰囲気が悪くなるし、本人の健康管理の問題もあるので十分な配慮と周囲の理解も必要。
先述の記事のブコメにもあったけど、多種多様な人材を活用して成果を最大化するのはマネジメントの責任だ。「9時17時で時計刻みに動けない奴は居ね」っていうのもマネジメント手法のひとつかも知らんが、少なくとも俺んとこはそういうふうにはしたくないと強く願う、つーか俺自身が生き残れない。んで、職場のスロースターターにはこんなふうに対応している。
自分の担当にもちょっと該当しそうなメンバーがいるのでこんな感じでやってるけど、今のところまあまあうまく回っている。むしろ一番の問題は自分なわけなんだが、時間外付かないマネージャーなんで帰れないときがあっても勘弁してつかあさい。「マネージャーがいると帰りづらい……」ってことなら考えるけどウチのメンバーは俺がいても定時で容赦なく上がるので今んとこたぶん大丈夫。まあ、「あの無能上司、昼間フリーズしてて何もしてない……」と言われるとダメなやつなので、そうならないように自分自身も努力しなきゃならないけど、ある意味俺にとっての最大の生存戦略が「自分自身が管理者になる」だったかもしれないな。※もちろん、帰れる時は率先して帰ってるよ。
書いて読み返してみると、自分にとってはすごく一般的で普通のことしか書いてない気がするんだけど、先のホッテントリを見てて世間一般的に普通なのかどうかちょっと自信が無くなった。
よくスロースターターに対して「仕事は定型化するべし」「ルーチンで行動するべし」なんてアドバイスをするライフハックを見かけるんだが、本当の本気で大真面目にそれが体質的にできない人ってのがいるのよ。そして、そういう人がみんな無能かっていうと決してそんなことは無くて、そういう人が画期的なアイデアを出してきたり、ブレイクスルーを行うような機会ってのは実際に、ある。業務の種類や内容によっても正解は異なる。
繰り返すけど、出力にムラがあるなんてのは程度問題であって誰かしらあると思うんだよ。もちろん、定常定時に常に安定して均等なパフォーマンスを出せる人を尊敬するし、評価も高くなることに疑いは無い。でも「無能滅ぶべし」「健常者だけ揃えれば万事解決」みたいなことを言ってる人たち、本気か?はてなでそこそこホッテントリ取ってるブロガーでも「生産性の低さを一生懸命努力でカバーするのは結構だが、出来れば職場の外でやって頂きたい。」なんてツイートしてたりする人がいて、なんつーかこう地獄感しかない。
そりゃあ、安定マンのみでチームを構成できればラッキーかもしれんけど、世の中そううまくはいかないよ。どこも人材不足だ、いろんな人がいて、いろんな個性と悩みがあって、いろんな仕組みがあってその中で一番いいパフォーマンスと一番いい労働条件の両立を目指しましょうね、がマトモな議論なんじゃないのか。残業については言っていることはたぶん普通の人と同じだ。ただ、理解を深めて個人別最適な対応ができるようにしたいですね、長期的視点で皆にチャンスがあるようにしたいねと言っている。
何もポリコレ棒を持ち出してくるまでもなく、何も皆が必ず同じ時間軸評価軸で同じ定型定性で判断されるような職場がハッピーなわけではないし、単純に、多様性を認めない職場で働くのは俺は嫌だし、多様性を認めるための努力は惜しみたくないと考えている。けものは居てものけものはいないんだぜ。
そんな感じ。
最近はてなブログを始めたんだけど、はてなブログってコメント機能(ブコメではなく)は、あまり使わない感じなんですか?
いろんな人のブログを読んでると色々感想が出てくるのでコメントを書こうと思うんですが、あまりにもコメントという機能自体を使っている人が少ない(というかいない?)ので、そういう不文律でもあるのかなと不安になりました。
それにコメントがあんまりされないブログに毎回自分のコメントだけがあるのって変に見えるかなとか。色々。
それが「ブコメで書くからあまり使わないだけ」なら良いんですが、「ブコメに書いた方がブックマークついて貢献すんだろぉがぁ!」とかそういう事があるなら教えて欲しいなと。
どうなんでしょう?
①読者を選んで書いてます
その選んだ読者がどの層なのか聞いてみたいものです。その読者がついてますか?
あなたの文章を好んでの登録なのでしょうか?それとも互助的なものなのでしょうか?はたまた私生活を切り売りしたあなたを消費対象としての登録してくれた読者ですかね?
見つけてもらえたらいいですね、そのトリガー。
こんな事言う人の文章って最初の数行で目が滑って、その渾身のトリガーが見つけられないのが難点なんですけどね。
じゃあ、その人にだけ書いて見せればいいんじゃないでしょうか?新着で上がるたびにため息が出てしまいます・・また更新してるのかって。
(あなただけじゃないので、それが面倒になって登録解除させて頂きました。すみません、マジ限界でした)
大事ですね、情熱。でも情熱だけじゃどうにもならなくて教室とか通ってたりしませんか?
書くテクニックとかあると思うんですよ。でもそこに拘ってるということはご自分の才能の無さを誤魔化してませんか。
人って現実を見るのが怖いと思います。そして知る事が怖い。そう人の心を動かせない自分の文才とか。
自分は普通と違って狂ってる感を出してるつもりでしょうがハッキリ申し上げて普通です。
まるでガムみたいな中身です。
最初だけ味がするけど時間が経てば旨味も何もない。そして次が幾らでもあるしこの人の文章っていう個性がないです。
総合すると薄いんですね。そして現実の大事な事だったり本当の願いから逃げているのがぼんやり分かる感じがします。
自分の頭で30秒もろくすっぽかんがえてもいないゴミゴミクズのくせに、
脊髄反射で自分にとって心地いい方向に他人を捻じ曲げようとするサイコパスっぷりを発揮しつつ、
言語化した自分によって自省することなしに絶頂に達してるとこなんですよ。
そこから進化して自分にとって心地いい方向に他人を捻じ曲げるために
知識や屁理屈や、統計を元にして相関から因果関係を導く誤誘導などで誤魔化すクズことはてなブロガーの記事を見て、
自分にとって心地よけりゃ同意してそれが結論であるかのように思い込むし、
自分にとって心地悪けりゃ殺す勢いで否定しまくってスッキリするし、
おまえ情報を得てなんにも変化する気ねぇなら意味ねぇから死ねよという感想しか湧かないんですよね。
自省したことのないクズは自分の発言がどういうところから出てくるのか考えたこともないのだとよくわかるな
しかもなぜか俺が捻じ曲げられる側の人間に違いないという脳内妄想全力で振りかぶっちゃう論理性のなさね
他人に影響を与えようとしてないならどうぞさっさと非公開にしてくださいね
他人のコメント見たらそれが全部他人の意見を捻じ曲げるためだと判断するとかどんだけ感受性豊かなんだ
「私はコメントを見たらそれがすべて他人の意見を捻じ曲げるためだと判断している」とはどこにも書いてないんですが。
論理性がないアホは脊髄反射でコメントするから命題を踏まえた意見を述べられないんだとよくわかるな。
ネット上の意見なんて指向性ないもの腐るほどあるし
はてブの話をしてるんですけど?
30秒もろくすっぽかんがえてもいない脊髄反射でコメントして言語化した自分に酔って自省することなしに絶頂に達してるということや
こんなこと言うと懐古厨とか言われそうだが、20年前のWeb1.0の時代と比べて、明らかにインターネット世界の文章のレベルが落ちている。
具体名は書かないが、とあるメジャーとは言えないスポーツの日本代表決定戦が先日あり、その内容を解説したコラムが某スポーツ系雑誌の公式サイトに書かれていた。
執筆者はその世界ではよく知られたライターであり、その人らしい、洞察に富んだ、かと言って煽動的でもない、かつボリュームの水増しもない、良質なコラムだった。判を押したような定型リライト記事ばかりのキュレーションサイトや、イケハヤやちきりん等に代表される、無駄に煽動的な炎上狙いのブログサイトとは大違い。
「2000年前後までのインターネットは、個人サイトでこのレベルの記事を一杯見れたよね??」
今と違い、キュレーションのパクり元に出来る公式サイトも揃っていない。
何かについて書きたい場合は、少なくともテレビで映像を見るか現地でライブで見た上で、本屋とかに行って専門誌に目を通して不足分を補完しないといけなかった。または、知人からフォローしてもらうか。
そして、ブロードバンドなんてないから、記事は出来るだけコンパクトにしないといけない。1ページあたり100KB未満が限度ラインとされていた。水増しなんてもっての外。
勿論、執筆対象には強い思い入れも持ち合わせていた。そうでなければ書けないからだ。
Web1.0の時代は、これらの障壁をクリアした素人ライターが一杯いた。彼らは報酬を求めなかった。アクセス数と、掲示板の書き込み、ゲストブックの登録が増えることが報酬代りだった。
中には物理的な報酬を求める人も居るには居た。その代表例が、あのDeNA村田マリである。彼女はWeb1.0時代の異端児だった。
今、当時の素人ライターの人達よりレベルが高いプロのライターは何人居るのだろう?勿論、キュレーションに関わる1円ライターや、炎上ブロガーは比較の対象ですらない。
自分の手と足と目を駆使してネタを仕入れ、まとめ、想いを込めて発表する。これが出来てる記事の割合が激減したのが、今のインターネット上のテキスト達である。
はてブのホッテントリってログイン中のユーザーごとに表示される記事が違うって知ってた?
超最先端の技術力を持つはてなが開発した人工知能 “hatenAI” (ハテナイ)によって、各ユーザーのぶコメ動向を監視・解析し、そのユーザーが “かならずぶコメを付ける” 記事をユーザーごとにホッテントリ上位に表示させる。その解析の確度はかなり高く、おまえらが自分で選らんでつけているつもりのぶコメはすべてハテナイによって “ぶコメさせられている” ものであることに気付いている者は少ない。
ハテナイが巧妙なのは、単におまえがぶコメを付けそうな記事をホッテントリの上位から順番に並べていくのではなく、おまえのこれまでの動向から “おまえが必ずぶコメをつける配置” を算出し表示しているところだ。
おまえは普段、上からすべての記事にぶコメを付けるようなことはないはずだ。何か書きたくなるような記事が連続して並んでいてもすべてにコメを付けることはしない。上からタイトルを流して気になった記事を開き中身を読んで、再度ホッテントリに戻る。それを繰り返しながら、なんとなく書く気になった記事にコメを付ける。その時点でおまえは既に誘導されている。おまえがその記事にコメントを書きたくなったのは、その記事に対して決定的な何かがあったからではない。米国の政治情勢の記事のX個後に長時間労働に関する記事があったからであり、株式市場のまとめ記事を読んだあと英語習得法の記事を読んだあとにJASRACの記事を開いたからであり、それより前に “開いたけどなにもコメを付けなかった記事” がX個あったからであり、記事を開いたのがX月X日X時X分だったからであり、前回ぶコメを付けてからXX時間経っているからである。それらはすべてハテナイによって配置された、 “おまえが必ずぶコメをつける記事配置”なのだ。 つまりおまえはすべてをハテナイに誘導されている。本当はべつに書かなくてもいいぶコメをなぜか毎日書いてしまう、書かなくてもなにも困らないし書いたところで何も起こらないことを自分でも重々知っていながらどういうわけか毎日なにかしらのコメントを書いてしまう。
それはつまり、 “すべて書かされている” のだ。自分では無作為に書いているつもりでもすべてがハテナイによって誘導され書かされている。
おまえらが無償にもかかわらずせっせとぶコメに勤しむことによってはてなには広告収益が入るのだから、つまりはおまえははてなの業務をこなしているのも同じだ。おまえはとっくの昔にはてなの奴隷となりはてなのために無償で労働をさせられているのだ。はっきりいって、おまえらは他人の長時間労働や、キュレーションメディアの質、炎上ブロガーのことなど気にしている場合ではない。その瞬間すらもおまえらははてなに搾取されているのだ。
目を覚ませ。おまえはすでにマトリックスの中にいるんだっちゃ。
はてブ新着に毎日数件、泡沫ブロガーの「ブログ運営報告!」というクソエントリがあがる。
ブクマする価値もないのに新着にあがるってことは、互いに助け合ってブクマしてるのね。
アフィ小銭得るのに必死なんだね。
互助会ブロガーにありがちな個人的ランキング、00年代までならテキストサイトの名残溢れる牧歌的な内容だったし、自分の趣味を伝えようと躍起なので門外漢でも興味を持って読める内容だった。それは書き手が少ないから、必然的に自分の趣味に熱量のある人しか書かなかったからだろう。
今は別に「検索に引っかかりやすそう」「多くの人が話題にしてくれそう」が狙いのランキングしかなく、また大して興味もないのだろうからありふれた内容にしかならない。そして全然興味がないから簡単コメントしかつけない。一昔前のニュースサイトか。多少入れた些細なジョークもラーメンにふりかけた胡椒くらいにしかなってない。
だからもう、羅列型でやるくらいだったら「1位」に選んだものだけの愛情やらなんやらを具体的に読みたいのよ。ストレートな好意でもいいし、なんかものすごく偏った欲望でもいいし。100人いたら100人はだいたい理解できるような感想とか考えはどうでも良い。テンプレうんこコメントランキング作るのだってテンプレでも20分はかかるでしょ。同じ20分かけるなら、もうちょっと自分の中身を掘り下げることをしてくれ。そうじゃないとこいつはとにかくこいつは安くて雑な油で揚げてなおかつカッチカチに冷えた半額の天ぷらを「半額だー」という人間の買った天ぷらが入ったプラ容器からこぼれ落ちた天かすを拾ってご飯にかけて食べているような貧困未満のかわいそうな人としか思えないし、テキストいう文化的なことに対して(アフィリエイトとは言え)生じた金が文化貢献とかではなくかわいそうな人達へ小銭投げてやるような行為にしか思えなくなって、人生に対してうるおいが一瞬で乾く。書き手として、先生に習ったとおりに一生懸命書いたテンプレ記事が、物乞いレベルの小銭拾いでいいのか。そんな貧しいものよりも、ヘッタクソでもいい。個人的で、歪んでて、貧しい自分の文化資本と対峙してて、それでもなおかつ引きずり出したボロボロの個人的なテキストのほうが物乞い小銭拾いよいも100倍価値はあるはず。面白いかどうかは知らないけど。でもテンプレうんこテキストも面白くないんだから、文章力アップしそうなほうがええやろ。
要するに、多少は書き手の意志が存在しているようには思えるものが読みたい。まあ、それでアクセスなんて稼げないだろうけど、アクセスアップは先生から習った炎上タイトル法でなんとかすればいいでしょ。
いやでももうランキングに限らずテンプレで書いちゃうのは書がないよな。別にテキストを書きたい欲求が強くて書いてるというよりは、小金を稼ぐために書き物の練習をしているのだろうから。拙い習作を褒めあってモチベーション維持することは大事だよね。どんだけ継続するか知らんけど。
マンガにしろ音楽にしろ小説にしろテレビにしろ、歴史的な背景を踏まえるほどの知識もなく、技術論もわからず、過度の愛情をいだいているわけでもないんだから、そうやって自身を含めた大衆のおもねったテンプレ記事を量産するくらいしか練習するすべはないよな。ほとんどテンプレなので、サロンとかブログ講座みたいなものがどういう講習をしているのかだいたいわかってしまう。ほぼ悪の商売だ。エロ詐欺・高額バイト詐欺と同質で、習ってるやつの防犯意識について考えると辛い気持ちになる。
何か月も前の記事に何足繁く通ってくるんだろうと思ったら、ねねっち関連で
いやADHDとの関連性でねねっち書いたんだけど、今では2chまとめとかの影響もあってか
ねねっちといえばADHDが広く知れ渡る事になってた訳よ。
という事でか、聖地巡礼みたく参られてるのかもしれない。
アクセス分析するとウチのブログに訪れてる人の多くがねねっちのADHD関連だったのが分かってる。
でもグーグルに問い合わせて候補から外して貰うって手もありなんだけど、それはそれで使いたくない。
別にブクマ数が10超えてるでもスターが沢山つけられてるでもどこかのブログに言及されてるでもないからね。
それってタイトルはともかく内容は同意に足らなかった証拠だと思うのよ。
けど、考え方を変えると何か月も前の記事を毎月か毎週かまとめブログを通じて来てくれるんなら、ある意味ブロガーにしてみれば嬉しい話だものね。