はてなキーワード: カメラマンとは
結局、鈴木達朗個人や富士フイルム一社の問題ではなく、写真家界が腐りきってるという話だな。以下は2年前の『アサヒカメラ』の記事だが、
https://dot.asahi.com/dot/2018071300077.html
https://dot.asahi.com/dot/2018071300083.html
https://dot.asahi.com/dot/2018072500097.html
「肖像権意識や法律・条例を守ろうという遵法意識は大いに結構だが」だの「「ゆがんだ正義」の存在が浮かび上がってくる」だの、書きぶりのひどいことひどいこと。参加してるカメラマンは、「人の家をのぞき見したわけじゃないけど、僕は彼女に気づかれないように隠れて撮ったから、「盗撮」ということになるでしょうね。僕は肌着姿が面白かったわけでもなく、あの当時にパックをしている女性を珍しいと思ってシャッターを切ったんです。」とか平然と書いてるし。
twitterでのカメラ愛好家が、ストレートに鈴木達朗を擁護するか、「あの手法は自分は取らないが、問題提起としての意義がどうこう」みたいなムニャムニャした書きぶりかで、「鈴木は前から写真界隈の面汚しだった」みたいに書いてるやつが全然いなかったのもよく分かるわ。撮る権利は何より優先すると心から思ってるやつとか、師匠筋に当たる写真家が迷惑スナップ野郎だから批判を言えないやつとかばっかなんじゃねえか。
富士フィルムPR動画の炎上したカメラマンの人、本人の風貌が与える影響は小さくないよね…じゃあイケメンならあの撮影方法でもあからさまに背けられたりしないのか?と色々あてはめてたんだけど。誰だろうがある程度同じように、は?邪魔?なに突然?カメラ?え?キモ、となるよなと思ったのだ。
例えば、東出は…ダメだデカすぎる。蛭子さんは論外だ、笑われるか小突き回されるか蹴られるか。佐藤健やあるいはジャニーズにモロモロといそうなタイプのイケメンだと割と平気そう、というか少女マンガの世界だと恋が始まったりするやつ、そのマンガ原作の青春映画ができそう。
桐谷健太とか菅田将暉は…場所を選ばないとキャバ嬢の勧誘とかネットワークビジネスの集まりかと思われそう。山崎樹範とかは写真撮ってることにも気づかれないかもしれない。國村隼とかだと…巨匠?みたいに思うかもしれないし、阿部寛だとやはりデカすぎて意味が分からなくなりそう。逆に、撮影者が女性ならかなりハードルは下がりそうでもある。
と妄想をしてたら割と千差万別なイメージが浮かび、どんな風貌だろうが一定に「やだキモイ」または「きゃーうれしい」ともならないなと思った。あのカメラマンは、自分の風貌を活用し、威嚇的、盗撮的な方法をもって思わず目を背け不信と敵意をもつ人の街のスナップを撮る、という作風なのか。
疎外感がどうこうというより、とりあえず生きていくための仕事をせずに貧乏生活に甘んじているのが不思議。
私はそこらへんのフォトコンテストに応募してもほとんど入賞しないレベルの腕なので、アートで生きていこうとかいう夢は見ずに普通の仕事をして写真は趣味としてやっているわけだが、中途半端に腕とかセンスがあるばっかりに事実上無職みたいな生活を送っている人の気持ちが理解できない。
私と同業で、普通にサラリーマンをしながら趣味として写真をやって結構な確率でコンテストなどで入賞している人も何人か知っているが、そのぐらいの腕前でも、今の仕事を辞めてプロカメラマンになろうとするのは相当リスキーだと思う。それなのでそこそこの腕とセンスだけを頼りに生きていく人々の大胆さに驚き呆れるのだ。
貧乏でもアーティストとして生きる選択をした人に、それを否定するような言動はしたくないので、直接彼らの目に触れる可能性の高いSNSにはこういうことは書きたくなかった。
「で、何?」って言われちゃうと困るんだけど、自分は好きなことをやって生きるために生活に必要なお金を削るような生活はしたくないし、アーティストというのは作品を作ったりそれを展示したりするのにお金がかかるので、何か安定した収入源がないのにアートの仕事だけで生きようとする人を羨ましいと思う反面、生活のことを考えない無謀なバカだとも思ってしまう。
プロカメラマンとしてそれなりに儲かっていそうな人は、金になる仕事とやりたい仕事を明確に切り分けているように見える。食べていくためにアイドルとか商品の宣伝とか政治家の選挙ポスターとかを選り好みせずに撮り、カメラ雑誌には新発売のカメラやレンズなどのレビュー記事を書き、そうやって稼いだ金で自分の撮りたいものを撮りに行っているようだ。
それに引き換え中途半端なアーティストたちはやたらと暇らしく、生活の細々としたことを凄まじい頻度でSNSにアップしてくる。そんな時間があるなら副業でもやったら良いんじゃないかと思うんだが。「撮りたいものしか撮らない」「描きたいものしか描かない」とかいってると貧困まっしぐらだし、作品づくりをしながら生活するだけでもお金は出ていくんだから何かしろよと思う。
「プロ」と「中途半端なアーチスト」の違いは写真を撮ることそのものが好きかどうかなんですかねぇ。写真を撮ること自体が好きであれば被写体が何であれ楽しんで取り組めるかと。それでお金がもらえるのであれば一石二鳥って感じで。
先日、ニトリのCM(https://anond.hatelabo.jp/20200118002721)の増田が注目を集めていましたね。
今日は、増田を中心に様々な特殊性癖の世界について見ていきたいと思います。
なお、「特殊」は「多数派とは異なる」程度の意味で使っており、何か否定をするものではありません。
また、「性癖」の語は、以下、主に性的嗜好・性的指向の意味で使います。)
特殊性癖というと、ドラゴンカーセックスを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
たしかにインパクトはあるのですが、この増田(https://anond.hatelabo.jp/20180407080732)でも指摘されている通り、所詮は「棒と穴」の範疇であって、まだまだノーマル度が高いといわざるを得ません。
詳しくはググってください。
反社会性・非倫理性の高さ、実現可能性の無さがポイントでしょうか。
字面そのまんまです。
羞恥、スカ、肛門に分解すると特殊性はさほどでもありませんが、発想の飛躍が大きいです。
普及を図っている人が、「洗わず食べさせたいところだが、火を通さず食べられる根菜が少ないのが悩み」みたいなこと言ってますが、問題はそこなのでしょうか。
増田でもその存在は確認できます(https://anond.hatelabo.jp/20171104113614)。
「自分の異常な性癖を自覚して」(https://anond.hatelabo.jp/20080801004850)、
「動物の捕食シーンに性的興奮をおぼえる者として」(https://anond.hatelabo.jp/20190619174240)より。
(なお、一部のジャンルはhttps://dic.pixiv.net/a/%e7%95%b0%e5%b8%b8%e6%80%a7%e7%99%96で見ることができます。)
上記2増田もそうですが、特殊性癖の持ち主は、だいたい幼少期に何かしらの原体験があることが多く、大人になってから発見・発現するケースは少ないように思えます。
「何がえっちぃか」は社会によって規定される部分も大きく、それを身につける前だと性癖の自由度が高いのでしょうか。
乳幼児期に快・不快しかない感情は、成長に従って喜怒哀楽へと分化していきますが、その過程で性欲と別の何かがリンクするのかもしれません。
AVは、特殊性癖であっても、裸や挿入が関わってくることがほとんどなので、特殊性は薄れてしまいます。
しかし、監督・カメラマン・出演者などがいて、企画会議があって、売上の目標なんかを立てて撮影をして…というその経緯に想いをきたすと、なかなか趣深いものがあります。
未見ですが最後は挿入するようです。
ネタっぽく書かれたレビューを読みましたが、レビュワー名は「抜けてしまった」でした。
蛙女とか全眼女とか、人外・妖怪系にも一定の需要があるのでしょうか。
こちらの増田(https://anond.hatelabo.jp/20181217182153)より。
2が出ていることや、同じメーカーの「洗髪」が8まで出ていることから人気がうかがえます。
「人間になった人魚姫の裸を数十年間オカズにしている話」(https://anond.hatelabo.jp/20190417040130)より。
裸が介在する時点でアブノーマル度は下がりますが、人魚フォームではなく人間フォームに興奮しているところ、裸体の挿絵が減ったことに安堵しているところがポイントです。
続く
Web上の巨大な写真サークルに所属しているので、SNSの友達にやたらとアマチュア以上プロ未満みたいな写真家や画家がいる。
彼らがSNSにアップしてくる写真や作品を見ると確かに上手いとかセンス良いとか思うんだけど、でもこれで食べていけるのかと心配になる。
たぶんギャラリーをやっているような玄人筋には受けるんだろうけど、商業ベースには乗らないんじゃないかなと思う。
仮に自分が彼らの生活を救うために何か作品を買ってやれといわれても、せいぜいポストカードとか数千円レベルの写真集ぐらいしか買う気がしない。…というか、もっと名の売れた大御所写真家の写真集とか、いにしえの名作を集めた絵画展の図録とかでも出せる金額はそのぐらいだ。日本人のアートに対する感覚って普通その程度じゃないのかな。
プロカメラマンとしてそれなりに儲かっていそうな人は、金になる仕事とやりたい仕事を明確に切り分けているように見える。食べていくためにアイドルとか商品の宣伝とか政治家の選挙ポスターとかを選り好みせずに撮り、カメラ雑誌には新発売のカメラやレンズなどのレビュー記事を書き、そうやって稼いだ金で自分の撮りたいものを撮りに行っているようだ。
それに引き換え中途半端なアーティストたちはやたらと暇らしく、生活の細々としたことを凄まじい頻度でSNSにアップしてくる。そんな時間があるなら副業でもやったら良いんじゃないかと思うんだが。「撮りたいものしか撮らない」「描きたいものしか描かない」とかいってると貧困まっしぐらだし、作品づくりをしながら生活するだけでもお金は出ていくんだから何かしろよと思う。
そういう人々に作品発表の場を与えるために、一流企業を早期退職してギャラリーなどで彼らの作品展をやったり海外に作品を紹介したりする活動をやっている人も知っているが、それがどこまで成功しているのかは知らない。日本じゃ受けないけど海外では受ける人とか、万単位のお金を出してアート作品を買う文化が根付いている国で作品が売れる人は良いけど、結局芸術活動に専念しようとすると貧困に甘んじるしかない人々はある程度残っちゃうんじゃないかなぁと思う。
たとえ貧しくてもやりたいことをやって自由に生きる生活が羨ましくないといえば嘘になるが、自分の時間を切り売りしてやりたくない仕事をやってそれなりの給料を貰っている身としては「お前がワガママだから貧乏生活する羽目になるんだよ」と言いたくなる。せめて生活のためにとことんクライアントに媚びて、金になりそうな写真を撮ったり絵を描いたりすれば良いのにと思う。
フェミニズムの視点では「胸の大きい女性を転職情報のPRに起用する」のはまずいようだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yomogidango0909/status/1218363032004329478
上記のような意見を「本当のフェミニズムじゃない」と感じるとしたら、それは間違いである。
それどころか、現在の日本のフェミニズムの主流やアカデミズムの主張から必然的に導かれる結論である。
このような意見はいわゆる「性的モノ化」(あるいは性的客体化、対象化)の議論に立脚している。
フェミニズムを専門とする社会学者小宮友根と、宇崎ちゃん問題の時にイラスト付きで不適切さを分かりやすく解説していたふくろさんによる以下の記事を読んでみよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68864
性的な女性表象の持つ差別性は、フェミニズムの中では「性的客体化(sexual objectification:対象化やモノ化と訳されることも)」の悪さという観点から議論されてきました。
(中略)
たとえばポルノグラフィ批判で有名なキャサリン・マッキノンとアンドレア・ドウォーキンが繰り返し主張していたのは、ポルノは「わいせつ(性欲を刺激するもの)」だから悪いのではない、ということでした。マッキノンたちのポルノグラフィの定義には、女性が「人間性を奪われ」「辱めや苦痛を快楽とし」「性暴力によって快感をおぼえ」「特定の身体部部位に還元される」ような「性的な客体として提示されている」という項目が含まれています。要するに、女性を「性的な客体」として提示することが悪いと考えられているのです。
最初のツイートでの「女性や性的記号を利用してPRする」ことへの批判は、上記のように、女性を性的記号に還元するような悪さへの指摘として正当化できる。
なお、上記引用にもある通り「エロいから悪い」「胸が大きいから悪い」のではない、あくまでそれが表現の中で強調されるなどして、記号として利用されることがまずいのだ。
このように(ブコメでは散々な言われようだが)ツイートの批判は、実はフェミニズムとして至って正気の批判である。
ところが、そこにまずさがある。
フェミニズムがこのような批判を正気にし得るということは、フェミニズムは、時と場合によっては(件のPRのような)本人の意思に基づいた女性の行動や社会活動をも批判し得る、ということだ。
ここで一足飛びにフェミニズム批判に走ってはいけない、まずはそのような主張がどのようにして正当化されるのかを考えるべきだろう。
例えば仮に、件のPRの立案者からカメラマンからモデルに至るまで、すべて女性がやっていたとしても、フェミニズムはそれを批判する必要がある。
女性もミソジニーを持ちうるし、性的記号の不正利用も行える、レズビアンの場合を考えれば女性を性的に欲望し消費するケースもあることも分かるだろう。もちろん男性との共犯関係もあり得る。
行為者が女性であることで(男女の非対称性から)悪さを軽減することはできるかもしれないが、免除することはできない。
ここで問題になるのは主に以下の2つ。
1.女性イラストレーターや女性漫画家のような表現者が女性をモノ化して表象する場合の扱い
2.キャンペーンガールやグラビアアイドル、AV女優、風俗嬢等が、自身の身体を「性的な客体」に還元する場合の扱い
件のPRは2に該当する訳だが、その悪さはともに「性的モノ化」によって説明できる。
つまり表現であれ自分の身体であれ、女性を性的にモノ化、客体化することが悪いのだ。(※1)
ここで「1はともかく2は自分の身体、自分の意志でやってるんだからいいじゃないか」「被害者はいないじゃないか」と反論するならそれは間違いである。
直接的な被害者がいなければいいのであれば1も、宇崎ちゃんやその他のあらゆる表象も問題化できなくなってしまう。
問題は、モデルのいないイラストであれ、合意済みの女性自身の身体であれ、「女性」一般に対するイメージを歪めたり利用したり、モノ化できてしまう、その悪さなのである。
こう言い換えてもいいだろう、「女性」のイメージは女性全体の言わば共有財産なのであり、イラストも女性自身の身体もそれを傷付け得る。
例え女性個人が合意していたとしても、それ以外の合意していない女性へもダメージが波及するために、女性の身体を性的にモノ化することは許されないのだ。
従って、個々の女性の身体や女性の表象もまた、女性全体の共有財産だと言えるし、共有財産である限り、個々の女性が(集団の意に背いて)それを好き勝手にすることは許されない・批判される必要があるのだ。
このようにしてフェミニズムは、女性に対するある程度の自由の抑制や批判、そしてそれによる全体主義を正当化できる、できてしまう。
このようなフェミニズムの在り方に対して、フェミニズム自身による更新は難しい。
何故なら上記のような論理は「性的モノ化」のような基礎的な概念から論理的に導出できる以上、その更新はフェミニズム全体を大きく変えざるを得ないし、
その過程で、これまでのフェミニズムが批判しえていた(主に男性たちの)行為や現状を批判不能にせざるを得ないようなケースも出てくるだろう、そうしたことは、多くの女性やフェミニストにとって受け入れがたい。
あるいはアカデミズム側のみのマイナーな議論としてはそのような更新も期待できるかもしれないが、運動としてのフェミニズムにそれを輸入することは恐らく出来ないだろう。
例えば件のツイートに対しても、フェミニズムによる(その女性の身体を共有財産化する全体主義的な傾向に対しての)批判は期待できない、という事からもそれは分かる。
こうした問題を、フェミニズムはこれからも抱えていかざるを得ない。
そしてそこから目を逸らし続けないわけにはいかない、例えそれが欺瞞でも、解決する能力がない以上は。
いや神にも絵師にも限らず。
世にいる同人作家たち、どうか匿名でメッセージを送ることのできるツールの使い方について、今一度考えてくれ。
ここ数年、匿名で感想を送れるツールが大流行する一方で、匿名で送られる悪意あるメッセージを送る輩が大量に出現している。
なかには、悪意に晒され続けた結果、ジャンルから立ち去ったり、危機感、不安感でメンタルを正常に維持できずに作家であること自体をやめた人もいた。
その度に、返答のツイートや、作家の気持ちを綴ったツイートが拡散され、多くの人はコメントする。
「ひどい、こんなことを言う人がいるだなんて」「同人誌は趣味だから、作家に文句を言うべきではない」などなど…
うん、そうだね。私も思う。
なんなら、私の敬愛する神絵師に貴様なに晒しとんじゃワレ!!くらいは思うし奥歯もガタガタ言わせたい。
だって神作品を生み出す作家が、匿名の下らない逆恨みで筆を折ったらすごく悲しい。恨める先があるなら恨んでしまうと思う。
できるなら時を遡って、そいつが匿名くだらなメッセージを送るのを止めたい。
でも、それって無理なんだよね(当たり前体操
というか、そういう悪意のあるメッセージを回避することは匿名ツールを使っている以上はもう無理なんだと思う。
ここで例え話をしたい。
ひとつの会社があるとしよう。記事を書くところとから、印刷のデータまで、雑誌を作る会社。
その会社にいる人って、写真素材を集めるカメラマンさん、記事を書くライターさん、編集をするデザイナーさんだけだと思う?
そうではない、経理法務そのほか事務…お客様の対応するお仕事のひともいるはず。
「この記事すごく良かったです」「この記事は面白くなかったから、この系統の特集やめて」「なんだこの記事、ふざけてるのか?」「どこの書店にもないんだけど、この号はどこで入手できる?」など、いろんな声を聞く役職のひとがいるはずだ。
その人たちは「良かったという気持ちを伝えたい」から「より良い記事を求めている」、「二度と買わない」までいろんな気持ちを持っている。でも企業ですら、この声を選んで聞くことは叶わない。
さてさてお察しの方、話が早いな。
そう、この会社のすべて役職の仕事をこなしている(ようなもんな)のが同人作家なのだ。
ネタ出しから原稿して編集までやってなんなら告知も宣伝も頒布もぜんぶ自力でやってるのえらい!!
ただカスタマーセンター設置したらもうどうしても変な奴は来る!
オールタスク、オールセルフである同人活動においては、どうしても感想以外に通販のご相談やクレームなど届いてしまう!
前置きが長くなったが、ここまでの話でもう「悪意ある匿名メッセージは届いちゃうもの」であることは分かったと思うのでタイトルに戻ろう。
同人作家たち。どうか匿名メッセージはいっそのこと置かない、と選択できないか?
くだらないクレーム対応をするのが面倒くさいだとか、作業中にアドバイスメッセージが来ると凹むとか……悪意のあるメッセージを受けて、筆を折ってしまうとか……
悪意がなくても、中古で買いました、良かったです!友達に読ませてもらいました、良かったです!みたいな言葉にも傷ついて仕方ないとか
兎にも角、「匿名ツール」を利用することでストレスを感じて、メンタルを損なうおそれがあるなら、
リスクマネジメントとして、いっそ「置かない」を今一度検討してほしい。
これほど多く、匿名メッセージのせいで筆を折った作家がいるのだから、そろそろ「匿名で傷つけてくる奴がいるだなんて酷い!」だけじゃなく、同人作家側も「傷つくかもしれないリスク」があることを学習して、
自衛として匿名ツールを撤廃してみるのも、無しじゃないだろう。
長くなってしまい失礼。
最後になるけど、前述したとおり悪いのは悪意のあるメッセージをわざわざ匿名で送ってくる卑怯な輩だと思うので、そこは大前提にしておいてもらいたい。
それでは。読んでくれた人ありがとう。
まあ、ワナビだった。
声優なのか、ラノベ作家なのか、漫画家なのか、イラストレーターなのか、ゲームクリエイターなのか、カメラマンなのか、俳優なのか、映画監督なのか、そこはあえて言わないでおく。
そして、もう無理だとあきらめて、2年。そして今。
いわゆる障碍者になった。
でも生活保護で生きていくには欲が深かった。
その結果、一気に年収が上がった。
なんか、できることをそのまま履歴書に書いて、送り、そして就職活動した。
で、結果として、年収が倍に上がった。
200万行かない生活だったのが、400万になった。
納得いかない。夢を追ってるときにはあれだけ努力して、あれだけ報われなかったのに。
どういうことなのか。
理屈ではわかる。
でも、あんなに努力して結果が出ずに報われなかったのに、こんなに簡単だったのかと思った。
視野が狭かったのだ。
でもそうじゃなかった。
自分は社会のだれからも必要とされないクズの才能のない人間だ。替えなんかいくらでもいる一山いくらのゴミだと思っていた
しかし、自分のやってきたことに、前の競争から降りて別の人が値札を付けたらきちんとした値段が付いた。
ただ、視野が狭くて蛸壺の中でもがいてたのだ。
その事実が今は少しうれしい。
え~と、私も写真を趣味にしてそれなりの年数経つけど、元増田の意見に賛成の部分と反対の部分と両方ある。
今しゃかりきに写真を撮っている人々は、「上手い写真や完成度の高い写真を撮りたい」のではないと思う。自分が誰とどこに行って何をしたかを残すために写真を撮っているのだと思う。
元増田的価値観だと、プロかハイアマチュア以外は写真を撮る意味がないということになってしまう。が、SNSなどで絶景写真や美味しそうな食べ物写真を見たら私もそこに行ってみたい、同じものを食べてみたいと思う。そしてそれを証拠として自分のカメラやスマホに残したいと思う。
誰も彼もがSNSで自分の生活をさらけ出せる時代、どうしても写真は自己顕示欲を満たす手段になりやすい。「○○ちゃんと△△に行きました」「××を食べに行きました」と投稿するからには証拠写真は必須だ。
「プロが撮った方が上手い」「スマホより一眼レフの方が画質が良い」というのは皆分かっている。が、自分で撮って自分でアップすることに意義がある。本格的な機材を持っていて、それなりの腕の持ち主なら、自分の腕前を見せびらかしつつ、「イイネ!」を集めて自己顕示欲を満たすことも可能だ。
私は皆が立派なカメラを持ってきて三脚をずらっと並べているような場所は嫌いだが、それでもテレビなりネットなりで絶景スポットや美味しそうなお店を見ると「行ってみて写真を撮りたい!」と思ってしまう。そんなのプロの方が上手く撮れるに決まってるとか、食べ物を作ってくれた人に失礼だから撮影はほどほどにして早く食べろという理屈は分かる。現に食べ物を撮るときは納得いくものが撮れなくても2~3枚に止めている。
でも後でそれらのデータをパソコンに取り込んで眺めると、自分がすごい充実した生活を送っている気分になれて幸せである。写真の出来がまあまあだと思えばSNSにアップして、「イイネ!」が集まれば満足する。そういう人間を軽蔑する人々がいることは分かっているけど、そう簡単に足抜けできるものではない。
元増田の意見を見ていると、プロ志望のハイアマチュアカメラマンがSNSのない時代(コンテストなどに入賞する腕前でないと自分の作品を発表できない)に書いたもののように見える。そういう理屈もあるだろうし、撮影マナーとして、素人の写真なんかたかが知れてるんだから、皆が写真を撮りたい場所では撮影にこだわるのはほどほどにして早く他の人に譲れというのはありだと思うけど、時代を逆戻りすることはできないんじゃないかな。
で、囲み盗撮に遭遇した。
囲み撮影というのは、あまりにもコスプレ撮影のカメラマン待機列が長くなると、大勢で囲んで一気に撮影するというアレだ。
で囲んで撮影するわけだが、周囲を囲んでる前列があまりにも近い。したから明らかにスカートの中身を撮影している奴が多数いた。レイヤーさんはやめてといってもまるで収拾がつかない状況だった。外から状況を見ていて、こらあかんな、と判断し、周囲のスタッフを探した。だがここで問題が一つ。スタッフが見当たらない。大声でスタッフを呼ぶも、どこにもいない。他にしようがないので、全力疾走し、防災公園のコスプレ本部に報告し、状況を説明し、スタッフを件の囲み撮影の盗撮のところまで連れて行った。
その後の顛末はその場をすぐに離れたので知らない。遠くからみるとスタッフが迷惑撮影禁止の看板を高く掲げて警戒していたようだった。しかし、未だにあんな盗撮を堂々とする人間が多数いるのかと唖然としてしまった。
で、ここからが本題。
まず1番最初に頭をよぎったのは「見なかったことにしよう」だった。そこで、無理やり囲みの中に入っていって、無理やり盗撮をやめさせれば格好いいのだろうが、そんな度胸も腕力も持ち合わせてはいない。スタッフを呼ぶというのは、まあ及第点の対応だったのだろうかとは思う。しかし、盗撮連中は罰を受けずに明日も明後日も防災公園で撮影を続けるかもしれない。やっていたのは4-5人だが、少なくとも数人は犯罪者がゴロゴロいて、レイヤーさんが被害にあったことは間違いない。スタッフを呼ぼうにも、防災公園は広すぎてスタッフの数が足りてない。こういうときにどう対応すべきなのか、どうしたら予防できるのかよくわからない。盗撮屋の顔を動画撮影して警察に持っていくべきなのだろうか?