はてなキーワード: ドラマとは
いま読むと味わい深いな
https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00897/00012/
『セクシー田中さん』40歳の自分解放を20代も支持しTVer日曜首位
日本テレビ系で日曜22時30分から放送中のドラマ『セクシー田中さん』は、ヒューマンドラマやラブコメの要素が絶妙にブレンドされ、笑いあり、感動ありの展開が評判に。「心打つ作品」とSNSでも話題となり、TVerのお気に入り登録者数はスタート時から増え続け、86万人超え(2023年12月14日現在)。強力なライバルが多い日曜日に放送されるドラマの中でもトップに立ち、再生回数ランキングで常に上位にランクイン。終盤に向けて、さらに支持を集めている。
『セクシー田中さん』のプロデューサーの大井章生氏は現在33歳。本作がGP(ゴールデン・プライムタイム)帯連続ドラマ初プロデュース作品となる。
「原作にとても魅力を感じましたが、一方で驚きの急展開が続くストーリーではありません。ドラマにしたとき、視聴者のみなさんがどんな反応をするのか読めないところがありましたが、幅広い世代から支持されている大人気コミックなので、原作のよさを壊すことなくドラマにすれば心打つ作品になると考えました」
ターゲットとしては、原作コミックを支持するF2層(35~49歳の女性)、朱里と同世代のF1層(20歳から34歳までの女性)に“刺さる”物語を意識する。
Pまで行く人が若手とはいえそこまで能力値が低いとも思えないので、
単純に忙しすぎたのではないかなと思うんだよね。
抱え込みすぎというか。
能力が高い人が起業することは多いけど、起業するとだいたいの社長はバカになる、なぜなら決めることが多すぎて一つ一つに時間を割けないから。
というのと似たような感じ。
一番きついだろうなっていうのはやっぱり締め切りだろうな。
作者が原作に込めた思いとかメッセージ、本質って物を、テレビ局やら製作会社、脚本家など、ドラマ制作側がまったく理解出来てなかった。
ようするに、セクシー田中さんをドラマ化するレベルに達してなかったって事。
腕の悪い料理人が高級食材使っても美味い物なんて出来る筈がないっていう話。
ようするに日テレのレベルが低かったってのは間違いないわけで、それを社長以下全社員が自覚する必要があるよな。
俺たちはレベルが低いんだ、って。
つか漫画原作の実写ドラマなんて何十年も前から存在してるわけで、原作者や出版社との意思疎通のフローとか普通は確立されてるもんだと思ってたんだが、どうなってんだろな
女子高生の74%が月に1本以上のドラマを見ている(LINEリサーチ調べ)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000004287.000001594.html
10代の80.7%は毎シーズンドラマを見ている(マイナビティーンズ調べ)
https://cm-marketinglab.mynavi.jp/column/research_drama_2306/
10代の56.1%が最新クールのドラマを1本以上視聴している(DTI調べ)
https://www.dti.co.jp/release/240111.html
ワンチャン空前の大ヒット狙ってそう
セクシー田中さん改変は弱者男性関係者もキレておいたほうがいい。
原作はアフターピルや男性の生きづらさのような社会問題も扱っていて恋愛要素もなかったのに、ドラマでは恋愛要素いれて社会問題はカットされてしまった。男性の生きづらさが社会に伝わるチャンスを奪われた。
テーマの部分を改変してはだめですよ
「きのう何食べた」の賢二の仕事を美容師からケーキ屋さんに変更するのはアリでも、
その改変を加えること自体が作品と真逆のメッセージを持つからです
作者のブログによる指摘は以下です:
この作品は説教をしません。登場人物も「ハッと気が付く」ようなこともありません
登場人物の1人は弱者男性です。彼は「女性の人生はイージーモードだ」と言います
もう1人の男性はハテナーの嫌いそうなDQN系強者男性です。彼は女性を対等な人間扱いせず雑に食い散らかしています。
彼らの最初の印象は悪いです。でも、作者の目線は彼らに優しく寄り添います。
彼らの目線から見える世界が語られることでその発言にある背後の苦しみが共有されるのです。
私が他のひとを許すから 私も他のひとに許してもらえる
正しくなくても寄り添い尊重し合って生きていく
修正:きょう→きのう
また、これに関連し原作者が「心底どうでもいい」と断じた「かわいい制服の私立高校に進むことが出来なかった」という改変も、
朱理は男を財布と肩書きでしか見ていない婚活女子です。初登場時の印象は最悪です。
でも、その人となりを知るうちに読者は彼女を好きになっていきます。
彼女が生き残るためそうせざるを得なかった事情が語られるのがそのシーンです。
薄給ブラック企業に勤め、男であるが故に競走から逃げることのできない進吾と
女であるが故に大学進学が認められず、そもそも競争のスタート地点にすら立たせてもらえなかった朱理
朱理は学歴社会において不利な状況に置かれたため、婚活に活路を見出しているという子なわけです。
ここでいう弱者男性とは社会的弱者の意味です。進悟は普通の顔です。
田中さんはすっぴんが異世界おじさんでメイクをするとデーモン小暮という方です。
報告書を読むと作者も同様の不安を抱かれたようですが議論して一旦は説得したようです。
ところがメイク失敗シーンが女優さんの肌が綺麗すぎて撮れないという話になり・・・という流れですね。辛くなってきたのでもうやめます
あなたのおっしゃる通り、顔の悪い役を引き受けてくれる人はいないでしょうからしょうがないのかもしれませんね。女優さんも人気商売でしょうから
3月29日時点で条件が示されていればドラマ化はなかった――これは日テレの調査によって明らかになったドラマ制作サイドの考えだ。ドラマ制作した日テレは3月29日のウェブ会議において原作利用許諾を得られ制作がスタートしたと考えている。原作サイドの小学館は6月10日のメールで初めて契約が締結したと認識している。すれ違いだ。
すれ違いが多数重なったことで悲惨な結果になった本件だが、6月10日までに実際に何があったかに焦点を当てて考察する。どちらの調査報告書でも解釈の都合に合わせて省略が施されていて、突き合わせてみないと実態がわかりにくい。原作の先生がブログで示した「何度も確認した条件」は、果たしてどのようなものだったのか。どう確認されたのか。日テレは何を約束し、あるいは約束したと思い込んだのか。
なおこの考察では、日テレの調査報告書も小学館の調査報告書にもウソは書かれてないと仮定する。この後に及んですぐバレるウソをつくのはリスクでしかないし、外部の弁護士が実名で名を連ねているからだ。
引用元を(日p12)(小p34)のようにページ数を付記して示す。
(日) https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf
(小) https://doc.shogakukan.co.jp/20240603a.pdf
なお文脈を補うために適宜カッコ書きで(このように)追記する。
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ(小学館側は)芦原氏が自分の作品を大切にする方であり、作品の世界観を守るために細かな指示をする所謂「難しい作家」であるから、原作に忠実で原作を大事にする脚本家でないと難しいと伝えた。(小p13)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ他社に当面ドラマ化の意向がないことを確認し、会議で報告した。(小p13)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ他局からのドラマ化の話を断ったことが説明され(日p10)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ(日テレからの原作者とどういう形で進めていくのがよいか、の質問に対して)「できあがったプロット・脚本を見ながら進めていきましょう」
(日テレ側は)本件原作者の意見を無視するような改変はしない、リスペクトをもって取り組むという趣旨の話をした(日p10)
日テレはこのときにドラマ企画についての許諾がなされたと認識したらしい。
日テレの報告書には、この時点までの二度の打ち合わせではブログにあったような条件は文書でも口頭でも提示されてなかったと注記している。小学館担当者は「漫画を原作としてドラマ化する以上、『原作漫画とドラマは全く別物なので、自由に好き勝手にやってください』旨言われない限り、原作漫画に忠実にドラマ化することは当然という認識である」と回答した。
4月には日テレから脚本家候補者の提案があり、その中に揉めた脚本家も含まれていた。
脚本家が書いてきたプロットに原作の先生が修正を加えたりした。4月中に日テレから脚本家が決定したと通知された。
4月24日
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ「マストではないので、ご提案があれば随時お聞きしたい」(と添えて原作者の意見を伝えた)(小p16)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ未完部分はドラマオリジナルのエンドでよい(日p9)
日テレの調査によると、この発言は「未完部分は原作に影響を与えないよう、原作者が提案するものをベースにしたドラマオリジナルエンドで良いという趣旨で言った」とのこと。
5月19日
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ原作者としてエピソードの順番の入れ替えをしないよう脚本家に求めた。...送信メールに「 『セクシー田中さん』はキャラクター漫画だと思っています。それ故キャラクターを好きになってもらうために、各エピソードが綿密に構成されているので、やむを得ない場合以外はできるだけ、原作の流れを崩さないで頂けたら…と思っています」と記載し、編集者の立場からの希望を述べた。(小p17)
電話でドラマ化にあたってはやむを得ない部分はあるということを説明し了承を得た。(日p16)
6月6日
日本テレビ社内で 10 月期クールの日曜ドラマ化で決定になりそうだとして契約締結の段取りについて相談したいとの連絡(小p19)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ日本テレビ社内で正式決定されたら...連絡するように求めた(小p19)
6月8日
「日テレ内で『10 月ドラマ枠』で正式決定いたしました。」とメール(日p17)
(小学館社員に対し)契約の話を進めるように要請した。(小p19)
日テレの調査報告書によると、事前にドラマ化自体と放送枠は決まっていたが、初回放送日がこのタイミングで決まった、としている。
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ電話で改めて、ドラマのオリジナル部分は芦原氏が詳細プロットを書き、これを受けて脚本家が起こした脚本を了承しない場合は脚本を自ら書く方法を提案し、脚本家に失礼にならないよう了承を取ることを求めた。(小p21)
芦原氏に書いてもらうことはありがたいと賛同し、脚本家にもうまく話しておくと回答した(小p21)
「ドラマオリジナル部分は原作にない部分を描くため、本件原作者にとって非常にセンシティヴであること、本件原作者の過去のドラマ化の経験から本件原作者から提案したほうが良いであろうこと、提案の形態は、プロット若しくはロングプロット(なるべくセリフを多めに書く)とし、本件原作者が作成して本件脚本家が読み込んだ上で、本件原作者の意図を最大限汲んだ形で巧妙に脚本化できればベストであること、ただし、脚本化の過程で本件原作者の了承がどうしても得られない場合は、本件原作者自ら脚本を執筆する可能性があること、これを実施すると、専業の脚本家の方に大変失礼であるので、予め了承を取っておいてほしいことを述べ」日テレ社員の了承を得た、とのこと(日p18)、しかし日テレ社員は、
「もし脚本が芦原先生の意図を十分汲まず、芦原先生の承諾を得られないときは、芦原先生に脚本も書いてもらうこともある」と言われた記憶はないと否定しているが、詳細プロットを書く話を聞き、感謝したことは認めている。(小p21)
原作者自ら脚本を執筆する可能性があること、これを実施すると、専業の脚本家の方に大変失礼であるので、予め了承を取っておいてほしいことは、この時点では言われた記憶はない(日p18)
小学館のレポートでは日テレ社員は「明確な条件としてはお伝えいただいておりません」とも回答し、話があったことを否定してはいない、と強調している。
「契約書の件承知しました。(日テレ社員)より(小学館社員)から契約にあたっての 9、10 話のロングプロットの話など聞きまして、こちらとしては合意で契約すすめたいというのは(日テレ社員)に戻させていただきました」(小p22)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ「脚本家の方との向き合いもあると思いますので、なかなか心苦しいのですが」との懸念を示しつつ「その先のドラマオリジナル展開に関しては、芦原先生の方から、脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案させて頂けませんでしょうか」と、提案(小p22)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ「許諾の条件という程ではありませんが、はっきりとした要望としてご検討頂けますと幸いです」(日p19)
小学館のレポートは「交渉への配慮として許諾条件という程ではないとしながらも」と注記している。
「結果進めさせて頂くとのことで承知しました。9話あたりからのドラマオリジナル展開に関して芦原先生の方から脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案して頂く点も承知しました。芦原先生の原作の世界観もあると思いますので具体的に頂けるほうが良いと思います。(小p22)
こちらからもそのご提案を受けて、案だしもさせて頂ければと思いますが、その方向で進めさせてください。」(日p19)
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ具体的な進め方は...(別の社員)と相談するように求め、原作利用契約は小学館から連絡するとのメールを送った(小p22)
進め方の相談の電話を...(その小学館社員)にするとメールした。
日テレ側の聞き取りによると、日テレ社員は「脚本は本件脚本家が書くものだと思っていたため、…メールにある『脚本』という点が引っ掛かった。そこで、」
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟ9、10 話に関しては、原作者にプロットを書いて頂く方向で進められたらと思う旨メールにて回答した。(日p19)
小学館の調査報告書によると小学館担当者は「この提案は、プロットを忠実に脚本に起こしてもらえるならば、という前提での提案であり、この時点で芦原氏の脚本執筆を条件から外した事実はない。」とのこと(小p22)。日テレの調査にも同様の回答をしている。
「テレビドラマとして本件原作者のプロットが通用するかどうかは実際にみてからでないとわからない」旨回答し、本件脚本家の執筆したものでラリーをさせてほしいという旨伝えた(日p18)
さらに、「この時点で本件原作者の了承がどうしても得られない場合は、本件原作者自ら脚本を執筆する可能性があることについて本件脚本家に了承を取っておいてほしいことは言われたことはない」(日p18)としている。
ᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟᅟドラマオリジナル部分については本件原作者からロングプロットの提案をしたい旨連絡があった(日p18)
それで良い旨... 回答し、...(小学館担当者に)伝えた(日p18)
高々数MBをケチってログの残らない媒体でコミュニケーションを取るのはリスクでしかない。6月9日に何が起こったかについて双方の意見は真っ向から食い違ってる。お互いがああも自分の意見を主張できるのは、相手方に記録が残ってないという確信があるからだと思う。彼らの読みは正しくて、だから結局どちらが正しいのかはわからない。真実は闇の中。ログの残らない電話だから。
・ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。
・漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。
原作者が用意したものは原作変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある。
これらを条件とさせていただき、小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。
...「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。
(原作者のブログ記事より。アドレスはここだった http://ashihara-hina.jugem.jp/?eid=244 )
わたしの社会経験は豊富とは言えないけれど、小学館お墨付きのブログの「本当にこの条件で良いかと何度も確認させた」というのは誇張した表現としか思えない。少なくとも6月10日まで、原作者サイドはいろんな状況で何度も原作に従うように打診してきた。だけど「改めて」原作が脚本を書く了承を求めた6月8日以前にそれを求めた証拠を、わたしは小学館のレポートからさえも読み取ることはできなかった。そして「許諾の条件というほどではありませんが」… これが交渉の配慮から出てきた言い方なのは分かるが、「許諾の条件ではない」とワザワザ明記した要望が「許諾の条件だ」なんて認められない。これこれが条件だ、さもなければドラマ化は無しで、と言葉は強いかもしれないがビジネスの場では明確に迫るべきだと思う。
日テレ社員は6月10日のメールで「脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案して頂く点も承知しました」と一旦は納得してる。これは双方のレポートで食い違いがない。だけどその後に、「待てよ」と思い直して「(脚本ではなく)プロットで」と確認して小学館社員も方針に納得したらしい。しかし小学館社員は方向転換しない等とは言ってない。前提が覆れば現在の方針を改めるつもりでいた。このような『現在の方針の確認』は『契約の条件』というには曖昧に過ぎると思う。日テレ視点では脚本の話はそのメールでイキナリ飛び出てきた文言だったのかもしれない。だけど誤って受け入れた原作脚本の可能性を否定したいなら、「原作者が脚本を書く可能性は無しでお願いします」とハッキリ言わなければならなかったと思う。
日テレが出した報告書だと脚本家の非が大きく見えたものが、小学館のほうだと脚本家は仕方なかったという結論になっており、脚本家を守るような内容になっているのが何故だろうかと。
日テレの立場としても節々に脚本家を守りますという意図は読める。わりとわざとらしく。
しかし内容を読めば脚本家がこんなことを言ったので、日テレは困り果てちゃったよぉという内容なのだ。
小学館の気付きは遅かったのかもしれないが、気づいてからは脚本家を責める姿勢を止めている。
SNSを見た芦原先生に対して脚本家がなにも知らない可能性があると言うほどだ。
時系列をみればSNSはトドメだったようにも見えるが、すでにこの時点で芦原先生は限界なのである。
結果論小学館の読みが正しく日テレの脚本家へのディスコミュニケーションが極まっていたのだ。
小学館は脚本家を批判する姿勢を全く取っていない。また内容証明なども大して問題にしていない。これは意外な態度であった。
しかし庇ってはいない。庇ってはないが事実を羅列するとそれが正しいといった感じである。
また両文を読んで疑問に思うのが、制作側のスタッフが一人の若手プロデューサー中心に回っており、現場は大混乱に陥っていそうなのだが、チーフプロデューサーがなかなか出てこない。
忙しかったからチーフは来れなかったと日テレが結論づけているが、流石にどうだろうこれは。一人のプロデューサーが背負う責任にしてはかなり大きい事案だ。
またここに出ていないスタッフが気になる。演出の存在だ。演出といえば映画で言うところの監督的位置である。
スタッフを見ると映画経験もあるベテランの日テレドラマ監督が演出に参加している。しかしこの人物は報告書にほとんど出てこない。
現場は何を知っているのか正直非常に気になっている。若手プロデューサーはこの現場をちゃんと把握していたのか?脚本家の意見を大事にせず、原作者の意見も無視し、なにに従ってドラマを制作していったのかが全くわからない。よく完成させて放送できたもんである。
日テレは演出や制作スタッフの範囲を広げて追加で聞き取りすべきだろうし、小学館は…もしかしたら裁判に持ち込む気なのかもしれないが、ここで膿を出し切るのは後のために重要だろう。
小学館含む原作者側がどれだけ振り回され、心労を負ったか、という点にフォーカスしているのか日テレ版で言うところのラリーの詳細が多い。
漫画家の芦原妃名子先生がご逝去されたことについて、改めて、先生の多大な功績に敬意と感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
重箱隅つつきなのはわかりつつ。報告書冒頭にはまずこれがあるべきですよね。
(日テレ版は報告書本体のリンク元であるプレスリリースには同様の記載があるが、肝心の報告書冒頭には記載していない)
日テレの2人目の対応者って上司やったんかよ!!!いやそんな気はしてたけどさ!!!
そもそも小学館側はきちんと担当部署だけでなく、各社員と上司を明示していてこの時点で日テレ版より分かりやすさが違う。
特に問題はないという意見を示しつつ、気になる点として、第 2 話脚本中に若い男女のメッセージのやり取りをメールでさせていることについて、今どきは LINE が普通ではないかと指摘したり
「今時のJKは短大よりも専門学校だ」という議論をできるドラマスタッフが、今時の男女のメッセージやり取り事情に精通していないなんて…。
また併せて飼っていたハムスターの逃走範囲に関するセリフについて、原作漫画の 100M 以内との吹き出しの記載を 200M 以内に変更した点にも疑問が呈された
(略)
ヒンズー教徒が多いインドでベリーダンスをするという点に疑問を呈した
(略)
またダンスの動画についても、初心者に過ぎない田中さんのダンスが動画で評判になるほどのものではあり得ないこと等の理由を詳細に説明して、日本テレビの補足説明中の提案を認めなかった。
日テレ版では省略されていた「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」の具体的な例をきちんと書いてくれてますね。
「めっちゃ打ち合わせして議論してより面白くなるよう頑張ったんすよ」アピールしてた日テレさん、これも全て改変の意図がきちんと伝わらなかったの一言で済ますの?
社員 A は、上記の 10 月 2 日の日本テレビ社員 Y 氏あてメールで、本件脚本家に関して次のように問いかけている。
「確認なのですが、芦原さんが描き下ろした 8~10 話は基本的に変更無しで使用してほしい、という話は●●さん(本件脚本家。原文は実名)に伝わっていますか?●●(社員 B。原文は実名)から●●さん(日本テレビ社員 X 氏。原文は実名)にもお電話差し上げたのですが、そのお話しは●●さん(日本テレビ社員 Y 氏。原文は実名)に伝わっていますでしょうか?」
以後のメールで日本テレビ社員 Y 氏がこの点について回答した形跡はない。また本件脚本家によると、同氏は一切聞かされていないとのことである(本委員会質問に対する回答)
都合の悪いメールは読まなかったことにして無視、切羽詰まるとよくあるよね~(あるなよ)
10 月 5 日 16 時 45 分、芦原氏は社員 A に第 3 話脚本のシーン 50 で演じられるダンスが「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」ことになっているが、これを「普通のドラムソロ」に変更するように日本テレビ社員 Y 氏に急ぎ伝えるよう要請した。
芦原氏が問題としていたのは、同シーンでベリーダンスを田中さんがステージで踊る際、演出では「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」こととされていた点であり、芦原氏は、社員 A に対して、ハリージ衣装でドラムソロを踊ることは、ベリーダンスの歴史的、文化的背景としてあり得ないので日本テレビ社員 Y 氏に確認してほしいと求めたのである。芦原氏の求めを受けた社員 A が同日 19 時 50 分ショートメールで、日本テレビ社員 Y 氏に対し、芦原氏からの依頼として、「ハリージ+ドラムソロ」はダンスの監修者が OK しているとは思えないので確認してほしいとの依頼があったことを伝えた。
これに対して日本テレビ社員 Y 氏は社員 A に対して直ちに、ダンス監修者には「OK 頂いている」という認識であるが、改めて確認すると返し、同日 23 時 35 分にダンス監修者から OK の確認が取れたと連絡してきた。
しかしこの時、実際にダンス監修者が OK と言っていたかという点には疑問が残る。
(略)
ところが、後日、芦原氏は、「ハリージ衣装でドラムソロ」はあり得ないことを認識した。芦原氏は、日本テレビ社員 Y 氏(なお、撮影は 10 月 10日を予定していたが、日本テレビ社員 Y 氏は社員 A からの 10 月 5 日の問い合わせに撮影済みであると虚偽の発言をしていた。このことでも芦原氏は不信感を募らせていた)の対応に不信を募らせ、間違った有りようのダンスが公に放映されることを看過できず、ダンスの監修者の名誉のためにも撮り直しをするか、それができないなら番組 HP や DVD への釈明文掲載等を日本テレビに要求するように社員 A に依頼した。
3話リテイクの経緯詳細。
日テレ版では、
2023 年 10 月上旬、ドラマ撮影時に撮影シーンを巡って本件原作者が A 氏に対して不信感を抱く事案があった。A 氏は、C 氏より送付された本件原作者の意向に従って当該撮影内容としたつもりであったが、本件原作者はそのような趣旨では依頼していない認識であったため、C 氏に確認を依頼した。
C 氏を通じた本件原作者の撮影シーンに関する問い合わせに対し、A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。
その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。
と、「撮影前を撮影済みと嘘ついちゃいました、てへぺろ☆」なことしか書かれてないけど、その前に「ダンス監修者の了承が本当にあったのか?」という日テレ担当者の信頼度をさらに下げる一幕があったんじゃねーか!!!!
まさか「今から変更したらみんなに迷惑かけちゃう…」という我が身可愛さで嘘付く人でも「ダンス監修者の了承はきちんと取っていたに違いない」と信じてるの?
そしてどういうつもりで削ったの?(一応、読み落としたかと思って日テレ版を「ダンス監修」で検索してみたが見当たらない)
この間、社員 J が 7 月 27 日に日本テレビに送信した契約書案に対して同社から 9 月 26 日に修正案が戻された。
その中では、改変についての原作者の承諾に関し、小学館提示の原案では小学館と原作者双方の同意が必要としたものを、日本テレビは、日本テレビとして合意を得るべき相手を小学館に限定する修正依頼があった。
原作者の承諾は不可欠であるため、小学館を介して原作者の承諾を得ることに修正し、社員 J は部内の承諾を得たうえ、10 月 23 日に日本テレビに送った。
うーんこの。日テレが原作者をどう思ってるか本音ダダ漏れなの草でしょ。
社員 A のメールは貴重な記録であるが、社員 B は大抵、日本テレビ社員 X 氏と電話で交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。
本委員会において認定根拠としえたのは、社員 A への LINE メッセージである。日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。
しかし交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者に事故があればその成果は継承されない恐れがある。
多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。
報告書(https://www.shogakukan.co.jp/news/476401)を読んだので感想を書く。
・なるほど。顧問弁護士と社内の人だけで報告書を書くと、こういう小学館側の主張を一方的に発信するような文書になるのか。自分たちはやることやっていたという思いがにじみ出ている内容(なお、日テレの肩を持つつもりは一切なく日テレ許すまじだが、日テレは社内特別調査チームは「社内」とはいえ、利害関係のない社外の弁護士と、社内のメンバーの半々の構成。小学館のものよりは客観的な内容になっていると思った)。
・過去、漫画家の先生方が小学館の不誠実な対応を批判していたことを考えると、この内容をそのまま鵜呑みにするのもよくないのだろうなぁ。
・とはいえ、芦原先生が大変な苦労をされて何とかドラマを成立させようと頑張った様子は、文書に残っていたものであり、日テレの報告書よりも更にしっかり伝わってきた。
・契約書の着手も遅いし、その後のやり取り物凄い遅いうえに最終的に「放送終了までに日本テレビから戻しはなかった」というのは凄い話しだ。
・日テレも小学館も電話とか会議をしたら、そのときのメモや議事録を残しておかないものなのかな(提言の中でも指摘されている)。
・日テレは脚本家を含むコアメンバー皆でプロットを考えていて、そのことは小学館側に何度も伝えていたというけれど、小学館側の報告書は、脚本家が全部考えているような前提で書かれているように見える。伝わっていなかったのかな。不思議。
・日テレの報告書は、提言の中で両社のコミュニケーションを丁寧にすべきだったと言っているけれど(それが肝だろうと個人的には思っている)、小学館の報告書の提言ではそこにはあまり触れていない印象。小学館側の人たちは伝えるべきことはきちんと伝えていたという事実認定のもとでこの報告書は書かれているから、あとは日テレ側の問題であって双方のコミュニケーションの話しではないよね、という整理なのかな。
・小学館としてはドラマがヒットすれば儲かるわけで、原作者よりも日テレ側と利害が一致しやすい。そうした場合に小学館と原作者の間に利益相反が生じ、原作者が孤立する。提言の中では「孤立させない」ということは書いていたけれど、そうした構造上の問題に関する掘り下げは特段ないように思えた。実際ないのかな。
だって今のドラマは割とお粗末で、正直cmスポンサーだけ着けばいいと考えるなら絶対昔の名作をそのまま流した方が視聴率とれるし昔は昼の時間帯は実際にはそうしてた
テレビ番組ってもう広告スポンサーだと元が取れなくて、番組自体を買ってくれるスポンサーいないとキツいと聞いた
例えば最近スーパーマーケットやファミレスを取り上げる番組が増えたけど、番組で自社製品のことを扱ってくださいということで料金を出してるらしい
そう考えるとドラマにも特別なスポンサーがいてもおかしくないと思うんだよな
ひと昔前はアパレルメーカーが多かったみたいだけどアパレルは超不景気だし小規模だから一社だけで提供するのは無理だろう
そう考えるとやっぱ芸能事務所なんじゃね?と思うのよね
芸能事務所がギャラいらないからドラマの主演にしてというのであれば、コストが安くつくから新作作ろうかなとなるんだろうなと思う
そのほかアパレルメーカーやロケ地の自治体や飯屋とかからスポンサー料もらったり無償提供してもらってるのかなと思う
だからもうドラマはドラマを魅せるというより商品カタログをドラマっぽく見せるための道具でしかないのよねとゲスパーしてしまう
原作者は最終的なドラマの出来については満足していたということについてはどちらも認めているんだよな。
で、小学館の方で新たに発覚したのが「脚本家の例の投稿によって原作者は原稿が書けない状態になっていた」ということ。
これ読むと脚本家のSNS投稿が原作者の死のトリガーになったってハッキリ言ってるように聞こえる。
それがなければ制作中のトラブルはあっても「慣れない新人Pに担当されて大変な目にあったけど脚本家を追放してドラマ化大成功した件」で終わるはずだった。
日テレが再三主張している伝達のミスも、そもそも脚本家が「原作者の指摘を直接見たくない」と言い出したのが発端に見えるし、
SNS投稿の原因となった「9,10話に対して脚本家が協力などの形でクレジットを載せろという要求が通らなかった」ってのも、
それらが最終的に原作者の脚本で進んでいたことを考えると無理のあるゴネに見える。
・脚本家が見たくないと思ったほどの原作者の指摘とは具体的にどういった文面だったのか?
・9,10話には本当に脚本家のアイデアが一切(例え偶然にでも)使われていなかったのか?
・アイデアが一切使われていなかったとしても、脚本の作成を途中まで行っていた以上クレジットするというのは慣習として標準的なのか?
1つ目については両社の報告書にはやや怪しい部分がある。
原作者とのやり取りの文面は膨大な量になっているはずなのに、具体的に提示している文面は
「短大の設定を変更したこと」や「4話時点で入れ替えなどによる作品崩壊を指摘する文」など同じ箇所を引用しているのだ。
穿ち過ぎかもしれないが、他の箇所では表に出しづらい語調のものがあり避けた結果と考えることもできなくはない。
もちろん問題を考えるうえで様々な理由で被ったとは思われるが、
何にせよ大部分の文章は表に出ておらず、脚本家の要望が妥当と思える文面があった可能性は捨てきれない。
2つ目については原作者の脚本が丸ごと使われている以上ありえないように思えるが、
日テレの報告書では脚本家が「9,10 話で本件脚本家のアイデアを一切使わないでほしい」と要望した文面があり、
このことについて報告書ではスルーされている。(小学館側は知りようがないので当然不記載)
また、小学館の報告書によると、原作者はドラマの演出者からの意見を反映させて脚本を完成させたとある。
この演出者の意見がじつは脚本家の案を反映させたものであった、という可能性は無いとは言えない。
また、偶然原作者の脚本の内容が元の脚本と被っている部分があったとしても、
すでに現場から外れていた脚本家には流用されたとしか見えず、上記の要望へ繋がったとも考えられなくはない。
そして3つ目。
日テレの報告書で「状況を鑑みて脚本家の権利として商習慣上「脚本協力」のクレジットが表記されるのが当然」と脚本家が述べているが、
おそらくこれは最終的に使われなかったとはいえ「一旦は脚本を完成させるところまで作業をした」のにも関わらず、クレジットされないのはおかしいという話であると思われる。
例えばシン・ゴジラでは途中までひるね姫の神山健治が脚本を書いていたが、最終的に大まかな要素を残しつつ別物となったものを庵野が書き上げ、神山は企画協力というクレジットになっている。
これはオリジナル映画であり上山の要素もかなり残っているので当然と思われるが、
もし当人の成果物が使われていなくても途中まで参加していたメンバーはクレジットに乗せるという習慣があるのであれば、この要望は妥当であり、SNSで不本意を表明するのも妥当と言えることになる。
日テレも小学館も保身のためにより具体的な情報を出し渋っている傾向があり、これだけで特定個人の責任を論じるのは危険だと思われる。
まー、おそらく、恋愛方向ではない方向にいくんだろうなってのを思ってる
仮に告白受けたとしても、自分のやりたいことは止めないというか
恋愛一番にはならないんだろうなと
言いたいことが両者違ったり言った言わないのところもあるが大筋としてみたときの話をする。
何度も止めるチャンスはあったと思う。初手から間違っているのはそうなのだが、ミスは起こり得るものとして、最悪を引き起こさない最終チャンスはどこか考えると、脚本家がSNSに書くと言ったときだったのではないか。
どちらも見ると、この状況で脚本家がなにもSNSで言わないなんてことはないだろうと思う。脚本家はこの時点でメンタルに支障をきたしているようだが、健康でも、この脚本家でなくても、声を上げる人は多いだろう。
確かにSNSの投稿内容は考察の余地があるかもしれないが、ここでプロデューサーが脚本家のところに土下座謝罪しにいって「なにも伝えていませんでした」と言っていれば、SNSの内容は日テレ批判になっていただろう。そして日テレ側はこの問題を【もみ潰せたかもしれない】。
脚本家も原作者も何故そうなったのか分からない状態で、相手から批判を食らう状況になってしまっている。
これでなにか実際に悪いことをしていたら、批判も受け入れる余地があるのかもしれない。
脚本家からしたら、途中からはとくに具体的な指摘もせず悪口ばっか言ってきてついには降ろそうとしてきた原作者。
最悪な図式ができあがってしまっている。
日テレが正直にごめんなさいすべきだった。経験が浅く仕事ができない、ドラマ仕事に向いてない、またはノイローゼだったのはあるのかもしれないが、謝れない社会人はどうしようもない。
これ以降の対処にも改善点はある。あるのだが、それを全部改善したところでどうしても「もう遅い」感が否めない。
バッドエンドルートはここで確定をしていて、最悪に進むしかなくなっているように思う。
もみ潰せたかも、と書いたが今回表面化したことで対策を取れるようにはなった。死を無駄にするなという言葉は嫌いだが、対策をするしかないのだ。日テレはドラマを作りたいなら逃げるなよ。
ドラマ化に当たって文書での契約が後回しになり口頭契約ですませていたのも問題だった
というような反省をしているってことは
小学館ではマンガ連載する場合に、漫画家と契約書を交わしてるのかな
昔は口頭でなあなあで、みたいな話を聞くけど
芦名先生と日テレ陣営とのストーリーテラーとしての実力差がありすぎるってのが、時系列通してずっと根底に横たわってるように思えた。
そして、日テレ陣営はプライドだけはあって、そのせいで自分たちが芦名先生と比べると話にならないほどザコであるって事実を受け入れてないように見える。そもそも芦名先生と肩を並べられる人なんてごく僅かなわけだけど。とにかくそれが悲劇の元凶の一つのように見えるんよ。
そりゃ、両者を比べるのは酷かもしれない。芦名先生ってのは世界トップレベルである日本の漫画界でも更に最上位レベルで緻密な漫画作りをしてきた人。一方で日テレ陣営は長年ぬるま湯に浸かったまま出来の悪い学芸会レベルに留まり続けてる日本のドラマ界隈の凡人達の集まり。
けど、普通は3回くらい理由付きでNG食らった時点で、自分たちのアウトプットの質に難があるって発想になるよな。全部の改変に理由を用意する、理由を用意できない改変はしないってモードに切り替える。日テレ陣営はプライドが邪魔してそれが出来なかったんだろうな。
そもそも日テレ陣営は「ドラマは漫画とは違うから改変は必須」と繰り返してるけど、それって「やむを得ず改変が要るかもしれない」の間違いじゃないのか。「改変は必須」ってのは、その原義が薄れてドグマ化した主張だろう。どんなときにどんな改変がどのくらい必要なのか、それによってストーリーや心理描写や作品の雰囲気等にどう影響するかって部分がひたすらボヤけてるから、同じように「改変が要る」についてもよく考えず「改変しなければならない」と混同するようになってたんじゃないのか。
同じこと言ってる人を見かけないんだけど、これって的を外してるかな…?