はてなキーワード: 児童とは
ジャニーズの報道を見ると動悸が早くなって胃の中が全部逆流しそうになる。
その理由は単純で、自分の性的被害と人にしてしまった加害を同時に思い出して心臓が締め付けられるように痛くなるからだ。
被害者面だけしたいわけではないので、先に言ってしまうが、自分は性的加害者でもある。
相手は妹みたいにかわいがっていた2つ年下のいとこで、親戚同士のお泊まり会のときに寝ているところを触りに行った。
生々しい描画がしたいわけではないので詳細は省くが、直接触ろうとして下着を少し下げたところで目が覚めそうになったので、慌てて部屋から出ていった。
その時は自分の兄弟含め何人もの親戚が泊まる会だったのでおそらくは特定されることはなかったと思う。
その後もたまにあったりしたときはやはり兄妹みたいな関係でいられたので、そんなことを少しずつ忘れつつあった。
それから20年ほど会わない時間があったのだが、その子の父親が亡くなったという話を聞いて、葬儀に参加することになった。
その時自分はすでに結婚していて子供も二人生まれていた。結婚式はやらなかったので親戚にはハガキで報告を送った程度だった。
葬儀が終わってからも母と妹の話は終わらず、しんみりとした雰囲気の中でうちの子供達だけが騒いでいた。
すると、妹みたいだったいとこが子どもたちと遊びながらふとした瞬間に手を止めて泣き出してしまった。
どうしたのか聞いてみると、父親に自分の子供を見せられなかったことが悲しくなってしまったのだという。
その子の母親も、亡くなった夫に孫を見せてやれなかったことが本当に悔しいと一緒に泣き出した。
少し落ち着いてそういえば結婚はどうしたのか聞いてみたところ、「じつは、〇〇ちゃん(増田の名前)は大丈夫なんだけど、、、」という枕詞とともに自分が男性恐怖症であることをこちらに告げてきた。
はっきりとした理由は言わなかったけど、親戚を含めて自分以外の男性が怖いのだという。
今回の葬儀についても遠回りに自分以外の男のいとこは参列を断っていたという。
その瞬間、それまで忘れていた自分がしてしまったことがフラッシュバックのように思い出された。
それはつまり、自分が性的加害をその子にしてしまったことが原因で男性恐怖症になり、今日の今日まで苦しみ続けていたということではないか。
いとこが泣いているのも、母親が泣いているのも、全部自分のせいではないか。
それなのに加害者である自分だけが許されているとはなんておかしな状況なのか。
今頃あの世ですべてを知ったこの子の父親が、どんな形相でこちらを見ているのかを想像しただけで背筋が凍る思いだった。
すべてを白状して懺悔したい気持ちが、自分だけは信じつづけてきたこの子に真実を突きつけてしまう残酷さに負けてしまった。
保身と言われればそれまでだが、真実を知ってしまうことが今更傷を深くえぐり返してしまうことのように思えてできなかった。
自分が性的被害にあったのは小学校5年生のときに、民間のキャンプ体験合宿に参加したときのことだった。
インドアな自分に対して、仕事で忙しかった親が夏休みに無理やり参加させたもので、同年代の子供10人くらいが、30歳くらいの優しい男性インストラクターに色々と教わりながら自然を体感する教室だった。
悪いことをしなければ怒らることもなく、みんなで料理を作ったり自然に囲まれたテントで眠るということ自体が新鮮で楽しい経験だった。
2日目の夜、尿意を感じて夜中にふと目が覚めると隣にインストラクターが横たわっていた。
自分が何をされていたのかの自覚はなく、なんとなく嫌だなと思いながらも「トイレに行きます」といってその場を離れた。
戻ってきたときにはすでにインストラクターはその場にはいなかった。
今にしてみれば思い出すだけで背筋がぞわっとするほどの嫌悪感がある。
ただ、そのことは自分にとって歪な形での性の目覚めとなった。
一つは尿意によるものか快感によるものかわからないながら、勃起してしまった自分への戸惑いが強く残ることになった。
同性愛者を差別するつもりはないが、自らが同性に対して性的な何かを感じることに猛烈な嫌悪感と恐怖を覚えるようになってしまった。
今に至るまで、男性恐怖症(男性過敏症)は解決されないままでいる。
もう一つは、性的欲求の解決手段として、「寝ている相手を触る」という行為が強烈に印象付けられてしまった。
あの瞬間に印象づいたわけではなく、思い返し疑問を反芻している間に塗り重ねられるように刻まれていったのだと思う。
それは自他ともに認めることで、それが恋愛感情であるのか、兄妹間による愛情であるのか、長女であるいとこにも、末っ子である自分にも分からなかった。
相手がどうかはわからないが、小学生くらいまでの間のことでありながらも自分には命と同じくらいに大切な存在だった。
それが一切の言い訳にならないどころか、それなのにどうしてそんなことをしてしまったのか自分でもわかっていないというのが正直なところだ。
全ては想像力の欠如であったのだと思う。
好奇心に負けてしまったというよりは、たまたまできる環境が揃ってしまったところに、されたことがある人間がいただけのことなのだと思うしかなかった。
ただ、本当に、本当に今では後悔しかない。
ジャニーズの報道を見るたびに、そのことが思い出されて心臓が締め付けられる思いがする。
自分への性被害がなければいとこへの性被害がなかったかどうかはわからない。
そればかりは本当にたらればで、だからそのことについて性的加害者を責めるつもりはない。
それどころか、もし自分への加害がなかったらという思いが持ち上がろうとすると同時に、そんなものが相手への加害の言い訳になるわけがないという鉄槌が下るのだ。
加害者なのだから苦しんで当然という言葉が、いつでも自分を苦しませてくる。
それを当然のことと受け入れなくてはならない苦しみから逃げることはできない。
学生時代、同級生との関係をうまく築くことができずに孤立してしまったし、未だにゲイやホモセクシャルに対する直感的な嫌悪感を払拭できないままでいる。
思春期を迎えて、されたことに対する意味が理解できるようになればなるほどその考えは強くなった。
そんなことさえ、いとこのことを男性恐怖症に陥らせておいて言えることではない。
わたしの被害は、自らの加害によって全てが甘じて受け入れざるを得ないものへと変わってしまった。
断じていうが、それ以降自らが痴漢行為に手を染めるようなことはない。
される側の辛さを知っているつもりだし、それによって人生がどのように狂ってしまうのかも知っているつもりだ。
そんなことを考えているときでさえ、狂わせた側としての責任という鉄槌が脳天に振り下ろされ続けている。
ジャニーズの報道を目にする度に、自らの責任によって脳天への鉄槌が繰り返され続けている。
報道を止めてほしいわけではない。
ただ、被害者数百人という数字を巨悪を叩くだけのエンタメで消費しないでほしい。
その上で理解してほしいことは、ジャニーズの最も醜悪な点として被害者を共犯関係にさせている点にある。
ただ単純に、一人の大人から数百人の児童が被害を受けていたと言うだけの話ではないのだ。
彼らは「アイドルとして成功したい」という正義のもとに、黙認や通過儀礼という解釈による加害の助長を担わされていた。
それが分別のつかない年端も行かぬ年齢の頃から組み込まれるように作られていたと考えれば、その仕組みのあり方がどれほどおぞましいものかわかってくると思う。
大人であれば立ち止まれたものであり、大人になれば後悔するようなことを、信じてる大人にやらされていたのだ。
そのことが今まで被害を表沙汰にしなかったし、ジャニー喜多川氏はそれを理解した上で、分別のつかない年齢の子供だけを集め続けてきたのだろう。
金に目がくらんだ親さえも巻き込んで。
それはもう端的に言って地獄だ。
どれだけ表向きに眩しいエンターテイメントを演じていても、その土台に埋もれているものが地獄すぎる。
今回の一件が巨悪を叩くエンタメで終わってしまえば、さらなる地獄が地層として積み重なるだけになってしまう。
そんな地獄が地獄を生む呪いの連鎖を断ち切るためには、一つ一つのケースと向かい合い、絡まりあった被害と加害を解いていく必要がある。
少なくとも、今のままただ単に巨悪を叩けば叩くほど、少しでも加害に手を貸してしまった被害者の心の傷さえもえぐっていくことを理解してほしい。
もちろんそれがあなたにとっての正義だというならば好きにすればいい。
エロ漫画が好きで、ロリコンから熟女物まで何でも読んでいた(ペドとNTRは絶対に無理)。
結婚して娘ができてから、大学の先輩Sが「増田は絶対にロリコンになる」と祝ってくれた帰り、交通事故で死んだ。
そのせいか「絶対にロリコンになる」が遺言的なものになってしまい、自分の中で本当に心配になってしまったが全くそんなことなかった。
娘はもちろん(当たり前過ぎる)、同級生の小学生や行楽地で見かける女の子に欲情する気持ちが一切なくて安心した。当たり前である。
だからこそ四谷大塚のコミュニティが恐ろし過ぎる。漫画だけで留めているならまだしも、あんな人がこの世に存在している恐怖。
気になるので本を調べていたら、「「小児性愛」という病 ―それは愛ではない」という本があって、抜粋された文書読んでみてゾッとした。
「そりゃセックスもしましたよ。恋人同士ですもん。それを周りの人たちが、ぶち壊したんです。 私がロリコンで、Yちゃんは被害者だといって引き離したんです。
私はそんな人達によって犯罪者にさせられました。おかしいのはどっちだっていいたいです…」
これは、12歳の少女に性加害をした49歳の男性のケースです。
女子児童の側には、交際しているという認識はありません。怒ると声を荒げる男が怖くて、言われるがままになっていたのだとわかっています。
彼がしていたのは、明らかに加害行為です。子どもに肉体的・精神的に後々まで残る多大なダメージを与えました。
しかし、彼が見ていたのは、「子どもから求めていた」「子どもはよろこんでいた」という光景。事実とは、正反対です。
クリニックで子どもの性加害経験者からヒアリングしていると、これは性加害をする者なら誰もが持っている、特有の思考の歪みだと実感します。
彼らの問題行動の背景には、精神疾患があります。日本語では小児性愛障害、英語ではPedophilic Disorder, Pedophiliaといわれ、この「ペドフィリア」という語のほうが馴染みがある人もいるでしょう。
私は、150名を超える子どもへの性加害者らと関わってきて、彼らも私達と変わらない、同じ“人間”だと考えるに至りました。決して性欲が抑えられないモンスターではありません。
子どもへの性被害、つまり小児性愛障害は、社会のなかで学習された行動です。大げさかもしれませんが、いまの日本社会が「ペドフィリア」を生み出し続けているといっても過言ではありません。
マサヤーッス
本日はナミビアの日、人権宣言記念日、シルマンデー、ユースホステルの日、日本においてはパワプロの日となっております。
出先での急な予定の変更で宿泊場所を探さなきゃいけない時って時々ありますよね。
私は基本的にネカフェとかを使っておりますが、まぁ自分だけが泊まる分にはそんな感じでいいですよね。
ユースホステルとかいうのも教育している児童を連れて旅行している時に大雨に降られて小学校に泊まらざるを得なくなった時に思いついたそうです。
私はそういうのを利用した記憶は薄いのですが、もしかしたら修学旅行とかの時に使ってたのかも知れませんね。
気を付けていきましょう。
ということで本日は【十分な計画よいか】でいきたいと思います。
耳袋の最新話のカズオが良かった。
詐欺師が独居老人の家に通帳とハンコを取りに行った時に、通帳なくしてしまった老婆に足止めをくらい、家に上がると児童の化け物カズオからの恐怖現象に遭う話だ。
爽快感ホラーとしてよくあるのは、被害者が超強く返り討ちにする系だが、犯罪者苛めっ子が被害者なのも気持ちよくていいな。
ドント・ブリーズも被害者が犯罪者だったが、老人のが圧倒的気持ち悪さだったからいまいちそういう爽快感無くてなぁ。
意外と無いよね、ワンパターンなセックスしたカップルや、ホラースポット探検した若者たちや、罪のない少女がキャー!!って奴より面白いと思うが、何でだろう。
「お金がなくても作家を喜ばせる方法は図書館にリクエストすることだ」なるツイート(ポスト?)が伸びてたので https://twitter.com/jiro6663/status/1694628008366428193?t=3FxjKDajQYbjtPMwsgkrdw&s=19
現役図書館司書の視点からこの件について図書館的にどうなのか、本当に作家の為になっているのかを考えてみた
念を押しておくと田舎の小さい図書館司書視点なので一般化できるかは怪しい
①リクエストした人が必ず借りてくれるのであれば図書館は嬉しい
の2点になる
まず①から
図書館の予算は大体どこもカツカツで満足に本買えてる図書館の方が少ない
限られた予算の中で利用者が喜ぶ本を選書し、満足度の高い図書館をいかにして作るかというのは司書の腕の見せ所である
大体は児童向けや小説のシリーズ物、健康や生活の知恵に役立つ400〜500番代の本を数冊買い、余ったお金で1〜2冊ほど「これは利用されそうだな」という本をジャンル問わず選定するが、この「利用されそう」というふわっとしたものが難しい
よく動く本の傾向を見たり新聞書評や今ならYouTubeやTikTokでバズったものを選定してみたりするが、それでも買ったのに全然貸出されない本は出てくる
こういう時、誰かがリクエストをかけた本であれば確実に一回の利用は見込めるので選書会議も通りやすいし助かったりする
しかし、リクエストかけた人に借りる意思がない場合はとても困る
実際、みんなに読んでほしいと言う理由でリクエストがかかり購入したが誰も読まず書架の肥やしになっている本はある
(これはその本が悪いのではなく利用者のニーズに合致しなかった、例えば世田谷や目黒といった一等地に農業指南の本を置いて借りる人がいるのか?という話)
実際そういうことが起きたのでうちの図書館ではリクエストした本を必ず借りてもらうルールが作られた
予算もスペースも限られているので、本人が借りる意思の無い布教の為の、最低一回の利用も見込めない本はリクエストされても正直困るな…というのが本音である
作家としても、折角書いた本が誰にも読まれず本棚から動かない状況は売れたとしてもあまり嬉しくはないんじゃないかと思う
②について
図書館の本は必ずしも購入した物ばかりではない
リクエストがかかった本で、どうしても予算が足りず購入が後回しになる本はどうしても出てくる
そういう時、どこからか現れた善意の市民がちょうどリクエストかかった本を寄贈してくれることがある
それを確かめる方法は図書館には無いのて、作者の利益に貢献しているかは不明だ
また、リクエストされたからといって必ず本を購入する訳では無い
相互貸借というサービスが存在し、その図書館に所蔵が無い本にリクエストがかかった時に所蔵のある別の図書館から取り寄せて貸出することもできる
リクエストがかかった本は原則自分の図書館で購入することが勧められている
それはそれとしてどこも予算は無いので出版から時間の経っている本は相互貸借で補い合うケースは多い
よって、図書館にリクエストをかけたからと言って、必ずしも作者への貢献に繋がるとは言えない
最後に
色々書いたが予算だのスペースだの利用率だのそういう小難しい事は司書が考える仕事なのであまり深く考えず読みたい本があれば気軽にリクエストしてみて欲しい
図書館はその街に住む市民の学習や読書環境を整えるのが第一の仕事だと考えているので要望があればやれる限りは応えたい
もちろん本を書いた作家や出版社があってこその図書館なのでそちらへの感謝や還元も適切に行っていく
ただ、やっぱり市民の為にあるのが図書館なので特定の個人が推し作家の応援する為に手当たり次第リクエストかけてまわるのはなんか違うのではと思う
オタクアンフェ中心に、露出した女が近づいてきたらさわるに決まっているから、被害者の女が悪いって主張してるのって、パイタッチまいっちんぐ的な文化で育ってきた弊害が確かにあると思うんだよね。
胸を触るくらい、風呂をのぞくくらい、大人が児童に犯罪的な性欲向けるくらい、たいしたことないって刷り込まれてしまっている。
増田は育休中の母
子は二人いる。
育児とても楽しい。長男は拙い言葉で一生懸命何か言おうとしてる姿がとても愛らしいし、次男は首も座っていないエケチェンだけどフガフガ言っててかわいい。なんでこんな可愛い存在が世界から減っているのか理解できない。
とはいえ気になるのはお金である。子ども一人育てるのに3000万かかるなんてよく言われるが、子育て世帯には年収1000万超えると所得制限がかかる。
我が家は所得制限かかってないけど、いつこのラインが下がってもおかしくないと思うと、あまり他人事とは思えない。
そして子どもが増えないのにも納得してしまう。そりゃそうだ、子を貧しくしたい親なんかいないし、増やすことでむしろネグレクトだの何だの言われたり自責の念に駆られたりするくらいなら、ひとりを大事に育てようってなる。わかる。
でもさーなんかさー、そうやって縮こまるのってさー、資本主義への敗北って感じで増田は嫌なんですよ。
人類は豊かになるために資本主義を産み出したはずなのに、資本主義によって人類が衰退する。なんか馬鹿みたいじゃないか。
だから増田は子ども産めるだけ産むし、でも教育資金足りなかったら困るからまぁ頑張って働くけど、正直言うと産んで育てるのに専念したい。
働きながら産むのって政治家の偉い人が考えるよりずっとハードモードなので、選ばれし人間にしかできないんだよ。
そもそも育児休暇、一人ならいいけど二人目三人目を考えた時に全然まともに機能する制度じゃないのよ。そりゃ少子化になる。
具体的に言うと大学費用タダにしてほしいし、それが難しいならせめて大学には理由の乏しい値上げを禁止してほしい。
あと児童手当もっと増やして欲しいし所得制限も撤廃してほしい。
別に産むのは全然いいからもっと産みたくなるような政策やってほしい。産みたくない女は増えてるみたいだけど、それが総意だと言われるとちょっと困る。
流石に釣りだよな?
中身がヒドスで笑ってしまった。
1 学校の性教育で習うレベル。知らないのは未就学児童と知恵遅れだけ。
3 ウンコ・チンチン系ギャグの一種としておっぱいを笑いのネタにしてるのが大多数。
4 「(らしい」を使っている時点で論ずるに値申さないらしい。
8 「セックスをする関係になりたい」と「セックスをしたい」が別の集合であることを理解していない頭の悪さを露呈。「あらゆるコストや信条を度外視していいならセックスしたい=性的魅力を感じる」と書いたほうがどこで間違ったかが伝わりやすいか?
9 「セックス≒パートナーになる」という考えに縛られた古代の童貞か?フリーセックスという概念に触れたことさえなさそう。
10 「女は愛情のあるセックスしかしないんだろうな」という童貞の妄想。恥ずかしい。
11 お前の性癖、価値観、交友関係のせんまい枠組みを世間とイコールで結ぶのをやめろ。
12 ま~~~た「個人差はあるが」だよ。一般化するのを最初からやめれば言わなくて良いんだぜその言い訳?←今回のパンチライン出たんじゃありませんコレ?
13 そりゃそうだろ。「焼肉屋に行きたい」「焼肉のタレでご飯を食べたい」「焼肉を食ったあとに食うアイスを食べたい」が全部一緒なワケがないだろ。
14 ガキだな……ガキのまま大人になったんじゃなくてまだガキってだけだと思いたいぜ。
15 分かる人には何も言わなくても分かるし、分からんやつには何を言っても分からないので、ここについては何も言わない。
16 お前の性欲を一般化するな。
やめたら犯すか死ぬかの2択になる価値観の歪みが批判されてるんだと思うよ。
少子化するぞって国とかを盾にする人質論法してるから女性に相手にされないんだよ。
パートナーを得る努力が足りないんじゃなく、マイナスの努力になっちゃってる。
女性を対等な人間として見ずに、ハンティングの獲物としてしか見れてないんじゃないかな。
まあ努力は運もあるし仕方ない側面はあるけどさ。
でも男の人って、性欲をガマンするのとかは無理な感じなんだ?
ならせめて自分の意思で女を性搾取してるって認識しなよ、行動に責任を持ちなよ。
パイプカットまで迫ってる訳じゃなくて、こっちは単に性的消費してほしくないだけ。
せめて、建前でいいから、してないって子供たちの前で言ってほしい、それだけなのに。
例えば一緒に学ぶ対等な仲間のはずのクラスメイトを劣情の道具にするなんて、ありえないと認めてほしい、きちんとした手本になる大人の男性に。
未来は待ってくれない、すぐに女子児童のスナップ写真からその場でヌードを作れる時代になる。
Qアノンとか、陰謀論者はキチガイ扱いされてるし、俺もバカだとは思っているが。
じゃあ実際、どこまで陰謀論でどこまで事実としてありえそう?って考えたら分からなくなってきた。
いわゆる本家Qアノンというと、まずエプスタインの児童売春事件があって、その裏に英国王室やクリントン、トランプなどの政治家が関わっていたという疑惑があるが。
まず、児童売春事件そのものは事実として、その島を政治家などが訪れていたことは確からしいのだが、
その政治家の中に児童売春の顧客がいたのではないか、というのは憶測に過ぎない。
憶測にすぎないが、しかしその疑いを持つこと自体は、即ち陰謀論者とバカにするほど突飛でもない気がする…十分あり得そうに感じる。
大規模な児童売春行為が行われており、その顧客リストには政治家や財界の要人などが含まれていたため闇に葬られた、などと都市伝説めいた形でよく語られているが。
実際のところ、全然ありそうな話…と感じる俺は陰謀論者の素質があるのだろうか?
実際問題、政治家や警察官僚などの上級国民によって闇に葬られもみ消されている事件なんていくらでもあるのでは?と疑ってしまうのは。
むかーしむかし、まだ未就学児童だったころ、日曜日に早起きして父母の朝食を作るんだ!ぼくのかんがえたさいきょうのかふぇおーれつくるぞ!ってんで母親がチビチビ大事に使うのを横目に見てたバニラエッセンスの小瓶を、今でいう激辛好きマニアのごとく、マグカップのコーヒーの表面に油膜となってギラギラ浮くほどブッかけて提供し、母親に「これは大量に摂取したら害がある」「もったいないことをするな」と激怒され、あはれ父母用の二つのマグカップは飲まれもせずに寂しく流し台のシンクに安置されたのを今でもたまに想い出す
性加害が卑怯なのは、本来ならば喜びをもって、あるいは本人の意志によって行うプライベートな行為を他人から無理矢理強制され辱められる、というところである。性行為に関して恐怖と嫌悪が植え付けられてしまう。
それをわかってるからこそ、いじめや虐待、拷問に性加害を使う非道な連中は沢山いる。相手に一生残るトラウマを植え付けるには非常に効果的なのだ、性加害は。殺されず生きて帰れても、愛する人と抱き合うことが恐怖になる。恋愛をしても、性的なことに嫌悪感があり別れてしまう等。
逆に、性加害を受けてショックのあまり「こんなの大したことじゃない」と思うとこで耐える人もいる。
あるいは、汚されてしまったという恐怖から自らを更に汚すことで「あれは大したことではなかった」と考えようとする人もいる。行きずりの人と避妊無しで寝まくったり。
児童性虐待者は「お前がこういうのが好きだからやってあげている」と言うのが定番だそうで、被害者である子供は「自分は淫乱でクズなのだ」と思い込まされる。
これが売れている理由は分かる。
世の中には、YouTube広告のダイエットサプリとか、金運が上がる方法とか、そういうのに金を落とす連中がいる。
この本の内容は、古今の自己啓発書に書いてあることの、ほんの表面だけをさらったようなもので、何の新規性も無い。
で、そういう誰でも書けそうな薄っぺらい内容を、全く無関係な学説や史実で権威付けしている、ソーカル論文みたいな本である。
適切なデータを示さずに学説の奇抜さを競ってる社会学系の学者・評論家とか
疑似科学でも何でもいいから児童に自分たちの思う道徳を押し付けたい教育業界の人など