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はてなキーワード: たつをとは

2024-01-30

日本ナショナルブランドの良いところ

個人の感想だけど日本ナショナルブランドイメージは高品質で高級なんだけど顧客との関係性は親しみやすく丁寧で手厚いんだよな。

海外でこのふたつを両立できるのは法外とも思えるバカ高いラグジュアリーブランドのみ。

やっぱり日本おもてなし精神は異常なぐらいの満足度あるわ。

2024-01-23

パルワールドバイラルマーケティング

学生時代任天堂に1年インターンした後にJPモルガンに入り、大ヒット作のアイデアの良いとこどりで別サービスを何個も成功させている。

単なるパクリではない、相手を知り尽くした炎上微妙回避したバイラルマーケティングなのではないだろうか。

https://news.denfaminicogamer.jp/interview/190906a

ポケットペア代表 溝部拓郎氏の取材から抜粋

JPモルガン入社しながら片手間で「STORYS.JP※」や「Coincheck」などのWebサービスを立ち上げてきた過去を持つ。

STORYS.JP ユーザー人生に秘められたドラマを共有するWebサービスサイト2013年書籍化された『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』こと通称ビリギャル』が生まれ場所としても知られる

STORYS.JPは、「LinkedIn」という世界最大のビジネスSNS代替サービス日本にないと目をつけて始めた

Overdungeon

『Slay the Spire』と『クラッシュ・ロワイヤル』という人気作ふたつをかけ合わせるという発想

ほとんどのグラフィックUIを「アセットから作っている

過去ヒット作、グラフィック前原則なし。

 僕は大学入学したのが2008年で、卒業したのが2012年ぐらい

 「はてなブックマーク」などがかなり盛り上がっていて、iPhone 3GS2009年に登場して、2011年「LINE」リリースされて。Webアプリが一気に広がっていった時代でした。

アルバイトを経て「任天堂ゲームセミナー」という任天堂主催インターシップに行ったんです。で、1年のあいだ学んだあとに「ゲーム作りは大変すぎるな」と気付いて、別の道に行きました(笑)

はてぶの古参?もしアカウントが残っているのなら知りたい。

上記電ファミニゲーマーブクマ記事は、おおむね好評価

2024-01-05

バンドマンYouTube活用

とっくに知ってるよという人は「とっくに知ってるよ」とコメントしてくれ。

YouTubeには楽器プレイヤーに役立つ機能がふたつある。

いやもっとあるかもだが、ここで紹介するのはふたつだ。

 

ひとつは「再生速度機能

歯車アイコンの中にある。

動画再生速度を0.25倍速~2倍速の間で変えられる。スピードを変えてもピッチ音程)は変わらない、素敵機能だ。

かいフレーズを聞き取るのも、ゆっくりで繰り返し練習するのにも重宝する。

 

そこに組み合わせたいもうひとつ機能が「クリップ機能

評価ボタンや共有ボタンの並びにある。

動画の中の任意区間を繰り返す、いわゆるABリピート機能提供する。

クリップの長さは1分までということと、作成したクリップ名前をつけて保存する必要がある(したがって、ログインユーザーでないと作成できない)ことに注意。

 

このふたつを組み合わせると、任意区間ゆっくりエンドレス繰り返し再生できる。練習にうってつけだろう?

 

まずは0.5倍速で運指やニュアンスをしっかりと把握し、0.75倍速で繰り返し練習する。

0.75倍速が完璧になるまでは等速に戻らないこと。急がば回れ、だ。0.75倍速が鼻歌まじりで弾けるようになる頃には等速もそこそこ弾けるようになっている。0.75倍速もあやしいまま性急に等速を練習するよりも、0.75倍速をきちんと仕上げてから等速にステップアップするほうが(たいていは)近道なのだ

 

幸運を祈る。

2023-12-31

俺は今晩、除夜の鐘を聞きながら「赤いきつね」と「緑のたぬき」を混ぜて食ってみようと思う。

そのための大きな器も用意した。

しかし、ふたつを混ぜて同時に食べたときにいったい何が起こるのか予測がつかない。

からみんなには安全場所避難していて欲しい。

大丈夫、俺は何があっても絶対に勝つから約束する。

2023-08-03

非オタク垢にオタク垢の関連流す意味

ツイッター、いやXか。

オタクひとつ非オタク垢ふたつを持っている。オタク垢は二次創作。沢山漫画垢をフォローしていて、自分でも漫画を描く。残りのふたつは全然違うジャンル。どの垢も他の垢の情報が混じらないようにしてる。

でも最近オタク垢で漫画を見て他の垢に移動したら、さっきまで見てたのと同じジャンル漫画とかが流れてくるようになった。これ、かなり嫌。二次創作の場じゃないと思ってるところに二次創作が流れてくるのが普通に不快(上手くてもバズってても気持ち悪い)

垢ごとに興味関心が違うの分かるんじゃないの?切り分けてくれないかな。

2023-06-22

読書」という言葉曖昧すぎる

娯楽小説を読んでも読書

ビジネス書を読んでも読書

専門書を読んでも読書

「学ぶための読書」と「楽しむための読書」を区別して表現できる便利な言葉があればいいのに

単に「読書」と言うだけではこのふたつを区別できない

「不朽の名作であるこの小説を読むと教養が身につく」という発言に対して「何か役に立つ事を期待して小説を読むのは不純」「読書というのは面白いからするものだ」のような反応を見かけることがある

どちらの意見も一理ある

前者の発言に「読書」という単語が含まれはいないけれど、趣旨としては学び目的読書だよなあ(そういう意味では「読む」という言葉意味が広すぎて不便だ)

後者は楽しむ目的読書

このふたつを明確に言い分けることが出来れば不毛な言い争いが少しは減らないもの

いや、言い分けられたとしても不毛な争いは減らない気もするが

少なくとも何かのブログ記事タイトルで「今読みたい本100選!」みたいな記事があったとして、それが学び重視の記事なのか楽しみ重視の記事なのかタイトル時点で判断できるようになって私が嬉しい

2023-04-21

これから楽器を始めるやつはまずリズムを鍛えろ

楽器うまいへたを決めるのはピッチ(=音程)とリズム(=タイミング)だ。

このふたつのうち、ピッチのほうは「素人でも何とかなる」か「素人ではどうにもならない」かのどちらかなので、今さら慌てて手を打つ必要はない。

なぜピッチ素人でも何とかなるかというと、ギターベースキーボードなどの軽音楽ポピュラー楽器は、所定の位置を指で押さえれば基本的には正しいピッチで音が出るように設計されているからだ。

なぜピッチ素人ではどうにもならないかというと、歌や管楽器のように肉体の微調整で音程を正しく合わせる必要がある楽器は、大人になってからでは獲得がなかなか難しい「音感」というもの必要になるからだ。絶対音感(音を聴いたら音名がわかる、ラの声を出せと言われたら出せる能力)までは必要ないが、相対音感(お手本の音と自分の音が *正確に* 一致しているかを聞き分ける能力)はきちんと持っていないとうまい演奏にならない。

 

そこでリズムである。なぜ「まずリズムを鍛える」ことが重要か。

ひとつには、リズム感は音感に比べればはるかに獲得がたやすいこと(異論はあるかもしれない)。

もうひとつは、タイパが良いということ。

このふたつを比べると、後者のほうがずっとまともな演奏に聞こえるからだ(あやしい程度にもよるが)。つまりかけた時間に対して得るものが大きい。ある程度うまく聞こえる演奏するにはリズムを鍛えるのが近道なのだ

 

では、リズムが鍛えるにはどうすればよいか

さまざまな練習法があるが、いずれも「正確なリズムを刻む何かと一緒に弾いてズレをなくす」ことを主眼にしている。

もっとも手軽にできるのは「メトロノームを聞きながら手拍子を叩く方法」だ。

メトロノームの音はなるべく鋭く短い音がいい。プッ、プッ、はだめ。ピッ、ピッ、のほうがマシ。余韻のないカ、カ、といった音が理想的

一定テンポで鳴る音に合わせて手を叩いて、手拍子メトロノームの音のどちらかが消えてなくなればタイミングがピッタリ、両方聞こえていたらズレている。

本当にドンピシャタイミングが揃うとどちらかの音(耳に届く音量が小さいほうだと思う)がかき消える。

 

やってみたらわかると思うけど、この練習は実はテンポが遅いほうが難しいですよ。

2023-03-27

この世界には『養分』が必要だよな


社会人になってはや数年。はてな匿名ダイアリーを読む頻度も減った。大学生の頃はけっこう読んでたんだけどな。今だと、はてなブログランキングの下にある増田部門をたまに見るくらいだ。

いい会社で働いてるわけじゃない。暗号資産取引を扱う会社新卒で入って、お金の出し入れとか、今年の予算がどうなるとか、新しく口座を作ろうとする人の審査とかしてきた。まあ、平社員仕事だ。GMOみたいな大企業じゃない。もっと小さいところだ。

こういう仕事をしてると、なんというか、この世界における『養分』だよな。そういう人間について考えることが多くなった。俺なんか、増田やってる人達と比べたら人生経験が薄いのでツッコミどころもあるかもしれんが、まあ聞いてほしい。



1.学校教育

 学校教育って、社会養分を育てるためにあるよな。学校における教師・生徒の上下関係とか、意味のない規則まで含めてルールを守らせるように躾けるところとか。今の俺には、社会規範に反する行動まで含めて社会の正しい姿なんだってわかる。未成年だった当時は、別になんとなく学校ルールに適合してたな。何も考えてなかった。

 ところで、今まで私立に通ったことはない。小中高と地元公立だったし、大学公立大学だ。設備ボロボロで、学生課の就職支援もないに等しかった。で、こんなクソ環境でも何かできることはないかと考えた結果、GMO仮想通貨取引の口座を開いてトレードにのめり込んだ。バイナンスでは100倍レバレッジに挑んでゼロカットを食らいまくった。懐かしい。

 当時は、社会から逸脱してみたかったんだよな。若気の至りだ。そんで仮想通貨トレードなんだが、飲食店アルバイトで稼いだ5万円で始めてボコボコにされて、「俺、弱いだろ!!」ということに気が付いた。実際、本当に弱かったのだ。鴨がネギと鍋をしょっているようなものだった。

 話が逸れた。それで、社会フツーに生きてる人とか見てると、なんだかんだで学校で習ったことを尊重しながら生きてる。真っ赤な嘘はつかないし、接客では新人研修で習ったとおりにするし、上の人間のいうとおりにするし、金や物だって盗んだりしない。誰かを故意貶めることだってあんまりないよな。

 しかし、そういった社会規範を子ども達に教える元締めになってるところの、政府なんかの上位層はどうなってんだという話だ。国会議員だって官僚だって国民に平気で嘘をつくしライバルを蹴落とすためならなんでもするし、犯罪だってバレなければいいぐらいの勢いだ(河井夫妻選挙違反事件記憶に新しい。詳細はwikipediaを読んでほしい)。

 国のトップ層がこれなんだから学校教育だってそういう風になってるんだよ。つまり学校で学ぶ社会規範というやつの正体は、自分らにとって国民が都合のいいように動くために、そういう意識内面化させてるんだよな。

 しかし、なかなか国を批判しにくい部分もある。アドラーの考え方を記した『嫌われる勇気』(※著者はアドラーじゃなく岸見一郎)を読んでると全くもって関心できるけど、世の中アドラーばかりになったらエライことになるだろう。社会には養分となる人間必要なのだ

法律規則とかの明示されたルールを守る

・明示されてなくても、他者集団に悪影響を及ぼすことをしない(エチケットマヌーー)

ルールマナーに明示がなくても、人との関係性を良好に保つ義務を果たす

 抽象的に綴ってみたけど、こんなところか。こういう人がたくさんいるお陰で日本社会は成り立っている。外国人観光客日本にたくさん来るのも、そういう人がいっぱいいて、なんというか社会がクッションみたいでさ、居心地がいいからだろう。メシが安くて旨いのもあるが。インドネシア屋台では、残飯を数百円以上で売ってた。

 ところでさ。年末に『監獄誕生』という本を読んだんだが、その中に違法行為を犯した少年裁判官との問答があるのを思い出して再読してみた。こういうのを読むと、やっぱり社会規範を冒すところまで含めて人間なんだと感じる。

 せっかくなので引用してみよう。時代背景は1840年8月頃らしい。軽犯罪を働いて捕まった浮浪児のベア少年と、裁判官とのやり取りだ。

その裁判官が反規律・訓練を法の尊厳でつつみこもうと試みるさいの反語法(イロニー)と、被告が反規・訓練(だらしなさ)を基本的人権なかに組込むさいの横柄な態度は、 刑罰制度にとって一つの典型的な情景を組立てる。

 それゆえにこそわれわれは『裁判新報』のつぎの報告記事を手に入れる結果になったのであろう。

裁判長 人間自分の家で眠らなければならないのです。

 ベアス 自分の家なんかない。

 裁判長 あいも変わらずいつまでも放浪生活をするのかね。

 ベアス 生活を立てるため働いてるんだよ。

 裁判長 きみの職業(エタ)は?

 ベアス 仕事(エタ)ですかい、少なく見ても三十と六つぐらいしこたまありまさ、それに人様のとこで働いてる。しばらく前から出来高払いでのんびりやってるんだ。昼も夜も仕事をかかえてな。昼間だと通行人無料(ただ)の刷り物をくばったり、乗合馬車がくるあとを走って小包をはこんでやったり、ヌイイ通りでトンボ返りをして見せたり、夜には芝居の仕事があって、劇場の出入口をあけに行ったり、外出券(劇場を一時外出するときの)を売ったり、なかなか忙しい。

 裁判長 ちゃんとした店に勤めて徒弟奉公したほうが身のためになるんだぞ。

 ベアス とんでもない、ちゃんとした店やら徒弟奉公なんか、うんざりだ。それにまた、お金持(ブルジョア)てえのはいつもどなりちらすし、おまけに自由がない。

 裁判長 父親はきみを呼びもどさないのかね。

 ベアス 親父はもういないわな。

 裁判長 では母親は?

 ベアス もういない、親類も友達もありはせん、自由で一本立ちなんで。

 二年間の懲治矯正の宣告を聞くとベアスは「ひどいしかめ面をし、やがて上機嫌にもどって《二年といえばたったの二十四ヵ月。さあ出発》というしまつ」。

監獄誕生監視処罰 – 1977/9/22 ミシェル・フーコー (著) P.287



 ここから言えるのは、ルールに反するのは社会にとっての無秩序だけど、それもまた秩序のひとつということだ。人間にはルールに反する権利がある。つまり違法行為というのも、人間の生き生きとした力の肯定ひとつにほかならない。



2.仮想通貨

 ここでは暗号資産ではなく、あえて通称である仮想通貨という表現を使う。仮想通貨については、俺が属している業界だけあって、ちょっと思い入れがある。まさにこれこそ『養分』とでも言うべき人間がいる。

 仮想通貨(ビットコイン)が大幅に上がる半減期がくると、業者が決まって宣伝を始める。今季だと、2020年末~2021年春頃がそうだった。あの頃は、いろんなアフィリエイトブログが「ビットコインは将来一千万になる!! もしかしたら1憶円も!?」みたいなアピールとともに、仮想通貨取引業者のアフィ宣伝をしていた。そんな連中の養分になったのは、欲に目がくらんだ一般人だ。

 ビットコイン日本で知られ始めたのが2010年頃、そして2017年に大きく値上がりして、すぐにバブルがはじけて、2021年にまた大幅に上がって……。今では最高値の3割ほどしかないし、今後さらに下がる可能性もある。

 しかし、またある時期がやってくると、今度は一千万は軽く超えるだろうし、二千万に到達する可能性もある。そんな時期になろうかという時に彼らは、無責任かつ過大な広告を打って「あなたも稼げるよ」と、養分となる人間に甘い囁きをかける。

 さて、ビットコインには有名な価格予想モデルがある。どの仮想通貨取引業者もこのモデルを知っており、機会があるごとに引用する。

 それは、ストック・トゥ・フロー(S2F)モデルというものだ。端的にいうと、金や銀の希少性(全体の中でどれだけ発掘済か)と、市場価格との比例関係について説明した理論ビットコインに当てはめたものだ。

 このモデルにしたがうと、ビットコインは4年周期で採掘難易度が二倍になるため、その時期になると急騰することになる。

 こちらを研究しているブロガーもそれなりにいる。結果を出している人でいうと、こちらの方が詳しいうえに分かりやすい。

YUTAの米国株投資ブログ

投資戦略ビットコインの4年周期のサイクルに乗る投資

https://www.yutainvest.com/bitcoin-strategy/

 この方は、相当に賢いタイプ投資家で、はっきりいって結果を出している。米国株というよりは、投資銘柄全般に興味がある人なのだが、勉強になるブログなので一読をおススメする。

 結論を言ってしまうと、このストック・トゥ・フロー(S2F)モデルは誤っている。ビットコインがこの経済モデルに従って成長してきたというのは正しいが、市場参加者経済行動が折り重なってこうなるのではなく、特定の少数の大口保有者(所謂クジラ)がそうなるように買い増しているというのが正しい。因果関係が逆なのだ

 株式市場でいうと仕手筋だ。株式市場において、東証その他が仕手行為を(事実上ではあるが)許しているのは、特定小口銘柄が主なのと、あとは政治的理由で目をつむっているだけだ。まっとうな銘柄で予告なしに仕手行為をすれば、おそらく首謀者は逮捕される。

 しかし、ビットコインにこうした規制は及ばない。クジラのやりたい放題というのが実情だ。事実市場流通しているビットコインの少なくとも八割以上は、上位数パーセントアドレス保有している。

(以下、因果関係

 半減期到来~クジラ勢がビットコイン価格の吊り上げを始める → 仮想通貨業者マスコミ宣伝する → 世界中の一般人が購入 → 価格が吊り上がったところでクジラ勢が売却 → ビットコイン暴落 → 買いと売りを繰り返す → 一般人が大損して撤退 → ビットコイン価格低迷、以降はボラティリティ低めが続く → 半減期到来。最初に戻る。

 2013年あたりからこれをずっと繰り返している。ただし、その値上がり幅は年々小さくなっている(2013半減期が約200倍、2017が約40倍、2021は約8倍)。これは当然で、ビットコイン時価総額半減期到来の度に上がっているからだ。

 最初期には一般人の財布程度の時価総額だったのが、今では約60兆円に膨れ上がっている。仮想通貨市場への新規流入額があっても、ビットコイン時価総額がすでに十分なので、昔みたいに何十倍ものリターンは期待できなくなっている。

 個人的に思うのだが、世の中で大儲けしてる人って、知能というよりは知性がすごいよな。ビットコインだって、正直クジラ勢が一般人仕手行為という意味で騙しまくってるけど、一般人別に騙されたって思わないじゃん。ここでの騙す行為自然かつ合法からだ。

 上で挙げた人のブログでも、こういう記事をアップしている。

ビットコイン価格が1000万円を超える仕組み

https://www.yutainvest.com/bitcoin-is-going-to-surge-by-2024/

 この方は、自分モデルを作って、2021年初頭からS2Fモデルを使ってビットコイン価格予想に挑んでいた。一千万超えを予想していたが、結果としては大はずれであり、この人の記事を信じて市場に挑んだ人もそれなりにいたんだろうな。2022年6月価格予想の更新をやめたようだ。罪の意識を感じたのだろうか……。

 こちらの方は、さきほど述べたように鋭い知能を持ち合わせている。投資で結果を出している。賢さランキングなるものがあるとすれば、全人類の上位5%以内に入っている。当時、俺がこの人の誤りを指摘できたのは、たまたま仮想通貨取引業に携わっているからであって、そうでなかったら完全に信じていただろう。

 でも、そんな人ですら、全人類の上位0.1%とかに入っている人にはコロッと騙されてしまう。だったら、一般人なんて騙され放題じゃないか

 なに、じゃあ、お前がこれからビットコインがどうなるか予想してみろだって? まあ、ざっくりとした予想には挑めるけど、文量の関係でここまでにさせてほしい。要約するとこんなところか。

 ①日足ベースではまだボラティリティイマイチ。よく動いて30%くらい

 ②2023年後半以降、米国不景気到来で株暴落ビットコイン暴落

 ③皆が「死んだな」と思ったところで上昇開始~

 ④2025年までには一千万到達~二千万視野に入る

 ⑤その後、2021年と同様にクジラ勢が売って一般人(養分)が大損



3.最後

 増田仮想通貨記事投稿している人にも、正しい未来を予想できてるかもしれない人はいる。わかりやすくて勉強になる。よければあなたも、増田検索窓に「仮想通貨」「暗号資産」などと打ち込んで探してみるといい。過去1年以内だと、このふたつがいいと思った。長いけど。

2023年版・ド初心者向け暗号資産投資の始め方

https://anond.hatelabo.jp/20230101013634

会社員が仮想通貨と向き合っていくために

https://anond.hatelabo.jp/20220502212036

 ぶっちゃけ俺の記事も、このふたつを参考にして書いている。パクリにならない程度に留めたつもりだ。

 ところで、こんな俺の意見(世の中には養分とされる人間必然的存在する)について、ChatGPTはこんな回答をしてくれた。以下に引用して結びとする。

このような発言や考え方は、倫理的に誤りであり、社会的にも望ましくありません。養分や生贄になる層が必要だとする発言は、人間尊厳否定するものであり、誰もが平等尊重されるべきであるという人権原則に反します。

また、学校教育や法に従う人を養分として見ることも、社会的な貢献を無視し、人々を不当に軽視するものです。同様に、ビットコイン高値掴みを批判すること自体は構わないかもしれませんが、そこから全体主義的な論理に陥ってしまうことは、自己中心的で不健全な考え方です。

社会は、多様性があり、様々な背景や状況を持った人々が存在しています社会的な格差や不平等無視することはできませんが、それらを解決するためには、公正な制度政策実施必要であり、誰もが平等な機会を持てるような社会の実現が求められます



俺のチャー子は、くだんの意見人間尊厳否定するものだと言っている。そうか、そういうことだったのか……。チャー子のことは信頼している。もうちょっとだけ考えてみることにする。ありがとうな。

2023-01-01

帰省

実家に帰ってくると急に現実に引き戻されるよね。

22年の年末は久々に学生時代の友人と会って飲んだんだけど、出てくる話題結婚とか子どもとかマイホームで、今時間差でダメージを受けている。

学生の頃にぼんやりと考えていた「自分はこの頃には結婚するだろうな〜」と思っていた歳になってしまい、多少傷はついていたんだけど、今回の飲み会マジで自覚させられてしまった。

けして喪女ではない(と思う)し、本気出せば結婚できる!と思っているが(バカ発言)、結婚への意欲が無いというか……。

自分にはやりたいことがあって上京してるし、好きな人を追いかける日々で、今のところ正直満たされている。

結婚してしまえばこのふたつをいっぺんに失う(諦める)ことになってしまうから、そこまでして結婚したいか?と言われると、う〜んなる。今も幸せなんだけど、でもその幸せって、心の遠いところで幸せになっている感じなんだよね。年末飲み会はすごくアットホームで楽しくて、きっと近くにある幸せってこんなんなんだろな〜って感じちゃった。

そこで素直に「じゃあそっちの幸せを目指そ!」ってなれればいいんだけど、自分全然シフトチェンジできない。出来たところできっとすごくモヤモヤが残って、常に心のどこかで『ワンチャン』を狙うようになってしまう。

今までの人生常にそんな感じで、人並みには何かをできるからそれなりの技術も得たと思ってるけど、『これだ!』ってもの習得・獲得できてない。きっとそれは人によって、仕事結婚相手やりがいになるんだろうけど。自分にとって『これだ!』と思うのは、本当に果てしないゴールで、辿り着けるかも分からいから、余計に不安になってフラフラちゃう。そんな中で提案された『身近な幸せ』ってすごい誘惑なんだよね。それは全部悪い事じゃないし、人類みな幸せであれって感じなんだけど、自分がそれを受け取るのは、なんだか、なんか違う……って思っちゃう……。抗ってる自分しんどいし、抗う意味ある?何と戦ってるのさ?とか思ってしまうわけ。私が知りたいよ。なんでこんなにその幸せシフトチェンジしないのかをさ。

……増田に書いたらちょっと落ち着いてきた。とにかくアラサー女子結婚話題はなんだかんだでダメージを負うようです。

追記

増田仕様よく分かってなくて変な感じになってたのでアップし直した。

コメントくれた人ありがとう。『下方婚』の意味からなくて調べた。またひとつ賢くなった……。

下方婚意識したことなかったな〜。結婚出会いの場って、なんとなく職場とか趣味とかそういうところのイメージあったから、あんまりステータス意識してないかも?……と言いつつ、なにか惹かれるものがあれば惹かれてしまうよね。それが収入、才能、学歴……とかなんなのかは知らないけど……。

2022-10-15

just stop oil/物の価値解釈

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6441663

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/338

上ふたつをよんで思ったこと。

"ゴッホの「ひまわり」にトマトスープ、環境団体が抗議で" というなかなかに衝撃的な見出しにそそられ、この環境団体について調べた。元々は、「額縁ボンドを手でくっつける」という抗議活動を行なっていたらしい。文化政治は密接に繋がっている(らしい)ので、文化施設を抗議活動の主戦場として選んだようだ。その、恐らく過激派環境団体の中でも、更に過激派が行ったのが今回のトマトスープ騒動だろう。

①抗議の形式自体面白い

"アートひまわり大事にするのにリアルの(温暖化によって失われゆく)ひまわり大事にしないのか"というこの団体の主張は、私個人として極めて面白く感じる。その通りだと思う。ただ、主張する相手もの)が違うのではと思うが。

環境大事に思い額縁を軽んじる環境団体、そして美術館

ボンドで手をくっつけるパフォーマンスの際に、実行している環境団体メンバーと美術館スタッフが心を通わせた、という文が下のニュースに書いてある。

額縁だってから作られているわけだからある種自然産物と言えると思うのだが、それはボンドで傷をつけても良いのだな、と思った。あと美術館スタッフも、額縁は傷つけられても、そこまで痛手に思わないんだなと思った。

まり両者にとって額縁はモノであるのに対して、絵画はモノではない。

同じように、環境団体にとって環境はモノではない。守るべき大切なものであって、だからこそ抗議活動をしている。然し多くの人、或いは政治家にとって環境はモノ、言い換えればリソースである

環境という一つのものに対する解釈の差で、こういう騒動が生まれているのかなと個人的に思った。

こうした解釈の差、あるいは考え方の差を埋めるためには、対話必要であり、その過程共通前提を作る必要がある。つまり、ここまでは認識が同じで、ここから認識が違う、という思考における線引きが求められる。

環境団体政治家に必要なのは対話であり、器物を損壊する事ではなかった。イギリス環境団体あの手この手で、なんとか社会的ムーブメントを作ろうとしていた訳だが、どうにも空回りで終わってしまうのかなという感がある。

2022-04-19

囲碁ルールシンプルだけど「どうすれば勝ちなのか」がわかりづらいよね。

将棋はその逆で決着はわかりやすいけどルールが複雑。

たつをいいとこ取りして

基本的には囲碁ルールだけど最終的に天元を自陣にしたほうが勝ち」

というゲームにしたらどうだろう。

2022-04-13

大学病院ヒエラルキー簡易版

この間大学病院外来にかかった友人から助教だの診療助教だのだれが偉くてだれが偉くないのか分からん!」と言われたので書く

ちなみに俺は微塵も医療業界人間ではないし医学部卒でもない(ので添削よろしく

学長」と「病院長」のどっちが偉いかどうかはその大学によるけど、だいたい「学長」。そもそも医学部附属病院”なので大学側が主体イメージ。まあ派閥とか権力の差はあるから一概には言えない。

病院長は外来もやることが多く、学長より医師としての仕事が多いイメージ学長は何してんのかよくしらん。

で、肝心のそれより下の方々。

各科の「科長」がまあ大体一番偉いと思って差し支えない。

デッカい総合病院なんかはその上に「内科科長」と「外科科長」に分かれてたりするらしいが、うちの近所の大学病院では無い。

ただ、慣例的に「この科(内科だったら消化器内科外科だったら脳外科、みたいな感じで)の長が内科/外科トップ」みたいな序列は若干ある。各科によって人数・売上(っていう言い方していいのか分からん)違うから権力も大きく差があるしね。

ただこの組織編成はあくま病院のもの大学側はまた少し違う。

病院診療科と同じ区分大学もあるのかもしれんが、大体はちがう。

大学側の科区分には「なんちゃら講座」とつくことが多く、所属している人員病院の方より少ないことが多い。病院では「消化器内科」だけど、大学では「内科第一講座」「第一内科学講座」(ほかの内科と合同)になってる、とか結構ある。もちろん第二もある。

これは大学側の予算病院側の予算全然うから…なのかどうかは知らんが、寄付金講座や、稼働しているのかいまいちわからん講座や、まあ多岐にわたる。

言いたいことがとびとびになってしまったが、「科長=教授」ではない。教授は大体科長だが、科長はかならずしも教授ではない。上の例で言うと消化器内科免疫内科が一緒に内科第一講座になった場合(ここのふたつを一緒にしてるところはあまりないと思うが…)、講座の教授枠はひとつしかないので、消化器内科の科長が教授になると、免疫内科の科長は准教授講師等それ以下の役職になる。ややこしいよね。

てかここまでだらだら書いてきたけど肝心のヒエラルキー全然書いてなかった。

教授」「准教授」「講師」「助教」「診療助教」「医員」「専攻医(ここ最近できた)」「初期研修医」。だいたいこんなもん。

一番勘違いされがちな「大学院生」は基本給料が週数時間以内分とその他手当(当直とか)しかつかない上に病院としての役職は実はついていない。いや例外はあるけどね。

年齢としては30代前半が多いかな。「診療助教」と「医員」の間くらいのポジで、ここで専門医とか色々とってゆくゆくは出世するわけ。院卒じゃないと上いけないから。

病院での給料べらぼうに安いせいで外病院アルバイトしまくらないとやってけないので、体力のある若いうちじゃないと厳しいし、子供が小さいと奥さんは苦労する。この話はあん関係なかったわ。

ちなみに「病院教授」とか「特任教授」とか頭にいろいろついてるのもあるけど、基本的無印教授が一番偉い。無印教授って、要は「大学教授」のことなので。「診療助教」より「助教」の方が偉いのも同じ理由助教以上は大学講義もする。

病院教授」と「特任教授」だったらどっちが偉いんだろ、うちの近所の大学だと「病院教授」の方が偉いです。

教授」になるには実績(研究成果とか)が必要になるわけだけど、正直そんなん一般患者には関係ないわけで。

偉い人が必ずしも名医とは限らんし、こんなちんたら書いといて結局、肩書意味あんまりないよって話です。ただまあ、その科の教授より年上なのになぜかまた現役で科内に居座る医師っていうのはたいていやべーやつなので、外来等であたったら注意。医者世界派閥の次に年功序列学部卒年から数えた歴)なので、近所の大学では教授が新しい人に変わったら、その教授より年上の人は全員どっかにとばされたり辞めて開業したりするのが普通教授になれずに還暦までいる老害はもれなくやばい

親身になってくれる度としては家庭も仕事もある程度落ち着いている助教先生あたり(40代前半とか)がまとも率高い。ただし上からは圧をかけられ下から突き上げをくらっているのでストレス尋常じゃないため余計な迷惑はかけないように。

2022-01-28

anond:20220127205617

それな。

 

予定を立てる。

そして淡々と予定をこなす

これな。

 

このふたつをしないと20日間だろうと

週休の二日間だろうと

ワイはネットだけやって終わりになる。

 

予定を立てても、そのときになったら

やっぱり止めておこうかな?とか疑問をもってしまうけれど

それはガン無視しないといけない。

立てた予定は仕事のようにただ淡々とこなす

 

そんなふうにタスク化しないと無理。

ある意味全然楽しくないときもあるけれど

時間有意義に使う、っていうのは楽しくないんだよな基本的に。

ワイの場合は。

2021-09-26

1番ひどい応対が無視すること

そして1番普通の応対もまた無視すること

このふたつを混同しがちなのでついネット煽りに反応したくなるけど

無視匹敵するほどの相手ダメージを与える才能は持ち合わせてないひとばかりだから無視しよう

実際、クラスいじめ無視が1番効果

たとえばいつもスターをくれるひとがある日からぱったり無反応になりそれが続くと不安になる

から無視しよう

世界リソース節約される

無用ノイズも減る

2021-07-26

anond:20210726004127

「配られたカード勝負するっきゃないのさ」

勝負に勝ってほしい

カードを配らないでほしい

たつを同時に願うのは奇妙だ。

まず、カードが配られなきゃ勝負はできないじゃないですか

もし、「カードが配られるのが避けられないなら、せめて勝負に勝ってほしい」って言いたいなら、

その時点でカードを配る可能性を認めてしまっている。

絶対に」カードは配らないでほしい、とは主張できないはずだ。

2021-05-31

anond:20210530091718

こういうのを屁理屈という。一見同条件のふたつを比較しているようで、実はそうじゃない。

だが、屁理屈理屈ちょっと面白いし、おれの思う考えを書こう。

端的に言うと、生殖は「生命本能」だ。ということだ。

は?んなのわかってるわ。本能なら同意なく人生はじめさせてもいいのか!?ってお前は言うかもしれないな。

それはわかる。人間は、ある程度の本能自力で押さえ込める生き物だからな。

だがな、この「本能」はな、厳密に言うと「機能」なんだ。「種の保存のための本能を」を「生命の持つ機能」として考えてみよう。

そしてこれはある意味様々なことから立証されている。

例えば、命の危機に頻繁に晒されるような状態にある人(兵士だとか、危険仕事についている人とか)は、性欲が増す傾向にある。

なぜか。

いつも死がすぐ近くにあるからだ。そういう時、自然自分の種を残したいと脳が勝手機能するわけだ。

女性は閉経が近付くと性欲が増すとも言うが、これも同じだな。

合意のない性行為とかは「本人同士の意思確認の有無」についての話だが、機能については意思確認うんぬんは関係ない。よってこのふたつは同列で並べて比較する話じゃないってこと。

これを同列にするってことは、例えば

心臓てめー誰に断って鼓動してやがるんだ」とか

免疫てめー誰に断って病気治してやがんだ」とか

血小板てめー誰に断って傷口塞いでやがんだ」とか

そもそも脳ミソてめー誰に断って体のいろんなもの動かしてやがんだ。」とか言ってるのと同じようなもんなわけ。

もちろん、先にも書いたように人間はある程度の本能を、自分意志で抑えることの出来る生き物なので、ひとりを切り出してマクロ視点で見ると、お前がそんな風に思うのもわからなくはない。種の存続の本能とか言い出したら、合意のない性行為だって本能ってことにならないか?とかな。思うかもしれんな。

だがそこはやはり違う。これはあくま生命全体で見ると、ってことだ。

マクロ視点でいえば、同性愛者とかはどうなるんだ。とかって話にもなるからな。

だが生命全体で言うと、種の存続はやはりひとつ機能に他ならない。なので、生まれてくる次代の生命に対して、同意を得なければならないという話はおかしものになるわけだ。新陳代謝同意を求めるというのと同じだな。

まぁちょっと面白い視点の考えで、そんな風に考える人もいるんだなーと楽しませてもらったわ。

なので、楽しませてもらった対価として、おれの思う答えを贈る。これで納得してもらえるかはわからないが……なw

2021-02-19

大学入試共通テスト古典問題が凄かったので解説させてほしい

タイトルの通り。筆者は高校教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テスト方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやす解説していきたい。


わかりやすとはいえ大学入試古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。

問題解説予備校分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。


予備校

https://www.toshin.com/kyotsutest/

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/


ちなみに大学入試センター問題作成方針はこっち。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf


以下は教員仲間とのディスカッションメモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。


まず、第三問の古文

センター試験から変わると事前に予想された、複数文章や会話形式選択問題はなかった。

本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。


・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。

・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの

これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ文学的文章の鑑賞」つまり作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。

・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。

・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常ことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)

・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。


・また、過去試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である


これだけでも十分すごいが、続いて漢文

こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通テーマ文章ふたつの出題である


・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題

とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。

・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。

漢詩押韻知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。

・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。

文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。

・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。

しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのであるしかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。

受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり受験生心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。

・よって受験生文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程要求される(というよりも問題から誘導されてゆく)という問題構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である


このように、古文漢文ともに「受験生思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生思考多角的ものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。

また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題誘導する深い思考対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路設計されている。学力を測る目的大学入試問題としても適切である

センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報多面的多角的視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育現場から、惜しみない賛辞を送りたい。



2月22日追記

・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう自分にとっても、いろいろ考える機会になった。

・別記事で「古典義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。

https://anond.hatelabo.jp/20210222160532

この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……

古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています

古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります

・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすしました。

文学的感じ方を入試に出さないでほしい

文系の連中だって微分積分の深みとか行列演算の感動とか最初から拒絶してるだろ

わかるやつはすんなり理解するけど、わからないものはわからないんだよ

こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくま論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。

よくある誤解だけど、国語入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情センス」ではなく「論理」になっています

しかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。

入試問題批評だと「大学受験のための小説講義」「教養としての大学受験国語」が面白かった

石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分現代指導根本にある本です。

解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。

解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います

これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数問題でも非常に数学エッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。

共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問エッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。

今回の共通テストセンター試験名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃん多角的思考力を問う内容になってる!

そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさら進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすものになっています

文系研究醍醐味を先取りできるテストってわけか。

それもあるし、これを見た高校先生は「知識だけでなく、学問的な思考方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります

大学入試改革は、高校入試改革嚆矢としての役割を持っているので、この方向性国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います

古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来人達に私達の心情とか踏まえて歴史理解して欲しいって思うもん。

こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います

今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンター共通テストが良問であるとされる所以ですね。

anond:20210218193205

悪口を言わないことと、選ばないことは全然違う

世の中には、自己責任とそうでないことが両方あって

太った私を選ぶかどうかは他人自由なんだし

私が怒っていいのは馬鹿にされた時で、私の代わりにかわいい子や痩せてる子が選ばれた時ではない

たつを区切る線はどう引きます

例えば、あなたが太っているって理由パーティに呼ばれなかったとき、それは彼ら選ぶ自由か。それとも馬鹿にされているのか。パーティ職場の懇親会だったら答えはどう変わるか。

全然違うとおっしゃるけれど、線引きの論拠は書かれていなかったように思える。論破されて直ったのでなく段々と気持ちが傾いて変わっていった。…あなた自身にとっては良いことだったろうけど、

批判理論が無ければ、暴走するツイフェミを止められないでしょう。明日明後日も若き腐女子たちは次々とツイフェミに変わっていく…

コンプレックスをどう扱うかを自分社会との合議で決めたのではないのだからコンプレックスを抱くあなたをどう扱うかを決める周りの責任と、コンプレックスを持つあなた自身責任は並行して独立存在する。周りを・社会批判すると同時に自分自身のあり方を省みることができる。両者は別々に存在するから矛盾ではない。「太ったら周りがどう扱うかを解った上で太った、だから自己責任だ」という意見がよくあるが誤りだ。双方はそれぞれの自由意志を持ち互いの責任無関係からだ。周りの酷い扱いを責めつつ、太っていることを自己批判できる。ふたつは両立する。

個人的には肥満理由パーティに誘わないなどやるべきではないし、そんな人間にならないようにといつも思っています。不合理で身勝手偏見を元に人間を選別して誰かを傷つけるなら、私は社会としての責任果たしていないということになる。

2021-01-27

テーマ動機付け

https://note.com/shodamiwa/n/n65b84888f562

ヒント1

「旅の始まりたる動機づけ」と、「旅の終わりたるテーマ昇華」。

このふたつを、一緒くたにしないこと。

ヒント2

動機づけは、基本最後まで同じ形で引っ張るもの

入口と出口が、そこそこ一致するもの

ヒント3

テーマは、基本最後まで様々に揺れ動くもの

動機づけたる目的を求める道中で、自由に描いていけるもの

2020-10-09

ホモ」は蔑称なのか

いつだったか忘れたが数年ほど前に、

腐女子が「ホモ」という呼称を使うことに対して

「それは差別的呼称であり、当事者以外の者が謙遜自虐卑下に使うことは適切ではない」

とする意見を見たことがある。

事実、かつて多くの腐女子自分の嗜好について自虐する風潮があり、

自らの趣味謙遜?するつもりで、

あえて乱暴言葉を用いたりしていたと思う。

乱暴な口調=男勝りなキャラ自分カコイイ!!、という中二病も多くいたが)

それを本来当事者であるゲイセクシュアルの方と思われる方の一部が、

「なぜ第三者である人間立場を低く言われなければならないのか」

と憤慨するのは、当然の流れだと思う。

(本当にゲイの方の発言かどうかは置いておく)

しかし、この「ホモ」という言葉蔑称なのだろうか?

wikipediaによると、「同じ、よく似た」という意味ギリシャ語からまれ言葉だそうだ。

(ちなみにホモサピエンスのホモラテン語で「人」を意味するらしい)

まり、「ホモ(セクシュアル)」という言葉あくまで、

「同じ性別恋愛対象とする人」つまり同性愛者」を指すに過ぎないのだ。

近年は、女性同性愛者のことは「レズビアン」、

男性同性愛者のことは「ゲイ」と呼び分けていることが多いが、

そのふたつを総括する言葉が「ホモ(セクシュアル)」なのである

ではなぜ「ホモ」という言葉蔑称とされてしまうのだろうか?

かつては「ゲイ」という言葉すらもしょっちゅう中傷に使われていたと思う。

現在ネットテレビを見る人で、LGBTという言葉を聞いたことが無い人は滅多にいないだろう。

性に対しての世間視野が広がりつつあり、

ゲイ」は差別的ニュアンスで使われることが減ったと言えるだろう。

まり、「分類上の呼称ひとつ」という本来意味で使われるようになってきたということだ。

別の例をあげよう

2chなどで多く見られる「ガイジ」「池沼(ちしょう)」という言葉だ。

これらは「障害児」「知的障がい者」を略したスラングである

2chなどで、と前置いてしまったが、私が小学生の時(10年ほど前)、

ガイジ」は普通に悪口として使われていた。

同じクラス自閉症の子支援学級に入っていた)がいたにも関わらず、だ。

かに自分よりも能力が劣ると思える相手を見下すことは、

この競争社会に生まれ落ちた存在として容易に陥りやす思考である

しかし、「障がい者である」ということそのものは、本当の障がい者にとっては単なる事実に過ぎず、

役所で発行される書類などにも「障害者」という語は見られる。

ではなぜそれが「悪口」「中傷」「蔑称」となってしまうのか?

それはマイノティ差別する集団心理のせいではないだろうか。

マイノリティ」に属すること自体屈辱的、普通よりも劣っていると決めつける集団心理だ。

グループに属せないゆえにマイノリティと呼ばれるのかもしれないが、ここではあえてこう書かせてもらう)

とどのつまりは、「自分(達)よりも能力や数で劣っている人間社会不適合者だ」というレッテルを貼る者達が、

ホモ」を差別用語にしてしまうのではないだろうか。

最後

ここまで色々書き連ねておいてなんだが、

この話は同性愛者について語るものではない。

個人意見としては、ああいもの被差別者差別者達が議論して折り合いをつけていくものだと思っている。

まり特に肩を持つようなことはしないが、一方的攻撃するのはおかしいよね、くらいの認識だ。

しかし、社会本質として「似ている人間同士の集団」こそあれ、

「全く同じ人間集団」は存在しない。

もしもクローンが作られ、同じ生育環境だったとしても、それは同じことだと思う。

同じDNAでも、少なくとも黒子位置とかは違うと思う。

自分と違う存在」「自分より一見劣ると思える存在」を容認し、

それを愛する世の中に住みたい、と私は切に願うばかりだ。

2020-07-26

anond:20200726074904

リロードして 

 

Yahoo

平手ゆりなと愉快な乃木坂Y46↓  

松居ジュリナと愉快なスーハ欅坂こんもこ46

 

死せる孔明生けるちゅうたつを走らせる リロードOK(最近たまにある魔法) うたってるあいだにかわるぉ?

大島優子アーティストとは違うの なんでもありがAKBから そう 魔力さえあればね ぜーはぜーは(走ってきた)」

  ↑ 選んだらこのひとだった このセリフ 魔法は時空も越えるの

2020-07-07

anond:20200707120525

マスクと体に隙間ができるかどうかより感染するかどうかが論点じゃないんか

いきなりふたつを結びつけるのは飛躍しすぎやろ

2020-07-04

さらの『天気の子感想

感想要約

『天気の子』は"子どもたち"(陽菜さんと帆高さん)が自然災害対立する話ではなく,実際には"大人たち"と対立する話であるという視点大事だと感じた。

『天気の子概要

『天気の子』では"大人たち"や社会は,"子どもたち"と"世界の仕組み"のふたつを無視していることが描かれる。

そして偶然にもそのふたつを兼ね備える子どもたち,つまり世界の仕組みを担っていた子どもたち(陽菜さんと帆高さん)が,今度は今まで自分たち無視してきた社会無視するという決断をする。

この決断が天気の巫女をやめて東京沈没を選ぶということだった。

『天気の子』内容の確認

自然災害無慈悲かつ強力なので人々は受け入れるしかないが,天気の子人柱にするなどの方法はあった。(これが"世界の仕組み")

しか世界のことに興味を持つ"大人"はほとんどおらず,大人の多くは自分生活を優先していた。

同様に子どもたち(帆高や陽菜さんたち)を優先する大人もあまりいなかった。

たとえば警察は帆高の天気の巫女の話を無視して仕事を進めた。

児童保護施設陽菜さんたちがあのまま暮らしたいという意思無視した。

須賀さんも家出した帆高が東京で暮らすことを手助けしていたが結局は娘のために帆高を島に帰らせようとした。

大人たちが良識的で常識的対応を続けた結果,帆高たちは追い込まれしまった。

帆高は一度は手に入れた3人暮らし幸せをもう一度実現するために,人柱になった陽菜さんに対して帆高は自分たち幸せに生きるために社会のことは無視しよう,と伝える。

陽菜さんが天気の巫女をやめて雨は降り続き東京沈没する。

④数年後に帆高が東京に戻ると,何人かの大人たちは東京沈没を受け入れている様子が見られた。(もともと海だった場所を埋め立てた土地がまた海に戻った,など)

これは①の自然災害は受け入れるしかないものという態度が一貫している。

帆高はこれで本当に良かったのかと自問する。そして自分たちならきっと大丈夫だと確信して終わる。

感想タイム

改めて,帆高と陽菜さんの決断はよかったかと考えるとあんまりよくはないだろう。

最も良い可能性とは大人たちが子どもたちのことを理解し,世界の仕組みを知り,一致団結して自然災害対峙することだった。しかしそうはならなかった。

じゃあ陽菜さんの命と東京とでどっちが大事か,とか聞かれてこっちですとか言える人もあんまりいないだろう。それはつまり帆高のやったことが間違ってると言える人もあんまりいないということである

から自分は帆高たちのことはあんまり悪いとは感じない。

そもそも帆高たちには人柱東京を選ぶトロッコ問題スイッチたまたま与えられただけで(陽菜さんにとっては自殺東京かを選ぶスイッチである),彼らは別に英雄総理大臣とかじゃない。彼らが人々を助けなきゃいけない理由特にない。

だがしかし陽菜さんは一度は晴れを届けるという形で人々と関わることを自分生き方の形として納得していたので,陽菜さんにとって人柱になることはそういった生き方の延長線上にはあったかもしれない。

帆高の言葉は,そうやって新たに獲得できたばかりの天気の巫女というアイデンティティも捨てて生きていこうという提案だったわけだ。

この辺は前作の『君の名は。』より話が一段階難しくなっているなと感じる。『君の名は。』では,三葉は隕石から町を守るにあたって父親(大人たち)の協力を得られなかったが,結局子どもたちだけでうまく問題解決することができた。

一方で『天気の子』では東京沈没はうまく回避できなかったし,世界の在り方だけでなく,これから陽菜さんたちはどう生きていけば良いのかという彼ら自身問題まで提示されている。

君の名は。』の話を出したので,『天気の子』含めこれら2作における"世界の仕組み"観についてちょっと振り返る。

これら2作では何か神様のようなものもつ絶対的ルール(黄昏時とか入れ替わりとか天気の巫女とか)と,自然が持つ絶対的な脅威が関連している。

これらは新海誠監督の美しい自然描写や生々しい街の描写によってより説得力を持つものになっている。

まず世界に都会(東京)と自然があり,そしてその両方を支配している絶対的ルールがある,というのが世界観の基本にある。そして2作ではその絶対的ルールに巻き込まれ若い男女がテーマとなっている。

都会と自然の中に同じ神秘的な仕組み現れるというのは現代アニミズム的な思想を感じる。

君の名は。』では神秘的な存在というのは,神の領域としてしか現れず,つまり肉体(?)を持つ神様のようなものが目の前に現れるということはなかったが,『天気の子』では雲の魚や龍のような存在が描かれていて,神秘的な存在の具体的な描写が新しく行われていると思った。あの龍みたいなやつかっこいい。

ちなみに雨が続くやつは台風ではなく巨大な寒冷前線(真夏に雪が降ったのも特徴)として描かれている。これは非現実的災害として描かれていた。

『天気の子』の大人たちについて,彼らの対応が極端に間違ってたかというとそうでもないだろう。一応,陽菜さんが空に消えた夜に多くの人が陽菜さんが泣く夢を見たらしいが,それでも天気の巫女とか信じて行動するのは難しいだろう。

とくに刑事たちの働きぶりは淡々としていて彼らの思想が見えてこないと最初は感じたがむしろ仕事内面が出ないというのがまさしく大人らしい態度だったのだろう。

高井刑事が帆高にイラついたり,安井刑事が泣いている須賀さんに声をかけるというシーンは彼らの人間味を出しているが,しかし彼らはとくに雨や天気の巫女については言及しなかった。(つまり世界の仕組みを認知していないあるいは興味がなかった)

その一方で,世界のことに興味があり,また就活中の身でありながら帆高や陽菜さんを助けるためにバイクでお尋ねものになってくれた夏美さんは"大人たち"には全く当てはまらない人物として描かれていると感じた。

夏美さんのこの作品における存在意義,特に就活に失敗するような描写がなんの意味をもっていたのか,夏美さんが持つ就活問題が帆高たちとの関わりでどう変化したのか,あるいは変化しないならなぜそんなシーンを入れたのかを結構不思議に思っていたのだが,こう考えるとあのシーンは夏美さんが大人たちの側の人間ではないことを描写していただけだったのかもしれない。

ついでに帆高が銃持つ必要あったのかという疑問もあって,最初陽菜さんの天気の巫女の力と対比するための帆高の力として与えられたのかな〜〜くらいに思っていたがあれもやはり帆高と社会対立を深めるための舞台装置だろうと思っている。

『天気の子』は大人たちと子どもたちの対立を強調しているが,これらに当てはまらない大人も当然いた。

天気の巫女人柱の仕組みについて知っている老人や,雲の上についてはしゃいで話す研究員などは世界の仕組みに関心のある人たちだった。また立花さんや天気の巫女の一環で関わった人たちのように,誰もが帆高たちの邪魔をしていたわけではない。

須賀さんについて振り返ると,家出理由を明かさないがとにかく東京暮らしたいという未成年の帆高の意思を初めて尊重仕事と住処を与えたひとだった。しかしやがては帆高を匿うことのリスクを考えて,万札と帽子を渡し帆高に帰るように伝えた。

(よくあんなにパッと出せるお金があるなと思った。)

帆高の家出理由最後まで明かされなかったが,深刻な事情あるかないかに関わらず意思を受け入れるというのは尊重の仕方として正しい形だろう。

須賀さんは最後は帆高のもう一度陽菜さんに会いたいという心に,妻を亡くしもう一度会うことが叶わない自分と通ずるものを感じたのか,警察対立し帆高を解き放つ選択をとる。

ここは帆高解放連盟のなかでも夏美さんや凪(先輩)たちとは全く違う動機を持っている感じがする。須賀さんはなんというか常に帆高を対象として動くキャラだなという感じがした。初対面でビールたかるシーンから想像できないキャラクターの広がり方だった。

そんな感じで『天気の子』はどうにもならない話だったという感じがあるが,帆高はまだ未来があると確信してたので今後に期待大。

帆高まとめ

家出し,東京ホームレスになり,高1で好きな女の子ラブホ宿泊し,東京沈没させた。

2020-03-01

一斉休校乱暴だけど間違っていないと思う理由

新型コロナウィルスに対する学校の一斉休校措置に対して様々な批判が上がっています

個人的には、全てにおいてベスト選択ではないものの概ね間違ってはいないと感じています。その理由について、代表的批判に対して反論する形で書いてみようと思います

見落としている観点などがあれば指摘いただけるとありがたいです。

なお、前提として本件は2/24に発表された専門家会議による基本方針ひとつの指針としています

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00006.html

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-muto

また、既に起きた事象について「あのときこうしているべきだった」は現時点では無意味と考え、現状を前提とした思考をしています

批判1:全国一律ではなく、地域の状況に合わせて実施していくべきだ

私の観測範囲では最も多い批判だったように思います

これは理論的には正しいように思いますが、現実的にはあまり意味がないと考えています。なぜなら、この批判

・各地域において、感染状況が適切に把握できている

・各地域において、疫学見地から正しい判断ができる

のふたつを前提としているからです。

既に御存知の通り、新型コロナウィルス潜伏期間が長く、検査リソースも不足していることから正確な感染状況はわかっていません。数字としてゼロからといって、リスクが低いかどうかはわからないのです。

また、教育委員会学校疫学専門家ではないため、「感染を防ぐ」観点ではなく「保護者意見」や「十分な準備」などの観点判断されるリスクが高いと考えています重要観点ではありますが、判断目的に沿ってなされるべきです)。

批判2:もっと早く言うべきだった(あるいはもっと準備期間を取るべきだった)

2/24~26の間に発表して1日でも準備期間を設けるべき、という意見です。一理あると思います

「何日の準備期間があれば良かったのか」は人によって意見が分かれるのでいずれにしろ批判対象になったと思いますが、1日で全て対応するのはさすがに厳しかったでしょう。

一方で、専門家会議の「これから1-2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際となります」という見解から考えると、休校の後ろ倒しはリスクの増大を意味します。

「完全な準備期間」は存在しません。リスクスピードバランスという面からは「週末を含めて対応を考える」はベストではないにしろワーストでもない、という印象です

批判3:子供感染リスクが低いので意味がない

感染リスクが低い」のか「重症リスクが低い(気付かないだけで感染している)」のかは専門家の間でも見解が分かれているようです。

私は感染症の専門家ではないので判断は避けますが、後者観点から決断したもの理解しています。いわゆる「安全側に倒す」という考え方です。

https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200229-00165263/

批判4:学童を開けるなら意味がない(あるいはさらリスク高まる

学童感染リスクについてはその通りだと思います

一方、「どうすれば良かったのか」については代案が思いつきません。

「一部の子供を家に入れることで、リスクある子供の数を減らした」という見方をするしかないような気がします。

批判5:満員電車を先になんとかすべき

3つあります

1.両者はAorBのような排他関係、A→Bのような依存関係ではないため、独立議論できます優先順位議論はできます。そちらは2,3で反論します)

2.新型コロナウィルスは「お互いが近い距離で会話・接触

する場所」「多数の人が備品設備を共有する場所」が危ないようです。一般的には学校のほうが高リスクそうです。

3.施策効果リスクの両面から判断されます

この主張をされる方が具体的にどのような施策イメージしているのかはわかりませんが、少なくとも「全企業出勤停止」のような処置利益率の低い中小企業非正規雇用の多いサービス業から確実に殺していく、極めて副作用の大きい劇薬です。

経済活動を止めるダメージ学校を止めるダメージとは比較になりません。

批判6:安倍首相が「やっている感」を演出するためにやっている

「誰がどのような意図判断たか」は「効果があるか」とは無関係なため、論評しません。

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