はてなキーワード: イコールとは
今年で四十歳になる自分だが今まで経験がないことを羅列していく
一人で新幹線に乗った事がない
飛行機に乗った事がない
パスポートの取り方も知らないし
鉄の塊が空を飛ぶなんて信用ならん
性行為をした事がない
自慰行為なら毎日するが、女性と淫部を擦り付けるなど考えただけで射精しそうだ。
勿論そういうお店も怖くて行けない。
二十歳からずっと実家暮らし。 今更家を出る理由もないから考えてないが、いつまでも親に家事をやらせているのも申し訳ない気もする。
アルバイトを二十年間ポツポツとやってきた
周りから取り残されているというか
世間一般の普通がとてもじゃないが普通に感じない。自分にとっちゃベリーハードだよ。
友達もいないし、休日にやる事と言えばアニメ見てバラエティ見てゲームしてジャンクフード食べて寝てるくらい。
家にいながら世の中のコンテンツを消費する日々
遥か彼方に消えていってしまって、何も言われないし自分には何にも期待されていない。
だから案外、無敵なのかもしれない。
別に結婚とか子供欲しいとかお金持ちになりたいなどというのは望んでないし、それがイコール
幸せだとも思わない。
ただ時折押し寄せる虚しさや寂しさ不安感、孤独感に押しつぶされて死んでしまうんじゃないかと思う日もある。
けど自分は頭が弱いからそれさえも忘れるというか、同じことを何回も繰り返しても、じゃあ向上心を持とうとか一切思わないわけで、
結局 何が言いたいのかも分からないわけで、
報道や各種メディア、個人が様々な媒体で伝えているこの事柄に対して、私個人のごく私的な見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、つらつら書いてみようと思う。
・検閲
今回発生した問題は検閲の問題ではない。現在紙面やネットで騒いでいる検閲という問題は、当事者の手を離れた部外者による場外乱闘であった。扇情的な展示に対して、権力を扱う不用意な政治家が、自制せず権利を侵害する発言を行ったことは大問題であるが、ここまでくるともはや展示云々ではなく、国家、自治体による権利侵害(の実行又は脅迫)という、大事な問題だが、別方向の問題として切り離して考えるべきで、後述する問題を覆い隠してしまうことになる。展示を取りやめたのは、大量の抗議や脅迫、犯罪予告により、芸術祭にかかわる方々の安全を確保できなくなったという状況に陥り、該当展示の実行委員会(実行キュレーター)の同意なしで中止に至ったという顛末と理解している。
芸術市場が大きい欧米諸国に対し、日本国は元々芸術品の売買に対して諸国のような減税優遇措置をとっておらず、バブル期を除き、民間のギャラリーを経由した売買や、流通操作で伝統工芸品を大型百貨店の展示場で、国内のみ通用する相場で販売する程度であったが、バブル期~90年代の大型公共投資の連続からハード面での地域振興策が資金、コンプライアンスの両面で実行が不可能になった自治体における「少額で、短期間で既存のインフラを活用でき負担が少なく、運が良ければ国際的な知名度を上げることができる。」ツールとして、この10年雨後の筍のように芸術祭が乱立する事態となった。そこでは、ノウハウのない自治体が、自称地域文化の担い手である新聞社に丸投げ、そこからコネ採用された力のないキュレーターは、自身の貧弱なコネクションで囲い込んだ微妙な作家しか呼べず、投下した税金の割に貧相な芸術祭になった場合。自治体が運悪く山師に金を預けてしまい、多額の不適切支出で泣き寝入りになった場合。など皆さんが思っている以上に税金を使用したイベントにはトラブルが多い。税金が投入されるイベントは前提条件として・補助金申請等の手続が煩雑・大小の自主規制や、地域ルールに縛られる・税金が原資なので、疲弊した財務状況の自治体では開催不能、批判を招く場合がある。税金は芸術より生活政策に資金が回されるのは当然である。所詮流行りの水物なのだが、皆さんが思っているより所謂コスパの良い地域振興策なのでなくならないだろう。
今回の問題では、アートと異なる展示がなされているという意見が多く出ているが、大きく表現の自由と括られる中でも、その自由の元に「どの媒体で」「どのような手段で」「どの程度の深度で」、成果物として表現しているかは人それぞれ、所属する社会により異なるという点。またアートは政治と不可分であるが、極端な扇情(アジ)を行わなくとも、その行為がそもそも自由を行使しなければ表現できない、自由で平和な状況でなければ創作活動はできず、人の創造性を発揮できない点が大前提であり、自由の中で個々人が世界との関わりの中で何らかの美醜混じった真理を見つけ、それを昇華したのがアートとすると、今も表に出ない問題の一つ、表現の自由を行使する媒体と手段の衝突という背景が見えてくる。
新聞社や論壇を中心とするジャーナリズムは、文字を用い、抽象化している諸概念を文章化し、権利と自由を、守り、啓蒙し、扇情したりするわけだが、小説などと異なり「直感的に察する/察させる」機能は弱く、相手を文字化、文脈という論理化してしまった問題に対し、「同意するか」「同意しないか」の二者択一を求めてしまう。そして問題となった展示は、実行委員会の多くが学者又はジャーナリズム出身という状況で、同じ表現の自由でも、性質が異なる表現を行ったことが原因にあり、一般市民が考える「アート」とイコールにならなかった。「これはアートではない」という声である。表現はしているが、アートではないと。
アーティストと名乗る作家にも問題がある、この「ステートメント芸術」と揶揄される表現は、業界に詳しくなれば詳しくなるほど根深く、呪いともいえる。
アートという行為、物質/空間/映像/音楽で意図が伝わるよう、意識を特定のベクトルへ向けるよう誘導し、表現しなければならない所なのだが、その実力がない作家の中に、延々とそれらしい説明文を付けて意味づけする行為や、文脈という補助要素を主要素に持って来て、実態だけを見ても理解不能となる。そのような作家は大体退場していくのだが、言葉が主戦場のジャーナリズム界隈と親和性が高いので、変な形で融合してしまうことがある。
「文脈を追うのが現代アートだ」という解釈の誕生である。一面では事実だが、全てではない。
ビジネスの世界でこの行為を言い換えた表現としては「ストーリー」という言葉がある、そしてこれを最大限活用した米国の企業、セラノスの末路は多くの人を巻き込み凄惨なものであった。
・何が問題だったのか
①監督が芸術キュレーターの経験がなく、自身の分野であるジャーナリズムの文脈で解釈した表現を、芸術祭にねじ込んだ為、酷く食傷を起こしてしまった。
②食傷を起こしてしまった後の対応が、構造を理解している人の不足で収まっていない。
①食傷を起こした理由は長々と書いた。経緯として自分たちが表現の自由の最前線で、他の作家は何も考えていない。ように捉えられてしまうキュレーション(自由の世界におけるジャーナリズムの優越性)をしてしまったのが原因にあると考える。結果、津田氏がFM番組で発言したように「自分一人ならナイフで刺されてもいい覚悟だが、関係のない人を闘争に巻き込んでしまった」という発言につながっている。
表現は自由であるから、闘争を持ち込むなとは言えないが、徹底的なゾーニングと仕掛(言語化できている主張表現に容易にアクセスできる導線を作る)ことが必要であった。言語化できている(と思われる)主張表現に対して、実態が追い付いていなかったのではないだろうか。
不特定多数の威圧行為は、少数で行う創作活動にとって凶悪な暴力であり、過去も多々あり、これからもなくならない。すべての事柄に寛容な社会など来ないし、永遠に付き合わなければならない。
②をわざわざ書いたのが、今回の騒動で最も被害を受けている、他の参加作家に対して謝罪と対策を行っているのかよくわからない状況だからである。
・誰が最も被害を受けたのか
昨日声明文を出さざる得ない状況に追い込まれた、他の参加作家である。それぞれの表現を深化させて今日を迎えているが、キュレーターがバランスを取らず、独自にプレイヤーとして創作活動を我田引水した結果。必要のない状況で、自身の作品を見てもらうという重要な事柄を達成されないまま原理原則論の確認や主張を行わされたのは、イベントの主催者として責任が重大である。表現の自由は大事だと言うに決まっている。また、作品を撤収せざる得ない状況に追い込まれた海外からの参加者に対して、展示機会を奪った結果になった事も忘れてならない。マスコミが何をキーヴィジュアルとして記事にするか理解して、扇情的な人形を配置しているのは明白で、記事を見た輩が抵抗/抗議を通り越して、挑発と解釈してしまった訳である。撤収した2人は、必要のない場面で・積極的に日本側の行為に抗議を行う・無視した場合に自国内で起きている扇情的民族主義の標的になることを避ける。2者択一の判断に迫られた。
昨日声明に協賛したのは参加作家全員でないだろう、検閲を受けたわけでもない、こういうキュレーターのミスによる騒動に対してのスタンスは作家ごとに異なるのは当然である。
・なぜここまで注目が集まったのか
芸術は本質的に生活必需品とは言えない。生活環境が改善し、可処分所得と余暇がある状況下で初めて人は関心を持つようになる。今の日本、問題は起きているが、ネットで百家争鳴する位この国は文化的に成熟しており、得体の知らない世界に関わりを持ちたい気持になったのは素晴らしいと思う。物事の全ては飛び込んでこそ妙が分かる。威圧や脅迫はださく醜悪である。そしてアートはこんな長文も飛び越えて一瞬であなたの感性に突き刺さる力を持っている。
上手い下手よりも完成度の高い絵のほうが伸びる。完成度が高いイコール見映えがいいのだ。見映えがいいイコール絵が上手いになるんだよ。全くそんなことを考えたことがなかった。これが「見る側」からの感覚なんだ。「描く側」からしか見えていないと、改善点がわからなくてつらいと思う。
自分には速度しかないとむちゃくちゃなまま(それでも最低限は保ってるつもりだったが前述した通り完成してるように見えない絵は下手のカテゴリに入れられる)絵をアップすることが多かったけど、それじゃあ当然のように欲しい結果なんて得られない。このことに気づけてよかった。
もちろん絵を描いている人で、なにも気にせずに魅力的な絵が描ける人なんてわんさかいるだろうけど、そんな能力は持ち合わせていない。このことに気づけたのも、かなりよかった。
週末も、たくさん絵を描こう。
https://anond.hatelabo.jp/20190801112313
全体の流れを読むと上手くいかない原因は
何にもまして、女性にとって年上の男性で頼りがいがないのは致命的。
けど、安心しろ。可愛いが作れるように、頼りがいのある男性像もすぐに作れる。
「頼りがいがない」と「自信がない」は共通する部分もあるが、
無意味に自信満々で女性の意思に関係なく押し付けがましい奴がいるだろ?
そういう奴はもてる。ただ万人受けするわけではない。
頼りがいがあるやつというのは、女性が苦手なところをさりげなくサポートできる男だ。
基本的に女性は決断するのが苦手だから、出先で次の予定などを決めたりするときに
どうしようか長考するとマイナスだ。次の予定は30秒で決めろ。
そういうのは付き合ってお互いの嗜好がわかってからだ。
もちろん、第一は相手の意見を最初に聞くが、もし決めかねているなら
この3つ案を提案する。ここでもたもたとスマホ弄っているとマイナスポイントだからな。
下調べは重要だぞ。
特にパン屋はおすすめだ。女性でパンの嫌いな人に会ったことはない。
難しいように思えるが、所詮食べログで調べるだけだから手間はかからん。
そのちょっとした手間をさけるかどうかだ。
どうせ違う女性ならわからないだろうから、自信をもって案内できるお約束の場所を自分で作れ。
3回もこなせば、自然と人の流れやデート先の場所にも詳しくなるから自信満々になる。
頼りなく見えてしまうのは、自分の知らない場所だと十分な知識がないためというのが大きい。
語りだすと長くなるので次で最後にする。
元増田は都内在住ということで車とは縁の遠い生活を送っていると想像する。
これも上段で述べた「女性の苦手なところをサポートする」に繋がるが、
車の運転が苦手な女性は多い(トヨタがこれをツイートして炎上していたな)。
このため、車を運転できるというだけで頼りがいがある男を演出できる。
俺は車をもってないぞ!というかもしれないが、レンタカーを使え。
レンタカーを使って電車ではいきづらいところでデートをすれば、
それだけで女性にとってはすごく頼りがいがある男に見えてくる。
そうこうして自宅まで送迎してあげれば、自然と距離も近くなって
自宅に招待してくれたりする。真っ当な女性は、付き合う対象ではない男性を家に上げたりしないので
そこまでいければ、どうやら自分は相手のお眼鏡にかなったということで告白することになる。
告白して失敗したみたいなことが書いてあったが、告白して爆死するのは高校生までだぞ。
ある程度仲良くなって、私達付き合ってるよね。ぐらいに女性が思ったときに
いろいろと述べて来たが、結婚相談所も合コンもナンパも出会いの場が違うだけで
その後の展開は同じだ。今までの失敗の原因がわからんと結婚相談所でも失敗するからな。
まぁ、頑張ってくれ。
三十代前半の女。
気を抜くとすぐに口が開き、口呼吸になる悩みがあった。
口を閉じる気合が足りないからだと思っていたが、どうやらこれは出っ歯の弊害らしいとわかり歯列矯正を考えた。
数件の医院を回ったが、どこへいっても抜歯した上での矯正をすすめられて悩んでいる。
歯が並ぶスペースがないから抜歯するという理屈はわかるが、もうすでに親知らず4本抜歯している身でさらに4本抜歯すると32本中8本、4分の一の歯を抜くということになる。
中には希望すれば非抜歯でやってくれそうなとこもあったが、ぶっちゃけ審美歯科の胡散臭いばかり。
矯正については金がかかることは知っていたが、まさか抜歯するのがスタンダードだったとは調べて初めて知った。
ネットで調べただけだが、日本人が矯正する場合6割から7割は抜歯するとになるらしい。
歯並びの悪い人や出っ歯に対して気軽に矯正しろ矯正しろって世間ではいうし自分もそう思ってたけど、イコール抜歯しろって意味だと思うと気軽に薦められるものでもないよな。
親や親世代(60才付近)の人間はすでに歯を数本失ってる人が多いので、相談すると100%反対されるし、
アラサー世代でも抜歯矯正により老けた、ほうれい線が濃くなった(自然に老けたのを矯正のせいにしてるだけ?)って体験談もきく。
最近、IT系の会社へ転職活動をしているのだがコーディングテストを採用しているところが昔と比べて非常に増えた印象を受ける。
種類としては大別すると以下の3種類。
・ホワイトボードに○○○について書いてください。
・オンラインで受験可能なコーディングテストを受けてください。
・(PCを与えられて)ライブコーディングで○○○についてプログラミングしてください。
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Microsoft製品のバグを証明するプログラム付きのバグレポートを送った事もあるくらい自信があったので
これについて「自分がおかしいのかな?」と思ったら以下の記事を発見。
要は有名な開発者がテストに落ちたから採用されなかったという話
導入している企業側からしたら採用のコストを下げるために導入しているのだろう。
確かにプログラマーのレベルを図る上でコーディングテストに一定の効果はあるのかもしれない。
しかしながら、どう考えてもこれは所謂「お受験」対策しているかどうかであって、
天才的(全くの知識ゼロで最適なアルゴリズムを思いつく)なプログラマーを採用したいのなら悪くはないと思うが、
通常は集合知をいかに早く上手く組み合わせた上でアウトプットできるかが大事なんじゃないかと個人的には思う。
例えばソートアルゴリズムや探索アルゴリズム、暗号アルゴリズムなどは非常にアカデミックで
通常のプログラマはそういった人たちの成果を利用して色んな社会の課題を解消したり新しいサービスを作っている。
もしコーディングテストしたいのであれば前者と後者の違いを認識した上で評価しないとダメなのにどこも一律評価している。
まぁ、こちらからしてもそんな評価されるんであればそんな会社には入りたくないなーと思うので、
こういう風に冷静なご指摘頂けるのは本当に助かります。
多分私は、頭が足りてないというか、お花畑なのだと思います。なので理想論を振りかざしてるだけの馬鹿者と思いながら以下をご笑覧ください。
まず、無敵の人、の語義の捉え方を私は間違えていたことを反省しております。
これは、無敵の人という言葉をもう一度調べなおしてきます。確か、本がありましたよね?読んできます。
その上でですね、私の考えとしては。
私は、「無敵の人と普通の人は地続きである」ことを啓蒙するところで終わりたくないんですよ。
悲惨な事件が起きた。だからこそ、それを防ぐには、どうしたらいいのだろう。
「自分が無敵の人となる前に、すがるべき場所があることを知る」
「ちょっとのおもいやり、というコミュニケーションの幅を増やすことで互いに繋がりを保つ」
ことが、少なくともすぐにできることなんじゃないかって思うんです。
そして、自分もほぼ、無敵の人だ、って思ってる人たちは、それはイコールとして、何かに頼ってみた方がいい、という合図なのかもしれないな、と思いました。
その頼るべきところが、行政なのか、精神科なのか、はたまた別の何かなのかは、それは人によって違うとは思うのですが、救いの手を差し伸べられない人なんてこの世にいないと信じたいんですよ。
私がかつて死ぬしかないと思ったところから、精神科を通して今健やかに生きられている、という経験を通して、そう思ってしまうんです。
そのうえで、その救いの手は、誰にでも差し出すことも、差し出されることもできるんだって言いたかったんです。
小さな親切が自分が差し出す側、精神科とかが自分が差し伸べられる側の話ですね。
そうやって、小さなストレスをちりつもで減らしていくことで、どうやっても消えないであろう世間の小さな悪意たちと、みんなで戦っていけたら。そう思ったんです。
でも、それを現実に少しでも変えるために、私は明日も何か、誰かを助けられたらな、って思ってます。
答えになってるんだろうか。もうわかんねえな。
とりあえず、本当にコメントありがとうございます。
キャスターが接するボディ部分とともにぼろりと取れた。
該当箇所の芯材は残ってはいるものの、当然修理に出したところで直る状態ではない。
なので新しいキャリーバッグを買わねばならぬのだが、正直どれを買えばいいのかわからない。
その前のキャリーバッグもキャスターが壊れたので重点項目はキャスターの強度一択なのに、調べたり店頭に行ってもキャスターの強度についてはふんわりとしか書かれていない。
静音? ダブルキャスター? いやいやそれは壊れにくくさとイコールではないでしょ。
書かれていたとしても「キャスターは安心のXXXブランド」とだけ。いや、それはわかったが、それだけだと頑丈かどうかわからないよ。
機内持ち込みサイズでキャスターが丈夫なのが絶対条件、予算は2万までだが頑張れば3万まで出せる。
これに当てはまるキャリーバッグはあるのだろうか。